の言わぬ魔王様 その4

第六章 わたしの勇者様

「……ああもう、どこが手薄だっつーのっ!」
 やがて、フローディアさんが正門前の見張りへ接触していったのを皮切りに、勇気の翼を広げて全速力で屋上へ飛んで行ったあたしなものの、予想とは裏腹にきっちりと待ち構えていた敵兵達に迎撃されて、早速乱戦を繰り広げる羽目になっていた。
「く……っ、てやぁ……っ!」
「ぐあ……っ?!」
 どうやら、こちらの動きは読まれていたらしく、弓やら銃やら、飛び道具で武装した敵達が集中放火を浴びせようとしてくる中で、あたしは狙いを定めさせまいと立ち止まらずに屋上へ到達すると、そのまま突入しつつ手近な相手から一人ずつ仕留めてゆく。
「ちっ、ちょこまかと……うおぁッッ?!」
(だーれが、みすみす狙わせてやるかってね……!)
 確かに銃なんかは厄介な武器だけど、動き続ける相手に命中させるのは難しいし、それが縦横無尽に空中を舞い、ましてや高速移動してる相手なら、なおさら至難になる。
 実戦経験が乏しいうちは、矛先を向けられたら怖かろうが、その威圧感こそが銃や弓の持つ最大の特性なのだから、生き残りたければ決して目を背けずに、勇気を持って立ち回れ!
 ……これがパパから教わった、飛び道具を持つ敵に囲まれた際の戦い方。
「くそ……っ、狙いが定まら……」
「いいから撃ちまく……ぎゃあっ!」
(やれやれ……まーいいんだけどさ……)
 いずれにしても、昔みたく大軍で押し寄せてきたワケじゃないみたいだし、その限られた敵達がこちらに集中してきたのなら、オトリの役目が入れ替わっただけである。
 まぁ、本当の事情を知らない兵士達かもと思えば、忍びない気持ちがあるとしても、この人数差じゃそうも言ってられない。
「……遅いわよ……っ!」
「ぐぅ……っ?!」
 とにかく、こっちが引きつけるだけ引きつけて、相方さんがプルミっちゃんを見つけて保護出来れば同じこと。
 ……ただ、フローディアさんの方は飛べないので、その後の脱出には手間がかかるだろうけど、だからこそ敵もあたしの方を優先的に狙うことにしたと考えれば、これも当然の流れと諦めるしかない。
(だったら、あたしは出来るだけ敵を減らしていくべきかな……?)
 それでも、こんな状況ながら比較的余裕を持っていられるのは、聖霊様の加護を受けられる人間界なら、ペース配分とか、そういうのはあまり考えずにフルパワーで戦えるってコトで。
 ……まぁ、あまり調子に乗って暴れていたら、すっかりとボロくなったこの砦が崩れてしまいそうという心配もあるんだけど。
「はぁぁぁぁ……っ、風よ、大気の龍となりて暴れなさいっての!」
 ともあれ、やがて敵の数をある程度減らした辺りで攻撃の手が僅かに緩み、大技のチャンスを確信したあたしは、宙返りで囲まれている敵達のちょうど真ん中の辺りへ着地すると、意識を集中して周囲に充満する風のエレメントの魔力を集め、すぐに右手を掲げて再び命令と共に解放してやる。
「ぐお……ッッ?!」
「うわあ……っっ?!」
 すると、あたしの右手から荒れ狂った風が巻き起こり、取り囲んでいた敵達が巻き込まれて次々と吹き飛ばされてゆく。
 ……ちなみに、もっと長時間じっくりと溜めれば竜巻すら起こせるけど、今は小規模の突風が起こせれば充分である。
(よっし、決まった……!)
 というか、あたしってば結構カッコいい……?
 魔界でクロンダイクとやり合ってた時は余裕なんてなかったけど、こうして魔軍の精鋭(らしい)達を勇者らしく圧倒していると、改めて自分がパパ……あのラグナス・アーヴァインの後継者になったんだという実感が涌いてきたりして。
「…………」
 だけどもし、あの時のあたしにこの力があれば、家族やリレクスの町は……。
「…………」
(……いや、らしくないぞ?あたし)
 そこで、不意にネガティブな感傷が首をもたげようとしたところで、あたしは首を横に振って払拭する。
 今更、埒も無い妄想にとらわれて落ち込んでもイミはない。
「いたぞ、始末しろ!」
「勇者と言えど相手は一人だ!怯むな!」
「……おおっと、新手かい……っ」
 すると、丁度いいタイミングというべきか、敵の増援が駆けつけてきたのを見て、再び前を向いて歩を進めるあたし。
「行け、仕留めろ!」
「やれるもんなら、やってみなさいっての……っ!」
 もう取り戻せない過去より、二度と大事な人達を失う悲しみを味わわない為に、今を頑張らないと。
(……だよね、パパ……?)
 とにかく、まずはさっさとプルミっちゃんの居場所を突き止める。
 ただ、屋上から四階のここまで降りて来た道すがら、未だに魔将達や、プルミっちゃんをさらった堕天使の姿も見えないから、そこがちょっとばかり不気味なんだけど……。
 どこかで待ち構えているのか、それともフローディアさんの方と鉢合わせているのかは分からないものの、まだ小競り合いだけで、本当の戦いは始まっちゃいないと言わざるをえなかった。
(ええい……っ!)
「チッ、逃げたぞ!」
 脱出のコトを考えて、まずは雑魚を片付けておこうかと思ったけど、やっぱやめ。
 このままグダグダと戦っても、無駄に疲れたり気持ちが焦れてくる一方だろうから、翼の勢いに任せて、このまま突っ切るコトにするあたし。
「ぬお……っ?!」
「へへん、オニさんこちら〜ってね?」
(ぶっちゃけ、三階辺りが怪しいんだよなぁ……)
 この砦は全部で五階建てで、建物のちょうど中心部になるこの下のフロアには、王様が駐在する為の会議室兼、玉座の間があるはずなんだけど、正面、屋上から入って最も遠いという位置的にも、また魔「王」サマが囚われている場所というイメージ的にも、そこが本命の予感はしていたりして。
(……まぁやっぱり、ちょっとアベコベな話ではあるんだけどさー)
 ついでに、さっきから首輪を着けられた首元の方が何やらピカピカと自己主張してきてるし、近いのは確かなんだろう。
「……お……!」
 やがてそうこうしているうち、半壊した通路の先に、扉が開け放たれた広間の入り口が見えてくる。
 確か、あそこを通過した先に、玉座の間の近くへ下りる中央階段があるハズだから……。
(……よっし、先に入って扉を塞いじゃうかな?)
 敵の増援は後方から増えてきてるし、あそこで一旦食い止められれば……。
 あたしはすぐに決断するや否や、ちらりと後ろを一瞥した後で翼を大きく翻し、追って来る敵兵へ埃っぽい風を撒き散らしながら、前方へ向けてジグザグに進んで行った。
(んでもって、急いで……)

 ガコンッッ

「…………?!」
 しかし、それからあたしが広間の中へ勢い余りながら飛び込んだ直後、背後から重たい音が響いて扉が勝手に閉ざされてしまう。
「げ……」
 しまった……かも?
「……ふふふ、ようこそ勇者様?」
 そこで、罠にかかった予感で背筋に悪寒が走ると同時に、同じく閉ざされた向こう側の扉の前に立っている、五又の槍を右腕に絡め持った妖艶な雰囲気の女性が声をかけてきた。
「……ようこそって、勝手に占領しといて言うセリフ?」
 ったく、これだから侵略慣れしてる魔軍は……。
「あら、確かにそうねぇ。ちょっと図々しかったかしら?」
「…………」
 背丈はフローディアさんよりも長身な大人の女性で、ムダに露出度の高い悪趣味な衣装や、血のように赤い色で濃いめに化粧された、美人の部類かもしれないけど刺々しい顔立ちは、見た目からいかにもヤバそうな雰囲気を醸し出してるけど、何より纏ってる威圧感や、吊り目の鋭い眼光から放たれている冷たい殺気が、対峙するあたしへ足が竦みそうなプレッシャーを与えていた。
 ……ぶっちゃけ、あたしが勇者じゃなかったら、この場で膝が震えてチビってしまってたかもしれないけど、このクロンダイクとは異質ながらも、それ以上のおっかない気配は間違いなく……。
「えっと……。もしかして、キミが今回の黒幕って辺り?」
「まぁ、そんな所かしらね……?私は十三魔将が一角、“魔操”のヴェルジーネ。貴女のお父様とは戦わずして破れた敗残兵よ。ふふ……」
「……つまり、クロンダイクと同類さんって解釈でいいの?」
 また、逆恨みでもされていそうな面倒くさい相手だけど、こっちのケバケバなお姐さんの方が得体の知れない分だけ、より厄介そうなフンイキである。
「あら、彼よりは幾分頭は回るつもりだけど、いずれにせよ、アナタの首を狙ってここで待っていたのは確かねぇ。二手に分かれて屋上から来るのは見え見えだったから、必ずここを通ると思って、自ら歓迎の準備を整えてたってわ・け。ほら、掃除もしておいたのよ?」
 そこで、得意げに語るヴェルジーネに促されて辺りを見回すと、確かに机や武器棚といった室内の残骸らしき物が、まとめて隅へと片付けられているみたいだった。
 どうやら、ここは元々兵士の詰め所だったみたいだけど……。
「……あーもう、やっぱり誘導されてたのか、あたし……」
 結局は対峙しなきゃならない相手としても、ここへは追っ手をまとめて封じようと得意げに飛び込んできただけに、ちょっとヘコむ話だった。
「そういうワケだから、罠にかかったエモノらしく、ここで大人しく狩られてくれるかしら?」
「お・こ・と・わ・り……っっ!っていうか、もうパパは死んだのに、今更あたしを倒して一体何になるってのさ?!」
「ナンになるって、少しでも気が晴れるから……じゃ不服?ふふふ……」
「…………っ」
 あ、今すごく「ぶちっ」としかけた、あたし……。
「まぁ、それは半分くらい冗談だけど、次代の魔王となる者の為にも、アナタの首はどうしても必要なの。ゴメンなさいねぇ?」
「……魔将ってさぁ、フローディアさんみたく魔王の為に尽くすものなんじゃないの?それがどうしてこんなコト……」
 そこで、今すぐ斬りかかっていきたくなった衝動を抑えつつ、震える声で言葉を返すあたし。
「…………」
「それに、あたしが初めて魔王宮へお邪魔した時にプルミっちゃんが襲われていたのも、裏切った魔将の差し金だって聞いたんだけど、それもやっぱりあんた達だったの?」
「……んー、まぁそうと言えばそうだし、違うといえば違うかしら?姫様に直接刺客を送ったのは、反魔王家のさる魔界貴族で、私達はフローディアを引き止める時間稼ぎに協力しただけ」
 すると、思わせぶりな笑みを見せながら黙ってしまったヴェルジーネに、あたしが更に追求すると、今度は露骨にニヤニヤとしながらトボけた返事を返してくる。
「だから、どーしてそんなコトッッ?!」
 よりによって、反魔王家と手を組むだなんて……っっ。
「……どうしてって、普通はそんな刺客ごときに魔王陛下がやられてしまう訳がないでしょう?」
 それを見て、あたしはとうとう本気でキレそうになったものの、いきなり真顔に戻った相手からの冷たい視線と言葉をカウンターで浴びて、急速冷凍させられてしまった。
「え……?」
「フローディアが主張していた、プルミエ姫にも魔王家の嫡子としてウォーディス様に匹敵するチカラが受け継がれているというのなら、たとえ言葉を失っていようが生命の危機に瀕した際は、それが何らかの形で発動して、返り討ちにしてしまうはず」
「……けれど、もしもそのまま為す術も無く命を奪われてしまうのならば、ウォーディス様の娘と言えど、所詮は無力な小娘ってコトね。とても魔王の器とは言えないわ」
「…………っ」
「……しかし、それがまさか怨敵である勇者に助けられるなんて、予想外の展開になっちゃったけど、言いたいコトは大体分かってくれたかしら?」
「だから、代わりに自分が魔王になろうとしてるの?」
「勇者を斃した者が次の魔王……。その方が、単なる世継ぎよりもよほど整合性あるでしょう?」
「…………」
 そりゃまぁ、あたしだってラグナスの娘ってだけで、勇者になれたワケじゃないけど……。
「……それで、本当は兵の大半をここに配置して総がかりでも良かったんだけど、さすがにそれでアナタを斃しても後で文句が出そうでしょ?だから、正々堂々と戦うことにし・た・の」
 それから、ヴェルジーネは締めくくりにそう告げると、握り直した五又槍の矛先をこちらへ向けてきた。
「そら、どーも……くそったれ」
 もちろん、あたしも今回は戦う理由がたっぷりだから、振り払わねばならない火の粉として、逃げるつもりなんて毛頭ない。
「…………」
 ……けど、こういう「正々堂々」なんて自分で言い出す相手ほど、マトモに正面から挑んでは来ないイメージが……。

