難少女は魔女の掌でオドる その11

終章 覆水は盆に返りきらず

 帰還した世界で迎えた翌日の朝は、久方ぶりに文句の無い目覚めだった。
「ん……っ……もう、朝かぁ……」
 窓の外から聞こえる小鳥の囀りに反応して自然に目を覚まし、カーテンの隙間から差し込む陽光を前に気持ちよく上半身を起こした今朝は、欠伸一つすら出なくて実に気分すっきり。
「……はー……」
 なんだか、まるで聖人にでもなってしまったかの様な清々しさだけど、まぁ軽いシエスタだけの丸一日徹夜した後に、翌日の登校日に合わせての早寝で十時間近くも夢すら見ずにぐっすりと眠ってしまえば、身も心もリセットされるというものである。
「やっぱ、うちはいいなぁ……いいよね……いい……」
 とはいっても、三日前まで眠っていたのも確かに自室の同じベッドのはずなんだけど、やっぱり寝心地は何かが違う。
 それは、やっぱり居るべき世界とそうじゃないかの違いなんだろうけれど、最後は納得して戻ってくれたもう一人のわたしも、同じ心地の朝を迎えてくれているのを祈るばかりだった。
「ふぅ……さて、動こう」
 ともあれ、せっかくの完璧な朝なんだからと、わたしはベッドサイドの目覚まし時計のアラームを切って起き上がると、パジャマを脱いで着替える前に、制服や替えの下着を纏めてゆく。 
(やっぱ、ここまで来ると朝シャワーもセットよね?)
 さすがに、こっちの世界だと佳乃も当たり前について来ないだろうし。

                   *

「あ、おはよーおねぇちゃん……って、気のせいかなんかキラキラしてる……?」
 やがて、ゆっくりと寝汗を流して更に気分を爽快にした後で、いつもより優雅にコーヒーを飲んでいたところへ、同じく登校日で制服に着替えた佳乃が遅れてキッチンへ入ってくるや、何やら驚いた様な反応を見せてくる。
「おはよ。……ま、たまにはこういう朝もあるってね」
 つい調子に乗って髪まで洗ってしまったからか、見た目からして変化があるみたいだけど、そもそもわたしが佳乃より先に朝ごはんを食べているというのが珍しいワケで。
「出来れば、毎朝そうだともっとお姉ちゃんらしくて頼もしいんだけどね、風音ちゃん?」
「いやむしろ、こんな日があるとしても休み中のきまぐれとかだから……」
 しかし、続いてキッチンから佳乃のホットミルクを運んで来た母上に全く期待感は感じられない口ぶりで水を向けられ、あっさりとかぶとを脱ぐわたし。
 ……さすがに、普段からこんな生活を当たり前に続ける聖人ガチ勢になるつもりまではないので。
「でも、どういう風の吹き回し?いい年して夜中に家出なんてやって怒られたから?」
「えっとそれは……まぁ無関係でもないけど……」
 それから、向かいの席でトーストされた食パンを手に取り、朝ごはんの方に視線を集中させつつも何やら棘のある言葉で理由を聞いてくる妹に、わたしもカップを手にしたまま天井を仰いでお茶を濁す。
 ……正確には、反省の態度を示したんじゃなくて徹夜するハメになった副産物なんだけど、正直に言ってもその方が逆にカッコ悪いし。
「まったく、心配かけないでよね?相談くらい乗ってあげなくもないって言ったでしょ?」
「だから、ゴメンて……」
 と、仕方なく謝りはするものの、実際に夜逃げしたのはもう一人の“一ノ葉さん”の方なんですけどね。
 ……しかも、向こうのわたしの方は千歳のうちにお泊り会の途中だから無風ってのも、更に釈然としなかったりして。
「謝るなら、後でなずなちゃんにも謝っとかないとダメだよ?すごく心配してたんだからさ」
「ん〜、その前に詰草ちゃんには色々と言いたいコトがあるんだけどさぁ……」
 そして、釈然としないと言えば続けて親愛なる幼馴染の話が出てきたものの、素直に謝るにはいささか抵抗があるだけに、ついつい愚痴がこぼれてしまうわたし。
「?」
「いや、なんでもない……まぁ、ちゃんとモノは言っとくから」
「ならいいけど……ところでおねぇちゃん、佳乃がこの前貸してあげたのはもう読んだ?」
「んー、眠かったからまだ途中までだけど……でも、どうしてアレを選んだの?」
 ともあれ、続けて佳乃からこれまたもうひとりの自分より引き継いだ“宿題”の話題を振られ、わたしは進捗状況を答えつつ、昨晩に斜め読みしていた中で浮かんできた素朴な疑問を問い返す。
 さすがに、昨日の体力状況だと全部で五巻あるうちの二巻まで読むのが精一杯だったから、もうちょっと待っていて欲しいんだけど、それより気になったのが……。
「どうしてって、すっごく面白いでしょ?ハラハラ感あって」
「まぁ、確かに漫画としては面白いと思うけど……」
 ……けど、内容が両親に隠れて逢引を繰り返している長編の姉妹百合ものって……おねぇちゃん身のキケンを感じるべきなんだろうか?
(……うーん……)
 と、いうかさ……。

