魔法少女はプリンセスに揉まれて勇者となる その1
序章 飛べない少女とお節介焼きの姫君
「あら……?」 王都から街路を抜けて人里離れた山岳地帯へと向かう馬車の中、ぼんやりと肘を立てつつ眺めていた窓の向こうの青空から、一羽のひな鳥がおぼつかない勢いで飛ぶ姿が目に入ってくる。 (……よしよし、頑張れ。風の精霊の加護をキミにってところかな?) おそらく、まだ巣立って間もないんだろう。 これから広大な自然の中で餌の確保や身の守り方を覚えつつ、さらに仲間や伴侶を得て一人前になっていくのかもしれないし、もしくは運が悪ければあえなく落命してしまうのかもしれない。 「…………」 もちろん、そんな摂理は私の住む世界でも、あのコの住まう異界でも同じこと。 ……ただ、人間の社会ならば巣立たなくたって生きていける道もあるし、その方が安全で楽に暮らせるかもしれないから、そういった立場の者に羨望が向けられがちでもあるんだろう。 けれど……。 「ふーう……」 (だからって、自分で選ぶ機会すら与えられないってのも、考えものなのよねー……) 「……お疲れですか、姫様?ですが、アーヴァインの里へは間もなく到着いたしますので……」 「ええ、分かってる。もう、何度通っているかなんて覚えてらんないくらいだしね?」 ともあれ、目的地へ近付くにつれて激しくなる揺れにお尻が痛くなるのを我慢しつつ、言葉には出来ない呟きをため息と共に流したところへ、向かい側から御付のメイドに声をかけられたのを受けて、私は窓の外へ視線を向けたまま素っ気無く言葉を返す。 「こ、これは失礼致しました。ですが……」 「あは、気にしないで。それより今日もお役目ご苦労さま、エミリィ?」 しかしすぐに、ついつい言えない感情が乗ってしまい、いささか八つ当たりな対応をしてしまったのを後悔した私は苦笑いを見せつつ視線を戻すと、趣味で着させている少々フリル過剰なエプロンドレスに身を包んだ可憐な少女が、縦揺れする車内でカーテンの裾を掴みつつ健気に堪えていた。 お忍びというコトで行幸用の大きな馬車じゃないのもあるけれど、ここまで来てしまえば整備などされていない獣の山道である。 「は、はい……っ、姫様もこの様な辺鄙な場所へいつもいつも、本当にご苦労様です……っ!」 「ま、これが私のお役目だしねー。それに、外遊担当の姉様と比べばまだ楽なものよ?」 それに、やっぱり言えないけれど、私にはこの隠れ里へ通うべき個人的な理由もあるし。 「あ、見えてきました……!そろそろ降りるご準備を……あわわわっ?!」 「むしろ、身支度が必要なのは貴女の方かしらね?スカート捲くれて丸見えよ?ふふ」 「ひぇぇっ、み、見ないで下さい……っっ」 「…………」 ともあれ、一国を治める王家にとっては、“勇者”と称えられる一族の定住は願ってもない僥倖だった。 もちろん、彼らの存在は時として災いの種となる場合があろうとしても、それが一千年程の昔に魔界より数多の軍勢がこの大陸全土へ侵攻して来た際、魔軍を自ら率いて蹂躙の限りを尽くした魔界の王へ戦いを挑み、聖霊の加護と共に退けてみせた伝説の勇者ともあれば尚更で、ただ居てくれるだけでも内外で様々な恩恵をもたらしてくれるものである。 「……おお、これはルミアージュ姫様。ようこそ御足労下されましたな」 「ごきげんよう、アーヴァイン卿。久方振りに兄妹が揃ったと聞いて訪ねてみたけれど、二人とも健勝みたいね?」 やがて、辿り着いた馬車乗り場から降りて向かった鍛錬場で勇者家当主の出迎えを受けた私は、恭しく頭を下げてくる彼の後方で繰り広げられている、訓練用の剣を手に目にも留まらぬ激しい打ち合いを続ける美丈夫な男性二人と、その傍らで自分よりも年下の頼りなさそうな男の子が兄達の動きを必死で追いかけている光景を目にして苦笑いがこぼれてくる。 修行中の末っ子のアンゼリク君を除いて、里を出て独立済みの仲良し兄弟がせっかく半年振りに再会したというのに、相変わらず言葉じゃなくて腕前で語り合っているのが彼らの流儀みたいだった。 「うおっと……!へっ、流石は兄貴だ隙がねぇッッ!」 「フッ、お前も怠ってはいない様だな?だが、まだこんなものではあるまい?」 「ったりめえよォォォォォ!!」 (……やれやれ、せっかくマイルターナの白百合姫が来てあげたのに、二人で楽しそうね?) まぁ、らしいといえばらしいのかもしれないし、私の都合としても重畳なコトだけど。 「未熟者な息子共なれど、勇者たるもの頑丈さを取り柄とするべく育てておりますからな」 「……未熟者って、今やり合っているあの二人も含めてのお話かしら?」 