Phase-0:インプリンティング
「はっ、は…っ!」
わたしは全速力で駆け出していた。
既に目指すゴールは視界に入っているのに、なかなか辿り付けないもどかしさを感じながらも、両肩で風を切り、正に飛ぶが如く。
「はぁっ、はぁ…っ」
正確な距離感が掴めていない所為か、ペース配分も伴わないままで自慢のツーテールを激しく揺らせながら全力疾走を続けるわたし。既に息も切れかけているものの、心理的にはとても歩を緩める気にはなれなかった。
だって、このままだと…。
「いや〜ん、遅刻しちゃうぅ〜っっ!」
ううっ、この台詞だけは言いたくなかった。
食パンこそくわえていないけど、これじゃ殆ど古典少女漫画の世界である。
…とはいえ、いきなり初日からの遅刻だけは避けたいというのは、転校生たる者としての偽らざる本音だろう。
(別に寝坊したわけでもないのに〜っ)
事前によく下見をしておかないからそうなると、帰ったら母上にそう突っ込まれるだろうなと思いながらも、わたしはひたすら駆けっていた。
(だったら、手続きの日には車じゃなくて電車と徒歩で来れば良かったのよ…っ)
要は手続きの為に初めて来校した際、帰りに車で道順を確認しただけだったから、徒歩での所要時間に関しては大体こんなもんだろう程度でしか把握してなかったワケで。
…そして案の定、乗るべき電車を一本間違えてしまった。
こんな事なら、昨日でも往復してみるか、あの時にせめて帰りだけでも1人で戻ってみるべきだったかなーと思うものの、全ては後の祭り。
(まぁ、道理で同じ制服姿をあまり見ないなーとは思ったんだけど…)
しかし、今更悔やんでも仕方が無い。どうせ明日からは間違えないだろうから、問題は今日のピンチを乗り切る事である。
「はぁ…っ、はぁ…っっ」
(あともう少し…っ、あの角を曲がれば…っっ!)
ともあれ、最寄の駅から走り続ける事十数分。ようやく到着が見えてきたわたしは、一気にラストスパートをかけた。
既に呼吸するたびに胸が痛むけど、それでもゴール前と思えば最後の力も湧きあがってくるというものであって。
「よーし、ギリギリ間に合…うわおっ?!」
「…………っ?!」
どんっっっ
しかしそれからすぐ先にある曲がり角に差し掛かった瞬間、不意に前方からの強い衝撃でわたしは弾き返されてしまった。
「つ…ぅっ?!」
なに…っ?こっちの通りはバリアでも張ってるっての?
「…あたたた…ん?」
そして、派手な音と共に尻餅を付いたまま、目の前でぐるぐると回る星を掻き分けて前方を確認すると、わたしと同じく地面に座り込みながら、痛そうに頭を抱えている少女の姿が目に映る。
「あ……」
どうやら、弾き返されたんじゃなくて、人に激突してしまったらしい。
しかもよく見ると、彼女はわたしと同じ制服を身に纏っているみたいで。
(…なるほど。お互い遅刻を賭けて突っ走っていた同士って所かな?)
そんな事を考えながらポケットから携帯を取り出して時刻を確認してみると、彼女の方は残りの猶予が5分少々、早めに職員室に来る様にと言われていたわたしの方は、最悪の遅刻だけは回避出来ても何かしらのお小言は免れないといった所だろうか。
「…っと、時間が無いんだった」
しかし、ここでいつまでもぼんやりしてると、それすら危なくなる。
そこでわたしはお尻を打った痛みを我慢して、転んだ拍子にスカートへ付着した埃を払いながら立ち上がるものの、目の前の女生徒は未だに呆然とした表情で座り込んでいた。
ついでに言うと、純白のパンツも見えちゃってるし。
「…………」
「…………」
いやまぁ、半分はわたしが悪いんだろうし、さすがに放っておく訳にはいかないわよねぇ。
「えっと、立てる…?」
という訳で、校門へ駆け込みたくなる衝動をひとまず抑えると、少女のすぐ目の前まで近づいて手を差し伸べ、無事を確認してみるわたし。
ここから外傷は見当たらないから、怪我はしてないとは思うんだけど…。
「…は、はい…何とか…」
すると相手もようやく我に返ったのか、彼女は小さく呟きながら頷いた後で、わたしの手を取ってゆっくりと立ち上がろうとしてきた。
ちょっと動きは弱々しいけど、どうやら大丈夫らしい。
「よかったぁ…。はい、これ。ゴメンね、急いでたから」
そして、わたしは女の子がしっかりと立ち上がったのを確認すると、今度は地面に転がったカバンを拾い、同じく埃を払いながら彼女に差し出す。
「あ、いいえ…私の方こそ…」
すると、女の子はカバンを受け取った後で上目遣いに微かな笑みを見せた。
「…………っ」
(…かわいい娘だなぁ)
その天使の様な笑みに一瞬どきんと胸を高鳴らせながら、その場で動きを止めてしまうわたし。
改めて見ると、衝突したその相手は長くて綺麗な髪に上品に整った顔立ちをした、同じ女のわたしでさえ思わず目を奪われる程の、可憐な美少女だった。
背丈はわたしより少しだけ高いみたいだけど、長身過ぎず全体的にプロポーションのバランスも良くて、正にお姫様という表現がぴったりというか。
これでわたしが男の子だったら、手を繋いだ瞬間に我を忘れて舞い上がっていたんだろうけど…。
「…………」
(ん……?)
そして同時に、可憐なお姫様の方もじっとわたしの顔を見ている事に気付く。
といっても、別に何らかの明確な感情を表情に宿してるという訳でもなくて、未だにぶつかったショックが消えないまま、ぼんやりと見てるだけという方が正しいかもしれないけど。
「えっと、わたしの顔になにかついてる?」
「…あ、いいえ…」
じっと見詰め合ってるのはお互い様なものの、このままいつまでも続ける訳にもいかないので、わたしの方から尋ねてみると、相手は視線を逸らせながら小さく首を振ってきた。
(むぅ、なんなんだろう?)
自己主張が苦手なのかもしれないし、何か言いたい事があるのなら根気強く尋ねてもいいけど、そんな時間は無い。
(ま、いいか…)
「そう…えっと、とりあえずゴメンね?急いでたから不注意だったかも」
残念だけど、お喋りもここまでかな。
わたしはもう一度携帯を取り出して、時刻を気にする素振りを見せた後で、小さく頭を下げながら沈黙を破る言葉を切り出す。
「い、いいえ…っ、私の方こそ…」
「あと、謝りついでにゴメンね?わたしが美少年じゃなくて」
「はい…?」
「あはは、何でもない。んじゃ、わたし急ぐから…っ!」
そして、ぽかんとした顔を見せるお姫様に苦笑いで誤魔化して話を締めくくってしまうと、わたしは踵を返して駆け出していった。
「…まぁ、女子校じゃあねぇ?」
美少年以前に、男子生徒そのものが存在しないんだけど。
まぁ、それはともあれ…。
「それでは新学期を迎えるにあたって、まず最初に新しいクラスメートを紹介します」
この新年度からわたしは親の転勤で生まれ育った町を離れ、新しい土地へと引っ越してきた。
2年生からの転入って事で、入学式には出席しなかったものの(というより、どっちでもいいと言われたので遠慮させてもらっただけだったりして)、窓の外では風物詩となる桜の花びらが舞う中で、わたしは新しい担任の広池(ひろいけ)先生に促されて、初めて足を踏み入れる教室の教壇の上に立っていた。
改めて意識してみると、何から何まで初物づくし。
たとえば…。
「一葉学園から編入してきました、姫宮 美由利(ひめみや みゆり)です。…よろしくお願いします」
(…おお…っ)
簡単な自己紹介と共に、わたしに降りかかる好奇の視線とか。
これだけ目立ったのもだけど、今まで通っていたのは共学だっただけに、40人近い女子生徒に一斉に見つめられるというのも初めての経験だった。
(ん〜、思ったより珍しそうな顔されてるなぁ…)
地元のお嬢様も多いらしいこの鳳仙学園は、小等部から高等部まで存在するエスカレーター式と聞いたから、こうして外部の人間が中途で入ってくるのは珍しいのかもしれない。
いずにせよ、わたしにとっても生まれて初めての転校、しかも女子校への編入ときたもんだ。2つも生まれて初めてが重なってしまい、意図的に見せている澄まし顔の内面でわたしの心は新しい環境への期待感ではなく、うまくやっていけるかの不安感で満たされていた。
「はい。では姫宮さんの席は壁側の列の開いてる席だから」
「あ、はい…」
それから、自己紹介が終わった後で広池先生に促され、周囲からの無言の注目を引き付けながらゆっくりと自分の指定された席に向かっていくわたし。
(…ここでいきなり歌って踊り出したら、みんなびっくりするかな…?)
いつまで経っても落ち着けない緊張感からか、思わずそんな突拍子も無い事を考えてしまうものの、普通に学園生活を送りたければやめておいた方が無難よね…。
逆効果で、明日から目を合わされない様にされても困るし。
(う〜〜っ…)
やがて、初めて自分の席に座った時に感じる何とも言えない違和感。教室内のレイアウトも支給された机と椅子も、前の学校で使っていた時のものと大差は無いのに、環境が変われば全く別物に見えてしまうから不思議である。
「んじゃ、他の人は去年からそのままで自己紹介は要らないだろうし、後は誰かが姫宮さんを案内するなり何なりして助けてあげて下さいね。では以上です。始業式に遅れないようにね?」
それから、広池先生はわたしの着席を確認すると、早々とショートホームルームの終了を告げて教室を立ち去っていってしまった。
(ちょっ、誰か指名してよぉ…っ)
職員室で会話している時から、良くも悪くも随分と大雑把な印象はあったけど、まったくもっておざなりな担任である。よそから来た転校生が、初日で初対面のクラスメートへ気軽に話しかけられるとでも思っているのだろうか?
「…………」
「…………」
「……はぁ」
やがて、ホームルーム後の体育館へ向かおうとする騒然とした空気の中で、わたしは案の定といった感じで取り残されてしまった。漫画とかで良くある、クラスメートがわたしの席を取り囲むという自体も起こるワケも無くといった感じで。
(ま、こんなもんよねー…)
最初は確かに注目を浴びたものの、所詮は何の変哲もない平凡な生徒が1人加わるだけの話なんだから。
それを改めて自覚すると同時に湧き上がってくる孤独感。これでしばらくは、自分の席だけがこの学園で唯一わたしの領域になる…。
とんとん
「はい…?」
「ごきげんよう…です♪」
…ハズだったんだけど、その沈黙はあっさりと破られてしまう。
不意に肩を突付かれて振り向くと、後ろの席のクラスメートがにっこりと微笑みながら、人懐っこくも澄んだ声で挨拶を向けてきた。
「ど、どうも…ごきげんよう…」
そこでお嬢様っぽい容姿からのイメージそのままというか、穏やかで上品な物事に釣られて思わずお辞儀をしながら挨拶を返すわたし。
…っていうか、どこかで見覚えがある…?
「あれ、もしかして…うわっ?!」
そして、該当する顔をすぐに思い出したわたしは、思わず声を上げて後ずさってしまう。
「うん。やっぱりさっきの人だ」
すると、こちらの反応で相手も確信したのか、彼女は満足そうにうんうんと頷いた。
間違いない。先ほど校門近くで駆け込もうとした時にぶつかってしまった女生徒だ。
こんな現代に生きるお姫様の様な美少女なんて、これまでの短い人生で見かけるアテがそう何度もあるもんじゃないし、簡単に忘れてしまうワケもない。
(……でも……)
「えっと…」
そこで、さっきはゴメンと言いかけたものの、あまりの偶然に思わず絶句してしまうわたし。
…というか、ここまでお約束が続いたら殆どギャグである。
(一体、いつの間にわたしはラブコメ体質を習得したんだろう…?)
いやまぁ、相手は女の子なんだけどさ。
「では改めて。私は桜庭 柚奈(さくらば ゆいな)。良かったら、柚奈と名前で呼んで下さい」
「あ、うん…よろしく…」
ともあれ、それから妙に嬉しそうな顔で自分の名前を告げる柚奈に押される様にして、わたしもぎこちない笑みを返す。
「せっかくのご縁ですし、今後は私が学園内を色々案内してあげますね♪…あ、ちなみに隣にいるのはお友達の茜(あかね)ちゃん」
「よろしくね。あたしの事も茜でいいよ」
「うん、ありがと…んじゃ、わたしの事も美由利で呼んで貰っていいから」
…まぁいいか。ともあれ、結果的にわたしは運良く初日で友人を作る事が出来そうだし。
だとしたら、喜劇みたいな今日の出来事も、素直に感謝すべきなのかもしれない。
「さて、話も尽きないとは思うけど、とりあえず移動しない?もうみんな出ちゃってるし」
「そうだね〜。それでは、まずは体育館までご案内ですね?みゆちゃん」
「あはは、よろしく」
(ん、みゆちゃん…?)
結果的に約束の時間より遅刻していきなり職員室でイヤな顔をされた事も、その代償と考えれば決して高いものではないはず。
…しかし…。
「次の時間は教室移動で視聴覚室なんですけど…一緒に行きます?」
「あ、うん。助かるよ」
「化学準備室ですか?ちょっと分かりにくい場所だから、案内してあげますね♪」
「うん…ありがと」
「あ、家庭科室?私も一緒に行きますよ〜」
「うん、いつもゴメンね?」
「いえいえ〜。みゆちゃんの為だから♪」
「今日のお昼は食堂なんだ?場所分からないだろうから案内してあげる〜♪」
「…いや、いい加減わたしが転校してきて半月くらい経つんだけど…」
この、初めて出来た柚奈というお友達が少しだけ変わった子だというのに気がついたのは、それから暫く経った後だった。
「ええ〜?!じゃあ、もう私は用済み?」
「あっ、いや。そんなんじゃなくて、案内が必要ないだけで別に柚奈が必要ないわけでは…」
「えへへ〜っ♪」
「こらっ、だからって必要以上にくっついてこないの…っ」
案内を口実に、何かと一緒に行動したがるのはまぁともかくとして、そのたびにいちいち密着しようと擦り寄ってきたりして、わたしはすっかりと戸惑いっぱなし。
通学路で衝突した時は静かで大人しい印象だったし、実際に最初のうちはわたしの側にくっついてるのは同じでも遠慮がちだったけど、次第に打ち解けていくにつれて馴れ馴れしさが加速度的に上昇してきていた。
「でも、これ位はお友達でも当然でしょ?」
「そ、そうなの、茜…?」
「う〜ん…多分そうかな?」
そして、いつもの様に腕にしがみ付かれながら確認するわたしに、茜は苦笑しながら曖昧な台詞を返してくる。
(本当なの、ねぇ?)
「ほらほら、郷に入りては郷に従わないと♪」
「…ああもう、だから首にまで手を回してこないのっ」
郷に入りてはっていうけど、そんなに友達同士で腕を組んだり、抱きついたりしてる様な光景は滅多に見ないんだけど。
「まぁまぁ、そうやっていちいち抵抗してた方が悪目立ちするわよ、みゆ?」
「うぐ…っ、認めたくはない正論が…」
ともあれ、わたしはほぼ一方的というか、なし崩し的に柚奈と仲が良くなってしまった。
まぁ、基本的な部分では親切で人懐っこくて頭も良くて、転校した後に初めて出来た友人としては申し分ないんだけど…。
「み〜ゆちゃん。一緒に行こ♪」
「ああもう、後ろからしがみつかれたままだと歩き辛いってばっ」
ただ、このスキンシップ過剰なのは何とかならないんでしょうかね?
…しかし、この程度はまだまだ序の口に過ぎなかった事を、わたしはすぐに思い知らされる事になるんだけど。
Phase-1:『柚奈』
1-1:悪魔と天使。
突然ながら、わたしは今人生最大ともいえるピンチに見舞われていた。
「…………っ」
一応これまでも噂とかニュースとかで見たり聞いたりはしていたものの、所詮は対岸の火事に過ぎないと思っていたのに。
(う、嘘…っ、悪い夢…じゃないよね?)