 ヒュオッッ

「……うわっとおっ?!」
 と、思うが早いか、いきなり上方から殺気を察知したあたしは反射的に身を翻すと、高い天井から銀色の稲妻の様な迸りが、さっきまで立っていた場所に降り注いでいた。
 ……いや、けどそれはイカヅチみたいな非物質のモノじゃなくて……。
「ふふ、流石に敏感ねぇ。……それとも、魔狼の方が鈍ったのかしら?」
「ふん、お前の話が長すぎるから、焦れてしまったわ」
 不意打ちで襲ってきたのは、狼の姿の闘気を纏った、半獣人っぽい出で立ちの老人だった。
 ただし、身に着けているのは戦闘向けの装備じゃなくて、貴族っぽい燕尾服だけど。
「……それに、わしの方はまだ挨拶を済ませておらんかったからな?」
「こらあっ!やっぱり正々堂々と来てないじゃないのさ!」
 イヤな予感はしてたけど案の定というか、しかもこっちもこっちで老体とは思えない強烈な覇気を感じるし……。
「あらぁ、心配しなくても、私“達”はそれぞれ正々堂々と戦うつもりよ?」
「そんな方便、聞きたかないっつーの……んで、じーちゃんは誰?」
「ふむ、我が名は十三魔将が筆頭、“魔狼”クェイルードなり。後は大体そこの女と似た様なものだと思えばいい」
 ともあれ、気を取り直して尋ねるあたしへ、潜んでいたもう一人の敵は、襟を正しながらぞんさいに名乗ってくる。
「つまり、敗残兵の親玉ってワケね……。やっぱり、じーちゃんも魔王の座を狙ってんの?」
「フ……老い先短い老いぼれかもしれぬが、わしも今一度くらいは夢を見てもよかろう?」
「そら、いつまでもお若いコトで……って……」
 しかし、それからヤケっぱちに軽口を返し終える前に、魔狼と名乗った魔将の姿が霞の様にかき消えてしまい、途中で言葉を失ってしまうあたし。
(消え……)
「……うを……ッッ?!」
 そして、僅かな時間差の後で、正面から刃の様な殺気を感じて立ち位置をサイドステップでずらせると、再び銀の稲妻が直前まで立っていた場所へ突き刺さる様に通過していった。
(は、はぇぇ……っ?!)
 ……しかも、完全に避けたかと思えば、遅れて頬から裂かれた痛みが走って、生温い雫が滴り落ちてきてるし。
「フッ……では、久々の狩りを楽しませてもらうとするかの?今宵の獲物は格別じゃ」
 その後、今しがた攻撃してきた拳に纏った鋭利な爪をこちらへ見せつけながら、ニヤリと残酷な笑みを見せるクェイルード。
「……く……キズモノにされてたまるかっての……!」
 やっぱり、魔将の筆頭を名乗って魔王になりたいなんて野心を持っちゃってるだけに、腕前の方はバリバリの現役らしかった。
(……でも、アブなかったけど、一応何とか反応はでき……え?)
 それでも、とりあえず掠めただけで大した傷にならなくてホッとするのも束の間、またすぐに魔狼の姿が「霧散」してゆく。
「…………っ」
(また消えた……?!一体どーやって……)
 死角を突いて暗闇に紛れるならともかく、明かりが点されているこの部屋の、しかも目の前で完全に気配ごと消してしまうなん……。
「てぇ……っ?!」
 それから、再び背後より鋭い殺気の気配を直感したあたしは、今度は太ももへ傷を付けつつ真横へ転がって避けてゆく。
「つたた……っ」
「うふふ……。まるで嬲り殺しね。こういうのって、嫌いじゃないわよ?」
「ふん、わしの方はそんな趣味など無い。……だが、噂通りの腕ではあるらしいな」
(ど、どーなってるってのさ……っっ)
 目にも留まらぬ速さとか、そういうハナシじゃない。
 攻撃に転じる一瞬だけ殺気が宿るから、何とかギリギリで避けられてはいるものの、まるで不可視の敵と戦わされている感覚だった。
「……ふふ、お困りの様だからヒントをあげるけど、クェイルードが纏っている魔装気はね、魔界の自然生物で最強のハンターと名高い、霧牙狼を禁断の秘術で装備品に変換してしまったものなの」
「禁断の、秘術……?」
「そ。あなた達も、獣を狩った後で毛皮を剥ぎ取って衣服にしたりするでしょ?それと似た感じで、獲物の“命”を丸ごと非物質のアクセサリとして憑依させ、その能力を自分のモノにしてしまう秘術よ」
「んな、ご無体な……」
「それで霧牙狼はね、龍の皮膚を切り裂く爪や、鉄をも噛み砕く一撃必殺の牙に加えて、獲物に飛び掛る瞬間まで自らの姿を霧みたいに消せるのよ?だから、霧のオオカミと呼ばれてるワ・ケ」
「消せるって……」
「……ただ、繁殖力が極めて低い上に、厳しい環境の中でしか生息していない希少種で、しかも魔装気は自分で狩った者でしか扱えないから、霧牙狼を纏えた者なんて魔界広しといえど殆どいないんだけど、だからこそウォーディス様に魔将の筆頭格として迎えられたの。分かった?」
「……ま、そういうコトだ。悪く思うでないぞ、お嬢ちゃん?」
「そ、そんなズルい能力ってアリ……っ?!」
 至近距離まで近付かれたら、もう完全に回避不能じゃないのさ。
(だったら、離れないと……っ!)
 ……ってコトで、あたしは翼を翻して後方へ下がりつつ、再び姿を消したクェイルードとの距離を空けようとしてゆく。
 あの、疾風迅雷な一撃がくる瞬間だけは気配を隠せないのは分かったから、とにかく相手の間合いを外しつつ、反撃の機会を伺うしかない。
(とにかく、感性を研ぎ澄ませるんだ……。ただ避けるだけじゃ、なにも変わらないから……っ)
 相手が攻撃に転じた時が一番危険だけど、逆に勝機もそこにしか生まれない気がするし。
「うおっとぉ……っ!」
 それから、程なくして側面から近付いた殺気を受け、そちらの方へ防御の構えをとりつつ前方へ飛んだあたしは、魔狼の消えた時間と攻撃開始の位置を確認してゆく。
(えっと、やっぱ消えてる時はそんなに速くない……かな?)
 しかも、何だかんだで、相手の攻撃方法は両手に纏った狼の爪で切り裂く直接攻撃しかなさそうだから、動きさえ読めれば……。
「のわっと……!」
 さすがに言うほど楽じゃないけど、パパならこんな時にどうしただろう……?
「ふぅ〜ん……。流石はクロンダイクを赤子同然に捻った勇者ね。……でも、一つ忘れているみたいだけど、加えてこの私もいるのよ?ふふ」
「……う……っっ」
 ともあれ、次第に回避には慣れてきたところで、不意に背後からすっかりと失念していたもう一人の敵からの警告を受けて、思わずぎくりと一瞥してしまうあたし。
 そうだった。場合によったら、この魔狼の爺ちゃんの方がオトリの可能性も……。
「愚かなり!小娘……ッッ」

 ヒュオッッ

(うわ、しまっ……)
 ……しかし、当然それが大きな隙となって、すぐに前方の回避不能な距離から、鋭利な殺気があたしを串刺しにする勢いで迫ってきた。
「うお……?!」

 ドガアッッ

「つたたたた……」
 程なくして、鎧越しに腹部への一撃をまともに喰らったあたしは、ヴェルジーネの立ち位置近くの壁際へと派手に吹き飛ばされてしまう。
(……だいじょーぶ、まだ死んじゃいない……)
 意識もハッキリしてるし、鎧も裂かれちゃいないし、手足もちゃんと繋がってる。
「あら、思ったより頑丈ねぇ?」
「……っ、はぁ、はぁ……っ」
(そりゃ、こちとら最強の防具をフル装備ですから……っ)
 歴代の勇者の為に改良を重ねてきたこの「聖霊の鎧」は、素材の防御力も、宿るエレメントの加護も、この人間界で手に入る防具の中では、”無比”と言ってもいいくらいの特注品らしいし。
 ……だから、それを信じて無理に避けるよりも鎧の一番硬い部分で咄嗟に受け止めたお陰で、なんとかダメージを最小限に抑えるコトがデキた……。
「……う、ぐ……っ?!」
 ……という願望とは裏腹に、天井がグルグル回って足もガクガクと震えて、すぐには立ち上がれなくなってしまっていたりして。
(どんだけ馬鹿力なのよ、あの一撃……っ)
「ほらほら、さっさと立たないとヤラれちゃうわよ?うふふ……」
 すると、こっちの状況を察したらしいもう一人の魔将が、自分の愛槍をこちらへ向けながら楽しそうに見下ろしてきて……。
「……う、うるへ……」
「仕方が無いわねぇ。私が起きるのを手伝ってあ・げ・る」
「へ……うおあっ?!」
 そして、そう告げたヴェルジーネが五又槍を持つ手を後ろへ引いた直後、あたしの身体は引っ張られるようにして立ち上がってしまった。
「な、なんじゃこらぁぁぁぁっ?!」
「……だから、これが私の能力。魔将の二つ名ってのは、裏の意味を持つ者も多いのよ?」
「まさか、魔“そう”って……ぐ……っ?!」
 しかし、気付いた時はもう手遅れ。
 あたしの左腕は、あの五又槍から伸びているらしい半透明の糸に絡まれているみたいだった。
「……ふん、お前の助力など要らぬわと言いたいが、あまり小娘に時間をかけてもいられぬか」
「そーいうコト。まだここで始末すべき“強敵”は、もう一人残っているんだから」
「…………」
(フローディアさん、か……)
 くそっ、別行動にしたのが、あたしにとっては最悪の結果になるなんて……。
「ふふ、そんなワケで、ここらで私も狩りに参戦ね。精々、可愛い悲鳴を上げて頂戴?」
「ううっ、この卑怯者……っ!」
 戦場ではそんな言葉なんて存在しないとパパから教わってはいるものの、やっぱり言わずにはいられないあたしだった。
「……あら、二人がかりって案外難しいのよ?それに私達って普段からそれ程仲がいいわけでもないし。ねぇ、クェイルード?」
「うむ。コトと次第によっては、お前さんを始末した後で獲物を奪い合って殺し合う羽目になるかもしれぬのだからな?」
「知ったこっちゃねーわよ、んなコトっ!」
 まったく、魔将ってのはどいつもこいつも……っっ。

