エイリアス@ココロ その1
Phase-0:ネクスト・ジェネレーション
――幼き日、祖父からこんな言葉を向けられたことがある。 「ユリナよ、エレメントとは、“精霊”とも呼ばれる事を知っておるかの?」 「……せい、れい?」 あれは七つの終わりか八つになりたての頃だったか、いつもの様に祖父母の家へ預けられていたある冬の夜。 薄暗いリビングルームの中で、パチパチと音を立てながら炎が踊る暖炉の前に置かれたソファーへ身体を預けたまま、本棚から持ってきた難しげな書物を何となく眺めていたわたしは、不意にかけられたお爺ちゃんからの声に本を閉じて振り返る。 すっかりと夜も更けて、そろそろ子供は寝る時間だと言ってくる頃だと思っていたけど、今日はまだお喋りの時間が残っているらしい。 「そうじゃ。言い換えれば、“意思を持った魂”という事になるかの」 ともあれ、それから後ろの机で仕事をしていたお爺ちゃんも羽根ペンを置き、左目に着けていたルーペも外すと、言葉を続けながら愛用のパイプへ手を伸ばしていった。 「たましい?……んっとつまり、”こころ”をもってるってこと?」 「ふ、流石はわしの孫だけあって、賢い子じゃ……いかにもその通り。エレメントに実体は無いが、“心”は確かに存在しておる。おそらく、人間と同じく感情もな」 そして、お爺ちゃんは柔和な笑みを浮かべてわたしに告げた後で、灰皿から拾い上げたパイプを片手に席を立ち、暖炉の前へと歩いてくる。 「……たとえば今、暖炉の中でこうして燃え盛っている炎にも、火と風の精霊の意思が込められておるのじゃよ」 「わたしたちを、あっためてくれようと?」 「さぁ、それは分からん。何せ、今は明確に確かめる手段が無いからの」 その後、マッチも使わずに火が点いたパイプから白い煙をくゆらせつつ呟くお爺ちゃんの声は、どこか寂しそうでもあったりして。 「だったら、どうしてエレメントにこころがあるってわかるの?」 「その答えは、今お前さんが読んでいる書物の最初に記されておるよ。一人の偉大なる男の名と共にな」 「…………」 そこで、わたしは促されるがままに閉じてしまった本の表紙を一枚めくってみると、最初のページの中央に、大きくこんな文章が記されていた。 『エレメントとは、大自然の魂が宿った意思の力そのものである』 ――ノイン・アーヴァント 「ノイン・アーヴァント……」 まだ小さな子供だったわたしでも知っていた、その名前。 自然界に宿る、六種の特別な力をはらむエレメントの存在を発見し、その利用法を発明した事で、世界の風景を一変させてしまった学者なのだから。 「うむ。エレメントは大自然の魂が宿った意思の力であるというのは、我らの創始者が一番最初に唱えた結論なんじゃよ。そして、彼を支持する者達は皆、その言葉を信じてエレメントを取り扱ってきた」 「……少なくとも、”我々”はの」 「けど、じっさいにはどんないしをもっているのか、わからないんでしょ?」 「ははは、手厳しいのう。……しかし、六つの属性に分類されたエレメントには、それぞれ個性や相性が存在するという所までは分かっておるんじゃ。これらは組み合わせた時に相乗効果をもたらすものもあれば、互いに打ち消しあったり、拒絶して反発力を生む場合もある」 「それ、しってる。たしか、火と風がそうじょうこうかで、でも火と水はおたがいをけしあって、光と闇はぶつかり合って、ばくはつしたようなはんぱつこうかをうむんだっけ?」 一応、エレメント同士の相性については、既にこの家にある本を読んで大体は覚えていた。 地・水・火・風・光・闇と分かれる六種のエレメントは、それぞれ他の属性に対して、何らかの関係で結ばれていると。 「おお、よく勉強しておるのう。……しかし、その相関図(エレグラム)も、実はほんの一部分の情報に過ぎんのじゃ。たとえば互いを相殺する火と水とて、配合次第で相乗効果を生む事もあれば、高相性同士でも反発し合う場合もある」 「えっ、そうなの?だったら、いつなにがおこるかわからないってことじゃない?」 「心配せずとも、近年はエレメントの利用法や技術も向上して、そういった想定外の暴走で大事故が起きた例は殆ど聞かんようになったし、本当の話をすればその様な可能性を秘めておるというだけの話じゃよ」 「でも……」 「……それより、覚えておくべきはそれこそが精霊として意思を持っておる証なんじゃよ。エレメントを真に使いこなすには、単に相性を知るだけではなく、もっと深い部分で理解を深めねばならん」 「つまり、なかよくならなきゃダメってこと?お友達になるとか」 「……ふふ。その通りだよ、ユリナ」 そこで、わたしはふと自分の頭に浮かんだ“友達”という言葉を呟くと、今度はお婆ちゃんが優しい笑みを浮かべて姿を見せてきた。 「おばあちゃん……」 「精霊はね、魂だけで生きている存在なのさ。だから、仲良くなれば力を貸してくれるし、嫌われてしまえば拒まれてしまう。それだけのコトなんだよ」 「でも、どうやったらなかよくなれるの?」 「それは、これから自分自身で学びながら考えるべきことさね、ユリナ。なぜなら、一番大切なのは仲良くしたいという気持ちそのものなんだから」 「うーん……?」 お婆ちゃんが言っている意味は何となく分かるとしても、それでも雲を掴むような話だけに、なんだかもどかしい気持ちになってしまうわたし。 「だけど、精霊と友達になろうと言ったユリナなら、誰よりも可能性を秘めているのかもねぇ」 しかし、それからお婆ちゃんは嬉しそうな笑みを浮かべて言葉を続けると、自分の首の裏へ手を伸ばして、胸元に着けた金色のメダリオンを繋いでいるチェーンを外してゆく。 「え?」 「……ともあれ、これでようやく、あたしも跡取りを見つけられたってわけだ」 それから、メダリオンを自分の体から離した後でしみじみとそう呟くと、続けてお婆ちゃんはポケットから取り出したインクの付いていない羽ペンの先を使って、裏にさらさらと何かを書き込んでいった。 「そうさのう……。いよいよ、その時が来たというわけか」 「……??」 更に、それを見て寂しそうに頷くお爺ちゃんと、すっかりおいてけぼりにされたわたしは面食らってしまうものの……。 「……はい。ではこれを受け取っておくれ」 やがて、書き込み終わった後でお婆ちゃんはわたしの手を取り、しっかりと握らせてきた。 「ユリナ・A・ライステード。このメダリオンは今よりあなたのもの。裏に名前を書いておいたから、これから大切に持っているんだよ?」 「で、でもこれって、おばあちゃんのたからものじゃ?」 少なくとも、わたしが物心ついた時からつい今まで、お婆ちゃんが肌身離さず身に着けていた大切なモノだったはず。 「これはね、あたしだけじゃなくて先祖代々に伝わる家宝の一つなのさ。そして、このメダリオンの持ち主は、いつしか自分で受け継ぐ者を選び、こうして譲り渡していかなくちゃならないんだよ」 「そのあいてが、わたし……なの?」 お爺ちゃんでも、お父さん、お母さんでもなくて? 「そうともさ。……実はね、前から譲るなら可愛い孫娘にとは思っていたんだけど、ようやくその決心がついたんだよ。他でもない、ユリナ自身の言葉でね」 「ことばって、エレメントとおともだちになるっていったこと?でも、それとこのたからものって、かんけいあるの?」 「ふふ、いつかは分かる時が来るだろうよ。求める強い意思と、精霊たちの導きがあればね」 そして、お婆ちゃんはそう告げると、ふたたび……いや、おそらく今まで見た中で一番優しい笑みを浮かべながら、わたしの体を強く抱きしめた。 「おばあちゃん……」 「ささ、ではそろそろ寝る時間じゃ。熱心なのはよいが、夜更かしは成長にも美容にも大敵じゃぞ?」 「あ、はぁい……」 (ほんとうに、もらっちゃっていいのかな、これ……?) 結局、何だかうやむやになってしまったけど、知りたいことは自分で調べて答えを見つけなさいというのは、研究者の家系のうちらしいと言えばらしいのかもしれない。 「…………」 ……だけどこの時は、まさかこれが間もなく大好きなお婆ちゃんの形見になってしまうとは思わなかったし、やがてわたしの運命を大きく変える引き金になるとも、全く想像していなかったのだけど。 