使が生まれる街で夢を紡ぐ その8


第八章 以心伝心

「…………」
「…………」
<……ほら、着いたわよ起きなさいな>
「……ん……?」
「んん……っ……って、うお……っ?!」
 やがて、光に飲み込まれて一旦失った意識がエルからの呼びかけで再び戻った時、わたしは気が遠くなる程の上空まで聳えている、巨大な塔の中腹前へ立っていた。
「うわー……」
 周囲を取り巻く風は緩やかながら、見下ろした眼下では雲が流れ、更にその隙間から覗く遥か向こうには大都市の景観が広がっている一方で、見上げてもまだ頂上が臨めない程に塔が続いているのを見れば、”巨大”なんて言葉じゃ足りないくらいかもだけど、ただそんな目の前の建造物には何となく見覚えもあった。
「えっと、ここってもしかして、天界のステージでいつも上空に見えていた……?」
 何だか、頂上まで行けば世界全体すら見渡せそうだけど、地上からは繋がってなかったっけ。
<そ。まずは、エデンの塔へようこそ……とでも言っておくわ>
 そこで、自分の記憶に残っていた風景を呟くと、エルは静かに歓迎の言葉をかけてくる。
「エデンの塔?」
<人間がここまで辿り着いたのは、あんたら姉妹を除けばいつ以来かしらねー?>
「辿り着いたって、セラフィム・クエストでの話でしょ?」
 つまり、ここも所詮はバーチャル空間……。
<違うわよ?確かにこれまでは仮想空間の中だったけど、ここはホンモノの天界。今のアンタは魂だけとはいえ、本当に天界の一番高い場所へ向かおうとしてるんだから>
 ……と思いきや、エルから淡々と驚天動地の通告を受けるわたし。
「え……?!いきなりどういうコト……?」
 てっきり、スペシャルステージか何かかと思ってたのに、リアルですと……?
<これも、優勝者の特権と思えばいいわ。ほら、ぼやぼやしてないで上っていきなさい?>
「上る?頂上へ?」
<そ。あの駄天使が、エデンの先で待ってるって言ったでしょ?>
「つまり……あの先におねぇちゃんがいるの?」
<トーゼンよ?本来は、そこがアイツの居場所なんだから>
「分かった……」
 本当はその前に、まずはエルに聞き出したいコトが山ほどあるんだけど、とにもかくにも優奈おねぇちゃんが待っているのなら、ここで足踏みしている理由は無い。
 わたしは素直に頷くと、新しい翼を翻して一気に空の彼方を目指して飛び上がって行った。
(今行くからね、おねぇちゃん……!)

