れるお姫様とエトランジェ Phase-4 その2


Phase-4:『エトランジェ』

4-6:メイドさんスタ〜ト。

「ほいみゆ、衣装出来たわよ?」
 そして、学園祭の出し物が決まってから一週間後の昼休み、柚奈と教室でお弁当を食べていたわたし達の元へ綾香がやってくると、モノクロームのエプロンドレスを差し出してきた。
「出来たって…これって、もしかして綾香が作ったの??」
「当然。既製品を買うと高いでしょ?かといってハンズに売ってる様な安物じゃ話にならないし」
「はえ〜っっ…大したもんねぇ」
 そこでわたしはお弁当を食べる手を止めて渡された衣装を広げて見てみると、言われなければ市販品じゃないかと思える程の見事な仕上がりだった。
 看板娘仕様のつもりなのか、ややスカートが短かったり、フリフリが過剰気味だったりもするけど。
「ちっちっちっ。演劇部兼、被服部の部長を舐めてもらっちゃ困るわよ?」
「そりゃ、初耳だったわ」
 なに、その究極ご都合主義の組み合わせ。
 …まぁ、演劇部にレイヤーは多いらしいってのは何処かで聞いた事があるけど。
「ま、本来のメイドさんの衣装とは程遠いんだけど、これも商売だしね…本当は、リアルに19〜20世紀初頭のイギリスの貴族の屋敷とか追及したかったんだけどさ」
「いや、別にそこまで本格志向にならなくても…」
 あくまで学園祭の余興なんですから。たった1日限りの縁に過ぎない訳で。
「甘いっ!看板娘がそんな事でどうするの?!」
「ひっ、ひぃぃっっ」
 しかし、そんなわたしの呟きは、綾香に一喝されてしまう。
「いい事?今日からみゆは千の仮面を持つ女。本当のメイドになったつもりで演じ切るのよ?」
「いや、演劇をやる訳じゃないんだから…」
「コンセプトは似た様なもんでしょ?格好だけのメイドなんて、私は認めないわよ?」
「え〜っ、そう言われても…」
 そんな話は聞いてないというか、もしかして変なスイッチが入ってない、綾香?
「ね?柚奈もそう思うでしょ?」
「うんうん。いずれはみゆちゃんにメイドさんのバイトしてもらおうかと思ってる事だし。ここはしっかりと修行してもらわないと」
「…勝手な予定、立てないでよ」
 精々、就職先が見つからなかった最後の手段って所で。
「ともあれ、早速衣装合わせしてみましょうか?」
 そして会話も一段落した所で、やや強引に切り出してくる綾香。こっちはまだ食事が終わっていないというのに、早く着せてみたくて仕方がないといった感じだった。
「ここで着てみるの?」
「ん〜、昼休み限定の生着替えショーやりたいなら構わないわよ?」
「え?本格的に着付けてみるって事?」
 こういう場合って、サイズが合ってるか服の上から袖を通してみるだけじゃないの?
「ちっちっちっ、やっぱりまだまだあんたは意気込みが甘いわね。いいから来なさいっ」
「ひ、ひえええええっ?!」
「面白そうだから、私も〜♪」
 そうして、わたしは綾香と柚奈の2人によって強引に引っ張られて行ってしまった。
 お弁当箱の中には、まだ最後の楽しみに残していた苺が残ってるのに…。

「…さて、着心地はどう?」
「う〜ん…サイズは丁度いいけど、スカートが短すぎる気がする…」
 その後、更衣室まで連れて行かれた後で渋々と着替えてみたけど、スカートの丈がエプロンの裾辺りまでしかないんですけど。
 …つーか、エプロンドレスにミニスカートは邪道だと思うのですよ、わたしは。
「これ、ちょっと屈んだら見えてしまわない?」
 床に物を落として拾う時とか、何だか妙に苦労しそうだった。
「ま、その辺りは計算済み。転んだりしない限りは見えそうで見えない様に調整しているから」
「ふーん…だといいけどね…」
 まぁ確かに、ミニスカートも階段の下からギリギリ見えない様に調整されてるんだけどね。無防備な様で、実は良く出来てたり。
「それに、当日はドロワーズを支給しといてあげるから、思う存分コケてくれていいわよ?」
「誰がそんな事しますかっっ!!はしたないっっ」
 ドロワーズとは、所謂かぼぱん。元々スカートの中が見えてしまうことを前提にした、見せ下着の元祖の様なもので、メイドさんの下着としては定番とは言えるんだけど…。
 だからといってワザワザ見せる様な真似をするのは、やっぱりメイド…というか、花も恥らう乙女のする事では無くて。
「いいじゃない?ちょっと位サービスしたって。お客さん喜ぶわよ?」
「…ちょっと待て。確認しておくけど、うちは健全なお店なんだよね?」
 風俗とかと区別が付かなくなるのは、勘弁して欲しいんですけど。
「勿論、健全なお店だから、ドロワーズとか支給するんじゃない?」
「それは絶対方向性が間違ってる…」
 どうして、見えるが前提なんですか。あんたは。
「そうそう。やっぱりメイドさんと言ったら、ガーターベルトとレースのショーツだと思うんだけど?」
 そして、そんなわたしの台詞に、柚奈がこれまた見当外れも甚だしいフォロー(?)を不満顔で入れてくる。
「あんたは黙ってなさい、柚奈」
 勝負下着のメイドさんなんて、いかがわしいにも程がある。
「いやいや、あんまりやりすぎると風紀委員からの指導が…ねぇ…」
「…ううっっ、私が生徒会長だったら一切口出しなんてさせなかったのに…っっ!」
 そんな綾香の台詞に、柚奈は悔しそうに地団駄を踏んだ。
「あんたね…」
 理由は分からないけど、やっぱり去年辞退して良かったんじゃないかなぁ。
 無理が通れば道理は引っ込むを地で行く生徒会長になりそうだった。
「まぁ、そのエプロンドレスはみゆにプレゼントするから、学園祭が終わったらあんたらで好きな様にプレイを楽しんでちょうだいな」
「そんな気遣いは無用だってばっっ」
 何のプレイだ、何の。
「ありがと〜♪」
「あんたも素直に喜ぶなっっ!!」
 わたしは絶対にしませんからっっ。
「とにかく、サイズは問題ないみたいね。良かった良かった」
「問題ないって言っていいのかなぁ…?」
 やっぱり、スカートの丈はもう少し長めの方が…。

キーンコーンカーンコーン

 しかし、言葉にして主張しようとしたわたしの言葉を遮る様にして、昼休みを終えるチャイムが更衣室内に響きわたる。
「あわわ、さっさと着替えて戻らないと…」
 どうやら、今はそれどころじゃないみたいだった。
「ちょっと待った。…ねぇ、せっかくだから放課後まで着ておかない?」
 しかし、慌ててエプロンドレスを脱ごうとした所で、綾香から制止がかかる。
「はぁ?このメイド姿で午後の授業を受けろと?」
 失礼ですが気は確かですか、綾香さん?
「いいんでない?どっちみち一度はクラスメートにもお披露目して、意見を聞いておきたいって思ってたしさ」
「私的には、もう少しスカートが短くてもいいかも〜」
「これ以上短くしたら、ワ○メちゃんと変わらないってば…じゃなくて、そんなの許可されないに決まってるじゃない?」
「まぁまぁまぁ。交渉次第だってば。さ、行こっか♪」
「何だか面白くなりそう〜♪」
「わたしは全然面白くな〜〜いっっ!!」
 しかしそんなわたしの抵抗も空しく、今度は綾香と柚奈の2人に背中を押し出される様にして、強引にこのまま戻る羽目になってしまった。