これはそんな無関心な人間に対しての天からの試練なのか、はたまた被害者に選ばれてしまうこの美貌を恨むべきか。
(う〜〜っ、そんなコト考えてるから天罰が下るのかも)
…いや、現実逃避をしている場合ではなくて。
さわさわさわっ
(ひぃぃぃぃぃっっ?!)
とにかく、現在わたしは世間一般で言うところの、「痴漢行為」に遭遇していた。
まさか生まれて初めての電車通学、はたまたラッシュアワーというものを体験して一ヶ月あまりでこんな災難に遭遇するなんて…。
(ああ神よ、わたしを見捨て給うたか)
…いや、元々そんなに信じちゃいなかったけどさ。
さわさわさわさわっっ
(く…あっ、ダメだってばぁ…っっ)
最初はただ偶然に当たっただけかと思った。
足の踏み場も無い程とまでは言わないけど、自分が立ってるスペースを確保するのがやっとの混雑の中で揺れる乗り物に乗ってるんだから、時には不可抗力だってあるだろう。
しかし、わたしに突然触れた指先は、それから後も明らかな意志を持って太ももやお尻を撫でてきている事に気付かされると、全身が一瞬で凍り付いてしまった。
(ひっっ)
そして、恐怖で動けなくなったわたしに触れる手は、まるで感触をじっくりと楽しむ様にして表面を這いまわっていく。
「……く…ぅっ」
(ど、どどどうすればいいの…っ?)
一応逃げなきゃと思いながらも、未知の衝撃体験だけに抵抗よりも頭の中がすっかりとパニック状態になってしまい、焦りまくる心とは裏腹に身体の方は動けないままでいた。
どの道、現にすし詰めになった今の車内状況では、逃げ出したくても無理なんだけど…。
(もう…やめてよぉ…っ)
やがて、わたしが抵抗しない事に気を良くしたのか、その手はスカートの下に潜り込んでショーツ越しに直接触れてくる。
(あ、やだぁ…っ)
こんなコトなら、スカートの下にスパッツでも穿いてくれば良かった?
いや、そういう問題じゃないか。
「…っ、く…っ」
ともあれ、次第に遠慮が無くなるというか図々しくも大胆になってくる手の動きに、唇を噛みながら声が漏れそうになるのを我慢するわたし。
でも、このままだと更にエスカレートしてくるかも…?
(…ダメっ、勇気を出さないと…)
怖いけど…ここで為すがままになる方がイヤ過ぎる。
これから当分は電車で通学するんだから、いきなりヘンなトラウマなんて作りたくもないし。
「くぅ…っ、やめて下さい…っ!」
わたしは乙女の意地とばかりに気持ちを奮い立たせると、強引に身体を振り向かせながら、相手の腕へと向けて手を伸ばした。
「あ……」
(細腕…?)
そして、勇気を振り絞って掴んだ不埒者の手は、掴まれた相手よりこちらが驚いてしまう位の、真っ白でか細い細腕だった。
しかも、よく見ると…いや、良く見なくてもわたしと同じ制服を着てるし、その顔も見覚えがあったりして…。
「ってゆーか…」
「あ…じゃないでしょ、柚奈〜〜っっ」
…そう。意外にも、わたしにとっての人生初痴漢をはたらいた不届き者は、つい一月ほど前に知り合った友人だった。
まったく灯台下暗しとはこの事…。
(そうじゃなくて…)
「あはは、バレちゃった。てへ♪」
「てへ♪じゃないっつーの」
自分で頭をこつんとさせながら可愛く舌を出しても許されませんぞというか、どうしてここにいる?
「ったく、一体どーいうつもりよ…?!」
そもそも、友人に満員電車で痴漢行為って意味わかんないんですが。
しかも、女の子同士で。
「どーいうつもりと言われましても…そこは狭い中でみゆちゃんと密着してるうちに芽生えた欲望の赴くままに♪」
「…………」
しかし、大声で騒ぎ立てたりはしないものの、不快感を隠そうとせずに睨むわたしに対して、にっこりと無邪気な天使の笑みを見せる柚奈。
まったく、外見からは被害に遭う様な事はあっても、間違っても痴漢を働くような人物には見えないところが厄介極まりない。
「欲望て…普通、友人相手にムラムラする?しかもこんな所で」
「だって、みゆちゃんのお尻ってすっごくかわいいし♪それが電車でふりふりと揺られてると、ついつい誘われる様に…」
「…そりゃどーも。大体、柚奈が電車通学だなんて聞いてないわよ?」
しかも、確かわたしの記憶によれば柚奈の家は逆方向のはずだから、仮に今日は何らかの事情で通学形態を変えたとしても、この電車に乗っているのは基本的にありえない。
「うん。いつもはバスで通ってるから」
「んじゃ、何で今日はわざわざこの満員電車に乗ってるのよ?慣れない電車に乗って乗り過ごしたの?」
いや、実際にそうでもしなきゃこの列車に乗ってるって事がありえないんだけど…。
まさか、わたしに痴漢する為だけにワザワザ遠回りして同じ電車の同じ車輌に乗りつけたとでもいうのだろうか?
「ん〜。今朝はいつもより随分早く目が覚めちゃったから、一緒に行けないかな〜って」
「なら、メールでも送ってきて待ち合わせすればよかったじゃない?」
「だって、それだとこっそりみゆちゃんに触れられ…ううん、なんでもない♪」
「…………」
予想的中。
(…う〜っっ、頭が割れるように痛い…)
別に風邪を引いてる訳でもないのに、目眩を感じられずにはいられないわたしだった。
「ったく、朝っぱらからしょーもないコト企んでるんじゃないわよ。そんな事の為にワザワザ満員電車に入り込んでくるなんて…」
まったく傍迷惑な行動力というか、転校初日で邂逅を果たしたお姫様がこんなアホの子だったとは、まだ付き合いが一月も経過してないのに、すっかりとわたしの初期イメージは覆されてしまっていた。
「窮屈なのは仕方がないと覚悟してたけど、でも連絡なしでみゆちゃんの側に来れたのは本当に偶然なんだよね〜。これってやっぱり神様の思し召しだったりして?」
「ああそーですか。そりゃ奇遇でございましたねぇ…」
そして、そんな柚奈を健気と感じたのか、どうやら神様はわたしに味方してくれる気はないらしい。
もっとも、柚奈の場合はたとえ神に嫌われても何処吹く風なのかもしれないけど。
「とにかく、女同士だからって痴漢の真似事はやめなさいっての。迷惑行為で補導されちゃうわよ?」
「んじゃ、正々堂々とお願いしたら触らせてくれる?」
「そーいう問題じゃないっっ。…ったく、どうやったらそんな図々しい思考に結びつくのよ」
「だって、みゆちゃんにイタズラしていいのは私だけだし〜♪」
「わたしゃ了承した覚えは無いぃぃぃぃっっ」
ぐににっ
その開き直りで堪忍袋の尾がブチっと切れたわたしは、今まで恐怖心と共に溜まったストレスを込めて、ギリギリと柚奈の口元を横に引っ張ってやる。
「ひ、ひたひ、ひたひよ…」
「おしおきなんだから、痛くなきゃ意味ないでしょーがっ」
「う〜っ、れもれも、あいりょう行為らもんっ、あふぉびじゃらいもんっ」
「そんな愛情行為いらんっっ」
「ふがふがふが〜っ」
(…ちっ…)
というか、悪ふざけのつもりじゃないってのは余計にタチが悪い気はするんだけど…。
「…………」
「…ったく、もう…」
しかし、伸びきった口から真顔で本気と訴える柚奈に何だか脱力してきたというか、次第に締める力が抜けていくのを感じたわたしは、溜息と共に適当な所で手を離してやった。
「う〜、顔の形が変わってしまふ…」
「人、それを因果応報と言うの」
それからようやく開放され、痛みで両頬を抑えながらブツブツとそう呟く柚奈に、視線を逸らせたまま素っ気なく返してやるわたし。
この程度で済ませてもらえたのを有り難いと思いなさいというのもあるし、少々歪んだくらいで学園随一とも呼ばれてる柚奈の美貌は損なわれたりしないだろう。
…つまり、色んな意味で勿体無いというか、残念な子ではあったりして。
(まったく、何なんだか…)
それでも、好かれてるって事はやぶさかでも無いのか、何だか憎めないわたしもいた。
だから、こういうセクハラまがいな事をされた時もついつい甘くなって本気で怒れない…。
「…ところで、みゆちゃん?」
「何よ?」
「濡れちゃった?」
「満員電車の中でナニを聞くーーっっ!!」
…前言撤回。わたしは瞬間的に怒りが再燃すると、もう一度柚奈の頬を手加減無しで力の限り引っ張ってやった。
「ひたぃひたぃ〜っ!今度こそ口裂け女にひゃる〜っ」
「化けて出てきたら、『それ程でも』って答えてあげるわよっ」
「あうううう〜っっ」
…拝啓、親友の絵里子へ。
転校してからそろそろ一月余りが経とうとしていますが、わたしの新しい学園生活はここにいる新しく出来た友達(?)、柚奈のお陰で非常に慌しい日常が続いています。
共学から女子高に変わった事で、色々とカルチャーギャップを感じる事も少なくはないんですが、その中でも顕著に知らされてしまったのは、女の子の外見と内面は意外なまでにシンクロしていないという事です。
とりわけ、この柚奈は外見こそ清純派のお嬢様という雰囲気を漂わせてる癖に、どーして内面の方は慢性発情娘というか、ピンク脳のド変態さんなのでしょうか?
絵里子、あなたも実はわたしの知らない本性があったのではないか。そんな疑心暗鬼すら感じさせる今日この頃です。
ともかく、まだ新生活は始まったばかりだと言うのに…。
「この先が思いやられて仕方が無いですっ、ええっっ」
ぎりぎりぎりぎり
「ひたぃ、ひたぃ、ひたぃ〜っっ」
わたしは苛立ちの赴くまま、目的地に着くまで柚奈の小さなお口を拡張しまくってやった。
1-2:仕方なくない。
「…ったくもう、柚奈の奴は…」
「あははは、そりゃ災難だったわねぇ」
やがて、昇降口をくぐった後で職員室に用事があるという柚奈と別れた後、自分の席について溜息を落としながら愚痴るわたしに、やってきた茜が他人事の笑い声を返してくる。
「笑い事じゃないってば…」
こっちは本気で怖かったというのに。
まぁ、冷静になった今になって思い返せば、確かにあの柔らかくて繊細な手の感触は女の子のものなんだけど、だからって別に同性ならOKという訳でもない。
「ま、柚奈もひと目惚れって事で浮かれ気味ってのもあるんだろうけど、あの子なりの愛情表現って所かしらん」
「それ柚奈も主張してたけど、何でもかんでも愛情表現って言葉で片付けないでよ…って…」
「…はい?ひと目惚れ??」
それから、他愛も無い会話の中に聞き捨てならない単語が出てきていたのに気付き、思わず顔を上げて尋ね返すわたし。
「おろ?もしかして気付いて無かった?」
「…初耳よ」
(ひと目…惚れ?ひと目惚れって、あのひと目惚れ??)
すると、意外そうな顔で答える茜にわたしは素っ気無く呟き返すものの、静かな言葉とは裏腹に心の中は動揺しまくっていた。
「あらら、みゆって結構鈍いタイプだったのね。柚奈も苦労するかしら?」
「そ、そもそも、何だってわたしなんかにひと目惚れするのよ?」
ただ一箇所を除けば、ほぼ理想通りのお姫様なのに。
静かにしている時は、友達としても何だか不釣合いかなと気後れする時もあるってのに、恋愛感情まで持たれているとしたら、性別の問題を除いたって「なぜ?」という言葉でしかリアクションのやりようが無かったりして。
(…あ、いや…もしかして…)
「ん〜、何か運命の出逢いがどうとか言ってたわよ?」
「ぐあっ」
やっぱり、転校初日の時のあれか…。
確かに、あまりにも古典的でお約束な出逢いではあったけどさぁ…。
(…だからって、それだけで無条件に人を好きになれるものかな?)
雛鳥は最初に見た者を母親と思い込むと言われてるけど、それと似たようなものだったり?
「ん?やっぱり思い当たるフシあり?」
「ありというか、なんというか……はぁ…」
ともあれ、何となく納得出来てしまったわたしは、思わず深く溜息を吐く。
これで、今朝の柚奈の主張の裏付けは出来てしまった訳で。
(遊びじゃない、か……)
まったく、困ったもんだ。
「ホントに今まで何も感じなかったの?」
「いや、そりゃまぁ…初めて会った日から、妙にベタベタとしてくるなぁとは思ってたけど」
でも、女子校って案外そんなものかもしれないと思っていたのも確かだった。
やっぱ前が共学だっただけに、女子高って響きだけで随分と異世界的なイメージを持っていても仕方が無いわよねぇ?
