難少女は魔女の掌でオドる その1

序章 遭難少女

 ……こんな時に思い返すのも皮肉な話だけど、これまでわたしは何かに熱心に打ち込んだコトなんて無かった気がする。
 もっと言うならひと恋沙汰にも疎くて、これまで16年近く生きてきた中で誰かとお付き合いした経験どころか、軽い憧れこそ感じても本気で執心した覚えすらない。
「…………」
 しかし、そんなわたしは今、誇張などでなく文字通りに自分の“存在”そのものを賭けて、さる相手をオトそうと奮戦していた。
(む、きやがったわね……)
 そのターゲットは、自分と同じ制服姿で今こちらの方角へ綺麗なストレートロングをお淑やかに揺らせて通学路を歩いてきている、長身でお嬢様風な麗しの“魔女”。
 とにかく、行き交う人々の目を惹きつけまくっている程の美人さんで、しかも女の子好きという以外は謎だらけという、得体の知れなさの塊のようなキケンな予感の漂う相手だけど、それでも彼女は人知れず難儀を抱えているこのわたしを唯一“救出”し得る存在らしい。
 らしいんだけど……。
「…………」
(……まずは落ち着いて……)
 ともあれ、あらかじめ把握してある相手の通学ルートを先回りして通りの角で待ち伏せしていたわたしは、まず胸に手を当てて深呼吸しつつ、覚悟と気持ちを昂らせてゆく。
 正直、こういうのは後で黒歴史化が待ったなしな予感はするものの、ただ旅の恥はかき捨てとも言うから……。
(よし……!)
「あ、お、おっはよー、ゆ……千歳(ちとせ)さん、奇遇だね?」
 それから、わたしは相手が曲がり角に差し掛かる頃合いを見計らって彼女の前へと思い切って踏み出すと、偶然を装いつつにこやかに手を振ってみせる。
「あら一ノ葉(いちのは)さんやないの、おはようさん。わざわざ待っといてくれとったん?」
「……あ、いや……」
 だから、奇遇だってゆってるでしょーが。
「ふふ、それにまだ柚月(ゆづき)さんでええよ?慣れない様子で顔も引きつっとるし」
「う……」
 そして、爽やかな挨拶の後には自然な流れで腕を絡めてスキンシップのつもりが、あえなく返り討ちに遭い、魔女さんの余裕に満ちた柔らかい笑みの前で動きが止まってしまうわたし。
「えっと……けど、いつまでも苗字呼びもどうなのかなと思って……」
「……せやなぁ、うちの方もそろそろ風音(かざね)ちゃんと呼ばせて貰おうか思案しとったんやけど」
 しかも、その隙を突いて逆に柚月さんの方がこちらへ踏み込むと、身体を密着させつつわたしの腰元へと手を回してくる。
「…………っ」
「あは、それにしても……今日もええ匂いさせとるなぁ?キミ」
「ひ……っ?!ちょっ、どこ触って……って、首元で匂いかがないで……っっ」
 ここは通学路という名の往来なのに、弁えなさ過ぎ……ッ。
 そもそも暑い中でちょっと汗が滲んでいるから、色々困るというのに……。
「ん〜?朝っぱらからこういうコトされたくて自分から飛び込んで来たんちがうの?わざわざ急いで先回りまでしてきてなぁ」
「あ、うっ、そ、それは……」
 一応、ある程度はカクゴしてたけど、いやでも……。
「それは……?はっきり言わへんと、うち更に調子に乗ってまうよ?」
「んあっ?!ちょっ、それ以上はやっぱりダメ……ッッ」
 やがて、柚月さんの繊細な指先が太股を這ってスカートの中へと伸びてきたところで、とうとう白旗を揚げてしまったわたしは、元々こちらから近付いたにもかかわらず、目的を放棄して強引に引き剥がしてしまった。
「あらら、相変わらずウブなネンネちゃんやのに必死になって、ほんとキミってば可愛いなぁ?」
「……くっ、き、今日はこのくらいにしといてあげるんだから……!」
 そして、いつもの殺し文句も飛び出たところで敗北確定した後は、どうしようもなくなって小悪党みたいな捨てセリフを吐き捨てるや、すぐそこに見えている校門へと一目散に駆け出していった。
「あははー、転ばんようにな〜〜?」
「……お気遣いどーも……っっ!」