                    *

「…………」
「…………」
「…………っ」
(あれ……?)
 やがて、いつのまにか落ちていたらしい意識が再び戻ったとき、わたしは灯りのついた埃っぽい大広間の、古ぼけた椅子へ腰かけさせられていた。
「…………」
(ここは……?)
 でも、椅子といってもただの腰かけじゃなくて、どうやら痛んではいるものの王族が座るための玉座みたいだし、雰囲気的にはどこかの廃城の謁見の間っぽいけど、でもいったい誰が……。
「あ、お目覚めみたいですねぇ、姫様?」
 それから、もっと状況を確認しようと、辺りをきょろきょろと見回し始めたところで、先程わたしを連れ去った堕天使が覗きこんでくる。
「…………っ?!」
(あなたは……っ?!)
 ……思い出した。
 わたしは確か、ラグナスの眠る墓地から彼女に抱きかかえられたまま、近くのなんとかという砦へと連れ去られようとして……。
(……それで、あんまりじたばた暴れたものだから、魔法で眠らされたんだっけ……?)
 実は、わたしもリコリスと同じく引き出し式の翼を持っていて、飛ぼうと思えば飛べるから、何とか自力で脱出しようと必死にもがいたんだけど、結局はこのザマだった。
「…………」
 ……といっても、見た感じはなんの拘束もされてはいないみたいだけど……。
「おっと。申し訳ありませんが、出来ればそのまま大人しく座っていて頂けませんか姫様?さすがに魔王家のお嬢様を縛り付けるのは躊躇われますし」
 しかし、それから座り心地のわるい椅子から立ち上がろうとしたわたしへ、脅しを込めた言葉まじりに、両手で制しながら留まらせてくるフィオナ。
「…………」
「まぁまぁ、これでも私はブッシュミルズの端くれで、元々はフローディア様にお仕えしていたメイドでもありますし、本来は姫様と敵対する存在じゃあ無いのですよ」
「…………っ!」
(だったら、どうして……!)
「とはいえ、私もプルミエ“姫様”を魔王陛下とお呼びするのに抵抗を持っている一人でして。こればかりはうちのお嬢様と意見が合わないトコロですし、おそらく私のコトもさぞかしお怒りになられていると思うんですけど……」
「……ただ、件の勇者さんのお陰で、せっかく舞い込んで来た千載一遇のチャンスを絶対に逃す
ワケにはいきませんので、どうぞ悪しからずって感じですかね?ふふ……」
 そして、言い返せないわたしへ向けてフィオナは一方的に言葉を続けたあとで、たくらみに満ちた小悪魔っぽい笑みを見せてきた。
「…………?」
 チャンスって……。
「実はですね、姫様。ご挨拶がまだでしたけど、今宵の役者は既にこのキングレイズ砦に集まっているのですよ。……ほら上の方、耳を澄ませば聞こえてきませんか?」
「…………」
「…………?!」
(あ……!)
 そこで、静かな広間の中で意識を集中してみると、たしかに上の階のほうから破壊音や振動、さらに時おり甲高く金属同士が衝突する「戦い」の音が、わたしの耳へつたわってくる。
「んふふ、気付かれた様ですねぇ。ちょうど姫様がお目覚めになられる少し前から、上の階の広間で勇者さんと魔将様の戦いが始まったのですよ。……ちょっと監視用の仕掛けをしているので、ご覧になられますか?」
 それから、フィオナはそう告げたあとで、水平に広げた左手の上に球体を発生させ、この砦のべつの場所で繰り広げられている戦いのようすを映しだしてゆく。
(リコリス……っ!)
 その中では、装備をしっかりと整えてきたリコリスが、狼のような闘気をまとった老練の闘士と、五つ又の鉾を振るう妖艶な女性からの二人同時に攻められているみたいだけど……。
「…………!」
(うそ、この二人は……!)
「ご覧の通り、迎え撃っているのは”魔狼”のクェイルード卿と、”魔操”のヴェルジーネお姉様ですよ」
「…………っ」
 クェイルードにヴェルジーネ……魔将でも筆頭格の二人じゃない……!
「正門の守りをしっかりと固めているのを見せておけば、おそらく二手に分かれて翼のある勇者さんの方は屋上からの進入を狙ってくると読んで待ち構えるコトにしたんですが、上手く網にかけられたみたいですねぇ。うふふ……」
「…………」
 見る感じではクロンダイク戦のときと違って、今回のリコリスは最初から敵を倒すつもりで挑んでいるのは分かるものの、それでもやはりあの二人が相手では、反撃どころか頬とかに傷をつけながらも避けたり防いだりするのが精一杯な戦況になっているみたいだった。
「…………!」
(リコリス……がんばって……負けないで……!)
 せめて、フローディアが加勢してくれれば、全然違ってくるんだろうに……っ。
「……はい、では観戦は一旦ここまでとして、彼らがここへ集まっている本当の理由については御存知ですか?」
 しかし、手に汗にぎりながら応援していたのもむなしく、それから程なくしてフィオナは戦況を映す球体を閉じてしまうと、わたしを見下ろすような目でたずねてきた。
「…………?」
「……あのですね、姫様の合意が前後して大変失礼なんですけど、実は争奪戦をしているのです」
(争奪戦……?)
「たとえばのシナリオなんですけどね、当代勇者であるリコリス・W(ウィングハート)・アーヴァインが何を血迷ったのかプルミエ様を人間界へ連れ去り、フローディアお嬢様を先発として三名の魔将が彼女から奪還すべく追いかけて行ったとします」
「……とまぁ、しますも何も、ここまではそのままなんですが、問題はこれから」
「…………」
「それで、行き来するゲートが原則的に閉じられている今は、魔界の民の目が届かない人間界へ連れ去られた姫様の運命がどうなるかは、当事者以外は知る術が無いですし、勇者の目的もはっきりと分からない以上、どうなったっておかしくないんですよね?……ほら、人間にとって魔王ウォーディス様は、どれだけ憎んでも飽き足らない究極の存在ですから」
「…………」
 そんなコトは、いまさら言われなくたって分かってる。
 リコリスがずっと一緒にいてくれてさえも、自分が魔族だとばれたらどうしようって、ルルドの街中を歩きながら、ずっと怯えていたのだから。
「だから、ぶっちゃけた話ですけど、勇者は魔王家への復讐のつもりで姫様に近付き、隙を見つけて人間界へ連れ去って晒し者にしたり、公開処刑でもするつもりだったと言っても、荒唐無稽な話じゃないわけです」
「…………っ。(ふるふるっ)」
 しかし、それから続けられたフィオナの勝手な言い分を、全力で否定してやるわたし。
 むしろリコリスは、そんな怨嗟の輪を断ち切ろうとしているのに。
「あらら、よりによって姫様が否定なさるとは思いませんでしたけど、ともかくこのドサクサは願っても無い好機になったんですよね。もの言えぬ姫様に魔王の座をお譲り頂くには」
「…………!」
 そっか……。
 このフィオナたちは、場合によったらここでわたしを亡き者にしてでも……。
「……まったく、予想はしていましたけれど、そんな浅ましい企みを胸に人間界まで追いかけてきた訳ですの、あなたは?」
 しかし、それからちょうどフィオナの説明がひと区切りしたあとで、薄暗い広間の先からわたしの従者が、あきれたような声と共に姿を現してくる。
(フローディア……!)
「あら、お帰りなさいませ、フローディアお嬢様♪」
「やれやれ、勇者(リコリス)の為に敵の注意を引きつけるつもりが、逆にあちらへ集中されていたとは……」
 それを見て、スカートの端をちょこんとつまんで恭しく出迎えるフィオナへ、不機嫌そうな顔を見せながら肩をすくめるフローディア。
「申し訳ありませんけど、ただこちらにも色々と都合がありますもので。……ああそれと、まだそれ以上はお近付きになられない様にお願い致しますね?」
「都合、ね……。どうせまたくだらない理由なんだろうけれど」
 どうやら、フローディアの方は無傷みたいで、フィオナの方も想定どおりなのか、恭しくも落ち着いた態度をかつての主に見せているものの、ただわたしを助けさせる気はないらしい。
「まぁいずれにせよ、勇者さんは真っ先に仕留めるか、出来れば捕獲しておいた方が得策ですからねぇ。だからクェイルード卿などは一騎打ちを望まれておりましたが、念には念を入れさせて頂きました。どれ……」
 そして、フィオナはすまし顔でそう告げると、再び左の掌の上に球体を浮かび上がらせ、リコリスたちの戦いを映し出してゆく。
「…………っ」
 というか、わたしもずっと気になっていたんだけど……。
「さーて、どうなりましたかね?お……」
(リコリス……っ?!)
 程なくして、わたしの目に飛び込んできたのは、ヴェルジーネが操る五又槍の先から繰り出される魔法の糸に片腕と片足を取られ、広げた翼で空中に逃れつつ力比べをしながらも、まだ自由のきいている右手で握った聖魔剣で、魔狼からの鋭い突進を必死で追い払おうとしている、リコリスの大ピンチな姿だった。
 ……しかも、リコリスの顔や、露出している手足のあちらこちらに痛々しい傷が増えていて、あれからどんどんと追い詰められているのは明らかである。
「あらあらー、どんどん魔操の罠にハマっていってるみたいですねぇ?」
「…………っ」
 比類なき槍の使い手であり、また他人を居のままに操る魔糸術の使い手でもあり、そして魔軍の参謀でもあることから、三つの意味を込めた呼び名である“魔操”ヴェルジーネ。
 いくら軽業師のリコリスでも、初見であの曲者たちを同時に相手するのは、あまりに分が悪いみたいだった。
「さぁて、魔狼の爪か魔槍の矛先か、勇者さんの息の根を止めるのは、一体どちらでしょうねぇ?あはっ」
「…………っ。(ふるふるっっ)」
(そんな……!そんなコト絶対に……)
 許せないと言いたいけれど、でも今のわたしじゃ何もしてあげられない……。
「……いいえ、勝負の行方は最後まで分からないと思うけれど?どんなに追い詰めようが、リコリスは間違いなく本物の勇者で、ここは彼女側の世界だし、それに……」
 しかし、そんなすっかりと勝ち誇った顔を見せるフィオナに対して、フローディアは淡々と戦況を見つめながら、たしなめるように反論したあとで……。
「それに、なんですか……?」
「……プルミエお嬢様に無断で敗北出来ない身、だから」
 腕組みに目を伏せながら、静かにそう続けてくれた。
「…………っ!(こくこくっっ)」
 そう、わたしのリコリスがそう簡単に負けるわけがない。
 彼女のすべてを奪っていいのは……このわたしだけ。
「別に、ここから万が一の大逆転をされようが、こちらの方は全然構いませんよ?ご覧の通り、どちらが勝とうが無傷ってことはあり得ませんし、いずれにせよ、あの魔将お二人にはこの砦で退場していただく予定ですので」
 すると、そんなフローディアの言い分に興味を示す様子もなく、肩をすくめながらすぐに冷めた口調で言葉を返すフィオナ。
「どういうことかしら?」
「……あら、お忘れですか?私の目的は、あくまで貴女を次の魔王陛下にするコトですから、最終的には邪魔者というワケですよ、フローディアお嬢様?」
「…………っ?!」
 フローディアを、魔王に……?
「現魔将なんて全滅しようが、次の魔王が改めて選べばいいだけですしね?……まぁ、出来ればその時には、不肖この私も加えていただけると嬉しいですけど」
「……まだそんなコトを言っていたの、フィオナ?まったく……ウォーディス様より魔将に任命して戴き、今は当代魔王陛下の第一の側近として励んでいるというのに、お母様はそんなにまで私に御不満なのかしら?」
「敢えてもう一度言わせて頂ければ、だからこそ……ですよ?せっかく、手を伸ばせば届きそうな位置にまで登りつめておられるじゃないですか。魔王の系譜が六代続くウォーディス家も、最初に玉座を手にした手段は、クーデターも同然だったと聞いていますし」
「…………」
(クーデター、か……)
 だとしたら、ここでチカラの無いわたしが魔王の座と魔剣を配下から奪われてしまうのも、いたしかたがない運命……?
「…………」
(ううん……やっぱり、こんなのちがう……)
「……おっと、こちらで呑気に話しているうちに、勇者さんは更にピンチみたいですよ?」
「…………っ」
 しかし、それからフローディアとフィオナのやりとりに目を奪われていた間に、ヴェルジーネの糸に囚われたリコリスがクェイルードの一撃を喰らい、下の階まで振動が伝わるほどの衝撃と共に、吹き飛ばされた先の壁へ身体をめり込ませていく場面が目に入ってくる。
(リコリス……!)
 いけない、このままじゃ……。
「さすがに、これはちょっとマズいですわね……」
 できるものなら、フローディアに頼んで、今すぐにでも救援を送りたいんだけど……。
(けど、フィオナがそれを許すわけない、か……)
 少なくとも、彼女は今もわたしのすぐそばで生殺与奪を握っているのだから。
「……さて、ここで試しにモノはご相談なんですけどね、姫様?今すぐ魔王の証である封魔剣マーヴェスタッドをうちのお嬢様へ譲り渡して下さるのならば、貴女の大切な勇者さんの加勢に行ってもいいですよ?……なんて言ったら、どうします?」
 すると、そんなわたしの心を見透かすように、今にもヴェルジーネの追い討ちで突き殺されてしまいそうなリコリスの姿を淡々と眺めるフィオナから、素っ気ない口ぶりで取引を持ちだされてきた。
「…………っ」
「フローディアお嬢様にお願いするのも良し、何なら私がちゃちゃっと片付けてきてもいいですけど」
「……だけど、今はまだあなたの許可なしでは行かせないのよね、フィオナ?」
「ええ。未だ姫様の御命は、私の手の中ですから」
 そこで、相変わらず一定の距離を保たされたまま横槍を入れるフローディアに対して、袖の下に忍ばせていた短剣の切っ先をわたしの首元へ当てて見せつつ、冷酷に告げるフィオナ。
「…………っ」
「さて、どうなさいます?……まぁ、あまり悩むヒマも無いでしょうけど」
「……まったく、昔からあなたは利用出来るものは無節操に利用しようとするわね?」
「お褒めに預かり光栄ですよ、お嬢様?堕天使ってのは、そうやって生きてゆくものですから」
「…………」
 たしかに、今すぐにでもリコリスを助けに行きたいし、わたしが彼女に差し出してやれるものがあるのなら、何だってしてあげたい気持ちもある。
(でも……)
 フローディアやリコリスは、「魔王」たるわたしのために戦ってくれているんだし……それに少し前まではただ座るだけで何もできなかった玉座の上で投げやりになっていた心境も、あの夜の出逢いを経て変わろうとしてきていた。
 クロンダイクとの決闘を見届けたあとで感じた、何だか取り残されたような焦燥感だって、諦めに満ちていた以前までと違って、同じ時代に生を受けた魔王として、勇者リコリスと同列に立っていたいという気持ちが芽生えたからだと思うから。
「…………」
(今はまだ、護られるばかりの存在かもしれないけど……)
「……では、そろそろご回答を頂きましょうか?でないと姫様の勇者さん、ホントに死んじゃいますよ?さすがに召された魂まで戻ってきたりはしませんし」
「…………」
(ううん……)
 いや、やっぱりわたしのリコリスが、そんな簡単にやられるハズがない。
 心の赴くままに、でも最後まで諦めずに自分の信念を貫くのが、わたしの知っている勇者だから。
(それにフローディアだって、わたしのやりたいコト優先でいいって、いつも言ってくれてるし……)
「さて、結局どちらになさいますか?……というか、さっさと”証”を渡して下さいませんかねぇ」
 だから、わたしも自分の心の赴くがままに……。
「…………っっ!(ふるふるっっ)」
(ゼッタイ、お断り……っっ!)
 そして、決心と覚悟を決めるや、わたしは全力で首を振って拒否してやった。
 譲れといわれても譲りかたすら知らないけど、でもやっぱりわたしはまだ魔王でいたい。
「あらま、ちょいと失敬が過ぎて意固地にさせちゃいましたかね?」
「ふふ……流石ですわ、プルミエお嬢様。それでこそ、私が命を張るに相応しい主というもの」
 すると、フローディアはわたしの回答に今までで一番嬉しそうな顔を見せると、そのあとで右手をホルスターへと伸ばし、愛銃のサイレント・クイーンを抜き放ってゆく。
「おおっと、まさか撃たれる気ですか?……その位置からならば、大切な姫様もろともになりそうですけど」
 そこで、フィオナは脅しの言葉と共に、素早くわたしの背後へまわりこむものの……。
「……逆に、あなたには失望したわ、フィオナ。主に反逆するどころか、この“魔銃”のフローディアをそこまで侮るとはね」
 しかし、フローディアは平然としつつも怒りに満ちた目でそう告げると、続けていつもはもう片方の太ももに隠し持っている片割れの銃、ローズ・クィーンも左手で抜き放ったあとで、わたし達の前方とは全く違う方角へ向け、込められていた全弾を一気に撃ち放った。
「…………っ?!」
 その直後、二十発を超える跳弾の雨が壁や瓦礫などを経由して、撃った瞬間にはまったく想像もできない角度から、わたしを避けてフィオナだけを襲ってゆく。
「な……う……っ?!」
 それでも、フィオナの方もフローディアが撃った瞬間に素早く反応したものの、すでに手遅れ。
 おそらく、後ろへ飛んで回避しようとする動きも計算済みだったフローディアの弾丸は、彼女の手足や腹部、翼などへ何発もめり込ませ、天井へ逃げる前に撃ち落してしまった。
(す、すごい……)
 たぶん、フローディアなら何とかしてくれると思っての拒否だったけど、「まがん」の力を目の当たりにしたのは、わたしもこれがはじめてである。
「先日の中庭では、お嬢様に制止されたのでやむなく銃を引いたけれど、私の“魔眼”は本来どの様な状況だろうが、射程内のターゲットへ命中させる道筋を示し、そして両手の“魔銃”が必ず撃ち抜く。……そういえば、フィオナにはこの技を見せた事は無かったかしらね?」
 その後、銃口から煙をあげる二丁の愛銃を手にゆっくりと近づきつつ、冷たい視線で倒した相手を見下ろすフローディア。
「ぐ……ぅ……っ」
「それに……いくら命より大切なプルミエ様といえど、人質に取られた程度で相手の要求を容易く飲んでしまう無能が、魔王陛下の護衛など務まるハズはないでしょう、フィオナ?」
「さ、さすがは、フローディアお嬢様……。確かに、わ、私程度に遅れをとっている様では、到底魔王の器……だなんて……」
「……あと、もう一つだけ教えておいてあげるけれど、魔王の証である封魔剣マーヴェスタッドを所有する権利は、一度契約してしまえば存命中に譲り渡したりは出来ないのよ?」
「……うっ?!……あ……ぐ……っ」
(……そ、そうなんだ……?)
「だからこそ、お嬢様には最期まで付き従う守護者が必要になるのを見越して、ウォーディス様が私を任命なさったの。……理解出来たかしら?」
「……っ、ふ、ふふ……そうだったんですか……。下駄の履き方……間違えましたね……」
 それから、グリップの下からスライドさせた弾倉に新しい弾丸を装填しつつ、フローディアが素っ気無くそう告げると、倒れたフィオナは苦痛に歪めつつも自虐的な笑みを見せたあとで、それっきり眠り込むように動かなくなってしまった。
「…………?」
(あ、死んじゃった……?)
「……いいえ、出血を抑えて仮死状態になっているだけですわ。フィオナも私と同じく、与えられた使命を忠実に守って動く存在ですし、それに場合によってはまだ利用価値があるかもしれませんから」
 そこで、目を閉じて力なく横たわるフィオナをまじまじと見据えつつ顔をあげたわたしに、肩をすくめながらフォローしてくるフローディア。
「…………」
(そっか……)
 ……あとやっぱり、自分に長年仕えてくれていた従者の息の根を自ら止めてしまうのは、フローディアといえど忍びなかったのかな?
「さて、それよりもお怪我はございませんか、プルミエお嬢様?」
「…………っ。(こくこくっ!)」
(あ、そんなコトより……!)
 ともあれ、それから装填が終わった双子の銃を再び収めたあとでフローディアが尋ねてきたのを受けて、慌てて頷きかえしつつも、袖を引っ張って催促するわたし。
(というか、わたしのコトはいいから、早く……!)
「ええ、存じておりますわ。階上で戦っている勇者(リコリス)の救援ですわね?私としても彼らに討ち取られては困りますし……」
「…………?」
(……あ……)
 しかし、それからフローディアが踵を返したところで、今まで伝わってきていた戦いの音がピタリと止んでしまった。
「……どうやら、その前に決着がついてしまったみたいですわね?」
「…………」
「では、万が一のコトもありますし、我々はここで勝者を待つと致しましょうか?」
(リコリス……)

                    *

「はぁ、はぁ……っ」
「はぁ、はぁ、はぁ……っっ」
「……へへ、どーだ見たかぁ。これがラグナス・アーヴァインの娘の実力よぉ」
 ぶっちゃけ、勝てたのが奇跡みたいな激戦をどうにか制した後で、あたしは倒れている二人の魔将の傍らで床に手を付いて座り込んだまま、乱れきった呼吸を整えていた。
「……うあー、でも、やっぱ魔将ってつえぇ……」
 クロンダイクみたく、真正面から一騎打ちを挑んでこられるならともかく(それも迷惑だけど)、こうやって複数で一度に来られたら、さすがにキツいなんてもんじゃない。
(しかも、仲は良くないって言ってたワリには、絶妙なコンビネーションだったし……)
 まぁ逆に、だからこそ最後に隙が生まれたんだけど。
 ……何だかんだで、あの二人は仲間と認め合ってたみたいだから。
「はぁ〜あ……。しっかしパパも現役の頃は、こんな戦いばかりやってたのかな……?」
 しかも、戦った相手は違うとはいえ、パパの方は乗り込んで行った魔王宮でもっと多くの魔将に取り囲まれながらも蹴散らし、挙句の果てに魔王ウォーディスまで討ち取ったんだから、聖霊様が歴代最強と呼ぶのも分かるってものである。
(あたしの方は、これが魔界での戦いだったら、多分ヤラれてたんだろうなぁ……)
 有利な環境の中で、ちょいとズルもしてここまでギリだったんだから、やっぱりあたしはまだまだ、調子に乗るには早い未熟者というコトらしい。
(結局、土壇場であの糸の正体が分かったから何とかなったんだよねー……ふぅ……)
 一応、武器で断てないモノじゃなかったのはよかったものの、その代わりに切っても切ってもあの五又槍から補充され続ける魔法の糸にがんじがらめにされていって、もうダメかと覚悟しちゃったけど……。
「……はぁ〜あ、つかれた……」
 そして、ちょっとすぐには立ち上がれそうもなかったあたしは、小休止がてらに先程の攻防を振り返り始めていった。

