法少女はプリンセスに揉まれて勇者となる その4


第四章 人に恋した魔界の姫

 ……あれは、人間界への留学が決まった日の夜だったろうか。
「リセリア……一つだけ、当主としてではなく……母としての願いを聞き届けてくれますか?」
 話があると寝室へ呼ばれた私へ、病床の母さまは青白い顔で縋る様に切り出してきた。
「お願い……?」
「先に決定した通り、あなたには次の春を迎える頃に人間界の魔法学園へ留学してもらいます」
「うん……母さまを置いていくのは不安だけど……」
「私のコトは気にしなくていいわ。単に還るべき時期が少しだけ早めに近づいているだけだから……それより、人間の世界へ単身で送り出さなければならない娘の方が心配……ごほっ」
 そう言って、母さまは苦しそうに短い間隔で咳き込み始める。
「……大丈夫……なんとかやっていくから……」
 本当はそれも不安しかないものの、これ以上の心配は与えたくない一心の言葉だった。
「頼むわね……あなたには次の当主として出来るだけ見聞を広めて欲しいし、何よりプレジール家嫡子の人間界への留学は、あの時よりの望みでもあったから……」
「望み……?」
 しかもあの時からって、私に心当たりはないけれど。
「……ああ、御免なさい。今のあなたには言うべき事ではなかったわ。それより、お願いというのはね……ごほっ、向こうへ行ったら、是非ともお友達を作って欲しいの」
 ともあれ、そんなこんなで母の口からようやく出てきた望みというのは、いささか拍子抜けさせられるものだった。
「おともだち……人間の?」
 改まってお願いといわれて少しだけ身構えていれば、まさかお友達を作れだなんて……。
「そう、この地では領主の娘でも、留学先のあなたは一介の生徒に過ぎない……。だからこそ、対等な立場で心を委ねられそうな友人を自分の目で見つけて欲しい。それが母の望み……」
「……でも、どうやって作れば……?」
 ただ、今までそんな努力なんてしたことないし、言うほど簡単じゃないかもしれないけど。
「あなたは……今まで与えられ慣れすぎているから……勿論、すぐに変われなくてもいいけど、これという相手が見つかったら、まずは自分から踏み出してみなさい……」
「自分から……」
「そして、お友達になれそうと思ったら……その子たちにだけの特別な呼び名を許すの」
「呼び名……?」
「そうね、たとえば……」
「リセ、リセ……」
「ん……」
「……ほらリセ、もう起きる時間だから……」
「…………っ」
 やがて、いつもの声に呼びかけられた気がして瞼を開いたものの、誰の姿も見えなかった。
「……あれ?……」
「…………」
「おはようございます、リセリア様」
 そこで、声の主を求めてのっそりと上体を起こすと、アステルの代わりにベッドの横で控えていた、お付きメイドのソフィが恭しく頭を下げてくる。
「……うん……おはようソフィ……」
 それを見てようやく状況を認識した私だけど、また夢の中で聞こえた声みたいだった。
「……しかし、お戻り後はお一人でお目覚めになられるようになって、ご成長なさいましたね?」
「……どうだろ……」
 それから、ソフィが用意してくれた目覚めのハーブティ入りのカップとソーサーを受け取った後にそんな言葉を向けられ、ゆっくりと口に含みながら独りごとのように呟く私。
 寮ではまだ毎朝ルームメイトに起こしてもらっていて、こちらへ戻った今でも今朝みたいにいつもの起床時間頃にアステルの声が聞こえるから起きられているようなものだし。
「それに、お着替えも自分でなさるようになっておいでですし……」
「……うん、アステルができるだけ自分のことは自分でするべきだって……」
「お嬢様、いえリセリア様は良いご学友に恵まれたようで、長年お仕えさせていただいておりますメイドとしては喜ばしくもいささか寂しさもありますね……」
「ソフィ、おおげさ……」
「しかし、出来ることならばご立派になられた姫様を、ミモザ様にもお見せしたかったですが」
「ううん、ユーリッドも言ってたけど、母さまはきっと遠くから見てくれているから……」
 ……けど確かに、できればアステルだけは母さまの存命のうちに紹介したかったかも。

                    *

「おはようございます、姫様!」
「……おはよう……」
「現在、特に変わった事などございませんが、引き続き警戒を続けて参ります!」
「うん、おねがい……」
「は……ッッ!!」
(……ちょっと、物々しくなったな……)
 やがて、身支度も整えて大広間へ向かう途中で、すれ違った衛兵が敬礼で挨拶してきたのに手を上げて応えつつ、少しばかり変わった城内の風景に違和感を覚える私。
 先日に起こった前任の宮廷魔術師長の襲撃がきっかけで厳戒態勢が布かれることになり、普段は交代で行っていた巡回警備が総動員態勢になったために、甲冑と槍で武装した衛兵の姿を城内で見ない場所は殆どなくなってしまっていた。
(そういえば、アステルもこれに加わってるのかな……?)
 非常時は城内の警備が最優先になるから、魔法学園の建設計画はいったん休止で宮廷魔術師たちもそちらに回すと聞いてるけど……。