Phase-1:エイリアス・ドール 「……この様に旧世紀1216年、自然環境に宿った地・水・火・風・光・闇に分類される六大エレメントの存在をフォードラン大学の学会で発表したノイン・アーヴァントは、”精霊石”と呼ばれる鉱物を用いた利用法と、それに秘められた大いなる可能性を提唱し、同席した研究仲間達と共にAgency of Academic Alchemists(錬金術師学術協会)、通称”A3”の立ち上げを宣言して、エレメント力学と名付けられたこの新たな学問への参加を呼びかけた」 「その学会の場で実際にノインがサンプルとして提示した、精霊石に閉じ込められたエレメントの力はこれまで存在するどれよりも高密度で莫大なエネルギーを有していて、それを目の当たりにした各分野の専門家達が次々と参加を表明しただけでなく、A3への莫大な投資が集まったのも相まって、エレメント力学の研究開発は際限なく加速していき、やがて今までは机上の発明に過ぎなかった大型飛行艇などの、大規模で高度なテクノロジーが次々と実現へ向かっていく事となる。これが所謂、第一次技術革命って奴だな」 「……ふぁぁ〜っ……」 昼食後の昼下がり、わたしは窓際の席でここ最近の睡眠不足からやってくる否応無しの睡魔と戦いながら、ルーファス先生による退屈なエレメント工学史をぼんやりと聞いていた。 「だがその一方で、純度の高い精霊石の争奪戦による相場の高騰や、有限か無限かの最終結論が出ない資源に頼る事への不安などから、エレメントの発見で一度は廃れかけた発明である電力を再興させ、そちらを中心に技術革新してゆくべきだと主張する技術者集団がA3に対抗してElectric and Electronics Engineers(電力技術者協会)、通称E3を設立。彼らはまず、A3の『エイリアスドール』に対して『マシナリードール』と名付けられた第二世代DOLLを発表し、電力との併用で精霊石の使用を最小限に留めてコストを十分の一程度に抑え、従来の第一世代と同等の性能を実現したとアピールする事で異なる進化の方向性を示し、ハイブリッドシステムを中心とした第二次技術革命を引き起こすまでに至った」 「……とまぁ、ここらは基礎として必ずといっていい程に試験で出題されるし、これから詳しく説明していくから、今のうちに各自で少しずつでも予習しておく様に」 (あ、レミーナ達は体育か……) 壇上で先生が続けてゆく、今後の予定も含めた大まかな流れの講義を聞き流す中でふと窓から外を見てみれば、別のクラスの友人達が運動場で走っている姿が目に映る。 (いいなぁ……。今日は天気もいいし、あっちの方が気持ちよさそうね) 元々、引き篭もり系……もとい、ここは体裁良く研究者タイプと言っておく―のわたしにとって体育は苦手だけど、それでも今は何となく羨ましいと思えてしまう。 こうやって、ぼんやりと自分の席へ釘付けにされて、まるで催眠術でもかけられているかの様な強烈な眠気と戦うのは、まだ無理やり運動でもさせられた方がマシってものである。 ……というか、既に何度か意識が眠りに落ちて、懐かしい夢を見たりもしたし。 「ともあれ、ノイン・アーヴァントの歴史的発表をきっかけとして、後にA3とE3に分かれた二大勢力の熾烈な競争なども経て技術革新が想像を絶する速度で進んだ事で、旧世紀の1200年代から1300年代後半までを人類の黄金期と呼ぶ者も少なくない」 (ん〜……。でも同時に、この時代の奔流で生き残るべき技術者とそうでない者とが分けられて、二度と追いつけない格差が出来ちゃったんだっけ?) しかも、皮肉な事に第二次技術革命以降はA3技術の象徴でもあるDOLL分野ですら第二世代、第三世代とE3に主導権を握られていって、A3側の没落が目立ち始めたのよね、確か。 (……そして幸か不幸か、わたしはその没落側の方の家に生まれてしまったワケだ……) まぁ、今はどうでもいいけどね……。 眠いし。 「……しかし、そんな性急過ぎる文明の進化は一部の権力者の心を歪ませてしまい、挙句には人間が自らの手で『神』を造りだそうとする暴挙にまで至ってしまったらしい」 「旧世紀1399年6月、インフラント大陸の約七割を支配していた宗教大国である聖セフィロート教国が秘密裏に画策していた”女神創造プロジェクト”が明るみになると、それを阻止すべくファーレハイド国を中心とした当時の属国の半分近くが連合軍を結成し、反乱の狼煙を上げた」 (そういえばチサトの奴は……あ、寝てる。ずるい) それから、わたしはふと横方向に二つ机を隔てた席に座る、居眠り常習犯である幼馴染の方へ視線を向けてみると、既に教科書を盾にしてぐーすかと眠り込んでいた。 ……こっちは何とか我慢しているというのに、何かムカつくんですけど。 「この、後に『解放戦争』と称された戦いは約一年間に渡って繰り広げられたものの、次第に教国軍からの寝返りが続出した事で勢力が逆転し、遂には聖セフィロート首都の陥落及び、女神の破壊をもって連合軍側が勝利をおさめ、かくして世界最大の超大国は解体される運命となった」 (う〜っ、これじゃ頑張って起きてるわたしの方が馬鹿みたいじゃないのよ) 大体、わたしよりも昔から赤点ギリギリの綱渡りを続けてるチサトの方が真面目に授業を受けてなきゃいけないはずなのに。 「戦勝後、連合軍はアフィリアス連邦と名称を新たにした後、国家間の平和と自由を保障した共存を基幹として、解放戦争の旗国となったファーレハイドを中心に世界地図が塗り替えられていく事になる」 「……ちなみに、現在使われている『新世紀』という呼び方も、この連邦成立の年を区切りに始まったものだが、まぁここらは言うまでもないな」 (でも、歴史の影では醜い領地のぶん取りあいとかあって、小競り合い程度の戦火はしばらく絶えなかったとも聞いたけど) かくいうA3も、聖セフィロート側に付いていたから、戦後はファーレハイドに全面協力していたE3の干渉を受けて、大半の研究施設が統廃合させられたり、何かと嫌がらせを受け続けたりと、好き勝手に蹂躙されながら今もその流れは続いている。 「…………」 ……まぁでも、それはもう一世紀以上も昔からの話だし……別に今更言った所で……。 (うあっ、ヤバい……) かなり、眠くなってきた。 ちょっとでも気を抜いたら意識が落ちてしまう……ような……。 (でも、チサトも寝てるんだし、別にわたしだけが我慢する事もない、か……) 「…………」 「この解放戦争の発端となった女神創造プロジェクトとは、その詳細は戦火で消失してしまったものの、当時最高の技術で巨大DOLLを造り上げ、全世界を標的とする圧倒的な武装を搭載して残りの国土を手に入れると共に、教国の支配を永遠のものへと企てられた恐るべき計画であり、これは後に人類史上で最も愚かな驕りとして……」 「…………」 「また、大陸全土に及んだ開放戦争で荒廃してしまった自然環境と共に、旧世紀末期から陰りが見えてきたエレメントの力が更に弱化し、深刻な社会問題へと……」 「…………」 「……って、こらユリナ・A・ライステード、聞いているのかっ?!」 「んあ……っ?!」 やがて、意識が完全に沈みかけた所で、頭の上へ何かが落ちてくる軽い衝撃と共に鋭い声で名前を呼ばれて、強制的に現実へと引き戻されてしまう わたし。 ちなみに、頭に落ちてきたものを拾うと、どうやら白いチョークらしかった。 「……ふえ?何ですか先生?」 「何ですか、じゃない。ちゃんと授業を聞いているのかと尋ねているんだ」 「あ〜、はいはい……。ええと、文明の高度化や戦争の傷跡などで深刻な自然破壊が進行してエレメント濃度、つまりマナが減少している事から、今一度自然と調和しながらの回帰路線を提唱したA3と、逆にエレメントから完全に脱し、自らの科学技術のみでやっていくべきだと主張するE3が今でも軋みあってるんでしたっけ?まぁ、解放戦争以降の勢力バランスは圧倒的にE3へ偏ったまま現在も変わってはいませんし、A3としては今後何か革新的な提案でも出来ない限りは……」 「……まてまてまて。それは今期の後半に議題テーマとして扱おうと思っていた内容だ。それと、最新の勢力事情は教科の範囲を超越しているだろうが」 とりあえず、意識が落ちる最後の方は殆ど聞こえてなかったので、自分の知識の範囲内で適当に答えると、ルーファス先生は広めの額を押さえながら、ネタばらしをするなと言わんばかりに慌てて遮ってきた。 「ありゃ……」 そして、寝惚け眼で頭を掻きながらわたしが呟いたのをきっかけに、クラス全体からどっと笑い声が起こる。 「まぁ、予習出来ているなら問題ないが、せめて起きていろ、な?」 「ふぁ〜〜い……」 やがて、怒るよりも縋る様な目を向けながらそう告げてくるルーファス先生に、欠伸交じりで生返事を返すわたし。 眠っている生徒はわたしだけじゃないはずだけど、不幸にも先に見つかってしまうとは。 「ったく、これだから専門家の子女はやり辛いんだよな……。今度居眠りを見つけたら、いっそ代わりに授業させるからな?」 