                    *

「うあ……っ?!」
「ふふふ……。散々梃子摺らせてくれたけど、もう終わりよ……!」
 魔狼と魔操の二人ががりで襲いくる激しいせめぎあいの末、あたしは遂にヴェルジーネの糸によって両手両足を奪われ、利き手から離れた聖魔剣(エクスプライム)の地面に転がる音が小さく響く。
「ぐ……っっ」
 ……しかも、ご丁寧なコトに、この不思議な糸は更にお腹や首にまで絡みつき、あたしは完全に身動きを奪われてしまっていた。
「あーもーっ、こんなのってアリ……?!」
 この五又槍の先から発生してる半透明の糸は、意外にも手持ちの剣で斬れるのが分かって、一度はピンチを凌いで勝てそうだったのに、切っても切っても絶え間なく補充されて出てくるとか、かなりズルいんですけど……!
「アリもなにも、見たまんまよ。……けど、私達相手に良く戦ったと言うべきかしらん?」
「うむ……。この魔狼を相手にここまで生き延びた敵は、先代陛下を除けば嬢ちゃんが初めてじゃよ」
 そして、糸を引く背後から好き勝手に言ってくるヴェルジーネに続いて、霧牙狼の闘気を纏ったクェイルードもあたしの目の前でキザっぽく襟を正しながら、その真紅の瞳に残酷な光を宿してそう告げてくる。
「ホント、ウォーディス様を仕留めたラグナスの跡取り娘というだけはあったわね。私達が単独で挑んでたら危なかったかもよ?ふふふ……」
「……く……っ」
 だけど、こんな時に揃って褒めてもらっても、全然嬉しかないっつーの……っっ。
「しかし、次の一撃で終わりじゃな。……なに、潔く諦めるのならば苦しまずに仕留めてやろう」
「ふ、ふざけんな……ぁっ!」
 まだ勇者になったばかりなのに、やりたい事だって山ほどあるのにこんなトコロで散るなんて、聖霊様にもパパにも、何よりプルミっちゃんに申しワケが立たないじゃないのさ!
「……さて、それじゃ遺言の一つでも聞いておいてあげる……と言いたいトコロだけど、その前に取引を持ちかけてみようかしらねぇ?」
 すると、せめて唯一自由が残っている口だけでも抵抗を試みるあたしへ向けて、背中越しから思ってもみなかった言葉を持ちかけてくるヴェルジーネ。
「と、取引……だとぉ?」
「そ。私達に全面降伏して人質になるのなら、命だけは助けてあげないこともないわよ?……なんて言ったら、どうするかしら?」
「ん、な……っ?!」
「ヴェルジーネ、お前は……」
「私達の目的は、あくまで次の魔王になる権利だけど、勇者に勝てる魔将というのは資質であって、実際にはプルミエ姫がウォーディス様より引き継がれた“証”が、手続き上でどうしても必要なのよねぇ」
「……だ・か・ら、段取り的にはどうなのかしらってちょっと考えたんだけど、命乞いしてみる気はあるかしらん?一応、二度と魔界に足を踏み入れないと約束してもらう必要もあるけれど、それなら下手に聖霊も刺激せずに済むし、こちらにもメリットはあるのよ?」
「ふむ……確かに、嬢ちゃんを屠ったはいいが、それで聖霊の怒りを買えば帰り道が不安だしの」
「そうそう。何なら、愛しのお姫様もこちらへ置いていってあげてもいいわよ、勇者様?私達には最低でもあの証さえあればいいんだから。……ね、そんなに悪いハナシじゃないでしょう?」
「……っ、そ、そんなの……」
「そんなの?」
「あるワケないでしょーがっっ!!……うがぁ〜っ!!」
 それから、あまりに身勝手で屈辱的な選択肢を突きつけられ、頭に血が上ったあたしは獣みたいな叫びをあげながら、破れかぶれの力ずくで引きちぎりにかかろうとしてゆく。
「やれやれ……無駄よ。そんな怒りに任せた程度で、私の魔糸は何とかなるものじゃないわ」
「んなコト、分かってるわよ……ッッ」
 ……けど、やらずにはいられないというか。
(ええい、勇者サマってのは、何でも気合でどうにかデキちゃうものじゃないのっっ?!)
 言い分はデタラメでも、案外そういうものだとパパからも聞いてるし……っ!
「もう、乱暴ねぇ……。けど、この糸は物理的な力じゃどうにもならないもの。早く諦めた方が楽になるわよ?ふふ……」
「…………!」
 しかし、そんな自分でもムダっぽいのは承知の悪あがきを続けていく中で、やがてヴェルジーネが勝ち誇りつつ言い放ったセリフが、あたしの脳に電撃となって突き刺さった。
(あ、もしかして、“コレ”ってそーいうコト……?)
 つまりこの糸は、エレメントの力を借りてる精霊魔法の一種なんだとしたら……。
(……もしかしたら、ホントにここから逆転できる……かも……)
 これが魔界だったら手詰まりだったけど、人間界のこっちならハナシは別。
「…………」
 あたしは、勇者に任命された時に聖霊様から与えられた、さる奥の手が頭に浮かんでいた。
 ……ナンでも、世界を構成する元素の法則と調和を乱しかねないから、よっぽどのピンチじゃないと使っちゃダメとは言われてるけど、今がその時……でいいよね?
「…………」
「……あらあら、本当に諦めちゃったの?それで、最期に言い残す事はあるかしら?」
「ん〜っ……ゴメンね、かな?」
 やがて、抵抗が止んだのを見て観念したと思ったのか、勝ち誇った声で辞世の言葉を尋ねてきたヴェルジーネに、あたしは口元が緩みそうになるのを我慢しながらそう答えてやった。
「は……?」
「それは、プルミエ姫への伝言かの?それとも……」
「……まぁ、お好きなように解釈してくれて、どーぞ?少なくともあたしは命乞いなんてしないし、みっともなく泣き叫んだりもしないんで」
 すると案の定、呆気にとられた反応を見せてくる二人に笑いをこらえつつ、素っ気無く告げるあたし。
 ……生憎だけど、ゴメンねの相手は、あんた達だから。
「へぇ、いい心がけじゃない?私としては、もっとカワイイ悲鳴を聞きたかったけど……」
「ふん、悪趣味め……。だが、そういう事ならば武士の情けじゃ。両目を閉じておるがよいぞ?」
「…………」
 そこで、あたしは言われるがまま両目を閉じる。
 ……当然、本当に観念したんじゃなくて、敢えて目を閉じて集中力を研ぎ澄ませると、言葉にはするコトなく念じ始めていった。
(あたしを束縛してるエレメント達よ、聖霊のメダリオンを持つ者の名において、少しばかり歪めさせてもらうから。悪いんだけど、ここから先は……)
 世界に充満する精霊(エレメント)の力を借りる精霊魔法ってのは、原則として自ら集めたチカラは自分のモノとして行使できるというルールなんだけど、ただ一つだけ例外があって……。
「では、ゆくぞ……。その首、この魔狼のクェイルードが貰った!」
「……プライマリ・インタラプトッッ!!」
 やがて、クェイルードがトドメの一撃に飛び掛ってこようとした直前、あたしは目を見開いて「強制割り込み」を高らかに唱えた瞬間、束縛していた全ての糸が消滅してしまった。
「な……?!」
「んでもって……」
「くっ、小癪なのよッッ!!」
 そしてあたしは間伐入れず、勇気の翼に常備蓄えられている風のエレメントの力を借りて、とっておきの緊急回避でサイドスライドして見せると……。

 ズドオッッ

「ぐ……お……っ?!」
 背中から串刺しにしようとした魔操の一撃をあたしが寸前で避けた直後、その矛先は同じく前方から首を刎ねようと突進してきた、もう一人の敵の胸を貫いていた。
「……クェイルード……!」
(今だ……ッッ!)
 そこで、呆然とした表情に変わったヴェルジーネの動きが止まったのを見逃さず、あたしは手早く転がっていた聖魔剣を拾って即座に背後へと回り込み、身体を回転させながらの抜刀一閃で必殺の一撃を……。
『ナンになるって、少しでも気が晴れるから……じゃ不服?ふふふ……』
「…………っ」
「てやあ……っ!」
 ……のつもりだったものの、そこで相手が戦う前に言い放ったセリフが不意にリフレインしてしまったのを受けて、あたしの方も一瞬だけ動きが鈍った後に、薙ぎ払いを中止して剣を握った柄の部分で後頭部を打ちつけてやった。
「ぐぅ……っ?!」

                    *

「…………」
(……んで、何とか勝てたワケだけど……)
「ん〜っ、やっぱ甘かったかなぁ……?」
 それから、回想が一段落したトコロで、改めて気絶してるヴェルジーネの方へ視線を向けつつ、誰にともなく呟くあたし。
 あの、カチンときた言葉を肯定したくなかったから、つい手が止まっちゃったけど、魔狼の爺ちゃんは槍に貫かれて死んでしまったのに、こちらだけ敢えて助けてしまったのは、何となく辻褄が合わないような気もしたりして。
(それに、このまま見逃したら、今後もプルミっちゃんの災いに……)
「…………」
『今までの俺は勇者という使命に溺れ、命というモノをあまりに軽視していたコトに、ようやく気付かされたのさ』
「…………」
「……いや、これでいいんだよね、パパ?」
 しかし、それから今度はあたしがイチバン敬愛してた人が今わの際にぼやいた言葉を思い出し、首を左右に振って払拭した。
 助けちゃったもんは仕方がないんだから……あとは、フローディアさんに処遇を任せよう。
 ともあれこれで、こっちへ乗り込んできた”敵”魔将は全滅だし、あたしは人間界の守護者としての使命をどうにか果たすことがデキたんだから、それでもう充分。
「…………」
「……よしっっ!」
 それから、あたしは膝をぱんぱんと二度叩いて立ち上がる。
 ぶっちゃけ、歩くのも億劫なくらいに精魂は尽きかけてるけど、まだ終わっちゃいない。
 念のために、この性格の悪い痴女さんの武装を解除して無力化させた後で、もうひと頑張りしないと。
(うっし、今行くよ、プルミっちゃん……っ!)
 ……そう、勇者(あたし)を待つお姫様のもとへ。

                    *

「…………」
「…………」
「…………っ?!」
 やがて、わたしとっての長い長い沈黙の時間の果てに、大広間の正面扉が静かに開け放たれると、その向こうからふらふらとした足どりで、背中に翼をまとった少女が姿を見せてきた。
「……はぁ、はぁ……っ、プルミっちゃんおまたせー、生きてるぅ?」
 もちろん、それが再会を願っていた待ち人だというのはすぐに分かったものの、ボロボロになった赤いリボンを揺らせながら笑みを見せてくる表情は疲労で満ちていて、さらに泥だらけのサーコートや、手足のいたる部分には痛々しい生傷が入っていたりと、まさに満身創痍のいでたちである。
「…………っ!」
(リコリス……!)
 そんな痛ましい姿を見て、いても立ってもいられなくなったわたしは、一目散に駆け寄ろうとしたものの……。
「……やはり、貴女が勝ち残りましたか。突入した際は私がどちらかの相手を引き受けるつもりでしたが、御苦労様でしたわね?」
 しかし、フローディアが伸ばした左腕でそれを制してくると、ここで待っていてと言わんばかりにわたしを留まらせ、ねぎらいの言葉をかけながら一人で近づいてゆく。
(フローディア……?)
「はー。まったく、まさか魔将二人を同時に相手させられるとは思わなかったわよぉ。……まぁ、パパの時代は最大で四人に取り囲まれたコトがあったらしいけどさ」
「本当、勇者というのはしぶといものですわね……。ただ、そうでなくては私も困りますけれど」
「へへ、でも聖霊様の加護が薄い魔界じゃ、こうはいかなかったろうけどね。……それより、ヴェルジーネは縛って放置してきたんだけど、あの魔狼の爺ちゃんの方は、槍に貫かれて死んじゃったよ?」
「……問題ありませんわ。どうせ、彼らは反逆者として処断される身。生きていようが死んでいようが、あちらに転がっているフィオナの言う通り、十三魔将はほぼ総入れ替えになりそうですし」
「そっか……。んで、プルミっちゃんを連れ去った堕天使は、フローディアさんが何とかしたみたいだから、これで一応は任務達成かな?……はぁ〜疲れた……お腹もペコい……」
「ええ、まずはこれまでの御協力のほど、感謝致しますわ」
「…………っ。(こくこくっ)」
 ホントお疲れさま、リコリス。
 帰ったら夜食でも作ってあげたいけど、わたしはまだそれすらできないんだっけ……。
「ま、これもあたしに課せられた責任のうちだしね?ただ、それでもプルミっちゃんだけは自分の手で助けてあげたいって気持ちが強かったんだけどさー、あいててて……」
 それから、おそらくはじめて素直に感謝の言葉を向けたフローディアに、リコリスは傷の痛みで苦笑いを浮かべながらも、満足そうにはにかみ返す。
(リコリス……)
 頬についた傷とかを見ればすごく痛そうだけど、それ以上にやり遂げた顔がステキだった。
「……それは、互いの立場を超えた“愛”ゆえとでも……?」
「ん〜。改まってそんな言われ方したら照れるけど、まーこれでようやく、ご褒美でほっぺにちゅーくらいはしてもらえるかな?……って、そういえばこっちはキズになってるんだっけ……いてて」
(……ばか……)
 でもまぁ、そのぐらいなら考えなくもない……かな?
 ちゃんと、わたしが手当てもしてあげるし。
「まったく……。相変わらず図々しいですわね、貴女……」
「え〜、ちょっとぐらいならいいじゃないのさー。……でもま、これで後はプルミっちゃんの呪いを解いてあげるだけかな?まだやり方は聞いてないけど」
「…………?!」
(え……?!方法があるの……?)
 それから、すっかりと緊張がとけた面持ちで近づいてくるリコリスが、頭を掻きながらそんなコトを呟いてきたのを聞いて、寝耳に水なわたしは両目を見開いてしまう。
「…………」
 ……しかしその一方で、すました表情で迎えるフローディアの横顔から、ピリッとした殺気が走ったのに気づくわたし。
(フローディア……?)
「……ご心配には及びませんわ。それも私がすぐに解決して差し上げますので……」
「へ、でも……うわっちっ?!」
 そして、突如にして空気が一転したのを感じた直後にフローディアはそう告げると、ギラリと視線に殺気を込めつつ愛銃(サイレント・クィーン)を抜き、リコリスへ向けてためらい無く撃ち放ってしまった。
「…………?!」
「ちょっ……?!」
「……後は、この私が貴女を撃てば全て完了ですわ。分かり易いでしょう?」
 それに対して、驚きながらもおそらく本能で身を翻したリコリスへ、銃口を向けたまま冷酷に言葉を続けるフローディア。
「…………っ!」
(や、やめてっ、フローディア……!)
 そこでわたしはすぐに駆け出し、言葉で命令できない代わりに身を挺して止めようとしたものの……。