「おはようございます、姫様ー。本日もよろしくお励み下さいませ」
「……おはよう、ユーリッド……」
 ともあれ、やがて玉座のある大広間まで着くと、相変わらずの一張羅に身を包んだユーリッドがスカートの端をつまんだカーテシーで出迎えてくる。
 彼女のエプロンドレスは御用達の仕立て屋に特注しているものだから、決して安物じゃないし着こなしも完璧なんだけど、ただ同じストックを何着もそろえて、生まれたときからの付き合いなのに他の衣装姿の記憶が無いくらいに着続けているこだわりは、今さらだけどちょっと不思議かもしれない。
「まずはご報告事項ですけど、回収していたミスティ・トワイライトの意識が回復いたしましたので、今朝から尋問を開始しております。まぁ、今さら聞くべきこともあまり無いんですが」
「……うん……」
 それから、当主用に備え付けられている背もたれのやたらと高い玉座へ私が腰をかけると、傍らで帳面の束を手に早速お仕事を始めてくるユーリッド。
 ……そういえば兼任している役目が多すぎてあまり知られていないかもだけど、このユーリッドは母の代からの筆頭秘書でもあったりして。
「一応、事実確認がまだ不完全なので、あまり滅多なことは言いませんけど、暫くは少しばかり疲れさせられる期間が続くかもしれませんねー……」
「ふぅ……せっかくアステルに来てもらったのに……」
 ミスティの襲撃から今日で三日が経ち、あれから他に目立った動きの報告はないものの、本来は無関係のアステルが狙われたことへの腹立たしさと申し訳なさで気分が晴れない。
「まったく……場合によれば、アステルさまには先に人間界へお戻りいただくコトも検討しなければならないかもしれません」
「…………」
 けど、できる限りそうしたくはないから、あの夜はああいうやり方で介入したんだけど。
(ほんとに……腹がたつ……)
 正直、宮廷魔術師のお誘いなんて口実に過ぎなくて、私はただ人間界で最初にお友達になってくれて、そして母さまの願いを叶えてくれたアステルが自分の国を気に入ってくれればいいって、それだけのつもりだったのに……そんなささやかな野望にすら無粋な邪魔が入るなんて。
「……そういえば、アステルはどうしてる……?」
「アステルさまは、本日も魔術師たちを集めて訓練すると言ってましたよ?先日のミスティ戦で色々思うトコロがおありになるんでしょうねー」
 ともあれ、それからアステルが今日もこの場にいない理由を尋ねると、ユーリッドからは昨日と同じ回答が戻ってきて……。
「……そうなんだ……」
「あ、ダメですよー?本日も領内の諸侯との謁見予定が四件と、デメララ卿からご招待を受けた昼食会が控えておりますので、それが終わるまでは」
 続けて、それを聞いて訓練場まで会いに行きたいと立ち上がりかけた私の心を見透かしたように釘を刺してくるユーリッド。
「……う〜……」
 そういえば、最近は忙しくてアステルと一緒にご飯を食べる機会も減ってしまってたっけ。
「これから、少しばかり情勢が不安定になる可能性が高いですし、まずは味方の諸侯たちと顔合わせして国内の地固めをしておきませんと」
「……うん、わかってる……」
 もちろん、それは領主の務めだから、疎むつもりはない。
「…………」
(……ないんだけど……)

                    *

「……アステルさまですか?もう午前中に鍛錬を切り上げられて、今は書庫だと思いますよ?」
「書庫……?」
 やがて、午後も半分くらい過ぎた頃にようやく朝から休みなく続いていた予定を消化して、やっとの思いで訓練場へ赴いたものの、目的の相手の姿はなかった。
「はい、ここ数日は戦闘訓練と、書庫に籠もってのお勉強を交互にこなされているみたいで」
「そうなんだ……ところで、だいじょうぶ……?」
「これは……訓練の際にアステルさまから、怪我してもいいから殺す気で来て欲しいと言われてまして。今日などは数人がかりで挑んだのですが、お恥ずかしながらこの通りです……」
 それから、よく見ると応対に出てきた魔術師たちのローブがぼろぼろになっていたのに気づいて水を向けてみると、苦笑いまじりに穏やかではない言葉が返ってくる。
「アステルが……」
「ええ、その代わりこっちも手加減できないからと、何やら鬼気迫っておられる様子でして……」
「……これは私の主観ですけど、アステルさまはあの前任の魔術師長との対決を制したと伺いましたが、まるで手酷く敗北されてしまったかの様な荒ぶりも感じております……」
「ううん、アステルは私の目の前で立派に戦って勝ってみせたから……」
「ですよねぇ……。アステルさまの強さが本物なのを疑うつもりは毛頭ないんですけど……」
「…………」
 もしかして、アステル気づいてる……?いや……。
「わかった……ありがとう……」
 ……ともあれ、今は書庫にいるというのなら、移動するしかない。

                    *

(……あ、いた……)
 その後、うちの自慢の五階建ての大書庫へと赴いた私は、司書から聞いて三階の閲覧室まで上がってみると、色んな種類の本を山積みにした大きな机の前で読書に耽っているアステルの姿をようやく発見することができた。
「…………」
 でも、なにやら集中してるみたいで、少しだけ声をかけるのをためらったものの……。
「……アステル……?」
「?!……あ、リセ……?」
 でもここまで来て黙って引き返すのも癪だから遠慮がちに名を呼んでみると、アステルはすぐに反応して読んでいた本を慌てて閉じつつ、驚いたような顔で振り返ってくる。
「もう、城主さまとしてのお勤めはいいの?」
「がんばった……」
「そっか、えらいえらい。わたしの方は、ここへ来てからゆっくり読書するヒマも無かったけど、まだ魔界やらリセの国のコトを全然知らなかったんで、ちょっとばかりお勉強中」
「……すごいね、アステルは……文武両道……」
 私としてぱ気晴らしに遊びまわっててくれてもいいのに、妙にまじめ。
「いやいや、別にホメられるようなもんでもないって。我が家の家訓に、見知らぬ土地へ行った際は、書を漁って見聞を深めるべしってのがあるんだけど結構面白いのよ、これが」
「そう……?」
「リセもさ、アルバーティンに戻ったらせっかく巨大な図書館があるんだし、色々漁ってみればいいと思うけど。何なら、面白そうな本を探すの付き合ってあげるから」
「……かんがえとく……」
 まぁ、それも必要なことなのかもしれないし、アステルが一緒に探してくれるなら、きっとそれも楽しからずや……なんだろうけど。
「……でもまぁ、今はちょっと一息いれよっか?」
「うん……っ」
 ともあれ、そこから疲れたような笑みを見せて小休止を提案してきたアステルに、私は全力でうなづき返す。
 ……悪いけど、今はあまり読書のことなんて考えたくない気分だった。