                    *

「……偉大なる“主”の御許へようこそ、天衣愛奈」
 やがて、高速に流れてゆく塔の壁を眼前に真っ直ぐ上り続け、ようやく頂上部へと辿り着いたわたしを待っていたのは、頭上に眩い天使の輪を頂き、おびただしい数の翼を背に纏った、神々しい輝きを放つ大天使だった。
「おねぇ……ちゃん……?それに、“主”って……」
「……ええ、これが私の”本来”の姿。そしてエデンの塔とは、偉大なる我らが唯一神が鎮座まします寝殿……」
 そして、いきなりフルネームで呼び捨てにされて面を食らったわたしへ向けて、頂上部の中央に悠然と立つ大天使は、両手を広げつつ感情の欠落した瞳で見据え、厳かにそう告げてくる。
「…………」
 確かに、その姿形は優奈お姉ちゃんだけど……わたしの何倍もありそうな翼からは生前とは真逆の、何人も寄せ付けない威圧が感じられて、それが真の姿と言われても違和感しかない。
「ともあれ、よくぞここまで辿り着きましたね?まずは“主”に代わり、熱賛を表します」
「もう、やめてよ!……さっきからそんな他人行儀なのは……」
 せっかく、わたしの方は合流したらすぐに抱きつきたくてここまで来たというのに、これじゃ褒められはしてもまるでそんな空気を拒まれているみたいで、どうにも気に食わない。
「ゴメンね、愛奈ちゃん。……だけど、ここでの私は天衣優奈ではなく、玉座に侍る神の代理人、大天使メタトロンだから……」
 すると、それからやっと馴染み深い「愛奈ちゃん」が聞けてホッとしかけたのも束の間、続けて大天使メタトロンの口から発せられたのは、更に容赦なく突き放される言葉だった。
(天衣優奈ではなく……か……)
 そんなの全て承知の上だったけど、こんな時にダメを押されたくはなかったよ。
<…………>
「……とりあえず、これで約束は果たしたからね、お姉ちゃん?」
「ええ、ここから愛奈ちゃんの戦いっぷりをずっと見守っていたけれど、よく頑張ってくれたわね?」
 ともあれ、何だかすっかりと台無しにされてしまった暗澹たる気分を抑えつつわたしがそう告げると、お姉ちゃんはようやくいつもの優しい笑みを見せて褒めてくれた。
「ホント、おねぇちゃんの為に頑張りまくったんだから。……でも、これからどうするの?」
 とりあえず、約束を守って辿り着いたはいいものの、一体何の為かは分からずじまい。
 ……いや、本当は何はともあれで、ようやく再び会えた優奈お姉ちゃんに頭を撫でられながら褒めてもらって、ついでにぎゅっと抱きしめてもらうつもりだったのに。
「そうねー、まずはささやかな表彰式でも執り行った後で……」
 そこで、もやもやが強くなってきた気持ちを隠さないまま投げやり気味にここへ誘われた理由を尋ねると、いきなりわたしから離れて妖精の姿を取り戻したエルが、目の前を飛び回りつつお姉ちゃんに代わって答えてくる。
「表彰式?……まぁ、確かにさっきの廃墟でやるよりはマシだけど……」
「その後で、約束を果たした二人が晴れやかに結ばれて、ハッピーエンドかしら?」
「え……?おねぇちゃんと、この場所で?」
「…………」
「って、勝手に決め付けるのもナンだけどさ、でも寂しかったんでしょ、“優奈”?」
「……ええ、天使(メタトロン)になってからの私は、ずっと孤独だったから……」
 それから、会話を仕切り始めたエルに促されて、物憂げに俯きながらも頷くお姉ちゃん。
「おねぇ、ちゃん……?」
「愛奈ちゃん、まずは少しだけ天使になった私の話をしましょうか?」
 そして、優奈おねぇちゃんはそう言って再び両手を広げると、無数の風景が映し出されたスクリーンが、所狭しと敷き詰められるように塔の周囲の空間へ発生してくる。
「な、なにこれ……?」
 映っているのは、世界各地の有名なランドマークや紛争地帯、また魔法少女になりたかった先輩やお母さんと戦った時に見た風景など、わたし達の世界や天界の様々な場所みたいだった。
「これらはね、“エノクの眼”と呼ばれるメタトロンの分身たちが、現在見ている風景を映像としたもの」
「分身……」
「そ。メタトロンには三十六万を超える“眼”があって、それをあらゆる場所へ飛ばしてんのよ。……んで、前にも言ったと思うけど、このコはそれを使ってアンタのコトもずっと見てたんだから。ほら、ここ」
「……あ、ホントだ……」
 そう言って、エルが飛んで行って指し示した映像の一つには、確かに肉体だけがベッドに横たわったままのわたしの部屋が映っていたりして。
「えっと……あの、それはね……」
「……いやまぁ、おねぇちゃんに覗……見守られているのは、ちょっと恥ずかしいけど全然イヤなんかじゃない、けど……」
 むしろ、大天使メタトロンとなってしまった後でも残った、わたしの優奈おねぇちゃんらしさの断片(セグメント)と思えば、むしろ安堵の心地すら湧き上がってくるとしても……。
「けど、一体どういうコト?」
「お姉ちゃん……大天使メタトロンはね、唯一神である“主”に代わり、ここでこうやって天界や人間界を監視するのが主な役目なの」
「監視?」
「……そう。これらの眼に映った真実を記録し、救いを求める者がいれば天使軍へ報告して……時には咎者への神罰を代行する」
「おねぇちゃんが、一人で……?」
「ええ……。でもね、メタトロンの役目は監視と断罪であって、神に次ぐ強大なチカラを秘めながら、自らの手で誰も救ってあげることは出来ない……」
「…………」
「……だから、天使の中で一番大きな翼を持っているというのに、私はこの場所へ縛られた籠の中の鳥も同然なの……」
 そして、祈るような仕草で寂しそうに言葉を締めくくる優奈お姉ちゃんからは、自虐だけじゃなく、深い失望感も漂わせていた。
「……おねぇちゃん……」
「ったく、神の片腕と呼ばれる者がナニ言ってんだか……。アンタも他の天使も、各々がシステムの一部として役割を担ってるだけのハナシじゃない?秘めたるチカラに加えて、人間の中でも特に高潔で公平を重んじてたからこそ、監視者が相応しいと判断されたまでのコトよ」
「…………」
 いや、ホントにそうだろうか……?
 高潔さや公平さも分かるけど、でも何より優奈お姉ちゃんが天使と呼ばれた理由は、我が身の犠牲も厭わぬ底なしの優しさだったハズなのに。
「それに何より、アンタは自らの意思で天使となる道を選んだじゃない?」
「ええ、それは忘れていない……。けど、やっぱり私は自分の手で救いを求める人を救済したかったし、それに……どうしても叶えたい願いもあったのに……」
「願い……?」
「……だーかーら、こうして叶えるチャンスを与えてやってるんじゃない?何よりもう一度、愛してたこのコと一緒になりたかったんでしょ?」
「……おねぇちゃん……!」
 まさか、おねぇちゃんもわたしと同じ願いを……?
「…………」
「つまり、そーいうコトよ、愛奈?コイツはね、人々の救済とか以前にアンタへの執着で死んでも死に切れなかったの。……だから、神と取引を交わした。それだけ」
「ふふ……だから、“駄天使”なのよね、私は……」
 そしてエルに核心を突かれると、優奈お姉ちゃんは自嘲に満ちた笑みを見せて肯定してしまった。
「…………っ」
「……さて、事情と本音を聞いたトコロで、愛奈はどうするの?優奈と同じく、決めるのはあくまでアンタの意志よ?」
「わ、わたしは……」
 更にその後、今度はエルの矛先がこちらへ向けられ、口ごもってしまうわたし。
「あの魔族が言ってた通り、セラフィム・クエストは聖魔を宿した者に秘められしチカラを確認する為に催された試練よ。こっちとしては、メタトロンがもう一人増えても全然構わないし、優勝してみせたあんたにはそれだけの資格があるコトも、このあたしが認めるわ」
「……つまり、結局はそれがわたしの願いを叶える方法?」
 わたしもその”監視者”とやらになって、ここで一人ぼっちのおねぇちゃんと一緒になるコトが。
「ま、こちらから提案するならば、そうなるかしらねってコト。ちょっとズルいかもしれないけど、でもそんなに悪いハナシでもないでしょ?」
「…………」
「…………」
 そりゃあさ……。
「…………」
「……確かに、おねぇちゃんが籠の中で寂しくしてて、わたしに一緒にいて欲しいと願っているのなら……これ以上の本望なんて無いよ」
 それから、芽生えた葛藤ですぐに言葉が出ないまま空白の時間が流れる中で、やがてわたしは視線を落としてぼそりと呟いた。
「愛奈ちゃん……」
「わたしだって……たとえ天衣優奈でなくなったって、それでもまたおねぇちゃんと一緒に暮らしたい一心で、みんなを倒してここまで来たんだから」
 それが、紛れもないわたしの本音だし、今でも変わらない。
 ……もちろん、優奈お姉ちゃんの為なら全てを差し出し捨てられるという想いでさえも。
「…………」
「んじゃ、決まりかしら?勿論、色々準備もあるし今すぐにとは言わないけど、とりあえずここで仮契約だけでも……っ?!」
「……けど、それはおねぇちゃんの望みなんかじゃないからッッ!!」
 しかし、それを聞いて肯定と解釈したエルがすぐ近くまで寄ったところで、頭から鷲づかみにして再び武装状態になるわたし。
「愛奈ちゃん……!」
<ちょっ、どーいうコトよこれはっ?!>
「悪いけど、これからラスボス戦が控えてるから……もう一度だけチカラを貸してくれる?」
<ラスボス、ですってぇ?!>
「……つまり、“そういう”コトだよね、おねぇちゃん?」
 そして、わたしは烏ちゃんを倒した後でもう二度と手に取ることは無いと思っていたY&I(おねぇちゃんとわたし)をホルスターから抜き放ち、一つに合わせてそう告げた。
「…………」
「……ふふ、やっぱり愛奈ちゃんは私のコト、何でも分かるんだね?」
「うん……。悲しいほどに、だけど……」
 エルは同じ籠に入れたくて連れてきたみたいだけど、優奈お姉ちゃんは逆にわたしだけは囚われの身にしたくないと思っているし……それに何より、救いを求めてる。
 ……ぶっちゃけ、わたしの方は一緒に居られるのなら籠の鳥でも構わないという気持ちは心の片隅に残っているけれど、でもおねぇちゃんの深い哀しみや苦しむ姿が見えてしまった以上は……。
<アンタ達……っ!なにを勝手なマネを……>
「悪いんだけど、今は姉妹で水入らずだから、神様だろーがちょっと黙ってて」
 どうせ、わたしの願いの代わりに頼んでも叶えちゃくれないんだろうし、それにお母さんがここまで辿り着いても、きっとこうしていただろうから……。
<な……!>
「……ゴメンね、愛奈ちゃん。自害した天使は魔界へ堕とされてしまう運命だから、無抵抗でって訳にはいかないんだけど……」
「もちろん、手加減なんて似合わないんだから、ラスボスらしく全力で迎え撃って来てよ?……そして、ここでわたしはおねぇちゃんを越えてみせるから……!」
 それが、このわたしに出来る精一杯の手向け。
 ……それでこそ、優奈お姉ちゃんも今度こそ未練を残さずに済みそうだから……。
「……ありがとう。あと……愛してる、愛奈ちゃん」
「わたしもだよ、優奈おねぇちゃん……っ!」
 だから……愛してるからこそ、わたしのこの手で……。
<あーもう、知らんわ。勝手になさいっての……>
「んじゃま、お言葉に甘えて……っ!」
 そして、互いに短くも想いのたけを告白した後に頷き合うと、わたし達は同時に飛び上がっていき……。
「いくよ……愛奈ちゃん……!」
 やがて、塔が小さく見えるくらいの高度にまで達した辺りで、まずはおねぇちゃんの夥しい翼の先から同時に発生した短い光線がこちらへ向けて集中放火を浴びせてくる。
「……なんの……っ!」
 その目が眩むほどの眩く神々しい殲滅攻撃を前に、おそらくセラフィム・クエストを始めた頃なら呆然と足がすくんでしまったかもしれないけれど、光線が向かってくる軌道から精度のあまり高くない誘導系の攻撃と咄嗟に判断したわたしは、追い詰められないように相手の周囲を大きく迂回するルートで避けつつ、手持ちの聖魔銃で反撃してゆく。