 ガウガウッッ

「…………ッッ?!」
 しかし、続けてフローディアがこちらへ振り向きざまに放った二発の弾丸がわたしの足元へめり込むと、それ以上は一歩も動けなくなってしまう。
「……魔式銃術、影撃ちです。申し訳ありませんが、プルミエお嬢様はそちらで見届けなさってくださいませ」
(そんな……!)
 一体、フローディアはどういうつもり……。
「ち、ちょっ、一体どーいうコトよ?!」
「どういうも何も、元々貴女と魔将である私は敵同士ですし、プルミエ様を助けるまでの休戦協定はここで終了ですわ」
 すると、わたしに代わって叫びをあげてくれたリコリスへ、フローディアは凍りつくような殺気を隠すこともせずに、淡々と答えた。
「そりゃ、そーかもしれないけど、でもこの後も協力してもらうって言ってたじゃんっ?!」
「…………っ。(こくこくっ)」
 うん。わたしだって、リコリスは必要なんだから……っ。
「……ですから、あと一度だけ協力して、この私に撃たれて欲しいんですの」
 しかし、そんなわたし達の声を聞き入れようとする素振りも見せず、冷淡な口調でそう告げると、再びリコリスへ向けて発砲するフローディア。
「うおっ!……ど、どーいうコトよっ?!」
「……ここへ来る前に、聖女さんから聞きましたの。お嬢様の呪いを解く方法をね」
「え……?!」
(え……?!)
 それから、外した弾丸が闇に消えたあとでフローディアの口から出てきた言葉に、わたしとリコリスは揃って硬直してしまう。
「悲怨の呪いとは、当人のそれまでの人生の中で最も深い悲しみが起因するものだから、その心の傷が埋められないのならば、いっそ上書きしてしまうのだそうです」
「だからって、どうしてあたしを撃つコトに繋がるのさ?!」
「……極めて簡単な話ですわ。個人的には認めたくありませんが、今のプルミエ様にとって、悲怨の呪いを上書き出来る一番の対象とは、おそらく貴女でしょうから……!」
 そう言って、ふたたび鋭利な殺気を込めてサイレント・クィーンの銃口をリコリスへ向けると、今度は三発ほど撃ち放ってゆく。
「どわっと……!ち、ちょっと待った……っ。でもそんなコトしたら今度は……」
 それでも、まだ本気で狙ってはいないのか、今度もリコリスが咄嗟に後ろへ飛んで当たりはしなかったものの、うち二発は非物質の翼を揺らせ、そして最後の一発は無事だったもう片方の頬をかすめて、紅い筋を作ってしまっていた。
「構いませんわ。私はお嬢様の呪いを解いて差し上げる為に、何でもすると誓いましたから」
(フローディア……)
「……ですから、貴女の父が背負えなかった業は、この私が引き継ぐとしましょう」
「…………っ!」
(ダメっ、そんなコト、わたしは求めてない……っ!)
 そこまでの代償が必要というのなら、わたしは呪いなんて解けなくても……。
「……ホンキ、なの?」
「ええ。それに……貴女もこのままではお嬢様が一歩も前へ進めないと感じたからこそ、追っ手に狙われるのを覚悟で連れ出したのではないのですか?」
「…………」
「……わかった……」
 しかし、わたしの想いとは裏腹に、やがてリコリスの方も俯いたまま神妙にうなづくと、自らの武器である聖魔剣を抜き放ってしまった。
「…………?!」
(リコリス、やめて……っ!)
「……ただし、あたしもここで素直に差し出すわけにはいかない。パパから救ってもらった命だからとか、勇者としてまだ殆ど何もしてないからとか、理由はイロイロあるけど……でもやっぱり、あたしはどんな時でも生き延びてこそだと思うから」
「構いませんわ。……この私とて、ここで貴女に討たれる覚悟は出来ておりますので、どうぞ遠慮なく抵抗してくださいな」
 すると、リコリスからの抵抗の意思を告げられたフローディアは、わずかに表情を緩めて肯定の言葉を返しつつ、弾倉を取り出してゆっくりと弾を込めていった。
「……んじゃ、恨みっこはなっしんぐだね?」
「ええ……。少なくとも、私達の間では……です!」
「…………っ!」
 そして、互いに約束(エンゲージ)を交わした後で二人の決戦の火蓋が切られると、まずはフローディアの容赦ない先制射撃が火を噴いた。
「なんの……っ!」
 対するリコリスの方は、むやみに大きく動き回るコトも、反撃をあせる挙動も見せずに、冷静な動きで相手の狙いを見極めつつ、最小限の剣さばきで受け止め続けてゆく。
(あ、上手……!)
 自分の聖魔剣が壊れることはないと見越したうえで、どうやらまずは相手の弾倉を空にして、リロード待ちに誘い込みたいみたいだけど……。
「……ふ、流石ですわね。ほら、今度はそちらのターンですわよ?」
 しかし、やがて先制で放った全弾をあっさりと受け止められても、余裕の笑みを浮かべて挑発するフローディア。
「言われなくとも……ッッ!!」
「……う……っ」
 すると、誘いに乗ったリコリスは翼を大きく羽ばたかせ、埃や瓦礫の混じった牽制の風圧をフローディアへ向けて飛ばすと、相手の視界がさえぎられて一瞬怯んだ隙に、目にも留まらない速さで頭上を狙い突進してゆく。
「…………!」
(いけない……!フローディアにはまだ、片割れのローズ・クィーンが……)
 おそらく、リコリスは次の装填をさせる前に接近戦へと持ち込んで押し切ってしまうつもりなんだろうけど、わたしにはフローディアがわざわざ利き腕をかざして自分の目を防いだのは罠に見えていた。
(でも……もしリコリスの動きが、フローディアの予想を上回っていたのなら……?)
「だぁぁぁぁぁぁ……ッッ!!」
「…………っっ」
 ……だけど、どうやら当たった予想は前者の方だったみたいで、リコリスが空中で振り下ろした肩口への一撃は、フローディアがいつの間にか左手で抜いていた、漆黒のショートソードで受け止められてしまう。
「……攻撃のキレがイマイチですわね。まさか、まだ躊躇いがありますの?」
「うぐ……っっ」
 しかも、リコリスの両手がかりの一撃を左手一本で受け止めていながら、フローディアは平然とした顔を浮かべていたりもして。
「……それと、もし私がガンナーだから接近戦が弱点とでも思っていたのならば、それはいささか甘く見すぎですわ」
「へ……?」

 ガキィッッ

「…………っ?!」
 それから、フローディアは厳しい目つきでそう告げた後で、力任せに押し込もうとするリコリスの刀身を、わずかに手首をひねるだけで軽々とさばいてしまった。
「くっ、しまっ……」
「終わりです……!」

 ドドンッッ

 それから間伐入れず、右手で持ち替えていた片割れのローズ・クィーンを抜き放つや否や、体勢をくずしたリコリスへ向けて火を噴かせるフローディア。
(リコリス……ッッ?!)
 ……しかし、その絶対よけられそうもない弾丸が腹部へ命中しようとした刹那、リコリスの身体が蜃気楼のように掻き消えてしまうと……。
「でやあ……っ!」
 その次の瞬間には、頭上から振り下ろしの一撃を加えて、フローディアが咄嗟にかざしたローズ・クィーンの銃身と鍔迫り合いになっていた。
(え……?!なに、いまの……?)
 リコリスの動きがぜんぜん見えなかったけど……。
「くっそ……。これに反応しちゃうかな、ふつー?!」
「あんな程度の反撃で、貴女を斃せるなどと思ってはいませんでしたから……っ!……しかし、予め蓄積していたエレメントの力を一瞬で解放して緊急回避ですか。よくもまぁ人の身でありながら、爆発的な負荷に耐えつつ制御出来るものですわね……?!」
「そらま、聖霊様の加護を受けた勇者サマだからね!……って、この銃意外と頑丈……っ」
「貴女の剣と同じく、こちらも魔界で最も強靭な合金で鍛えられし最高ランクの魔銃ですから、当然ですわ……!」
 そして、クールな普段からは想像もつかない、まるで強い相手に見えて喜んでいるかのような戦士の笑みをニヤリと浮かべたあとで、再びフローディアは相手の剣をさばき……。
「く……っ?!」
 今度は、互いに後方へ下がる直前に入れてきた銃撃と斬撃の追加攻撃が、それぞれの腹部と頬をかすめて、一瞬だけ表情を苦痛に歪ませる二人。
「ふふ……やりますわね……」
「ちっ、やっぱり隙がないなぁ……。今まで戦った魔将の中だと、ぶっちゃけフローディアさんが一番手強いよ」
「それはそれは、お褒めいただいて、光栄の極みですわ」
 ……でも、力量を認め合ったもの同士でどこか楽しそうにも見えるのが、また嫉妬の感情も含めてわたしの胸を痛めていたりして。
「…………」
(リコリス、フローディア……)
 ……ともあれ、ここまでの見た感じだと互角との戦いを続けているけど、逆にいえば最悪は共倒れもあるということ。
「てやあっ!……ああもうっ、プルミっちゃんがいなければ、もっと大ワザが使えるのにッッ」
「く……っ、それはお互い様でしょう……?ほら、そこ……ッッ」
 それから、距離を空けた二人はわたしに流れ弾が飛ばないように配慮しながらも、近づいたり離れたりの攻防を繰り返してゆく。
「ほら、そろそろ大人しく撃ち落とされて下さいな……!」
「お・こ・と・わ・り……っっ!」
 フローディアは二丁の愛銃をうまく牽制と攻撃で使い分け、更に流れるようなステップに同調させた迅速なリロードを挟みつつ、相手を近づかせまいと距離を保った戦いに持ち込もうとして、逆にリコリスは剣で受け続ける他に風のエレメントの力を借りて弾丸の軌道を歪めたり、時には弾き返してみせたりしつつも、必殺の一撃を叩き込むタイミングをうかがい続けている様子だった。
「くそ……っ、あたしもサブで銃を持っとけば良かったか……」
「……でしたら、すぐに決着がついて、私も楽だったんですけど……ッ!」
「うるさいなぁ、言ってみただけだっての……ッッ」
「…………っ」
(だけど、わたしの方は一体これからどうすればいいの……?)
 この場へ立ち尽くしたまま、リコリスが上手く収めてくれるのを祈っているしかない?
「…………」
 ……でも、いくらクロンダイクを圧倒してしまったリコリスだろうが、クェイルードたち二人との戦いで消耗しきっている中で無傷のフローディアと本気でやりあって、どちらの命も無事なままで終わるだなんて、果たしてありえるのだろうか。
(二人ともわたしのために……こんなトコロで殺し合いなんてして欲しくないのに……ッッ)
「…………」
 もう、届かないのだろうか?わたしのこの切なる想い……。
「……はぁ、はぁ……っ、い、一体何発持ってんのよ……っ?!」
「心配なさらずとも、いつかは切れますわよ?……ただし、貴女を仕留めた後ですけれど」
「…………」
(ううん……。やっぱり止めなきゃ、わたしが……)
 言葉で叫べなくとも、何とか伝えなきゃ。
 二人の命を犠牲にするくらいなら……わたしは呪いなんて解けなくったっていいんだって。
(でも、どうやって……)
「…………」
(……あ……!)
 それから、ふと辺りを見回してみたところで、さっきまで座っていた玉座の横に、持ち込んだ魔剣(マーヴェスタッド)が立てかけられているのが目に入る。
(そっか……。そうだった……)
 笑ってしまうくらいに情けないハナシだけど、わたしは自分も剣を持っていたコトをようやく思い出した。
 ……しかも、あちらの方はご丁寧に青白い光を滲ませて、自分の存在を忘れるなと自己主張までしてくれているというのに。
「…………」
(はぁ……たしかに、今のわたしは魔王の器なんかじゃないよね……)
 今までは、お飾りとして玉座に縛り付けられ続けるのがつらかったから、その元凶を携えこそしながらも、気持ちの上では無意識に遠ざけていたのかもしれないけど……。
(でも……)
 歴代の魔王の手に渡ってきた魔界最強の魔剣である封魔剣マーヴェスタッドは、飾りなんかでもただの証でもなくて、自分の身を守ったり、望みを手にする為の”武器”なんだから……。
「…………」
 ならば、やっぱりこんなトコロで立ちすくんでいる場合じゃない。
 ……わたしはこれからも魔王でい続けるって、フィオナやフローディアの前で誓ったんだから。

 ギィンッッ

「……あぐ……っ?!」
 しかし、ここからどうやって魔剣を回収しようか考えはじめた矢先、銃撃を弾く音の直後に小さな悲鳴が聞こえて振り返ると、中空にいたリコリスが右腕を撃ち抜かれて、聖魔剣をこぼれ落としてしまう光景が目に入った。
「…………っ?!」
(リコリスっ?!)
「しま……っ!……もう一発……っ」
 どうやら、時間差を置いて放たれた二発目の弾丸が、一発目を弾いた直後に命中してしまったらしい。
「終わりですわ!」

 ドンドンドンッッ

 しかも、そこから間を空けず立て続けに放たれたフローディアの弾丸がリコリスの胸部へ三発命中し、鎧を貫通こそしなかったものの、白銀の翼が消えて背中から冷たい石の床へとたたき落とされてしまった。
「くそ……フェイント……ぅっ」
「いくら、その身に秘められし力が強大だろうが、まだまだ詰めの甘さは否めませんわね?似た攻撃を敢えて繰り返す事で次第に動きを操られてきていたのにも気付かず、私の攻撃を見切ったつもりでいたんですの?」
「……くぅ……っ」
「まったく、そんなザマでよくヴェルジーネ達に勝てましたわね……と言いたい所ですけど、あの二人はプライドの高さ故に、敵を見下しがちになる悪い癖がありましたっけ」
 そして、フローディアは顔を苦痛に歪めてのたうつ勇者を冷たい目で見下ろしながら、サイレント・クィーンを手にゆっくりと近づいてゆく。
「…………!」
(いけない……!)
 リコリスだけは……ゼッタイに殺させないんだから……!
(封魔剣よ……!わたしを主と認識しているのなら、望みを叶える力を貸して……!)
 そこで、身体の芯からわき上がる衝動の赴くがままに、右手をかざして強く念じるわたし。
(今までずっと放っておいて悪かったけど、これからはしっかりと使ってあげるから……!)
 すると、少しの間を置いたあとで、玉座横の封魔剣が鞘だけを残して一旦消えたかと思うと、すぐに抜き身の刀身が目の前へ現れてわたしの影へ向けて勢いよく突き刺さり、フローディアの呪縛を解いてしまった。
「…………っ!」
(ありがとう……!)
 それから、わたしはモタモタせず召還に応じてくれた魔剣(マーヴェスタッド)を両手で抜くや否や、リコリスへトドメを刺そうと構えるフローディアへ向けて、ためらいなく全力で斬りかかっていった。
 わたしの背丈くらいもある大きな剣ながら、やっぱり重量感は感じないくらいに軽いので、振りまわす分には問題ない。
「プルミエ様……っ?!」
 もちろん、剣術なんて帝王学の一環でたしなむ程度にやっただけだし、本気でフローディアを斬る気もないけれど、手遅れになる前に気づいてもらえたなら、それで充分だから……!
「……(はぁぁぁぁ)ああああ……!!」
「……うっ……っ?!」
 やがて、わたしは呆然とするフローディアへ気合一閃の空振りを放って大きく下がらせると、もう戦闘不能状態に等しいリコリスの前で立ちはだかった。
「プ、プルミっ……」
「……もう、充分だから……っ!ふたりとも戦いをやめて!」
「…………?!」
「フローディアっ、わたしはリコリスを失ってまで呪いなんて解けなくったっていいから……!だからもう、これ以上は傷つけないでッッ!!」
「お、お嬢様……?」
「プ、プルミっちゃん、声……」
 そして、言葉は出なかろうが全身を使って心の限りに叫んだわたしへ、二人は唖然とした顔を向けてきていた。
「え……?」

第七章 もの言わぬ魔王様

 ……こんな風に自伝を編もうと、自らの軌跡を冷静に振り返っている今だからこそ言える事として、勇者と魔王とは、見えない糸で結ばれた存在なのだと思う。
 それが何色の糸で繋がっているのかは分からないし、両親を魔王に殺された私の場合は、間違いなく憎しみの色に染まっていたとしても、互いに切っても切れない宿命を背負っているのだから。
『魔王を斃せるのは勇者だけであり、逆に勇者を屠るコトが出来るのも魔王だけ』
 勿論、こんなモノはただの幻想である。
 しかし、その幻想こそが、長年に渡って人間界と魔界のパワーバランスを辛うじて保ってきた大きな要因であり、だからこそ勇者は魔王に対抗しうる存在でなければならなかった。
 ……そして、運命の巡り合わせにより、自分が勇者を務める時代に、当代の魔王であるウォーディスが人間界への武力侵攻を企て、無差別に殺め、破壊し、蹂躙の限りを尽くすと、その魔軍への怒りや憎しみの赴くがままに私は聖霊より与えられた力を駆り、いかなる国や組織にも属さない独立軍として、真っ向から力で対抗していった。
 やがて、後に「ウォーディス戦役」と名付けられたこの戦いは、長い戦乱を経て泥沼化しつつあった中で、勇者が魔界中枢にある魔王の宮殿へと単身で乗り込み、魔王ウォーディスを斃したことで人間側の勝利となり、これまで守られてきた幻想を体現する形で、再び平和な時代を勝ち得たのである。
 私は、自らに課せられた責務を確かに果たしたと、胸を張って言えると思う。
 ……しかし、勝利へ至るまでに失った命や損害はあまりにも甚大で、また一人の年端も行かぬ少女を、悲しみの海へと沈ませてしまった。
 無論、その少女と、殺された家族や犠牲者たちの命の重さを比べるつもりなど、毛頭ない。
 ただそれでも、ウォーディスの娘が引き裂かれる様に泣き叫んで悲しむ姿を見て、鬼神と化していた私の心に新たな疑問を抱かせるきっかけとなったのも、また事実である。
 本当に未来永劫、この繰り返しでいいのだろうか?
 勇者が戦いを躊躇うことは許されないとしても、その度に罪も無い多くの犠牲者が発生する羽目になり、何より私は彼女や魔界の者達にとっては恐怖の魔王そのものであり、自分もまた憎しみの連鎖を紡ぎ続けているコトを、今更ながら自覚させられてしまった。
 勇者と魔王。それは所詮、立場が変わった表裏一体の存在なのだと。
「…………」
 ……私にとって生涯の敵だった魔王ウォーディスと一騎打ちで挑んだ最終決戦、三日三晩に渡って互いに持てるチカラの全てを使い、命を奪い合い続けた中で、はっきりと印象に残っていたコトがある。
 自分の家族や、為す術もなく故郷を破壊されて天涯孤独の身となってしまった少女、そして幸せな日々を奪われ死んでいった犠牲者達の仇を討ちたい気持ちと、何より一日でも早く戦争を終わらせたい想いを胸に戦っていた私に対して、魔王ウォーディスは生死の淵に立たされた極限のやり取りそのものを楽しんでいるかの様に見えていた。
 ―別の表現をすれば、「嗤っていた」と言っても差し支えないだろう。
 それを見た最初は、当然の如く怒りの火に油を注がれた心地になったものの、やがて休み無く戦い続けるうちに、私は奇妙な事に、魔王に対してある種の友情の様な感情を抱き始めてしまっていた。
「…………」
 やがて、激闘の果てに宿敵の胸へ渾身の一撃を突き立てた時、満足そうに嗤った魔王ウォーディスを見て、私の中にとある考えが巡ってきた。
 もしかしたら、魔王を真に理解してやれるのも、また勇者だけなのではないか……と。

