第二章　もう一人のわたし

　その、訳知りに微笑を浮かべる麗しの同級生が救いの女神なのか、忍び寄る悪魔の手なのかは分からなかった。
　……少なくとも、この時のわたしにはそのどちらにも見えたから。
｢どうしてここに？って顔しとるけど、とりあえず“はじめまして”と言った方がええかな？｣
｢……やっぱ、そうなの？｣
　とりあえず、どんな反応したらいいのかすら分からずに無言で出方を伺っていたところへ、いきなり確信めいた言葉を向けられ、脱力気味に短く返すわたし。
　今の自分の状況を知っている誰かと出会えたのは有難いとしても、同時にこれでトドメを刺されてしまった気分でもあって。
｢その様子じゃ、大体のコトは分かってきとるみたいやけど、一応説明しとく？｣
｢……あーえっと、つまりここは“異世界”、ってやつ……？｣
　そして、種明かしをしてもらえると聞いて、わたしは出来るだけ冷静ぶった態度を装いつつ、今まで口に出したら負けと思っていた憚られる単語をようやく持ち出したものの……。
｢んー、正確に言えばそういうのとはちょっと違うんやけどね？キミは図らずも、少しだけズレた世界へ入り込んでしもうとるんよ｣
　しかし、それに対して柚月さんからの回答は、当たらずとも遠からずといったものだった。
｢どゆこと？｣
｢よっと……。簡単に説明するとな、ここは本来キミがいるべき場所と並行して無限に存在する別世界の一つなんよ。並行世界(パラレルワールド)って言葉は聞いたことない？｣
　それから、自分と同じくまだ制服姿の柚月さんは一人分のスペースだけ空けてわたしの隣へ座ると、涼しい顔で荒唐無稽な説明を続けてくる。
｢まぁ、漫画か何かで読んだことくらいなら……｣
　あと一応、物理学の界隈で昔から実在の可能性が議論されてきているらしいのも、異世界好きの詰草ちゃんから熱っぽく語られたことがあったけど、よりによって大して興味を持たずに聞き流していたわたしの方に降りかかってくるなんて。
｢んでな、並行世界というても、それこそ文明からして全く違うのから、そこらの石ころの位置が違うだけのものまでピンキリなんやけど、ここは比較的近い世界というコトになるかな？｣
｢……それは、さっきまで歩き回って薄々気付いてきてるけど、わたしが知りたいのはいつ何が起こってここにいる羽目になってしまったのかってコト｣
　別に、怪しいウサギなんぞを見つけて追いかけてきた覚えも無いし、学校の前でいつもの幼馴染みとバイバイするまでは、本来居るべき場所に立っていたはずである。
｢結論から言ってしまえば、入れ替わってしもうたんよ。……キミと、こちらの世界の一ノ葉さんとでな｣
｢っっ、どうして、わたしが……？！｣
｢まぁツイてなかった、としか言えんわなぁ。それこそ、天文学的な確率のハナシなんやし｣
｢いや、それで片づけられても……｣
　運が悪かっただけなんてあまりに身も蓋もなさすぎるし、何より……。
｢あはは、ほんまご愁傷様〜。あまり気ぃ落とさんといて？｣
｢……そりゃ無理な相談ってものだけど、でもどうしてアナタがそんなコト知ってるのよ？｣
　ともあれ、全く笑いごとじゃないし、ツッコミが追い付かないくらいに言いたいコトや訊きたい話が山ほど湧いてくるものの、とりあえずまずは根本的なところを尋ねるわたし。
　ここまでの様子だと、わざわざわたしを探してくれてたまでありそうだけど。
｢それはまぁ、“魔女”やからねー｣
｢魔女て……｣
　しかし、こっちは大マジメに聞いたのに、これまたどこまで本気で言っているのか分からない言葉でさらりと投げ返されてしまった。
｢実は、うちって少々特異な体質でなー。普通はそれぞれの世界に住む個人の記憶は独立しとるんやけど、うちは別世界の自分と見たコト聞いた事を共有できるんよ。んで、そんな特異体質を利用して色んな“術”みたいなのも使えるようになっとるんやけど｣
｢……だから、魔女？わたしの世界の柚月さんも？｣
　色んな噂が取り巻くミステリアスな人ではあったけれど、まさかオチがそんな怪しげで胡散臭い存在だったとは。
｢んふふ、こういう体質の副産物としてうちには並行世界の“ゆらぎ”を感知する能力も備わっとってな？それで、何やら今日は朝から小さな違和感をキミの周囲で感じ取ってたんよ｣
｢ゆらぎ？｣
｢ゆらぎっていうのは、次元の境界の綻びなんやけど、ごく稀に発生するまぁ自然災害みたいなものなんよ。それで、運悪くゆらぎに触れてしもうた人は別の世界へと飛ばされるんやけど、転移先の世界で自分と同じ存在がいた場合は入れ替わってしまう性質があってなぁ｣
｢……え……あ、じゃあ帰り道に気を付けろって言ってたのは……｣
｢まぁ、発生したゆらぎに触れてしもうたんは、こっちの一ノ葉さんの方やから、キミに言うても防ぐ手立ては無かったんやけどね？あはは｣
｢ダメじゃん……というか、もう一人のわたしの方を止められなかったの？｣
　よく分からないけれど、わたし的には雷に打たれてしまったようなものなんだろうか。
｢一応、やんわりと警告くらいは出来るとしても、こういった非日常な存在はみだりに知られてはいけないモノやから、引っかかる前からハッキリとは言えへんのよねぇ｣
｢むぅ……｣
　まぁ確かに、｢このままだと良くわからない自然災害みたいなものに引っかかって放課後に違う世界へ飛ばされるから用心しろ｣とか言われても、“わたし”は信じなかったろう。
｢んでな、コトが起こってしもうた後に、おそらく入れ替わった先で難儀しとるやろなー思うて、探しとったわけなんよ｣
｢それは、わざわざどーもご親切に……｣
　いや、本当はもっとマジメにお礼を言うべきなんだろうけれど、せっかくの親切丁寧な状況説明がわたしのメンタルには追い打ちにしかなっていないのがつらい。
｢予想通り凹んどるなぁ……。けど、見ての通り大体は一緒の世界やから、大まかな違いさえ知っておけば何とかやっていけると思うよ？｣
｢いや、そうかもしれないけど……それより、元に戻る方法はないの？もう一度、そのゆらぎとやらに触れてみるとか？｣
｢残念ながら、ゆらぎは一度誰かが触れたら一旦消滅してしまうものなんよ……つまり……｣