「……はぁ、はぁ……はぁ……う〜、また失敗か……」
 やがて、わき目も振らず逃げ込むように校門を通過した後でようやく立ち止まったわたしは、息を整えつつ吹き出してきた額の汗をハンカチで丁寧に拭ってゆく。
 もう七月も終わりに近づいて夏は真っ盛りというのに、ホントわたしは朝っぱらから一体何をやっているんだろうか……。
(でも、やっぱり主導権を握られたらなにも出来なくなっちゃうなぁ……)
 いつも無防備っぽい割に、意外と踏み込ませてくれないのが厄介だけど、あと彼女についてもう一つだけ分かっていたことがあったんだった。
(ウブなネンネで悪かったわね……)
 ……それはたぶん、あの美人の魔女さんは相当なヘンタイさんということ。
(んで、そんな相手を敢えて誘惑しなきゃならないわたしって……)
「……もう、朝からなにやってるの、風音ちゃん?」
「あ、詰草(つめくさ)ちゃんおはよう……見てた?」
 ともあれ、改めて気が重くなってきたのに任せて溜息を吐いたところで、同じく登校してきた幼馴染に呆れた様子で声をかけられ、苦笑いを返すわたし。
 常に笑顔が絶えなかった向日葵のような友人にこんな表情をさせてしまうのも、また違和感であり新鮮味でもあるワケだけど……。
「そりゃね、すごく悪目立ちしてたし。あと柚月さんのファンのコたちが何よあの女……!みたいな目で見てたよ?」
「はー……」
 ……しかも、あれでファンクラブまであるという噂もある人気者なんだから、ますますもって面倒くさい。
「…………」
 確かに、外見だけは大和撫子を絵に描いた様なはんなり美人さんだし、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花なんて言葉もある通り、普段の立ち振る舞いからして普通の人とは違うオーラも漂わせているから、まぁ憧れられやすいのも理解できなくはないんだけど……。
「もともと仲いいのは知ってたけど、でもここ何日かは急に積極的だよね?風音ちゃん、柚月さんのことがそんなに好きになっちゃったの?」
「いや、ちょっと……それにはやんごとなき事情がね……はー……」
 断じて恋愛的なイミではないとしても、今のわたしは彼女に縋り付くしかない。
 でなきゃ、あんな怪しげな申し出にわざわざ乗っかったりもしないんだけど。
「やんごとなき?」
「まぁね……もしかしたら、詰草ちゃんは羨ましがるかもしれないけどさー」
「え……?」
 ……だって本当は、自分は今ここに立っているべき存在じゃないし、姿かたちこそ同じでもこの詰草ちゃんがよく知っている一ノ葉風音でもないのだから。