 そして、揺らいできた正義に思い悩まされる中、私はさる一つの道しるべを思い描いた。
 上手くゆけば、この血塗られた円還の宿命を断ち切ることが出来るかもしれない。
 ……ただ一つ残念なのは、それを達成しうる資格を、私自身は既に失ってしまっているというコトだが。

 ラグナス・アーヴァイン著 『ヴレイヴ・ロード』より

「……かくして、勇者ラグナスの願いは、彼の遺志を継いだ者達により成就の道へ〜ね」
 やがて聖女は誰にともなく呟くと、満足そうな笑みと共に、今は亡きパートナーが想いを記した著書を静かに閉じた。
「でも、実際はまだ殆ど何も解決していないと思いますわよ?」
 一方で、今まで小さなテーブルを隔てた向かいの椅子に腰掛けて一緒に眺めていた私は、肩を竦めながらつれない言葉を返してやる。
 キングレイズ砦での戦いからラグナスの屋敷へ引き上げて、今日で七日目。
 リコリスの負った深手が癒えるまで看病すると譲らなかったお嬢様に付き合って滞在し続けているものの、私にとっては戻った後で待ち受ける山積みの難題のコトばかりが頭に浮かんで、気が気じゃない日々が続いていた。
 ……というか、ウォーディス様が亡くなられてからここまでずっと気を張りっぱなしだったし、本当は束の間の休息期間としてのんびりすべきだったんだろうけど、どうにも私の性分はそれを許さないらしい。
「いいの〜よ、それで。本当に大切なのはこれからとしても、どうやら望ましい方向へ進もうとしているのだけは確実みたいだか〜ら。でしょ?」
「まぁ、それだけは認めなくもないですけど……」
 確かに、プルミエお嬢様がようやく立派な魔王様となられる御意思を固められたのだから、従者としての冥利に尽きる苦労なのは間違いない。
「……しかし、魔王と勇者が憎しみ合い続けるコトで復讐の円還となっているのだから、何処かで過去を一旦水に流し、いっそ友情を結べばいいだろうなんて、極めて幼稚で馬鹿馬鹿しい発想とは思いましたけれど、うちのお嬢様に与えた影響を考えれば、あながちそうとも言い切れないみたいですわね?」
 所詮は結果論としても、リコリスとの出逢いを経て彼女に惹かれていくうち、自分も同列に立っていられる魔王でありたいと、プルミエ様を変えてしまったのだから。
「私はむしろ、ラグナスにしてはステキな思いつきだと思ったけれ〜ど、やっぱり彼の言葉通り、勇者と魔王は惹きつけ合う存在という事なのかしら〜ね?リコリスちゃんにとってもこれが勇者としての初仕事だったから、プルミエちゃんにはきっと特別な想いを抱いているでしょう〜し」
「…………」
 それは正直、個人的にはあまり面白くない話ではあるんだけど……。 
「ともあ〜れ、リコリスちゃんも頑張ったけど、貴女もお疲れさま〜ね、フローディア?今回は随分と娘がお世話になっちゃった感じだ〜し」
「……礼には及びませんわ。あの時にラグナスが遠まわしに向けてきた甘言に乗ってみたまでの話ですから。『その時がくれば、お嬢様に自分の命をくれてやってもいい』というね」
 それから、空になっていた互いのティーカップへおかわりの紅茶を注いだ後で、労いの言葉と共に乾杯を誘ってくる聖女さんへ、カップは手に取りながら素っ気無く言葉だけで応える私。
「ふぅん、そうだった〜の……」
 あの時点では、わざわざ私の名を尋ねた後で自らも名乗ったラグナスが一体何を求めているのかは分からなかったとしても、やがて「アーヴァイン」の名を持つリコリスが姿を現したのを見て、彼女をお嬢様の側へ置いておける様に取り計らっておけば、いずれは再び彼の前へ辿り着けると思っていたのだけれど……。
「でも結局、再会は果たされませんでしたけどね……」
 しかも、あまりにも呆気のない理由で。
「戦役が終わったのを契機に勇者を引退して、普通の人になっちゃったから〜ね。まさかあの歴代最強とも謳われた勇者ラグナスが、急性の熱病であっさりとお迎えを受けるなん〜て……」
「それは、聖女の能力でも治せなかったんですの?」
「……無念なが〜ら、あの時の私は世界中で流行していたその熱病の治癒をして回っていた旅の途中で、ちょうど世界地図の裏側にいた〜の。だからリコリスちゃんからの知らせを受けて急いで戻った時は、亡くなって二日も経った後だった〜わ……」
 そこで、ラグナスが病死したと聞いて真っ先に浮かんでいた疑問を向けてみると、聖女さんは表情を曇らせながら、部屋に飾られた彼の肖像画へ視線を向けてゆく。
「なるほど。元来の貴女は彼の為の治療師だったコトを考えれば、何とも皮肉な顛末ですわね?」
「ホントにそう〜ね……。私は、勇者に帯同してゆく中で自分の癒しの力を彼にだけではなく、戦いの巻き添えとなった人達の為に使いたいとだんだん強く思う様になって、ラグナスもそうしてくれれば俺も安心して戦えると、むしろ温かく送り出してくれた〜の」
「……ただやっぱり、ラグナスやリコリスちゃんには悪いコトしをしてしまった結果になったのは、今でも悔やんでいる気持ちはあるけれ〜ど……」
「確かに、殺しても死ななさそうだった彼よりも、貴女の力を必要としている人は沢山いたでしょうしね……」
 実際、聖霊からの強い加護を持ち、赴いた先々で与えた被害を次々と癒してゆく彼女自身も、魔軍にとっては「もう一人の勇者」としてマークされていたのだから。
「……だから、生前のラグナスから託されていた約束とはいえ、彼を見殺しにしたも同然の私がリコリスちゃんに母親面する資格なんて本来は無い〜し、それを今まで表に出した事はないとして〜も、内心は恨まれてもいるんじゃないのかし〜ら……」
「それじゃ、魔王宮への度胸試しなんて無謀な行為も、やもすれば貴女への反抗心ですか?」
「かも〜ね。もしくは、あれがあのコなりの悲しみを乗り越える術だったのかしらん?実の親子じゃなかったとしても、リコリスちゃんは本当にラグナスを慕ってたか〜ら」
「……やれやれ、まったく……」
 だとすれば、招いた結果はともあれ、魔王宮を護る責務を負う私には、随分とはた迷惑な話になるけれど……。
「ふう……。結局、今回は一体何処までが偶然で、仕込みだったのやら……」
「あら、殆どがリコリスちゃん自身の意思と、偶然の一致よ〜お?ラグナスは魔界へ行く為の鍵は託したけれ〜ど、行動に関するコトは何も押し付けてなんていないも〜の。……ただ、彼が本当のコトを告げていない部分があるとすれば、リコリスちゃんこそが自分の夢を叶えてくれる後継者に成りうるかもしれないと、結構早い段階から予感していたって事実かしら〜ね?」
 ともあれ、何となく釈然としない気分になってきて溜息を零しつつぼやく私へ、ニヤリとした笑みを浮かべながら、答え合せに応じてくる聖女さん。
「……それでも、次代の勇者となるのは、あくまで彼女の意思でなければならない、と」
「勇者ってのは〜ね、絶対的な強さと引き換えに、色々なものを失ってしまう〜の。在任中は聖霊様の加護で歳も取らなくなっちゃうし、勇者になる前の自分は一旦死んでしまうのも同然となるの〜よ」
「なるほど……。戦災の犠牲者でありながら、過去を過去として心に仕舞ったまま、あれだけ能天気に笑って自由奔放に楽しんでいられるのだから、確かに勇者の器なのでしょうね」
 それでいて、頑固な面もあれば底なしのお人よしでもあって。
「ただそれで〜も、ラグナスがリコリスちゃんを養子に迎えたのは、最初は純粋にあのコの故郷や家族を救ってやれなかった償いのつもりだったの〜に、巡り合わせというのは運命的で面白いわよ〜ね。……でも、それを言うなら貴女も同じかし〜ら?」
 そして、聖女さんはそこまで続けた後で、今度は視線を私の方へ向けてくる。
「……何がですの?」
「出立前に煽る様なマネをした私が言うのもなんだけれ〜ど、本当に試してみるとは思わなかったわ〜よ。もしもの時は、ホントに自らの命を投げ出すつもりだったのかし〜ら?」
「この私は先代陛下より命じられ……いえ、自分自身が望んでお嬢様の為に命を費やす身となりましたので。呪いを解く為にラグナスへの仇討ちが不可能と判明して他に道が無いのならば、躊躇う理由なんてありませんわ」
 ……というか、私情も少なからず入っていただけに、本当に彼女(リコリス)を撃ち殺してしまう結末になっていたとしても、それはそれでさして後悔はしなかったかもしれないけれど。
「いずれにせよ、ここまで上手くいったのも、貴女がいたからこ〜そ。プルミエちゃんもきっと感謝してる〜わ」
「……しかし、結局は儚い夢だったじゃないですの……」
 せっかく、呪いを解くには新たな怨嗟で上書きしてしまうか、もしくは愛の奇跡とやらで乗り越えるかの二つに一つと聞いたから、半分本気でひと芝居うってみたというのに、お嬢様が言葉を取り戻されたのはあの夜だけで、翌日に眠りから目を覚まされた時は、また普段のもの言えぬ魔王様に戻っておられたのだから。
「心の傷が起因した呪いっての〜は、深層にまで食い込んでしまっていて、そんな簡単に解けてしまうものじゃないの〜よ。だから、最初に時間がかかるかもと言わなかったかし〜ら?」
「まぁ、それは確かに聞きましたけど……」
 しかし、あれだけやって、たった一夜限りというのは……。
 ……というか、せめてそれが分かっていたら、お聞きしておきたかった事も沢山あったというのに。
「ただ少なくと〜も、貴女のお陰で呪いを引き剥がす最初の一歩は踏み出せたか〜ら、後はもう本人達次第かしら〜ね?プルミエちゃんはリコリスちゃんのコトを大好きになったみたいだし、これから二人で不幸を忘れる程にいちゃいちゃラブラブしていれ〜ば、遅かれ早かれ消滅してしまうでしょ〜よ」
「……そう言って頂ければ、ようやく報われた気持ちですけど、ただ一つ……その役目は私じゃダメだったんでしょうかね?」
 何だかんだで、今も昔も自分がプルミエ様にとって二番目に好意を抱いておられる相手という自信はあるだけに、恨みは復讐でしか果たせないのが真実なんかじゃないと、もっと早く気付いてさえいれば……。
「さ〜あ。でも、個人的には可愛い子猫ちゃん同士の方が萌えるかし〜ら?んふっ♪」
「……私は、歳の差も悪くないとは思うんですけどね」
 いずれにしても、既に後の祭りみたいだった。
「…………」
(そういえば、お嬢様方はどうされているのかしら……?)

                    *

「〜〜〜〜っ!」
 いま、わたしは人間界へ来て最大のピンチを迎えていた。
「ぐえっへっへ、これでどうだ〜?」
「…………っっ」
(やぁぁぁぁん……っっ)
 お風呂あがりの就寝前、不意打ちでベッドの上へ押し倒してきた勇者リコリスの妖しく蠢く両手から休みなく続けられる責め苦に、魔王であるわたしは為す術もなく蹂躙されてゆく。
「うぃひひひ、わき腹なんてどうカナ〜?こちょこちょこちょこちょ……」
「〜〜っ、〜〜〜〜っっ!」
(あひっ!そこ……らめぇ〜〜……っっ)
 クェイルードたちにフローディアと続いた魔将との戦いで、一時期は息も絶え絶えになるほどの危険な状態になっていたリコリスが、あれから程なくして馬車を飛ばして追いかけてきた聖女パルフェの治癒もあって驚異的な速さで回復したのはいいものの、今はすっかりと元気があり余ってしまっているみたいだった。
 ……これじゃ、ずっとそばで看病していたわたしは、自ら墓穴を掘ってしまったようなものである。
「ほれほれほれぇ〜、ガマンせずに可愛い声を出してもいいんだよぉ?」
「〜〜〜〜っ!」
(ひ〜〜んっっ)
 だせるものなら、大声で助けを呼びたいってば……っ。
「んっふっふ〜、ちょっと触っただけなのに、プルミっちゃんってホンっト敏感なんだから♪あたし、なんか興奮してきちゃたかも……!」
 しかも、次第に当初の目的を忘れがちになっているどころか、はぁはぁと息を荒らげてきてるし。
「…………っ?!」
(だ、だれか……っ?!)
「さぁて、どうしてくれよう?このまま手ごめにしちゃおっかな〜?なんてね♪ほれほれ〜」
「…………?!」
(リコリスに……わたしがてごめに……)
 やっぱり……もうちょっとだけ助けはこなくてもいいかも……。