「…姫宮。授業に遅刻してきた挙句にその格好、一体どういうつもりだ?」
 案の定、遅れて戻ったわたし達は、5時間目担当の御崎先生からジロリと睨まれてしまった。
 もう、ただでさえ年がら年中不機嫌そうな先生だってのに…。
「いえその…どういうつもりなのかは、わたしじゃなくてそこにいる責任者に聞いてください…」
 ともあれ、わたしは溜息混じりに後ろにいる綾香へ手を向けながらそう答える。
「責任者って、私?」
「首謀者って言い換えた方がいいかしら?」
「もぅ、仕方がないわねぇ。自分がメイド服を着ていたいからって素直に言えばいいのに」
「誰がそんな事言ったっっ」
「仲間割れはいいが永源寺、これは一体どういうつもりだ?私の授業を妨害でもしたいのか?」
 それでも、とりあえず御崎先生はわたしの言い分を認めてくれたのか、今度は睨む視線を綾香(永源寺さん)の方へと移動させていく。
 そーだそーだ。言ってやれ。
「え〜実は、さっきまで今度の学園祭の出し物での衣装合わせをしてたんですが、クラスのみんなにもお披露目しておきたいと姫宮さんが言うもので」
「だーかーらー、わたしは言ってないってばっっ」
 ちょっと、柚奈も後ろでニヤニヤしてないでフォローしてってばさ。
「まだまだ改良の余地もあると思うので、よろしければ、先生も後で感想をいただけないですか?」
 しかし、そんなわたしの願いも虚しく、柚奈も完全に綾香寄りのフォローを入れてくる。
(あーもう…)
 もういいよ。三人纏めて怒られちゃえ。
「……ふむ、ならば仕方が無いな」
 しかし、エプロンドレスを着たままでやけっぱちになったわたしに、御崎先生はしばらく考える仕草を見せた後でそう告げてくる。
「へ?」
「勿論、普段ならゲンコツの一発でもかまして着替えて来させる所だが、今は学園祭の準備期間であるし、必要というのであれば特例も認めねばなるまい」
「いや、あの…むしろ叱ってくださって結構なんですが…」
 着替えさせてくれるなら、少々痛いのも我慢しますので。
「…という訳で、とっとと席に付け、そこのメイド」
 そして、わたしの反論は聞く耳持たずとばかりに、しっしっとチョークを持った手でわたしを席へと追い立てる御崎先生。
「うう〜っっ、分かりましたよぉ…」
 まったく、なんて教師だ。
「ちょっと待て、そうではないだろう?」
「はい?」
「察しの悪いメイドだな。かしこまりました、御主人様ぁ♪…だろう?」
「…………」
 えーっと、そろそろ殴ってもいいですかね?先程からわたしの右手はワナワナと震えてる事だし。
 …と言うか、これが男の教師だったら、セクハラで訴えてやる所だけど。
「んじゃ、授業を再開するぞ。では、最初の問1だが…ほれ、やってみろそこのメイド」
 ともあれ、わたし達が着席してようやく授業が再開されたかと思うと、いきなり当てられてしまった。
「…姫宮です、わたしは」
「言葉遣いがなってない。減点1」
「……くっっ、か…かしこまりました、御主人様…」
 くそっ、いつか見ていろ…。
「ちなみに、解けなかったらお仕置きな?」
「ちょっ、いきなりどうして?」
「それはお前がメイドだからに決まってるだろうが。全く察しの悪い」
「…………っっ」
 しまいには、教育委員会へ訴えるわよ、このセクハラ教師っっ。
 …と言いたい所だけど、まさかメイドの格好で授業を受けていたらセクハラを受けたなんて、正直には申告できないのが苦しかったり。
 考えてみたら、綾香に着替えさせられた時点でもうハメられてるのよねぇ…。
(はぁ…どうしてわたしはいつもこうなんだろう…??)

4-7:真剣勝負なのよ。

キーんコーンカーンコーン

「はぁ〜っ、やっと終わった…」
 やがて、6時間目のチャイムが鳴ると同時に、わたしはぐったりと机の上へと力尽きてしまった。
 いつもと変わらない授業をいつもの様に2時間受けただけのはずが、今日は妙に長い午後だった気がする…。
「おつかれ〜。でも、凄い人気だったね?さすがはマイハニー♪」
「誰がマイハニーだっ…って、もぉ…今時メイドなんて珍しくないじゃないのよぉ…」
 柚奈へのツッコミもそこそこに、ぐったりしたままでぼやくわたし。結局あれから、何かにつけて当てられたというか、散々弄り回されてしまったりして。
「ねぇねぇ、さっき清水先生が言ってた秘密の地下室って、本当にあるのかな?」
「…しらねーわよ、そんなもん」
 5時間目で御崎先生に散々遊ばれたかと思ったら、6時間目の英語はS疑惑のある清水先生だったもんなぁ…。
 綾香がわたしの格好について意見を求めたら、首輪も欲しいと言いだしたのは、流石に土下座して許してくださいと言いそうになったけど。
「でも、この様子なら当日は大盛況かもね?」
「あ〜、わたしにしたら、余計に気が重く…ひゃいいっ?!」
「はいはい、ぐったりするのは早いわよ。今日から練習を始めるんだから」
 しかし、最後まで言い終わる前に突然両脇を掴まれて飛び上がると、そこには今日一日に関しては柚奈よりも良く見ている気がする綾香の顔があった。
「練習??」
「そ。接客の練習。外見の反応としては上々みたいだから、後はちゃんと接客が出来る様になれば、この勝負は貰ったも同然でしょ?」
「何の勝負よ、何の…」
「あれ、柚奈から聞いてないの?うちの学園祭でのクラスの出し物は課外授業扱いで、来場者のアンケート次第で成績が決められるのよ?上位なら賞品も出るけど、下位ならペナルティね?」
「え、えええええっ?!」
 そんなの、聞いてませんがな。
(…いや、待てよ…)
 そう言えば、母上からそれらしい台詞を聞いた気がする。
『昔と制度が変わっていないなら、結構みんな真剣勝負だろうから』
 つまり、あの言葉の意味はそういう事か。
「勿論、評価はクラス単位で一蓮托生だから、つまりうちのクラスの運命はあんたの双肩にかかってるって事。分かったら、練習するわよ?」
「そ、そんな話になっていたとは知らなかった…」
 まるで諦めろと言わんばかりに、綾香からぽんぽんと肩を叩かれながら、思わず天を仰いでしまうわたしだった。
(それより、わたしは今日いつまでメイドの格好してればいいんだろう…??)

「さて、それじゃ始めますか」
「…それはいいけど、何で相手が柚奈なのよ?」
 やがて、数人を除いて誰もいなくなった教室で準備を整え、いざ練習開始という所で、わたしは目の前にワクワクした顔で座っている柚奈に不満そうな声を出してやる。
「とりあえず本物のお嬢様ってのもあるけど、最初は身近な人間から始めた方がやりやすいでしょ?」
「…いや、むしろやりづらい気がするんだけど…」
 赤の他人だから恥を掻き捨て出来るというか、どうしてよりによって柚奈なのよっていうか。
「ほらほら、いいから接客の練習を始めるわよ?今から柚奈に教室を一旦出て入室してもらうから、みゆはそれを出迎える。OK?」
「ええと…いらっしゃいませって??」
 そう言えば、今までの人生で人に向かってそんな言葉を言った事がない気がするんだけど、大丈夫なのかなぁ…?
「お馬鹿、思いっきり媚びた声と仕草で『お帰りなさいませ、お嬢様ぁ〜♪』に決まってるでしょうがっっ」
 しかし、そんな不安感の混じったわたしの質問に、最後の「がっっ」の部分に残響を響かせて力一杯に指摘してくる綾香。
「お、思いっきり媚びたって…」
「いい?こういう場所のメイドさんってのは客を癒してナンボなの。少々演出過剰な位が丁度いいと知りなさい」
「う〜ん…」
 でもそれって、職務が接客に特化したウェイトレスさんに特化した理屈だと思うんだけど…。
 そもそも、メイドさんって癒し目的で雇われる存在じゃない気がするんですがね。
 …まぁ、それを言っちゃったらメイドカフェという存在そのものを全否定になっちゃうけど。
「とにかく、何度も繰り返して慣れるしかないわね。こればっかりは」
「はぁ…」
 まぁ、メイドさんでなくても将来接客業に従事する可能性は無いとは言えないし、こういう経験も後で生きてくる事もある…と勝手に思い込んでやるとしますか。
「〜〜っ♪」
 …だから、あんたも期待感に目を輝かせないの。
「はいはい、いいからとっとと始めるわよ。ここで恥ずかしがってたら何にもならないんだからね?」
「あ〜う〜…」
 こういうのって、やっぱり向き不向きはあると思うんだよね…。
「はい、それじゃ柚奈が来店してきました」
「こんにちは〜」
「…おっ、お帰りなさいませ、お嬢様♪…っっ」
 ともあれ、綾香の進行に促される様にして恥ずかしさを振り払ったわたしは、一度教室を出た柚奈が入ってきたタイミングを見計らって、精一杯の愛想を振り撒きながら頭を下げた。
「…………」
「……どう?」
「う〜ん、媚び方がイマイチ足りないかなぁ」
 そして恐る恐る尋ねると、柚奈は肩を竦めながら首を左右に振る。
 どうやら、お嬢様にはイマイチお気に召されなかったらしい。
「媚び方が足りないって言われてもなぁ…どうすればいいの?」
「とりあえず、話しかける時は斜め四十五度からの上目遣いを意識してみたらいいんじゃないかしら?」
 すると、綾香からそんな指摘が返ってきた。
「上目遣い…ねぇ」
 良く分からないけど、まぁその位なら…。
 とりあえずわたしは、指示された通りに柚奈へ深々とお辞儀をした後で、角度を意識しながら不安な感情と共に柚奈の目を覗き込んでみる。
「…えっと、こんな感じ…かな?」
「…………」
「…………」
 しかし、相変わらず柚奈から反応は無い。
 …無いんだけど、さっきと決定的に違う事があった。
「えっと…柚奈??」
「……ううっ……」
「…うん。どうやら合格みたいよ、みゆ?」
「なんだかなぁ…」
 わたしから目を逸らせながらボタボタと鼻血を垂れ流す柚奈の姿を見て、満足そうに合格を告げてくる綾香。
「つーか、そんなに効果的なものなの?」
「んじゃ柚奈。鼻血を拭いたら、今度はみゆに上目遣いしてみて」
「ほわ〜い…」
「え〜、今更柚奈にそんな事されても、別に…うっ…」
 しかし、別に何ともないと言おうとしたものの、下から何かを訴える様に覗き込んできた柚奈の視線を受けて、ズキューンと何かがわたしのハートに刺さってきてしまう。
 …あー、確かに悪くないかも、これ。
「どう?」
「…うん。ちょっとだけ分かった気がする…」
 鼻血までは出ないど、ちょっと一瞬柚奈を抱きしめたくなってしまったし。
 なるほど、媚びるとはこういう事ですか。ちょっと勉強になったかも。