第一章 踏み越えられた境界

 ――その日は、朝から意識の境界が曖昧だった。
 といっても、期末試験が終わった解放感の赴くがままに、寝る直前になってふと目に止まった面白そうな動画をシリーズで見ていたら外が明るくなってしまっていたという、単純な寝不足が原因なのだから自業自得なんだけど……。
「ふぁ……ぁ……」
「風音ちゃん、今日はずっと眠たそうだね……?」
「ん……いま少しでも気を抜いたら意識が飛びそう……」
 隣のクラスで授業している先生が怒鳴り込んでこない程度の話し声が飛び交う教室で、課題のプリントが乗った机に肘を立てつつ、シャーペンを片手にぼんやりと問題文を読んでいた中、突き合わせた机の向かいに座る幼馴染から水を向けられ、素っ気なくも正直に答えるわたし。
 一時間目の時点から欠伸を噛み殺しつつどうにか耐えて迎えた昼前の数学は幸いにも自習となり、出されたこの課題さえちゃちゃっと片付ければ後は眠ろうが自由なんだけど、如何せん今日は頭がイマイチ回らない……。
「あはは、んじゃ眠らないようにお喋りしながらやろっか?」
「んー、助かる……ね、5リットルと3リットルの容器を使って正確に4リットル測る方法ってすぐに答えられる?」
「えー、何それ?」
「いやね、昨晩に見てた動画でそういうのやってたから……ふぁぁ……」
 落ち着いて考えたら難しくない問題だったのに、一か所だけ引っかかって一時停止したまましばらく悩んでいたけれど、それも睡眠時間が足りなくなった原因の一つだったりして。
「……もう、眠たい理由ってそれなの?事情によったら風音ちゃんは寝ててもいいよ〜って言ってあげようと思ったのにぃ」
「うぐ……ヤブヘビだったかー……」
 この詰草ちゃん、そんな生真面目って程でもないはずだけど、昔から妙にお堅いトコロもあるからなぁ。
(……まぁいいや)
 これで甘える道が塞がれたのなら、自力で何とかするのみ。
 というか、考えてみたら夏休み前の消化試合期間で、答案の正解率なんてそもそも通知表には影響はしないんだし……。
「だったら……こうするまでよ……ッッ」
 そこで、わたしは腹をくくると停止しかけていた左脳にムチを入れ、視線をプリントへ集中させて一心不乱に取り掛かってゆく。
「おおお……本気モード入った……!」
 幸いにも、試験が終わってまだ三日しか経っていないから頭は比較的あったかいし、テストの点も思ってたより悪くなかったから、やってやれないコトなどない。
「こんなもん、ちょっと本気出せば……!」
 ……ほら、どんどん答案も埋まってきてるし、この調子ならあっという間に……。
「あは、風音ちゃんかっこい〜♪」
 そうでしょそうでしょ、向日葵の笑みを浮かべつつ惚れ直すがいい。
「…………」
「…………」
 ……ちなみに、何やら問題が高校生向けとは見えないほど簡単な気もするけど、まぁいい。
(よし、これで一通り……)
「……ちゃん……」
「…………」
「かざ……風音ちゃん……っ」
「んお……っ?」
 それから、不意に視界が一度暗転した後で肩を激しく揺らされているのに気付いて目を開けた時、視界のすぐ前には呆れた表情を浮かべた丸顔ショートの幼馴染の顔があった。
「ほら、居眠りばっかりしてないで、そろそろ始めないと間に合わなくなるよ……?」
「……いや、もう出来たとこだし……って、あれ……?」
 しかし、そこから言われて視線を落としてみると、確かに涎の一滴落ちたわたしのプリントは真っ白。
「げ、寝てたの……?」
「だから言ったのに……もう結構時間経ってるよ?」
 そして、ようやく“現実”に気付いて慌てるわたしへ、詰草ちゃんは自分の腕時計を差し出してきたので確認すると、既に自習時間も後半に入っているみたいである。
「……はー……」
 言われてみれば、何だか最後の方は視界が端折られていた気がするものの、課題を片付ける夢を見た後でもう一度取りかかるのは、何だか二度手間感が強くて余計に気怠いんですけど。
「はいはい、頑張って〜?一生懸命やってもできなかった分は見せてあげるから」
「……へいへい、お優しい幼馴染を持って幸せですよ、わたしゃ」
 というか、さっさと叩き起こしてくれてもよかったのに、向かいの席でスマホを取り出しつつ余裕の笑みを浮かべているのを見ると、どうやら遊ぶ時間を確保するために先に自分だけでも片づけてしまうコトにしたらしい。
 まぁ、それも半分はわたしのフォローをしてくれる為というのも分からない仲でもないけれど、それはともかくとして……。
「んで、今日はずっと眠そうだけど、夜更かしでもしてたのかな?」
「……あー、そこからなのね」
 つまり、まだ4リットルの話すらしていなかったみたいである。
「え……?」
「ううん、なんでもない……」
 まぁ、さすがにもう一度繰り返すのも面倒くさいのでしないとして……。
「どうせ、何か面白い動画でも見つけて朝まで見てたりしてたんでしょ?もー」
「あはは、よく分かってらっしゃる」
 もっとも、一昨日は試験が終わるまで我慢していた新作ゲームに朝までハマっていた所為で、昼休みに屋上でわたしの膝を枕にごろ寝していたこの詰草ちゃんも、あまり人のことを言えた義理ではないんだけれど。
「…………」
「……んーでも、いつも不思議に思うんだけどさー?」
 ともあれ、ようやく置かれた状況を飲み込んだわたしは、気を取り直して課題のプリントと改めて向き合い始めつつも、ふと独り言の様に呟く。
「なにがー?」
「……いやさ、どうしてこういうまだ寝ちゃダメって時ほど、起きたままちゃんと作業してる夢を見ちゃうんだろうなって」
 なんでも夢と記憶は密接なカンケイらしいから、きっと何らかの理由はあるんだろうけれど。
 ちょうど、つい最近も試験前に夜遅くまで追い込みやっていた時にも繰り返し見てたし……。
(……って、夢の中と比べてえらく難しいな、この問題集)
 むしろ逆だったなら、解くのが面倒になってさっさと目が覚めたかもしらんのに。
「まぁ、夢ってのは起きてガッカリさんなことも多いから、願望とか出やすいんじゃないかなぁ?」
「かもしれないけど、寝ているのに気付きにくい夢を見てるってのは妙な気分になるよねって」
 なんていうか、上手く言葉にはしにくいんだけど、まるで……。
「あー、ちょっと違う世界に迷い込んじゃった感あるよね?」
 そこで、手を動かしつつ表現する言葉を考えていたところで、夢見る乙女の詰草ちゃんが無邪気な笑みを見せて応じてくる。
「……相変わらず、そーいうの好きよね。まぁ合ってるけど」
 きっと、今も手にしたスマホで見ているのは、その手の漫画か小説なんだろうし。
「風音ちゃんはさ、違う世界に行ってみたいとかはない〜?たとえば夏休みの間とかでも」
「わたしゃ遠慮しとくわ……。異世界での冒険ならゲームで充分だから」
 そもそも、夏休みに違う世界へ飛ばされても宿題はどうすんのよ?って心配を真っ先にしてしまうくらいの現実主義者(リアリスト)ですから。
 ついでに、冒険よりもネットの繋がらない世界の方が耐えられそうもないし。
「んーでも、急に今の生活がつらくなって、他の世界へ逃げ出したいとか思ったりしない?」
「……え、なに?詰草ちゃん、わたしの知らないトコでそんなコト考えてたの?!悩み事があるなら相談に乗るよ?」
「あはは、ただのたとえ話だってば〜。……まぁでも、風音ちゃんは今や“そっち”サイドの人だから無いかぁ。高校に入って結構モテモテになってるもんね?女子校だけど」
 しかし、そこから穏やかじゃないセリフを続けられて、わたしは思わず顔を上げて訊ね返したものの、イミシンなつもりは無かったらしい幼馴染みは苦笑いを浮かべつつぼやいてきた。
「べつに、何か特別な変化があったワケでもないんだけどね?強いて言えば、あれから思った事はちゃんと言うし行動するようにしてるくらいで」
 ……それは、昔の苦い経験から得られた教訓。
「ほんと、昔と比べて強くなったよねー風音ちゃん?」
「強くなったっても、変化したのは心の持ちよう一つなだけなんだけどね……む……」
 それでも、あの時に変われていなかったら今頃は……なんて想像すると怖くもなるものの、わたしは幸いにも手遅れにならずに済んだ。
 ……ただ、その副産物として、その後は世話を焼かされたりお話を聞かされる側になってしまった気もするけれど。
「正直、その風音ちゃんの変化で私も救われたトコロあったし……あれ、詰まっちゃった?」
「うん……悪いけど、もう時間も無くなってきたからココ教えてくれる?」
「もう、しょうがないなぁ。まぁ昔からのよしみだしね〜♪」
「すんません……いつもお世話になっております……」
(……私も救われた、か……)
 まぁ、実際にはこうやっていつも救ってもらっているのはわたしの方なんだから、そう言ってもらえれば幾分かは気も楽になるんだけど、ね。