                    *

「……そういえば、アステルはローブ着ないの……?」
 やがて、揃って書庫から出ての移動中、ふとアステルの出で立ちが気になって尋ねてみる私。
 うちの宮廷魔術師たちには専用に仕立てさせたローブを支給していて、アステルにも何着か渡していたはずだけど、今は寮で生活していた時によく見てきた、白い半袖シャツと膝上丈のフレアスカートという私服姿だった。
「ん?……ああ、実戦訓練の時には着てたけど、汗かいちゃったから書庫へ行く前にお風呂入って着替えただけ」
「……んじゃ、うちのローブは嫌いじゃない?」
 もし、意匠が気に食わないのなら刷新するのも辞さないけど。
「……正直言うとさー、分厚くて全身覆っちゃう魔術師用のローブって、わたし結構ニガテなんだよねぇ。特に夏場の今は暑くて蒸れちゃうし」
 そこで、少しだけほっとしつつ更に突っ込んだ質問を向けると、アステルは頭を掻きながら苦笑いを見せてくる。
「でも、あれって色々考えられてるはずだから……」
「うん、分かってる……ローブの起源ってたしか魔術を最初にもたらした神様の衣装で、精霊の力が乗り易い有機物の素材になってたり、魔道具が沢山入れられるようにポケット多めになってるとか、本来は魔術師がそれに疑問をさしはさむのはあり得ないんだろうけど……」
「……でも、窮屈なのがいやなんだ?」
「前に着せてもらったドレスも、何だかんだで結構嬉しかったんだけど、やっぱ動きにくかったのはネックかなぁ。ちょっと早歩きするだけで、スカートに足を引っ掛けそうになったしさー」
「……もともと、ドレスを着てばたばたとするものじゃないから……」
「返す言葉もございません……」
 というか……。
「……アステルって、本当は魔術師向いてないかも」
「うぇっっ?!」
 そこで思わず口から出てしまったダメ出しに、ショックをうけた様子で立ち止まるアステル。
「そんなに……わたしダメ?」
「ううん……精霊魔術の才能は誰よりもあるとは思うけど……」
 なんだろう、なんていえばいいのか……。
「けど……?」
「アステルはなんていうか、駆け回ってるほうが似合ってるかも……」
 ……だって、背中から眩い翼を広げてミスティと戦っていたあの夜のアステルを見て、人間界で最強の武器を手に、精霊の加護を秘めて昔の魔王と互角に戦ったという、魔王宮に壁画として描かれている魔法戦士の姿を思い出したから。
「えー、別にいいじゃないの?快活な魔術師がいたってさー」
「……そうだけど……」
 たぶん、アステルが本当に向いてるのは、宮廷に囲われた箱入り魔術師なんかじゃなくて、彼女の先祖みたいな……。
「…………」
 でもそれは、私からは絶対に口にしたくない続きの言葉だから。
「……でも、やっぱり城内で短いスカートはやめといたほうがいい……」
 そこで、一度口をつぐんだあとで別の方向へ水を向けてやる私。
「んー、どうして?……やっぱ、そぐわない?」
「というか……石造りの床、いつもピカピカに磨かれてるから……」
 そして、私が指し示した先の床の上には、開放されたスカートの下から覗くアステルのしま模様の下着が映っていたりして。
「えっ、うそ……っ?!」
 すると、ようやく気づいたアステルが頬を染めつつ慌ててスカートの裾を押さえたのを見て、むらむら……もとい、また可愛らしい一面が見られたと胸がきゅんときたものの……。
「もう、そーいうのは早くゆってよ……」
「……ごめん……」
 ……けど、もうちょっとだけ言わないほうが良かったかもしれなかった。

                    *

「はー……。最近はあまり外に出てなかったから、日差しが気持ちいい……」
「……右におなじ……」
 やがて、ずかずかと大股で歩いていたアステルが急におしとやかになったのに笑いをこらえつつ中庭に出た私達は、涼しげな噴水前のベンチに並んで座って日光浴を楽しんでいた。
「そういえば、ここのトコあまり一緒にいられてないけど、やっぱリセも忙しいんだよね?」
「ん……毎日毎日、入れかわり立ちかわりで謁見ばっかり……」
 そして、時おり持ち込まれた案件やら申請を、ユーリッドたちが吟味したあとで決済を下すくらいだけど……。
「あはは、でもわたしのイメージ的には、領主様ってそんなもんだよね?」
「……つかれる……」
 母さまの時代に続いて万能軍師さん(ユーリッド)がしっかりサポートしてくれてるおかげで難しくはないとしても、それでもやっぱり休みなく謁見を続けられるとすごく気疲れもするし、アステルが恋しくもなる。
(だから……えいっ)
 そこで、改めてぬくもりを欲した私は、わざとらしく勢いをつけてもたれかかると……。
「リセ……?」
 最初は少しだけ驚いたような反応を見せたものの、アステルは胸元で受け入れてくれた。
「……こうしてると、おちつく……」
 ちなみに、アステルの方もちょっとだけ動悸が早くなっていて、それがまたうれしい。
「そっか……お疲れさま、リセ?」
「……うん……」
 しかも、そこからアステルは優しく頭も撫でてくれるものだから、何だかこのままうたた寝してしまいそうになるものの……。
「……でも、わたしはよく分からないけど、ルミアージュ姫さまもそんな感じで気苦労の絶えない毎日だったのかなぁ?」
「…………っ?!」
 しかし、続けて不意に出てきた名前に、ぴくりと肩を震わせてしまう私。
「もしかしたら今回の一連の暴走も、少しだけ逃げ出したくなった気持ち込みなのかもね……」
「…………」
「リセはどう?そういう気分になる時って、やっぱある?」
「……わからない……」
 アステルとお話するのは大好きだけど、このお姫さまの名前が出てきたら、胸がもやもやとしてきて好きじゃなくなる。
「ま、リセと違ってあの姫さまもわたしと同じ末っ子だから、立場は全然違うんだろうけど……」
「普段はとっても優しくて素敵なお姫さまなんだけどねー?この前にここで再会した時は驚いたけど、それでも妹みたいなものって言ってくれた時はすごく嬉しかったし……」
「…………」
 私の前で他のお姫さまとの惚気を聞かされるのも、ふつうに面白くないけど……。
 ……なにより、このお姫さまのコトを話してる時は、わたしの知らないアステルなのが一番気に食わないのかもしれない。
「……リセ?どうかした?」
「……ううん、ちょっと疲れただけ……」
 ともあれ、いつしか自然に黙り込んでしまった私に、鈍感なアステルはようやくこっちの顔を覗きこんでくれたけど、あえて素っ気ない態度を見せて視線をそらせてやる。
「大丈夫?なんなら部屋に連れてってあげよっか?」
「ん……もうちょっとこのまま休む……」
 それでも、今の私はまだアステルのぬくもりが充電しきれていないから。
「えっと、んじゃわたしはクッションになってればいいの?」
「……あと子守唄、うたって……」
「えええええっ?!わたしそんなの知らない……」
「はやく……」
「えっ、あの……っ?!……えっと……」
 ……それに、やっぱりアステルは私に振り回されてるほうが似合ってると思う。