「いえ先生、それは職務放棄ではないかと……」 ともあれ、それからルーファス先生がブツブツとそんな悪態をつきながらテキストへ視線を戻していったのを見て、わたしは苦笑い交じりにツッコミを入れた。 (はー。いけない、いけない……) 一応、眠いのにも理由はあるんだけど、ここじゃ言い訳にはならないわよね。 * 「では、本日の授業はこれで終了とする」 やがて、校舎の一番高い所にある鐘が重厚な音色を響かせて終了時間を告げると、ルーファス先生もそれに従って授業にひと区切りをつけた。 「油断していると試験なんてあっという間だから、きちんと復習もしておけよ?質問があったら受け付けるが、より詳しく知りたい事があるなら、そこの余裕をかまして居眠りしていたA3研究所の娘でも捕まえて聞いてみるといいんじゃないか?」 そして教室を出る前に、こちらへ軽くウィンクを向けながら、迷惑千万なアドバイスを付け加えるルーファス先生。 (……くっ、最後の最後で嫌味なマネを) まったく、爽やか系の外面で人気を集めている癖に、粘着質なんだから。 「はっはっはっ、見事に仕返しされちゃいましたな、ユリナ?」 すると、そんなやり取りが楽しくて仕方が無いとばかりにチサトが背後からやってきて、ばんばんとわたしの背中を叩く。 「あんたも寝てたでしょーが。……まぁ、確かにわたしが悪いっちゃ悪いんだけど」 実際の話、まだ寛容な部類のルーファス先生だからあの程度で済んだけど、これが厳格で知られているレガント先生だったら、放課後にチサト共々呼び出されて、長いお小言の後で反省文の一つでも提出させられる所だろうし。 「つかさ、あれでも先生はユリナがお気に入りみたいだし、何かと視界に入るんじゃない?」 「え〜?教師のお気に入りになっても、あまり良い事もなさそうなんだけど」 自分で大雑把に切ったショートヘアを揺らせながら能天気に笑うチサトには悪いけど、軽く想像してもデメリットしか思い浮かばないんですがね。 「まぁ、ユリナって引き篭もりの割には見てくれは悪くないからねー。小柄だけど抱き心地はいいし、顔立ちはお母さん似でなかなか可愛いし、肩まで伸ばした髪も手触りいいし……」 しかし、腕組みしながら渋い顔を見せたわたしに構わずチサトはそう続けると、後ろから抱きついてきた後で、ひとの髪へ無断で手を突っ込み、好き勝手に弄くり回してくる。 「……引き篭もりゆーな。研究者と呼びなさい」 ついでに暑苦しいから、ベタベタと抱きついてくる癖も治してくれるとありがたいんだけど。 「んで、最近はずっと眠そうだけど、夜遅くまで一体ナニをしてるのかな〜?」 「……お勉強よ。昨晩も夜明け近くまでね」 それから、わざとイヤらしい口調でようやく本題へ入ってくるチサトに、力の限り素っ気なく答えてやるわたし。 お調子者のこいつは話が弾むと際限がなくなるし、また眠気も復活してきたので、そろそろ放っておいて欲しいんですけどね、マイフレンド。 「お勉強ぉ〜?まさか、予習復習をそんなに一生懸命やるってタマでもないでしょ?」 「もちろん違うわよ。……これよ、これ」 ともあれ、わたしはチサトを軽く振り払うと、机の横に掛けている自分の鞄から、六冊の分厚い本を取り出して机の上に乗せていった。 「なぁに、これ?色とりどりで綺麗な本ね?」 「何って、A3が公式に発行している、エレメントに関するリファレンス本だけど……。授業で習わなかったっけ?」 元々は、ノイン・アーヴァントがエレメント取り扱いの解説書として編纂したもので、それぞれ一冊につき一つの属性についての特性や利用法が記されており、表紙の色から通称で地属性に関するリファレンス本がブラウンブック、水属性がブルーブック、火属性がレッドブック、風属性がグリーンブック、光属性がホワイトブック、そして闇属性がブラックブックと呼ばれていた。 ちなみにこれらのイメージカラーは、精霊石の原石にそれぞれの属性を付与した際に染まる色に由来している。 「ほうほう。噂には聞いていたけど、これがエレメント力学のバイブルかぁ」 すると、チサトの奴は興味深そうに目を輝かせながら、一番手元に近かったグリーンブックを手に取り、しばらくパラパラとめくっていたものの……。 「…………」 「……ん〜、よく分かんない」 結局、ほんの一分も経たないうちに眉間へ皺を寄せながら、再びパタンと閉じてしまった。 「まぁ、これは教科書の類じゃないからね。最初から順番に読んでいくものでもないし」 そもそも、リファレンスというものは、作業の過程で参考にする辞書の様なもので、学習や研究の過程で情報を引き出したい時に使う類の資料である。 「大体、これって何よ?見た事も無い言語がほら、びっしりと……」 それから、やがて再び手に取ってグリーンブックを開くと、特殊な文字列やら記号が並んだサンプル書式が記述されている部分を指差すチサト。 「ああ、それは精霊石に制御プログラムを書き込む為のスクリプトよ」 精霊石の特徴の一つとして、内部にデータ記録用の階層が含まれており、そこに専用の端末を使ってA3が開発した「E言語」と呼ばれる書式で計算式(これをスクリプトと呼ぶ)を書き込む事で、精霊石の中に封じたエレメントの力を制御できる。 逆に言えば、ちゃんとスクリプトを書き込まなければ封じたエレメントの力を出力できないので、このリファレンスに書かれた情報が無ければ、精霊石なんて単なる六色に輝く綺麗な石でしかないんだけど。 「なんか、謎の暗号文でも見てるカンジね……分りにくくて頭が痛くなりそ」 「最初はわたしもそうだったけど、一度覚えさえしたら、後はそうでもないわよ?」 そもそも、文法自体はわたし達が使っている言葉がベースになっているし、後は高度な計算式を書く為に数学の知識が必要になる程度で、E言語の開発者に言わせれば、むしろこれでも長い年月をかけて最小限の労力で扱える様に洗練した結果なんだと主張してくるハズである。 ……というか、これはわたしがE言語を習い始めた時に、うちの親から言われた言葉の受け売りなんだけど。 「ったく、そんなまどろっこしい方程式じゃなくてさ、言葉で直接命令できたら楽なのに」 「あはは、それを言っちゃあねぇ……」 まぁ、確かにそれが理想的なインターフェイスなんだろうけど、現実問題として人とエレメントが直接に対話する手段が無い以上は仕方がない。 「つかさ、そういう研究って全くされてないコトもないと思うんだけど、そのヘンはどーなの?」 「んー、A3が出来た初期の方はやってたっぽいんだけど、先にE言語が完成しちゃったしね」 それからあっさりと諦められたのか、ノインの没後はすっかりと形跡が途絶えていたりして。 「ちぇー、タイミングを逃しちゃったのかぁ……」 「でも、それはそれで大変かもよ?何せ、エレメントは“意思を持った魂”なんだから」 だから結局、こうやって耳を塞ぎつつ制御機構とスクリプトで強制的に使わせて貰うのが一番楽という結論に至ってしまったのかもしれないし。 「魂?もしかしてエレメントの正体って、幽霊か何かだったの?」 「……ああ、本当に何にも知らないで言ってたのね……」 そこで、わたしは悪戯っぽく片目を閉じながら試す様な言葉を返してやるものの、それからすぐにきょとんとした顔を返してきた相方を見て、結局いつもの苦笑いへと変わってゆく。 ……せっかく、チサトの癖に鋭い所を突いてきてると思えば、単純に楽をしたい一心で聞いてきただけですかい。 「へ?何のこと?」 「知りたいなら、いずれゆっくりと説明してあげるわよ。……ただ当面の現実問題として、スクリプト関係は今年の後期から学ぶ事になるんだし、今のうちからやっとけば?」 もしかしたら、本人は忘れているのかもしれないけど、チサトの専攻はわたしと同じエレメント工学科だから、どれほどの高みへ辿り着けるかは別としても、基礎的なE言語の習得自体は必須科目である。 「うううっ、その時がくればよろしく頼むわね、マイハニー……」 「誰がマイハニーよ……。というか、無理なら今のうちに転科しちゃえば?」 すると、ワザとらしい嘘泣きをしてみせながら改めて抱きついてくる悪友に、わたしは敢えて冷たく突き放してやる。 チサトとは姉妹同然で育ってきた仲だから、本音としては助けてやるのもやぶさかではないものの、昔から困った時はいつもこんな調子だから、あまり甘やかしても本人の為にはならない上に、何よりE言語を覚えるのが面倒くさいと感じるのなら、そもそもこの世界には向いていないというコトである。 「えーだって、何だかんだ言って一番カタいじゃない?