「……はー、なんとか間に合った……」
 やがて、終業を告げるチャイムが教室内に響き、後ろの席から回って来たプリントの束に自分のを乗せて相棒へと回した後で、大きく腕を伸ばすわたし。
「あはは、風音ちゃんおつかれー♪」
「……結局、適当でいいって思いながらも何かやっちゃうわよね、こういうのってさ……」
 夢の中と違ってガッツリ頭を使わせる問題ばかりでちょっと厳しかったけれど、こんな時には自分より遥かに頭のいい親友が同じクラスにいるのは何とも心強かった。
 ……まぁ、その分テストの結果とか通知表でよく比べられてしまうのは玉に瑕としても。
「んで、お昼はどうするの〜?眠くて動きたくないなら、私のおべんとうでも少し分けてあげよっか?」
「……いや、実は朝ごはんも食べてないから、ちゃんと食べに行く……ふぁぁ……」
 ともあれ、その後で気を利かせてくれようとした幼馴染に対して、欠伸を噛み殺しつつも席を立つわたし。
 まぁ昼寝をしていたい気持ちはあるものの、さすがに朝から飲まず食わずでお腹の虫も鳴りはじめているので、しっかり食べておかないと午後から恥をかく羽目になりそうである。
「おっけ〜♪んじゃ一緒に食堂いこっか。今日はなに食べるの?」
「んーっと……日替わり食べるの面倒くさいからカレーかなぁ……?」
 ……まぁ、あまりガッツリいってお腹を膨らませすぎてもまた眠くなりそうだけど。

「……ところで、もうすぐ夏休みだけど風音ちゃんは何か予定ある?」
「んー、わたしの方は特になにも……」
 それから、一緒に教室を出て楽しそうな笑い声があちらこちらから聞こえてくる廊下を歩いていた中で詰草ちゃんから回答に困る話をいきなり向けられ、わたしは特に考えることもなく肩を竦めて見せる。
 特に夢中になっているモノがある訳でもないし、まぁ適当にだらだら過ごすんだろうとは思うけど。
「ふーん、そうなんだ……」
「……で、詰草ちゃんの方は何かプランでも?」
「えへへ。私はねぇ、実況配信デビューしようかなって」
 それよりも、今までの付き合いから、先にこういう問いかけを向けてくる時は自分が聞かれたいからだと察しているわたしが続けて尋ね返してやると、ゲーマーな幼馴染は我が意を得たりと手を合わせて、楽しそうにそう告げてきた。
「実況って、ゲームの?」
「うん♪前からやってみたかったんだけど、今年パソコン買ってもらって環境も整ったから」
「あー、そっちの方へ向いちゃったのかぁ……でも、今更じゃない?」
「そんなコト言ってたらなにも出来ないし、それに今なら現役JKが遊んでみたってだけでも結構引っかからないかな?」
「えええ、発想がキケンすぎる……」
 それでも今時ならいくらでもいそうだし、何より友人としては心配で仕方がないんですが。
「あはは、別にこれから本格的な配信者になりたいとか、それでお小遣い稼ぎでもしたいなんていうつもりでもなくて、試しにちょっとやってみたいだけだから。……でねー、風音ちゃんも一緒にやらない?」
「ゑ、わたしまで巻き込む気?!」
 しかも、それだけに留まらず、更にこちらへ水を向けてくるとは……。
「うん♪だってその方が楽しそうだし、一人用のゲームを独り言みたいに喋りながらやるより、二人で協力するのをお喋りしながらの方がやりやすいかなって」
「と言われても、ねぇ……」
 悪いけど、このわたしにはとてもそんな度胸は……。
「べつに、顔出しでやるわけじゃないから大丈夫だよ〜?時間だって最初は一度に15分しか上げられないみたいだから、短めにやるつもりだし」
「……うーん……」
 まぁ、確かにそのくらいなら……?
「ってコトでー、一緒にどう?この夏の思い出に」
「……んーまぁ、夏休みの宿題を惜しげもなく見せてくれるのなら考えなくもない……かな?」
 やがて、説得されるうちに100%ムリって程でもなくなった気分になったわたしは、さりげなくムシの良すぎる交換条件を出すものの……。
「えっと、その方がキケンな発想じゃない?」
「ですよねー……」
 ……うん、語るに落ちてしまった。