                    *

「……というわけで尋問の結果、アステルさまを狙ったのはミスティ・トワイライトの独断専行だそうですが、やはり彼女の雇い主であるラトゥーレ姫から“宣戦布告”をしてくる様に命じられていたのは間違いないそうです」
 その夜、開始の報告を受けていたミスティへの尋問は本人があっさり口を割ってあっという間に終わってしまったらしく、私とアステルは夕食後に密談用の小さな会議室へ案内されて、早速ユーリッドから報告を受けていた。
「やっぱり……」
「ええい、まさかルナローザがここまで迅速に動いてくるとは、このユーリッドの目をしても読めなかったと申すべきですかねー……ったくっ!」
 そして、まずは簡潔に結論から述べたあとで、ユーリッドにしては珍しく露骨な苛立ちを隠そうともせずに悪態をつく。
「正直、これ程に時勢の読めない無能、もとい分別をお持ちでないとは思いませんでしたけど」
「いや、全然言い直しになってないですから……」
 ただ、そんな怒り具合からも、ユーリッドにとって予想外の事態になっているのはわかる。
 ……もちろん私も、アステルが狙われた怒りは収まってはいないんだけど。
「いいんです、事実ですし」
「……うん。ラトゥーレは直情的すぎる……」
「まぁまぁ、そっちのお姫様のコトも聞いてはおきたいですけど、それよりもまず現在置かれている状況をちゃんと説明してもらってもいいですか?わたしはまだ断片的にしか聞いてないので……」
「ん、わかった。……ユーリッド、説明してあげて」
「おっと、それは失礼いたしました……とはいえ、一体どこから口火をきったものやらって感じですけど、まず前提として、現在の魔界は魔王家を中心とした封建制度になっていて、各諸侯は当代魔王と主従関係を結ぶのと引き換えに領土と自治権を安堵されているのですよ」
 ともあれ、そこからラトゥーレへの悪口大会になる前にアステルが手を上げて促してきたのを受けて、ユーリッドは普段の冷静さを取り戻した様子で語りはじめてくる。
「……つまり、当家やヘルヴォルト家が治めるフェルネやルナローザも、あくまで魔王家から預かった領地であり、それ故に領主同士での勝手な紛争や内政干渉なども禁じられているので、一定の秩序が保たれているワケですね。……基本的には」
「基本的?例外もあるってこと?」
「……ええ、権力引継ぎの準備が整うまでのごく限られた期間なのですが、一時的にこの秩序が取り払われてしまうタイミングがあるんです」
「うん、ちょうど今がその時期……」
「え……どういうコト、ですか?」
「実は、この領土保障が有効なのはそれを認めた魔王の在位中でして、代が替わった際は新たに即位された陛下へ改めて領主の認定を請わなければならないんですねー」
「うん……二週間後に戴冠式典があるから、それに出席したあとで……」
 その時は、できればアステルも一緒に連れて行ってあげたいけど。
「二週間後……ってもしかして、その間は領主の権利が宙ぶらりんに?」
「流石はアステルさま、お察しがよろしいですねぇ。まぁ早いハナシが、先代陛下が亡くなられた四日前より公然と領地の奪い合いが可能な、ちょっぴり緊迫した期間が続いてたりしてます」
「げ……」
「とはいえ、魔王令により各地で保有できる兵力には制限を受けていますし、魔界から戦乱の火が消えて久しい現在はそれなりに平和ボケも進んでますので、今どきホントに領土拡大へ動いてくる魔界貴族なんて殆ど見なくなった……ハズなんですけどねー?ったくもう……っ」
 そして、大きなため息と共に、再びユーリッドの口調に苛立ちが混じってくる。
「落ち着いて、ユーリッド……」
「……でも、空気読まずに狙ってきちゃったんですか、ルナローザが」
「ええ、アステルさまには大変申し訳ないことになりましたが、もしミスティが本来の命令通りに動いていれば、今頃このお城は彼女の奇襲攻撃で大きな損害を受けていたと思います」
 それから、「無論、そうなっていた場合は軍師として備えられなかったこのわたくしの責任ですが……」と、視線を落とすユーリッド。
 ……どうやら、それが感情をあらわにして苛立っている原因みたいだった。
「まぁ、それならわたしも結果オーライでいいですけど……それで、どうするんですか?」
「かくなる上は、被害が広がる前にあの略奪姫と直接対決を!と言いたい所なのですが……」
 ともあれ、それからアステルが心の広さを見せつつ今後について尋ねると、ユーリッドは拳を握りしめてぶち上げたものの……。
「……でも、ラトゥーレはすごく手ごわい……」
「そうなんですよねぇ……」
 私が突っ込みを入れると、すぐに振り下ろして再び大きなため息を吐いた。
「……確かに、はじめて声をかけられた時の気配からして、なんか違ってたし……」
「あの姫君は良くも悪くも御自分を偽らない方ですが、何せラトゥーレ・L・ヘルヴォルト姫といえば漆黒の雷帝の異名を持つ、魔界全土でも屈指の魔術師にして“魔姫”の一角ですから」
「魔姫……?」
「ええ、すべからく強大な魔力を纏う魔界貴族の中でも特に高い能力(チカラ)をその身に秘め、有事の際は魔王陛下を守護する責務を負うプリンセスナイツとして選ばれた、魔界の姫君十三傑の呼称なのですよ」
 そして、はじめて聞く言葉にきょとんとするアステルへ、なにやら自慢げに語るユーリッド。
「おおう、なんか凄そう……!」
「凄いなんてもんじゃないです。魔王陛下の覚えもめでたき最強の魔姫達は、それ即ち魔界の生態系の頂点に君臨する存在と言っても過言ではないでしょうねー?」
「うわ、そんなヤバそうな相手だったなんて……!」
(……ユーリッド……)
 これ、アステルの反応を面白がって、絶対わざと言ってるんだろうな……。
「……でも、そんな総大将に、もし直接攻めて来られたりしたら……」
「大丈夫……その時は私がなんとかする……」
 ともあれ、嘘ともいえないけど明らかに大袈裟なユーリッドの話に、すっかりと不安げな表情で言葉を返すアステルへ、私は横からフォローを入れる。
「なんとかって……」
「ええ、何とかは出来ると思います。……何せ、うちの姫様も魔姫の一角ですので」
「えええええっ?!……マジで?」
「……えっと、いちおう……」
 そして、ユーリッドがさぁ驚けと言わんばかりにニヤニヤとしながら告げて、果たして思惑通りに大きな声をあげるアステルに、少しの照れを感じながら小さく頷く私。
 正直、私でもあのラトゥーレに勝てる自信はあんまりないけど、ただ負けないように持っていくことならできるはず。