「なんだ、それでみゆも嫌がったりしないから、早々と相思相愛のカップル成立かと思ってたのに」
「〜〜っっ」
しかし、今回はどうやらその所為で早合点してしまった様である。
思わずがっくりと頭を落としながら、わたしは自分の浅はかさを後悔してしまう。
「…そりゃあさ、柚奈はここに来て初めての友達だし、わたしとしても邪険にして嫌われたくないっていう気持ちはあったけど」
実際、そのお陰で今話している柚奈の親友である茜や、他のクラスメートにも早くとうち解けさせてもらったんだけど。
というか、普段から笑みを絶やさず人懐っこい柚奈はクラスの人気者でもあった事だし。
(つまり、別にわたしの行動そのものは間違えてないワケだ)
それでも、困った状況になっている事に対して因果があったとすれば…。
「…あの時に出逢ってしまったのが、柚奈だったという事か」
そして、再びがっくりと頭を落とすわたし。
よりによって、女の子にひと目惚れしてしまうお姫様だったとは。
「何か自己完結したみたいね〜」
「…まぁいいけどね、別に」
覆水盆に帰らず。
「ほほう。んじゃ、改めて柚奈の熱愛を受け止める覚悟が出来ましたか?」
「違うってばっっ」
「んじゃ、何がいいの?」
「現実は現実として受け止めろって事で、自分を納得させただけよ。とりあえず、気付いていない振りをするのはやめとこうかなと」
少なくとも、友達相手に嘘で固めた関係ってのはゴメンだしね。
「うむ、なかなか殊勝な心がけね。ならば、あたしはせいぜい親友として柚奈の恋路を応援してやりますか」
「…しなくてもいいってば。というか、友達以上の関係になるつもりもないし」
そこで、なにやら楽しい事でも始まりそうな目で見る茜に素っ気無く肩を竦めて見せるわたし。
二人して何処かズレてる部分があるというか、長身でスポーツ少女らしく一部分を除いて無駄のない引き締まった身体つきにショートカットが似合う凛とした顔立ちの茜は、柚奈とは対照的な同性からの人気を特に集めそうな王子様タイプで、実際に女の子から常時ラブレターを貰ってる位にモテモテだからか、女の子同士って根本的な問題への意識は無いのかもしれない。
「でもまぁ、このままだとみゆが諦めて受け入れない限り、熱烈アピールはずっと続くんじゃない?」
「…いや、わたしはどっちでも変わらないと思うけど」
むしろ、更にエスカレートしそうな気もしないでもないというか、人目を忍ぶよりもバカップルっぷりを他人に見せつけるタイプに見えるしね。
「ふむ。それもそーね」
「納得しないでよぉ〜っっ」
いずれにせよ、わたしには逃げ道は無いって事になったりして。
「はぁ…何か朝っぱらからもう疲れたよ、わたしゃ…」
登校前の騒動の疲れと合わせて、なんだか身体がぐったりと脱力してきたわたしは独り言の様に呟き、今一度溜息を吐いた後で机にうつ伏せになる。
(まぁいいや。別に今すぐ解決しなきゃならない問題でもないし…)
今は何も考えないでHR始まって名前呼ばれるまで、このまま…。
「…………」
ふぅぅっ
「ぎにゃぁぁぁぁぁっ?!」
自然と意識が沈みかけた微睡みの中に身を委ねようとした瞬間、耳元に生暖かい風が吹き込んで思わず悲鳴をあげてしまう。
「柚奈ーーーーーーっ!!」
「あれ〜?今のタイミングなら茜ちゃんを疑うと思ったのに。やっぱり、みゆちゃんもいつも私のコトばかり考えてくれてたりしてる?」
そして、殆ど反射的に振り向きざま犯人の胸ぐらを掴んで名を叫ぶわたしに、全く悪びれる素振りも見せずに笑みを見せる柚奈。
「違うわよっ!ていうか、茜がそんな事するかいっ」
「え〜?そんな事ないと思うけど…」
「大体、世の中の女子高生全てが、あんたみたいなセクハラ…」
つーーーーーーーーーっ
「ひゃああああああっ?!」
しかし、全ての台詞を言い終わる前に、今度はぞわぞわとした感触が背中から腰の辺りにかけて走り抜け、わたしは再び悲鳴をあげさせられてしまった。
「お〜〜っ、さっきといい、なかなかいい反応してくれるわね」
「でしょでしょ?感度良さそうだよね〜?むふっ♪」
「あ、あんたらぁ…」
く…っ、所詮は茜も柚奈と同じ穴のムジナなのか。
(う〜っ、いきなりとんでもない連中と知り合いになってしまった…)
と、思わず天を仰いでしまいそうになるわたしなものの…。
(…ただそれでも、一人きりよりはマシだと思えるところがわたしの弱みなんだよね…)
わたしも、知らない土地で一匹狼を気取っていられるほど強くは無い事は自覚してる。
だから、弄られっぱなしでもそれが好意の裏返しならば、不安と孤独感に苛まれながら細々と学園生活を送るよりはまだ救いが…。
「そういえば、電車の中ではどうだった?」
「くふふ、必死で声を殺しながら小さく身体を震わせて可愛かったよ〜」
「いいわねぇ。あたしも今度試してみようかしら」
「…………」
あったかどうかは、卒業式の日にゆっくり考えるとするかしらん。
1-3:選択の自由。
世の中は常に選択の連続である。それは一生を左右する重要な選択もあれば、どっちを選んでも大勢に影響はないものも数多く存在する。
しかし、その中でも厄介なのは選ぶ当時はどっちでも良さそうなのに、後で思わぬ影響を与えてしまうという選択肢だとわたしは思う。
入学の手続きを済ませる時に尋ねられた美術か音楽の選択科目。わたしにとってはその当時は比較的どうでもいい事だった。
別にどちらかが特に好きとか得意って事も無かったし、少なくともわたしの一生を左右する様な選択ではない事は確かであって、今もそれは変わらないだろう。
しかし、それでも今になってわたしはその選択に対して後悔の念を持つ羽目になってしまった。
何故かと言えば…。
「み〜ゆちゃん。一緒に美術室に行こ♪」
…この通り、柚奈と選択科目が一緒になってしまったという事だった。
「はぁ……」
せめて音楽を選んでおけば、この時間だけは平穏が訪れていたというのに。
別に柚奈と一緒なのがイヤなわけじゃないけど、さすがに四六時中付きまとわれていれば疲れを感じる時もあるというもので。
「みゆちゃん、何だか疲れてる?」
「まぁ、考える事が色々あってね…」
「それにしても、選択科目が一緒だなんて奇遇だよね〜♪」
「いや、わたしは別にどっちでも良かったんだけどさ」
実際、前の学校ではわたしは音楽を選択していたし。
ただ、その時の音楽の先生が性格悪い上にヘンに目をつけられてロクな思い出が無かったから、何となく美術にしたというだけである。
(くそっ、あの性悪教師め。転校した後もなお災いをもたらすとは…)
今度、お礼の手紙と偽って不幸の手紙でも送りつけてやろうかしら…。
「んじゃ、みゆちゃんは音楽にあまり興味は無し?」
「んー、ピアノなら昔少しだけ習ってたけど」
といっても、わたしの場合は自分がやりたかった訳でも無く、母親に半ば強制されて始めたものだけど。
「奇遇だね〜。私も習ってたんだよ♪」
「ああ、そうなんだ?」
「うんっ♪きっとこれも、私とみゆちゃんとの結ばれた因果の為せる所業よね〜♪」
「たかがピアノ習ってたくらいで何を大袈裟な…」
この調子だと、ほんの小さな共通点があっただけでも運命か何かだと言い出しそうね、こいつは。
…まぁ、確かに柚奈との出逢いそのものが、笑っちゃう位に偶然の連続ではあったんだけどさ。
「それで、みゆちゃんはどの位習ってたの?」
「元々やりたくてやってた訳でもなかったから、3年くらいで止めちゃった」
確か、ソナチネを卒業する位までは何とかこぎ着けた様な気がするけど。
「柚奈は?」
「私は始めたのが3歳位の時だから…え〜っと…」
「んじゃ、中途半端にやってたわたしに比べて腕前も相当なものだと?」
「あはは、そんな事も無いよ〜」
「…と本人は謙遜しているけど、実は柚奈様の腕前は中学の時に全国規模のコンクールに入賞して、高校受験時には音楽科のある有名校に特待生としてお誘いがかかった筋金入りだったりして」
すると、苦笑いを見せる柚奈の横から、茜の方が自慢げに横から口を挟んでくる。
「はえー、そりゃまた…」
同じ”習ってた”という表現でも、中身のレベルが違いすぎ。
10年近いキャリアの違いは伊達じゃないって事ですか。
「ううん、たまたまだよ。まぐれって奴」
「…むぅ。あくまで謙虚なところも本物っぽいわねぇ」
というか、柚奈の手先の器用さはつき合いが短いわたしでも充分思い知らされていた。
実際、休み時間にクラスメートの制服の綻びを直している所とかも時々見るし、細かい手作業とか凄く手際がいいし、情報の時間とかでタイピングする時に見られるしなやかな指使いは、長年ピアノの練習をしている人特有のものだ…と思う。多分。
まぁ、それを褒めた時に「だから、きっとみゆちゃんも満足させてあげられるよ〜?」と言って、手をわきわきと動かしながら妖しい視線を向けてきた時は、一目散に踵を返して逃げたけど。
「でもさ、だったらどうして美術を選択してるの?」
「ん〜。前はずっと音楽ばっかりだったから、今度は違うことをしてみようかなって」
「…ふーん」
ある意味建設的なのか、それともやっぱり折角の特技が勿体ないのか判断に困る答えだった。
「つまり家で習っているから、学校でまでワザワザやる気も起きないって事?」
「やってないよ?」
そこで更に掘り下げた質問の代わりに、自分なりの解釈した言葉を向けると、あっさりと予想外の即答が返ってくる。
「へ?」
「私さっき、『私も習ってた』って過去形で答えなかった?」
「あ、そういえば…」
「…………」
「んじゃ、今はやめちゃってるんだ?」
「…うん」
「勿体無いなぁ。今度わたしにも聞かせてよ?」
おそらく、柚奈はわたしが手の届かなかった遥か彼方の領域を修めてるんだろうから、何となく聞いてみたいかも。
今更、羨ましいとか妬ましいとかそういうのも無いだろうしね。
「そうだね…みゆちゃんが聞きたいって言ってくれるなら、また弾いてもいいかな」
すると、わたしの軽い切り返しに対して、何となく試すような言葉と視線を向けてくる柚奈。
「…………」
うーん。
この話題になってから微妙に柚奈のトーンが下がってるし、もしかしたら何かワケありなのかも。
「じゃ、お願いね。リクエストしたい曲もあるし」
…でも、とりあえずわたしには関係の無い事だし、触れるべき事でもないだろう。
そう判断したわたしは、柚奈の変化に気付かないフリをしたまま話を進めていった。
「分かった…なら、みゆちゃんの為に聞かせてあげる」
「…だけど」
「だけど?」
「出来れば、私はみゆちゃんのカラダを弾いてみたいたかなぁって…」
「…こら」
何をモジモジと乙女チックに顔を赤らめながら血迷った事を口走ってますか、この変態お嬢様は。
つううううっ
「きゃあっ?!」
「うん、みゆならさぞかし良い旋律を奏でてくれそうね」
「茜…あんたは〜っ」
「あは。色々想像したらむらむらしてきちゃった。ね、後で体育館裏にでも…」
「…いい加減にしないと、張り倒すわよ」
しかもこの二人の場合、あんまり冗談に聞こえない所が怖い所なんだよね…。
1-3:ひみつのスケッチ。
「はい。では予告していた通り、今日と次回はお互いをモデルにしてスケッチをして下さい」
「場所は校内ならば自由としますけど、他の授業の邪魔にならない様にね」
やがて教室移動の後で始まった授業開始早々、美術担当の春日(かすが)先生がそう告げると、「はーい」という素直な返事と共に、生徒達が散り散りに別れていく。
「…また生徒を追い出して、自分の作品に没頭する気かしら」
一応私立限定なのかもしれないけど、わたしの経験からいってこの手の科目の担当教師は純粋な教員と、アーティスト活動の傍らでやっている人達の2種類存在していた。
そして、後者のタイプは往々にして創作意欲と野望に燃えるクリエーターの卵が資金稼ぎにとやっている場合が多く、どちらかと言えば放任主義の傾向が強い。
まぁ、その分授業態度で細かい事はあまりとやかく言わないので、生徒にとっても楽な相手には違いないんだけど。
ともあれ、実は前の学校の美術の先生も資金が溜まったからと言って突然教師を辞めてパリに留学してしまったという前例を知っているだけに、この春日先生も似たようなタイプだろうというのは安易に想像できてしまうというか、現に生徒が居なくなった後で自分の作品を描いている事は割と周知の事実だった。
(…ま、いいけどね)
さて、そうなるとわたしも誰か相手を見つけないといけない訳だけど…。
「ねーねーみゆちゃん、一緒にやろ?」
しかし、春日先生が解散宣言をするや否や真っ直ぐにわたしの方へ飛んでくる柚奈の姿を見ると、辺りを物色する気も失せてしまった。
(…雛鳥が巣に帰ってくるみたいにやって来るわね、こいつは)
もしくは磁力でも働いているのか。
まぁ、さすがに魂が引き合ってるなんて言い出したら殴ってやるけど。
「ってこら柚奈、そんなに急ぐと危ない…」
がたがたっ
「うわわわっ?!」
…と、忠告しようとしたのも虚しく、わたしが言い終える前に柚奈の奴はびたーんと派手な音を響かせてリノリウムの床に身体を張り付かせてしまった。
「ああもう、別に逃げたりはしないからゆっくり来なさいって。危ないでしょうが?」
案の定というか、まるでお約束な展開に思わず苦笑いが漏れたわたしは、脱力感と幾分の愛おしさが混じった感覚を覚えながら、柚奈の転んだ所へゆっくりと移動していく。
ただでさえ美術室ってのは乱雑して危なっかしいというのもあるけど、こいつの場合は更に天性の運動オンチでもあった。
「あはは。みゆちゃんを他の人に取られちゃうのイヤだったし…」
「心配しなくても、今の時点だと気軽に頼めるのはあんたか茜しかいないわよ」
んで、件の茜はもうとっくに他の誰かと組んで出て行ってしまってるし。
「…………」
「…………」
「ちょっ、もしかして打ち所が悪かった?」
しかし、それから床に張り付いたまま、いつまでたっても起き上がろうとしない柚奈が心配になったわたしは、歩調を小走りに変えて駆け寄ると、頭上近くへしゃがみ込む。
「大丈夫?どこか痛む?」
「あは、痛いことは痛いんだけど…」
そして、そのまま覗き込む様にしてもう一度尋ねると、柚奈は倒れたままわたしの視線よりやや低い高さまで頭をもたげた後で、何やら心ここにあらずといった感じの曖昧な返事を呟いてきた。
「胸が潰れた〜っとか、お尻が割れた〜っていうお約束を飛ばすのも無しね?んで、結局どこが痛むの?」
「うん、それも言わないし、弁慶さんの泣き所をぶつけたから本当は涙が出そうな位に痛むんだけど、でも、別の意味でも涙が出そうというか…」
言葉には軽口を交えるものの、何だか様子がおかしいのが更に心配になってきたわたしは、怪我してないかと見回しながら質問を続けるものの、柚奈は相変わらず生返事を返しつつ、視線を別の所に固定させていた。
「はぁ?何ワケの分かんないこと言ってんのよ…って、さっきからどこを見てんの?」
「…ピンクと白のしましま…」
「はい…?」
「ぐふふ、怪我の功名…かな♪」
「え、わわわっ!」
そこで柚奈がイヤらしい口調でそう続けたのを聞いて、わたしはようやくこの変態お姫様の視線の先にあるモノに気付き、顔から熱を帯びさせながらスカートの裾を押さえて立ち上がるものの、時既に遅し。
「んふふ〜。ブラの方は体育の着替えで確認出来るけど、下の方はガードが固くてなかなかチャンスが無かったから、たまにはコケてみるもんだね〜」
「もう、ほんっっとにバカなんだから…」
つまり、話しかけても上の空だと思ったら、しゃがみ込んだ時からずっとスカートの中を覗いてたって訳ね。
「でも、せっかくあれだけの間近で見えたんだし、出来ればあの柔らかそうな土手に顔を埋めたりもしたかったかなーとか思ったりして」
「〜〜っ、いい加減起きないと踏み潰すわよ…っ!」
そして、この変態クラスメートが更にエスカレートさせた欲望を口走り始めた所で、わたしは沸騰した怒りに任せて踏みつける仕草を見せる。
「あは、ごめーん。…でも、みゆちゃんになら踏まれてもいいかも…んふっ♪」
「変態な上にドMですかい…」
いやでも、Mな人間が痴漢とかするとも思えないし、つまりどっちもアリって事?
(しかも、対わたし限定とか言うんじゃないでしょーね?)
実際、柚奈の本性(?)を知ってるのはわたしと茜だけっぽいし。
…とまぁ、それはともかくとして。
「まったく、油断もスキも無いんだから。要するに、さっきもなかなか起きあがってこないと思ったら、じっとチャンスを待ってたと?」
「正直に言うと、倒れたままみゆちゃんの方をちらっと見たらローアングルだったから、つい…」
「…………」
明日から、スカートを長くするかスパッツでも穿くとかの対策が必要かな?