｢……その続きはいいわ。重ね重ね適切な説明、どーも……｣
　確かに分かりやすかったけれど、やっぱりわたしには更なるダメ押しになってしまった。
｢まぁそんな心配せんでも、いずれ勝手に元サヤに戻るんちゃうかなぁ？こういうケースって確かにレアやけど前例が全く無いわけでもなくて、何年か前に隣町で入れ替えが起こった時も、暫くしたら再びゆらぎが出てきて元通りになっとったから｣
　そこで、もう強がる気力すら失せてがっくりと項垂れたわたしに、訳知りの魔女さんは楽観的な口ぶりで慰める様にそう告げてきた。
｢それって……誰かが間違いを修復してるってこと？｣
｢さぁ？それは世界の意志やとか神様とかいったモノの領域やから、うちにもよく分らんけど｣
｢……なんか怖くなってきたから掘り下げないけど、具体的にはどのくらいで戻れそうなの？｣
｢ん〜、早ければ一月くらいで戻ったという記録もあれば……｣
｢遅ければ？｣
｢さー、こればっかりはお天道様しだいやね？ふふふ｣
｢そんなもん、のんびり待ってられるワケないでしょーが！……ね、他に手は無いの？わたしだけでも無理やり戻るとか｣
　そもそも、こちらにしてみれば一月どころか今すぐに戻して欲しいのが切実な願いなのに。
｢ん〜、原則として一つの世界にキミという存在は一人だけなんよ。せやから、さっきも言った帳尻合わせの入れ替わりが起こるんやけど、もしも無理矢理にキミだけ戻して同じ世界に複数の一ノ葉さんが入ってしもうた場合は……｣
｢場合は……？｣
｢あくまで可能性の話やけど、片方は次元の狭間にでも放り出されて、残った方も本来の世界に戻れずそのまま、という場合もあるかな？って｣
　すると、柚月さんの方は焦りを隠さないというか隠せないわたしに対して、いかにも他人事といった態度でベンチに腰掛けた足をぶらぶらとさせながら、物騒な警告を淡々と告げてきた。
｢こわ……っ｣
　改めて聞くと、なんてキケンな目に遭っているんだろう……わたし。
｢なんで、もしも強引に戻るとしたら、キミと向こうの一ノ葉さんにマーカーを付けて、ゆらぎを意図的に発生させてやれば、ピンポイントで入れ替わることが出来るかもしらんけど……｣
　そして、それから自称魔女さんは顎に指を置いて考える様な仕草を見せつつ、淡々と光明になりそうな方策を言葉にしてきたものの……。
｢……っ、で、できるの、そんなコト？！｣
｢まぁ、今の一ノ葉さん達はどちらの世界にとっても異物やからマーキングしやすいし、絶対にムリとまでは言わんけど、これすっごく大変なんよ。ゆらぎを発生させる為にうちは相応の代償を払う羽目になるしね？｣
　しかし、それを聞いて身を乗り出して食い付いたわたしに対して、肩を竦めつつ突き放すような言葉を返してくる柚月さん。
｢う……｣
｢だから、言っちゃ悪いんやけど、下手したらうちの方も命がけになりそうで、見ず知らずの他人の為にそこまでする義理はないかなって｣
｢…………｣
　命がけと言われてしまえば、わたしも無理に頼み込めなくはなるものの、ただ相手の口ぶりからは断られたというよりも、何やら取引を持ち掛けられている風に感じられたりして……。
｢えっと、んじゃ見ず知らずの他人じゃなくなったなら、やってくれなくもないと？｣
｢そうやねぇ……。ま、うちをその気にさせられたなら、ええよ？｣
　そこで、藁をもすがる気持ちで乗りかかってみたわたしへ、魔女さんは指先を口元へ当てて挑発するような妖しい視線と共にそう告げてきた。
｢…………っ｣
　そんな既視感のあるキケンな視線を受け、わたしの脳裏へお昼時にもう一人の柚月さんから受けたセクハラや、詰草ちゃんから聞いた｢女の子大好き｣という言葉が浮かび、とくんと強い動悸を覚えた後で、真夏というのに冷や汗が滲んでくる。
(しかも、わたしは好みのタイプだとも言われたっけ？)
　……別に、操を立てるべき意中の相手がいるワケじゃないとはいえ、唐突に貞操の危機を迎えたのは間違いなさそうなんですけど……。
｢そ、それって、元の世界に戻りたかったら言うコトを聞けとか、そういう……？｣
｢ふふ、そういうのも悪くはないんやけどねぇ……｣
　ともあれ、つい口に出てしまったわたしに、柚月さんは一人分空いていた空間を詰めて密着してくると、獲物を見る目でこちらの顎をくいっと持ち上げてきた。
｢……っ、えっと、その……｣
　このままでは、スカートの上からお尻を触られるどころじゃないコトまでされてしまうのかもしれないけれど、でも今のわたしは既にまな板の上の鯉みたいなもので、このヘンタイ魔女さんを突き飛ばして拒んだりすることは、すなわち帰還を諦めるにも等しい行為であって……。
(だから、いまは耐えるしか、ない……？)
　ああ、でも汗くさいだろうからせめてその前にシャワーでも……って、それじゃまるで逆に誘ってるみたいじゃない……って、何かんがえてるんだわたし……。
｢…………っ｣
｢…………｣
｢…………｣
｢……ま、けど今日はやめとこか｣
｢え……？｣
　しかし、歯を食いしばりつついよいよもってこのまま美味しくいただかれる覚悟を決めかけた矢先に柚月さんは不意にそう告げると、わたしから離れて一人立ち上がり、スカートに付いた埃を落とし始めた。
｢ん〜。せっかくやし、もう少しだけ考えさせてもらおかなって｣
｢せっかくやしって……｣
｢ふふ、それじゃ今宵はこれでな〜。困ったことがあったら、うちにいつでも相談してくれてええからね？｣
｢ち、ちょっ、これからわたしはどうすればいいのよ……？！｣
｢普通に帰宅すればええやん？キミも“一ノ葉さん”には変わりないんやから｣
　その後、一方的に別れを告げて立ち去ろうとした魔女さんをわたしは慌てて引き留めようとしたものの、これまたミもフタも無い行き先を示されてしまった。
｢それに、もうすっかり暗うなっとるし、はよ帰らんと親御さん心配するんちゃうの？｣
｢…………｣
　……いや、まぁそうかもしれないけど、さ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊

｢……はぁ……｣
　やがて、柚月さんに促されて自宅前までやっては来たものの、家の形は全く同じだったのに何となく安堵しつつも、何やら敷居を跨ぐのに躊躇を覚えて溜息が漏れてしまうわたし。
　こんなに家に入りづらく感じるのは初めての経験ながら、ただ他に行くアテなんか無いし、こっちの世界に本来いたハズのわたしは代わりに向こうの世界へ飛ばされているとなれば、確かに当面の間は自分がなりきっておくしかない。
　まぁ、“なりきる”というのも何だかおかしな表現ではあるけれど。
(あーもう、面倒くさいなぁ……)
｢……ただいま〜？……｣
　ってコトで、何となく玄関のベルを鳴らしたくなったのを我慢して勝手知ったる(はず)の玄関のドアを開け、思わず疑問形になってしまったただいまを告げて家へ入ると、玄関や廊下には誰もいなくてリビングの方からテレビの音が聞こえてくるだけだった。
(むぅ……)
　まぁ、わざわざ出迎えの文化の無い我が家ではこれが当たり前の風景ながら、今日に限っては誰か出てきて欲しかったかもしれない。

｢ただいまー……。ああ、父さん帰ってたんだおかえりー｣
｢おう、お帰り。珍しいな、ちゃんとただいまを言うなんて｣
　ともあれ、無駄に緊張感を覚えつつ、靴を脱いでリビングへ足を運んだ先で、まずは既に帰宅してソファーに座ったまま新聞を片手にテレビを見ていた父親へ改めてただいまを告げると、素っ気なくも少し驚いた様な反応を返されてしまった。
｢……はい？｣
｢ま、いい傾向だけどな。やっぱり挨拶くらいは出来ないと学校でも上手くいかんだろ？｣
｢う、うん……｣
　いやむしろ、朝や帰宅後に親と顔を合わせてただいまおかえりも言えない娘だったコトは無いんですけど、“わたし”は。
(こっちのわたし、一体どんな人なんだろう……)
　詰草ちゃんや柚月さん、それに目の前の父親からはそれ程の大きな違いは見受けられないけれど、もしかしてわたしに関しては……。
｢あら、お帰りなさい。今日は遅かったわね？｣
｢まぁ、うん……ちょっと色々あって……｣
　それから、続けて夕食準備中のお母さんが、これまた違いは感じられない様子でキッチンから顔を出してきたのを見て、苦笑いで返すわたし。
｢もう高校に上がったんだから門限とかあまり煩いこと言う気もないけど、でも遅くなりそうだったら連絡してちょうだいね？｣
｢ごめん……｣
　とはいえ、連絡したいと思ったところで手段が無いんですが。
｢まぁいいわ、もうすぐ晩御飯だから着替えらっしゃいな。あと、佳乃(かの)も心配してたから声くらいはかけてあげなさいね？｣
｢え、佳乃が……？そ、そう……？｣
　あの絶賛反抗期で、家では部屋にこもりがちで親どころか姉のわたしにもあまり口を利かなくなっている妹が、一体どういう風の吹き回しなんだろう。