「実は、リセリア様の御先祖は豪族の出身(ルーツ)ではなく、最初の魔王となったバランタイン家に仕えて魔界統一に貢献した宮廷魔術師であり、ある意味では元祖魔姫とも呼べる血筋なのですよ」
「なるほどねぇ……それでようやく期末試験のときの合点がいった。わたしはまんまと見た目に騙されてたのか……」
「そういう言われ方、すきじゃない……」
 留学先で自分のチカラをみだりに解放しない約束を交わしていただけで、べつにアステルを騙してたつもりはなかったから。
「あ、ごめ……」
「……いずれにせよ、問題は相手が何処までホンキなのかというコトですねー。一応、手駒ならわたくしもいますし、全面衝突したとしても対抗出来なくもないですが、確実に無傷では済まない上に、最悪はどちらも共倒れです」
「それに……私はこれ以上の領土もいらない……」
 仮にラトゥーレを倒してルナローザを奪っても、亡き母さまが褒めてくれるとは思えないし。
「実際、なかなか治めきれるものでもないですしねー……やれやれ」
「……でも、あちらのお姫様はそのつもりなんでしょ?」
「みたいですねー……もしかしたら、未だに先祖の悲願に縛られているのかもしれませんが」
「悲願?」
「……ええ、実を言うとこのフェルネ地方も、元々はヘルヴォルト家の領地でしたから」
「え……」
「……ここは、ご先祖が昔の魔王さまにもらった土地……」
「先ほどのルーツの話へ戻りますけど、プレジール家は魔界統一後に初代魔王陛下から功績を認められて魔界貴族の仲間入りを果たす事となり、このフェルネを爵位と共に与えられたそうです。……バランタイン家と敵対した地方豪族の領土を接収した上で」
「その、敵対した地方豪族ってもしかして……」
「うん……ラトゥーレのご先祖さま……」
「……うわぁ、そーいう過去の因縁が……」
「ただ、残っている史料によれば、それでも当初はルナローザも含めた、彼らの全領地が与えられる予定だったのを、当時のプレジール家当主の嘆願で分け合う事にしたとありますけど」
「うん、はんぶんこ……」
「……えっと、それはどうして?」
「んー、個人的な理由ならば図り知ることは出来ませんけど、軍師として推測するなら治安維持の為ですかねー?敗者といえどいきなり根こそぎ奪ってしまえば、先祖代々の領地を追い出された残党が宿無しの抵抗勢力となって、新たな領主の頭痛の種になりそうですし」
「あー、なるほどね……」
「ですから、敢えて居城のあったルナローザ側は残してやり、かつヘルヴォルト家へ恩を売り和睦を結ぶことで、初めて得られた領地の安定を図ったのではないかと」
「……しかも、それにより彼らがプレジール家への恩を仇で返せば魔王家からお取り潰しを食らう立場になりますので、腹に一物あろうが大人しくするしかなくなりますし、聡明なご判断だったと思いますよ?」
「根深いなぁ。確かに敵対はしてないかもしれないけど、そんなフクザツな関係だったんだ……」
 そして、ひと通りの事情を聞いた後で溜息まじりにぼやくと、天を仰ぐアステル。
(アステル……?)
「んじゃ、あのお姫様がリセのモノをやたらと奪いたがるのも、根っこには過去の因縁が?」
「……とはいえ、もう二千年も昔の話なんですけどねー。あの頃よりどちらの当主も八代くらいは替わっているはずですし」
「うん……私も昔のことはよく知らない……」
「……それでも、相手の方は必ずしも過去のお話で片付けてはいない?」
「まぁ、そうですねぇ……一応これまでも、水面下でのちょっかいは結構受けてきてますから」
「……例えば、四百年前の代替わりの時も、隙あらばと狙われていた形跡はありましたし、先代のミモザ様がお亡くなりになってリセリア様が家督を相続なされる事になった際は手続きの妨害工作も企てられてましたけど、託された者としてこのわたくしが内々で処理しておきました。まぁ後に少しばかり“大掃除”の必要が出たのは以前に言いましたが」
「……うん……ユーリッドのおかげ……」
「んー、平和なんだか物騒なんだかよく分からない世界だけど……結局、ユーリッドさん的にはどう対応するつもりなんですか?」
「当面は、情報を集めつつ守りを固めて篭城ですかねー?早々に挑発行為を企てた割にあれから動きがないところを見れば、我々を誘い出すつもりだったのかもしれませんし、こちらから仕掛けても利するものはありませんから。……まぁただ、宣戦布告の落とし前はいずれどこかで付けさせてはもらいますけど」
「……まぁ、そうなるよね……」
 それから、いよいよ話もまとめに入り、ユーリッドから今後の対応を聞いたアステルは、言葉にはしないまでもどこか不満そうに見えた。
「アステル……不服……?」
「あ、ううん?……それより、あの前任魔術師長の人はどうなるんですか?」
 そこで気になって触れてみると、アステルは慌てて首を振りつつミスティの事を尋ねてくる。
「んー、もう聞きたいコトはありませんし、これ以上拘束しておく意味も無いですから、あとは憂いを断っておくべきでしょうかね?」
「……つまり、処刑してしまうってこと?」
「まぁその辺も含めて、彼女の処遇についてはアステルさまにお任せしたいと思ってますが」
「うん……」
 たしかに、一番痛い目にあったのはアステルだから、それが妥当とは思うけど……。
「……うーん、やっぱ一命を取り留めた相手をわざわざ処刑しろとは言いたくないかなぁ……」
「……そっか……」
 おそらく、アステルならそう言うと思っていたとしても、やっぱり優しすぎる。
「まー確かに、今はなにかとデリケートな情勢の中ですし、見せしめとして彼女を処刑すれば無用な火種になる恐れはありますから、投獄したまま処分保留ということにしておきますか」
「ええ、わたしはそれで全然構わないんで……」
 ……正直、私の方は不満なんだけど……。
「では、姫様もよろしいですか?」
「……うん……」
 それでも、アステルの望みなら仕方がない……。
「では、今宵のご報告はここまでとさせていただきます。ちなみに明日はリセリア様への来客や外遊予定は特に入っておりませんので、よろしければお二人でのんびりとなされては?」
「……いいの?」
 しかし、モヤモヤしかけたのも束の間、ユーリッドから急に嬉しい提案を持ちかけられて、一気に心が晴れわたってくる。
「んー、そうだね……リセには何かやりたいコトとかある?」
「ある……」
「あはは、あるんだ?んじゃまぁ、それで……」
「……うん……!」
 もしかしたら、アステルはすっかり忘れてるかもしれないけど……。