                   *

 やがて、時間に余裕はあるにもかかわらず、やっぱりいつもの癖で早足気味に通学路を歩いていた中、向こうの世界で千歳とよく“偶然に”鉢合わせていた通りまで差し掛かったところで、ふと足を止めてしまうわたし。
「…………」
 玄関を出た時はここで立ち止まる予定なんてなかったのに、これもまた、知らずのうちに植え付けられてしまった習慣なのかもしれないけれど、周囲を見回しても登校してくる他の生徒達の中に目当ての相手はいない。
 そもそも、こちらの世界では “柚月さん”とはまだそこまでの仲でもないわけで……。
「……おはようさん、そんなトコで誰か待っとるん?」
「ひ……っ?!」
 しかし、「わたし何やってんだろう?」と空しさを感じて再び歩き始めようとしたところで、不意に背後から何者かの指先がお尻に触れてくるのと同時に、特徴的な喋り方の女性から声をかけられた。
「ち、千歳……いや……」
「ふふ、もう“千歳”でええよ〜?うちも風音ちゃんって呼ばせてもらうし」
「そ、そう?……っていうか、ナニやってんのよ……っ?!」
 だけど、話しかけるより先にセクハラしてくる癖までは合わせなくていいのに……。
「なにって、歩いとったら前の方に風音ちゃんの姿が見えたんやけど、急に立ち止まって可愛らしいお尻をふりふりさせとったんで、これは誘われとるんかなぁって」
「違うに決まってるでしょ……!」
 ったく、ヘンタイ女を吊り上げるルアーか何かですか、わたしのお尻は?……というか、こちらの千歳も思考がピンク色すぎる。
「んじゃ、なんなん?」
「なんなんって……んっ、あ、アンタにはカンケイないから……っっ」
 まぁ、千歳の姿を探していたのは事実ではあるんだけど、癪に障るから絶対に言ってやらんし。
「ふ〜ん……でも、ええ匂いするなぁ。朝シャワー浴びてくれたん?」
「くれたんって、どういう言い分よ……」
 ……というか、いきなり朝っぱらから全開すぎませんかね、このセクハラ魔女さんは。
「…………」
 ただ、先ほどの朝食の時といい、戻った後でもこういった既視感ありまくりなやりとりを交わしていると、何やら不思議な気分にもなってくるというか。
「ん?どしたん?観念したなら、もう学校なんてほっといて二人きりの場所へ連れてくけど?」
「ああもう、朝っぱらからいい加減にしないと通報するわよ?!って、そうじゃなくてさ……」
 それから、少しばかりの感慨を覚えて抵抗が緩んでしまったところへ、千歳が人さらいみたいな言い分でお持ち帰りしようとしてきたのを、まずは力任せに振り払った後で……。
「そうじゃない?」
「……いやね、自分を含めて二つの世界の知人とそれぞれ交流してみて、大きな違いはあっても何だかんでみんな同一人物なんだよねって……」
「……風音ちゃん……って、そんなの当たり前やん〜〜っ?!」
 わたしは心に浮かんできた言葉を独り言の様に呟いたものの、そのまますぐにまた千歳からツッコミ交じりでお尻を力任せに掴まれてしまった。
「ひぃぃぃっ?!ちょっ、やめ……っっ」
 ……しまった、いいコト言ったつもりなのに、よく分からない言い分になってしまったか。
「ん〜〜。まぁ、それはそうとしてな、今日の予定は覚えてくれとる?」
「ぜぇ、ぜぇっ、今日は佳乃も午後から買い物で家に誰もいないから、まぁ丁度いいかもね」
 ともあれ、そこからしばらく容赦なしに揉みしだかれ続けたのを何とか振り切った後で改めて訊ねてくる千歳に、乱れた息を整えつつ頷くわたし。
 まぁ、必要な用事なんで予定変更どうこうは無いんだけど……。
「ほほう?」
「……ちょっと、妙な想像してるんじゃないでしょーね?」
 ただ、今日のヘンタイ魔女さんの無駄に高いテンションを見ていたら、何やら不安かつフクザツな心地にはなってきたりして……。