「はいはい、んじゃ接客態度の基本が掴めた所で、今度はロールプレイしてみるわよ」
 そして休む間もなく、手をパンパンと叩きながら練習の続きを促してくる綾香。
 なんだかもう、すっかりと新人バイトの教育係が板に付いてきている感じだった。
「はいはい…」
 やっぱり柚奈相手だと、イマイチ気分が乗らないけど仕方がないか。
「…えっと、それでご注文は…?」
「ん〜っと、みゆちゃんを♪」
「帰れっっ!!」
 にっこりと笑みを浮かべてそうのたまう柚奈に、わたしは即座にだんっと机を叩く。
「え〜?」
「いいから、少しはマジメにやんなさい」
 温厚なわたしもキレるわよ、しまいにゃ。
「あ〜ダメダメ、みゆ。その程度は適当かつ穏便に流さないと」
 しかし、そこで綾香から駄目出しが入ったのはわたしの方だった。
「そんな事言われても…」
「つーか、多分その手のからかい半分の反応はいくらでも出てくるわよ?その度にいちいち怒ってたら商売にならないでしょ?」
「まぁ、それはそうかもしんないけどさー…」
「そうだよぉ。私はみゆちゃんの為を思って言ってるんだから♪」
「…うるさい」
 あんたの場合は本音でしょうが。心からの。
「とにかく、いちいち真に受けない事ね。かといって、無視しても愛嬌が無いと思われるから、適当な答えを返してスルーするのが一番よ」
「でもさ、わたしって結構そういうの苦手だから、押しの強い人相手だと本当に持って行かれちゃったりして…」
 今まで柚奈に好き勝手に弄ばれてるのが何よりの証拠とでも言うか。
「なっ、そんなのダメぇぇぇぇぇっっ!!」
 すると、突然柚奈の顔色が変わったかと思うと、渾身の力を込めて抱きついてきた。
「じ、冗談だって、柚奈…」
 どうやら今度はわたしの冗談半分の台詞を柚奈が真に受けてしまったらしく、まるで奪い取ろうとする者から死守するかの如く力任せに抱きしめてきて、かなり苦しいんですけど…。
「綾香ちゃん…みゆちゃんを看板娘にってのは否定しないけど、もし何か間違いでもあろうものなら、たとえ不可抗力であろうと責任の一端は負ってもらうからね?」
 そして抱きしめる力はそのままに、今度は威圧を込めた視線を綾香へ送る柚奈。
「あ、あははは…大丈夫だって」
 しかしそんな軽い台詞とは裏腹に、綾香の頬には冷や汗が滴っていたりして。
「むぅ…こうなったら、当日はいつも断ってるボディーガードを呼び寄せておこうかしら…」
「ちょっと、何か物騒な事言ってるわよ、このお嬢様…?」
「う〜ん…男性客相手には、『うちの看板娘に手を出すのなら、命懸けで』って注意書きが必要になってくるかしらね…」
「そういう問題じゃないだろ、おい」
 つーか、黒服にサングラスの人達が裏で目を光らせてたりしたら、余計にいかがわしさが増してききそうなんですが。
「まぁ、結局はみゆ次第って話になるんだから、しっかり練習しないとね?」
「へいへい…頑張りますよ」
 まぁ、やっぱりそうなりますか。
 …でもまぁ、無理難題と言っても、任せられた以上は綾香達から信頼されてるって事だろうから、自分が出来る分は精一杯やらないと…ね。
「んじゃ今から順番にお客になって、よってたかってみゆを困らせてみましょうか?」
「さんせ〜♪何だか面白そうだし」
「ちょっと待って、それはいきなりハード過ぎっっ。…それと『面白そう』ってのは聞き捨てならないんだけどっっ」
「まぁまぁ。やっぱり練習といっても、楽しんでやらないと続かないでしょ?」
「だから、わたしは全然楽しくないんだってば…」
 ただ、わざわざ自問して意気込まなくても、強制的にそうさせられてしまいそうだけど。
「まぁまぁ、それだけみゆちゃんがみんなに愛されてるって事で♪」
「…あ〜、そーですか」
 確かに悪意は感じないからマシと言うべきか、だからこそ断りきれないのが厄介というべきなのかは微妙な所だけどね。いつもの事ながら。

4-8:どっきりばったり。

「お帰りなさいませ、お嬢様〜♪どうぞこちらへ」
 …いや、やっぱり初めての客相手にお帰りなさいは妙だと思うんだけどね。
「ありがとうございました♪それでは行ってらっしゃいませ、お嬢様〜♪」
 これもよくよく考えたら、また来るのを強制してるみたいで、結構いやらしい台詞よねぇ…。
「…………」
(…だから、余計な事考えちゃ駄目だってば…)
 一応頭では分かっているつもりなのに、やっぱり気付けば脳内でツッコミを入れてしまうわたし。
 そうは言っても、肝心のお客様の方でそれを不自然に感じてる人はいないみたいだから、これはこれでいいんだろうけどね。
「あ、いら…もとい、お帰りなさいませ、旦那様〜♪」
「あー、いえ…出来れば自分は『御主人様』の方向で…」
 続いて、近所の公立校の制服を着た男子生徒が御来店されたのを見て、早速満面の営業スマイルと共に挨拶すると、ポリポリと照れくさそうに頭を掻きながらそう要求してくる。
(へいへい、分かりましたよ)
 この手の要求も、既に何度か目。最初は呆れたりもしたけど、そろそろ慣れっこだった。
「ちょっと困ります、お客様。みゆちゃんに御主人様と呼ばせていいのは、この私だけ…むぐ…っ」
「…うるさい。あんたはいちいち出てこないの」
 そして、その度に柚奈が余計な横槍を入れてくるのも…ね。
「それでは改めまして。お帰りなさいませ、御主人様〜♪」
 わたしは手馴れた動作で柚奈の口を塞いで黙らせると、改めて相手の要望通りの挨拶を見せる。
「えへ、どうもどうも♪」
 すると、満足そうに頬を緩めながら、お席へ案内するわたしに付いてくるお客様。
(自分でやっといて言うのも何だけど、単純だなぁ…)
 ただ、妙にこだわる人が多いのも確かみたいね。こう呼んで欲しいと指定する人もいた位だし。
 まぁさすがに、「お兄ちゃんと呼んで」というのはお門違いなのでお断り申し上げたけど。
(まぁ、それはそうとして…)
「かしこまりました♪少々お待ちくださいね、御主人様♪」
 正直、昨晩まではうまくやれるのか不安で仕方が無かったのに、いざ始まってみると意外と何とかなってるみたいだった。
 その辺は、割とホッとしてるのは確かなんだけど…。