 ドンドンドンッッ

 ……しかし、撃ち放った何発かは腹部や脚部の方へ命中したはずなのに、弾は吸い込まれる様に消えて、お姉ちゃんも怯む様子は無し。
(効いてない……?だったら……っ!)
 そこで、すかさずわたしは背中のびっくり砲に持ち替え、続けて止まない光線の間隙をぬって羽付きホーミング弾を命中させるものの……。
「…………っっ」
 今度は、着弾した箇所が半透明の幾何学模様をした障壁で防がれ、ダメージどころか届いてすらいないみたいだった。
(こっちは防がれた……か)
 一応これでも、当たれば一撃必殺の主力武器だったのに。
<……一つだけ教えといたげるけど、神の剣であり盾として創られたメタトロンの防御力はカンペキよ?物理、神霊力を問わずあらゆる属性に対しての障壁に加えて、不死身に近い自己再生(リジェネ)も兼ね揃えてるし>
「んじゃ、こっちの攻撃は殆ど通用しないってコト……?」
 精霊砲は無力化されて、Y&Iも通常攻撃じゃ自己再生に追いつかない。
<とーぜん、代が替わるたびに改良も重ねられて弱点になる欠陥部位なんてないし、マトモに斃せるもんなら斃してみろってカンジよ?>
「……貴重な情報、どーも……」
 つまり、ちまちまとダメージを蓄積させてゆく勝ち方はあり得ない、か。
 ……元々、想定もしてなかったけど。
「……ほら、どうしたの愛奈ちゃん?私を解放してくれるんでしょう……?」
 ともあれ、それを踏まえた今後の戦略を考える間も無く、今度は高速移動で羽ばたくメタトロンの翼から無数の羽根がばら撒かれると、翼を開いた孔雀の様な弾幕となって一斉に襲い掛かってきた。
「く……っ、もうっ、お姉ちゃんってば昔からせっかちなんだから……っ!」
 それを見て、とても避け切れないのをすぐに悟ったわたしは、咄嗟に土属性の壁砲で前方を防ぎつつ追いかけるものの、盾の届かないあらゆる方向から無視できないダメージで羽根が突き刺さってくる。
(やば……!)
 このままだと、反撃の距離まで近づく前に削り殺されてしまう?
「……はぁぁぁぁぁぁ……ッッ!」
 そこで、わたしは相手の懐へ向けて突進するのを一旦諦めて立ち止まり、全霊で力を込めるイメージで翼を強くはためかせて、周辺を囲む大量の羽根を振り払ってゆく。
「……って、そういえばここって一応はリアルなんだよね?流れ弾は大丈夫なの?」
 翼の衝撃波で叩き落としたはいいものの、ボロボロと落下してるみたいだけど。
<エデンの塔の周囲は七大天使達の結界が広範囲に張られてるから、この程度は問題ないわよ。一応、アイツも寝所をぶっ壊さない程度には気も遣ってるみたいだし?>
 すると、そんなわたしにエルは素っ気無く補足説明を入れた後で……。
「おねぇちゃんが……」
<ま、それよりアンタは自分の心配をした方がいいんじゃない?分かっててヤリ合ってるのかは知らないけど、このバトルは今までと違って命がけよ?>
「う……」
 続けて、敢えて考えないコトにしていた話を掘り起こされ、思わず口ごもってしまうわたし。
<今のアンタは魂に質量を与えて擬人化させてるアストラル体だから、大きく損傷すれば部屋で横たわってる肉体に二度と戻れないかもしれないし、最悪は……言うまでもないわね?>
「…………っ」
 けど……。
<それでも最期まで挑む?セラフィムの翼とはいえ、唯一無二であるメタトロンとのスペック差を考えれば、ふつーはアンタに勝ち目なんてないんだけど>
「……だとしても、ヒトにはどうあってもやらなきゃならない時がある……っ!」
 それが一番愛する人の為なら、なおさらだった。
 わたしは叫びつつ、今度はお姉ちゃんが右手に召喚した槍の先から休み無く繰り出してくる、自分の身体の何倍もの質量を持つ紅蓮の砲撃に対して、バレルロールを繰り返して必死に避けてゆく。
「……それに、ふつーじゃなければ、勝ち目はゼロじゃないんだよね?……今までみたく」
<ま、アンタならあるいは……ね。……ったく、これからどんな結果になろうがフクザツだわ、あたしゃ……>
「…………」
 おそらく、おねぇちゃんの方もそれを分かっていて、この戦いに挑んでるんだろうから……。
「とにかくわたしは、勝つ……ッッ!!」
「……お……っ?!」
 それから、改めて一念発起の叫びをあげた途端、わたしの翼からまたも急速的な爆発力が生まれて、一気におねぇちゃんとの距離が縮まってゆく。
(……あ、そういえばそーだったっけ)
 つい弱気になりかけたけど、随分と“ノリ”がいいんだった、わたし達に支給された翼って。
 ……心からその気にさえなれば奇跡だって起こせるし、堅物な生徒会長すらホンモノの魔法少女にしてしまうくらいの。
(よし……っ!)
「…………」
「さぁ、決着をつけよっか、おねぇちゃん?!」
 既にトリガーを絞り始めている、次の聖魔銃の一撃で。
「そうね……でも思えば、姉妹喧嘩をするのも三年くらいぶりかしら?」
「うん……お姉ちゃんが亡くなる一週間前にね。……ほんの些細なきっかけだったけど……」
 忘れるわけが無い。
 ……だって、あの事故があった日は、その仲直りデートの途中だったんだから。
「ええ……だからこそ、私はあのまま死にきれなかったのかもしれない……」
 そして、わたしが距離を詰めてきたのにつれておねぇちゃんは砲撃を止めると、後方へ下がりながらの誘導光線で退けようととしつつ、握り締めた槍が金色の輝きを発しながら増幅されてゆく。
「おねぇちゃん……!」
 ……どうやら、メタトロン……優奈お姉ちゃんの方も奥の手で応じてくるみたいだけど。
「…………」
 しかし……。
「……っ、やっぱり……私もイヤだよ……っ!」
「え……?!」
「私だって、もっともっと愛奈ちゃんと一緒にいたかったのに……!」
「もっと一緒に……っ、いろんなトコロに行きたかったし、やりたいコトも沢山あったし!いつかは家を出て二人で暮らしたかったのに……ッッ!」
 それから、優奈お姉ちゃんは突如に両手を宛がった顔を激しく振って取り乱し始めると、タガが外れた様に翼からの迎撃が激しくなる。
「…………!」
「イヤだよ……おねぇちゃんも……愛奈ちゃんと離れたくない……忘れたくない……!」
「…………」
「おねぇちゃん……それはわたしも同じ……だけど……」
 しかし、わたしはぎゅっと唇をかみ締めて湧き上がる感情を押し殺しつつ、お姉ちゃん……メタトロンからの猛攻を正面から掻い潜り、やがて発動に最も適した距離まで近づくと……。
「だから……だから……私が天使になったのだって、全てはその為だったハズなのに……どうして……ッッ?!」
「……優奈お姉ちゃん……少しだけ待ってて?わたしもいつか必ず、おねぇちゃんのもとへ行くから」
 魂だけの存在なのに、瞼が熱くなるのを感じながらも、泣き叫ぶおねぇちゃんへわたしは静かにそう告げた。
「……あいな……ちゃん……?」
「いつになるかは分からないけど、おねぇちゃんの分まで精一杯長生きした後で、必ず……!」
「…………っ」
「……だから、もう過去に引きずられて縛られたりしないで……」
 今は……。
「……ここで、おねぇちゃんとわたしの……二人の最後の想いの丈をぶつけ合おう?」
「…………」
「……うん……恨みっこなし、だね……!」
 ……そして、優奈おねぇちゃんが飛び上がりつつ三倍くらいに膨れ上がった右手の槍をこちらへ振り下ろそうとしてきたのに合わせて、わたしもY&Iを最愛の姉へ向け、絞っていたトリガーを解放した。
「さぁ神罰の槍よ、我が想いを乗せて……!!」
「天衣式リリアタック、いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……ッッ!!」
 程なくして放たれた白と黒の奔流と、金色に輝く巨大な槍は真正面からぶつかり合い……。
「…………!」
「……………ッッ!!」
<ちょっ、結界が壊れる……っ?!>
「しらねーわよ!はぁぁぁぁぁあああああ……ッッ!!」
「……っ、く……っ……ふふ、やっぱり……私は……」
 せめぎ合って弾けるチカラは天界の空を染めつつ、やがて……。
「……ッッ……!!」
「…………っ?!」
「…………!」
「…………っ、おねぇ……ちゃ……」
「……ありがとう……あいな……ちゃん……」
 優奈お姉ちゃんの感謝の言葉が掻き消えた後でとうとう均衡が崩れてしまうと、二色の奔流がメタトロンを飲み込んでいった。