                    *

「……おお、思ったとおり似合ってる……」
「いやいや、いくらなんでもこのフリフリは過剰すぎ……」
「でも、アステルこういうのも好きだよね……?」
「そ、それはそーだけど……っ」
 翌日、約束通りに休みをもらった私は朝からお忍びでアステルを連れて城下町へ繰り出すと、まずは中央通り沿いにある若い女性の間で評判がいいと聞いたブティックで、ひとつめの約束を果たすためにあれこれと物色しては試着させていた。
「じゃ……それもキープ……」
「ちょっ?!もうこれで四着目なんだけど……」
 ともあれ、試着室から出て見せてきた、フリルのたくさん付いたゴシック調デザインの白いブラウスと黒のスカートのセットを着た姿をひと目で気に入った私が続けて購入決定を告げると、アステルは満更でもなさそうながら慌てた様子で制止をかけてくる。
「……でも、まだ滞在予定の半分も過ぎてないし、アステルってローブも着たがらないから……」
 しかし私の方は、アステルってあまり私服をたくさん持ってるわけじゃなく、こっちに来てからすでに何順目かしているのも知ってるので、何十着でも買ってあげたい気分なんだけど。
「いやでも、ここの服ってそんなにお安いものじゃないのに……」
「だいじょうぶ……まだ私のフォーマルドレス一着分にもなってないから……」
「流石はリセお姫様……スケールが違う……」
「〜〜〜〜♪」
 というか、普段は衣装なんて御用達の仕立て屋を呼んで作らせるもので、市井の店ですでに出来上がったものから選ぶのは初めてだけど、これが案外楽しい。
 今回は急ぎで仕上がりを待つ時間がないからという苦肉の策だったものの、ちょっといけない遊びを覚えてしまった予感がしたりして。
「でも、さっきからわたしのばっかり選んでもらってて、いいの?」
「うん……私がお城で着るのは許してもらえないだろうから……」
「それも窮屈な話だよね……でも、試着くらいならいいんじゃない?お忍びなんだし」
「……うん、アステルが選んでくれるなら……」
 それでも、確かにちょっとだけアステルの目で自分に似合いそうな服を選んでほしいという願望が芽生えてきてはいたので、素直に頷く私。
「りょーかい。そろそろわたしも反撃したいと思ってたしね?んふふ……」
「…………」
 すると、そう言って嬉々とした様子で物色をはじめるアステルを見て、私は自然と頬が緩んでしまう。
 ……母さまが私に人間界で対等な友人を作りなさいと遺言のように告げたのは、こういうことだったのだろうかと。
「……にーしてもさ、リセ?」
「ん……?」
「今さらだけど、せっかくお城の警備があんなに厳重なのに、抜け出していいの?」
「べつに、心配しなくたってこの国じゃ私が一番つよ……ううん、アステルが付いていてくれるからだいじょうぶ……」
 ともあれ、それから衣装選びが続く中でアステルからふと水を向けられ、途中でいい直しはしたものの一緒に物色しながら素っ気なく返す私。
 もちろんユーリッドもそこは分かっているし、あの示威的な警備体制は他国へ向けて領土を守りきる意思表示と、気軽に手を出させないための予防が目的らしいし。
「今ちょっと本音が垣間見えた気はするけど、ちゃんとお守り申し上げますよー姫様?」
「よろしい……」
 ……あとは、もうしばらくだけ私の着せ替え人形になってくれれば。