「…はぁ〜っ、それにしても重労働だよね…」
 やがて自分に割り当てられた昼食時間になり、カウンターの奥にあるパーティションで区切られた控え室に戻ると、わたしは自然と漏れてくる疲労の溜息と共に、看板娘にはあるまじきラフな体勢で椅子に腰掛けた。
 看板娘と言っても、勿論1人で全てのお客様の接客をする訳ではなくて、基本は交代制ながら、わたしがシフトされている時間が他の人より幾分長いだけの話。そんな訳で、柚奈もわたしとはデザインが違うエプロンドレスに身を包んで接客していた。
 ついでに、出来る限りわたしの側で仕事しているのも、フォローというよりボディーガードのつもりなんだろうけどね。
 その為、わたしの看板娘ってステータスが随分と薄れているのには気付いて無いみたいだし。
(綾香は柚奈がメイドさんに向いてないって言ったけど、やっぱり元が違い過ぎるんだってば…)
 柚奈の場合、多少の向き不向きなんて無視してしまえる美貌の持ち主なんだから。現に入店されたお客さんで、思わず見とれてしまっていた人も少なくはなかった。
 そして、もう一人の異なる美貌の持ち主である茜は、午前中にタキシード姿で校内を回ってビラ配りをしていたはずだった。当初は茜も執事姿で接客して女性客を狙おうという予定だったものの、水泳部と掛け持ち参加の形になるので、午前中だけクラスの方に参加して集客係をするという事で手を打つ事になったという訳。
 まぁ正直な話、わたし的には茜をメインにした執事カフェをやった方が盛況したんじゃないかとは思うんだけど…。
(それでも、思ったより盛況してるよね。正直、ここまでとは思わなかったけど…)
 今はちょうどランチタイムが終わって営業時間が半分過ぎた辺りだけど、土曜日に開催している所為か客入りは上々。うちの学校の生徒やその家族だけじゃなくて、近所の学生達も沢山来ているみたいだった。
 一応、行列やら待ち時間が出来る程じゃないけど、常に満員に近い状態で埋まってるかなといった感じで。店内にも常に忙しそうな空気が流れているからか、長居する人もいないし。
 ともあれ、ここまでの感触で言えば、今回の綾香のアイデアは成功してると言ってもいいと思う。
「お疲れ様、みゆ。まだちょっと表情が硬いけど、上手くやれてるみたいじゃない?」
 そんな事をぼんやりと考えているうちに、同じく休憩に入った綾香が、お昼のまかないを2人分持ってわたしが座っている向かいの席へと座ってくる。
「…………」
「…どうしたの、みゆ?私の方をじっと見て」
「いや、メガネを取ったら化ける女の子って、本当にいたんだなーって…」
 思わず凝視してしまったこちらの視線を受けて、きょとんとした顔を浮かべる綾香に、わたしは視線を向けたままでそう呟いた。
 流石は校則で禁止なのにも関わらず、メイド喫茶で堂々とバイトしているだけはある。普段の丸眼鏡とお団子ヘアーを下ろしただけで、こうもイメージが違ってくるとはね。
「つーか、綾香が看板娘でも良かったんじゃないの?経験者なんだし」
 今日の綾香は基本的に裏方であれこれと指示を出す役で、人手が足りない時以外は接客に出ていないけど、何だかそれが勿体ない位にエプロンドレス姿が似合っていた。今店内で頑張ってる柚奈にも負けず劣らずというか、ただ外見だけの問題じゃなくて、経験を積んで慣れてる分の自然な立ち振る舞いがそれを助長しているのかもしれないけど。
「いや〜、実は普段この学校の生徒なのを隠してバイトしてるから、あんまり表に出てそっちの関係者と鉢合わせると不都合…じゃなくて、やっぱりみゆが一番適任だと思ったからよ?」
「建前の前に、本音がただ漏れよ、綾香…」
 ああ、つまりはそーいう事なのね。
「いやいや、でもみゆをメイドさんにしてみたかったというのは本音だから」
「…それは、単なる綾香の酔狂では?」
 まさか、そんなしょーもない理由でメイドカフェを企画したんじゃないでしょうね?
「それでも、準備期間が短い中で随分と馴染んでるじゃないの。私の目に狂いは無かったと思ってるけど?」
「そんな事ないってば…やっぱり慣れない仕事で戸惑は消えないし」
「…とか言いながら、自分用のオムライスにもしっかりと絵を描いてるじゃない?」
「え?あ…いや、これは…」
 そこで綾香に指摘されて、目の前のオムライスの表面にケチャップで猫の顔が描かれている事に気付くわたし。
 …これが噂に聞く条件反射って奴ですか。
「ほらほら、そうやって身体が勝手に動き始めたらもう一人前よ?」
「ううっ…変な癖にならなきゃいいけど…」
「まぁ、なったらなったでそっちの道に就職しちゃえば?何なら私が働いてる所、紹介するけど?」
「結構です」
「あら、やっぱり桜庭家のメイドさんになる方がいい?」
「だ〜か〜ら〜っっ」
 どうして、メイドさんになる事が前提なんですかってばさ。
「…まぁでも、お店は概ね好評みたいね。雰囲気作りが効いたのかな?」
 やがて会話が一段落した所で、ぐるりと辺りを見回しながらそんな事を呟くわたし。勿論、お店は普段使っている教室なのに、今日はすっかりと別世界になっていた。
 綾香の提案で20世紀初頭のイギリスのカフェをイメージに装飾された店内は、壁紙をふんだんに使って木造の建物を演出し、更にインテリアも茶系統中心にまとめられた内装がシックな雰囲気を醸し出して、確かに居心地は悪くない。店内に設置されたテーブルやカウンターもベースは机なのに、テーブルクロスを上手く使ってハリボテ感を感じさせなくしているし。
(本当に、気合入ってるよねぇ…)
 まぁ確かに、ペナルティが冬休みに登校してきてのゴミ拾いや、学期末大掃除で渡り廊下の掃除を割り当てられる等の、真冬にやるには厳し過ぎる内容だから、本気になるのは分かるけど。
 …それとやっぱり、やるからには徹底的って校風がうちの学校にはあるんだろうね。他のクラスの出し物とか見てても、みんな本気でやってるのが目に見えたし。
「別に謙遜しなくても、『看板娘の魅力の賜物よん♪』と言ってもいいのよ?」
「…いや、さすがにそこまで自信家のつもりはないので」
 少なくとも、柚奈や目の前にいる綾香の前でそんな台詞が吐けるほど自惚れちゃいませんって。
 確かに店内でも目立ってる事は目立ってるだろうけど、それはわたしの魅力じゃなくて、看板娘専用としてカスタマイズされたエプロンドレスの力が大きいのは間違い無い。
「別に謙遜しなくてもいいのに。みゆには看板娘としての資質があるって言ったでしょ?」
「資質があるって言われても、具体的な理由が思いつかないんだけど…わたしの目には、やっぱり柚奈の方がよっぽど看板娘って感じだし」
「やれやれ、気付いていないのは本人だけ…か。柚奈も既に気付いてるわよ?」
 そう言って、「まだまだ甘いわね」とばかりに首を横に振る綾香。
「そう言われても…」
「でもまぁ、確かにみゆの魅力だけじゃないのも確かなんだけどね」
「例えば?」
「すぐに分かるわよ。そのスプーンの中身を口に入れたら」
「え…このオムライスがどうかした…え…?」
 しかし、そこでスプーンに掬ったままで手が止まっていたオムライスを口に入れた瞬間、わたしの脳に衝撃が走る。
(な、何これ…?)
 シンプルなチキンライスの見かけとは裏腹に複雑で絶妙な味付けに、卵のふんわり加減や鶏肉の柔らかさは絶品と言えるもので。食べる前に長話した所為で幾分冷めてきているのに、全然それを感じさせなかった。
 …しかも食べてみてから気付いたけど、チキンライスに使っているのと、卵の上に乗っているケチャップは味が異なる別物みたいだし。
「こ、これは…」
「ね?分かったでしょ?何なら、あたしのも食べてみる?」
 そして綾香が差し出してきた、きのこのトマトスパゲッティをフォークでくるくると包んで一口食べてみると…。
「……っ?!」
 これまた、絶品。グルメに関しての知識は乏しいので、気の利いた表現は出来ないけど、これは明らかにレストランで食べた時を思わせるプロの味。学園祭で学生が調理して出す様な代物じゃないのは確かというか、油断していた分だけ余計に驚きだった。
「メニューそのものはシンプルな定番ものばかりだけど、味は文句なしでしょ?」
「う、うん…これってうちのクラスの人が作ってるんだよね?」
 そう言えば、忙しくてあまり客の反応を見てられなかったけど、食事中に驚いた顔をしてた人がいたのを何度か見た気がする。
「今回の調理担当の甘菜(あまな)さんね、調理部の次期部長で、高校生にして既に天才パティシエの名を欲しいままにしている石楠花(しゃくなげ)先輩が、唯一自分の後継者と認めた程の腕の持ち主なの。んで、甘菜さんの両親はフレンチレストランのシェフで、お母さんはもう辞めてるけど、お父さんの方はまだまだ現役バリバリ」
「はえ〜っ、まさかそんな人がうちのクラスにいたなんて…むぐむぐ…」
 そう言えば、うちの学校は文化系の部活動が盛んだけど、その中でも調理部は特にレベルが高いって、学校案内の時に生徒会の人から聞かされた事があるのを思い出した。
 …というか、物を口に入れたままではしたないのは分かっているのに、食べ始めたら箸(スプーン)が全然止まりません。
「しかも有り難い事に、今回は本人もノリノリでね。学園祭の出し物とは言え、初めて料理長を任されたって事で、随分と力が入ってるみたい」
 そう言って、親指を立てながらしてやったりの笑みを見せる綾香。
「ま、実はこれがあたしがメイドカフェやろうって言い出した根拠の一つでもあるんだけどね」
「…はぇ〜っ…」
 ついさっきまで、今回は単なる脊椎反射に出てきた思いつきかと思ってたけど、ちゃんとクラスの人材を考慮してのアイデアだったって訳ね。
「当然、素材にも相当拘ってるから、殆ど原価ギリギリなんだけど…まぁ今回欲しいのは評判だけで利益は全く考えなくていいし、自分で納得できる質でやんなさいってお願いしてるの」
「なるほどねぇ…」
 綾香は今回、わたしに対して資質って言葉を良く使ってくるけど、もしかしたら、彼女本人にはリーダーの資質があるのかもしれない。
 …そして、中途半端な気持ちで浅い考えしか出来てない今のわたしは、綾香の手駒として動くのが精々って所か。
「…………」
 でもまぁ、ちょっとだけ気力も沸いてきたかな。こういう空気、嫌いじゃないし。
「ご馳走さま。…本当はもっとゆっくり味わいたかったけど、また今度にしておくよ」
 やがて、わたしは手早く残りのオムライスを平らげると、食後の余韻もそこそこに席を立った。
「そうね。甘菜さんは自分の作った料理を食べてもらうのが何より幸せって人だから、頼んだら喜んで作ってくれると思うわよ?」
「あら、ホントに?」
 それはいい事聞いた。
「…だから、たまには柚奈や茜以外のクラスメートとも積極的に交流してみれば?」
「いや、別に柚奈達以外の相手に心を閉ざしてる訳じゃないんだけど…」
 と言うか、あんまりにも柚奈が四六時中ベタベタと張り付いてるから、それだけの余地が無かったってだけだと思う。
「あはは、一途過ぎる相手に惚れられた宿命って奴かしらね。まぁいいわ。んじゃ、歯を磨いたら恋人と替わってあげて?」
「へいへい。頑張ってきますよ、わたしもね」
 少なくとも、終わった後に自分でよく頑張ったと思える位にはね。人に認められたいと思うのは、それがきちんと出来てからのお話。