結局、E3も口ばっかりで脱エレメントの代替技術の見通しなんて立ってないしさ」 「まぁねぇ……」 それ故に勢力が一転した今でも、有力な研究所に嫌疑をかけてペナルティを科したり、酷い時は閉鎖に追い込んだりと、E3は何かとA3を目の仇にし続けてきているワケで。 これは今後の講義で触れられるのかは知らないけど、E3とは元々エレメントの力を有限と仮定したA3研究員が、エレメント工学に未来は無いとして独立し、他の動力を研究していたエンジニア達と組んで結成した対抗組織なのだから。 (それでも、現実はチサトの言う通りなのよね……) ただ、それでも個人向けの小物類はともかく、飛空艇や高速列車などの莫大なエネルギーを必要とする乗り物向けの代替エンジンや、性能に比例して要求の跳ね上がるDOLLの動力などに関しては、完全な脱エレメントを果たしたモデルの完成には至っていない。 ……つまり、開放戦争後からマナ濃度は年々弱まる一方で、未だにエレメント技術は社会生活に不可欠な物であり、E3もA3からの技術提供を受けなければならないという現実が、彼らにとってはどうにも許せないんだろうけど。 (まぁ、だからって八つ当たりされても困るんだけど……) 彼らが信奉する電力についても、風力や火力での発電方法では、結局風や火のエレメントの力を借りているのだから。 「んで、話がズレちゃったけど、なんだって今になって必死で勉強してんの?」 「あれ、言ってなかったっけ?次の休みの日に認定試験があるのよ。わたしがA3公認の研究員になる為のね」 ともあれ、それから何事もなかったかのように本題へ戻ってくるチサトへ、肩を竦めながら素っ気無く答えてやるわたし。 ……そういえば、もし落ちた時に弁明を迫られるのも癪だから、敢えて言わないでおいたのを今更思い出してしまった。 「んえ?ユリナってば、もうそんなハナシになってんの?」 「一応、十六歳以上でエレメントに関する基礎知識に習熟した研究員志願者が対象だから、ちょうど先月の誕生日で受験可能になったってわけ」 栄華を誇っていた旧世紀では、有力な研究所の紹介状が無ければ出願できなかったり、何次もの試験を重ねて勝ち残った者だけが合格出来るみたいな狭き門だったらしいものの、今は年に二度実施される筆記と面接試験に合格すれば誰でも認定書を貰える辺りが、個人的には手軽で有り難い反面で、哀愁も感じずにはいられなかったりして。 「でもさ、研究所の跡取り娘だからって、そんなに慌てて受けなくてもいいんじゃない?そもそも、あれってエレメント工学科を専攻する大学生が卒業するまでに取得するモノって聞いた様な」 「……まぁ、そこは事情があってね。極めて個人的なコトなんだけど」 確かに上限での年齢制限も無いし、うちも人手が足りなくて困ってる話もないから慌てる必要は皆無なんだけど、でもわたしは十年近くも前から一日千秋の思いで待っていたわけで。 「ふーん。で、その為にはこの分厚い本の内容を覚えなきゃならないと?」 「そ。……といっても、わたしがリファリンスを読み始めたのは十歳になった頃からだから、覚えるというよりはおさらいしてるって方が正しいんだけどね」 しかも、その過程で祖父の家や研究所にある精霊石を借りて実習もしてきた事だし、そういう意味では恵まれた環境なのは確かだった。 「んで、エレメント工学科を専攻してるあたしも遠かれ早かれ、それを目指して同じ努力をしなきゃならないってコトになるのかな?」 「まぁ、そういう事になるわねぇ。就職時には必須の資格だし、決して他人事じゃないのよ、チサト?」 試験に通ればと口で言うのは簡単だけど、その内容は決して甘いものではない。 何せ、この試験に合格して受け取る認定書は、エレメント力学の専門家である証なのだから。 「うううっ、その時がくればよろしく頼むわね、マイハニー……」 「はいはい……。死なない程度に叩き込んであげるわよ」 それから、相変らずのワンパターンな言い回しで再び泣きついてくるチサトに、取り出した本を再び仕舞いながら素っ気無く頷いてやるわたし。 ……ただいずれにしても、まずは自分が合格してみせなきゃ始まらないんだけど。 * 「ユリナ、ユリナってば……っ?」 「……んあ?」 やがて、誰かが自分の名を呼びながら身体を揺らせているコトに気付いたのをきっかけに、わたしの視界の先が真っ暗な世界から、いつもの見覚えのある空間へと変わっていった。 「ったく、ようやく目を覚ましたわね、この眠り姫は」 「うえ……チサト?」 それから、わたしを揺さぶっていた相手を見上げると、そこには幼馴染の呆れた顔が目に映る。 「まったく、今までずっと残って待っててあげたんだから、感謝しなさいよね?」 「……残って?」 言われて左右を軽く見回してみると、オレンジ色の日差しに染まりかけた教室の中には、つい先程まで四十人近くも密集していたクラスメートの姿がすっかりと消えていた。 「あ、誰もいない……」 「当たり前でしょ、今何時だと思ってんの?」 「えっと……うあっ?!」 そこでチサトに促されるがまま、教壇の上にある丸い時計の針を確認した所で、ようやく今まで熟睡していた事を悟るわたし。 「あちゃ……わたし、寝てたんだ……。えっと、いつ頃から?」 「ん〜。あたしが気付いた限りだと、最後の授業の後半辺りかしらん?居眠りどころか、あまりにぐっすりと寝こけてたもんだから、もう先生を含むみんなが、『今日はこのままそっとしとけ』って話になって」 「そっか……」 一応これでも、先生に居眠りを見つかってしまったのは初めてだったんだけど、今日一日ですっかりと印象を変えてしまったかもしれない。 ……これは、ちょっと後が怖いかも。 「しっかし、よっぽど疲れてるみたいね?これから帰った後も、また寝る間を惜しんでお勉強なんでしょ?」 「うん。まぁ一応……ふぁぁぁっ、まぁでも一応、今日は少し早めに眠るつもり」 とにかく、明日は汚名挽回で居眠りゼロを目指さないと。 「……っていうかさぁ、ユリナがそこまでしなきゃならないほど難しい試験なの?」 「ん〜。いやまぁ、別にこのまま受けて通らない事もないんだろうけどさ、やっぱりギリギリまでやってないと不安っていうか……」 一応、もう随分と前から準備を始めたし、今更慌ててやらなきゃいけない課題も残ってはいないんだけど、それでもやや背伸びをした試験を受ける立場のわたしにとっては、「ここまでやったんだから大丈夫」という自信を付けておくのは大切かなと思って、試験対策の最終確認を何度も繰り返してるって感じだった。 ……何より、絶対に落ちたくないしね。 「ホント、なんでそこまでしてんだか……」 「受かれば、理由を教えてあげるわよ。落ちたらまた半年こんな調子だろうけど……」 「とにかく気をつけなよ、ユリナ?疲れってさ、自覚できるものばかりじゃないんだから」 「分かってる。……というか、チサトに上からお説教されてしまう位だから、確かに深刻なのかもね」 とか言いつつ、いつも一番心配してくれているのは、他でもないこのチサトなんだけど。 「あーもう、言ってくれるじゃない?ったく、本の読みすぎで視力が急に悪くなってメガネっ娘になっても知らないわよ?」 「まぁ、それは研究者の宿命みたいなものだから覚悟はしてるけど、でもご心配なく。わたしの場合は特技を生かして一応対策してるから」 「特技を生かしてって……あー、もしかして魔法のコト?」 「ちょっ、チサト……っ?!」 そこで、連想ゲームを的中させてしまった相方の口から出てきた「魔法」という単語を聞いて、辺りを見回しながら慌てて身を起こしてチサトの口を塞ぐわたし。 ……まったく、わざわざぼやかしているこっちの意図は読んでくれない癖に、直感だけは鋭いのだから困る。 「むお、ゴメっ……んっ、けどだいじょーぶだって。小声だし、誰にも聞かれてな……」 「あらあら?ユリナちゃんって、魔法使いだったんだ〜♪」 「……どこが大丈夫なのよ?」 しかし、チサトの苦笑い交じりの弁解が終わる前に、わたしのすぐ後ろから独特の間延びした、甘ったるい声が響いてくる。 (というか、いたなら話に入ってきなさいよね、エルミナ……) ただ、気配を感じさせずに近づいて、わたしとチサトのやり取りをニコニコと楽しそうに見守っているのは、割といつもの事ではあるんだけど。 「まぁまぁ、エルミナなら身内も同然でしょ?」 「やれやれ……」 ともあれ、確かにこのエルミナも前の学校の時からの腐れ縁となった、それなりに付き合いの長い友達だし、正直に事情を話して口止めがきく相手なのは幸いだった。 「あはっ。初耳だけど、素敵ね〜♪」 「聞いちゃったなら仕方が無いけど、黙っててね?