｢あっ、おねぇちゃんおかえり〜！｣
｢え？……た、ただいま、佳乃……ちゃん？｣
　それから、言われるがままとりあえず二階の自室へ戻ろうとしたところで、階段を上る音に気付いたらしい妹の佳乃が、自分の部屋のドアを派手に空けて自慢のツーテールを大きく揺らせつつ、わたしの前に慌ただしく出てきておかえりなさいを告げてきた。
｢ん？どうしてちゃん付け？｣
｢あー、いや……｣
　この、か細い身体に目鼻立ちの整った可愛らしい顔立ちは見紛うなき我が妹ながら、自分の知っている直近の佳乃の印象とかけ離れていたとなれば、疑問符だって付いてしまおうもので。
(えっと、どうなってんの……？)
　確かに、昔はこうやっておねぇちゃんおねぇちゃんとまとわりついてきていた時期もあったけれど、今の佳乃から考えたら夢でも見ているのかと疑ってしまう様な変貌っぷりである。
｢もう、いつもより帰りが遅いんでケータイにかけても繋がらないし。……というか、また部屋においたままで学校行ってたでしょ？｣
｢へ……？｣
　ともあれ、ここは別世界なんだから狼狽えるなと自分に言い聞かせている間に、今度は少し怒った様子の佳乃から全く想定外な小言を続けられ、またも言葉が止まってしまうわたし。
｢ほんと、滅多に使わないからって携帯くらい持って出てよ。いざという時に困るでしょ？｣
｢ご、ごめん……｣
　いや、正直持って出てないっていうのは“わたし”の方も信じられないんですけどね。
｢あと、いい加減スマホに替えようよ〜？佳乃もそろそろ機種変したいし、家族割で一緒に契約したら安くなるんだから｣
｢う、うん……まぁ、考えとく｣
　……しかも、この妹の口ぶりからしたら、まさかこっちのわたしは未だにガラケーを使っているんだろうか？
　もしそういうコトなら、“わたし”としては明日にでも一緒にショップへ行こうぜとは言いたいけれど、やっぱり出来るだけ勝手なマネは避けるべきなんだろうなぁ。
｢まぁでも、ちゃんと帰ってきてよかったよ……。晩御飯までに戻らなかったら探しに行こうかとか思ってたし｣
｢いやいやいや、その方が危ないでしょーが｣
　……というか、さっきからちょっと心配性すぎませんかね？佳乃さん。
　ホント、わたしよりも詰草ちゃんとよくウマの合う、自分の世界に引きこもりがちな妹のハズなのに、一体何がそうさせているのやら。
(って、“わたし”、か……？)

｢おじゃましまーす……｣
　ともあれ、両親と違って別人の様に変わっていた妹に驚かされつつ、佳乃と別れた後で何となくノックと｢おじゃまします｣を告げて自分の部屋に入ったわたしは、早速照明を点けて辺りを見まわし始めてゆく。
｢ふむ……｣
　まぁ、殆ど同じ世界というだけあって、部屋のレイアウトもインテリアも大体は同じ。
　クローゼットにベッドに本棚に丸机や小型のテレビに、あと小学校の頃から使い続けている学習机の上には、高校入学の祝いで買ってもらったノートパソコンまで、色違いながら同じくちゃんとある。
｢ん〜、けど同じ様でやっぱりちょくちょく違う、か……よっと｣
　試しにクローゼットを開けてみれば、中に並んでいたのは元いた世界にあるのとはシュミが結構違う服や下着類なんだけど、でもよくよく見てみると持っている数やサイズ、それに配置場所は同じっぽいのが、改めて考えると並行世界(パラレルワールド)というのは不思議なものだった。
　本棚の中身もラインナップこそ大分違うものの、一番上は漫画類で二段目は教材や参考書といった整頓のポリシーは同じで、システム的にはほぼ共通していると言っても差し支え無さそうである。
｢…………｣
　ただ、そんな中で最も違和感を感じる景色だったのは……。
｢お、あったわね……｣
　それから、一通り見まわした後で、わたしの視線は机の奥の方でひっそりと充電スタンドに乗せられた折り畳み式の携帯電話へと向いていた。
(やっぱり今時、まだガラケーなのかぁ……)
　大体、今はもう通話とメールくらいしか出来なくなっているというのに、いつまでしがみ付いているんだろう？とは言いたいものの、ただそれでも無いよりは全然マシだ。
｢んじゃ、ちょっと失礼して……｣
　まぁ、他の世界の自分自身とはいえ、ひとの携帯を勝手に弄るのは気が引けるものの、何やら懐かしさを覚えつつ手に取って開いてみるわたし。
　……ちなみに、妙な既視感があると思えば、どうやら自分用のスマホを持たせてもらうまで母のお下がりで昔に使っていた機種らしかった。
(うわ、登録少ないな……)
　ともあれ、勝手知ったる機種ということで、まずは電話帳を調べてみると、登録していたのはたった二画面分で完結してしまう数だったりして。
　……どうやら、こっちのわたしはあんまり交友関係が広そうにもないみたいだけど。
｢まぁいいや、えっと……｣
　とりあえず登録されていたのは家族と自宅、あとは詰草ちゃんのもあって、もう一つは……。
｢え、柚月さん……？｣
　そう、麗しのヘンタイ魔女こと柚月千歳の名前が。
(ほ〜ん、柚月さんの下の名前って千歳なんだ……)
　今更かって言われそうだけど、まぁ確かに今日までは見ず知らずの他人だったよね。
　ただ、これから暫くは少なからずお世話さまになりそうな相手だし、これでいつでも連絡がとれそうなのは助かるけれど、こちらの自分が柚月さんと知り合いだったのは驚きだった。
　ある意味、こっちへ来て見つけたこれまでで一番の差異といってもいいかもしれない。
｢……けど、そこまで仲良しでもないのかな……？｣
　ただ、それでも続けてメールボックスを見たところは殆どが佳乃からのもので、柚月さんや詰草ちゃんとはあまり頻繁にやり取りをしている風にも見えないけれど、一体どんなきっかけで知り合ったんだろう……？