                   *

「そういや昨晩見てみようと検索したらさー、あの実況の再生数20万超えてたじゃん?すごいわ」
「ビビリかわいい幼馴染とホラーゲーやってみたシリーズ、あれ面白いよね〜?」
「そうそう、一ノ葉さんがすぐ怖がるから見てて飽きないのよねぇ。あのゲームやった事あるからリアクションを予想しながら見てるんだけど、ベソかいて拗ねてたのは可愛かったわぁ」
「……いやまぁだって、ホントにホラー系苦手だから……」
 やがて、自分にとっては約一か月ぶりとなる母校の登校日が終わった放課後、わたしは集まってきたクラスメート達といつぞやのリプレイみたいな会話に苦笑いを浮かべつつ、空気を読んで同じ様なセリフを返していた。
 さっきの登校中に千歳から聞いた話で、細かい部分での分岐は無数に起こっても、大きな流れというものは案外そう変わらないものだと改めて回答されたけど、正にこういうコトらしい。
「……んで、もうヤダって逃げ出したら更にヤバいのに囲まれて悲鳴上げてたのはめっちゃ笑ったけど、ああいうのって仕込みじゃないんでしょ?」
「もっちろん、遊んだことの無いゲームの初見プレイだから面白いんだし〜♪ねぇ風音ちゃん?」
「……まぁ、わたしの心臓的にはどうかとは思うけど」
 でも、そうなってくると……。
「んで、たまにカメラ揺れすぎて見えづらいくらいにガチで怖がってるけど、実況中にお漏らしなんてしちゃった経験とかはない?」
「え、いや……」
 ほら、おいでなすった……!
「んふ〜。実はねぇ、風音ちゃんったら初回の幽霊が出てくるゲームで遊んでた時に……」
「ちょっ、まてまてまて……!」
「え、どこどこ?ちょっと見返してみる……!」
「わっ、わ〜〜っ!やめてぇぇぇぇ〜〜っ」
 それ、“わたし”じゃないのに自分がしたコトになるんだから……っっ。
「あはははは!かわいいかわいい、よしよし愛いやつめ♪」
「いや、だからね……っ」
 あーもう、撫でないで……っっ。

「…………」
「……も〜、怒んないでよぉ、風音ちゃん〜?」
 やがて、やってもいない粗相を擦り付けられたまま大いに盛り上がった実況談義もお開きになった後で、露骨にふてくされた態度を見せつつ机に伏せていたわたしを、信じていた幼馴染は苦笑い交じりに宥めてくるものの……。
「そら、怒るわよ……。だって、ぜんぶ分かってて言ってるんだし」
 わたしの方はすぐには機嫌を直してあげることなく、恨めしそうにツッコミを入れてやる。
(は〜〜っ……)
 こちらに戻ってきて、変わりたがっていた“一ノ葉さん”のしでかしたはっちゃけを不自然なく引き継がなければならないのは頭痛のタネだったけれど、それよりショックだったのは、なんとこっちの詰草ちゃんも共犯者だったというコト。
「そっちの方もごめんってば〜。柚月さんが、私にはすぐバレるだろうからって事前に話を持ち掛けてきてね?」
「……しかも、受けちゃうとかさぁ」
「だって、別世界の風音ちゃんっていう響きに惹かれたのもあるけど、事情を聞くとまぁ助けてあげなきゃいけないかなって。それは風音ちゃんだってそうだったんでしょ?」
「……まぁ、ね」
 それで、全部承知でゲーム実況に誘ったというんだから、詰草ちゃんも相当なお節介というか酔狂者というか。
「風音ちゃんも羨ましい体験できたし、まぁひと夏のいい思い出になったでいいんじゃない?」
「いいのかなぁ……」
 そもそも、羨ましいと言われても、羨まれる経験をさせてもらった覚えもあんまりないし。
 ……まぁ強いて言えば、ちょっとばかりアバンチュール的な体験はしたかもしれないけれど。
「とにかく、あの風音ちゃんも素直でいいコだったけど、やっぱり私の風音ちゃんじゃなかったから、ちゃんと帰ってきてくれてよかったよ〜」
「そりゃどうも……ありがとね?」
 しかし、そこから向こうの詰草ちゃんがいつか言っていたのと同じような言葉をかけられ、ようやくほっこりした気分になって笑みを見せるわたし。
 ……やっぱり、詰草ちゃんも根っこの部分は一緒だったんだなぁって。
「どういたしまして〜♪ところで、あちらの私ってどんな感じだった?」
「ん〜、結局は殆ど同じだったと思う。……まぁ、ゲームはあんまりやらない風だったけど」
「え、それ同じって言えるのかな……?」
「言える」
「いえるんだ?!」
 ……だから、向こうの千歳とのコトはヤキモチ焼くかもしれなから、言わないでおこう。