もしくは、いつでも見られる覚悟をしておくか。
「まぁまぁ怒らないで。後で私のも見せてあげるから♪」
「そういう問題じゃないっての」
「…う〜、残念。せっかく今日はお気に入りのだったのに」
すると、どうやら誰かに見て欲しかったのは確からしく、わたしの素っ気無いツッコミに残念そうな顔で呟く柚奈。
「だったら、体育のある日にでも着けてくればいいでしょ?」
「うーん、だからって不特定多数に見せびらかすというのも抵抗あるし…」
「…まぁ、気持ちは分かるけど」
確かに、下着集めの趣味ってのは結構因果なものだった。見せて回るには恥ずかし過ぎるけど、でも誰かには見せたい気持ちがあるのも確かであって。
「んじゃ、意見が合ったところで今度見せあいっこしない?」
「そうねぇ。絶対に手を触れない、デジカメ持ち込み不可って誓約書を書くなら考える」
実際、わたしも前の学校の時は気に入った下着を買った時とかに幼馴染と品評会とかしていたけど、さすがに柚奈と二人っきりでするのは危険過ぎる。
「う〜っ、みゆちゃんのいけずぅ…」
「…やっぱり、最初からそれだけで済ます気は無いのね…」
いけずはわたしの台詞だっての、まったく…。
「それより、組んだ以上はさっさと始めるわよ?さっきから無駄な時間を浪費しまくってるし」
そう促した後でふと周囲を見渡すと、既に教室に残っているのはわたし達だけになっていた。
別にお題そのものは教室でも出来る類のものだけど、やっぱり春の陽気が誘っているのだろうか。
「それじゃ、私がいい所に案内してあげる♪」
「いい所って、別にここでも出来るんじゃない?」
というか正直な話、移動してる時間の方が勿体無くなってたりして。
「教室の外へ出かけていいって事は、逆に言えば先生はそれを勧めてるって事だよ?みゆちゃん空気読まなきゃ」
しかし、正論で却下したハズのわたしの台詞は、柚奈にばっさりと一刀両断されてしまう。
「…そういうものなの?」
「そういうものなの。ささ、お手を拝借〜♪」
「こ、こら、引っ張らないのっっ」
それから、これ以上は問答無用とばかりにわたしは右腕を掴まれると、そのまま教室の外へと引っ張っていかれてしまった。
*
「…んで、ここはどこ?」
「誰もいない二人きりの体育用具室だね♪」
やがて、辿り付いた先で真っ先に口にしたわたしの質問に対し、満面の笑みを浮かべて答える柚奈。
「…………」
正直、言いたいことは1つや2つではないんだけど…。
「柚奈、わたし達は何をすべきか分かっているわね?」
「お互いをモデルにしてスケッチでしょ?」
「うん、分かってるならいいんだけど…」
この際、時間も圧してきてる事だし、柚奈が目的を失っていなければ良しとしよう。
「んじゃまずは私が描くから、みゆちゃん脱いで?」
「うん。ちょっと待っててね、今準備するから…」
「…………」
「…って、ちょっと待て。何でわたしが脱がなきゃならないのよっ?!」
そして、言われるがままにスカートのジッパーへ手を掛けたところで、ふと我に返るわたし。
…あまりに当たり前の口調だったから、ついつい釣られる所だった。
「だって、あるがままを描きなさいって先生言ってたし…」
「誰も”生まれたまま”とは言ってないでしょーがっっ」
「んー、折角だからそっちに変更しない?」
「しませんっ。大体、ヌードスケッチを先生に提出する気?」
「大丈夫よぉ。ちゃんと肝心な部分は手書きでモザイク入れておくから♪」
「そおいう問題かぁぁぁぁぁっっ」
大体、そんなモノを美術室にでも展示された日には、転校2ヶ月目で再び転学届けを出さなきゃならなくなってしまう。
「…とにかく、時間があまり無いんだから真面目にやんなさい」
「え〜?私としては大真面目なんだけど…。というか、大真面目にみゆちゃんの裸が見たいです」
「それは真面目さの方向性が違うでしょ…。いいから、わたしの望む真面目さで進めてちょうだい」
「うん、まぁみゆちゃんがそう言うなら…」
「頼むわよ、ホントにぃ…」
いい加減、涙が出てきそうなわたしだった。
*
その後、授業開始から紆余曲折する事十数分、ようやくわたし達は課題に取りかかったのはいいんだけど…。
「…………」
「…………」
(…しかし、手持ち無沙汰よね…)
勿論、今はモデルをしてるんだから基本的に動いちゃダメなものの、会話が途切れたら途切れたで逆に違和感というか、落ち着かなさを感じていた。
きっと、普段は柚奈と一緒の時は静かに過ごしている時間が殆ど無いからなんだろうけど。
「…………」
一方で、柚奈の方は静まりかえった体育倉庫の中で鉛筆の音だけを小さく響かせながら、無言のまま真剣な目つきでスケッチを続けていた。
やる時はきちんとやるという性格なのか、それともわたしのスケッチする時間を考慮して手早く済ませようとしているのかは分からないけど、ようやく他の生徒の前で普段見せている優等生モードに入ったらしい。
「…………」
まぁ、決して悪い娘じゃないんだろうけど…。
いやむしろ、セクハラ魔人って部分以外では欠点の方が見つけにくいのも事実だから困る。
しかも、そのセクハラだって好意から来ているものだとしたら、あながち欠点とも断言出来ないかもしれないし…。
「…………」
『ま、柚奈もひと目惚れって事で浮かれ気味ってのもあるんだろうけど、あの子なりの愛情表現って所かしらん』
…と、真面目に作業を続ける姿を見つめながら、柚奈の事を改めて振り返る中、ふと今朝の茜の言葉を思い出してしまうわたし。
(ひと目惚れ、ねぇ…)
確かに、そうでもなきゃ柚奈の行動原理は理解不能だし、疑う気もあまり無いんだけど、それでも人から聞いただけではやっぱりピンとこない。
大体、何でわたしにってもう1つの疑問は全く解決してないしね。
(…ちょうど二人きりでいい機会だし、ちょっと問い正してみるかな?)
「ねぇ、柚奈?」
「…ん?」
「柚奈って…わたしの事、好きなの?」
「好きだよ?」
そこで、思い切って単刀直入な質問を向けてみるわたしに、視線をスケッチブックから離さないまま短い言葉であっさりと返してくる柚奈。
(…………)
いきなりのぶっちゃけ質問に少しは狼狽するかなと思ってたら、柚奈の奴は表情ひとつ変える事なく、当たり前の事でも聞かれた様に肯定してしまった。
「…えっと、それはどういう感じの好き?」
そのあまりの堂々とした態度に、むしろこちらの方が狼狽してしまうものの、それでも気を取り直して更に言葉を続けるわたし。
「ん〜、とりあえず誰も通りかからない体育用具室で二人っきりという雰囲気に乗じて押し倒しちゃいたいって感じ…かな」
「…聞くんじゃなかった」
「…………」
「…………」
「ちょっと待て、普通はそこで『あはは、冗談だよ〜』とでも答える場面でしょ?」
「ん?何が?」
「…いや、わたしが悪かった…」
本気ですか、おい。
「それで、質問はそれだけ?」
「あ、うん…とりあえず」
一応本人の口からの聞きたい回答は得たし、これ以上のヘタな追求はヤブヘビかな。
乙女の第六感からそう警告されたわたしは、とりあえずここで会話を締めくくることにした。
「…………」
「…………」
「迷惑…?」
「ん…?」
そして、それからしばらくは戻った静寂の中で黙々と作業が続いていたものの、今度は不意に柚奈の方からぽつりと投げかけられる。
「…………」
「……迷惑」
それに対して、同じ様に視線を向けないままポツリと答えてやるわたし。
「そっか…」
「…………」
「…だと言ったら、どうする?」
「ん〜、迷惑じゃないって言ってもらえるまで頑張る」
「…そう…」
どうやら、柚奈には諦めるという選択肢は存在しない様だった。
(一途というか、何ていうか…)
初めて会った時も思ったけど、もしわたしが男の子だったら、こんな綺麗な子にここまで一途に惚れられたりしたら、さぞかし人生のピークって位に舞い上がってたんだろうなぁ。
「…………」
いや、多分一番の問題は性別の違いなんかじゃなくて…。
「…んじゃさ、わたしのどこがそんなに気に入ったの?」
そこでわたしは少しの間を置いた後、おそらく柚奈を受け入れられるかどうかに関わる一番の問題について尋ねてみるものの…。
「全部」
「…………」
えーっと…。
「全部って言われても、まだわたしが柚奈に見せてない部分はたくさんあるよ?」
というより、イヤな部分は全くといっていいほど見せていないというのは自覚しているつもりだった。
だって、知らない土地に転校してきて、新しい環境の中で周りの人に嫌われたくないという思いで今までは随分と自分を抑えてきていたのだから。
…そもそも、転校してきて付けてもらった「みゆ」って呼び名も、実はそんなに気に入ってるわけでもないけど、みんながそれで親しみを感じているならいいやと、無理に拒んだりせずに笑顔を返してるだけで。
もちろん、自分の欲望に忠実すぎるのもどうかとは思うけど、それでも柚奈を見てると何だか卑屈な自分が嫌になる時があるって部分も含めて、そういう本心の部分は決して他の人に見せてない…つもりだけど。
「大丈夫。それもきっと好きになるから」
すると、わたしの反論にまたしてもあっさりとそう告げてくる柚奈。
「…その根拠は?」
「…………」
「…………」
「さて、そろそろ書き終わったからモデルを代わろうか?」
しかし、わたしが理由を尋ねた所で、柚奈は答える前に席を立ってしまった。
「あ、ずるい。誤魔化したわね?」
「でも、あまりお喋りしてる時間は無いよ?」
「…うわ、ホントだ」
そこで、わたしも席を立って追及しようとするものの、柚奈から左手にはめた腕時計を見せられて、追及の言葉は止まってしまう。
ただそれでも、柚奈は最大限に急いでくれたんだろう。わたしの方が幾分スケッチの時間が長く取れる様になっていた。
「ね…?」
「…うん…」
まだ納得出来ない部分もあるけど、せっかく柚奈がわたしの為に急いでくれたんだし、それをフイにする事も無いか。
(それに、慌てる必要も無いしね…)
急がなくても、これからゆっくりと聞き出せばいい。
…どうせこれから、この変態お姫様はわたしが嫌がったって側に居座るんだろうし。
「んじゃ、今度はわたしが書くから適当にポーズ取ってそこに座っ…」
「…って、だからいちいち脱がなくていいのっっ!!」
「え〜っ、だってぇ…」
だから時間が無いって言ってんのに…っっ。
そして…。
キーンコーンカーンコーン
「だ〜〜っ、何とか間に合ったぁ〜っっ」
終了を告げるチャイムの音が鳴ると同時に美術室へ駆け込み、わたしは大きく息を吐いた。
「あはは、ギリギリだったね♪」
「…まったく、誰かさんのお陰でね」
額から汗を流しながらも、妙に楽しそうな口調の柚奈に対して、わたしは息を切らせながら言葉に皮肉をたっぷりと込めてやる。
結局、最後は体育用具室から短距離走をする羽目になってしまった。
しかも柚奈の奴は途中で見事にすっ転んでくれるものだから、散らばった画材用具を集めるのに余計な時間を取らされるし。
「そういえば、ライムの縞にリボン付き、か…」
「可愛いでしょ♪というか、密かに今日は色違いのお揃いだよね?」
「…まったく、あんたとは妙な所で奇遇が続くわねぇ…」
素直に認めるのは癪に障るけど、つくづくこの柚奈とは縁があるって事かしらん。
「えへへ♪それだけ相性ばっちりなんだよ」
「まだ、相性を語るほど親密になった覚えもないけど?」
とはいえ、あまり調子に乗らせたくもないので、肩を竦めながら素っ気無い態度を見せるわたし。
「ん〜?てっとり早く確認する方法はあるよ?」
すると、そんな言葉と共に意味深な笑みを浮かべながら、柚奈はわたしの隣へぴったりと張り付いてくる。
「な、なによ、それ…」
「んふっ♪」
さわっ
「〜〜〜〜っ?!」
そして、不意に密着した柚奈の手がスカート越しにお尻へと伸びた瞬間、わたしは声にならない悲鳴と共に飛び上がり、不埒な変態娘の頭の上へ拳を振り下ろした。
ごいんっ
「いたあ〜〜っ!もう、げんこつじゃなくて触り返してくれればいいのに…」
「おだまり、どこの痴女カップルだ、それはっ」
まったく、今朝あれだけお仕置きしたというのに、全っ然懲りてないみたいだった。
「でも、やっぱりみゆちゃんのお尻って触り心地いいなぁ…もうこの際、みゆちゃんのお尻があまりに魅力的なのが悪いって事にしない?」
「しませんっ!」
「…はいはい、ご両人。もうチャイムは鳴ったんだから、イチャつくなら戻ってからにしなさいって」
ともあれ、日常茶飯事となったボケツッコミのやり取りも切れ目を迎えた所で、茜が手を叩きながら諭す様な口調で割って入ってくる。
「別にイチャついてた訳じゃないってば…」
「まぁまぁ。んで、一体二人して何処へしけ込んでたのかな、ん?」
「体育用具室」
「…………」
「一応参考までに聞いておくけど、ナニしてたの?」
「ん、こういうコト」
それから、僅かの間を挟んで入って来た茜の質問に、わたしは黙って自分のスケッチブックを差し出した。
「なるほど。相変わらず時間ギリギリまでベタベタしてたワケか」
(ああ、やっぱりそういう判断になるわよね…)
茜の目も節穴じゃないというか、殆ど輪郭を捉えた程度の進捗状況を見れば一目瞭然と言えるのかもしれない。
ただし…。
「もぉ、茜ちゃんってば人前でそんなにはっきり…」
「…柚奈にまとわりつかれて進まなかったと言ってもらえるかしら?」
やはり訂正すべき所は訂正しておかないと。
「ん〜、結果的には大差ないでしょ?」
「…気分の問題よ」
「もう、みゆちゃんてば照れなくてもいいのに。つんでれ?」
「ええい、どこでそんな言葉を覚えたっっ」
「ほう、体育用具室…いいわね」
「うわわっ?!」
そして、柚奈にツッコミ代わりの関節技でも決めてやろうとした所で、突然春日先生がわたし達の輪の中に顔を覗かせてくる。
「抑えられない激情に駆られるがまま授業を抜け出して、誰もいない体育用具室で逢い引きする女子生徒達…うん、お約束ながら悪くはないわね」
「あの誤解を招きますから、そーいうコトを声に出して言わないで下さい…」
事実無根な上に人聞きが悪すぎるんですがね。
「うん、実に面白いわ。あなた達、良かったら今度モデルになってくれない?テーマは誰も見ていないキャンパスでひっそりと、しかし互いに誰よりも美しく開花させようと高めあう、姫百合のつぼみ達」
「勿論いいですよ〜♪」
「全力でお断りさせていただきます…っ!!」
しかし、わたしの事などお構いなしにそう続けてくる先生に、それぞれ即答で了承と拒否の返事を返すわたしと柚奈。
「…ふむ、仕方ないわね。ではあなたがその気になるまで待つとしましょうか」
「いや、待たれても困るんですけど…」
むしろ諦めて下さいよ、即座に。
「ちっちっ、分かってないわねぇ。あなた達の姿を見て創作意欲が沸いたんだから、他の人じゃ誰であろうが本物にはならないわ。だったら、いっその事描かない方がマシよ」
すると、こっちはいい加減にしなさいと突っ込みたいのに、芸術家らしい真剣な目を向けながら、きっぱりとそう宣う春日先生。
会話がかみ合ってないというか、先生にヘンなスイッチが入ってしまったみたいだった。
「うんうん。さすがにこだわってますねぇ」
(…描かない方がマシと言いながら、諦めるつもりも更々無いって事?)
もしかしたら柚奈と似た者同士…?
「それで、仮に描くとしたら、どういう感じの絵になるんです?」
「んー、体育用具室の平均台の上で二人が互いに愛のボディペイントをしながら絡み合うってのはどうかしら?」
「…いや〜ん、そんなの恥ずかしいですっっ」
(って…その割に嬉しそうな顔してるじゃないの)
わたしは困った様な言葉とは裏腹に、嬉しそうな顔で悶える柚奈に、わたしは心の中でツッコミを入れる。
「日常の中に忍ぶ非日常ってのは、やっぱり女の子同士の秘密の逢引には欠かせない要素だと思うのよね。どうかしら?」
「ん〜。私は別に忍びたいとは思ってませんけど…」
「あんたは黙ってなさい。…あの、先生は画家になりたいのかエロ漫画家になりたいのかどっちなんですか?」
というか、愛のボディペイントって何ですかい。
「ふ…世の中、綺麗事だけでは食べていけないのよ」
ともあれ、呆れた態度を隠す事無くジト目を向けるわたしに、拳を握りしめながら全てを悟ったような遠い目を見せる春日先生。
「いや、そういう不穏なこと言われても…」
「うるさいわねっ、葛飾北斎だって最初は食べる為に春画から入ったのよっっ」
「まぁ、その辺の事情は分からないでもないですけど」
「そう…だったら、協力お願いね」
そしてそう続けた後で、春日先生はわたし達に書籍の注文書らしき紙切れを差し出す。
「…何です、これ?」
何かえっちっぽい漫画のタイトルが明記されてるけど…。
「今週の金曜日に出る私の最新刊。別にひとり何冊も買えとは言わないから、協力よろしくね♪」
「だあ〜っっ!!」
当然の如くというか、そこで同時にコケるわたし達一同。
「大丈夫よ♪一応成年コミック指定はされてないから、あなた達でも買えるわ」
「そーいう問題じゃないですよぉ…」
副業で既にやってやがったのか、この人わ。
いくら私立校の教師だからって、フリーダム過ぎ。
「…んじゃ、もしかしてわたし達にモデルになれって言ったのも漫画のネタですか?」
「ん〜。まぁ百合ものは時々描くし、一定の需要があって個人的にも嫌いなジャンルじゃないけど…」
「…………」
うわ、わたし達ってとんでもない人に目を付けられた?