　コンコン

｢……おねぇちゃん、ご飯の用意ができたって｣
　しかし、新たな引っかかりを覚えたのも束の間、不意にドアがノックされた後で佳乃が顔を見せて夕食の時間を告げてきた。
｢えっと、分かった。すぐ降りるから先に行ってて｣
｢うん……って、あれまだ着替えてなかったの？｣
｢……あ、しまった……｣
　しかも、そこでもう一つ肝心なコトを忘れていたのも指摘され、否応なしにも詮索タイムは中断せざるを得なくなってしまったけれど……。
｢もう、おねぇちゃんってばそそっかしいんだから……。佳乃も着替え手伝おうか？｣
｢いいってば……。すぐ済ませるから出ていて｣
｢ん……それじゃ、お母さんにはもうちょっとだけかかるって言っとくね？｣
｢ありがと。お願いね｣
　……まぁ、いいか。
　だからこそ、柚月さんもああやって積極的に協力してくれようとしているのかもしれないし、今は事実関係だけを把握しておこう。
｢…………｣
　それから、急いで制服を脱いでクローゼットのハンガーに掛けつつ、同じく別の世界へ飛ばされてしまったもう一人の自分に思いを馳せるわたし。
　便利は悪いながらも、一応これで自分は携帯電話を使えることになったけれど、あちらのわたしはどうするんだろうか？
　……まぁ、どの道“こいつ”を持ち込んでいても使えないはずだから、やっぱり訳知りの柚月さんが予備でも貸してくれたりするのかな？
(うーん……)
　おそらく、もう一人のわたしもあちらの魔女に似たような取引を持ち掛けられているんだろうし、代償にいかがわしい要求でもされてなきゃいいんだけど。
｢お互いくじけずに頑張ろうね……わたし！｣

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊

｢……さぁて、今日はもうちょっと頑張るわよ……！｣
　やがて、父が早めに帰宅していたことで珍しく一家揃っての団らんとなったものの、自分だけ場違い感が拭えずにイマイチ居心地の悪かった夕食を済ませた後で、膨れたお腹と疲れで眠くなった自分の頬を叩いて探偵ごっこを再開してゆくことにするわたし。
　ちなみに、今宵のメイン献立は鳥に海老に焼売に玉ねぎ抜きの野菜かき揚げといったミックスフライだったけれど、母いわく今日はわたしに合わせてタネを選んでくれたそうなので、どうやら好みも共通しているらしかった。
(ふむふむ、好物は一緒、と……)
　とりあえず、机を漁って白紙のノートを一冊拝借すると、可愛い女の子のイラストが描かれたペンスタンドに立っていたシャーペンを取って、得られた情報をメモしてゆくわたし。
　環境は大体同じで住んでいる人達も一緒でも、人物像……特にわたし自身は思ったよりも差異がありそうだから、これからここで暮らすにあたって、それも把握しておく必要はある。
(……だから、わたしも本物っちゃ本物なんだけどねぇ……)
　それなのに、何やら後ろめたさを感じるのは釈然としないものの、ともあれまずは好物が同じってコトだけを書き込んだ後でノートを一旦閉じると、今度は蓋が閉じられたままになっているもう一つの“ノート”を開いて起動してみることに。
　ぶっちゃけ“わたし”の方は、殆どのコトはスマホで済ませているので、こっちはパケの節約で配信動画を見る時くらいにしか使っていないものの、ガラケー使いなこの世界の自分にとってパソコンの必要性は遥かに高いはずである。
　けど……。
｢……うわ、そうきましたか……｣
　しかし、電源ボタンを入れて待つことしばらく、出てきたのはパスワード認証の画面。
　わたしは面倒くさいので納品の時に頼んですぐ認証不要にしてもらったのに、こっちの自分は生真面目なのか神経質なのか……。
｢さて、どーしたもの……お……？｣
　それでも、まずは記憶を辿って自分のパソコンのセットアップ時に設定したパスワード、ぶっちゃけ推奨はされていない携帯番号を打ち込むと、あっさりと突破してしまった。
｢あはは、こういう所はやっぱりわたしよねぇ……｣
　都合はいいとしてもこれには思わず苦笑いだけど、ちなみにスマホとガラケーでも電話番号やメールのアカウント名は同じなのが、また少しだけ違う世界の面白い部分なんだろうか。
　と、まぁそれはともかくとして……。
｢……う〜〜ん……｣
　なにはともあれ、やっぱりパソコンの画面はほぼ同じでインターネットにも問題なく繋がっているみたいなので、まずは久々のマウスを手に早速ブラウザを起動してブックマークなどを見てみるものの、やっぱりＳＮＳの類には手を出していないみたいだった。
　一応、短文呟きサービスはブラウザからすぐ飛べる様になっていて、そこそこ見ているみたいだけど、開設しているのはフォローのみの非公開アカウントで、もっぱらお知らせの確認用に利用しているだけみたいである。
　……まぁ、わたしの方もアカウントは持っていてもフレンド間でのやり取りだけで、それも今は別のサービスをメインで使っているから、ほぼフォロー専なんだけど。
｢収穫ナッシング、かぁ……｣
　それから、デスクトップにあったメールソフトを起動して見てみるものの、こちらもお知らせやら広告ばかりで、あまりどころか全く利用している痕跡が無かったりして。
　そもそも、こちらのリストには佳乃のしか入っていないから、やっぱりメッセージのやり取りは携帯電話のショートメールで済ませているんだろう。
｢……と、なれば……｣
　残るは閲覧履歴でも覗かせてもらうしかないんだけど、これはさすがに躊躇われるというか、踏み込んじゃいけないプライベートな領域な気はする。
｢……けどまぁ、ある意味今は非常事態だから仕方がないよね？……うん｣
　ここで見た内容を言いふらしたりするつもりはないし、これも元の世界に戻る為に必要な情報集めであって、決して興味本位などでは……。
｢ん……？｣
　という事で、溢れてくる好奇心の赴くがままに頭の中で言い訳しつつ、いよいよブラウザからブックマークやら履歴を開いてみたものの、そこでまず目に入ったのがちらほらと出ている『百合』という文字。
｢んんん……？｣
　もしかして、あちらのわたしってお花好きなのかな？あはは……。
(いやいや……)
　さすがに出会い系とかそういう類なサイトの履歴が出てきたワケじゃないのはいいものの、画像フォルダの中身と併せて判断するに、どうやら女の子同士がイチャイチャしているイラストなんかを収集するのが趣味みたいである……？
｢……あれ、それじゃもしかして……？｣
　その後、ふと思い立って席を立ち、本棚の最上段に並んでいる何やら詩的なタイトルが背表紙に記された漫画を手に取ってパラパラと内容を確認したところで、そっと閉じるわたし。
(なーんか見たことあるタイトルだと思ったら、そーいうコトでしたか……)
　まぁ、とはいってもただ単に読み物として好きってだけかもしれないから、もっと柔軟に物事を考えるべきなのかもしれない、けど……。
｢……これも巡り合わせの妙、なのかなぁ……？｣
　実はこれ、以前にヒマだった時に佳乃の部屋から漫画でも借りようと勝手に入り込んで本棚の奥から見つけたガチ百合な漫画で、戻って来て驚いた顔を見せる佳乃に向けて｢へぇ、佳乃ってこういうの好きなんだー？｣とか無神経なコト言っちゃったもんだから、すぐに追い出されてそれ以後は口を利いてもらえなくなった苦い思い出があったりして。
　……いや、我ながらヒドいことしてしまったのは今は反省してますけれど。
(でもじゃあ、こっちの佳乃があんなにわたしに懐いてきてるのって、まさか……)