「んじゃ、お腹すかせてるところ悪いけど、ちょっとだけ待っててね?」
「ういうい、まぁごゆっくり……ふぁぁ……」
「…………」
「…………」
(やば、また眠くなってきた……)
 やがて、階段を下りて一階のトイレの前までさしかかったところで、先に用事を済ませときたいと言ってきた詰草ちゃんを快く見送ったわたしは、そのまま入り口横の壁に寄りかかって待つことにしたものの、困ったことに再び眠気が襲ってきてしまった。
 ……まぁ、それほど待たされることもないだろうけれど、スマホでも取り出して暇つぶしをするのも億劫になっているだけに、妙に時間の進みが遅く感じてしまうのがつらい。
(……にしても、詰草ちゃん、夏休みに実況者デビューかぁ……)
 ホントに付き合うのかはまだ保留させてもらうとして、普段は控えめで大人しいのに、結構大胆なこと考えてるんだなぁ……。
(あーでも、ああいうのって、今ならそれっぽい理屈つけて夏休みのレポートの題材になったりしないかな……?)
 うん、われながらなかなか抜け目がな……。
「……ぐぅ……」
「…………」
「…………」
「あぶな……!」
(わ……っ?!)
 それから、すっと意識が引いてゆくのを感じて間もなく、外からの慌てたような声に気付いて目を開くと、わたしの上半身は大きくバランスを崩して転びかけていて……。
「…………っっ?!」
 しまったと悔やむ間もなく、やがて柔らかくていい匂いのする感触に抱き留められていた。
(え、えっと……)
「もう、気を付けなあかんよ?転んだりしてその可愛らしい顔に傷でもついたら、きっと親が泣くんちゃうの?」
 そして、そのまま続けてかけられたのは、はんなりとした柔らかくも特徴のある声からの優しいお咎め。
「す、すみません……」
 どうやら、寝惚けて廊下へ転びそうになったところを、ふわふわの真綿で包まれる様な心地の女の子に助けてもらったらしいけれど……。
「ふふ、けどやっぱ可愛いなぁ、キミ」
「へ……?」
 決してお知り合いと呼べる間柄ではないものの、その相手に心当たりはあった。
「前からお近づきになりたいと思っとったけど、こんな形で触れ合えるなんて、今日はうちにとってはラッキーデーやわ」
「…………っ」
 ともあれ、抱き留められたまま恐る恐る相手の方を向くと、思わず息をのむような整った顔立ちの美人の顔がすぐ目の前に映り、心当たりが確信に変わって硬直してしまうわたし。
(ちっ、近い近い……っっ)
 幼馴染の詰草ちゃん以外の相手とここまで顔が接近したのも初めてなので、それだけでも結構焦りを感じてしまうけれど、確か名前は……。
「ん……?さっきからウチの顔をじっと見て、なんか付いとる?」
「あ、ごめんなさい……えっと、柚月さん……だよね?ありがと……」
 それから、混乱気味でどうしたらいいか分からなくなっているうちに直視してしまっていたらしく、きょとんとした顔を見せる麗しの恩人に、わたしは視線を逸らせつつお礼を述べた。
「あら、うちの事知ってたん?嬉しいわぁ」
 ……知ってるもなにも、ちょっとした有名人ですし。
 色々とウワサも多い人ながら、確かにこうして間近で見ると纏っている雰囲気からして只者じゃなさそうな空気感が半端ないんだけど、いやそれよりも……。
「ま、まぁ名前を聞いた事があるくらいだけど……あの……」
「ん?」
「えっと、助けてくれたのはありがたいんだけど、その……いつまで……」
 やがて、状況を冷静に把握しているうちに、柚月さんが何だかんだで抱き留めたまま離そうとしないのに気付いて、遠慮がちに切り出すわたし。
 一応、助けてもらった手前で早く離してとも言えないけれど、密着されて心臓がバクバクと鳴りはじめて困ってもいたりして。
「ふふっ、いつまで……なんなん?」
 さわっ
「ひ……っ?!」
 しかし、そんなわたしに柚月さんは惚けた様子で尋ね返すと、回していた手の指先を背中から臀部の方へと伸ばしてくる。
「ち、ちょっ……?!」
 今触った?!お尻さわられた……っ?!
「ん〜、まぁカタいコトは抜きでいこ。それより、お昼はもう食べた?」
 と、イヤらしい手つきでセクハラに該当する行為を受けてわたしは逃げようとしたものの、麗しの恩人さんは離してくれないままイロイロな場所を撫で回しつつ会話を続けてくる。
「え?う、ううん、今から行くところだったけど……」
 いや、それよりですね……。
「じゃ、よかったら、これからうちと食べに行く?」