 ガチャ

「……まったく、怪我人がバタバタ騒がしくしていると思えば、一体ナニをやっているんですの?」
 しかし、そんなフクザツな乙女心が芽生えたのも束の間、やがて呆れた顔を浮かべたフローディアが、ノックもなしに入ってくる。
「あはは……。いやね、元の木阿弥に戻ってしまったプルミっちゃんの呪いを、どうすればまた解けそうかなと、退屈だった治療中のベッドの上でずっと考えてたんだけどさー、いっそ力ずくで声をあげさせてみるのもアリかなって……」
「…………っ」
(はぁ、はぁぁ……っ)
 だからって、行きついた答えがくすぐり地獄とか……。
「やれやれ……。一体どんな判断ですかと言いたい所ですけど、あながち的外れとも言えない所がちょっとムカつきますわね……」
 すると、そんなリコリスへ向けて、フローディアは額を押さえながらそう呟いたあとで……。
「へ?」
「いいえ……。ともあれ、それだけ回復したのならば、もう大丈夫ですわね。……では、我々はそろそろ宮殿へ戻りましょうか、魔王プルミエ様?」
「…………っ?!」
 それから、リコリスの容態がよくなるまでの約束で留まっていた時間を再び進めるように切り出され、一瞬だけ硬直してしまうわたし。
「……やはり、魔王陛下が玉座をいつまでもお空けになられるのは望ましくありませんから。ましてや、今回はそちらの勇者さんに誘拐された形の、予定外なお出かけですし」
「ふはは……。でも言われてみれば、こっちへ来てそろそろ十日近く経つんだっけ?プルミっちゃんがずっと看病してくれてたのは嬉しかったけどさ」
「…………」
 わたしも方も心配はしつつ、どこか幸せを感じていた日々だったから、こんな時間がいつまでも続けばいいのになんて、心の片隅で願うようになっていたのかもしれないけど……。
「一応、命を助けた代わりに後始末を手伝わせているフィオナには、プルミエ様の御無事と貴女に関するフォローを含めた事情説明をさせているのですが、諸侯から魔王様の顔を見せろと連日煩く迫られているとの泣き言が入ってきておりまして、そろそろ潮時かと……」
「…………」
 ……だけど、どうやらそれが許される猶予は、いつしかもう限界まできているみたいだった。
「あー、まぁそうなっちゃうかぁ。自由人なあたしと違って、プルミっちゃんは魔界の女王様だしね?」
「…………」
 すぐに同意するにはちょっとつらいけれど、確かにリコリスの言うとおりだった。
 ……立派な魔王になるって、最後に力を貸してくれた”証”に誓ったばかりだしね。
「…………。(こくっ)」
「では、本日はもう遅いですし、明日の朝の出立と致しましょうか。それと、あとは……」
 やがて、仕方なくも頷いて了承したわたしへ、フローディアはまず出発予定を告げたあとで、さらに歯切れの悪い言葉を続けてきたかと思うと……。
「…………?」
(え、まだあるの……?)
「ん〜?あたし……?」
「……ええ。そろそろ宿敵さんに着けた首輪も、ひと区切りの頃合じゃありませんか、お嬢様?」
 リコリスへと視線を向け、一番触れられたくなかった話題を切り出されてしまった。
「…………!」
「まぁ、そーだね……。一応、プルミっちゃんを狙っていた連中を何とかするまでって約束は果たしたし、そろそろ外してくれたら嬉しいかな?」
 それから、リコリスからも苦笑い交じりに催促されて、視線を落としてしまうわたし。
「…………」
 たしかに、今となってはもうこの首輪自体に意味はないのかもしれない。
 ……でも、開放してあげた途端に、リコリスがわたしのもとから飛び立っていってしまうような予感がして、自分からはどうしても切り出す気にはなれないでいた。
「…………」
 というか、おそらくフローディアはその意味も含めて、わたしに促してきているのだろう。
 ……一旦ここが、勇者と別れを告げるときだって。
「プルミエ様……」
「…………」
(……でも、たしかにそうだよね……?)
 勇者とは人間界の守護者なんだから、魔王であるわたしがいつまでも独り占めしてちゃいけないんだろうし。
 それになにより、リコリスにはやっぱり首輪なんて似合わないから……。
「…………」
「…………」
「…………。(こくっ)」
 やがてわたしは、少しだけ葛藤の時間を経た末に、とうとう小さく頷いた。
「あはは、ありがとプルミっちゃん」
「…………っ。(ふるふるっ)」
 ううん、お礼をいうべきはわたしの方だから……。
「…………」
(リコリス……。今までホントにありがとう。そして……あいしてる……かも)
 できれば、言葉が戻っていたときに、ちゃんと言っておきたかったけれど。
(だけど……。もしよかったら、またいつか……)
「…………」
 そして、わたしはリコリスの首もとへ左手をのばして、指先を首輪へ触れさせると、感謝の気持ちといつかの再会を願う想いを込めながら、魂で作った縛めを解きはなってあげた。
「……よっし、外れた?」
「ええ、綺麗さっぱりと消えましたわよ」
 すると、音もなく首輪が消え去ったあとで、小さくガッツポーズを見せながら確認してくるリコリスに、素っ気無くうなづき返すフローディア。
「…………」
 そりゃまぁ、リコリスは清々したかもしれないけど……。
(ううっ、やっぱりちょっと寂しい、かも……)
 こうなったら、せめて今夜は眠らずに……。
「んじゃ、精算も終わったし、今日はもう寝ようぜー」
 ……と思ったのも束の間、しんみりとした気持ちで視線を向けるわたしを尻目に、リコリスの方は余韻も何もなしに、さっさと横になってしまう。
「…………っ?!」
(え、ちょっ……?!)
 いくらなんでも、それはあんまり……。
「ほら、明日は早いんでしょ?あたし、早起きは苦手なんだよねー……ふぁぁ……」
 それを見たわたしは、おもわず身体を揺らせて起こそうとしたものの、リコリスはそれから続けて思ってもいなかった言葉を、あくぴ混じりで向けてきた。
「…………?!」
(リコリス……?)
 もしかして、一緒にきてくれるの……?
「……やっぱり貴女、私達と一緒に魔界へ戻るつもりで?」
「あれ?ダメだった?」
「……まぁ、そんな予感はしておりましたけれど……でも、色々よろしいんですの?」
「ん〜。だって、せっかく魔界へ行ったのに、まだ全然見て回れてないしね?まだまだ行ってみたいスポットは沢山あるってのにさー、にひっ♪」
 そこで、わたしの代わりに呆れの混じった表情で確認してくれたフローディアへ、屈託の無い笑みを見せながら、楽しそうにそう言ってくるリコリス。
「…………っ」
 こういう返事って、すごくリコリスらしいとは思うけど……。
「やれやれ、何の心残りかと思えば、魔界の観光を諦めていなかっただけですの?まったく……」
「まーまー、手が足りないならちゃんと手伝いもするし、カタいコト言いっこなしだって。ね〜プルミっちゃ……っ?!」
「〜〜〜〜っ!」
(あはっ♪だからだいすき……っ!)
 とにもかくにも、最後まで言わせる前に、わたしはリコリスの胸へ飛び込んでいた。
 ……やっぱり、それでこそ魔王のわたしと赤い糸で結ばれた勇者だから。
「うわっととと……。えと、もしかして今日はプルミっちゃんもここで寝るつもり?」
「…………。(こくこく)」
 結果的には同じコトになったけど、あたりまえ。
 同じシーツにくるまってひと晩中お話できないのは残念としても、いっしょの時間はまだまだこれから続いていくみたいだし……それに、想いをつたえる手段は言葉だけじゃないしね?
「…………」
 ……それに、こうやっていると、さっきの仕返しもしたくなってきたりして。
(うふふふふ……)
「ちょっ、あっ、プルミっちゃ……くすぐっちゃ……っ」
 そして、さっきまでとは逆にリコリスを押し倒す体勢になったわたしは、ここから逆襲を開始してやることに。
「はいはい……。ではお邪魔虫はこれで消えますが、あまり夜更かしはなさらぬ様にお願い致しますわね?」
「あ、あはは、そ、それはプルミっちゃんしだ……んひ……っ」
「…………っ」
(うりうりうりうり〜〜っ)
「……では、お休みなさいませ。……あと、勇者などには負けないでくださいね、魔王様?」
「…………。(こくこくっ)」
 諒解。
 首輪なんかなくったって、ちゃんと魔王らしく屈服させてみせるから。
「ちょっ、だから寝かせてぇぇ……あひひひひ……っっ」
(……だぁ〜め)

                    *

「……それで、結局は疲れ果てて寝落ちするまで悶絶させられてしまったわけですか」
「ううう、改めて思い出すと、もうおヨメにはいけないかも……」
 やがて、プルミっちゃんと一緒に魔界へ戻って半月ほど経った昼下がり、最近は日課になりつつある魔王宮の書庫通いの最中で、今日もコーヒーを持って来てくれたフルールちゃんと閲覧テーブルを囲みながら、あたしはあの夜のコトを苦笑い交じりに語っていた。
 まさか、あんなトコロで当代勇者と魔王の最初のバトルを繰り広げるコトになるなんて……。
(は〜っ、プルミっちゃんって、ああ見えて結構……)
 ……やっぱ、何だかんだで魔王家の娘だと思うね、あたしゃ。
「まぁ、元々リコリスさんから始めたイタズラならば、因果応報ですかね?……でも、今までは気弱で大人しそうな雰囲気を振りまいておられたプルミエ様に、そんな小悪魔っぽい攻め属性がおありだったとは、なかなか興味深いです……」
「ん〜まぁ、でもそーいうトコロも好きなんだけどさぁ……なんてね」
 ……何かね、凛とした勝ち誇り顔であの澄みきった深紅の瞳に見つめられると、心の底からゾクゾクっとしちゃうカンジで。
 一応、あたしのリボンには、そういう魅了耐性だって備わっているハズなのに。
「はいはい、ご馳走様です。……でも、お嫁に行く気があったんですか?勇者さんが」
「ん〜、どうだろ?……まぁでも、親からはそういう女の子らしい気持ちは大事だから持っておけって言われたけどさ……って、また熱心にメモってるけど、そんな大事な情報だった?」
 それから、差し入れの熱いコーヒーを少しずつすすりながら、出発する朝にパルフェ姉から贈られた言葉を思い出している中で、対面のフルールちゃんが右手に持ったペンを熱心に走らせている姿が目に入る。
 ……とは言っても、これは今に始まったコトじゃなくて、フルールちゃんってあたしと最初に出逢った時から、こうしてマメにメモを取ってる様な気もするんだけど。
「実はですね、元々私は『勇者学』に結構ハマっていまして」
 すると、ツッコミを入れるあたしに、フルールちゃんは一旦ペンを置くと、自分の机の前にある『ブレイブペディア』と記された分厚い書物を掲げて、楽しそうな笑みを見せてくる。
「勇者学、ねぇ……」
 そういえば、こっちは勇者の研究が学問の一つになってるんだっけ。
「……しかも、僥倖にも当代の勇者さんとこうしてお近付きになれているんですから、先人が記した文献を読み漁るだけじゃなくて、いずれは自分なりにリコリスさんのコトを研究しつつ、私も何か書き加えられればなって」
「ふーん……」
 そういえば、何だかんだであたしがプルミっちゃん……魔王に会いに行こうと決めた最大の後押しは、パパの遺品整理をしていた時に目に付いた、『ヴレイヴ・ロード』って本を読んだからだっけ。
 結局、パパの口から直接頼まれることは無かったものの、その書物の内容から、どうやら本当は魔界で出逢った魔王ウォーディスの一人娘のコトを気にかけていて、次の勇者になったあたしに様子を見に行って欲しがってるっぽいのが読み取れたから、最後の親孝行のつもりと、どんな女の子がやってるのか興味津々になって飛び出したワケだけど……。
(……あたしもいつか、何か書いてみるかなぁ?)
 何なら、プルミっちゃんとの共著でもいいし、二人で何か伝えたいコトが出てくれば、ね。
「あの、やっぱりご迷惑……ですか?」
「ん?いやまぁ、別にいいけど……。でも、いつぞやみたく、あたしの知らないうちに罠を仕掛けたりとかは勘弁してよね?」
 ともあれ、何となく黙り込んでしまったトコロへ、上目遣いで尋ねてくるフルールちゃんに、釘は刺しておくけど首を縦に振って了承するあたし。
 ……まぁ、アレはフローディアさんに言われなきゃ、ずっと気が付かなかったろうけどさ。
「いえ、それは大丈夫です。私も二度と貴女には手を出さない約束で、ここの司書長と魔将の地位から追われずに済みましたから」
「おっ、やっぱりフルールちゃんは続投なんだ?……って、その言い方だと、何か痴情のもつれっぽいんだけどさ」
 というか、妙に人聞きが悪い言い草な気がするし。
「……まぁ、近い気持ちはあるんじゃないですか?ああ見えて結構ヤキモチ焼きな上に、今までと比べて、随分とワガママになられましたし」
「あはは、分かる……」
 今まで抑制されてきた反動ってワケでも無いんだろうけど、魔界へ戻った後のプルミっちゃんは、とにかく自分の主張をしっかりとする様になったのは確かだった。
 ……ただし、まだちょっとばかり自然体とは言いがたい部分はあるけど……。
「ともあれ、いい傾向だとは思いますけどね」
「……うん。あたしもそう思う」
 それから、あたしが思うと同時にフルールちゃんが口にしたのを受けて、素直に頷く。
 いずれにせよ、今までのプルミっちゃんはどこか自分の境遇に諦めきった部分が見えてたから、ワガママになってるってコトは、魔王として前向きに変わった証でもあった。
「それに……。何だかんだで魔王の側近である私達魔将が、プルミエ様に対して抱いた一番の不満とは、自暴自棄にすら見える程に御自分を抑え込み、周りの諸侯達の言いなりになられていた部分だったみたいですし」
「なるほど……。そっか……」
 あたしやフローディアさんは、弱々しいプルミっちゃんを見て守ってあげたくなったけど、彼らは「こんなの俺達の知ってる魔王様じゃない!」って嘆いちゃったのね。
「ちなみに、私の処遇の話が出たので、他の者達についても報告しておくと、同じくヴェルジーネとクロンダイクにも、プルミエ様への絶対忠誠を誓うならという条件で、今までの地位は保障するという提示(オファー)が出されています」
「へー……。まぁ確かに、イチからまた集めるのも大変だろーしね?」
 こればっかりは、数合わせにあたしも加わるってワケにはいかないし。
「あと、リコリスさんには不本意でしょうが、戦死したクェイルードについても、反逆罪は適用しない方向だそうです。フローディアは断固たる処分を下すつもりでしたが、プルミエ様の強いご意向が入って、これまでの功績を考慮される形で、特別に恩赦という結果になりました」
「そっかぁ……。まぁプルミっちゃんが決めたコトなら、あたしもそれで構わないんだけどさ、みんな根っこの部分は、自分が魔王になりたかったんじゃなくて、ホントは納得して働ける主人が欲しかったって解釈でいいのかな?」
 パパはパパで自分は自分ってのは、あたしが魔将に襲われてやり返した言葉だけど、それはフローディアさんを除けば、彼らにとっても同じだったって感じで。
「私も全員の本音までは分かりませんけど、まぁおそらくは。……だからこそ、姫……いえ、陛下も今回は温情を持って裁かれたのではないでしょうか」
「なるほどねぇ……。それで、みんなモトサヤに収まることになったんだ」
 ま、あたしの方はもういきなり突っかかってきたりしないのなら、何でもいいんだけど。
「ええまぁ、私は願ったり叶ったりでしたし、クロンダイクも『敗者に文句を垂れる資格はねぇ』と、あっさり恭順の意思を示しましたが、ただヴェルジーネだけは傷の回復具合が捗々しくないというコトで、未だ保留中です」
「え〜?傷って、そんなに酷かったっけ?」
 そりゃまぁ、剣の柄で思いっきり後頭部をぶん殴っちゃったけど、魔界へ送り戻した時は、ちゃんと意識も回復して自分で歩いてたのに。
「……いえ、身体に受けた傷はともかくとして、心の傷の方が、です。なにせヴェルジーネはクェイルード老を誰よりも慕っていましたから」
「え……?!だって……あ、いや、そっか……」
 しかし、それから続けられたフルールちゃんの言葉を聞いて、最初はコーヒーカップを持つ手を止めて驚いたものの、やがて色々と氷解してゆくのを実感するあたし。
 ……今思えば、ヴェルジーネって何だかんだでクェイルードのサポート役に徹してたっけ。
 もしかすると、彼女だけは本気であの魔狼の爺ちゃんを次の魔王にしたかったんだろうか。
「……なるほど、そりゃつらいわね〜え……」
 乱戦の中でのどさくさとはいえ、自らの手で突き刺しちゃったんだから、これからあたしに八つ当たりくらいは考えても、これから当分の間は、いやもしかしたらずっと気分が晴れるコトなんて無いんだろうし。
「ただ、悲しみが張り裂ける前に貴女が彼女の意識を落としたお陰で、件の呪いにはかかりませんでしたし、クェイルードを反逆者として魔界史の汚点に残してしまうコトを免除していただいた件に関しては、プルミエ様に感謝していましたから、いずれは他の面々と同じく魔将に復帰すると思います」
「はぁ……やっぱさぁ、ムダな争いゴトなんてしないに限るやね……。これからは魔界だろうが、ラブ&ピースの方向でヨロシクってワケにはいかないものかしらん?」
 というか、あたしとプルミっちゃんがもっと早く出逢えてさえいれば、今回みたいな空回りばかりの争いは避けられたかも……ってのは、さすがに烏滸がましいかな?
「まぁ、少なくとも貴女のお陰で、これから本格的に始まる魔王プルミエ様の御世でそうなってくる予感はありますけど……。しかし今になって思えば、どうして誰も思いつかなかったんでしょうね?」
 すると、あたしがそんな今更感たっぷりなコトを考え始めたところで、フルールちゃんが小さな溜息交じりに、思わせぶりな言葉を切り出してくる。
「あにが?」
「魔王と勇者の関係ですよ。……結局、貴女との出逢いがプルミエ様の御命運を望ましい方向へ大きく変えていこうとしていますから、結果論としてもお二人が先代同士の怨嗟を乗り越えて昵懇の間柄となっているのは、きっと後の世に評価されると思うんです」
「べーつに、周りの評価なんてどうでもいいんだけどさ。ただ、プルミっちゃんはあたしにとって、勇者になって初めて助けてあげた相手になっちゃったのもあるし……」
 だから、余計に自分からここまで深く関わってしまったというか。
 パパはどうだったのかは知らないけど、やっぱり初めての相手ってのは特別な想いを抱いてしまうものみたいだった。
「それはそれは……。ホントに数奇と言うべきか、さすがは運命の糸で結ばれている存在同志と評すべきなのやら」
「……しかも、それだけじゃなくってさぁ、もしかしたらあたしって、プルミっちゃんにひと目惚れしちゃってたのかもしれないんだよねぇ」
 そこで、興味深そうに再びメモを取る手を加速させてゆくフルールちゃんへ、今も謁見の間でお役目を頑張っているプルミっちゃんの顔を思い浮かべながら、本音を吐露するあたし。
 結局のトコロ、初めて遭遇した夜から翌日にもう一度会いたいと思ってしまったのが、あたしにとっては最大の弱みとなったのだから。
「ああ、なるほど……。真実はそんな所に落ちていましたか」
「まー、自分で言うのもナンだけど、あたしってばホント単純だから」
 ……まったく、あんなにも儚くて可憐な魔王サマなんて、反則だよねぇ?
「おそらく、そういう人物だからこそ勇者になれるんだと思いますけど……けどでしたら、いっそのコト結婚願望もおありみたいですし、正式にプルミエ様のお嫁さんになってみます?人間界、魔界双方にとっての歴史的な転機となるかもしれませんよ?」
「え〜?あたしの方がヨメなの?」
「……いえ、冗談のつもりだったんですけど、問題はそっちですか」
「んーまぁ、なんていうかさぁ……」
(もう、既に……って感じだったりもして……)
 しかし、あたしは続きの言葉は心の中に仕舞い込むと、ポケットの中に左手を入れて、プルミっちゃんから貰った双子の指輪の片割れに触れてみた。
「……なんですか?」
「ううん、なんでもない。あはは……」
 これは、今回の働きの褒賞としてプルミっちゃんから特別にというか、こっそり受け取ったもので、ナンでもあげたのがバレたらマズいから、普段は宮殿内で着けてちゃダメと釘を刺されてる魔王家の秘宝の一つみたいだけど、やっぱり今の状況で差し出されたペアの指輪といえば、“アレ”……だよねぇ?