「んじゃ柚奈、交代しよっか。お昼食べて来なよ?」
 やがて、歯も磨いて(というか、綾香に言われなかったら忘れてたと思うけど)再出撃したわたしは、早速下げた食器を持ってカウンターの方へ戻って来た柚奈に声をかける。
「あ、みゆちゃん…っっ」
 しかし、そこで近寄ってきたわたしを見るや否や、いきなり柚奈が飛びついてきたかと思うと、避ける間も無くそのまま抱きしめられてしまった。
「…ち、ちょっ…っ?!」
「ううっ、今までみゆちゃんが側にいなくて寂しい思いをしたのに、また離れないとならないのね…」
 そして、演出過剰気味に涙ぐむフリをしながら呟いてくる柚奈。
「こ、こら…お客さんがみんな見てるでしょ、離れなさい…っっ」
 そんな柚奈の台詞に、店内の客の視線が集中しているのに気付き、わたしは小声で訴える。
 公衆の面前で、なんてはしたないっっ。
「だって、それが狙いなんだもん…」
 しかし、それこそ我が意を得たとばかりに、ボソリとわたしの耳元で囁く柚奈。
(…んなっ?!)
 こ、このアマ…人が油断していたら…っっ。
「本当は、お芝居にかこつけてって思ってたのに変更になっちゃったから、この位はいいよね〜?」
「あんたという女は〜っっ」
 まさか、今日は朝からず〜〜っとその機会が来るのを待ち続けてたんじゃないでしょうね…?
「…でも、お昼を食べないとお腹がぐーぐー鳴って恥ずかしいから、急いで食べて戻ってくるね?」
「別に慌てなくても、ゆっくり食べて来てくれて結構よ。いや、むしろ食後のコーヒーまでゆっくり休んでちょうだい」
 というか、仕事にならないし恥ずかしいから、さっさと離せっての。
「う〜っ、みゆちゃんのいけずぅ…」
「そこで嘘泣きしてもダメ。つーか、この場で不意をついてキスしようとでも企んでるなら、命がけで抵抗するからね?」
 そして、拗ねた様に口を尖らせる柚奈に、わたしは先手を打って釘を差してやる。
 こいつがこの場で何を狙ってるか気付かない程、わたしは柚奈との半年間を無駄に過ごした訳では無かった。
「ちぇ〜っっ…」
 そのわたしの台詞を本気と受け取ってくれたのか、柚奈はぶすっとした顔で渋々離れると、両手を後ろ手に組み、実際には転がっていない小石をけっ飛ばす様な動作を見せながらすごすごと引っ込んで行く。
(…ったく、拗ね方が露骨なんだっての)
 何だか周囲からも、「え〜っ、しないの?」みたいな雑音がちらほらと飛ん来ている気がするけど、聞こえていないフリをしよう。
 そもそも、今回の予定に看板娘達による百合姉妹風ショートコントは入っておりませんから。
「ほらみゆ、いつまでも遊んでないで。新しいお客様よ?」
「あ、は〜い」
 お、いいタイミング。これで柚奈に崩されかけた緊張感を戻して頑張りますか。
 わたしは心機一転とばかり、綾香の指示に愛想良く答えると、早速店の入り口で一人立っているお客様の元へ急ぐ。
 今度のお客様は私服の女の子みたいね。制服こそ着てないけど、他校の女子生徒かな?
 …となると、挨拶パターンの選択肢はひとつ。
「お帰りなさいませ、お嬢様ぁ〜♪」
「…………」
 しかし、そこで満面の笑顔を作って迎え入れたわたしに、肝心の相手は目をぱちくりとさせて硬直してしまっていた。
(え、えええ…っ?!)
 そんなにあり得なかった??今のはわたしにしては会心の媚び媚び営業スマイルだと思ったんだけど…。
「…………」
 いや、あれ…ちょっと待って。遠くからだと気付かなかったけど、このお嬢様にはどこかで見覚えがある様な…?
「……み…美由利、あんた…?」
「…あ…」
 そして、目の前のお嬢様がヒクつかせた口元から出てきたわたしの名を聞いて、ようやく相手のリアクションの理由に気が付いた。
 それは、やっぱり見覚えのある…というか、忘れる事は無いだろうと思われる顔。
「えっ、絵里子(えりこ)……っっ?!」
 …そう。目の前にいるのは小学生の頃から十年来の付き合いである、幼なじみの絵里子だった。
「どっ、どどど…どうしてあんたがここにっ?!」
 一瞬、頭が真っ白になった後で狼狽する気持ちを隠せず、後ずさりしながら尋ねるわたし。
 ちょっと待って、どうやって…いや、本当に絵里子…よねぇ…。
「どうしてって、半年ぶりに会った幼なじみに対してあんまりな言い方ねぇ?」
 そんなわたしの反応に、絵里子は肩を竦めながらそう告げてくる。
「いや、そういう問題じゃなくて…」
 どうやってここまで来たのかもさることながら、よりにもよって、なんというタイミングでお越し下さりやがるんだか…。
「どうしたのみゆ?早くお席の方へご案内しないと」
「…あ、うん…その…それでは、お席の方へご案内致します…」
 そこで事情を知らないクラスメートに促されて、わたしはようやく自分の役割を思い出すと、冷や汗混じりに、極めて冷静を装いながらそう告げる。
「…………」
「…だから、物珍しそうな顔でジロジロ見ないでってば、絵里子」
 うああっ、許されるものならこの場から逃げ出してしまいたいっっ。よりによって絵里子の前でミニスカメイドの格好してるだけでなく、媚びに媚びた挨拶までしてしまうなんて…。