「……ね、久しぶりだし、帰りにどっか寄っていく?」
「あーいや、今日は千歳と約束してるから」
 それから、やり取りもひと区切りついたところで席を立ち、昇降口まで一緒に下校していた途中で詰草ちゃんから水を向けられたものの、腕時計で時刻を確認しつつ断るわたし。
「ふぅん、デート?」
「いや、そんなんじゃなくてさ、わたし向こうの世界に忘れもの一杯しちゃってんのよ。制服とか鞄とかスマホとか、あと下着なんかも」
 もうちょっと円満に帰還の予定が決まっていたらしっかり帰り支度も出来たんだけど、夜中に緊急事態が告げられて学校へ直行する羽目になったので、一旦うちへ帰ってくるヒマなんて無かったものでして。
 ちなみに、あちらで使っていたケータイの方は向こうのわたしが創った世界へ飛び込む前に千歳へ預けておいたんだけど。
「おろ、それじゃ風音ちゃんがいま着てるのは?」
「そ。同じく置いたままにされていた別のわたしのやつ。この鞄も履いてきた靴もだけど」
 幸い、制服や鞄のデザインに殆ど差異は無いからこれでも問題はないものの、まぁ別世界のアイテムだしずっとこのままってワケにもいかないんだそうで。
「だから、今日は午後から自宅でちょっと入れ替わって回収しようって約束になっててさ」
「いいなぁ……私も一緒に行っちゃダメ?」
「何が羨ましいのか知らないけど、ややこしくなるから勘弁しといて……。まぁ明日の実況の収録にはしっかり付き合ってあげるから」
「……りょーかい。ちゃんと“私の”風音ちゃんが来てくれるのを待ってるからね〜?」
「はいはい、お手柔らかに……」
 とりあえず、お気に入りのパンツだけは穿いていきませんが。

                   *

「や、風音ちゃん。待っとったよ〜」
「え……千歳……?」
 それから、校門で詰草ちゃんと別れてまっすぐ帰宅したものの、何故だか茹だる様な猛暑の中で麗しの魔女さんが既に家の前まで来て待機していたのに驚くわたし。
「……あれ、一旦帰って昼ごはん食べてから来る約束じゃなかったっけ?」
「いや、そうなんやけど、今から来たら風音ちゃんの生着替を見られるかな思うてね?」
「ア ン タ ね……」
 そこでまずは、即座に「帰れ!」と言いたくなったものの……。
「とりあえず、風音ちゃんならここまで先に来とけば、渋々でも入れてくれるかなって……というか、そろそろ頭くらくらで倒れそうやし……」
「……はいはい、日射病にならないうちにお入りなさいな」
 ま、確かに今日はまだ倒れられちゃ困るんだけど、よく分かってらっしゃることで。
 ちなみに、表情はヤバそうながらも汗だくになっている様子が見えないのは流石と言うべきなのだろうか。
「助かったわ〜、それとお昼なんやけど……」
「帰ったらあり合せでヤキメシでも作るつもりだったから、まぁついででいいなら」
「あは、風音ちゃんの手料理もゲットとは、待った甲斐あったわぁ〜♪」
(やれやれ……)
 正直、迷惑しかないはずなんだけど、何で不思議と嬉しさを感じているんだろうね、わたし?

