禁じられた愛の美しき顛末
(軽皇子)


 木梨軽皇子。允恭天皇の第一皇子にして第一の皇位継承者。その端麗な容姿や才能は臣下や民衆からも多くの人望を持つまさに完全無欠の皇子。しかし、彼は生涯でただ一つの大罪を犯してしまう。そう。彼は血を分けた実の妹を愛してしまったのである―

 て事でこの物語の主人公は上記にもある通り允恭天皇の第一皇子木梨軽皇子。彼は同姓をも魅了する美しい容姿に恵まれ、又他の兄弟よりもはるかに優れた才能と人望をもっており、文句無しの次期皇位継承者として強い期待を受けていました。 

 彼は何人かの兄弟がいましたが、その中で軽大郎女という美しい少女がいました。彼女は軽皇子の同母妹にあたり、その美しい容姿は世の中の男の誰もが彼女と結ばれる事を夢見る程だったといいます。そして、その彼女を軽皇子は妹としてでは無く、一人の女性として愛してしまいます。
 そして彼だけでなく、軽大郎女も又、実の兄である軽皇子を一人の男性として愛する様になり、遂に彼らは契りを結んでしまいます。

 しかし当時は同母での近親相姦は人に有らざる行為として堅く禁じられていました。そういった訳で彼らは人目を忍び契り合っていたのですが、ある日遂に彼らの密通が発覚し、彼の弟であり以前より軽皇子から皇位継承の座を奪い取ろうと画策していた穴穂御子に捕らえられてしまいます。そして、この事で軽皇子は部下や民衆からの人望を全て穴穂御子に奪われてしまい、彼はそのまま一人伊予湯に流されてしまいました。当然軽大郎女とも引き裂かれ、もう皇位はおろか愛する軽大郎女に会うことすら許されなくなってしまったのです。
 そして流された後は、彼はひたすら再び軽大郎女との再会を願いました。いつか再びこの腕に愛する妹を...と。

 

終焉。そして永遠の始まり

 軽皇子が流されて幾年が経ち、ついに彼の罪が許される時が来ました。軽大郎女は愛する兄の元へ向かい、ついに彼らは再会を果たします。その時、軽皇子は自分の想いを込めて次のような2首の歌を歌いました。

隠り処の 泊瀬の山の 大峰には 幡張り立て さ小峰には 幡張り立て 大峰よし 仲定める 思ひ妻あはれ 櫛弓の 臥やる 臥やりも 梓弓 起てり起てりも 後も取りみゆ 思い妻あはれ

 とうたひたまひき。又歌曰ひたまく、 

隠り処の 泊瀬の河の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉如す 吾が思ふ妹 鏡如す 吾が思ふ妻 ありと言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲はめ

 この2首の大筋の意味としては、最初の句でお前と再会した今私はお前の為なら何でもしようという歌で軽大郎女との再会を心から喜び、そして二つ目の句では、私は故郷を偲んでいたがそれは愛しいお前がいるからであって、お前がいないのなら我が家も故郷も偲ぶかいは無い。言い換えれば、愛するお前さえいれば私は何にもいらないんだという意味になります。かつては皇位継承者だった彼も今となっては他の事はもうどうでも良かったんでしょう。彼女さえ自分の側にいるのならば。

 しかし、軽皇子の罪が許され、再会を果たせた二人ですけど、だからと言ってこの二人が兄妹である事実には変わりはなく、この二人の仲が許された訳ではありません。このまま昔の様に結ばれれば又追放の繰り返しです。そしてその度にこの二人は引き裂かれてしまう。

 この世に自分達の安息の場所は無い― そう考えた二人は寄り添って水の中へ飛び込みました。現世では決して結ばれる事のない自分達の「兄妹」という束縛を自ら断ち切る為に...

 この二人の自殺は現世では絶対に結ばれることのない二人の境遇に対する絶望と同時に、二人の愛はこれからも続く、又はその永遠の愛の始まりを表したものと思われます。そう。終焉では無く始まりだったのです。

 禁断の愛を貫いた末路に二人を迎えたのは死という悲劇的な結末を迎えたこの物語ですが、恋愛物語としてあまりに美しい結末と言えるのではないでしょうか。

 

出典:古事記下巻 允恭記 


 

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