                    *

「ん〜、しかし今日も気持ちのいい日差しだねぇ……」
「うん……お散歩びより……」
 やがて、たっぷりと長引いた衣服の調達が終わった後で、予約していた御用達のレストランで昼食をとった私たちは、手を繋いでのんびりと午後の市場通りを散策していた。
 一応、この通りが最も活況しているのは朝と夕方ごろだけど、むしろ散歩するには適度に落ち着いている今の時間が一番ちょうどいい気がする。
「……でも、やりたいことがあるって言うから何だろうと思ってたら、城下町の案内なんてね?しかも服まで沢山買ってもらっちゃって……」
「だって、どちらもするって約束してたから……」
 ともあれ、さっきの露天で買った冷たいデザートを食べながら少しばかり申し訳なさそうに苦笑いを見せるアステルへ、同じものを手にしたまま当たり前のコトとして頷く私。
 ちなみに、アステルの私服は結局全部で七着ほど、ついでに私もせっかく選んでもらったのを無碍にはしたくなくて、アルバーティンに戻った時に着るつもりでいくつか一緒に購入して、荷物はお城送りにしてもらった。
「あはは、わたしはすっかり忘れてたけど……」
「……だろうと思った……」
 だからこそ、私の方は忘れないでおこうとずっと心の片隅にキープしておいたんだけど。
「……にしても、わたしの故郷の城下町にもここと近い雰囲気の市場通りがあるんだけど、でも共通点も多いのにやっぱり色々と違ってる風景ってのは、なんか不思議な感じ」
 それから、しばらくの間きょろきょろと辺りを見回しつつ歩く途中で、アステルが興味津々そうに呟いてくる。
「たとえば……?」
「あまり変わらないなってのは建物やらお店の街づくりで、逆に大きく違うのは往来の多種多様さかな?あと今食べてる氷菓みたいなコレも、自分の世界にある似たようなのと同じものかと思ってたら、全然違う味なのが驚きかも……」
「ふーん……」
「って……ああ、そういえばリセってうちの学園の外に出たことなかったっけ?」
「うん……」
 あの、ちょっとした街くらいの規模がある魔法学園は大陸の最北の辺りを開拓して作られた、世俗とは少しばかり隔離された場所だし、基本的に敷地内のお店で何でもまかなえてしまうので、あちらの世界に縁のなかった私がわざわざ外へ出る機会はなかったりして。
「んじゃ、リセがあっちにいる間にでも、うちの故郷を案内してあげますかね?」
「ホント……?」
 たしかに、それは楽しみかもしれないけど……。
「……ただ、その為にもやっぱりルミアージュ姫さまを無事に連れ戻しておかなきゃ落ち着かないけど……あはは」
「…………っ」
 しかし、そこでまたアステルが故郷のお姫様のことを考え始めたのを見て、自然と繋いだ手に力を込める私。
「リセ……?」
「…………」
 まだ、言葉にはできないけど……今は、私だけを見ていて欲しい。

「……はー、楽しい時間はあっという間だねー」
 やがて、気になるお店があれば寄り道しつつ長い通りを抜けてすっかり歩き疲れてもきた頃、私達はその先にある公園のベンチへ寄り添うように座って休んでいた。
「うん……」
 中央部にある、ご先祖が作らせた大きな時計で時刻を確認するまでもなく、視界の先の空は少しずつ夕方の色に変化していて、そろそろ戻らなければならない時間の到来を告げている。
「今日はホントにありがとね、リセ?」
「……ううん、私こそありがとう……」
 それから、改めてお礼を言ってくるアステルへ、同じく自然と感謝の言葉が出てくる私。
「え?」
「私もすごく楽しかったし……それに、母さまの遺言だった。人間界でお友達を作って、そしていつかここへ来てもらえるように努力しなさいって」
 あの時は、どうしてそんな言葉を残したんだろうと思ったけど、いまなら分かる気がする。
 ……私には、アステルみたいな存在が必要だったんだって。
「そっか……。だったら、なおさらご挨拶出来なかったのは残念だけど」
「ううん、母さまは見てくれてる……それより、戻る前に他に欲しいものがあるのなら、何でも言ってくれていい」
「何でもって……」
「……こういうの、アステルは嫌いかもしれないけど、でも私はまだそれしかできないから……」
「もー、そんな卑下しなくったって、わたしにとってのリセも一番大切な友達だよ?」
 そして、そんな思いを込めて私がそう告げると、アステルは苦笑いまじりにぽんぽんと肩を叩いてそう言ってくれた。
「ほんと?」
「うん。わたしの場合は親と喧嘩しちゃってだけど、うちを飛び出して戻れる場所がなくなったまま入学した最初の日にリセに声をかけてもらったのが、どれ程心強かったか……」
「アステル……そういえば、すごい荷物だった……」
「あはは、持てるだけ持って出たからねぇ……。なので、あれがわたしの全財産。今日でリセにかなり増やしてもらったけど」
「……うん、よかったらまだまだ増やしてあげるから、遠慮しないで……」
 それこそ、専用の倉が必要になるくらいにでも。
「…………」
「…………」
「……んじゃあさ、物じゃないけど一つだけお願い、いいかな……?」
 すると、アステルは少しだけ考え込むような仕草を見せたあと、遠慮がちに切り出してきた。
「なに……?いってみて」
 いまの私はあげられるものなら何でも差し出せる気がするから、ぜひ聞かせてほしい。
「あのね……今日一日一緒に遊んでおいてアレなんだけど、しばらくお休みもらえないかな?」
「だめ」
 ……しかし、そんな愛しい人の口から出たお願いは、絶対に受け入れられないものだった。
「うぐ……即答か……」
「お休みの間にアステルが何をするのか分かるから、だめ……」
「リセ……わたしにとってルミアージュ姫は一番の恩人だし、大切な宝物でもあるんだ。だから……今みたいな状況になってしまったら、黙って放っておくことなんて出来ないんだよ」
「……それなら、ユーリッドに相談して……」
「ううん、これって本来はリセの国には一切関係のないこと。この件でリセやこの国の人が脅かされるようなコトにも絶対にさせられない」
「…………っ」
 それは、アステルにとっては当然の配慮なんだろうけど、でも私にとっては重たいハンマーで頭を殴られてしまったような衝撃が落ちてくる。
「だからね……」
「でも、今のアステルじゃラトゥーレには勝てない……」
「そ、そんなの分からないじゃない?!運に助けられたけどミスティには何とか勝てたし、期末試験だと殆ど相打ちとはいえリセから一本取れてるし……ウデは互角なんでしょ?」
(……ちがう、本当はミスティにすら勝てていない……)
 あの時、私が彼女の杖へ注ぎ込んだ魔力で精霊石を破壊していなければ、今ごろは……。
「それに、別に戦いありきで行くわけじゃないから。わたしはただルミアージュ姫とついでに家宝を取り戻せればいいだけだし、むしろ相手に攻めっけのある今が忍び込むチャンスかなって」
「…………」
 ……しかし、やっぱり言い出せなかった。
 言えば、今まで積み上げてきたものが壊れてしまうかもという恐怖が芽生えたから。
「ね、分かって……」
「だめ」
 それでも、私は縋るアステルに命令口調でもう一度短く告げた。
「……もし、これ以上言うなら、私がアステルを人間界へ送りかえす……」
「で、でも……」
「大丈夫……今までのお給金を人間界で換金できるものであげるから、寮がしまってる間の生活費になる……」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「……私は……アステルだけが心配……」
 そして戸惑うアステルへ向けて、まぶたに熱いものがにじんでくるのを感じながら、率直に自分の思いを告げる私。
 嫌われたくないけど……でもみすみす死なせには行かせられない……。
「リセ……」
「…………」
「……分かった。もう言わない……」
 すると、そこから言葉が続かないまま黙り込んでしまった私に、アステルは少しの間を置いた後でそう答えると、そっと肩を抱き寄せてくれた。
「うん……」
 やっと、分かってくれた……。