「……いや、でも、友達がもうすぐ出てくると思うから……」
「そっかぁ。だったら邪魔しちゃ悪いし、またにしとくな〜?」
 こちらとしては今すぐ離してくれるか、せめてお触りさえやめてくれるのなら、別に三人でのランチタイムにも不服はなかったものの、柚月さんの方はあっさりと諦めてしまうと、今度はわたしの身体をぎゅっと強めに抱きしめつつ、耳元へと顔を近づけてきて……。
「…………っっ」
「……それと、もうひとつ。今日の帰り道は用心せなあかんよ?」
 今度は耳たぶでも噛まれるのかと警戒したわたしへ、意味深なコトを耳打ちしてきた。
「へ……?」
「いやね、寝不足で足元がおぼつかないみたいやから、また転ばんようになって」
「あ、う、うん……それは、どうも……」
「ふふ、素直でええなぁ、キミは」
 さわっ
「…………ッッ?!」
(また触った……っ?!)
 それから、最後にもう一度だけ背筋がぞくっとくる手つきでお尻から背中へと指を這わせてきた後で、ようやく柚月さんは抱きとめた手から解放してくれた。
 ものの……。
「ど、どうしていちいち触るの……っ?!」
「なんでって、うちが触りたいからって以外にある?」
「いや、そんな堂々と居直られても困るんですけど……」
「ん〜。だって、キミはうちの好みのタイプやし♪」
 その後、スカート越しにお尻を押さえつつすぐに後ずさりして抗議するわたしに対し、無邪気な笑みを浮かべつつも、チラりと一瞬だけ獲物を見る様な視線を向けてくる柚月さん。
「…………っ」
「ほな、うちはこれで〜。……あ、以後よろしゅうな、一ノ葉さん?」
 そんな、虫も殺さない様なおっとり美人から向けられた肉食獣の様な眼差しを受け、思わず背筋に悪寒が走って身震いするわたしなものの、柚月さんは一度だけふっと笑って片手をひらひらと振りつつ挨拶がてらに名前を呼ぶと、あとは背を向けて廊下を歩き去って行ってしまった。
「…………」
「……なんか、すごいヒトだね……色んなイミで」
 それから、校内憧れの君の背中を見送りつつ呆然と立ち尽くしてしまっていたわたしへ、いつの間にやら戻って来ていた幼馴染がぽつりと声をかけてくる。
「途中から見てたなら、呼びかけれてくれればよかったのに……」
「ん〜、なんだか割って入れなさそうな空気だったし。……えっと、もうちょっとでオトされかけてた?」
「んなわけあるかぁ!……たぶん……」
 ……いやまぁ、ちょっとだけヤバいと思ったのはナイショとして。
(それにしても……あれが柚月さん、か……)
 同じ新入生ながら、長身でスタイルも抜群で大和撫子を絵に描いたような黒髪の美人で、入学式の時から一際強い存在感を振りまいていたのは自分もはっきりと覚えている。
 しかも、それに見合う優雅な物腰やどこかミステリアスな雰囲気も漂わせていて、魅了される生徒を量産しているみたい。だけど。
(うーん……)
 ただ、初めて顔合わせした印象としては麗しいという言葉は確かに似合っているんだけどそれよりも得体の知れない怖さみたいなのを感じたのと、あともう一つ身をもって確認できたのが……。
「でも、風音ちゃん好みのタイプって言われてたけど、女の子好きって噂はホントみたい?」
「えっと、たぶん……?」
 最後の方は割とガチで身のキケンを感じてしまったし、一体どこまで本気で言ってきたのかは知らないとしても、全部が冗談でしたとはとても思えないほど心臓に悪かったのは確かである。
「あはは♪だったら風音ちゃんも凄いよ〜。だって、あんなに取り巻きさん達がいる中でおめがねに適ったんだから」
「……それは喜んでいいのか分からないけど、ただ者じゃなさそうなのは確かみたいね……色んなイミで」
 ともあれ、幼馴染みからのフォローになっていないお褒めの言葉に肩を竦めつつ、再び遠くへ離れた麗しの君の方へ視線を向けてみると、あれから群がってきたらしい何人かの女子生徒に取り囲まれているのが見えて、思わず苦笑いが零れてしまうわたし。
 あの様子では、柚月さんのファンクラブがあるって噂の方もあながち嘘でもないのかもしれない、けど。
「んふふ〜、風音ちゃんもあそこに参戦してみる?」
「そんなヒマがあるなら、誰かさんの酔狂に付き合ってた方がマシだわ。それに……」
「それに?」
「……もうなんでもいいから、まずはご飯にしましょ?」
「そだね。私もおなかペコペコだよ〜」
 何にせよ、すっからかんになりつつあるお腹からの悲鳴をまずは鎮めてやらないと。