知っての通り、今は個人での魔法の使用は御法度なんだから」 今時、魔法使いと聞いて「素敵」という感想がすぐに出てくる人間は決して多くないだろうけど、とりあえず溜息交じりの小声で、縦ロールのおっとりお嬢様に釘を刺すわたし。 ここで言う「魔法」というのは、正確には”精霊魔法”と呼ばれるもので、個人がエレメントの力を集めて配合し、解放する事で何らかの特殊な力を行使する行為を指し、そのユーザーはエレメンタラー、または単純に「魔法使い」と呼ばれていた。 その魔法の効果は、使用する属性と組み合わせにより身体能力を上昇させたり、炎やら突風やらを出力したり、またはケガや病気を治癒する補助効果を引き出したり等と多種にして様々である。 ちなみに、さっきの会話の中でわたしが使っていると言った対策とは、回復効果のある水と安らぎ効果を持つ闇のエレメントを組み合わせて、目の疲れを抑える効果を常駐させた精霊魔法で、まぁ「魔法」と呼ぶには地味かもしれないけれど、こうした補助系はちょっと無理をしたい時とかにはすごく助かる為に、ついつい頼ってしまっているのが実情だったりして。 ……それに多分、こっそり使ってるのはわたしだけじゃないはずだし。 「まったく、世知辛い世の中よねぇ。昔はそうじゃなかったんでしょ?」 「昔と言っても、もう二百年以上も前の、旧世紀時代の話だけどね」 ちなみに精霊魔法を扱うには原則、使いたい属性のエレメントからの“ライセンス”と呼ばれる資格を得なければならないので、元々簡単に扱えるものではなかったものの、それでも旧世紀の1200年代まではそれなりに普及していたらしい。 だけど、やがて天然ものは高価な精霊石の類似品が人工的に作られる様になり、それを使って誰でも手軽にエレメントの恩恵を受けられる様になってから、次第に廃れていってしまったんだそうで。 ……そして何より、新世紀が始まってすぐ後に、連邦政府の決定で精霊石を介さないマナの個人使用を一切禁止されてしまった事が、一般社会から魔法が消えてしまうトドメとなってしまった。 「でも、それじゃユリナちゃんは、こっそりライセンスを取ったりしてたの〜?めっ」 「あ〜。実を言うとさ、わたし自身はライセンスなんて取りに行った覚えが無いんだよねぇ。よく分からないけど、いつの間にか使えるようになってたみたいで」 ともあれそれから、「めっ」と叱る様な語尾を付け加えながらも、まるで素敵なものでも見つけたキラキラとした視線をこちらへ向けて尋ねてくるエルミナに、頭を掻きながら種明かしするわたし。 もしかしたら、「隠れ」エレメンタラーだった祖母からの遺伝なのかもしれないけど、わたしの場合は何故だか勝手に精霊魔法が使える身になっていたりして。 「あはは、でもその“いつの間にか”が無かったら、今頃あたしはここにいなかったのよねぇ」 「それは笑い事じゃないわよ、チサト……」 ちなみに、そのいつの間にかを自覚したのは、わたしが八歳の時。 夏休みに二人で川原へ行って水遊びをしていた所で、追いかけっこをしていたチサトが深みに落ちて溺れかけたのを、無意識に水のエレメントを操って助けたのがきっかけだった。 そしてその日から、わたしが魔法を使えるというコトは、「決して誰にも言ってはいけない」と怖い顔で強く注意してきた両親の他には、チサトと二人だけの秘密になっていたんだけど……。 (……あっさり今日から、三人になっちゃったわね) まぁ一応、チサトほどじゃないとしても、付き合いがそこそこ長いエルミナなら念を押しておけば大丈夫だろうけど、これ以上無闇に広がらない様には注意しないと。 何せ、未だにエレメンタラーに対しては無知や誤解による偏見が蔓延してるし、それに……。 「いいなぁ、ユリナちゃん……私も、魔法使ってみたいかも〜」 「だったら、ライセンスを取ってみれば?ユリナなら何とかしてくれるんでしょ?」 「ああもうっ、あてずっぽうの癖に、ヘンに命中率高いんだから……。まぁ確かに、昔はA3が受付窓口だったみたいだけど今は当然やってないし、リスクの高さを考えたら、とても友達に勧めるわけにはいかないわよ」 法律で定められている罰則だけでも結構厳しいのに、悪質な者に対しては国家に仇なす危険分子として、“エレメンタラー狩り”と呼ばれる、現代の魔女狩りの様な取り締まりまで行われているという噂もあるのだから。 「でも、どうして個人での使用が禁止になったのかしら〜?」 「だって、魔法使いってエレメントを自由に操る権利がある人の事なんでしょ?今や大型の乗り物やらテーマパークの遊具に、はたまた大型の冷暖房装置とか、エレメントの力を利用した機械や設備は山ほどあるからねぇ、ユリナ?」 「ま、単純な理屈で言えばそうかもしれないけどね……」 つまり、ライセンスを得たエレメンタラーなら、その気になれば窓の向こうで飛んでいる旅客飛行艇のエンジンに搭載された精霊石に悪さをして大惨事を引き起こせてしまうというのが、第一次技術革命の頃から未だに残り続けている偏見であり、何より連邦政府がそれを助長してるんだけど……。 「あらあら。それじゃ、ユリナちゃんがテロリストさんになったら大変ねぇ〜?」 「……悪気のカケラもない顔で、人聞きの悪いコト言わないでよ」 誰がなりますか、そんなもん。 「だいたい、精霊石に封じ込められた圧縮エレメントは、外部からの干渉に対してはちゃんとプロテクトが組み込まれてるってば。原則的に精霊石の制御は管理者権限を持つ者以外の命令は受け付けないんだから」 つまり、エレメンタラーを過剰に警戒する連中の主張は精霊石の仕組みを良く分かっていないというか、わたしに言わせれば取り越し苦労なんだけど、この辺はE3の思惑も深く絡んでいるのかもしれない。 「へぇ〜、そうだったんだ〜」 「まったく……。チサトもエルミナも専門家を目指してるなら、そんなトボけたコト言わないの」 確かに、長い歴史の中ではそんな疑念が芽生えるきっかけになった事件も起きているし、プロテクトも理論上は破られる可能性はあるから、完全否定までは出来ないのかもしれないけど、それよりもっと単純な人為的要因で管理者権限を乗っ取られる心配の方が、遥かに確率が高いんじゃないのと突っ込まざるを得ないんですけどね。 「えっと、あとは世界全体でマナ濃度が低下してるから、消費を抑える為だっけ?」 「んなもの、大型の乗り物とかに搭載された精霊石が吸い上げる消費と比べれば、個人での使用量なんて微々たるものなんですけど?」 それに、お婆ちゃんに言わせれば、精霊からライセンスを得ていない者が好き勝手にエレメントの力を利用している方が歪だとのコトだけど、確かにそっちが正論と思うのよね。 ……まぁ、わたしもライセンスは取りに言った覚えが無いので、あまり偉そうには言えませんが。 「ふぅん。何だかバッサリと反論してくれちゃったけど、A3の人達はツッコミを入れないの?」 「まぁ、やりたい気持ちはあるんだろうけど、でも生憎今のA3はE3の顔色を伺いながら生きてる立場だしね」 ノイン・アーヴァントが創設した、最も古くて由緒正しい学術組織のA3がそれでいいのかと言われそうだけど、いつの時代も敗者の立場は惨めなものというコトらしい。 「んじゃさぁ、いっそのコト開き直って悪の手から愛と平和を守る魔法少女でもやってみるとか?精霊の力を借りて、悪の手からか弱き人々を守るマジカルマーベラスガール♪にでも変身して事件を解決していけば、イメージアップ間違いなしなんじゃない?」 「そ、それもちょっと……」 悪いけど、十六にもなって魔法少女はさすがにどうなのかと。 「わぁ、素敵♪ユリナちゃん、衣装ならたっぷり私が用意できるよ〜?」 「……だから、やらないってば」 生憎、そういう方向に走る時間もシュミもわたしには無いし。 「だってさぁ、ユリナがいつも胸元に着けてるメダリオンとか、それっぽいアクセじゃん?」 「いやいや、これはお婆ちゃんの形見なんだけど、これも言ってなかったっけ?」 しかし、それでもまだ話を引っ張り続けるチサトにわたしはそう告げると、手に取った胸元のメダリオンを差し出して見せる。 「そういえば、聞いたような聞いてないような……っていうか、それってもしかして純金?」 「わたしも最初はそう思ったんだけど、実はこれ精霊石がベースなの」 ライステード家の流儀に従って、受け取った後で自分なりに調べた結果、どうやら薄い円形の精霊石を純金でメッキして作られたらしいこの一風変わったメダリオンは、表に六種のエレメントを示す六芒陣(ろくぼうじん)が刻まれていて、確かに何らかの魔法のアイテムっぽく見えるのは、わたしも否定する気は無いんだけど……。 「精霊石ならさ、ますます“らしい”アイテムじゃないの?」 「うんうん。実はそれがユリナちゃんの魔法の源とか〜?」 