                    *

「……さて、本日もお疲れ様でしたわね、魔王プルミエ様?」
「…………。(こくこく)」
 やがて、予定されていた公務が終わり、いつものように寝室の前まで送ってくれたところで労いの言葉をかけてくるフローディアへ、最後のひとふんばりで余裕を残した笑みを見せながら頷きかえすわたし。
(はぁ、今日もすっっごくつかれた……)
 ……というか、もの言えぬ魔王を返上すると決心したのはいいものの、ひとつひとつ自分で選んで主張を通すのが、こんなにも大変とは思わなかった。
 まぁ、慣れもあるんだろうけど、今までのわたしは自分の立場に悲観する一方で、あまりにもフローディア任せで楽をしすぎていたのかもしれない。
「宮殿へお戻りになられてからのお嬢様は、すっかりと魔王様らしくご立派になられて、私も感慨ひとしおですけれど、ただ無理はなさらないでくださいましね?以前にも申し上げましたが、会議の途中だろうがお疲れになられたら、いつでも中断して休憩なさっても構いませんのよ?」
「…………。(ふるふる)」
(ううん。まだ、だいじょうぶ……)
 すると、これも付きあいの長さゆえか、フローディアから見透かされたような言葉を続けられるものの、わたしは素っ気なく首を横にふる。
 ホントは、足がふらつきそうなくらいにしんどいけれど、でもフローディアたちの前で弱いところを見せたりしないって決めたしね。
 ……すくなくとも、この寝室の扉をくぐるまでは。
「かしこまりましたわ。……では、いつもの様に夕食の準備が整いましたらお呼び致しますから、それまでごゆっくりなさって下さいまし」
「…………。(こくっ)」
「あ、ちなみに諸侯達より、晩餐会の御招待も沢山入ってきておりますけれど……」
「…………っ。(ふるふるっ)」
 そして、これまたお決まりのセリフを受けたあとで、思い出したように追加の報告を振られ、全身でお断りを返すわたし。
 というか、日中だけで精いっぱいなのに、まだそんな余裕はありません。
(だいたい、そんなのにいちいち付きあってたら、リコリスと一緒にいる時間が無くなっちゃうじゃない……)
 というか、むしろわたしにとっては、それが一番切実な問題なんだけど。
「ふふ、分かっておりますわ。どうしても無碍に出来ないもの以外は、私の方からお断りしておきますので」
 すると、フローディアの方もわたしの気持ちを察してくれたのか、恭しく頭を下げて了承してくれた。
「…………。(こくこく)」
 こういうところは、さすがはわたしの右腕と、嬉しくなってはくるものの……。
(……ん〜、でもせっかくだから、そろそろ社交界に連れ出してあげてもいいのかな?)
 リコリスの方は興味津々みたいだったし、もうわたしたちの仲を隠す必要もないだろうしね。

                    *

(ただいまー)
「…………?」
 ともあれ、それからようやく開放されたあとで、自らドアを開いて寝室内へ入ると、いつもとは違うしんとした静けさが、主のわたしを出迎えてきた。
(あれ……?)
 大抵なら、先に戻っているリコリスが、「おっかえりぃ〜♪」と抱きついてきてくれるのに、今日はまだ外出中なのだろうか?
「…………」
 それともまさか、わたしに黙って帰っちゃった……。
「……っ、すー……っ」
(わけないよね……?)
 だって……。
「……くかー、くかー……」
 聞こえてきた寝息に導かれた先では、ベッドの上で天使のような寝顔を見せながら、書庫から持ってきたらしい半びらきの本を抱えて、無邪気に寝こけていたのだから。
(もう、ようやくつかれて帰ってきたというのに……)
 けど、左手のくすり指には、わたしがあげた指輪をちゃんと着けてくれているみたいだし、それに相変わらず愛くるしい寝顔は、見ていたら癒される心地にもなったりして。
(でもホント、よく寝てるよね……)
 普段は騒がしいくせに、時々こうやって静かになって、わたしを心配させるんだから……。
「…………」
(いや、それとも……。もしかして誘ってきてるとか……?)
 そこで、無防備な体勢で眠るリコリスの寝顔を間近でじっと眺めるうちに、ふとそんな突拍子もない妄想が浮かんできてしまうわたし。
 もちろん、本気で思ってるわけじゃないけど、でもだらしなく半開きになった唇とか、柔らかくておいしそうだし……。
「……うへへへ……んにゅ……」
 それに、口元からこぼれているよだれとか……どんな味がするんだろう?
「…………っ」
(ん、んじゃ、ちょっとだけ……)
 そうしてわたしは、ドキドキと胸を高鳴らせながら、両手をリコリスの頬へ添えると、そのままゆっくり……。
「…………」
「……ん……?」
「…………?!」
「……あ、おかえりー」
 相手の口元へ唇を近づけようとしたものの、絶妙のタイミングで目を覚まされてしまった。
「…………」
(もう……)
 こういう時にまで、気配に敏感にならなくてもいいのに。

                    *

「あはは、ゴメンゴメン。やっぱあたしって、寝転んで本を読んでたりすると、すぐに眠くなっちゃうみたいでさー」
「…………」
(はぁ……)
 それから、程なくして起き上がってきたリコリスにいつもの肩揉みをしてもらいながら、ベッドに腰かけたままで溜息交じりにひじをつくわたし。
 読書したら眠くなる自覚があるくせに、こまめに書庫通いなんてしているんだから……。
「…………」
(……やっぱり、退屈させているのかな……?)
 まさか、あそこの書庫長と浮気してるってわけでもないんだろうけど……。
「でも、魔王宮の書庫ってさ、けっこー面白い書物が多いよねぇ?フルールちゃんに頼んだら、いつでも探すの手伝ってくれるし」
「…………」
 ……あれ、やっぱりちょっと怪しくなった?
(いやいや……)
 フルールにヤキモチだなんて、いくらなんでもみっともないけど……ただ、わたしよりもリコリスと一緒にいる時間が長くなっているのなら……。
「…………」
(……いやいやいや……ん?)
 それから、ちょっと不穏になりかけた思考を振りはらおうと、首を横に何度か振ったあとで、ふと視線の先にリコリスが抱いて眠っていた本が目に入り、なんとなく手にとってみるわたし。
(そういえば、さっきまでなんの本を読んでたんだろ……?)
 しかも、いくつかのページには付箋が貼られているみたいだけど。
「…………」
 とりあえず、パラパラとめくってみると、どうやら帝都から遠く離れたクラレット地方に関する地図や、挿絵入りの地理情報が記された書物みたいだった。
「あーそれ?こっちにいる間に見物してみたい場所をピックアップしてんの。……ってゆーか、まずは各地にある街とか有名スポットとかをひと通りチェックするつもりだったんだけど、どうやら魔界って思ってたより遥かに広いみたいでさぁ、情報集めが終わんないったらありゃしない……ふぁぁ……っ」
 そこで、さっきまで読んでいたらしい書物を斜め読みするわたしにそう告げると、かぎ状に曲げた指で肩から背中を軽く叩いて刺激しながら、あくびをかみ殺すリコリス。
(ふーん……)
 なるほど……。んじゃ、書庫通いはそのためなんだ。
 ちなみに、クラレットはセヴィリア侯爵家が治めている、大陸の三番目に大きな規模を誇る湾岸都市の一つで、有名な観光地も多いだけに、旅行先としても人気というのは聞いたことがある。
 一応、わたしが生まれたすぐあとで、父(とと)さまが見せびらかしに魔界全土を回ったらしいから、物心のついていない時に行ったことはあるのかもしれないけど、記憶にはぜんぜん残っていなかった。
「…………」
(でも、たしかにちょっと綺麗な場所多いよね……)
 クレスト海で獲れる特産品を使った当地の料理もすごくおいしいらしいし、さすがいいところに目をつけてる、かも。
「んでさ、付箋を貼ってるのはゼヒに行ってみたい場所なんだけど、ただちょっと遠いんだよねぇ。自分の翼で飛んでいくとしても、日帰りで回って帰るのは、どう考えても無理だし……」
 そして、いつしかわたしも見入ってたところで、苦笑い交じりにそう続けてくるリコリス。
 たしかに、クラレットは帝都からだと馬車から近くの港町で船に乗り継いで三日くらいかけて行く場所だから、ちょっと気軽に行ってこられるような観光地じゃないけど……。
(ああ、そっか……。リコリスって元々、魔界見物のためについて来たんだよね……)
 でも、結局はわたしが何だかんだと魔王宮へ閉じ込めてしまい、それもままならない状態にさせているみたいだった。
 ……しかも、従属の首輪こそ外したものの、今度は秘宝庫から引っ張り出した、どういうものか良く分からないけど綺麗でペアになっていた指輪なんて押しつけてるし。
「…………」
 だから、リコリスへ差し出すべき本当の褒賞は古びた指輪なんかじゃなくて、彼女がこの魔界でも自由に飛び回れるように取り計らってあげるコトなんだろうけど……。
「…………」
「はい、本日のマッサージ終了♪……って、プルミっちゃん……?」
(……でもやっぱり、わたしはリコリスとこうしていたいよ……)
 それから、リコリスから日課の終了を告げられたあとで、まだ物足りないとばかりに相手の胸元へ擦り寄るように背中を預けてゆくわたし。
 ……だって、ワガママなのは自覚しているけど、わたしにとってはリコリスとこうしてふたりきりで過ごす時間こそが、魔王のお仕事をガンバれる何よりのごほうびなんだから。
 そのために、以前はここへ常駐していたメイドたちも、フローディアに命じてわたしが必要としてるときだけ来るようにしてもらっちゃったし……。
(ワガママ、か……)
 まったく、こういうときに限ってワガママな自分が出てしまうなんて、なんとも皮肉な話である。
「……んでさ、ものは相談なんだけど……」
 ともあれ、罪悪を感じながらも幸せの時間を噛みしめていたわたしへ、やがてリコリスは後ろから抱きとめてくれたまま、遠慮がちに話を切りだしてくる。
「…………」
(ほら、きた……)
 やっぱり、そろそろいい加減に開放してくれといってくるかな?
「魔王サマに休暇とかあるのかは分かんないけど、あたしと一緒にクラレット行かない?」
「…………っ?!」
(えっ?!)
 ……と、思っていたら、そのあとでリコリスから続けられたのは、意外な申し出だった。
「やっぱ、あたし一人で行ってもちょっと心細いし、なんかつまんないしさぁー」
「…………」
(でも……)
 誘ってもらえたのはすごく嬉しいんだけど、残念ながら今のわたしには、もうのんびり旅行する時間なんて……。
「……ん?やっぱり、そんなお休みは取れないって?」
「…………。(こくこく)」
 そこで、申し訳なさと残念な気持ちをめい一杯込めつつ目で訴えるわたしに、リコリスはすぐに理解してくれたものの……。
「へっへっへ、そこは思い切ってサボっちゃおーよ?」
「…………?!」
 すぐに、悪の道へ引きずり込もうとする誘いを続けてきたりして。
「……っていうかさー、戻ってからのプルミっちゃんって、いい意味でワガママになったって言われてるけど、あたしから見れば、まだけっこうムリしてる様に見えるんだよねぇ」
「…………!」
 あ、リコリスも分かってくれてたんだ……。
「だからさ、あたしが本当のワガママな振舞い方ってのを教えてあげるから」
「…………っ」
(あはは、なにそれ……)
 フローディアが聞いたらすごく怒っちゃいそうだけど……でも、なんだかステキな響き。
「……ね、ちょいと二人で悪いコちゃんになってみない?」
「…………」
(たしかに、それも面白いかも……)
 というか、魔王なんだから悪いコちゃんで当たり前なんだろうし。
 逆に、リコリスの方こそいいのかなって思うけど、むしろこれからわたしの方が魔王として勇者を染めていくというのも、なんだかゾクゾクしちゃうような。
 ……よし、決めた。
「…………。(こくん)」
 もう二度と首輪は着けないけれど、いつしか罪悪感なんて感じなくなるくらいに、わたしから離れられないようにしてあげる。
「よーし、そーこなくっちゃね。……んじゃ、約束の証にちゅーでもしてあげよっか?」
 そこで、わたしがとびきりの笑みを見せながら頷いたのを受けて、さらに調子に乗ってくるリコリス。
(あはは、やっぱりそうくるんだ……?)
 もちろん、いまさら断る理由もないんだけど。
(でも、どうせなら今宵はもう一歩だけ……)
「…………。(ふるふる)」
「だめ?……え……?」
 それから、わたしは軽く首を横に振ったあとで、いったん自分から離れて向きを変え、きょとんとしながら出方をうかがう、いとしい人の頬へ改めて両手を添えると……。
「……あ、プルミっちゃんからしてくれるの?そーいえば、キングレイズでのご褒美もまだだったっけ」
「…………。(こくっ)」
 そうね……それも含めて……。
「…………」
(ん……っ)
「…………?!」
 そのまま、わたしは自分の顔を近づけ、最初はほっぺたにすると見せかけつつも、先ほど食べ損ねたリコリスの唇と重ね合わせて、記念すべき最初の口づけを与えてあげた。
「…………」
「…………」
「……プルミっちゃん……もう、不意打ちなんてズルいよ……」
「…………♪」
(んふふ、ごちそーさま♪……あと、光栄に思ってね、リコリス?)
 たしかに、わたしはまだ本当の意味で「もの言えぬ魔王」から抜け出せていないかもしれないけれど……。

 コンコン

「プルミエ様、そろそろ夕食の御用意が……」
「…………」
「……あら……?」
 それから、空気の読めないタイミングでフローディアが扉を叩きながら夕食の案内に戻ってきたものの、わたしはリコリスに迫ったまま左手だけを伸ばして、入ってこられないように魔力で封をしてやる。
(今はいいトコロだからダメ。まだ、もうちょっとだけ……)
「……あはは、早速悪いコちゃんになるんだ……?」
「…………。(こくっ)」
 覚悟してもらうからね、リコリス。
 少なくとも、あなたの前でだけは、わたしは既に「もの言わぬ魔王様」なのだから。

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