                    *

「…………」
 やがて、満腹になった午後も強烈な眠気との戦いにちょくちょく負けそうになっては詰草ちゃんに起こしてもらう繰り返しでどうにか乗り切った放課後、わたしは何やら胸騒ぎを覚えながら一人で帰路についていた。
(んー……)
 別に、お昼時の柚月さんの言葉がずっと引っかかっていた訳じゃない。
 いやむしろ、完全に忘れてたと言ってもいいんだけど、今日は別段に変わった事は起きていない普段の日常のハズなのに、何やら妙に落ち着かないというか無性に不安な心地になっているというか。
「ふー……」
 それから、家と学校までの通学路で毎日通りかかるコンビニの横まで着いたところで、お店の壁に背中をもたれて一旦立ち止まり、深呼吸するわたし。
(んっと、いつからだったっけ?こんな息苦しくなってきたのって……)
 そして、一息ついたところで直近のここまでを振り返ってみることに。
「…………」
 ……まず、授業が終わって掃除も片付けた後で、今日は夕方から習い事がある詰草ちゃんといつもの様に校門まで一緒に出たところまでは平気だった気がするんだけど……。

「それじゃ、今日はここでね〜?」
「ん、それじゃまた明日ー。……あと、今日は何かと世話をかけてしまったわね、ありがと」
「もー、私と風音ちゃんの仲だし、今さら水くさいのはナシだってば。それより、一緒に実況デビューするのは前向きに考えておいてよね?」
「えー、やっぱ本気、なの……?」
「せっかく高校生になったんだし、自分を変えちゃうようなコトしてみようよ〜?それに、風音ちゃんは一歩踏み出せる人なんだからさー」
「それとこれとはハナシが違うと思うけど……まぁいーわ。前向きに検討しといてあげる」
「おまちしておりま〜す♪あ、別に毎日聞いたりしないから安心して?ちゃんと待ってるから」
「はいはい……」
(自分を変えちゃうようなコト、か……)
 いわゆる、高校生デビューってやつなんだろうけれど、こうも熱心に誘われると、なんだかちょっぴりその気になりかけてしまっているのが困る。
「んじゃね〜、風音ちゃん愛してるー♪」
「……あ、やっぱり慎重に考えることにするわ」
 しかし、それから軽薄なノリで幼馴染みから投げキッスを向けられ、あっさりと翻意してみせるわたし。
「なんでよー?!」
「いや、それはちょっとイラっときたから」
「ぶぅ〜っ、ホントなのに……」
「別に、わたしも今さら疑ったりはしないから、ふつーにしてればいいの。ったく」

「……は〜〜……」
 というか、普段は別れ際にわざわざそんなコト言ってこないんだけど、わたしが柚月さんに絡まれたのを目の当たりにして、少しばかり妬いてしまったんだろうか?
 だったら、もう少しくらいは優しい言葉でも返してやればよかったかもしれないけど……。
(……あ、そうだ……)
 いや、それはともかくとして、思い出した。
 そういえば、それから詰草ちゃんと別れてほんの少しだけ歩いたところで、吐き気のような気持ち悪さを一瞬だけ感じんだっけ。
「…………」
 その時は、寝不足から来たのかなと思ったけれど、あれから気分が優れてこないまま、動悸も少しばかり激しくなっている様な……。
(えっと、結構ヤバくない、わたし……?)
 ……やっぱり、今日は動画鑑賞は程々にしてしっかりと眠らないとダメか。
 あ、でもせっかくコンビニ横にいるんだし、何か飲み物とお菓子でも買って……。
「……ん……?」
 しかし、そこからようやく上体を起こして店内へ入ろうとしたものの、ある違和感に気付いて入り口前で足を止めるわたし。
「あれ、ここって……」
 改めてよく見てみると、前回に来た時とフランチャイズが変わっていたりして。
「へー、また変わったんだ……?」
 この立地にはわたしが小さい頃からずっとコンビニが建っていたけれど、何だかんだで店舗が変わるのはこれでもう四度目だろうか?……って。
(いやいやいや……)
 直近で来たのは一昨日なのに、いくらなんでもたった二日で建て替わってたまりますか。
 当たり前だけど、閉店の告知もなければ工事していた様子もなかったのに。
「どういうコト……?」
 もしかして、寝ぼけて違う道へ来ちゃった?
 そんなハズはないんだけどな、とは思いつつ、狐に包まれた様な気分になったわたしは自分のスマホを取り出して位置確認してみようとしたものの……。
「……うえ……?」
 すぐに画面はスリープから復帰するも、アプリは起動できず。
 というか、どうやら回線が不通になっているみたいだった。
(んん、通信障害……?)
 いや、学校にいる間は普通に使えたのに。
 もしかして、気分が悪くなったのはよくわからない電磁波でも出てるから?
(いやいやいや……)
 ワケの分からない映画か何かじゃあるまいし、たまたまなのかな。
「…………」
 しかし、ふと見まわしてみても、往来の歩きスマホしている人達は特に困っている様子もなく画面を見たり弄ってる様子だし、自分の使っているキャリアだけなんだろうか?
 とはいっても、それを確認する為に見ず知らずの人達に話しかけて確認する勇気まではさすがに無いけれど……。
「ん……?あ、おーい、詰草ちゃん!」
 しかし、そんな帰宅時間で沢山の人達が行き交う中、やがて先ほど別れた幼馴染がスマホを片手に目の前の歩道を横切ろうとしていた姿を見つけ、慌てて右手を上げて呼びかけつつ駆け寄ってゆくわたし。
 別れて向かった先は逆方向なのに、なぜこんな所にいるのかは知らないけど、まぁいいや。
 詰草ちゃんとはこの春にお友達割目当てで同じ機種を一緒に契約しているから、こういう時は正にうってつけの相手である。
「え……?」
「あれ、今日は習い事はなくなったの?」
 すると、すぐに振り返ってはくれたものの、何やら驚いた様な反応を見せた詰草ちゃんに違和感を覚えつつ、ともかく話を切り出すわたし。
「習い事?」
「うん、だって今日は音楽教室の日でしょ?」
 習っている楽器はピアノや電子オルガンで、恥ずかしいからって発表会にも呼んでくれないけれど、子供の頃から毎週通っていて、いつかPCで歌も作りたいとか言ってたのに。
「……ううん、今日はこれから塾だけど……」
「え゛、やめちゃったの……?」
「うん、結構前かな……?」
(……んんん……?)
 一応、会話は成立しているけれど、話が噛み合っていない。
 期末試験中に一時お休みしていたのは知っているとしても、習い事自体を辞めて塾に通っているのは初耳である。
(えっと……もしかして、今更だけど人違いか何かだった?)
「……えっと、それでどうしたの?風音……ちゃん」
「あ、そうそう!急にスマホ繋がらなくなったんだけどさ、詰草ちゃんのは大丈夫なのかなって」
「え……うん、特に問題ないけど……?」
 しかし、それでも躊躇いがちに名を呼んでくれてようやく安堵したわたしが用件を告げると、幼馴染は首を軽く横に振りつつ、カバーごとこちらへ画面を見せてきたものの……。
「…………っ」
 それを見て、とうとうわたしの頭の中でさる滑稽な疑問がはっきりと浮かんできてしまった。
 ……だって、詰草ちゃんの手の中にあったのは、今日のお昼前の自習時間に使っていたものとは、カバーやキャリアからして全く違うモノだったのだから。
(……もし、かして……?)
 いや、まさかそんな……。
「……えっと、そろそろいいかな……?私もう行かなきゃ」
「う、うん……ありがとね、詰草なずなちゃん」
「え……?!ど、どういたしまして、一ノ葉風音ちゃん……?」
 ともあれ、それから急いでいる様子でこの場から離れようとした幼馴染に改めてフルネームで呼ぶと、一瞬驚きながらも同じように返してくる。
(うん、やっぱり本人……だよね……)
「あはは、滅多に名前の方を呼ばないからたまにはね。それじゃ習い、じゃない塾頑張ってね?」
「う、うん。……私も、久々に話しかけてくれて嬉しかったよ。それじゃ」
 そして、不自然なやり取りに苦笑いで誤魔化すわたしに、詰草ちゃんの方は何故だか嬉しそうにはにかむと、軽く手を振りつつ立ち去って行ってしまった。
「ひさびさに、って……」
 久々どころか、あのコと話をしていない日なんて年に何度あるのかってレベルなのに。
 と、なると……。
「……これはどうやら、間違いなさそう、かぁ……」
 あのコは詰草ちゃん本人であっても、わたしの良く知る幼馴染じゃないのかもしれない。
 そして、そう考える様になった裏付けは、確かにすぐここにもあるワケで。
「…………」
「…………」
「…………っ」
 それから、夕暮れなのにまだまだ蒸し暑い中でも、何やら背筋にぞくりと寒けが走るや、お昼前の詰草ちゃんとのやり取りで聞いた非現実的な言葉が頭に浮かんできたわたしは、居てもたってもいられなくなってアテもなく彷徨い始めていった。
(うそ……でしょ……っ?!)