「…でも、あなた達の場合は違うわ。商売は抜きで純粋に描きたいの」
「平均台の上で愛のボディペイントをですか…?」
「まぁ、あれは単なる思いつきとしても、女の子同士の純粋な愛の形ってのは描いてみたいから」
「だとしても、別にわたし達でなくても…」
「そう言われても、あなた達って私が今まで見た中で一番仲が良さそうなカップルだし…」
「わたし達はカップルじゃないですよぉっ!」
「ええ…っ?!」
だあ〜〜っ、根本的なところで勘違いしてたのか。
「…本当なの、桜庭さん?」
「あはは、残念ながら…。でも、必ず落としてみせますけど♪」
「勝手に言ってなさいよ…とにかく、そういう事ですから」
「はぁ〜っ、そういう事なら仕方が無いわねぇ…」
ともあれ、ようやく今までの誤解というか、少なくともまだ恋人同士って間柄ではない事は分かって貰えたらしく、アテが外れたと眉をひそめて腕組みを始める春日先生。
「まぁ、この学園のどこかには誰か他にいるんじゃないですか?」
ここは女子校だしね。そこら辺に百合の花は咲き乱れてるでしょ。
いやまぁ、偏見ですが。
「…もう少し様子を見ることにしましょう」
しかし、矛先を変えようとしたわたしの願いも虚しく、それから顔を上げた春日先生は真面目な顔でそう告げてくる。
「はい…?」
「言ったでしょ?最初に目を付けた相手は最後まで諦めないって」
「…………」
「そーいう事だから、いつか桜庭さんの想いが成就したら私に声をかけてね」
「は〜〜い♪」
「せんせぇ…」
わたしの想いの方は無視ですかというか、やっぱり諦めるという選択肢は存在しないらしい。
「あと、中途半端になった部分は宿題になるから、あと1回あるからって脱線し過ぎちゃ後で困るわよ?しっかりね」
そして、肩を落とすわたしにそれだけ続けると、春日先生はすたすたと準備室の方へ戻って行ってしまった。
「…………」
(マトモな人はいないのかしら、この学園に…?)
まぁ類は友を呼ぶとも言うし、わたし自身もマトモな部類に入るのかは分からないけど。
1-4:背に腹は変えられないから。
「…うわ、しまったっ」
やがて3時間目終了後、一緒にお手洗いへ行きたがる柚奈をあしらった後で次の時間の教科書を机の中から探している最中に、わたしはふと大事な事を思い出して声を挙げてしまう。
「そう言えば、物理の宿題があったんだ…」
今頃思い出してどうするというか、昨日は他の手間がかかる宿題があった所為か、すっかりと忘却の彼方へ追いやってしまっていた。
「えっと…これから4時間目だから…」
一応、物理の授業は午後からなので、まだ少しは時間がある。
あるんだけど…。
(わたしのお頭で済ませるのはまず不可能か…)
分量的に昼休みの時間だけで済ませてしまうのはちょっと難しいし、だからと言って次の授業中に取り掛かるというのも無理な話だった。
座席が前の方というのもあるんだけど、只でさえ転入生って事で先生の目が届きやすくて内職がやり辛いってのに、古文の時間に物理の教科書やら参考書を開いていたら一発でバレてしまう。
…いやまぁ、気にかけてくれてるってのは理解してるから、その分は有り難いんだけど、時にはそれがマイナスに作用する事もあるというか。
「う〜…仕方が無い、柚奈に見せてもらうか…」
ともあれ、この難局を抜出す方法を思案した所、最初に思いついたのはこれだった。
実は柚奈の奴は、体育を除けば殆どの科目でトップクラスの成績を誇る優等生で、見た目の良さとの相乗効果もあって憧れている生徒は多いらしい。
(まぁ、よもや断られる事はないだろうけど…)
そちらに関しては自信があるものの、問題は「その後」だった。
「う〜っ、でも仕方がないか…」
しかし、いずれにしても柚奈の力を借りる他に選択肢はない。
もうちょっとクラスに慣れた後ならともかく、現状でこういう図々しい頼み事を出来る相手なんて思い浮かばないし。
「…って事で柚奈、物理の宿題写させてっっ」
何はともあれ、まずは条件を聞いてみようと、柚奈が教室へ戻ってくるや否や、わたしは手を合わせてお願い…もとい交渉を開始した。
「ん〜、それじゃ昼休みに15分間お触りし放題で手を打つよ?」
すると、特に考える事も無くあっさりと条件提示をしてくる柚奈。
「うぐっ…やっぱりそう来たか」
まぁ、勿論何の見返りも無くという訳にはいかないのは承知の上だし、予想していたと言えば予想通りとはいえ、こうはっきりと要求されると身じろぎしてしまう。
「だって、本来はみゆちゃんの為にならない事だしね。それでも何とかしてくれって言うなら、相応の代償は払わないと。んふっ♪」
「う〜っ…」
ここで、「わたしが好きなら…」と持ち出す手もあるけど、それはいくらなんでも卑怯者過ぎる。
「ほらほら、やっぱり宿題は自分の手で真面目にやれって事よ?」
そして、どうやら柚奈の側に居る茜は済ませているのか、余裕を窺わせる表情でわたしに笑いかけてくる。
「茜ちゃん、余計な横槍は入れない様に」
「あれ?そういうつもりで言ったんじゃないの?」
「違うよ。本当はみゆちゃんの為なら何だってしてあげるけど、チャンスかもしれないから試しに持ちかけてみてるだけだよ」
「あんたね…」
「…………」
それを相手の前で正直に言ってどうする、このお馬鹿。
(う〜〜っ、でも…)
「…………」
「…分かった。でも10分にまけて」
「はい、交渉成立♪」
「拒否しないんかいっ」
それから、しばらく考えた後で自分の口から出たのはお断りじゃなくて妥協案だった事で、珍しく茜に突っ込まれてしまうわたし。
「だって、他に手が無いんだもん…」
まぁ、ゴネまくっても最終的には見せてくれるみたいだけど、あまり借りは作りたくないし、柚奈の本音を聞いて先程の卑しい考えへの自己嫌悪が増してしまったから、その分の罪滅ぼしも兼ねてって所だろうか。
「んじゃ、ノートを出すからちょっと待っててね♪」
ともあれ、柚奈は無事に(?)交渉が纏まった事で満足そうに微笑むと、自分の席へと(って言っも後の席だけど)戻っていった。
「…んな事してるから、どんどん柚奈の思うつぼになっていくのに」
その後、呆れた口調でわたしに耳打ちしてくる茜なものの、別に咎める様子は見えなかった。
「不可抗力だもん。今は他に選択肢が無いんだし」
「…ふぅん」
そこで溜息混じりにぼやくわたしに、今度は思わせぶりな視線を向けてくる茜。
「…………」
というか、茜が選択肢の一つに入るのなら苦労はしない。
茜は勉強は苦手だが運動神経の方は抜群という、言わば柚奈とは対極の能力を持っている為にこういう時の戦力にはなり辛い。
もっとも、秀でた特技がある時点で勉強も運動も凡庸かそれ以下というわたしと同列にしていいものかどうかは分からないけど。
(…いや、待てよ)
「ね、もし茜に頼んでたら、どういう条件出してた?」
それでも、万が一って時の参考にしようと、わたしは一応茜にも水を向けてみる。
「ん〜そうねぇ、明日のお昼にスペシャルランチと、帰りに水車のアーモンドパフェって所かな?」
「…うわ、遠慮のカケラもなしですか」
ちなみにスペシャルランチとは確か完全予約制で1,500円もするという、うちの学園の食堂では最も高いメニューだった。
まぁ、価格より量の問題で注文する人は滅多にいないらしいけど。
「別に無理ならいいわよ?…その時は体で払ってもらうから」
ともあれ、友情価格どころか宿題の対価としては法外な要求を提示されて苦笑するわたしに、茜はニヤリとした妖しい笑みを見せて言葉を続けてくる。
「カラダっ?!」
「ふふふ…」
「か、体って何?…労働力?」
「そぉねぇ、誰にでも要求するって訳じゃないコトをお願いするかな…?」
「…………っ」
そして、意味深な台詞と一緒に顎をくいっと持ち上げられ、わたしはごくりと生唾を飲む。
「あの…参考までに聞いておくけど、わたしはその対象内に入るの?」
「さぁて、どう思う?」
「あ、あわわ…」
も、ももももしかして茜もわたしを…っ?!
「…………」
「あはは、冗談だよ」
しかし、それから妖しい雰囲気に飲み込まれたまま本気で動揺し始めた所で、茜は不意にぱっと手を離して笑い始めた。
「え…?」
「もう、柚奈じゃあるまいし、年中そんな事ばかり考えてるワケじゃないわよ」
「だよねぇ、柚奈じゃないもんねぇ」
それから解けた緊張と共に、わたしも同調してあははははと笑い合うものの…。
「…へぇ。そんな事言ってるけど、茜ちゃんってこの前…」
「わわわわわっ!」
「え……?」
「あ、あははは。ちょっと言い過ぎだった。ゴメン…」
すると、後から聞いていたらしい柚奈が何か言いかけたところで、茜は慌ててその口を押さえながら謝り始める。
(何なんだ…?)
「それと、みゆちゃん?」
「は、はい…?」
「仮にも今からノート貸してもらおうって時に、相手の事を悪く言うのはどうかと思うよ?」
そして柚奈は今度はわたしの方を向き、有無を言わせぬ威圧を込めて、にっこりと微笑みかけてきた。
「あ、えっとその…」
「…さて、ここにみゆちゃんが欲しがってるノートがあるんだけど、どうしよっかなぁ?」
「ご、ゴメン…わたしも悪かった…」
…という事で、わたしも素直に頭を下げざるを得なくなるものの…。
「それだけ?」
「…う〜っ、分かったわよ。さっき10分にまけてって言ったの無しでいいから…」
結局、ペナルティはしっかりと取られてしまった。
「よろしい♪…それじゃ、はい、これ」
「うん、ありがと…」
すかっ
「……っ?!」
ともあれ、これでようやく約束のブツが手に入ったと思った所で、受け取る寸前に柚奈がノートを引いてしまい、わたしの手は空を切ってしまった。
「え〜、まだ何かあるの?」
「ね、みゆちゃんは私の事…好き?」
そこで、もうお預けはかんぺんしてよと泣きが入ってきた所で、ノートを引いたままそんな事を尋ねてくる柚奈。
「はい…?」
「さっきスケッチしていた時、みゆちゃんは私に自分の事が好きなのかどうか確認したくせに、一方通行で終わっちゃったじゃない?」
「え、えっと…」
おいおい、今になって蒸し返してきますか。
「…やっぱりあんた達、何やってたのよ?」
「いや、何となく気になったんで聞いてみただけなんだけど…」
「そういう質問は、互いに確認しあわないとずるいって思わない?」
「う…ぐ…っ」
だったら、わたしがスケッチしてる時に聞いてくれば良かったのに。
何も、こんなクラスメート達に聞こえる様な所で…。
(…言わせる為に今まで黙ってたのね、柚奈は)
この策士めというか、才能の無駄遣い過ぎる。
(もう、ずるいのはあんたの方じゃないのよ、柚奈…)
「まったく、完全に柚奈のペースになってるじゃないの、みゆ?」
「あはは…面目ない」
いやまぁ、別に茜に謝っても仕方がないんだけど。
「…それで、どうなのかな?」
「えっと…」
わたしが柚奈の事をどう思ってる…か。
そう言えば、相手に聞くだけ聞いて自分については考えた事なかったかも。
「…………」
柚奈は無邪気で自分の欲望に忠実で、それでいて一途で優しくて、かと思えば時々意地悪で振り回されっぱなしで…。
そして何より、わたしにひと目惚れなんてしたらしい物好きで。
「…………」
別に無事にノートを借りるためという大義名分があるのだから、軽い気持ちで答えてやってもいいのに、何故か出来ないのが不思議なほど癪に触っていた。
日常会話の様に、軽々しく「好き」って言ってやれない。その思いつく理由がわたしにとっては腹立たしくて仕方がないんだけど。
(……ええい)
少しずつ染められてきているのかもしれないってのは認めるけど、あんたの思い通りなんていくもんか、柚奈。
「わたしも柚奈の事…好きよ」
わたしは自分の心の中の苛立ちを無理矢理に振り払うと、意を決してそう答えてやった。
…ただ、勿論お友達としてという意味なんだけど、それでも顔がみるみる熱を帯びてしまっているのが、何だかドツボにはまってしまった気もしないでもないけど。
「…うん♪それじゃ今度こそ、はいどうぞ」
ともあれ、わたしの回答に柚奈は満足そうに笑うと、今度こそわたしの前へ両手で差し出してきた。
「…ありがと」
それに応じて、微かな後ろめたさを感じながら、ノートを受け取るわたし。
嘘じゃないけど…それでも本当は言いたくなかった答えだからだろうか。
「ふ〜ん…どうやら、あながちノート欲しさに口走ったって訳でもないみたいね」
ともあれ、早速パラパラと捲って該当箇所の確認をし始めた所へ、茜が再びわたしだけに聞こえる様に耳打ちしてくる。
「どうしてそう思う…?」
「まぁ、それだけ赤面してれば…ね。ふふ」
そこで、作業の手を止めないまま小さく返事を返すわたしに、今度は頬をつんつんと突っつきながら微笑ましそうに囁く茜。
「だ、だけど、あくまでお友達として…という意味だからっ」
「それでも、好意ってのは直接伝えないと案外分からないものよ?…特に当人同士なんてね」
「…そんなものかな」
だったら、たとえ嘘でもいいからわたしの口から「好き」って言って欲しかった。
…それが柚奈の本音だったんだろうか?もしかしたら、こうやってノートをエサにするのも逃げ道をわたしに用意する為だったのかもしれない。
「…………」
素直に柚奈を受け入れたくはないけど、でも同時に傷つけたくもない。
これだけ柚奈に振り回されっぱなしで、実際いい加減鬱陶しくなる事だって少なくないのに、この気持ちだけは何故か霞む事はない。
(元々は、せっかく転入初日に知り合った友達を逃したくないってだけのつもりだったのになぁ…)
でも、ふと気付いたら「友達」じゃなくて「柚奈」をと、より具体的に置き換わっていた。
…そして、それが今のわたし側の、わたしと柚奈を結びつけているものなんだと思う。
(なんだろう、知らない間にヘンな魔法でもかけられたのかな?)
もしくは、単に独り身な上に一緒にいる時間が長いから、色々な事を考えてしまうだけなのかもしれない。
(何か部活にでも没頭するか、彼氏のひとりでも出来たらそれも変わるかな…?)
どっちもアテは無いし、そもそもゲーム好きで帰宅部を謳歌してるわたしとしてはゴメンだけどさ。
「ね?んじゃ、あたしの事は好き?」
「へ…?」
それから、作業の手を止めて考え込み始めてしまったものの、不意に茜からそんな質問を続けられて我に返るわたし。
「柚奈に言ったみたいに、あたしの事が好きって言える?」
「…………」
「…………」
「…んー、言わないでおくよ」
まぁ、茜の方なら…と、最初は「友達としてなら…」とでも言いかけた所で、一旦止まったわたしの口から出たのは別の曖昧な返事だった。
「…もしかしてみゆ、あたしの事嫌い?」
「違うってばっ。そんなんじゃなくて…今茜にも同じ事言っちゃったら、今度は『愛してると言って』とでも要求されそうだから…」
「ふふ…そうかもね」
とりあえず、図らずもお互い「好き」と言っちゃった以上、最初のステップは超えてしまった訳だし、言葉には出さなくても、他の人と同じ扱いが気に入らないだろうなってのは想像出来る。
ただ、いずれにしても柚奈の奴は、これからその言葉をあの手この手で引き出そうとしてくるんだろうけど…。
(…ふん。第2ラウンドはそう簡単にはいかないからね、柚奈)
こちとら、今まで誰の手にもかかっていない純白の乙女な訳ですから。
1-5:お触りタイム。
キーンコーンカーンコーン
「み〜ゆちゃん?」
「……う……」
「昼休みになったねぇ〜?」
やがて4時間目の終了を告げるチャイムが鳴ってお昼休みの始まりを告げると、早速柚奈が教科書を机の中へ片付けるわたしの背中に、甘ったるい口調で声をかけてきた。
「う、うん。お腹すいちゃったねー」
それに対して、ぎこちない動きで振り返ると、引きつった笑みを浮かべながら頷き返すわたし。
正直、さっきから心臓がドキドキし過ぎて食欲どころじゃないんだけど。
「それじゃ、まずはお弁当だね?」
すると、柚奈はこれ以上ないって位の上機嫌な笑みを見せると、率先して自分のお弁当箱を取り出し、いつもの調子で広げていく。
一応、先程の様な威圧感は纏っていないものの、それでも有無を言わせない断固とした意思は感じられていた。
(うう…っっ)
今頃になって、ちょっと早まったかなと思ってしまうものの、もう遅い。
というか、それなりにお腹がすいてるハズなのに、柚奈に続いて取り出した自分のお弁当の中身が喉を通らないし。
「…ところで、宿題は写し終えた?」
「うんまぁ、お陰様で…」
「よかった。これで心配事は何も無いわけだね♪」
「…………」
「茜ぇ…」
「…諦めなさい、みゆ。自分で約束した事でしょ?」
ともあれ、問答無用な空気に飲まれて冷汗が滲み出た所で、わたしはいつもの様に柚奈の席へ混ざって食べている茜に縋ろうとするものの、そ知らぬ顔と共に素っ気無く突き放されてしまった。
「あ゛う〜っ」
確かに反故にしたいってつもりもないんだけど、まだ心の準備が出来てないといいますか。
「まぁまぁ、別に柚奈も取って喰おうってワケ…でもないのかな?」
「んふふ、さぁどうでしょうね〜?」
「…………」
考えたら15分間触り放題って、なんて曖昧で拡大解釈し放題な条件を飲んだんだろう、わたし?