「ほら、とっとと注文決めなさいよ」
「あら、ここってツンデレカフェだったの?」
 やがて席へと案内した後で、ぶっきらぼうにオーダーを伺うわたしに、ワザとらしい口調でそう返してくる絵里子。
「〜〜〜〜っっ」
「…いぇ、失礼致しました、お嬢様」
 落ち着け。わたしは千の仮面を持つメイド。一緒に頑張ってるクラスメートの為に、私情を捨ててクールに振舞わなければ。
「ほほう、お嬢様か。まさかあんたからそう呼ばれる日が来るなんてね?」
「わたしだって絵里子をそう呼ぶ日が来るなんて、さっきの瞬間まで思ってもみなかったわよ…」
 というか、未だに絵里子が目の前にいる実感すら希薄だし。
「いらっしゃいませ〜♪ご注文はお決まりですか〜?…それでその…みゆちゃんの知り合い…?」
 そんなやりとりを続けている中、割り込む様にしてオーダーメモとお冷やを持ってきた柚奈が、絵里子に挨拶した後で恐る恐る尋ねてくる。
「あれ、あんた休憩時間じゃなかったっけ?」
「…だって、何だかみゆちゃんがすごく親しそうにしてたから…」
 あのやり取りが親しそうに見えるんですか、あんたは。
 まぁ、普段柚奈としているやり取りと変わらないといえば変わらないんだけど。
「まぁ、親しいといえば親しいんだけどね。転校するまで腐れ縁だった幼馴染みだから」
「まったく、小学生の頃からの付き合いだから今年で10年目だったのに、最後の最後で逃げちゃうんだから冷たいわよねぇ…」
 そう言って、ワザとらしく嘘泣きを始める絵里子。
「別に、逃げたくて逃げた訳じゃないわよ…」
 親の都合だから仕方が無いじゃない。
 わたしだって、長年一緒だった絵里子と離れ離れになるのは嫌だった…けど、これは何だか癪だから言葉にしないでおくか。
「それより、いきなりやって来るなんて…事前にメールでもくれれば良かったのに」
「あはは、それじゃ面白くないでしょ?でも、いきなり訪ねてサプライズをと思ったけど、まさかこっちが驚かされるとはねぇ」
 そう言って、ニヤリとした視線を向けてくる。
「い、いや…これは…」
「なに?そっちの趣味にでも目覚めたの?夏のイベントにも行ったとか」
「違うわよ…っっ!!つーか、学校はどうしたのよ?」
「今日は第二土曜日だから休み。んで昨日の晩に暇だったから、ふと美由利の行ってる学校のHPを見たら、ちょうど学園祭の日だったんで、これは面白いかなと」
「つまり、わたしを驚かせる為だけに、大事な休みと莫大な交通費をかけて来たって訳??」
「感謝しなさいよ、美由利。ここまでしてくれる親友なんて、そうそういないわよ?」
「ああ、そーですか…」
 なんともまぁ、ありがた迷惑な親友だ事で。
(……ん……?)
「…………」
 そんな中、蚊帳の外でわたし達の会話を聞いていた柚奈が、何だか面白く無さそうな顔でこっちを見ている事に気付く。
「ところで、こちらのあたしを睨んでる人は?」
「あはは…こっちに来て始めて出来たともだ…」
「はじめまして。私はみゆちゃんと将来を誓い合った間柄の、桜庭柚奈と申します」
 しかし、わたしが紹介し終わらぬうちに、柚奈が割り込む様にしてそう自己紹介すると、深々と頭を下げた。
「こら待てっっ、いつわたしがあんたと将来を誓いあったっっ?!」
「…ほほう。美由利、あんた最近音信が無くなったと思ったら…そういう事?」
「違うわよ…っっ!!」
「あたしと美由利は10年近くも連れ添った仲だというのに、転校していきなり新しい女を作っちゃうなんて…」
 そう言って、ツッコミに忙しいわたしを尻目に、よよよと大袈裟に泣き出す仕草を見せる絵里子。
「人聞きが悪い事言うな…っっ」
「えええ〜っ?みゆちゃん、やっぱりその人は前の学校の恋人?もしかして、私はお遊び…?」
 更にそれに乗る様に、柚奈までが握りしめたこぶしを口元に当てて、いやいやと左右に首を振る仕草を見せる。
「だから、幼馴染みだって言ってんのに…」
「だってだって、幼馴染み=メインヒロインってのは結構ありがちな話だもん」
「それ、なんてギャルゲよ…」
 そもそも、同性の幼馴染みに攻略ルートは無いでしょーが、普通。
 …いや、最近のは知らないけどさ。
「あ〜、みゆ?痴情のもつれはいいけど、看板娘としてはイメージが悪いから後にしてくれる?」
 そして、綾香までが見かねた様子で横槍を入れてくるし。
「違うって言ってるでしょーが、このあんぽんたんっっ」
 まったく、どいつもこいつもっっ。
 しかも、何だか周囲がどっと笑い声で包まれてるし…。
「あはは、なかなか大人気じゃない美由利?」
「…まぁ、せっかく来たんだからゆっくりしていってよ。当店自慢のケーキセットおごったげるからさ」
 もういい…いい加減ツッコミ疲れたし、いちいち気にするのはやめておこう。いつもムキになるたびにドツボだし。
 わたしは溜息混じりにそう告げると、拍車喝采を浴びながらカウンターの方へトボトボと下がっていった。