終章 思い残した願い

「…………」
 ……夢を見ていた。
 あれは確か、小学生の頃に将来の夢をテーマにした作文の宿題を出されて、当時中学生だった姉に相談した時の……。
「愛奈ちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」
「ん〜っ、おねぇちゃんの、およめさんかなぁ?」
「えー……」
 まずは単刀直入に尋ねられ、わたしも特に考えることなくありのままに答えると、おねぇちゃんは嬉しそうな顔で困ったような苦笑いを返してくる。
「だめ……?」
「おねぇちゃんは全然オッケーだけど、ちょっと宿題で書くには向かないかな?」
「うーん、そうだね……。なにかべつのにしようか……」
「あ、で、でもね、おねぇちゃんはちゃんと覚えておくから」
 そこで、難色を示されて渋々と引き下がったわたしへ、今度はちょっと慌てて引き留めるようにおねぇちゃんはそう言って頭に手を乗せてくると……。
「ホント?」
「ええ。……それじゃ、愛奈ちゃんが十六歳になったら、おねぇちゃんが婚約指輪をプレゼントしてあげるわね?」
 それから、いつもの天使のような笑みを浮かべて、わたしにそう告げた。
「……うん……っ!」
「…………」
 懐かしいなぁ……。
「……ちゃん……っ」
「…………」
 結局、その約束は叶わなかったけど……。
「……あいなちゃん、あいなちゃんってばっ?!」

                    *

「……ん……?」
「……あ、起きましたよ?」
 やがて、強めの呼びかけに意識が戻されて瞼を開いた時には、二人の友人がわたしの顔を覗き込んでいた。
「美佳、烏ちゃん……」
 一人は、十年来となる古い幼馴染みで、もう片方は魔界からのフレッシュなお友達。
「もー、いくらくつろいでてとは言ったけど、寝てるのはどうかと思うよー?」
「いや、今日は手伝いをしなくていいと言われても、それはそれで手持ち無沙汰でさー……」
 というか、最初はスマホでも眺めて待つつもりだったんだけど、すぐに強烈な眠気に襲われたので少しだけ仮眠をとろうと思ったら、どうやらがっつりと寝込んでしまっていたらしい。
「ご安心ください。もうすっかりと準備は出来てますよ?」
 ともあれ、苦笑いを返しつつ横になっていたソファーからあくび交じりに上体を起こしてみれば、目の前のテーブルの上に、キャンドルが立てられたケーキやら美味しそうなご馳走が並べられていた。
「おお、すげぇ……」
 ……そう、今年は誕生日が休日に重なったのもあって、本日は美佳のうちでお祝いをしてくれるコトになっていたりして。
「どうせまた、徹夜でゲームでもしてたからねむかったんでしょー?」
「あはは……いや、年末年始にちょっとばかりサボっていたもんで、急いで取り戻さないとって……」
 全てが終わった冬休み最終日の夜からまたいつもの対戦シューティングを再開したのはいいものの、やっぱり腕前は鈍っていたみたいでいきなり連敗が続いてランクが下がりまくってしまい、よく一緒にチームを組んでいた戦友(フレンド)達から見捨てられない様にと頑張っていたら、ついつい寝不足状態が続く羽目になっていたりして。
「それは、寂しさを紛らわせる為ですか?」
「うーん……まぁ、それも否定はしきれないけどね……」
 ぶっちゃけ、ゲーム熱自体はあまり戻ってるワケでもないけれど、色々思うトコロが多すぎて、何もしていないとまた気持ちが沈んでしまいそうだったし。
 ……そんなこんなで、何だかんだでいい“夢”を見させてもらえたとしても、最愛の人ともう二度と触れ合えない喪失感を再びぶり返される羽目になったのは、とんだ災難だったかもしれない。
 けど……。
「もー、寂しいのならいつでも慰めてあげるって言ってるのに〜。ねーからすちゃん?」
「え、わ、私は別に……」
「あはは、そーだね。烏ちゃんなんて、わざわざオトモダチになりたいと言ってきてくれたんだし」
「いっ、いえ、あれは一応約束、でしたから……」
「……うんうん、分かってるわかってる。さぁ、二人ともちこう寄れ」
 ……まずは、こうやってわざわざ誕生日を祝ってくれる友達に見放されない様にしないとね。
「でも、とりあえずその前にカンパイしようよ〜?」
「そ、そうですね……料理も冷めてしまいますし……」
「うん……」
 何だかんだで、わたしは幸せものみたいだし。
「んじゃ、はじめよっか〜。電気消して歌うたうー?」
「……いや、照れくさいからそれはいい……」
 大体、電気を消すもなにも、今は真っ昼間である。
「歌って、何ですか?」
「えーからすちゃん知らないの〜?ほら、はっぴばーすてーとぅーゆーって……」
「ほう……」
「だから、いいってば……」
 ……いや、もう手拍子入ったから手遅れかもしれないけど。

「……でも、これで来年はいよいよおねぇちゃんに追いついちゃうねー、あいなちゃん?」
「んー、フクザツだけど、でも仕方がないかなぁ……」
 それから、年齢の数字のキャンドルを吹き消して、ジュースのカクテルで乾杯も済ませ、二人の手料理に舌鼓を打っていたところで美佳から過敏な部分に触れられ、グラスを片手に苦笑いを返すわたし。
 ……ただ、こうやって生きている以上、時の流れに抗って立ち止まるコトはできないしね。
「まぁ、重ねただけの齢(よわい)にイミなどありませんし……」
「うぐ……しかも、烏ちゃんが手厳しい……」
「うんうん、来年までには少しでもおねぇちゃんみたいなオトナにならなきゃねー?」
「いやー、そう言われてもさぁ……」
 ここから一年でお姉ちゃんみたいになれっていうのは、ハードル高すぎる気がするんだけど……。
 近づけたとしても、せいぜい美佳の女子力くらい……も厳しいか。
「……というコトで、そんなにあいなちゃんにお誕生日プレゼント〜♪」
 しかし、そんなこんなで無理ゲーっぽいから聞かなかったコトにしようと流しかけたわたしのもとへ、続けて美佳から綺麗にラッピングされた大きめなプレゼントの箱が差し出された。
「え?あ、ありがと……」
 そういえば、まだプレゼントを受け取ってなかったっけ。
 ……というか、わざわざこういう会を催してくれるだけで充分すぎなんだけど……。
「ちなみに、これはからすちゃんと一緒にだよー?ほら、開けてみて?」
「ええ、私にはどんなモノを選べばいいのか分からなかったので、美佳さんにお任せしました」
「ほほう……って、あはは、こーきましたか……」
 ともあれ、早速リボンで包まれたラッピングを解いてみると、中に入っていたのは薄いピンクにハート柄の散りばめられたボックスに入ったコスメのセットだった。
「さ、明日から女子力アップがんばろーね?あいなちゃんも、モトはいいんだから〜」
「ええ、どけだけ化けるのか、私も楽しみにしていますよ?」
「うえーい……」
 ……おしゃれに関しては、生前のおねぇちゃんにも結構口うるさく言われて、軽い姉妹喧嘩の種になることもあったけど……どうやら、その役割は美佳が引き継いでしまったらしい。