　コンコン

｢おねぇちゃん、そろそろ一緒にお風呂入らない？｣
｢…………っ？！｣
　それから、少しばかり不健全な妄想が頭に浮かびかけたところで、再び部屋をノックした後に佳乃が顔を覗かせてきたのを受け、びくっと背筋が逆立ってしまうわたし。
｢どうしたの？｣
｢い、いや……っていうか、一緒にお風呂って……？！｣
　うちに、そんな習慣ありましたっけ？
｢迷惑だった？｣
｢……う、ううん、そんなコトはないけど……｣
　とにかく、こっちのわたしがいつもそうしているのなら、ここは火中の栗を拾うしかないのか。
｢じゃ、一緒にいこ？ほら、おねぇちゃんも準備して｣
｢わ、分かったわよ……｣
　そして、自分の着替えを手に満面の笑みで促してくる佳乃に押され、わたしも渋々ながら従うコトにしたものの……。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊

｢さーさーおねぇちゃん、ここ座って？髪洗ってあげる♪｣
｢……え、えっと……｣
　それから、佳乃に導かれるがまま二人で脱衣場に入って服を脱ぎ、揃って浴室に移動するやさっそく椅子に腰かけるよう促され、まずは苦笑いを返すわたし。
｢ん、どうしたのおねぇちゃん？さっきからもじもじして｣
｢いや、姉妹でもお互いに裸ってのは何だかちょっと恥ずかしいかなぁってさ……｣
　何せ、自分の記憶だと最後に一緒に入ったのは、まだ二人ともつるぺたな時期だったわけで。
　中学生な佳乃の体つきはまだ幼さが残っているとしても、それでも育つところは膨らんできているみたいだし……。
｢もう、そういうコト言われたら、佳乃も恥ずかしくなるじゃない……｣
　すると、わたしの言葉に佳乃も感化されたみたいで、おっぴろげだった部分を恥ずかしそうに両腕で隠しはじめ、結局はお互いの羞恥心が刺激されてしまう泥沼に陥ってしまった。
｢あー、ごめんごめん。余計なコト言っちゃったかも……｣
｢ううん、そういえば試験期間中は一緒に入るのやめてたから久々だもんね？｣
　そこでとりあえず謝るわたしに、佳乃も気にしないでと首を横に振りつつフォローしてくる。
｢あ、うん……｣
　逆に言えば、よっぽど忙しい時期以外は大体いつも一緒に入っているのか……。
　一応、小さい頃はそれなりに仲良し姉妹だったけれど、こんなにべったりだったっけ？
｢けどね、前はおねぇちゃんの方から誘ってくれていたのに、佳乃の方がツンツンしてた頃もあったし、その分を取り戻したいなって思ってるの｣
｢なるほど……。まぁ気にしないで、誰だってそんな時期はあるんだから｣
｢でも、おねぇちゃんは無かったよね？｣
｢わたしはまぁ、反抗期どころじゃなかったからねぇ、あはは……｣
(でも、なんだ……)
　少し前まではわたしの知ってる佳乃の時期もあったというコトなのか。
　だったら尚更、どうしてそこから今に繋がっているのかは気になる所だけど……。