「んなワケないでしょ?……というか、二人はもう一度エレメントについて基礎から勉強しなおした方がいいわよ」 けど、わたしが肌身離さず身に着けているのは、単に前の持ち主がそうしていたのを見てきたのと、自分がこれを受け取って半月も経たないうちに形見となってしまった事もあって、大好きだった祖母を偲んで真似をしているだけで、別に他意は無かった。 「…………」 (あれ?だけど……) 言われてみれば、わたしが精霊魔法を使える様になったのは、ちょうどその頃からだった様な? * 「……でもさぁ、今思い出したけど、ユリナって昔は自分ん家の研究員には絶対にならないって言ってなかったっけ?」 やがて三人揃っての下校途中、すっかりと常連になっているオープンカフェに寄り道して、「いつもの」で通じる日替わりのケーキセットに取り掛かっていた所で、チサトが不意に話を蒸し返してきた。 「まぁ、うちは両親が揃って経営者兼の開発責任者だしね。二人揃って仕事が忙しかったせいで、小さい頃から全然相手にして貰えなかったから、子供心に反抗心みたいなのは芽生えるもんでしょ?」 そもそも、チサトのお母さんにベビーシッターを頼んでいたりと、親からは金銭以外で子育てらしい事を受けた覚えも殆ど無くて、わたしの幼少時の記憶は祖父母の家に入り浸って本を読んでいたか、自然と仲良くなったチサトと二人で遊んでいたかのどちらかだった。 まぁ、そのお陰で既に十年以上の付き合いになる幼馴染も得られたし、お婆ちゃんから家宝らしきものを譲り受けたりもしたから、結果オーライの面もあるんだけど。 「そーそー。だからユリナは露骨に両親の仕事に興味のないフリをしたり、時には憎んでる様なコトも言ってた時期があったよね。なのにどうして?」 「ん〜。ぶっちゃけちゃえば、気が変わったのよ。もちろん、きっかけはあったけど」 というか、先代の所長で同じく研究者だった祖父の家で読んでいたのはエレメント関係の書物だし、元々本当に興味が無かったのかと言われれば、そんな事はないわけで。 「そらまた、ミもフタもないぶっちゃけっぷりねぇ。んで、無事合格したあかつきにはどうなるの?」 「ん〜。一応、A3所属の研究者と正式に認められて……」 「……まさか今の学校をやめて、専門の養成機関にでも行っちゃうとか?」 「あはは、心配しなくても学校はやめないわよ。単にわたしは、出来るだけ早めに協会の正会員になっておきたいだけだから」 それでようやく、A3本部で管理されている資料の閲覧や関連施設の利用が可能になったり、自分の研究成果を学会で発表する資格が与えられるだけで、別に進路まで縛られる義務はない。 一応、年会費の納入と定期的なレポートくらいは課せられているものの、これは関係学部を専攻してる学生や関連機関に就職している人には免除されるし、わたしにとってはあって無いようなものである。 「よかった……ユリナが突然いなくなっちゃったら、あたし……」 ともあれ、チサトが一番気にしていたのはそのコトだったみたいで、わたしの返答を聞くと安堵の溜息と共に、こちらの手をぎゅっと握ってきた。 「……大丈夫。少なくとも、チサトに黙っていなくなったりはしないし」 それに合わせて、わたしも笑みを見せながら、言葉通りの意思を込めて握り返してやる。 「ユリナ……」 「…………」 「……でもね、いい加減宿題は自力でやる癖をつけなさいよね?」 とはいえ、オチが読めている以上、このまま感動の友情物語で終わらせるわけにはいかず、わたしはミサトの手を握る力を強めながら、ざっくりと釘を刺してやった。 「うぐっ、やっぱそうきたか。……まぁくるわよね、ユリナだもん」 「そうそう。ちゃんと自分でやらないとダメなんだよ〜?」 「あんたもよ、エルミナ……」 偉そうなコト言ってるけど、実は彼女も何食わぬ顔で宿題写し組である。 しかも、快活なのはいいけど、普段の言動から頭が良さそうには見えないという、いかにもな外見と中身が一致しているチサトに対して、エルミナの場合は見た目や雰囲気が優等生っぽいだけにタチが悪い。 ……いや、実際にテストになるとわたしより総合成績は上なのが、どうにも理不尽さを感じずにはいられないといいますか。 「んで、エルミナはさっきから何を眺めてんの?」 「DOLLのパンフレット〜♪お父様に新しいのを買ってもらえる事になったから」 それから、今度はわたし達の会話に積極的に混じらず(まぁ、これはいつもの事なんだけど)、豪華に装飾された印刷物へ視線を向けたままのエルミナにチサトが水を向けると、天使の様な無邪気な笑みを乗せて、今まで眺めていた大型の冊子をこちらへ差し出してきた。 「新しいって……DOLL自体が学生には身に余るモノだってのに、これだからお嬢様は……」 「あら、わたしも受かったらオーナーになる予定だけど?」 「えええ、ユリナも?!この裏切り者っ!……って、ああそっか。A3って、研究者にはそれぞれ専属のDOLLを助手として付けるんだっけ?」 「別にA3に限った事じゃないけどね。E3所属の研究者も、やっぱり自分の側にマシナリードールを一体は置いてるみたい」 これは元々ノインが始めた古くからの慣わしだけど、実際に色々と合理的で都合がいいし、また自らが関わったDOLLを側に置くのは、開発者にとってのステータスにもなっていたりして。 「ふーん……。あ、今さっき通り過ぎたのってさ、この前出たばかりの新型じゃない?昔と比べても、だんだん人間と見分けがつかないぐらいになってきてるわねぇ」 「まぁ、今は運動性能よりも造詣の美しさとか、人工知能のソフト面で勝負する時代だから」 それから、ふと視界に入ってきた若い女性に付き従って歩く、スーツ姿の女性型DOLLを見て感嘆の溜息を吐くチサトに、わたしは一瞥だけした後で素っ気無く解説を入れてやる。 「うんうん〜。子供の頃に買ってもらったのとは全然違うんだよね〜」 「……でも、やっぱりあの子ほどじゃない……かな?」 「ん?何か言った?」 「ううん、何でもない……」 ちなみに、今日の授業の中でも度々出てきたこの「DOLL」というのは、精霊石をコアにして動く人型の自律人形(オートマター)の事で、人間の様々な仕事の手伝いや代行をしてくれる、器用さと汎用性に長けた万能な道具として、エレメント工学史上において最も高度な発明品と言われ、またノインも”原点”と称して並々ならぬ情熱を注ぎ込んだと言われる、A3(もしくはE3も)の象徴的なプロダクトである。 精霊石を介してマナを集め、制御スクリプトを介して動くという基本的な仕組みは精霊石のエンジンを搭載した他の乗り物と同じだけど、DOLLは人体を模した精密な内部機構に加え、極めて高度なオペレーティングシステムや人工知能エンジンが実装されている事から、より複雑で高度な命令を実行出来るのが特徴で、またオーダーは基本的にユーザーの声というのもあり、音声認識の分野でも最先端を走り続けている。 「ん〜、でもやっぱりあのクラスは高そうねぇ。持ち主は、相当なお金持ちかな?」 「いや、あれはマシナリードール系列の量産モデルだから、そうでもないんじゃないの?」 ちなみに、最初は人の身体能力を遥かに超えるポテンシャルを持つというコトで、力仕事やら人間が耐えられない環境下での作業、または軍事兵器での運用が主だったみたいだけど、後に介護やハウスキーパー、更に秘書やらオペレーター等といった補助用途に特化したアプライアンスモデルもバリエーション豊富に登場してきて、更に廉価モデルは一般家庭でも買える程度まで下がってきているコトもあり、すっかりと日常生活にも身近な存在となって いた。 これについては、第二世代から徹底的なコストダウンや大量生産モデルの研究を続けてきたE3のお陰ではあるんだけど、脱エレメントの提唱者達が結果的にもたらした成果という意味では、いささか皮肉な話ではあったりして。 「んじゃ、エイリアスドールなら、お幾らぐらいすんの?」 「まぁ、最近は民生部門を諦め気味ってのもあるけど、でもやっぱりコスト効率を求められるとこっちの方が明らかに不利ね。今は価格競争よりも付加価値を付けて対抗してる方向性だし」 ちなみに、「DOLL」と一口に言っても、正式にはA3製のオリジナルの流れを汲むものを「エイリアスドール」、E3製のものを「マシナリードール」と呼ぶものの、ムキになって使い分けているのは関係者だけで、あまり浸透はしていなかったりする。 「む〜、どっちにしても羨ましいわねぇ……あたしも一体欲しい」 ともあれ、そんなわけで最近はチサトみたいな女学生を対象とした欲しい物ランキングにもDOLLが入る様になっているみたいだけど……。 