…しかも、今朝は満員電車で愛情表現と主張する痴漢行為をしてきた変態お姫様に対して。
「さて、そろそろ行こっか、みゆちゃん♪」
「お達者で…もとい、ごゆっくり〜」
「あかねぇぇぇぇぇ」
「〜〜〜〜っ♪」
そして、わたしは市場へ売りに出されるドナドナの如く、鼻歌混じりの嬉しそうな笑みを浮かべる柚奈にずるずると手を引かれて、教室の外へと連れ出されていった。
*
「さて、みゆちゃん問題です。ここは一体どこでしょう?」
「…誰もいない保健室でしょ?」
やがて目的地へ移動後、満面の笑みで問いかけてくる柚奈に対し、辺りを見回しながら無愛想にぽつりと答えるわたし。
どうやら、柚奈は最初から場所を決めていたらしく、特に相談される事も迷うことも無しで一直線にここへと導かれてきたわけだけど…。
「ここで、これから何をするかは分かってるよね〜?」
「…約束の報酬を払うんでしょ?」
「んふふ、まさかこんなチャンスが突然やって来るなんて、今日は本当にラッキーデーだよ〜♪今度はちゃんと合意の上だし」
「で、でも、本当にここでするの?」
「だって、学校でベッドがあるとこってそんなに無いじゃない?」
「いや、だからって…」
一応、奥のベッドはパーティションとカーテンで区切られているといっても、ここは一応、いつ誰の目に触れるか分からない公共の場所である。
「大丈夫♪ちゃんと先生には話をつけてしばらく借り切ったから。みゆちゃんと入れ替わりで外してくれたのは見たでしょ?」
「うんまぁ、わたしがここへ入る前に二人で話をしてたのは分かるけど…でも保健室って、話をつければ借りられるものなの?」
初耳だった。
しかも別に体調不良でもなんでもない、極めて個人的な用途で。
「うん♪ここの養護教諭の冴草(さえぐさ)先生は生徒への物分りがいい事で評判な人だから」
「ああそう。でも、学園の風紀に対しては物分りが良く無さそうね…」
別に風紀委員を気取る気はないけど、女の子同士で不純行為をする為にベッドを貸してくれる養護教諭て…。
「ほらほら、わざわざ昼休みの時間を空けてくれる為に4時間目の間に写してくれたんだろうから、潔く観念しようね♪」
「…う〜っっ」
こーいう時は真っ正直な自分が心底憎い…。
*
「さて、それじゃこっちへどうぞ〜♪」
「ううっ、お父さん、お母さんごめんなさぁい…」
しゃっっ
「…はい、じゃここに座ってリラックスして?あ、下穿きは脱いでおいてね?」
ともあれ、促されるがまま移動した後で奥のベッドへと腰掛けると、柚奈はわたしの目を見つめたまま後ろ手にカーテンを閉め、天使の様な笑みを浮かべてくる。
「う、うん…」
一方でわたしの方は、とてもじゃないけどリラックス出来る余裕など存在せず、引きつった笑みを返すのが精一杯だった。
「もう、表情が硬いなぁ…」
「…だって…」
そりゃあ、肉食獣に追いつめられた獲物同然ですから、わたしは。
「ちゃんと優しくしてあげるから、大丈夫だよ?」
「そういうんじゃないってば…」
「ん〜、それじゃ緊張しないおまじないをしてあげる」
すると、柚奈の奴はわたしのすぐ隣へ腰を下ろした後で、そんな事を囁きかけながら肩が触れる距離まで密着してくる。
「どうやって…?」
「とりあえず…目を閉じて?」
「…だから、どーやって??」
一応、しつこく尋ねてはいるものの、あんたの魂胆は見え見えなんですけど。
「そりゃあ古今東西、こういう場面でリラックスするおまじないと言えば…」
「ちゅーしていいかって聞きたいんでしょ、つまり?」
そこで、柚奈が最後まで言い終わる前に、ジト目を向けて先読みしてやるわたし。
「ダメかな…?」
しかし、柚奈の方は慌てる素振りも弁解する事も無く、むしろ開き直り上等とばかりにこちらへ上目遣いを向けながら、ねだる様な口調で返してきた。
(…う…っっ…)
ダメはダメでも…これは別の意味でダメというか、そういう目には弱いんだ、わたしは…。
「…………」
確かに、手で触れるだけとは言ってないし…。
イヤと言っても、どうせ簡単には引き下がらないだろうし…。
「…まぁ、軽く触れる程度なら…」
柚奈の口車に乗った時点で、もうジタバタしても仕方が無い。
絶対に受け入れられないならきっぱりと断ったり、必死で抵抗したりもするけど、わたしの心の中はどういうわけか諦めの気持ちが支配してしまってるみたいだし。
「ありがと…みゆちゃん」
「…お礼を言われる事じゃないよ」
所詮、これも報酬の一部なんだろうから。
…しかし、この部分は無意識に言葉が止まってしまった。
「ん…そうだね」
ともあれ、そんなわたしに柚奈は嬉しそうな笑みを浮かべると、お互いの手と手を絡ませていく。
「あ……っ」
その瞬間、どきんっと胸が高鳴ってしまうわたし。
柚奈と手を繋ぐという行為は割と日常茶飯事でしている(というより、勝手に繋いでくる)のに、こういう場面だと意識が全然異なっていた。
…気のせいか、感覚も過敏になっている様な気もするというか、確か指先って他の部分より神経が集中してるから、実際に敏感なんだっけ?
いや、今はそんな知識なんてどうでもいいんだけど…。
「柚奈……」
「…少しは、落ち着いたかな?」
「逆に胸がドキドキ言ってるよ…」
こうして絡み合わせてると、これから柚奈と普段より踏み込んだコトをするんだって気分が、勝手に盛り上がってきちゃったりして…。
「んじゃ、やっぱり仕方が無いね…目を閉じて?」
「う、うん…」
ちゅっ
「ん…っっ」
そして、促されるままにまぶたを閉じた直後、わたしの唇越しから柚奈の唇の感触が伝わってくる。
柔らかくて、暖かくて…そして不思議なまでの一体感も感じられたりして。
(う〜っ、実はファースト・キスだったんだけど…)
まぁ、元々その事に強い執着は無かったからか喪失感とかは思ったより薄かったものの、それより女の子同士なのに抵抗感も特になくてすんなりとって部分の方が、少しだけ癪に障る感じだった。
ついでに言えば…。
「…落ち着いた?」
「何か悔しいけど…」
それから唇が離れた後で尋ねる柚奈に、わたしは幾分顔をしかめながらそう答えてやる。
でも、本当に強い動悸が一段落してきたのだから仕方が無い。
「もう、素直じゃないんだからぁ♪」
「う〜っ……」
「それじゃ、みゆちゃん…そろそろいい?」
「う、うん…約束だから。どうぞ…」
元は身から出た錆だし、もう煮るなり焼くなり好きにして。
もしかしたら、そういう気分にさせられてしまうのも、あの”おまじない”とやらの効果なのかもしれないけど。
「では、遠慮なく…」
ともあれ、わたしが頷いた後で柚奈は耳元で静かに囁くと、最初の攻撃とばかりに耳の裏をソフトタッチで擽ってきた。
「あひ…っ?!」
瞬間、首筋から背中にかけて電気が走ったかの様な強い刺激が走り、全身から力が抜けてしまうわたし。
「んふっ、ここが弱い人って結構多いみたいだけど、みゆちゃんもそうなんだ?」
「う、うるさいわね…っ」
実は自分も知らなかったというか、噂には聞いていたけどこんなに敏感な部分だったなんて…。
「別に恥ずかしがらなくてもいいんだよ?私的には気持ちよくなってもらえないって方が辛いし」
「…う〜っ…」
という事は、何とか頑張って何も感じてないフリをすれば、もういいよってコトに…。
「んじゃ、こっちの方はどうかなぁ…?」
「ひん…っ?!」
しかし擽る手はそのままに、続けて柚奈が首筋に口付けしてきた所で、再びわたしの背中はびくんっと反り返ってしまう。
(絶対、無理〜っっ)
「…というか、それは反則でしょ…んあっ」
許可したのはおさわりだけだってのに。
「だけど、別に指でしか触っちゃダメって言ってないよね〜?」
…って事で、わたしは頑張ってツッコミを入れるものの、柚奈の奴はあっさりと屁理屈を返してきた上に、今度は舌先をゆっくりと這わせてくる。
「ちょ…っ、もうっ、それ言っちゃったら結局何でもアリになっちゃうじゃないのよぉ…っ」
「まぁまぁ。今回は時間も限られてるし、ちゅーと首筋だけで我慢しておくから」
そして、困惑するわたしを宥める様に柚奈はそう続けると、今度は幾分強めに吸い付いてくる。
「こっ、こらぁ…っ、そんなにしたら…」
「んふっ。キスマーク、付けちゃったら怒る?」
「もうっ、今の時期にマフラー着けて通学させる気…?」
まだ肌寒い日があると言っても、季節はもう初夏だというのに。
「うふふ〜♪」
すると、わたしがツッコミを返した後で、いきなり気持ち悪い笑みを浮かべてくる柚奈。
「な、何なのよ、いきなり…」
「別に〜。でも、私としては『予約済み』って印を付けておきたいんだけど」
「だまらっしゃい…というか、心配しなくてもそんな物好きはあんた位のものよ」
少なくとも、男女問わずこんなに熱烈に愛情アピールされた事なんてない。
精々、幼馴染みの親友に弄られてたくらいで。
「だとしたら、今までよっぽど見る目が無かった人達ばかりなんだね?私には好都合だけど」
「…そう言われても…」
恋は盲目っていうけど、こんな所からもひと目惚れの信憑性を感じるなんてね。
気恥ずかしいやら、何となく嬉しいやら…。
「ほらほら、お喋りしてる時間はあまり無いんだから…」
ともあれ、柚奈はそこで一方的に会話を打ち切ってしまうと、いよいよわたしの胸元へと指先を伸ばしてきた。
「あ…っ」
その瞬間、落ち着きかけていたわたしの心臓は一瞬で強烈に脈打ち始めてしまう。
「ん〜、まだドキドキしてるね?」
「…正確には、またなっちゃったんだけどさ」
「なら、もう一度落ち着かせて欲しい…?」
「ううん。これは多分、終わるまで止まらないだろうから…」
触れてきた柚奈の手から伝わってくる、くすぐったい様な、それでいて圧迫される様な感覚。
今まで感じた事の無い微弱ながら存在感の高い刺激に、わたしの胸は高く鳴ったままで止まりそうも無かった。
「ちょっと聞くのが怖い質問だけど、みゆちゃんこういうの、初めて?」
「ん…っ、不意打ちで胸を揉まれた経験は無い訳じゃないけど…」
前の学校でも、悪戯好きの幼馴染みがいた事だしね。
だけど、こういう形で自ら許可した覚えはない。
「それを数に含めないと、初めてなんだ?」
「…ついでに、さっき柚奈にちゅーされたのがファースト・キスだからね」
「あやや、それはそれは…」
「まぁ、別にいいんだけど…」
「大丈夫だよ♪ちゃんと責任は取るからね。んふっ♪」
すると予想通りというか、申し訳無いと思うどころか大満足の笑みを見せながら無責任なフォローを入れてくる柚奈。
…いや、もしかしたら大真面目なのかもしれないけど。
「責任て、どうやって責任取るってのよ…?」
「もっちろん、みゆちゃんさえ良かったらお嫁さんにしてあげる♪」
「むぅ、やっぱりそうきたか…」
二人して同性結婚が許される国にでも逢引しようっていう気ですか?
いや、それより…。
「お嫁さん…なりたいんじゃなくて、わたしになって欲しいんだ…?」
「…え?」
それから、わたしがふと頭に浮かんだ他愛も無い事を尋ねると、柚奈は胸を触る手を止めて、きょとんとした顔を見せてくる。
「いや、何となく…」
元々押しかけ女房っぽかったのに、わたしの方が嫁扱いだったんだ?って程度だったものの、思ったより柚奈の動揺を誘ってしまったみたいで、こちらの方が戸惑いを感じたりして。
(…あれ、何かヘンな事聞いちゃった?)
「あんまり考えた事は無かったけど…確かにそうかも、ね」
そして独り言を呟く様にそう答えた柚奈の目には、何処か憂いを帯びていた様にも見えた。
「…………?」
「でもまぁ、みゆちゃんと一緒なら基本はどっちでもいいし、やる事も別に変わらないし♪」
しかし、それも長くは続かず、柚奈の顔はすぐにいつもの笑顔に戻ると、わたしの胸に触れていた手の動きをゆっくりと再開していく。
「ん…っ、もう、身も蓋もないんだから…っ」
「んふふっ、それで参考までに聞いておくと、みゆちゃんはどっちがいいの?」
「え〜?結婚するの確定なの…?」
「そりゃあ、はじめてを奪っちゃった以上は…ぐふふ」
「ええい、唇を奪って胸触った位で図々しい…んあっ」
あまり調子に乗るんじゃないと言いたいものの、最後まで言い終える前に柚奈の胸を揉む力加減で黙らされてしまうわたし。
やっぱり、今の立場は柚奈の方が圧倒的に強かった。
「大丈夫。これから少しずつ色々いただいちゃって、いずれはみゆちゃんの方から責任取ってと言わせちゃうから♪」
「この…ヘンタイお嬢様…めぇ…」
「でも、みゆちゃんが可愛すぎるからいけないんだよ〜?正直、去年の今頃はこんな幸せな気分の日常がまた来るなんて思わなかったけど」
「え…?去年?」
それに、”また”…?