4-9:むしろ、宴はこれから。

「それじゃ、これにて閉店ね。みんなお疲れ様〜♪」
 やがて、窓からオレンジ色の夕日が差し込み始めた頃、校内放送用のスピーカーから実行委員会による終了宣言が響くと、綾香は”Closed”の看板を入り口に掲げて閉店を宣言する。
「お疲れ〜っ」
 正直、もう立ってられない位にヘロヘロ気味だったものの、看板娘としての最後の意地を振り絞って両手を振りながら答えるわたし。
 実は終了時間にバタバタしてなくてもいい様にと早めにオーダーストップしていたので、5分前位には最後のお客様が帰って実質は閉店状態だったけど、イザ正式に終了を告げられると、脱力感が一気にのしかかってきていた。
「…疲れたぁ〜っ…みゆちゃん膝枕してぇ〜…」
「ああもう、重いんだから寄りかかってくんなっての…」
 そしてこちらもぐったりとした表情の柚奈が、わたしの胸元へ全体重を預ける様にもたれかかってくるものの、いつもの様にはね除ける元気は無いので、とりあえず壁にもたれて座りこむと、後はなすがままにさせておく。
 幸い、柚奈もここからわたしを押し倒してくる程の元気は無いみたいだし。
「いや〜、最後の追い込みが凄かったわね……」
「まったくだよぉ…」
 あれから絵里子が帰ってホッとしたのも束の間、終了1時間半前の午後3時位から急速に客足が伸びて、店内は押しも押されぬ大盛況になってしまった。
 料理長である甘菜さん自身の人脈で、足りなくなった食材を急遽調理部に頼んで調達してもらったお陰で、どうにか早期のオーダーストップは免れたけど、それでもこの1時間半のわたし達はコマネズミよりも忙しく働いていたと思う。
「察するに、甘菜さんの料理が口コミで広がっちゃったのかな?」
 ただまぁ、一応こういう傾向はうちの学園祭ではそんなに珍しいものでは無いらしい。
 学園祭の来場者には、帰りに入り口付近に儲けられた会場でアンケートに協力してもらうことになっているのだけど、そこは同時に客同士の情報交換の場にもなっており、「〜〜のクラス(または部)が良かった」と口コミで広まれば、「それじゃ、帰る前にちょっと寄ってみるか」と出戻り客が発生するんだそうで。
 実際、アンケート会場には掲示板も設置されていて、来場者によるお勧めスポット情報がリアルタイムで書き込まれている為、それを知ってる常連さん達はその情報をアテにしてこまめに足を運んでるとの事だった。
 まぁつまり、午前中はメイドさんに興味が無いからとノーマークだった人達が、実は料理も美味しいと聞いて大量にやってきたと考えるのが妥当な推測じゃないかと。
「あとは、みゆと柚奈が頻繁にやってた百合姉妹コントの影響からね。結構、リピーターが多かったみたいだし」
 するとそこへ、綾香がそう付け足しながら、壁にもたれて座り込むわたし達の元へやってくる。
「いや、あれは柚奈の暴走というか、イレギュラーだってばさ…」
 少なくとも、好き好んでやった訳じゃないし。
「あは、嬉しい〜♪」
「ええい、無邪気に喜ぶんじゃないっ。あと、いちいちベタベタと張り付いてくんなっっ」
 そもそも、全然褒められてはいないと思う。
「ま、それでもこの私にしてみたらそれも予定通りなんだけどね」
 そう言うと、コンタクトから戻した綾香の眼鏡がキラリと光る。
「……う…っ、謀ったわね孔明…じゃない、綾香…」
 ああ、そういう事ですか。わたしを看板娘にしておいて、柚奈を側にくっつけておけば、勝手にこいつがマニュアル外のちょっかいを出してきて余興を始めてくれると。
「ちっちっちっ、私は最初から予告してたはずだけど?今年はみゆを主役にして演劇やるって言った時から」
 つまり、綾香の頭の中では、出し物がメイドカフェになっても演劇の時とコンセプトは変わってはいなかったって事ね…。
「やれやれ、結局それがわたしを看板娘にした理由って訳?」
 どうも話が上手すぎると思ったら、結局わたしは釣り餌ですか。
「ん〜、そんなコト無いと思うけど…ねぇ綾香ちゃん?」
 そこで自虐気味に肩を竦めてみせたわたしに、黙って綾香とのやりとりを聞いていた柚奈がフォローを入れてくる。
「あんたにフォローされてもねぇ…」
 よりによって、一番説得力が感じられない相手に。
「まぁ、自分で気付いてないなら、それでいいんだけどね。下手に意識する様になる位なら」
 しかしそんなわたしに、綾香は優しさが込められた微笑を向けながらそう告げた。
「どういう事よ?」
「みゆ、あんた今日は男女問わずに随分とお客さんから声をかけられたでしょ?」
「…声をかけられたと言われても、ああ呼べだのこーしてくれだのと、好き勝手に要求されてただけって気がするけど」
 しまいには、柚奈とイチャついてる所の写真が撮りたいと言い出す不埒な旦那様もいたし。
「でも、看板娘が柚奈だったら、そんなに声はかけられなかったと思うわよ?」
「え?」
「いずれにしても、みゆはまだまだ修行不足って事ね。精進なさい」
 すぐさま、その意味を尋ねようとするわたしだが、その前に綾香の方から曖昧な言葉で締めくくられてしまった。
「…別に、次の予定は無いからいいもん…」
 そりゃ、憧れのエプロンドレスを着られたし、もしかしたらまたやってもいいかと思うかもしんないけど、当分はお腹一杯だった。