「欲しいって、何に使うのよ?」 「そりゃもちろん、朝起こして制服を着せてもらったり、掃除を代わりにやってもらったり、欲しい時にお茶とかお菓子を用意してもらったりして……あ、出来れば宿題も代わりにやってくれる機能があるといいかな?」 「もう、あまり早いうちから楽を覚えない方がいいと思うわよ?チサト……」 ほら、若い時の苦労は買ってでもしろと、昔の人は言ったじゃない。 ……とはいえ、買ってまでするのはわたしもゴメンだけど。 「んなコト言ったって、ユリナだって結局はそーいう使い方でしょ?」 「一応、否定はしないけど、チサトが考えてるほど羨ましい話でもないわよ?何せ、店頭に並んでいるのを買ってもらうわけじゃないし」 「あーそっか。ユリナん家はDOLL関係のデベロッパーだし、試作品のテストも兼ねてるってこと?」 「まぁ、似た様なものかな?どっちにしても、わたしの場合は楽をする為にお迎えするんじゃなくて、あくまで研究目的だから」 勿論、助手として雑用をしてもらうつもりなのは間違いないとしても、動作保証のない機体だけに、それ以上の余計な苦労を背負い込む覚悟はしておかなければならないわけで。 「むぅ……。ツテで安く手に入ったりとか、余ってるのとか転がってないかなってのも一瞬考えちゃったけど、やめといた方がいいのかしらん?」 「ツテと言われても、うちがやってるのは精霊石の受け皿であるコアユニットの設計とか、出力制御の効率化研究だし、ハンガーにあるのは承認テストで使われる開発用の試作品ばかりよ?いきなり爆発しても文句言わないってなら構わないけど」 「うっ、さすがにそれは……」 ともあれ、そんなわたしの脅しを含めた返答に、冷や汗を流しながら首を振るチサト。 まぁ、いきなり爆発ってのは大袈裟としても、作業中に暴走したり止まってしまう位は日常茶飯事である。 ……しかも、うちの主要取引先はエイリアスドールの大手ベンダーの一つであるαマトリクス社で、ハイエンド向けや国防用といった、高出力品の発注ばかりを受けているのだから尚更だった。 「あら〜、だったらチサトちゃんには、私のお古をあげよっか〜?」 「くぅ〜っ、ありがたい気もするけど、それもなんかムカつくからやめとくわ……」 そこで、横からエルミナが天然の笑みを浮かべながら好意の手を差し伸べるものの、チサトは腕組みをしながら複雑な顔でお断りを入れた。 「だったら、頑張って働いて買う事ね?」 とりあえず、張れる意地はあるらしいという事で、内心は微笑ましさを感じながらも、すまし顔で紅茶を啜りながら、素っ気無く突き放してやるわたし。 これからアルバイトに明け暮れても一年や二年位は軽くかかるだろうけど、そこまでして欲しいなら本物だろう。 「う〜ん、横着をする為に必死で働いて買うってのも、何だか本末転倒って気がする……」 「まぁ、分かっているならいいんだけど」 さすがにそこまでお馬鹿ではありませんでしたか、マイフレンド。 「とにかく、チサトもいずれ認定試験に合格すれば買ってもらえるわよ、多分」 「ユリナに?」 「……何でわたしよ?」 いきなり何を言い出しますか、この図々しい幼馴染さんは。 「だって、こういう時は一番大切な親友に、自分が開発した最初のDOLLをプレゼントする約束をするとか、そういう涙ぐましい展開があってもいいんじゃ ない?」 「都合のいいコトばかり言ってるんじゃないの。大体、わたしは学生のうちは学業とやりたい事に専念するつもりなんだから、当分はそんな話にはならないわよ」 まぁ、最終的にはそっちの道へ進む事にはなるんだろうけど。 「そっかぁ……。でも、将来本当にユリナが開発したDOLLが出たら、買ってあげてもいいかな」 「ありがと。その時は、お友達価格で卸してあげる」 「では、僭越ながら、私も〜」 「……うん。エルミナもありがとね」 友達としての言葉の有難みは同じなんだけど、でも彼女にはチサト分の埋め合わせに、オプション満載でお買い上げいただくとしよう。 「よっし♪それじゃあたし達はその時まで、ずっと親友だからね?」 「はいはい……。それじゃ、友情が二十年まで続いたら、陶磁器でも交換しましょうか」 ともあれ、ショートカットの髪を派手に揺らせながら、意味も無くガッツポーズを見せてそうのたまうチサトへ、わたしは苦笑いを浮かべながらも頬を緩ませていた。 「あたし達は、夫婦かっつーの……」 「まぁ、おめでとうございます〜♪」 「なんでエルミナはそんなに嬉しそうな顔すんのよ?……ったく」 「ふふっ」 わたしとて、このままこうやってチサト達とお馬鹿なやりとりを繰り返しながら積み重ねてゆく日常は嫌いじゃないし、手放す気もない。 ……ただ、それでも今の自分には何を置いてもやりたい事があるのも、また事実なのだけど。 * 「あ、お帰りなさいませ、ユリナお嬢様」 やがて、空の彩りが夕暮れのグラデーションから星空へと変わろうとした頃、チサト達と別れた後に済ませた買い物袋を抱えてライステード研究所兼、自宅に帰宅すると、キッチン近くの廊下で父の助手であるルクソールさんと鉢合わせた。 「……もう、お嬢様はやめてって言ってるでしょ、ルクソールさん」 「しかし、私も所長にお世話になっている身で、お嬢様を呼び捨てにするには気が引けますし、歳の差を考えれば普通にさん付けも何だか違和感ですしで、何かしっくりくる呼び方があればよろしいのですが」 そこで、いきなりお嬢様呼ばわりされて脱力するわたしなものの、ルクソールさんの方はいつもの飄々とした口調で切り返してくる。 「だからって、お嬢様ってガラでもないでしょ?」 箱入り娘とはまるで対極の放任主義で育てられたのもあるけど、友人筋で本物のお嬢様を知っているだけに、場違い感は尚更だった。 「とんでもない。ライステード研究所はA3創立時からの歴史を持つ、由緒正しい主要拠点の一つですし、百人を超える職員を抱えた研究開発機関の跡取り娘となれば、世間的にもお嬢様扱いで問題はないかと」 「別に、跡取りになるかはまだ決めてないし、それに店子は子も同然って諺があるでしょ?うちで働く人は皆家族みたいなものだって、父さんに言われなかったっけ?」 まぁ、それで一番扱いがおざなりになっているのが一人娘ってのも、皮肉な話なんだけど。 ……ともあれ、このルクソール・スズキ・マイヤーさんは、名門ファーレハイド大学のエレメント工学科を卒業してライステード研究所へ就職した、勤続四年目の二十六歳研究員。 長身で細身、高い目鼻立ちに常時着けている銀眼鏡が知的な雰囲気を醸し出している好青年……とは、同じくうちに勤務する女性職員の評である。 「まったく、ありがたい話です。私の様な家族も居ない天涯孤独の余所者を、所長はまるで息子の様に可愛がって下さって、誠に身に余る光栄というものですよ」 すると、わたしの台詞を聞いてルクソールさんは感涙に浸るかの様に、自分の鼻先を押さえながら首を軽く横に振り始めた。 「え、そ、そうだったの……?」 「まぁ、冗談ですけどね」 しかし、そこで本気にしかけて目を見開いたわたしの反応をあっさりと覆すと、今度は爽やかに笑ってみせるルクソールさん。 「…………」 確かに見てくれは悪くないかもしれないけど、やっぱりわたしにとっては、変わり者という側面の方が遥かに印象深い人である。 そもそも、E3のエリートコースであるファーレハイド大学からうちの門を叩いたという、経歴からして相当な変わり者だし。 「それで、今から夕食の御用意ですか?いつも外食や即席なもので済まさず、きちんと料理なされているとは御立派ですねぇ」 「仕方が無いでしょ?誰にも頼れない分、自分がしっかり栄養管理しないと」 もうベビーシッターに来てもらう歳でもないし、仕事で忙しい母親の手料理も一切期待できないとなれば、認定試験まで体調を崩さずにやっていけるかどうかは、自分の努力次第という事になる。 (出来れば、あのコは料理が出来るとありがたいんだけど……) せめて、独りぼっちのキッチンから脱却出来るだけでもね。 「まぁまぁ、ちょうど花嫁修業も兼ねていると思えば、いいんじゃないですか?」 「生憎、今はそんなつもりは更々無いから関係ないわよ。候補者もいないし」 「……ほう、流石は職人気質の所長から生まれたお嬢様ですねぇ。その若さにして色恋沙汰で浮つくこと無く研究者の道を一直線ですか。いやあ、大した器です」 「別に、そんなつもりもないんだけど……」 本気なのか、皮肉で言っているのかはイマイチ判断出来ないものの、わたしはとりあえず大袈裟に持ち上げてくるルクソールさんに苦笑いを返す。 