「あはは、ごめん…つい舞い上がっちゃってヘンなコトばかり口走っちゃってるね、私…」
「ううん…でも、そういう独り言って追求しちゃってもいいのかな?それとも、聞かなかった事にしておいた方がいい?」
「それは、みゆちゃんにお任せ。みゆちゃんが求めるなら、私は何でも答えるし、何だってしてあげられると思うから」
「う…っ、さりげに口説いてきたわね…」
今回はしっかりと見返りを求めてきたくせに。
「…でも、まずはみゆちゃんの事をいっぱい知りたいな。心もカラダも…ね」
そして柚奈はそう続けると、手のひらに収まった両胸をこねくり回してきた。
「ああんっ、結局そうなるんだから〜っ」
でも意外と嫌じゃないのが、何だか悔しいんだけど…。
「…ふむ、触ってみた感触だと76のAカップってところかな?」
「ううっ…当たってるのを褒めなきゃダメ?」
これが86のCとでもいうのなら、「良くぞ当ててみせた」と褒めてやろうという気にもなるけど。
「ちなみに、私は86のCだよ〜」
「…裏切り者」
何が裏切りなのかは自分でも分からないけど、ぱっと頭に浮かんだ理想体型そのままなんて…。
「でも、みゆちゃんにはこの位が似合ってると思うけどなぁ…。控えめなふくらみがとっても可愛いよ?」
「ん…っ、皮肉にしか聞こえないもん…」
「少なくとも、私は凄く好みだけど…それじゃダメ?」
「残念ながら、まだそれで納得…って訳にはいかないわねぇ」
いつしか、そんな関係になっちゃうのかどうかまでは分からないけど。
「仕方ないなぁ。…んじゃ、私がおっきくしてあげよっか?」
すると、小さいほうが好みってのは本当だったのか、柚奈はワザとらしく残念そうな溜息を吐いた後で、指先をわきの下周辺からくすぐる様に這わせてくる。
…いわゆる、バストアップマッサージでも始める気みたいだった。
「や…ん…っ、もう、余計なお世話ぁ〜っ」
「でも、やっぱり何も努力しないでってのも虫が良すぎるんじゃないかな〜?とか言ってみたりして」
「もうっ、そうやって柚奈に口実なんて与えないも…んっ!」
それに一応、牛乳位は飲んでるし…っ。
「ん〜、でもこっそりとひとりで揉んだりするよりは、私にしてもらった方が気持ちいいと思うよ?」
「き、気持ちいいなんて…っ」
しかし、それから柚奈が耳元で囁いてきた誘惑の言葉を受けて、わたしの体温が急上昇してしまう。
「現に、さっきからみゆちゃんってば可愛い喘ぎを聞かせてくれてるじゃない〜?んふっ」
「ち、違うもん…っ、これは…」
「これは…?」
「…………」
本当は我慢して抑えようとしているのに、時間が限られてると言いながらも柚奈が会話を途切れさせない様に仕向けているせいで、ついつい声がうわずってしまう。
これが慣れっこなら耐えられるんだろうけど、初めての刺激が多いだけにそれに対する抵抗力も余裕も今のわたしには皆無に等しかった。
「意地悪ぅ…」
…って事で、結局はこうして拗ねるしか手がない訳だ。情けないことに。
「可愛いよ、みゆちゃん…とっても感じやすいんだ?」
すると、半ばヤケ気味に口を尖らせてそっぽを向くわたしに、柚奈は更に追い討ちをかける様にそう囁いてくる。
「そ、そんなコト言わないでよ…」
…とはいえ、はぁはぁと何だか息遣いが荒い所を見ると、柚奈も柚奈で余裕は無いっぽいけど。
「んじゃ、こっちに触れてみたらどうかな…?」
いずれにしても、柚奈の方は攻めの手を緩めるつもりは全く無いらしく、今度は繊細な右手の指先がわたしの太股の上へと伸びてくる。
「や…っ、そこは…っ」
その瞬間、無意識の恐怖心と共に足をぴったりと閉じてしまうわたし。
「…………」
どきどきどきどき。
そんな言葉ではっきりと表現できる程に、わたしの心臓の鼓動は早まっていた。
考えてみれば、この柚奈の手は今朝電車でお尻を触っていた不届き者の手と同じなのに、今触れられている感触は全く違ったものとして伝わってくる。
あの時は、嫌悪感ばかりが先走っていたのに、今はむしろ…。
「ん〜、更にどくんどくんいっちゃってるね…」
「もう、どんな優しくちゅーされたって落ち着いたりしないんだから…」
そして、空いた右胸へ顔を埋めながら呟く柚奈に、責める様な口調で言葉を返してやるわたし。
同時に、もう満足な抵抗も出来そうにないけど。
「みゆちゃんのそーいうウブな反応、大好きだよ?」
「そーいう、柚奈はどうなのよ…?」
息は荒いし、天使の笑みと交互に変態お嬢様のだらしない顔も見せているものの、でも何だか手馴れてる様な気がするのは気のせいですかね?
「…確かめてみる?」
すると、そんな猜疑心に気づいたのかは分からないものの、エンジェル・スマイルの方でわたしの手を取りながら促してくる柚奈。
「え…?」
「ほら…私の胸、触れてみて」
「…………」
「…あ…ドキドキしてる…」
そして、柚奈に導かれるがままに柚奈の胸元へ手を当てると、ブラウス越しにボリュームのある柔らかい感触と共に、その奥からとくん、とくんっとわたしと同じ位に高鳴る鼓動の流れが伝わってきた。
「ね……?」
「…うん…」
なんだ…柚奈も同じで、真剣そのものなんだ…?
「じゃあ、お互いの理解が深まったところで、もっとドキドキさせてあげる」
するり
「きゃ…っ?!」
…と、安堵したのもつかの間、それから柚奈は妖しい笑みを浮かべると、一時中断していた右手をわたしの太ももの上で生き物の様に踊らせ始める。
「ち、ちょっと…柚奈ぁ…っ」
くすぐったいというか、太ももは敏感になりすぎて…だめ…っ。
「いいからいいから…」
しかし、柚奈の指はお構いなしで膝の方まで下がっていくと、今度は膝と膝との隙間へと指先を潜り込ませていく。
「あ…ああ…っ」
「ほら、みゆちゃん力を抜いて?…まぁ、今のままでもみゆちゃんの太ももに締め付けられてるみたいで悪くないけど」
「ばか…そんな事言われても、すっごく恥ずかしいんだからね?」
胸はまぁ、ブラウスと下着の上からという事でまだ何とかなったものの、こっちはさすがに抵抗するなという方が無理な話ではあった。
まぁ、いくらなんでもショーツの中に直接手を入れて触ってこないとは思うけど…。
(って、何を考えてるんだ、わたしは…)
「でも、自由に触らせてくれるっていう約束だからね?」
「う〜〜っっ」
改めて考えたら…いや考えるまでもなく、わたしは何て曖昧な条件で了承したんだろう…?
とはいえ、あの時はこんなに恥ずかしい思いをするなんて予想してなかったのに。
…だって、一応女の子同士なんだし、お触り程度のセクハラなら母親や幼馴染にされた事だってある。
(つまり、相手が柚奈だから…?)
柚奈は所謂、百合な人だから?
いや、それは理由にはなっていない筈だった。
「…………」
…その辺を突き詰めると、なんかもの凄く複雑な気分なんですけど。
「…みゆちゃん?」
「え…っ?!」
しかし、そんな思考も不意に割り込んできた柚奈の呼ぶ声でかき消されてしまう。
「どうしたの?ぼーっとしてたみたいだけど…」
「…ちょっと考え事…かな?」
というか、あんたの事を考えてたのよ柚奈。
「もう…そういうコトしてると、スキありで下着脱がしちゃうよ?」
「そ、それだけはやめて…」
いくらなんでも、まだそこまでの覚悟は出来てませんて。
「でも、見てみたいけどなぁ…」
「な、何をよ…?」
そこで、モノ欲しそうな甘えた目でこちらを見る柚奈に、ジト目を返してやるわたしなものの…。
「はっきり言って欲しい?」
「…ううん、いい」
それから柚奈の口から思いっきり露骨で卑猥な単語が出てきそうな予感がしたわたしは、即座に追求を止める事にした。
「ちぇ〜っ、ここで『はっきり言ったんだから、ご褒美に見せて』って迫ろうと思ったのに、ノリ悪いなぁ」
「あのね…というか、そんな自慢げにお見せする様なもんじゃないってば」
むしろ、他の人より恥ずかしい理由があるだけにねぇ。
「そんなコトないよぉ。今朝、みゆちゃんのお尻触った時も、凄く柔らかくて形がよさそうだったし」
すると、そんなわたしの苦笑交じりの台詞を即座に覆した後で、今度はじ〜っと腰周りへ向けて舐める様な視線を向けてくる柚奈。
「もう、そんなにジロジロ見ないでよ…」
そうやって視線の集中砲火を受けてると、何だか透視されているみたいで落ち着かない心地だったりして。
「んふっ、見られてるだけで感じちゃう?」
「ば……っ」
いきなりなんてコト言うのよ、この……。
「だって、みゆちゃんとっても感度いいしね♪」
そして柚奈は目を見開くわたしに構わずそう続けると、「ふうっ」と耳元に吐息を吹きかけてくる。
「やあ…んっ?!」
「あは。可愛いよ、みゆちゃん…」
「あ……っ」
続けて、甘い囁きの後でわたしの頬に軽くキスしながら、柚奈の右手がいよいよ太股の付け根の方へと迫っていく。
(あうう…っ)
このまま…柚奈に流されて行き着く所まで行ってしまうのかな…?
「…………っ?!」
そんな覚悟に近い事をぼんやりと思い浮かべた次の瞬間、薄いカーテン越しに保健室の前を通りかかった誰かのシルエットが視界に薄っすらと映り、慌てて柚奈の身体を押し戻そうとするわたし。
「もう、今度はどうしたの?」
「だって…今、誰かが通り過ぎたから…」
「いいから、外野の事は気にしないの…今は私だけを見てれば」
しかし柚奈の方は離れるどころか更に密着させてくると、強引にわたしの顔を自分の方へ向けた後で、今度は強引に唇を奪ってくる。
「んん…む…っ」
それから同時に、柚奈の手がまるでこのタイミングを見計らっていたかの如く、一気にスカートの中へと潜り込んできた。
…まるで、わたしとは逆に見えるなら見せ付けようと言わんばかりに。
「こっ、こら…っ、ダメ…っ!」
「もう…暴れたり大声出したりしたら、それこそバレちゃうよ?」
「う…っっ」
そこで思わず全力で引き離そうとしかけるわたしなものの、柚奈の小悪魔的な正論攻撃であっさりと返り討ちにあってしまい、抵抗どころか自分で自分の口を塞ぐ派目になってしまう。
「あは…そんなに気になる?」
「だって…」
シルエットとはいえ、こちらから見えたという事は向こうからも何となく見えるという事だろう。
もし、外からの生徒がこちらに気付けば怪しまれてしまう可能性は十分にある。
「大丈夫だよ。保健室にはちゃんと鍵がかかってるし、中に誰がいて一体何をしているのかなんて分かりはしないから」
「そうなんだろうけど…でも…」
確かに外から見たら、熱で魘されている生徒と、それを看病している先生か友人の姿とでも見えるのかもしれない。
…というのはただの希望的観測であって。
「もう…あまりゴネてると、『もしかしたら鍵掛け忘れちゃったかも?!』なんて意地悪言っちゃうかもよ?私は別に、みゆちゃんとの情事がバレちゃってもウェルカムだし」
「柚奈ぁ…」
「あはは、冗談だよん」
「う〜…っっ」
言ってみただけの冗談でも、全然シャレになってないんだけど。
…と、思わず涙目になるわたしに対して、柚奈はニヤリと楽しそうな笑みを見せてくる。
(というか、柚奈…)
今更気付いたって程の事でも無いけど、さっきからワザと意地悪してわたしの困る顔を見て楽しんでない?
「もう、冗談じゃ済まないってば…せっかくこの学園に慣れてきた頃なのに、また転校なんてしたくないよ」
しかも、人には絶対言えない様な後ろめたい理由を抱えてなんて。
「ん〜、それは困るけど…でも」
「…でも?」
「もし転校する羽目になったら、ちゃんと私も付いて行ってあげるからね〜♪」
「それって根本的な問題解決になってない…」
安請け合いな様で、多分柚奈は本気なんだろうと思えるだけに、嬉しい様な災難の様な…。
(…でもまぁ、好きという言葉に偽りはないって事か…)
弄ばれてる様な気がするのも、あくまで愛情の裏返しってコトで理解していいのかな?
「まぁまぁ、大丈夫だよ。そういう事態には私が責任を持ってさせたりしないから」
「させたりしないって…」
その自信は一体どこから…。
「だから…今は何も余計な事考えないで…ね」
ともあれ、柚奈はまたもそこで強引に会話を打ち切ってしまうと、動きを止めていた右手をスカートの中へ潜らせ、下腹部の辺りからもぞもぞと指先を這わせてきた。
「…ん…あ…っ!?」
それはブラウスの上から胸を揉まれた時とも、直接太股を撫でられた時とも違う、コットンの生地越しに伝わる、くすぐったさを思いっきり増幅した感じの複雑な刺激だった。
いや、柚奈にスカートの中へ手を入れられてショーツ越しに触れられたのは今朝も同じなのに、やっぱりちょっと違う。
朝の時は触られてどんな感覚かよりも逃げ道を探す方に必死だったけど、今回は一応受け入れるのが前提だから、今後の柚奈の指先の行方に神経が過敏に反応してしまってるって感じだろうか。
「あらら、スカートの中は少し汗ばんじゃってるね?脱がせちゃった方が良かった?」
「ばか…」
「だけど、結構ショーツとか蒸れてるんじゃない?今『くぱぁ』ってやったら、いい具合にむわっとみゆちゃんの匂いが…」
「…あんまり調子に乗ってると蹴り飛ばすわよ?このど変態っ」
「心配しなくても大丈夫だよ〜♪別に焦ったりはしないから。ぐふふ…」
「そういう問題じゃないっていうか、イヤらしい笑みはやめなさいっての…」
でも、いつかはこのヘンタイお嬢様にそういうコトされちゃう様な関係になるんだろうか?
柚奈の奴も同時に想像してるのか、美人が台無しな位にだらしない笑みを浮かべてるけど、それでも嫌悪感じゃなくて、更に胸のドキドキが痛い位に加速してきちゃってるし。
(…あ、やばい…このままじゃ…)
制服の前に、心の方が剥ぎ取られてしまう…?
「でも、許してもらってる範囲では遠慮しないからね〜?」
「あ…あう…っ」
そんな思考が頭に浮かんだ考えたすぐ後で柚奈はそう続けたかと思うと、今度は向かい合って座っていたわたしの肩口を不意に押さえ込み、そのままシーツの上へと押し倒されてしまった。
「ゆ、柚奈…っ?!」
「ほら、こうした方が外からは分かりにくいでしょ〜?みゆちゃんの希望通り♪」
「い、いや…確かにそうかもしれないけど…」
だけど同時に、完全にわたしは柚奈の攻撃から逃げ道を失ったって事にもなるわけであって。
「あは。こうして押し倒しちゃうと、更にドキドキしてきたよ。これが征服感ってやつかな?」
「ええい、まだわたしはあんたに屈服したわけじゃ…あひっ?!」
とはいえ、心が剥き出しになりかけるのと比例して感度も上がってしまっていてるのか、次第にわたしは柚奈の指先の動きに合わせて、どうにも隠し様のない強い刺激を受け始めていた。
「はぁ…あ…っ、…んあ…っ」
「うふふふふ…指を動かすごとに身体を震わせて…本当に可愛いんだから…」
「はぁっ、はぁ…っ、くすぐっちゃ…やだぁ…っ」
しかも、柚奈の奴はわたしの反応に気をよくしたのか、次第に太ももに下腹部、そしてブラウスの中へと進入してきた両手がわき腹やお腹全体を擽ってきたりして、その範囲も広がってきてるし。
「やだと言われても、これも権利のうちだし。んふふ〜♪」
「うう〜っ、何かヘン…なの…っ」
身を捩じらせてしまう位くすぐったいのに不快なんかじゃなくて、しかも続けられていくうちに体の芯から少しずつ熱くなっていく。
そんな心地が柚奈だけじゃなくてわたしの理性にまでヒビを入れようとしている様で、何だか怖くなってきてしまう。
「…………」
しかし、そこで安心させてくれる様な言葉を期待したわたしに反して、柚奈は逆に言葉を止めてしまうと、今度は無言のままブラジャーやショーツの上で指を走らせ始めていく。
「ゆ、柚奈…?あう…っ」
(とうとう、口では言えない様な部分にも…きちゃう…?)
黙り込んだって事は、柚奈がとうとう本気になっちゃった?
よりによって、一番壊れそうな時に…っ。
「…………」
(え……?)
危険な予感と共に思わず身体を硬直させるわたしなものの、柚奈の指はどちらも一番敏感な部分には触れないまま、素肌と下着の境界線辺りをなぞりながら感触を確かめている程度だった。
「ん……っ」
「…………」
それでも敏感な部分には違いないし、充分に強い刺激にはなっているものの、同時に焦らされてるかの様でもあって、何ともいえない複雑な気分になってくるわたし。
更に、これが柚奈の白魚の様に繊細な指から来るのだから…。
「ひ…っ、う…っ、ちょっ…やっぱりくすぐったい…」
でも、どうして触れてこないんだろう…?