                    *

「リセリア様!お嬢様……っ」
「……ん……っ」
 しかしその夜、なにやら取り乱した様子で誰かが体を揺らせてきたのを受けて、アステルと抱き合っていた夢から無理やりに引き戻されてしまう。
「ユーリッド?……どうしたの……?」
 そして、それが自分の片腕の声だと認識したあとで、全然眠り足りない気だるさを覚えつつ目を開けると、困惑した顔で覗き込んできているユーリッドの背後の景色は、まだ夜中のままだった。
「それが大変なんです!ミスティ・トワイライトが脱走いたしました……!」
「ミスティが……?」
 と言われても今更って感じだし、今の私はアステルしか興味ない……。
(……ん、アステル……?)
「……っ?!アステルは?!」
 しかし、そこから強烈に嫌な予感を覚えた私は、即座に起き上がって食ってかかる。
 彼女は、確かアステルを狙ってたはず……。
「そ、それがですね……ミスティに連れ去られる形で一緒に……」
「え……?!」
 それから、連続で受けた衝撃的な報告に眠気など一気に吹き飛ばされ、私はすぐにベッドから降りて自らナイトウェアを脱ぎ捨ててゆく。
「……続きは、ちゃんとした場所で聞くから……」
「ええ、かしこまりました。すぐにご用意を」
「…………」
(アステル……!)

「……ユーリッド、最初から説明して……」
「はい、リセリア様がお休みになられて日付も変わった頃でしょうか、囚人塔の独房棟に閉じ込めていたミスティ・トワイライトが牢を破壊し、面会に来ていたアステルさまを人質に取ってルナローザ方面へと飛び去って行きました」
 それから、手早く着替えを終えてわき目もふらずに玉座まで移動してきた私が短く命じると、ユーリッドはいつもの淡々とした口調で、耳を疑いたくなるような報告を入れてくる。
「……牢?でも、独房には結界が……」
「ええ、確かに問題なく張られていたんですが、外部からの干渉で破られました。……しかも物理的なものではなく魔術によって、です」
「魔術……?」
 独房を囲むように張り巡らされた、極めて狭い範囲ながらいかなるエレメントの干渉も弾くあの対魔術師向けの結界を魔術で破るなんて、そんな矛盾ともいえる芸当をどうやって……。
「……っ、まさか……」
「はい……大変申し上げにくいのですが、囚人を解放したのはアステルさまです……」
 そこで、アステルが秘めていた無属性の能力を思い出した私が目を見開くと、ユーリッドは神妙な表情で的中して欲しくなかった事実を述べた。
「そんな……」
「……しかも、司書長からの報告によれば、ここ最近のアステルさまは地理関連を中心に、隣国に関する情報を積極的に調べておられたみたいで……」
「…………っ!」
「お待ち下さい!どちらへ行かれるおつもりですか?!」
 そして、ダメ押しの追加報告を聞くや、反射的に立ち上がって一歩踏み出そうとした私へ、ユーリッドが身を挺して引きとめにかかってくる。
「……ルナローザへ行く」
 これで、昨晩にアステルが落胆していた理由も含めて、全てがはっきりした。
「なりません、あまりにも危険すぎます……!」
「でも、アステルを見捨てられない……」
 やっぱり、アステルはあのお姫さまを助けるために乗り込むのを諦めてなかったんだ。
 そして、ああいう手段を使ったということは、おそらくラトゥーレと対峙するために……。
「わたくしが危険と申し上げたのは、リセリア様自身の事だけではありません、先人達が代々守って来られたこの国にとっても、です!」
「…………っ」
 しかし、ユーリッドを引きずるように進んでいた足も、強い言葉で自分の立場を思い出させられると同時に止まってしまい……。
「リセリア様……おつらいでしょうが、今の貴女様は何よりも領土を守りきる事を第一にお考えになる義務がございます。どうか何卒ご冷静に……!」
「く……っ、アステル……ッッ!」
 ……それから、行き場を失った私の叫びが、消沈した玉座の間に響いていった。
(やっと分かってくれたって、そう思ってたのに……っ)

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