「いやいや、今でこそ朴念仁だの唐変木だのと言われてる私とて、お嬢様くらいの頃には勉学が手に付かないくらいに夢中になった相手がいたというのに、いやはやまったく……」 「しらないわよ、そんなもん……」 (……それに、まったく恋をしていないってワケでもないのよね、これが) 実は半分くらいはわたしにも心当たりがあるというか、その対象が少しばかり特殊というだけで。 * やがて、いつものようにひとりぼっちの夕食を済ませると、わたしは久々に静まりかえった地下格納庫の奥へと向かって行っていた。 「…………」 本当はまだ、ここへ戻ってくるには少しばかり早いものの、何だか無性に顔が見たくなってしまったから仕方が無い。 (まぁ、ここらで疲れてきた心の栄養分も補給しとかないと、ね……) ともあれ、わたしは今一度周囲に誰も居ないのを確認した後で、一見普通の壁にしか見えない、ある部分へそっと右手を触れさせる。 「……うん」 すると、ほんの僅かのタイムラグの後で触れた部分が蒼白く発光したかと思うと、そこから発生した四本のラインが壁を伝って人が二人分通れる程度の扉を象り、静かに奥の部屋へと続く入り口が開いていった。 「…………」 そして、真っ暗な室内へわたしが足を踏み入れると同時に開いた扉は再び閉じられ、連動して室内の照明が点ってゆく。 所謂、隠し部屋だった。 「でも、あの時は驚いたなぁ……」 この部屋の存在を見つけたのは、九つの時にチサトとここでかくれんぼをしていたある日のコト。 昼間でもやや薄暗いのが玉に瑕だけど、静かでだだっ広い地下格納庫は試作コアのテストに使われる器が各ハンガーに収められていて、それらが入れ替えられる時以外の普段は誰も来ないので、わたし達には格好の遊び場になっていた。 「…………」 もう何度目になるか分からないかくれんぼが始まり、目をつぶって百数えているオニのチサトに見つからないように、どこか新しい隠れ場所はないだろうかと探し回っていた所で、わたしは偶然この部屋の入り口に触れてしまった。 * 「え?なに、これ……?」 わたしの目の前に広がった、他の研究室の自動ドアとは明らかに違う、まるで仕掛けられた魔法でも起動したかの様な、仰々しくも不自然な挙動。 先に続いている部屋は真っ暗だったけれど、何だかわたしの目には突然開いた扉から誘い込まれているみたいに映っていた。 (まぁ、とりあえずこの中なら絶対に見つからないかな?) ちょっとズルっぽいけど、チサトが見つけられないまま困っている所を逆に驚かせてやるのも面白いかなと、悪戯心が芽生えたのも手伝って、恐る恐る足を踏み入れてゆくわたし。 ……しかし、それから大いに驚かされてしまったのは、このわたしの方だった。 「…………っ」 暗い部屋の中へ入ると同時に照明が点灯し、一瞬で明らかになった室内の全景を見て、わたしは言葉を失い、その場で呆然と立ち尽くしてしまう。 「…………」 それは「格納庫」と表現するには、あまりに荒唐無稽な部屋だった。 まず、自分の部屋よりもやや広い室内は秘密の格納庫というよりは、研究室と表現した方がぴったりで、中には今まで見たこともない古めかしい機械類が並び、ドーム状の丸い天井には翼を生やし、純白のローブに身を包んだ女性が祈りを捧げている絵が描かれている。 「何だろ、この絵……天使、いや女神様?」 そういえば、亡くなったお婆ちゃんから、昔の人は女神様を信じていたって聞いた事があるけど、もしかしてこれがその姿なんだろうか? 「……はぁ〜……って、え?!」 やがて感嘆の溜息と共に辺りを見回しながら、部屋の中央付近に設置されている見た事の無い端末が気になって近付いていくと、不意にその横からお婆ちゃんの形見として身に着けているメダリオンに刻まれたものと同じ、確か六芒陣(ろくぼうじん)と呼ばれていた、円の中に三角形を二つ重ねたような模様が、床からぼんやりとした白銀の光を放ちつつ、くっきりと浮かび上がってきた。 「すごい……まるで、ここだけ別の世界みたい……」 一体何が起きているのかは分からないものの、とにかく異質で独特な空気を自分の肌がひしひしと感じ取っているのだけは確かで、怖さや不安感と同時に、強烈な好奇心を芽生えさせてしまうわたし。 「ん……あれは……?」 それから更に見回していくうち、部屋の奥に多数の細いパイプで周囲の機械と接続された、ちょうど一人分だけ入れる大きさのカプセルが、壁に立て掛ける形で設置されているのに気付く。 「……えっ?!……女の、子?」 正直、最初は遺体が保存されているのかと思った。 ……だって、半透明のシャッター越しに中を覗き込んだわたしの目に映ったのは、本当に人間と見分けがつかないほど精巧に造られた、エプロンドレス姿の女の子だったのだから。 「いや……多分、この子はDOLLだ……」 カプセルを含めた周囲の機械は、見た感じ棺桶でも生命維持装置の類とも思えないし、ここが遥か昔からDOLLに関する研究開発をしている研究所の中ということ、そして何より専門家の娘としてのわたしの直感が、辛うじてパニックを起こす前にそう結論付けていた。 「…………」 (でも、すごく……きれい……) しかし、それから納得出来る答えを導き出せたにも関わらず、まるで魅入られたかのように視線を釘付けにされ続けてゆくわたし。 人間で言えば、十六歳か十七歳くらいの少女を模しているみたいだけど、同じ女の子のわたしでも思わず魅了されてしまいそうな、あどけなさを残しながらも神秘的で美しい顔立ちに、カプセルの中でサラサラと揺れる金色の長い髪。 それはまるで、魔法使いによって永い眠りに就かされた、おとぎ話の眠り姫の様でもあって……。 「…………」 ぶっちゃけ、等身大のお人形として見ても十分魅力的なのに、彼女が想像通りのエイリアスドールなのならば、起動さえすればその閉じられた瞼を開き、柔らかそうな唇からは言葉を発し、そして人間みたいに動いて主の為に尽くすのである。 「すごいなぁ……」 だから、わたしはすぐに彼女の存在全てに引き込まれてしまった。 ……もしかしたら、「ひと目惚れ」というのは、こういうものなのかもしれない。 「…………」 ここから出してあげて、彼女を自分の物にしたい。 いつしか、そんな独占欲にも似た欲求が、次第にわたしの心を支配していった。 「まだ、間に合うかな?……機械は動いてるみたいだし」 ……だけど、この時点でのわたしは、あまりに無力だった。 カプセルを開けて彼女を取り出したいと思っても、まるで方法が分からないどころか、下手にイジったら壊してしまうのではないかという恐怖心が強くなり、うかつに触れなくなってしまう始末。 また、すぐ近くに置かれた本棚には古びた書物が並べられていたものの、それもわたしには全く読めない暗号らしきもので書かれていて、使い方のヒントを得るどころか、何が書かれている文献なのかすら分からずに、出てくるのは溜息ばかり。 「……ふぅ……」 (わたしも、父さんや母さんみたいな専門家になったら、いつか動かせる時が来るかな?) 正直、生まれて間もない頃からずっと両親に構って貰えない原因になったお仕事や研究なんて大嫌いだけど、でもこの子を目覚めさせる為に必要な知識なのならば……。 * 「……そして、時は流れて七年と六ヶ月、か」 やがて意識を回想から現実へと戻した後で、わたしはあの時となんら状態が変わらないカプセルの前でしみじみと呟く。 無論、試験に通らなければ次は半年後までお預けだけど、ようやく近づいてきた。 あの日に決めた、「これから頑張ってエレメントやDOLLの知識を学び、いつしかわたしが専門家と認められるほどの知識や資格を身に付けた時、今度こそ自分の手で彼女を眠りから覚ましてみせる」という誓いを果たす日が。 この室内に散乱している読めない資料の手がかりも、正式なA3会員になって、本部に貯蔵されている二百年分のライブラリを辿れるようになれば、きっと何か掴めるだろうから、その日こそが最初の一歩を踏み出す時である。 「…………」 あれから、中で見たモノの事は伏せて、両親や古株の職員へ隠し部屋についての心当たりを尋ねてみたところ、噂としては聞いていても実際には誰も入った人はいないみたいで、その為に無責任な尾ひれも付いたりしている、一種の怪談のような扱いだった。 つまり、はっきりとした理由は未だに把握していないものの、どうやら今現在でこの部屋に入ることが出来たのは、このわたしだけらしい。 「…………」 となれば、眠れるお姫様を目覚めさせる事が出来るのは、自分だけという意味にもなる。 だから……。 「もう少しだけ、待っていてね。……必ず、このわたしが呼び覚ましてあげるから」 次のページへ 戻る |