今なら、逃げたりぶん殴ったりする余力は残ってなさそうなのに。
「…………」
(えっと、柚奈もその事は分かってるとして、敢えてしないって事は…)
もしかして柚奈、わたしの方から求めさせようとしてる…?
「…………」
そんな予感と共にちらりと柚奈の表情を確認してみると、ヘンタイさん丸出しだったさっきまでとは対照的な澄ました顔を見せてはいるものの、同時にわたしという獲物を決して逃がさない様に、しっかりと体重を乗せてベッドへ釘付けにしてきていたりして。
(う〜〜っっ)
おそらく予感的中。
(柚奈…あんたって娘は〜っ)
天使の様に可愛い顔して、その手口は殆ど小悪魔だった。
「もう、ちょっと図に乗りすぎじゃないの、柚奈…んっ?!」
そこで、わたしは文句の一つも言ってやろうとするものの、柚奈の奴は構わずブラに触れている方の指先を胸の先端周辺に移動させてぐりぐりとワザとらしく円を描き始めてくる。
「ひ…あ…っ、そこらめ…ん…っ」
同時に、今までとは比べ物にならない強い刺激が波の様にうねり、わたしは抗議するどころか、唇を噛んで声を押し殺すだけで精一杯になってしまう。
「もう、別に無理して声を抑えなくてもいいのに…。よっぽど大声出さないと聞かれたりしないよ?」
「どっち道、そんなはしたないコト出来ないわ…よぉっ」
「…そう?」
それじゃ、無理にでもさせてあげる。
実際わたしの反論に対して柚奈が返したのはたった一言だったものの、その後の柚奈の指使いは明らかにそんな意図を含んでいた。
「…ん…っ、くぅ…っ」
「はぁ…っ、はぁ…っ」
その後も肝心な部分だけを避け、首筋に胸、そして太股に下腹部と色んな場所をその繊細な指先を駆使してゆっくり、ねっとりと愛撫してくる柚奈。
自分で言っていた通り、焦って強引なコトはしないけど、同時にわたしに逃げ場は与えてくれない。
つまり、いつしかわたしは完全に柚奈の手中で弄ばれているオモチャも同然で、ある意味余計にタチが悪い状況ともいえた。
「…みゆちゃんの身体、とっても熱くなってる…」
(…く…っっ)
ともあれ、後は根気の勝負だった。
わたしの心の中で、もう音を上げて柚奈にこの身を委ねてしまえばいいという気持ちが芽生え始め、同時にそれだけはダメだという反発心と羞恥心が対抗意識となって反目していく。
「……っ、はぅ…っっ」
しかし、そんな葛藤ですら長く続くものでもなかった。
(…でも…もうダメ…かも…)
火照ってくる肌と、連動して敏感になっていく全身の神経、そして柚奈と密着した時に鼻孔をくすぐる彼女の甘い匂い。やがて、そこから休む事なく送り込まれる刺激がわたしの頭の中を蝕み、次第に朦朧とさせてきて、考える事自体が億劫になっていく。
「はぁ、はぁ…っ、んあ…っ」
(触れられるのは初めてのはずなのに、どうしてこんなに手馴れてるのよぉ…っ)
まるで自分自身よりもわたしの身体の事を把握してそうな柚奈の手際に戸惑いを覚えながら、為す術もなく柚奈に蹂躙されていく心地だった。
「ん…ぁぁ…ん…っっ!」
「んふ…そろそろ…かな?」
やがて、抑えていた声が少しずつ大きくなってきた所で、わたしの鎖骨に舌を這わせながらそう囁きかけてくる柚奈。
「んひ…っ、そんなの…いやぁ…っ」
…とは強がるものの、実際のわたしの心の中では次第に抵抗心の方が奪われ、諦めが勢力を増していっていた。
それは既に、沈没船に乗った船長の心地も同然で。
(あう…もうだめ…)
「…はぁ…ぁ…っ」
「ほ〜らほら、何か言いたい事があるんじゃないかな、みゆちゃん?」
「く…っっ」
(うう…柚奈…っ、後で酷いからね…っっ)
そして、頭の中が真っ白になりかける直前に負け惜しみの捨て台詞をモノローグで吐き捨てると、わたしはとうとう柚奈に白旗を揚げようとした。
「ゆ、柚奈…」
…しかし。
「…はい、ここまでね」
「…え…?」
敗北宣言が出かかった次の瞬間、柚奈の口から意外な言葉が飛び出してきたかと思うと、囚われていたわたしの身体は突然解放されてしまった。
「だって…もうお約束の時間はとっくに終わって、そろそろ先生が戻ってきちゃいそうだから」
そして、突然の終了宣言に呆然とするわたしに柚奈はそう続けると、室内にある壁掛け時計を指差して見せる。
(あ、ホントだ…)
促されて時間を確認してみると、確かに15分って約束だったのに、いつの間にか20分が経過してしまっていた。
「時間が過ぎてもみゆちゃんが何も言わないから、らっき〜♪と思って続けてたけど、やっぱりずるは良くないよね?」
「う、うん…でも…」
だからって、こんな中途半端なタイミングで中断されても…。
まるで、夢の中から突然たたき起こされた様な心地である。
「…それとも、放課後に場所を変えて続きをさせてくれる?」
「い…いや、タイムアップならここで終わりね…」
しかし、続けてニヤリと意地悪な視線を向けながらそう尋ねてくる柚奈に、わたしも首を横に振ってみせるしかなかった。
「んふっ♪とっても幸せなひと時だったよ、みゆちゃん。また、宿題に困った時はいつでも相談に乗るからね〜?」
「う〜〜…っ」
「…それじゃ。私、ちょっと行くところがあるから、先に出るね?」
「あ、うん…」
何なんだろう、このすっきりしない気持ちは…。
「…………」
結果的には無難に終わってホッとするべきなのに…。
もう完全に観念して、しばらく恥ずかしくて柚奈の顔が見られなくなる位のコトをされちゃう覚悟までしていた分だけに、拍子抜けというか何というか…。
(…それとも、もしかして期待してた…?)
い、いや、それは断じて無いはず。
…うん、断じて。
1-6:負けるもんか。
「…………」
やがて、柚奈が先に立ち去って行ったその後も、わたしはしばらく何もする気が起きずに横たわったまま、ベッドの上でぼんやりと佇んでいた。
幸い、まだ昼休みが終わるまでは少しだけ時間はある。
「…ん〜〜っ…」
それは何とも形容し難い、もやもやとした気分だった。まるで、悪い魔女にヘンな魔法でもかけられてしまったかのような。
「…………」
この気だるい身体を包んでいる、悪い魔法を解くには…。
(あ、ダメだって…そんなコトしたら…)
…と、心では抵抗するものの、いつしかわたしの右手は殆ど無意識に、とうとう最後まで柚奈に触れられなかった、一番敏感な部分へと伸びていく。
今、わたしの身体は毒が回っている様なものだから、それを取り除いてしまう他に方法は無い。
「…………っっ」
そして、柚奈のニヤリと口元を歪めて勝ち誇った表情を思い浮かべながら、わたしは…。
シャッ
「どうした?本当に具合でも悪いのか?」
「はい…っ?!」
…と、いよいよ行為に及ぼうとした瞬間、突然仕切りのカーテンが大きく開かれ、その向こうから白衣姿の若い女性が顔を覗かせてくる。
この部屋の貸出人である、養護教員の冴草先生だった。
「…あ、い、いいえっっ」
それを見てわたしは一瞬で我に帰ると、慌てて両手を振りながら身を起こしていく。
どうやら、厄介な魔法はショック療法であっさりと解けてしまったらしい。
「もう約束の貸しきり時間は過ぎてるぞ。用が無くなったのなら教室に戻れ」
「あ、はい…」
それから突き放す様に促され、わたしはようやくベッドから降りてカーテンの向こう側へ出ると、胸に手を当てながら小さな溜息をひとつ吐いた。
「ふう…っ」
(…もしかして、危機一髪だった?)
あやうく、冴草先生の前でとんでもない痴態をさらす所だったかも。
「それじゃ、失礼します…」
「ふ…その様子じゃ、随分と可愛がられたみたいだな」
ともあれ、わたしは一礼した後で保健室から立ち去ろうとするものの、出入り口の引き戸の取っ手に手をかけた所で、不意に背後から届いた先生の声で引き止められてしまう。
「…………」
「おっと失敬。余計なお世話だったか」
それから、足は止まってしまったけれど、一体どんな切り返しをすればいいか分からなくて黙り込んでしまうわたしに、今度は反省の言葉の後でぺしっと額を叩く音が背中越しに聞こえてきた。
「…………」
しかし、それに対してわたしは肯定も否定もせず、ただ黙り込むだけ。
正直に答えたくないかどうか以前に、実際どちらとも言えないワケだしね。
…多分。
「そういえばお前さん、確か転入生だったか?」
「え、ええ。そうですけど…?」
「そうか…眠れる姫の心を開かせるきっかけを作ったのが通りすがりの王子様で、それを解放したのは運命の糸に手繰り寄せられて訪れた、可愛いエトランジェという訳か」
「はい…?」
そしてその後、何だか良く分からない台詞を訳知りな口調で続けてくる冴草先生に、引き戸を開けようとする手を止めて振り返るわたし。
(なに、何の話…?)
「エトランジェって、わたしの事ですか?」
「うむ、そうだ」
(…いや、エトランジェと言われても、わたしはれっきとした日本人なんですけど)
ついでに運命の糸に手繰り寄せられてと言われても、全ては親の都合で決まったことだし。
まぁ、その辺は大げさな比喩表現として納得するとして…。
「それで、眠れる姫が柚奈だとすると、王子様というのは?」
どうして眠れる姫なんて呼ばれてるのかも気になるけど、まずは配役を聞いておかない事にはね。
「王子様と言っても、白薔薇の君だがな。君達の身近に該当者がいるだろう?」
すると、質問を続けるわたしに小さく肩を竦めながら、謎かけでもしている様な曖昧な言い回しで返答を返してくる冴草先生。
(…身近な白薔薇の君って事は、つまり茜の事…?)
というか、身近で王子様役が出来そうといえば、完全に一択である。
「柚奈と、茜か…」
そう言えば、この二人は去年からの親友だと聞いたけど…。
「以前この二人に、何かあったんですか?」
「気が向いたら尋ねてみるといい。これでも今日に至るまで紆余曲折があったみたいだからな」
「…いえ、別にいいです。あまり興味無いですし」
しかし、思わせぶりにそう促す先生に対して、わたしはあっさりと拒否の言葉を返した。
正直、人の過去を不用意にほじくってみた所でロクな事にはならないのが常というものだろうし。
ましてや、今現在がいい関係を保っているのなら尚更…ね。
「そうだな…必要が無ければ知らない方がいいという事もあるだろう」
「…………」
絶対、心の中でそうは思ってないでしょ…というか、分かってるなら徒に不安感を煽る様な話自体を持ち出してこなきゃいいのに。
「…というか先生、柚奈達の事に詳しいみたいですけど、今までもあの子はこうやって保健室を借りたりしてたんですか?」
しかもまさか茜と一緒に、とか…。
「ん…?」
「あ、いえ、何でも無いです…」
…しまった。気にしないといいながら、しっかり感化されてるよ、わたしってば。
そんなの、別にどうだっていいはずなのに…。
「そうだな。度々ひとりエッチをしたいから貸してくれって言ってくる事はあるかな」
「んな…っ?!」
「まぁ、冗談だけどな」
「…あんまり微妙な冗談を言わないで下さい…」
というか、一瞬本気で信じてしまったりして。
「微妙な冗談?もしかして、桜庭がそういう娘だって思っているのか?」
「あ、いいえ…」
すると、そんなわたしの溜息混じりのツッコミに対して、じろりと非難の目を向けてくる先生に、慌てて首を振って取り消すわたし。
(…しまった。偏見でものを言ってしまったか…)
さすがに悪かったというか、柚奈が聞いたら怒ってお仕置きされちゃうかな?
「まぁ、そういう娘なんだろうけどな」
「…………」
しかし、反省するも束の間、あっさりと冴草先生に覆されてしまう。
「いや、実際ひとりエッチの為に貸し出した事は無いが、好きな人とベッドの上でイチャつきたいから貸切らせてくれと申請してくる位だから、まぁ何となく」
「……失礼します」
「うむ。また来るがいい」
確かに、今回に限って言えばわたしも含めて反論の余地は無いか。
とりあえず、わたしはそれ以上は何も追及すること無しに、さっさと保健室を立ち去る事にした。
ぴしゃり
「…はぁ、まったく…」
それから、後ろ手でドアを閉めた後で溜息をひとつ。
どうして柚奈の知人って、どいつもこいつも何処かズレてるんだか…。
「…………」
(…もしかして、わたしもそのひとり…?)
いや、認めたくは無いけど。
*
「あ…柚奈と茜だ」
やがて教室に戻る最中、廊下で柚奈と茜が何やら会話を弾ませている光景を目撃するわたし。
…いや、別に目撃なんて仰々しい言葉を使うまではないんだろうけど、何だか割って入っていける雰囲気でも無さそうだったので。
「随分と御満悦みたいね、柚奈?」
「ん〜ふふ〜♪みゆちゃん可愛かった」
ともあれ、わたしは近くの物陰で立ち聞きしてみると、どうやら話題は先ほどのお触りタイムについての事らしく、柚奈は極めて上機嫌な笑みを茜に見せていた。
「…それで、結局どこまでしちゃったの?」
「ん〜、まぁ基本的にソフトタッチで色々と。最初のステップにしては、結構いい所まで持って行けたと思うけど…」
「へぇ、それでそれで?」
「…でも、結局肝心な部分には触れないで止めちゃった」
「なるほど。一気に落としちゃうんじゃなくて、じわじわと長期的に攻めて行くつもりね?」
「うん。それに、今回は一応ちゅーが出来ただけで満足だし♪」
「おっ。大金星じゃない、柚奈?」
「でしょでしょ〜♪」
(…何が大金星よ…)
ただ単に雰囲気に流されただけだもん…。
(それに柚奈も、嬉々として言って回らないでよね…っ)
これは、後でちゃんと口止めしておかないとダメかな?
茜までは仕方が無いとしても、気づいたらクラスメート全員が知ってたって事になりかねないし。
「となれば、後は時間をかけてじっくりと落としていくって予定かしら?」
「んふっ♪もしかしたら、そんなに時間はかからないかもしれないけどね。みゆちゃんってば、さっきも突然止めた時に安心するより物足りなさそうな顔をしてたし…」
そしてそう呟いた後で、目をきゅぴーんと光らせながら怪しい笑みを浮かべる柚奈。
(…んな…っ?!)
うわ、全てお見通しってわけ?
「まったく、柚奈も意地が悪いわよねぇ…分かってて、ワザと中断したんでしょ?」
「ん〜、でも強引になりすぎて嫌われるのだけは避けたかったし…」
「そっか…柚奈、やっぱり本気なんだ…?」
「どうして…?」
それから、どこか表情に陰りを残しながら呟く茜に、柚奈はそれがどうしたと言わんばかりの表情で尋ね返す。
「あ、ううん…まぁ、そういう事ならお手並み拝見といきましょうかね、あたしゃ」
「任せといてよ♪とりあえず、ああやってスキンシップを積み重ねていけば、いつかはみゆちゃんの方から求めてくるだろうなぁって思ってるんだけど」
「それって、モノ欲しそうな表情でこちらを見るみゆに、『フフフ…それじゃどうして欲しいのか言ってごらんなさい?』…みたいな感じの展開を希望?」
「あはっ、考えただけでゾクゾクしちゃうよねぇ?」
「…………」
そこで、わたしは先ほど柚奈と別れてから実行しようとした自分の行動を思い出す。
あの時、もし冴草先生がやって来なかったら…。
「…………」
「…ううっ、負けるもんか」
偶然とはいえ柚奈の企みを知った以上、改めて思い通りになんてならないぞと誓うわたしだった。
…まだ、柚奈との第2ラウンドは始まったばかりなのだから。
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