                    *

「はぁ、はぁ……」
「……はぁ、はぁ……っ」
「……はぁ……うう……っっ」
 やがて、日が落ちるのが遅い夏場でもすっかりと辺りが暗くなってきた頃、わたしは家の近所にある公園まで入り込んだところで、とうとう呆然と立ち尽くしてしまった。
「…………」
 無駄に体力を消耗しただけでなく、すっかりと汗だくにもなって、もう何もかも面倒になってきたけれど、とりあえず得られた収穫としては……。
「……やっぱり……ここ……“違う”……」
 あれから注意深く観察しながら通学路を戻ったり、自分が普段よく通る場所を散策してみたものの、どうやらここは自分の知っている町内とは「ほんの少しだけ」違う場所みたいだった。
 ……感覚的に、類似性は80%くらいだろうか。
 一応、注意深くならないと見落としてしまう程度には大体が一緒なんだけど、さっきのコンビニみたく店舗の系列が違っていたり、よく見てみると建物の色が少しばかり変化していたり、ラーメン屋がうどん屋になっていたりとか、何だか間違い探しでもさせられている気分である。
 ただ、それよりも一番弱ってしまったのは、電話やネットの回線が異なっているらしくて、ここでは手持ちのスマホはただの置きものになっているっぽいということで、そうなってしまえば今のわたしなんて砂漠の真ん中に投げ出されたのも同然の身といえた。
「むぅ……」
 本当は、今でもじっとしてられない心地ではあるものの、いい加減に歩き疲れてもきたので、こうやって公園のベンチまでやってきた次第ではあるんだけど……。
(あ、よく見たらこのベンチもちょっと違うな……)
 わたしの知る公園のベンチは木製の長椅子だったのに対して、こちらは同じ形でも石造りだけど、最早そんなのどうだっていい。
「……はぁ……」
 ともあれ、元気が出ない。
 これからどうしよう?
 ココが今考えている通りの場所なら、わたしは独りぼっちの存在ってコトになるけれど……。
「…………」
「…………」
「……ぐすっ……」
「……やっぱ、お困りのようやなぁ?」
「え……?」
 しかし、どうにもならない不安に項垂れたまま、いよいよ涙が滲んできてしまったところで、不意に聞き覚えのある声に前方から呼びかけられ、わたしは顔を上げた。
「ふふ、こんな遅くまで可愛らしいお嬢さんが一人で出歩いとったら、危ないで?」
「柚月……さん……?」

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