｢……ね、おねぇちゃん、どこかかゆいトコロとかある？｣
｢ううん、気持ちいいからその調子で……｣
｢りょーかい……ふふっ｣
　ともあれ、それから改めて二つあるバスチェアの一つに座らされたわたしは、後ろから佳乃にシャンプーしてもらった上に、今度は背中まで流してもらうことになり、気恥ずかしさこそ残るものの、何やら至れり尽くせりですっかり身を委ねてしまっていたりして。
(はー……あっちの佳乃にも、こういうサービス精神あったらなぁ……)
　……ただ、これはこれで妹に甘えるダメな姉の図になりそうな怖さもあるんだけれど。
｢はいはい、佳乃におまかせなんだから〜♪……でも、今日はどうして帰りが遅くなったの？｣
｢ん……？い、いや別に深い理由はないんだけど……｣
｢けど、口ごもってるし……｣
｢……あ、いや、それはね……｣
　しかし、そんな生温さの中で唐突に痛いトコロを蒸し返され、言葉に詰まってしまうわたし。
　油断大敵というか、ギリギリ夕飯前に帰ったので細かい事情は聞いてこなかった親と違って、佳乃には見過ごせないコトだったらしい。
｢それに、帰った後のおねぇちゃん、いつもより落ち着かない感じでよそよそしかったし｣
(う……)
　もしかして、長年一つ屋根の下で暮らしてきた妹の直感で何やら勘付いてきてますか。
｢だから、もしおかーさんにいえないコトとかあっても、佳乃はいつでもおねぇちゃんの味方だから、話して欲しいかなって｣
｢…………｣
　どうしよう。
　本当にわたしが自分の知っている姉じゃないのに気付こうとしているのなら、いっそ潔く佳乃には話した方がいいのだろうか？
(でもなぁ……)
　……ただ、あの魔女さんの態度ではいつ戻れるか分かったもんじゃないし、なるべくなら家族には気付かれないままの方が気は楽かもしれない。
｢……おねぇちゃん？｣
｢ん……心配してくれてるのは嬉しいけど、まぁでも、特に(相談できる)悩みがあるわけじゃないから大丈夫。ありがとね？｣
　……ってコトで、結局はまだ黙っている方に傾くと、都合の悪いところだけは隠したまま苦笑い混じりにやんわりと否定するわたし。
｢ほんと？……まぁそれならいいんだけど……｣
　すると、佳乃の方も安心した、とまでは言いがたいとしても、まずはわたしを信じるといった態度を見せた後で……。
｢……だっておねぇちゃん、ここ最近はすごく思い詰めてたみたいだったし｣
｢え……？｣
　背中を流す手を止めて思いもよらなかった告白を続けてきたのを受け、わたしの方もその場で硬直してしまう。
｢あのね、なずなちゃんからこっそり聞いてたんだ。……おねぇちゃん、高校に上がってもあまり上手くやれてないんだよね……？｣
｢…………っ｣
｢せっかく、つらい思いしかしてなかった中学を卒業して今度こそ変わりたいと言ってたのに、何だかんだであまり馴染めてなさそうって……｣
(……んじゃ、佳乃がこんなにわたしに優しくしてくれてる理由ってまさか……)
　厳密には自分の話ではないとはいえ、やっぱりとても他人事とは感じられない情報に、わたしの頭へ重たいものがのしかかってくる様な感覚が襲ってくる。
｢でも、ホントごめんね……？あの時おねぇちゃんすごく苦しんでいたのに、佳乃は一緒にいじめられるかもしれないと思ってヒドい態度とったりして……ぐすっ｣
　そして、続けられた謝罪の言葉のあとで、両手を添えられたわたしの背中にぽたりぽたりと生暖かい雫が落ちてきた。
｢私、本当はおねぇちゃんのコト大好きだったのに……｣
｢佳乃……｣
(ああ、ああ……そういうコトだったんだ……)
　もちろん、その時の様子は直接に経験していないけれど、痛いほどに察するコトはできる。
｢…………｣
　つまり、この世界のわたしは……。
｢だから、もう佳乃はおねぇちゃんの側からぜったい逃げたりしないから、何でも相談してほしいの｣
｢……ありがとね、佳乃。でもホントにそういうんじゃないから、心配しないで｣
　ともあれ、わたしはまず落ち着かせてやろうと、両手を後ろへ回して愛する妹の肌に触れつつ、感謝の言葉と一緒にそう告げてやる。
｢ほんとに……？｣
｢うん……。それに、おねぇちゃんこれでもみんなが心配するより強かったりもするし｣
　まぁ、それはあくまで別の道を分岐した世界での話だけど、ただそれでもこちらに本来居るべき自分もわたしには違いないんだから、きっかけさえあれば変われるハズである。
｢そっか……｣
｢安心した？｣
｢ん……。でも……｣
｢でも……？｣
｢全く頼られなくなるのも、寂しいかなって……｣
｢あはは……そうきましたか。まぁ、助けて欲しい時にはちゃんとお願いするから｣
　そして、きっと佳乃だって同じだろうから、わたしも元の世界に戻れた後は、もっとこちらから歩み寄って少しは｢おねぇちゃん｣らしくしてやらないと、ね……。
｢んじゃ、これからも一緒にお風呂にも入ってくれる？｣
｢もちろん。佳乃が悩みを抱えた時だって、わたしに相談してくれていいんだからさ｣
　……と、ここらでいい具合に話が纏まったと思いきや。
｢あは……おねぇちゃん大好き〜♪｣
｢わたしも……うをっ？！｣
　それから、佳乃は感極まった様子で後ろから抱きしめてきたかと思うと、あろうことか伸ばした手でわたしの胸を鷲掴みにしてきたりして。
｢ちょっ、いきなりなに……？！｣
｢あれ、おねぇちゃん少し胸大きくなった？｣
｢……っっ、ブラのサイズは変わってないから気のせいでしょ……？！｣
　というか、セクハラついでにそういう違いに気付かれるのは甚だ都合が悪いんですけどっっ。
｢そっか、一緒にお風呂のたびに佳乃がこーいうコトしてたせいかなって思ったんだけど……｣
　そして、油断しかけていた中での不意打ちに狼狽するわたしに構わずそう続けると、ボディーソープでぬるぬるした指先を触手の様に這わせて弄ぶ様にこねくり回してくる。
｢んあ……っ？！ちょっ、こら……手つきが……｣
　せっかく感動的な姉妹愛を確認して終わりそうだったのに、台無しだよ……！
｢……だったら、私もおねぇちゃんに揉んでもらえば、少しは大きくなるのかな？｣
｢うく……っ、もう、マッサージくらいはしてあげるからとにかく離しなさいっての……っ｣
　というか、今どきそんな迷信を信じている人なんていたんだってレベルの話だし。
｢ま、いっか。……んじゃ、今度は前から洗ってあげるからこっち向いて？｣
　しかも、佳乃の奴は胸を揉むだけに留まらず、それから更にそう続けると、向いてと言いつつ強制的にわたしの身体をぐるりと１８０度回転させてくる。
｢……っ？！い、いや、手の届く範囲なら自分で洗えるから……！｣
｢も〜〜、おねぇちゃんのぬくもりを感じていたいんだよ。分からないかなぁ……｣
　そして、我が妹はあろうことか全身を縮こまらせつつ狼狽を隠せないわたしの眼前で、自ら全身を手早く泡まみれにしていったかと思うと……。
｢ちょっと待って、一緒お風呂に入りに来てるのよね、わたし達……？｣
｢だ・か・ら、“こう”すれば二人一緒に洗えて一石二鳥……でしょ？｣
｢こっ、こら……悪ふざけは……うわお……っ？！｣
｢んふふ〜〜♪暴れたら滑って頭打っちゃうから離さないでね？｣
｢ず、ずる……あう……っっ｣
　程なくして、わたしは全身ヌルヌルで胸元へ飛び込んで来た妹に蹂躙される羽目となってしまった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊

｢……ふむ、まぁ何だかんだで結構分かってはきたかな？ふぁぁ……｣
　とにもかくにも、色々とあり過ぎて濃密で慌ただしかった今日一日も終わりが近付き、わたしは就寝前に眠い目を擦りつつ、今日ここまで得られた情報をノートに書き留めていた。
(まったく、佳乃のヤツってば油断も隙もないんだから……)
　心配性に加えて、スキンシップ過剰な妹とのお風呂は何だかんだで警戒していた通りの目にもきっちり遭わされてしまったものの、まぁ見合う成果は得られたからヨシとしますか。
(やれやれ……)
　というか、佳乃の全身泡まみれ攻撃は案外イヤな心地でもなかったのがちょっと困りものだけど、ともかく自分ともう一人のわたしの“分岐点”が分かったのは大きな収穫だろう。
　……あとついでに、小学生の頃までは仲が良かった佳乃が急に中学に上がって冷たくなった真相が、まさかこっちの世界で分かるとは思わなかったけれど。
｢でもそっか……この世界のわたしは、あの時に踏み出せなかった自分、かぁ……｣
　しかも、副産物として詰草ちゃんとも疎遠になっているみたいで、どうしたもんかな。
　コンビニ前でやり取りした時の話っぷりからすれば、別に嫌われている訳じゃなくて、むしろ心配してくれていた風だから、関係の修復は割と簡単に出来そうだけど、あまり勝手に環境を変えちゃう様なマネをするのもねぇ……。
(ん〜ただ、もう一人くらい協力者は欲しいんだよなぁ……)
　正直、あの魔女さんの方は胡散臭すぎて全面的に頼っていいものか分からないし、あちらのわたしに執心している佳乃にはやっぱり本当のコトは知らせない方がよさそうである。
　と、なればやっぱり詰草ちゃんがちょうどいい立ち位置なんだけど。
(まぁ、いいか。とりあえずは一人で動いて必要に応じて考えるってコトで……)
　……あとは、随分とナイーブに陥っているらしい向こうのわたしも、入れ替わった環境の中で何とかやれているといいんだけど、まずは自分自身の事を何とかしないとね。
『ま、うちをその気にさせられたなら、ええよ？』
｢……うーん……｣
　ただ、まずはあの魔女さんをその気にさせるとしても、どうすればいいんだろう？
　何らかの形で恩を売るか、もしくは気は進まないけど色仕掛けか、あるいは弱みを握るか。
　……そして、この中で相手が一番期待していそうなのが、おそらく真ん中のやつ、だよね？
｢はぁ……｣
　厳密には違う世界の柚月さんとはいえ、よりによって学校の廊下で抱き着いてお尻まで触ってきたヘンタイに色仕掛けしなきゃならんとは……。
　さっきは図らずも実の妹に奪われそうになったけれど、こちとらファーストキスもまだの身だというのに。
｢……けど、受けて立ってやるわよ、柚月千歳……！｣
　しかし、それでもすぐに気を取り直し、ノートを閉じて闘志を燃やすわたし。
　“わたし”の方は、もうあの時から困難に直面したら逃げずに立ち向かってゆくと決めたんだし、多少なりとも貞操の危機に見舞われようが、乗り越えてみせようじゃないの。
｢ん……？｣
　と、一人ガッツポーズを決めて士気を高めたところへ、不意に携帯電話から懐かしのメロディと共にメール着信のランプが点灯してくる。
｢まさか……｣
　それを見て、心当たりの人物を思い浮かべつつ開いてみると、やはり件の魔女さんからだった。
　……どうやら、わたしがこの携帯を拝借するのは想定済みだったみたいだけど、内容は上手くこちらの家庭に溶け込めているのかという心配と、せっかくだから違う世界を楽しんだらええんちゃう？という老婆心(？)と、そして｢一ノ葉さんが明日からどんなコトしてくれるのか楽しみやわ〜｣という挑発のメッセージだった。
｢……ふん……｣
　まるで、自分の掌の上とでも言いたげな文面が癪に障ったわたしは、懐かしすぎて手つきがぎこちなくなっているケータイ入力で｢すぐに要求を飲ませて速攻で戻ってやるから、首を洗って待ってなさい！｣と顔文字を添えて返事を入れてやるものの……。
『……キミの方は、カラダを清めててな？んふふっ♪』
｢……っっ、あの、ヘンタイ魔女……！｣
　ぜっったい、オトして屈服させてやるんだから……！

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