                    *

「……この先、なんですか?」
「うん、そうだけど……でも、無理にここまで付き合ってくれなくてもよかったのに」
 やがて、お誕生会も終わって夕暮れ前に美佳の家からおいとました後で、わたしは一緒に付いて来た烏ちゃんと一緒に、もう何度も通っている墓地の階段を上っていた。
「いえ、私も関心ない訳ではありませんし……」
「ふーん……。でもさ、天使の翼で飛ぶのに慣れると、こんな階段なんてひとっ飛びなのにーとか思っちゃうよね?」
 なんだか、ちまちま走っているのが馬鹿らしくなってくるというか……。
「しかし、辿り着く前に流した汗も、死者への供物と思えば……」
「……お、烏ちゃんがいいコト言った!」
 確かに、そういう考え方もあるか。
 だとしたら、いっそ全力で駆け上がってもっと汗だくに……なるのは胃と女子力の為にやめておこう。
「……にーしてもさ、美佳のうちでも言ったけど、まさかホントにお友達になってくれるとは思わなかったよ、烏ちゃん?」
 激闘を重ねるたびに、何となく敵味方を超えた脈ありっぽい手応えを感じるようにはなっていたものの、始業式の翌日の放課後に烏ちゃんが校門の前で待ってくれていて、しかも「約束通り、お友達になりにきました」と告げられた時は、驚いたというより唖然としてしまったけれど、それ以来は美佳と一緒に放課後に合流して遊んだりお喋りする仲になっていた。
 ……しかも、お友達になってから分かったけど、烏ちゃんって態度は素っ気無くても意外と付き合いがいいコみたいで、色々な場所へ連れ歩くのがまた楽しかったりして。
「まぁ、約束は約束ですし、聖魔のチカラに興味があるのは天使軍だけじゃありませんから……」
 ともあれ、足を引っ掛けそうになりながらも振り返って水を向けるわたしに、辺りの風景へ視線を巡らせつつ淡々と返してくる烏ちゃん。
「え〜……。そんなコト言われても、リアルのわたしはフツーの女の子……あたっ、かかと打った……」
 観察されたって、別に何も出てこないだろうに。
「それに、こちらでもう暫く暮らすにあたって、現地の協力者がいた方が都合がいいですし……」
「あはは、元旦の時はナンパされてたもんねー?」
 とまぁ、理由が納得できるのは分かりやすいけど……何だかちょっとさびしんぼ。
「あと、それと……」
「それと?」
「……えっと……貴女と一緒に居るのも、そんなにイヤな気分じゃないです……」
 しかしそれから、烏ちゃんはちょっと照れくさそうに視線を横へ逸らせつつ、最後にそう言ってくれた。
「烏ちゃん……っ!」
「ちょっ……あぶな……?!」
 ……いやいや、抱きつかずにはいられないコト言ってくる烏ちゃんが悪いからっ。

                    *

「……ふー……また来たよ、おねぇちゃん……あと、おじいちゃんとおばあちゃんも」
 ともあれ、やがて空が夕暮れの朱に染まりかけた頃、高台にある天衣家のお墓へたどり着くと、白い息を整えるのもそこそこに、早速お水と手ぬぐいで清めながら声をかけるわたし。
 ちなみに、分かっていたから追加は持ってこなかったけれど、両端に供えられているお花はまだ萎れずに彩っていた。
「辿り着くのがいささか大変なだけに、景色はいいですね?」
 そして、そんなわたしの背中の向こうから、特に手伝うコトもなく見守る烏ちゃんが呟いてくる。
「うん……。昔はおねぇちゃんと一緒に墓参りしながら、夏はここで花火大会でも見たら綺麗だよね?って言ってたし……」
 まぁ、さすがに実行はしなかったけれど。
「……ここへは、頻繁に訪れているんですか?」
「んー。月に一度お掃除に来てたくらいかな?……というか、普段は自分の誕生日に来たりはしないんだけどね……」
 ただ、セラフィム・クエストが終わった後でお参りに行こうと思っていたのが、たまたま今日になってしまっただけで。
「それは、何か思うところでも?」
「うん、まぁ……一応はひと区切りを迎えたんで、締めくくりに手を合わせておきたくてね……」
 それからわたしは烏ちゃんにそう答えると、ポーチに入れていた線香の束に火を点けた後で、目を閉じて手を合わせてゆく。
「…………」
(おねぇちゃん……どうか、わたしの願いが届いていますように……)
「……ひと区切り、ですか。私を倒した後で天界に飛び、誘われた唯一神の膝元でメタトロンと戦って姉上の魂を解放したとまでは伺いましたけど、それからは結局どうなったんです?」
「聞きたい?」
「ええ、是非……というか、それを聞くために一緒にここまで来ましたし」
「あー、なるほどね。だったら……」
 それならばと、わたしは念仏を終えて立ち上がり、染まりゆく空の遥か彼方へ視線をやりながら、あれからのコトを思い出し始めていった。

                    *

「おねぇ……ちゃん……っ!」
「……あは……しっかり受け取ったよ……愛奈ちゃんの強さ……」
 やがて、全力で解き放ったチカラの奔流が収まり、あらゆる箇所から破片を撒き散らしつつ力なく墜落してゆくメタトロンの大破したボディーを全力で追いかけて抱きとめると、おねぇちゃんは亀裂を広げながら弱々しい笑みをわたしに向けてきた。
「…………っ」
「すごいよね……この檻は……絶対に破壊不能って言われてたのに……」
「…………」
「……ったく、ショセンは出来損ないだったわねー、アンタは……」
 それから、支えられながらもぼろぼろと崩れゆく中で、戦いが終わってわたしから抜け出してきたエルが、肩を竦めながら優奈お姉ちゃんに失望したような言葉をかける。
「エル……!」
「…………」
「“魔”の部分が弱すぎて、結局は期待してたチカラを満足に引き出せなかった想定外の聖人かと思えば、愛奈(このコ)絡みの約束は破りまくった挙句に、土壇場で裏切るわで……」
「ふふ、出来損ないか……まぁ、それは否定しないけど……」
 すると、おねぇちゃんは自嘲っぽくそう呟き返したものの……。
「お姉ちゃん……」
「……でもね、それが貴女達の求めたチカラの源なんじゃないかしら?」
 すぐに、わたしの腕にもたれかかったまま、静かに言葉を続けてきた。
「あんた……!」
「戦う前にも言ったけど、私は天使になるコト自体に興味はあったし、強引なお誘いだった割にやぶさかでもなかったのよねー……。でも、すぐに失望に変わっちゃったんだけど……」
「……どーしてよ?」
「だって、“愛”が無いんだもん……。天使って原則的に誰のコトも“主”以上に好きになったり、ましてや愛しちゃいけないんだけど、その理由なんて組織の統率の為でしかない……」
「……つまり、今の天使なんて個を否定されて忠誠のみを強いられた無機質な存在でしょ?」
「…………」
「だから、天使は予め与えられた分だけのチカラしか出せないし、いつしか他の世界が羨ましくなる者が出るのも当たり前よね?……きっと私の御先祖様も、そんなんだから天界がイヤになっちゃったんだろうし……」
「ふん……聖魔のチカラを研究させていたアンタの先祖はいつしか人間に幻想を抱き過ぎていたみたいだったから、追放時にきまぐれで望み通り人間界へ落としてやったけど、そこから人間との間で生まれ継いだ子孫が次代のメタトロンとなり、そして血を分けた別の子孫がこうやって打ち破って見せるとはね……。それがアンタ達一族からあたしへの回答ってワケ?」
「さーて、それはあなたが自由に解釈してくれて構わないけど……けどゴメンね、愛奈ちゃん……二度も辛い思いをさせて……」
「……ホントだよ……でも……」
「でも?」
「……せめて、おねぇちゃんが笑っていってくれるなら、少しは救われる……かも……」
 それから、エルとの話がひと区切りした後で謝ってくるおねぇちゃんへ、わたしは抱きしめたまま素直に本音を告げた。
 正直いえば、“あの時”と同じか、自らの手でという形になった今回はそれ以上に胸が痛んでいるんだけど……でも、それでもせめて愛したひとの望み通りになったのなら……。
「うん、そうだね……せめて最期は笑顔で……」
「……あと、ひとつだけワガママ……」
「…………っ?!」
 そして、わたしが儚い笑みを見せたおねぇちゃんと口付けを交わしたのを最後に、ヒビが入っていた頭上の天使の輪が砕け散ってしまうと、崩壊寸前のメタトロンの器から、生前の優奈お姉ちゃんの姿をした魂が分離してゆく。
「…………!」
「ホントにありがとう、愛奈ちゃん……」
「おねぇ……」
 それから、解放されたおねぇちゃんの魂は、とびきりの天使の笑み(エンジェリック・スマイル)を見せてお礼を言ってきた後で……。
「でも、実は一つだけ……心残りがあったんだけど……」
「……え……?」
「ま、いいか……もう……」
 最期にイミシンな言葉をぽつりと残し、わたしの目の前から遥か遠い空の彼方へと消え去ってしまった。
「…………」

