KanonSS その4 永遠の奏でる小夜曲 プロローグ 石畳の階段を駆け上がっていた。一歩進む毎に静寂の夜にわたし達の足音が響く。昼間だと全く気付かないほどの音も、この夜闇の中では一際響いて耳に届いてきていた。 「ほらほら、早く〜っ」 わたしは舞の手を引く。別にとりわけ急ぐ理由はないんだけど、つい目的地が近づくと駆けだしてしまうのは性なのかもしれない。 舞も「.....まって」と呟きながらもわたしの足に合わせて駆け出してくる。あとこの階段を数段上れば..... 「ほら、到着〜っ」 最後の一段を跳ねる様に飛び越えて、たんっという小さな音と共にわたしは目的地に踏み入った。ふと時計を見てみると時刻はちょうど日付が変わった直後。その後で頭上を見上げると夜空は初夏の星空が一面に瞬いていた。 「わぁ、綺麗だね.....」 思うと同時に言葉になって、そしてその言霊が星空に還っていく。わたしの感慨はあの星々にまで届くのだろうか。 ここはこの町で一番高い場所。そう。この夜空に一番近い場所という事になる。 「..........」 わたしの隣りに座っている少女は相変わらず無表情のままでただじっと見つめていた。とは言っても本当に何も感慨を感じていないわけじゃない。ただそれを表情や言葉で表現するのが苦手なだけ。 「.....綺麗」 とワンテンポずれて舞も呟く。ほらね。わたしの言ったとおり。 .....って誰に言っているんだろう?わたしは。 ともあれ舞と一緒にそこに備え付けられてあるベンチに座る。時折、夜の冷気を含んだ風がわたし達を撫でる様に包むのが心地良い。これが冬になったら寒くて耐えられないのかもしれないけど、その時はその時で二人抱きしめ合っていればそれも乗り越えられるだろう。.....あの日、二人一緒にお月様を見ていた夜の様に。 「..........」 満月では無いけど、それでも煌々と輝く月と視界に広がる天空の星々。夜闇に散りばめられた無数の輝きがまるで何かを象徴している様だった。きっと、それは..... 「ね、舞.....星々の輝きは人の想いなんだって」 そう。いつか昔にそんな事を聞いた事があった。だったら..... 「わたしたちの想いは、どれかな?」 手を目の上にかざして探してみる。多分、あの中でも一際大きい輝きを放っている星...... 「.....佐祐理.....」 「ん.....?なに?」 手はそのままに舞の方を振り向く。舞は少し困惑した表情で、 「.....聞いている方が恥ずかしい」 「あはは〜、やっぱりそう?」 そう言われた瞬間、自分の頬もほんのり紅く染まっていく。やはり人から指摘されると恥ずかしい事この上ないかもしれない..... 「..........」 そんなわたしに何も言わずに視線を戻す舞。その横顔は「よくそんな恥ずかしいことが言えるものだ」と呆れている様子がありありと出ていた。 「う〜ん.....」 そしてわたしも少し照れくさくなって視線を外したすぐ後に、 「.....でも、佐祐理らしい」 そう呟くと、舞は左手を伸ばして、ほんの少しだけ肩が離れていたわたし達の距離を強引に縮める。舞に抱き寄せられてわたしの頭は舞の胸に埋まっていた。 「.....舞だって充分恥ずかしい事してる」 そのまま舞の胸に顔を埋めたままで呟く。服の上からでも舞の柔らかな胸の感触が心地よい。 「.....そう?」 「うん。だって.....」 わたしは身を起こして、 「.....だって、いつもそうしてキス、せがんでる」 そう囁いて、わたしは目を閉じ、 「.....はちみつくまさん」 お互いの手と手をつなぎ合わせて 「ん.....」 .....そして舞と唇を重ねた。 この高台に始めて足を踏み入れたのは、雪解けの終わった直後の初春。舞と共に新しい土地へ越してきたその日。それは満月に夜桜が絶えず舞い降りる幻想的な夜だった。その時以来、わたし達はたびたびこうして二人で星空を眺めにくる様になっていった。 舞との想い出がいっぱい詰まった学校を卒業した後、わたし達は新しい土地と言っても、今まで暮らしていた街のほんのすぐ側でしかないのだが、それでもあの街を殆ど出たことの無いわたしにとって充分新鮮で、新たなる冒険だった。 流石に家族の人は家を出ると言ったときは、唖然としながら心配そうな顔を見せたが、わたしはその事にまったく不安はなかった。何より、今度は舞がずっと隣にいるのだから。 それに.....舞はちゃんとその場で約束してくれたから。 「.....大丈夫。佐祐理は私が守る」 .....って。 その時の舞の真剣な瞳がお父様の首を縦に動かせた要因の一つであるのは確かだと思う。そして、わたし達は今こうして.....お互い寄り添ってる。 「..........」 星空の見守る中で互いの唇を重ねたまま暫くの時が過ぎゆく。そしてその行為に没頭しているうちに、いつしかまるで時間が止まったかの様な感覚に捕らわれる様になる。 それは互いの心が繋がった瞬間に起こる儚い永遠。ふとした事で意識が現実に帰った時には、既にまるで何事もなかったかの様に意識の奥底に消えていた。 そうしてわずかの余韻と名残を残して唇を離した後、わたし達は再び寄り添うようにベンチに座り直す。 「わたし、幸せだよ.....」 ぽつりと自然に自分の口から出てくる言葉。そう、今のわたしは誰に対してでも胸を張ってこの言葉を言える。 「.....佐祐理」 「ん?」 「近頃よく自分の事を「わたし」って呼ぶようになった.....」 「うん.....舞のお陰.....かな」 舞と始めて結ばれたあの日以来、わたしは”佐祐理”からわたし自身に戻っていた。いや、むしろあの日の事がきっかけらなってくれたという方が正しいのかもしれない。そして、それは舞にとっても同じだったに違いない。.....だって、舞にも確実に変化が訪れてきたから。 「舞こそ、前よりずっと喋るようになったよ」 そう言って舞の顔を覗き込むと、舞は柔らかい表情で、 「.....多分それは佐祐理のお陰.....だと思う」 .....と。そしてくすくすと笑い合う二人。やっぱり舞の表情は口元が少し緩んだだけであまり変わってはいなかったけど。それでも、 「んじゃお互い様.....だね」 それで充分だった。多くの言葉なんて決して必要ない。 だって.....伝わるから。こうしてふれ合うだけで、お互いの温もりを感じ合うだけで。 「.....本当に綺麗」 今宵もわたし達が寄り添う上で、包み込む様に広がる銀色に輝く宝石を散りばめた星空に月の光が優しく囁いていた。 |