「あ、来た来た。お疲れ〜♪」
 やがて最後の力を振り絞って片付けを終え、いつもの様に勝手に張り付いてきている柚奈と共に校門まで出ると、そこには絵里子の姿があった。
「絵里子…もしかして、ずっと待ってたの?」
「そりゃ、部外者が営業時間後も入り込んだまま、お片づけを手伝うって訳にもいかないでしょ?それに、他にアテがある訳じゃないしね」
 そう言って、大袈裟に肩を竦めながら首を左右に振る絵里子。
「…うん?何か言いたげね?」
「やれやれ、さっきお店で見た時も仲がいいなって思ったけど、いつもそうやって一緒にいるんだ?」
「別にそんなんじゃなくて、こいつが勝手に張り付いてきてるだけだってば」
 そして、それを拒否しないのはもう諦めているからで。
「でも、その割にはお手々なんて繋いじゃってるじゃない?」
「へ…?」
 お手々繋いでって…。
「うわっ、いつの間にっ?!」
 そこでようやく自分の手元を見て、わたしの左手が柚奈の右手と繋がってるのに気付く。
「柚奈、あんた…」
「え〜、怒られるの覚悟で繋いでみたら嫌がらなかったし、OKなのかと思ってたのに」
「全然気付かなかった…いつから繋いでたの?怒らないから言ってごらん」
「えっとね、下足場で靴を履き替えてすぐ。左手がフラフラと彷徨ってたからついつい」
「ぐあ…っ」
 …って事はアレですか。下足場から校庭を横切ってる間、まだ校庭に沢山残ってる校庭出店組の連中へ見せつけまくっていたと。
「…はぁ…。でもまぁ、それだけ疲れてるって事かな、今日は…」
 もういいや。何も言うまい。
「確かに、あれから行列が出来る位の大盛況だったみたいだしね?」
 すると、軽いウィンクを向けながらそう返してくる絵里子。
「ほえ?どうしてその事を?」
「ほら、アンケート会場に掲示板とかあったじゃない。あそこに色々面白スポットの情報が書き込まれてたから、たっぷりと美由利のクラスの宣伝しておいたの」
「…ああ、それでなのか…」
 全部が全部って訳じゃ無いんだろうけど、仕掛け人はあんただったのかい。
「まったくもう…お陰で、終了直前は死ぬほど忙しかったんだからね」
「でも、入場者数とアンケートの投票で評価が決まるんでしょ?だったら、お客は多いに越した事はないじゃない?」
「そりゃそうなんだけど、良く知ってるわね?」
 知ってるというか、聞いたんだろうけど。
「まぁ、大親友にケーキセットを奢って貰った分の、せめてもの援護射撃って所ね。トップかどうかは知らないけど、これでペナルティは無いでしょ?」
「…相変わらずのお節介焼きね。別に、そんな事気にしなくてもいいのに」
 そう言えば、絵里子はこういう奴だった事を思い出した。まだ離れて半年あまりしか経ってないのに、すっかりと忘れてたけど。
「いやいや、実はもう一つ、美由利のご機嫌を取っておかないとならない理由があってさぁ」
 そう言うと、揉み手に苦笑いを浮かべる絵里子。
「はいはい、皆まで言わなくてもいいわよ。どーせ宿の事とかろくに考えないでやって来たんでしょ?今夜はうちに泊まってく?」
 まぁ、幼馴染み故の察しとでも言いますか。わたしは溜息混じりに核心を突いてやる。
「あははは…悪いわね。とりあえず美由利に会えたらどうにかなると思ってさ」
 こいつは自分が興味の無い事はとことん行動が遅い癖に、行き当たりばったりの行動力だけは目を見張るモノがあるのよね。
 …まぁ、こういう所は柚奈と似た者同士なんだけど。
「んな…っ?!」
 しかしそこで、もう片方の似た者の顔に電撃が走る。その表情からは、「私ですら、みゆちゃんの家でお泊りなんて誘われた事ないのに」との台詞がありありと現れていた。
「いいわよ。もう慣れっこだし。でも着替えくらいは持ってきてるんでしょうね?」
「慣れっこ…っ?!」
 そして、更に電撃。
(…ああもう、いちいち鬱陶しい)
 だから、絵里子はこういう奴なんだってば。いきなり暇だからとふらっと遊びに来たかと思うと、そのままお泊りって事は今までいくらでもあったし、その逆のパターンも同じ位にあった。
 まぁ付き合いの長さから、どっちの親にとってもわたし達は姉妹みたいな扱いだったので、自分の家みたくフリーパスだったってのもあるんだけどね。
 …みたいな事は、柚奈には言わない方がいいだろうなぁ…。
「とりあえず、下着の替えはそこのコンビニで買っておいたけど…ああ、いつもみたいに美由利から借りても良かったかな?」
「……っ?!」
 うわ、今度はバチバチと大規模なスパークが。
「ちょっと待て、あんたとも長い付き合いだけど、下着まで貸した覚えはないってば」
「あれ、スク水だけだっけ?借りたの」
「何ですっ…むがっっ?!」
「あーもう、いい加減鬱陶しいっての。ここら一体を落雷で停電させる気?」
 さすがに展開が予想できたわたしは、最高潮のスパークが発生する前に、柚奈の口を手で塞いでやった。
「ふふ…やっぱり、随分と懐かれてるみたいね?」
 そんな柚奈の反応を興味深そうに見る絵里子は、ニヤリと口元を邪悪に歪めていた。
 …それは、面白いオモチャを見つけた時の顔そのもので。
(おいおい…まさか…)
「んじゃ美由利、今夜は久々に一緒にお風呂に入りましょうか?」
 そこで嫌な予感が頭によぎった所で、”久々に”の部分を大いに強調しながら、ワザとらしくそう告げる絵里子。
「……っ!!」
 すると案の定、柚奈の表情に嫉妬の感情と、絵里子への敵対意識で満ちていく。
 …ああもう、だから余計なちょっかい出さないでってば。
「残念ながら、一緒に入るほど広くないわよ。うちのお風呂は」
「だって、久々に確認してみたいしさ。たしか前に一緒に入った時はまだ生えて…」
「わーーーーーーーーっっ!!」
 そして、続いて口走ろうとした台詞を最後まで言わせまいと、わたしは柚奈を振りほどき、問答無用で絵里子の口を塞ぐ。
(さっきから、一体どーいうつもりよ、絵里子っっ??)
(だってさぁ…この子がいちいちヤキモチ焼いてるのが面白くって面白くって…)
 その後、相手の耳元へ口を近づけてひそひそ声で問い詰めるわたしに、絵里子は悪びれる様子も無くそう答えた。
(あんたねぇ…)
 確かに、前々から人を手玉にとってオモチャにする事に関しては天才的な才能があったけど、柚奈までその毒牙にかけようというのか。
 …まったく命知らずな奴め。
「う〜〜〜っっ…」
 しかし、そんなわたしの防衛行為も柚奈には仲睦まじい光景に見えるのか、何処からか取りだしたハンカチをギリギリと噛みながら恨めしそうにこっち見てるし。
 今度はまるで、「私よりもその子の方が大切なんだ」と言わんばかりに。
(絵里子も絵里子だけど、柚奈もいちいち反応しないでってば…)
 そもそも、柚奈と絵里子で取捨選択できる訳無いでしょ。
 そりゃ喧嘩もしたけどさ、あんたと同じく、わたしは何があっても絵里子を嫌いにはなりきれないんだから。
「とにかく、これ以上余計な事は言わない様に。無人駅でお泊りになりたくはないでしょ?」
 無論、泊めてやらないって選択肢はないんだけど、このままでは何だか癪だ。
 わたしは絵里子を指差しながら、じろりと睨んでやった。
「あはは…それを言われちゃうとねぇ。了解しましたよぉ、美由利様♪」
「…よろしい。それじゃ、帰る前にお母さんに電話しておくね…」
「ち、ちょっと待ってっ。わっ、私も泊まるっっ!!」
「え〜、あんたは自分の家で寝なさい」
 そこで、ムキになってそう言いだす柚奈に、折り畳みの携帯を広げて母親へのメールを打ちながら素っ気無く返してやるわたし。
 それが柚奈の為、ひいてはわたしの為でもあった。
「どうしてっ?!その人は良くてわたしはダメなのっ?!」
 しかし案の定、必死な様子で食って掛かる柚奈。
「どうしてって…だから、わたしの部屋はあんたんちと違って狭いんだっての…」
 遊ぶだけならともかく、3人で寝泊りするにはちょっと辛い。
 どうせ客間で寝てくれって言っても、素直に聞き入れてはくれないだろうし。
「そ、そんな…私はお邪魔なの?」
「ぶっちゃけ、邪魔。別に絵里子と何も起きたりはしないから、あんたは素直に帰りなさい」
 そもそも、土産話のネタを狙っている絵里子の前で、柚奈を側に置いて一晩過ごすなど自殺行為にも程がある。
 あまりに必死な顔の柚奈に罪悪感は覚えるものの、ここは心を鬼にして、冷たく突き返すわたし。
「……っっ、もう、みゆちゃんなんて知らないっっ!!」
 すると、俯いたままふるふると肩を震わせた後でそう叫ぶと、柚奈はそのまま涙を浮かべて走り去ってしまった。
「…今時、なんて古典的な拗ね方なのよ…」
 まぁ、元々の出会いが出会いだけに、クラシックなのはらしいのかもしんないけど。
「あちゃー、ちょっとからかっただけなのに、完全にマジだったわね…」
 一方で、そんな柚奈の後姿を見ながら、やり過ぎたとばかりに頭を掻く絵里子。
「もう、あまりからかわないでよ…。あれでも、結構冗談が通じない所があるんだから」
 この前のSPさん達を呼び寄せるって話も、実は本気だったみたいで、慌ててお断りを入れてようやく収拾したし。
「それにしても、随分と一途に愛されてるじゃない?本当にあんな綺麗なお嬢様、どうやって落としたの?」
「しらねーわよ、そんなもん」
 はっきりと納得できる理由があるなら、わたしの方が聞いてみたい。
「でもまぁ、お陰で手土産には事欠かないわね♪」
 そう言って、自分の携帯を持ったままでニヤリとした笑みを浮かべる絵里子。
「ちょっと待ったっ、あんたまさか…」
「あら、見てみる?」
「…見せなさい」
 命令口調と共にデータフォルダの中身を見せてもらうと、わたしのエプロンドレス姿が携帯のメモリーにしっかりと記録されていた。
「ちょっと、店内撮影禁止って張り紙があったでしょ?」
 ゆ、油断も隙もありゃしない…。
「まぁまぁ、堅いこと言いっこ無しで♪」
「そんな言葉じゃ誤魔化されないわよ。とっとと消しなさい」
 こうなったら、力づくでも…。
「…これでも、前の学校の友達は気にしてるのよ?去年までの担任だった高槻先生にも様子を見てくれって言われたんだから」
「う……っっ」
 しかし、そこで絵里子の台詞を受けて、無理やり絵里子の携帯をひったくろうとしたわたしの手がぴたりと止まる。
「いいじゃないの?美人の彼女も出来て、この位楽しくやってますって見せてやれば」
「…美人の彼女は余計だっての」
 むしろ、わたしの方が圧倒的に受け側って気がするんだけど…。
 いやまぁ、それはどうでもいい問題として。
「そりゃ、心配かけたわね。お陰さまで、今の所は何事もなく無事に過ごせてるけど」
 無事かどうかについては、ゆっくりと検証する必要があるのかもしれないけど、まぁ昔に比べればそう言っても差し支えは無いはずだし。
「よりゃ良かったわ。何と言っても、転校先がお嬢様学校で有名な名門女子校だもん。庶民の美由利が上手くやれてるのかどーかってね?」
 そして、「それなのに、春以降手紙もよこさないんだから」と付け加える絵里子。
「あははは…ごめん。柚奈の所為で毎日が忙しくてついつい疎かになってね…。まぁ、たまにアクが強い人もいるけど、そこまで違いはないよ。むしろ、活気があって楽しいかな」
 ”名門”と呼ばれてるのに関しては、全く実感はないけど。
 …というのは、成績が下から数えた方が早いわたしが口に出してもいい台詞じゃないので言いませんがね。
「…って言うかさ、あんたってそんなに頭良かったっけ?」
「知らないわよ…。お母さんに勧められるがままに転入試験受けたら通っちゃったんだから」
 まぁ、知らなかったって事が逆にプラスに作用したって可能性もあるけどね。「多分、落ちる事はないと思うけど」っていうお母さんの言葉を信じて随分と気楽に受けてたし。
「まぁ、一生に一度か二度くらいは奇跡も起こったりするんでしょうし」
「だとしたら、神様は意地悪だわねぇ…」
 ただ、落ちてくれてた方が楽だったと言えば楽だったかもと考えると、結構複雑ではあるけど。
「…まぁいいわ。んじゃ話も尽きないけど、そろそろ帰りましょうか」
 気付いたら、オレンジ色の空は蒼く染まり始めてるし。
「ほいほい。了解よん♪…あ、でもその前にさっきのお嬢様…柚奈ちゃんだったっけ?呼んであげたら?」
「何よ、突然?」
「だって、もう朝晩は寒いし、このまま放っておいたら大風邪を引いてしまうんじゃないかなーって」
 そんな台詞と共に絵里子が促す先を良く見ると、少し離れた物陰から柚奈がこちらをじっと見ているのに気付いく。
(全く、あのアホは…)
 そう言えば、走り去った方向は校舎の中だったわね。
「いじらしいじゃないの?あたしと仲良く会話してるだけで嫉妬してるんだから」
「…う〜っっ、今日は疲れたからゆっくり休みたかったのになぁ…」
 しかし、確かにここは絵里子の言う通りなんだろう。わたしは溜息をつきながら、ポケットから携帯を取り出すと、お母さんと柚奈へそれぞれメールを送り始める。
(もう、世話が焼けるんだから…)
 どうやら、一息つけるのは当分先の様だった。

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