                    *

「……はーやれやれ、まさかメタトロンをもう一体増やすどころか、ぶっ壊されて失う羽目になってしまうなんて。一応、それに見合う成果は得られたかもしれないけど、随分と高くついたわねぇ……」
「……ったく、一方的にわたしら一家や地元のみんなを利用しといて、随分な言い草だなぁ……」
 やがて、全てを終えてようやく自室へ帰還した後で、あてつけがましくぼやいてくるエルに対して、久々に戻った肉体の感触を確かめつつ、露骨なジト目を作って向けてやるわたし。
 ……イメージに違わず、ホント神様ってのは傲慢で自分勝手なものらしい。
「それでも、強制なんてしてないし、見合う報酬だって用意してたでしょ?利害の一致よ」
「うーん……」
 それでも、やっぱりちょっと釈然としないんですが。
「いずれにしても、見たかったモノをたっぷりと披露してくれたアンタにはまぁ感謝してるわ。デキるもんなら、これから姉の役割を引き継いで貰いたいところだけど」
「んなの、わたしが飲むとでも……」
 おそらく、言ってみただけだろうけど、一体どのクチがってやつである。
「ま、そーよね……。それがこっちの弱みであって、アイツの勝算だったんだろーし」
「勝算?」
「そ。あたしがアンタを無理やり召抱えても、こっちが欲しがるチカラは出やしないから」
「あはは……確かに、そらそーだ」
 もう、優奈お姉ちゃんというニンジンは使えないしね。
「ま、いずれあんたが寿命を迎えた時にでも、また改めて誘わせてもらうわ。……その時は、天使の在り方も変わってるかもしれないし」
「そーねぇ……。何だかんだで最後まで勝ち残れたのはエルのおかげもあると思ってるし、もう二度とわたしの前に姿を見せないでと言う気まではないんだけど……」
「ま、なかなかいいコンビだったわよね?その辺も気に入ってんのよ?」
「それでも、天使になるのは当分ゴメンだわ……ってのは、ともかくとして……」
「ん?」
「でさ、優勝賞品のコトだけど……これってやっぱ、反故にされちゃう?」
「……ま、こっちは大損害だけど約束は約束として守るわよ。願いがあるならいってみ?」
 それから、話も落ち着いてきたところで、わたしが遠慮がちに水を向けてみると、エルはちょっとイヤミっぽくも頷いて応じてくれた。
「んじゃ……あのね、もしまだ間に合うのなら……解放されたお姉ちゃんの魂に問いかけて、たった一つ残ったらしい心残りを聞いてあげて欲しいの」
「は?」
「いや、ちょっと対象からズレてるかもしれないけど、でも、このままじゃ気になって眠れなくなりそうなんで、わたしの望みとしてお願い!」
 そして、願いを聞いたエルから呆気に取られたような目で見られたものの、構わず手を合わせて頼み込むわたし。
 ……これが正真正銘の、最後のおねぇちゃん孝行だから。
「アンタね……」
 すると、エルは露骨に微妙な表情を浮かべて、なにか言いたげな素振りを見せたものの……。
「だめ……?」
「……ま、ベツにいーけどさ、あとで後悔したり今後のアンタの運命に影響与える結果になっても知らないわよ?」
 やがて少しの間を置いた後で、小さく肩をすくめながら了承してくれた。
「あはは、ありがと。……それともう一つ、このペンダントって……やっぱ返さなきゃダメ?」
「アタリマエでしょ?大体、アンタ天使になるのを拒んだじゃないの」
「んー、まぁそうなんだけどさぁ……」

                    *

「……なるほど、最後に自分の願いを託したんですか」
「うん……。それが一体どんな形で叶うのかは分からないけど、それでおねぇちゃんの心残りが解消されるのなら……」
 それはわたしにとって、宝くじを当ててもらうよりも遥かに価値のあるコトだから。
「ホント、罪深いほどに愛していたんですね、彼女のコト……」
「あはは、改めて言われると照れるけど……」
 わたしが十六になったら、婚約指輪をもらう約束もしていた仲だし。
「……それでは、僭越ながら私も彼女の冥福をお祈りしておきましょうか」
「うん。ありがとね、烏ちゃん……」

「……ね、烏ちゃん。結局、“聖魔”ってのは何だったんだろうね?」
 それから、改めておねぇちゃんの霊前で二人手を合わせた後の帰り道、ふと今回のキーワードになっていた言葉が頭に浮かんだわたしは、なにげなしに烏ちゃんへ尋ねてみた。
「何と言われれば、まず天界が定める聖とは、天使にとって最も美徳とされている献身や自己犠牲です」
「ふむ……んじゃ、魔とは?」
「魔とは……所謂、利己ですね。自らの望みに極めて忠実に生きようとする、ある意味もっとも無垢な精神ですが、不思議な事に光や闇のエレメントはそういった心の強さで増幅されてしまうものみたいです」
「利己、か……」
 まぁ、魔については以前にお母さんからもそれっぽい話は聞いた気もするけれど。
「……そして、どちらかに偏っている天使や魔族に対して、その光と闇を均等に近いバランスで宿しているのが人間と言われていて、天界が今回のセラフィム・クエストを人間界で行なったのは、それを確認する為……というのは、以前の戦いの前に言いましたっけ?」
 その後で、「実際に魔軍も聖魔のチカラを脅威とは見なしつつ興味も抱いていたので、こちらも大会を荒らしつつこの目で確認する為に便乗して乗っかった形ですが」と付け加える烏ちゃん。
「ったく、はた迷惑なんだから……って、特に実害は出てないか……」
「まぁ、元々は天界から持ちかけられた紳士協定ですから、実害を出してしまえばまた戦争の火種になりかねませんし」
「わたしのメンタル的には実害ゼロとは言いがたいんだけどなぁ……。まぁそれでも、もう二度と夢の中以外では逢えないと思っていたおねぇちゃんと短い間でもまた一緒に居られたんだから、プラマイゼロってコトでいーんだけどさ」
 それと、最後の最期でようやくおねぇちゃんにも恩返しが出来たしね。たぶん。
「ええ、お陰で貴女からは聖魔の本質まで見せてもらえましたし、私の生涯二度目の敗北という汚点も比較的晴れやかに受け止められていますから」
 そして、減らず口は続きながらも頭を掻きつつ本音を零すわたしに、烏ちゃんも素っ気無く同調しつつ穏やかな笑みを見せてきた。
「烏ちゃん……」
「……ただ、お話を聞く限りでは、どうやら優奈さんの方は愛する者に対しての献身や自己犠牲……つまり、聖の方へ圧倒的に偏っていたみたいですが」
「だって、咄嗟にわたしを庇って死んじゃうくらいだし……」
 ホント、わたしは貰いっ放しだったから、あれで少しでも埋め合わせになればいいんだけど。
「逆に、自らの為に愛する者への執着を燃やしていた愛奈さんの方が、理想的に聖魔のチカラを発動させられたというのは、なかなか興味深いです」
「う……なんか人聞き悪くない、それ?」
「いえ、愛する者の為であり、自分の為でもある。そんなバランスを無意識に保てるのが、光と闇の両面を抱える人間の強さなのだと、私は結論付けていますので」
「そーいうもんかねぇ……」
 ま、どっちみちわたしはおねぇちゃんみたいな聖人にはなれないけど。