「ふ〜っ、ごちそうさまでした〜」
「はいはい、お粗末様。……ほら、ほっぺたに米粒付いてるわよ?」
 それから、まずはキッチンでエプロンを纏い、約束通りに特製(って程でもないけど)の焼飯と中華スープを二人分作ってテーブルで平らげた後で、幸せそうな顔で手を合わせてくる魔女さんに、わたしは素っ気なく返しながらも、何やら癒される心地を感じつつティッシュで口元を拭ってやる。
「おおきにね〜。でも、どうせなら風音ちゃんのお口で取ってくれたら完璧やったのに」
「……言うと思ったから、敢えてやらなかったのよ。サプライズにならなきゃやり損だし」
「えっ……と、風音ちゃん何と戦っとるん?」
「んー、もう一人の千歳と、かな?……なんて」
 正直、自分でもどこまで本気か分からないセリフだけど、ただ今日のわたしは目の前の魔女さんを無意識に自分のよく知っている方の千歳として見てしまっている気もする。
「……もしかして、もう一人のうちと会えなくて、ちょっと寂しかったりするん?」
「さぁて、どうかしらね……まぁ、なるべくそうじゃない方がいいんだけどさ……」
 まぁ、それだけ二人の千歳の間で殆ど違いがないってコトでもあるんだけど。
 間違いなく、どちらも「ど」が付くヘンタイさんで……。
「ふふ。だったら、うちを代用品にしてくれたってええんよ?ちゃんと慰めてあげるしな」
「……いや、気持ちだけ受け取っとく」
 隙あらばわたしにセクハラしてくる時以外は、自己犠牲の権化みたいな優し過ぎる魔女さん達だから、これからこちらの千歳と親しくなってゆくにしても、ちゃんと別のコとして見てあげないと。
「そっかぁ……」
「まぁ、千歳の方が寂しいというなら、たまにはわたしの方が慰めてあげてもいいけど?」
「ふふ、やっぱりキミってばええ人やなぁ」
「おだてたって、これ以上は何もでないわよ?」
 ただそれでも……今日のわたしは、何となくあのお泊まり会の続きをしているつもりになっているのかもしれなかった。