                    *

「……よっし、勝ったぁ!……」
 その夜、家族からも誕生日のお祝いをしてもらった後で、やっぱりいつもの様にお気に入りゲームのオンライン対戦に興じていたわたしは、本日無敗となる五連勝目を飾って、テレビの前で小さくガッツポーズをキメていた。
 ……これで、再開後に落ちてしまったランクも元通り。
 それどころか、今まで越えられなかった更に上の方も目指せそうな気がしていたりして。
(やっぱ、セラフィム・クエストで鍛えられた効果かなぁ……?)
 復帰直後こそブランクで鈍ってはいたものの、続けるうちにエイムの速さや反応速度など、むしろ前よりも機敏に動けているのに気付いて、やっぱりあれだけの修羅場を潜ってきたのはゲーマーとしての腕前にもプラスになっているみたいである。
「さーて、今日はあと2、3戦くらいかな……って、さぶっ……?!」
 しかし、それから続行ボタンを押す前に、いつの間にやら下がりきっていた室温に身震いさせられた後でガラス戸の方へ視線を向けると、ベランダから庭に白くてふわふわとした塊が落ちてきているのに気付く。
「あ、やっぱり降ってきたんだ……」
 まぁ外は寒い一日だったし、予報でも夜から天気が崩れるとは聞いていたので驚かないけど、何にしてもエアコンの室内温度を上げておいた方がよさそうだった。
「……ん……?」
 そこで、ベッドの上に投げていたリモコンを取るためにベランダから背中を向けて立ち上がると、屋根の上に何かが乗っかってきた音が伝わってくる。
(鳥?いや……)
 それを聞いて、わたしはまさかと思いつつも、せっかく手に取ったリモコンを再び放り投げてガラス戸の方へ駆け寄り、錠を下ろして冷たい空気の吹き付けるベランダへ出た後に……。
「……おねぇ、ちゃん……?」
「ええい、なんでそうなるだわさ……」
 ありえないと思いつつも、屋根のほうへ視線を向けて呼びかけると、別の聞き覚えのある声が返ってきて、頭に輪っかと背中に翼を生やしたコート姿の大天使が静かに飛び降りてきた。
「……ったく、結局は姉離れ出来てないじゃないかだわさ……」
 それは、いちいち外見を観察しなくても声だけで分かる、特徴的な口調。
「だわさちゃん?……どうしたの、天界に帰ったんじゃなかったっけ?」
 まぁ、セラフィム・クエストが終わった後で挨拶もなしに撤収してしまって水くさいなーとは思ってたけど、まさか今さら顔を出してくるなんて。
「いや、ほんの他愛も無いお使いだわさ。お邪魔してもいいだわさ?」
「う、うん、いいけど……」
 ともあれ、そこからぶるぶると身を震わせてコートに積もった雪を払い落としながら用件を告げてくるだわさちゃんに、とりあえず頷き返すわたし。
 でも、輪っかも翼も見えなくできるんだから、用事があるなら玄関から普通に訪ねてくればいいのに……ってのは、天使様には野暮なんだろうか?

「……それで、お使いって?」
「ふむ。日付が変わる前に、本日めでたく誕生日を迎えたあんたへお届けモノだわさ」
 ともあれ、それから室内へ招き入れたわたしが早速本題に入ると、だわさちゃんはコートの下から小さなプレゼントの小包を差し出してきた。
「プレゼント……?まさか……」
 なにやらちょっとデジャブというか、イヤな予感が……。
「何を勘ぐっているかは知らないだわさが、こいつは優奈からの今夜必着の使いだわさ」
 そこで思わず身構えてしまったわたしへ、だわさちゃんは差し出したまま心を見透かしたように言葉を続けてくる。
「おねぇちゃんの……?」
「ふむ、これはあんたの願いゴトの”結果”だわさ」
「……へー……」
 よく分からないけど、あれからずっと気になっていた結果報告と言われれば拒否するわけにもいきますまいと、ようやく受け取った後でリボンを解いて蓋を取ったわたしの目に入ってきたのは、純白の真四角なジュエリーケースが一つ。
「え……?」
 ……そして、そのケースの大きさに何やら胸の動悸が高まったのを抑えつつ、手にとって開けてみた中に収められていたのは、大きなエメラルドが付いた指輪だった。
「……っ!こ、これって、まさか……」
「そいつは、守護天使が対象者と契約を交わす際に送られる、盟約の指輪だわさ。優奈のヤツはずっと前から自分の誕生石でこれを作って、こっそりと仕舞っていたみたいだわさ」
「……おねぇちゃんが?守護天使?」
「守護天使というのは、天使という存在が生まれた最初期より存在している古いミッションだわさ。人間たちとの共存をはかりつつ“主”への信仰を集める為に、天界より天使が人間界へ降り立ち、選ばれた対象者に助力や加護を与えるという、まぁ今じゃリスクばかりが大きくて効果も手柄稼ぎもあまり期待できないからと志願者も減って天使軍も推奨していなくて廃れているお役目なんだわさ」
「でも、それってもしかして、お姉ちゃんが本来求めてた……」
「……本当は、優奈はあんたの守護天使になりたかっただわさ。未練を残して志半ばで現世(うつしよ)より去る羽目となったアイツは、守護天使になるコトで再び一緒に居られるし、最愛の妹が最も幸せな可能性未来を歩める手助けが出来るという希望を抱いていたみたいだわさ……」
「……しかし幸か不幸か、と言ったら怒られるだわさが、優奈は格付けを決める為に参加したセラフィム・クエストで、それが許されない地位へ抜擢されてしまったのだわさ」
「…………」
「結局、優奈は人間としては聖と魔のバランスが偏りすぎて、期待されていた聖魔のチカラは発揮されなかっただわさ。……しかし、それ故に高潔で眩いばかりの輝きを放ちつつ他の候補生を圧倒してみせたアイツは“主”に大層気に入られ、最愛の妹ではなく天界や唯一神の守護者となる運命を背負うコトになったのだわさ」
「……それが、おねぇちゃんに残っていた心残り……?」
「だわさ。……だからせめて、この指輪を妹が十六の歳を迎えた日に渡して欲しいと」
「…………っ」
 おねぇ……。
「その指輪をどうするのかは、勿論あんたに任せるだわさ。……ただ、色々グレーな部分もあるから、ナイショにだけはしておいて欲しいだわさ?」
「……うん……!」
 そこでわたしは、震える両手で盟約の指輪を強く握りしめ、涙がぼろぼろと零れ落ちてくるのに抗えないまま、ただ小さく頷いた。
 どうするのかと言われたって、今はこうやる以外に何も思いつかない。
「……では、あたしはこれでお暇するだわさ。また会う機会があるかは分からないだわさが……」
「……待って!あの……おねぇちゃんは……結局どうなったの?」
 しかし、それから用事は終わったとばかりに立ち去ろうとしただわさちゃんを、みっともない泣き顔のまま慌てて引き止めるわたし。
 最後に、それだけは尋ねておかないと。
「優奈は……アイツはいるだわさよ?」
 すると、だわさちゃん……大天使ザフキエルは、表情を真顔に締めつつも特に間を空けずに素っ気無く答えた後で……。
「え?」
「あんたの記憶に残っている限り、その心の中に。……これでいいだわさ?」
 思わず硬直してしまったわたしへ、今度はしたり顔を浮かべてそう続けてきた。
「……うん、ありがとう……」
 そっか……。
(大丈夫だよ、おねぇちゃん……)
 ……この指輪と新しいお友達と……美佳たちに貰ったプレゼントと一緒に、わたしはちゃんと明日からも前へ進んでゆくから。