                   *

「……さて、んじゃそろそろこの制服を脱がなきゃならないんだけど……」
 それから、お昼ご飯が終わった後で千歳を連れて自室へと移動し、いよいよもう一人の自分と交換する為に着替える段階を迎えたものの……。
「うんうん」
「……だから、そこで目を輝かせながらガン見してないで、後ろ向いといてと言ってんの」
「や」
「“や”、じゃないっっ!」
「え〜でも、それじゃうちは一体何の為にわざわざここまで来たんやろうって……」
「いや、わたしたちの後始末を手伝う為でしょーが?」
 もしかしてというか前々から思っていたけれど、やっぱりこのポンコツ魔女どもは揃いも揃ってアホの子らしかった。
「んじゃ百歩譲って、うちが着替えさせてあげるというのはどうかな?」
「百歩どころか、一歩も譲ってないじゃないのよ……。いいから、あっち向いてゆらぎを出す準備でもしてなさいって」
 むしろ、要求がさらに図々しくなっているし、このまま調子に乗らせても話が前に進まないので、わたしはピシャリと一方的に告げてやった後で、ヘンタイ魔女さんから背を向けてベッドの上に並べた着替えの前でブラウスを脱ぎ始めた。
「ふふ、飛んだ先には風音ちゃんの“千歳”が待っとるもんなぁ。下着は替えとかんでええの?」
「余計なお世話……っていうか、正直どんな顔すればいいのか分からないのはあるんだけどね」   
 図らずも同じコトをもう一人のわたしにもされてしまったけれど、なにせ別れ際にはあんなコトしてやってしまったのもあるし。
「それじゃ、いつも通りでええんちゃう?」
「ん、わたしもそのつもりなんだけどねー……どうせ会えるってもすぐ戻ってくるんだし……」
「……そうなんよねぇ……」
「ん?……まぁでも、どうせならちゃんとクリーニングに出してから返したかったな」
 そこで、脱力気味に吐露したぼやきに千歳もしみじみと同意してきたのは引っかかったものの、まずは脱いだブラウスを綺麗に畳みながら独り言の様に呟くわたし。
 特に真夏の登校日の後だから、襟元とか少なからず汚してしまっているわけで。
「まぁ、そういうコト言っとったら、いつになるか分からんからなぁ?」
「確かに……もう、あのコにも新しい一歩を踏み出してもらったんだし……」
 だから、こういうのはいつまでも先延ばしにしない方がいいというのもあるけれど、何より自分のスマホがまだ別の世界にあるというのが大問題だった。
「それにな、あっちの一ノ葉さんも脱ぎたての方がええんやって。勇気づけに風音ちゃんの汗の染みた制服に袖を通したい言うとったし」
「ふーん、それならいいけど……って、はぁ?!」
 それから、最初は「その方がいい」の部分だけでさらりと流しかけたものの、続けてスカートのホックに手を掛けたところで、何かがおかしいのに気付いて振り返る。
「まったく、風音ちゃんもオンナ殺しよなぁ?うちらだけじゃなくて、もう一人の自分まで口説き落としてしまうんやから」
「いやちょっと何を言ってるのかわからな……って、ぎゃーーーーっっ?!」
 そして、イミ不明な言葉を続ける千歳が手持ちのスマホに先日の“わたし”同士がキスしている画像を表示して見せてくるや、ホックが外れてスカートがずり落ちたのにも構わず、即座に奪い取ろうと腕を伸ばして詰め寄るわたし。
「実は、うちらの発生させたゆらぎって向こうの風景を映し出すことも出来るんよ?なんで……」
「……つまり、見てたの?」
「その前に“一ノ葉さん”を押し倒して言うコト聞かせてたところもばっちりな〜?」
「言い方ぁ!っていうか、いちいち撮影してんじゃないわよ……ッッ」
 まったく、これだからヘンタイ魔女は油断ならない……。
(あれ……?)
 そういえばさっき、うちだけじゃないって……?
「お陰でなぁ、戻った後の一ノ葉さんは風音ちゃんのコトばっかりで、それを見てたらうちの方もモヤモヤしてしもうて……ん?」
 それから、ある確信が頭に浮かんだわたしは、じ〜〜っと相手の目を見据えはじめ……。
「えっと、なにかな……?」
「……なーんかちょっと違和感あるとは思ってたんだけど……アンタ、もしかして、“あっち”の方の……」
「あは、ばれてもうたか〜♪」
 逆にこちらの視線を逸らせつつ後ずさりしてゆく魔女の正体を暴いてやると、千歳は開き直ってこちらへ踏み込み、柔らかい胸元に押し付けるようにわたしを強く抱きしめてきた。
「さっすがはご名答やよ〜、うちは“風音ちゃん”の千歳でした〜〜♪」
「むぎゅぅっ?!ちょっ、アンタなに考えてんのよっっ?!」
 どうりで、セクハラにまったく遠慮が感じられなかったワケだけど……ッッ。
「だって、うちだけ最後にちゃんとお別れできひんかったし……」
「……ちゃんと餞別はあげたじゃないのよ……あれで不満だったとでも……?!」
「そりゃあ、風音ちゃんの“はじめて”をもろうて嬉しかったけど、ああいうコトされたら逆に恋しくなってくる一方やよ?しかも、一ノ葉さんもキミのコトで頭がいっぱいやし」
「…………」
「なんで、もう一人のうちに無理いうて、しばらく入れ替わってもらうことにしたんよ〜」
「……あーもう、どいつもこいつもホント身勝手なんだから……」
 まぁ、あちらでの自分の行動の結果と言われたらあまり文句もいえないし、全然嬉しくないかと言われるとそんなコトはないんだけど、これじゃいつまで経っても元通りになりゃしない。
「考えたら、おうちデートも途中やったしね?……だから……」
「……はいはい、もうそれ以上言わなくていいわよ、もう……」
 ともあれ、なんかもうややこしいカンケイの中で込み入ったコトを考えるのがいい加減に面倒になってきたわたしは、小さいため息の後でそう告げると、一旦離れる様に促して……。
「風音ちゃん……」
「しょうがないわね……そういうコトなら、もうちょっとだけ思い出作りに付き合ってあげる」
 こちらの動向を不安げに見つめてくるわたしの魔女さんへそう続けた後で、いつかの時と同じく自分からもう一度唇を重ねてやった。
「…………っ!」
「…………」
 ……どうやら、泡沫になりかけたひと夏のアバンチュールは、追いかけてきたヘンタイ魔女さんの執念でしっかりと刻まれてしまいそうである。
 けど……。
「……ん……ふふ、まぁそれはそれで後で名残惜しくなりそうやけど……」
「いや、夏休みが終わるまでには、ちゃんと帰りなさいよ……?」
 今度は、わたしの方が追いかけてしまいたくなる前に、ね。

おわり

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