                    *

「……で、これで良かったのかだわさ?優奈……いやさ、二代目ミカエル」
「ええ、ありがとうね、だわさちゃん?」
 やがて、天界へ帰還した後で早速報告にセラフィム・タワーを訪れてきたザフキエルに新しい名で呼びかけられ、勝手知ったる新しい自宅のプライベートテラスでこっそりと一部始終を見守っていた私は、満面とはいかない笑みを浮かべて礼を述べた。
「お前さんまでその呼び方はやめるだわさ……。けどまさか、あの流れからまたあんたが天使の道を選ぶとは、このザフキエルの目をもってしても読めなかっただわさ?」
「んーだって、そんなに守護天使がやりたかったのなら、一度やらせてやるって言われたしね」
 おそらく思惑はイロイロあるんだろうけど、まぁ利用しあうのはお互い様ってコトで。
「……まったく、ホントにあんたら姉妹は“主”のお気に入りなんだわさ。そんなの通常は絶対に通らないのだわさ……」
「ふふ、出来損ないとか駄天使とか、散々言われてきたのにね?……ただ、その代わりにこれから天使軍の方向修正に着手するから手伝えとも言われたんだけど」
 そんなわけで、天使二周目である今の私はメタトロンではなく、さる事情で少し前から空席となっていた四代熾天使の一角である”ミカエル”の後釜へ収まる事になっていた。
「ま、発端となったのが他でもないあんたら姉妹なのだから、それは当然の流れというものだわさ」
「あはは、まぁねぇ……」
 どうやら、偉大なる我らが“主”も私と愛奈ちゃんとの愛と宿命の営みを目の当たりにして色々思うところが出てきたらしく、少しばかり天使軍の空気を換えることにしたみたいなんだけど、私にその旗振り役を任せるにはこの立場が最適だったみたいで。
(……それにしても、まさかこんな形で私に熾天使の翼が巡ってくるなんて……これも縁なのかしらん?)
 天使軍の頂点に立つ総帥であり、エンジェリウムの学園長も務めていた先代が時折ポンコツOLモードになりながらも、どれだけ身を粉にしてお仕事を頑張っていたのかは、見習い時代に此処で一緒に暮らしていたこともある自分にはよく分かっていたし、結局、愛奈ちゃんの守護天使を認めてもらう見返りに二つの尻ぬぐいを纏めて押し付けられた形になってしまったものの、確かにどちらも私には関係無いとは言い切れないだけに仕方がないのだろう。
「しかしお前さんの本音的には、寧ろ身軽な一兵卒からの復帰で、まずは守護天使ミッションに集中したかっただわさか?」
「……実はね、最初は愛奈ちゃんの守護天使が終わるまでそれでいいとも言ってもらったんだけど、私の方から断ったの」
 ……まぁ理想を言うのなら、メタトロンと同じ唯一無二の天使として天使軍の制御からは外れ、更にエデンの塔と“主”の守護という義務さえ守れば各々の判断で自由に飛び回る権限が与えられた、このだわさちゃんと同じ七大天使に入り込みたかったけれど、生憎こちらは七大天使が八大天使になる事は無いんだそうで。
「なるほど……。それであたしに代理を頼んだということは、やはりもう愛奈の前には現れないつもりなのだわさ?」
「ええ。盟約の指輪は届けてもらったけれど、愛奈ちゃん自身はもう私の手から離れたと考えているし、今後は自らの心の赴くがままに歩んでゆくべきでしょう?」
 そこで、すぐに理解してくれたらしい智の番人が皆まで言わずともいいとばかりに代弁してきたのを受けて、私も自虐気味に頷き返す。
「……だから、これからは指輪越しに”此処”からこっそりと加護を与えつつ、陰ながら見守ってゆくつもり。たった17年しか生きられなかった私の分まで愛奈ちゃんが天寿を全うし、いつしか召されるその時まで」
 もう、あの日から愛奈ちゃんの心を凍結していた呪縛は、自らの手で解放されたのだから。
「本当に、それでいいのかだわさ……?」
「……まぁ正直、やっぱり寂しいことは寂しいんだけど、これも私なりの愛ってコトで」
 ……あと、実はこっそりとメタトロンの眼も一つだけ拝借してきてるしね。
「ふん、ヘンタイにしては殊勝な心がけだわさ。まぁ熾天使(セラフィム)の翼を引き継いだのならば、これから寂しさなど感じる間もないくらいの仕事に追われるだろうから、メタトロン時代に引き篭もってサボっていた分もキリキリと働くだわさ?」
「うわぁ、酷い言い草……」
 昔も別にサボっていたつもりはないのに、どうやら同僚たちの私の評判は随分と悲惨なことになっているみたいだった。
「紛れも無い事実だわさ?……今の天界には必要な存在としても」
「んふふー、エデンの中心で愛を叫んだ駄天使として?」
「……それと、人間界でのセラフィム・クエストの第二回も検討されているのだわさ」
「ありゃ、懲りてなかったんだ?」
「何だかんだで、愛奈以外にも有望な候補生を何人か見つけられたし、自分からノコノコと戻ったサンプルを観察しつつ、“天使が生まれる街”プロジェクトは継続する予定だわさ」
「ふーん……まーいいけど、ヘタしたら修復不能なくらいに掻き回されてしまうかもよ?」
 この私みたいなのが、どんどん入ってきたりして……ね。
「……ま、それも“主”の御意ならば、アリと言わざるをえないだわさ……」
「そーね。んじゃ、私は精々楽しみにでもしときますか」
「ま、それに見合う苦労もあるのは間違いないから、精々楽しみにしてやがるがいいだわさ。……では、あたしはこれで」
「あら、もう帰るんだ?お使いのお礼にちょっとおもてなしでもしようかと思ってたのに」
「……あまり長居していると、また自慢の妹のノロケ話を一晩中聞かされるだわさ。まったく、人間界での滞在は悪くなかっただわさが、お前さんと一緒だった所為でそれだけが玉に瑕だっただわさ」
 ともあれ、報告も一区切りしたところで、ザフキエルが足早に飛び去ろうとしたのを見て引き留めると、少し前まで一緒に暮らしていた相棒は肩をすくめてうんざりした様な反応を見せてきた。
「まぁまぁ、そう言わずに。どうせ今晩のうちにだわさちゃんが報告に来てくれるのは分かっていたから、人間界にいる時に気に入ってたモノなんかも用意してあるんだし」
 しかし、それでも構わず私は逃げようとする同僚の首根っこを押さえて確保すると、半ば強引にテラスからリビングへと誘いこんでゆく。
 元々、一人で暮らすには寂しさを禁じえないくらいに無駄に広い住居だし、せっかくの愛奈ちゃんのお誕生日の夜でもあるんだから、悪いけど付き合ってもらいます。
「は〜っっ、最初からそのつもりだっただわさ?やれやれ……」
「あはは、さすがに他の熾天使の皆さんは気軽に誘いづらいから、ザフキエルちゃんが丁度いい話し相手なのよねぇ」
「……ったく、熾天使(セラフィム)に“降格”であたしよりも格下になったくせに、相変わらず馴れ馴れしい奴だわさな。まぁ愛奈の奴も同じだわさが」
「お友達ってそんなものじゃない?それに、熾天使と七大天使の折り合いの為にも私達が仲良くしておくのに損は無いと思うけど?」
「そーいうしたたかさは流石と言うべきかもだわさが、いつの間に、あたしはお前さんの友達にされていたのだわさ……」
「ん〜〜、もうずっと前からかな?」
「…………」
(……拝啓 親愛なる愛奈ちゃんへ)
 おねぇちゃん、愛奈ちゃんからのプレゼントのお陰で、今は何だかんだ忙しくも楽しくやっています。
 約束の指輪を直接渡せなかったのは残念としても、これで愛奈ちゃんが私を覚えている限り、魂は常に一緒だから。
「…………」
 あと、改めて思う所があるとすれば、私と愛奈ちゃんってもしかしたら……。
「ふふふ……」
「……それで、一体何をさっきからニヤニヤしてるだわさ?」
「いやね、もし神様が禁断の果実を食べてしまったら、一体どうなるんだろうって」
「……あたしは考えたかねーだわさ。”我々”にとっては確実に頭痛のタネが増えるだけだわさ?」
「まーねぇ、でも……」
 ……もう、手遅れかもしれないけど。

おわり

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