聞くところによれば、“神速の貴公子”の二つ名を持つ長男のフレデリクは大陸屈指の軍事大国、ギルサーク皇国で若くして騎士団長を務め、次男の“竜殺し(ドラゴンバスター)”ことシャムロックは冒険者ギルドの英雄的存在としてこちらも勇名を轟かせているというのに。 「アーヴァインの名を受け継ぐ勇者が求められる領域はこの程度ではありますまいよ。今は老いたりもこの私とて、かつては伝説に残る幻獣狩りを趣味としていたものですからな」 「そういえば、前に見せて貰った宝物庫には、それらしき戦利品が沢山あったわね……」 うちのいくつかは、城にも献上されているはずだし。 「ま、それはともかくとしまして、せっかく姫様がお見えになられたのですから、そろそろ愚息達にご挨拶でもさせましょう」 「いえいえお構いなく。せっかくの水入らずな語らいを邪魔しちゃ悪いし、終わった後でいいわ」 とにかく、そんなこんなで国王である父は歴代王家の意思に従い、士官こそ断られ続けながらもアーヴァイン家へ無条件での庇護を与え、王族の娘である私も、こうして勇者一族の幽棲する隠れ里へ足しげく慰問する役割を負っていた。 ……そして、いつしかやがて彼らの誰かが当代勇者を襲名し、残った二人のどちらかへ王家の悲願を果たすべく私が差し出されるらしいけれど、まぁそれはどうでもいいとして。 「では、娘に茶の用意でもさせましょう。しばしお待ちを」 「いいえ、これから会いに行くつもりだったし、それには及ばないわ。それよりアステルちゃんは今何処にいるのかしら?」 それから、矛先がようやく本命の相手へ向けられたのを受け、アーヴァイン卿が手を上げて使用人へ伝言を命じようとしたのを制して尋ねる私。 「おそらくは、書庫か魔法研究室にでも籠もっているものかと。……まったく、自由に使って良いと許可を出した覚えはないのですがな……」 「けど、こんなトコロじゃ他にやることもないでしょ?娘はアステルちゃん一人でお兄さん達は日々修行に忙しいんだし」 しかも、母親が二年前に病気で他界した今は尚更だろう。 「む……しかし……」 「まぁいいわ。とにかくアステルちゃんには私から頼んでお茶を淹れてもらうから」 「面目ありませぬ……ならばついでに、もう少し親の言う事を聞いて花嫁修業の方へ打ち込むように姫様の方からも諭しておいていただけますかな?」 「……ええ、気が向いたらね?んじゃ行きましょ、エミリィ」 尤も、残念ながら気が向く可能性は限りなく低いだろうけれど。 「は、はい……!では……」 ともあれ、ここで言い合っても始まらないので、私は曖昧な返事と笑みでお茶を濁し、鍛錬場から背を向けて足早に立ち去っていった。 「さて、いるかな……?」 やがて、鍛錬場を出て勝手知ったる足取りで書庫を経由して魔法研究室の前まで出向くと、入り口の扉が半開きになっていて、中からは何やらゴソゴソと音が聞こえてきていた。 「…………」 (アハ、いたいた……) そこで、ほぼ間違いないだろうと確信しつつも敢えて音を立てない様にこっそりと覗き込んでみると、研究室の中央付近で髪を縛ったお目当ての小柄な女の子が、魔法の杖を手に夢中で何やら没頭している後ろ姿が目に入る。 (さーて、一体何をしてるのかしらん?) とりあえず、まだ声はかけずに観察してみると、大きな六芒星が描かれた床の上で前かがみになっているあのコの前には、以前にお誕生日プレゼントとして私があげた魔女の格好をした猫の縫いぐるみが置かれ、その傍らには古い魔法書が開かれていて、どうやらそれを見ながら右手の魔法の杖をタクトみたいに振るいつつ、詠唱を続けているみたいだった。 (お……) それから程なくして、杖の先からウイッチハットを被ったぬいぐるみの頭上へ光のようなモノが降り注がれたかと思うと、まるで命でも吹き込まれたように二本足で立ち上がった。 「やった……できた!」 そして、その成果に魔法をかけた少女も可愛らしく喜びを弾けさせた後で、今度はすぐ近くのテーブルの上にあったオルゴールの螺子を巻き始めたかと思うと……。 「〜〜〜〜っ♪」 やがて広い室内へ響き始めた心地よくも綺麗なメロディと共に、立ち上がった縫いぐるみの猫が踊り始め、更に術者の少女もそれに合わせてフリフリと華奢な身体を可憐に揺らせてゆく。 「…………っ」 「……姫様、鼻血出てますよ……?」 「あー、回復魔法で適当に止めといて、エミリィ」 その後、我が心の妹のあまりの愛くるしい姿に暫し目を奪われ続けているうちに、一緒に覗いていたお付きのメイド兼、宮廷魔術師からひそひそ声で指摘を受けておざなりに返す私。 「……もう、いっそ鼻の穴をお塞ぎしましょうか?姫様……」 「何でも敬語口調で言えば許されると思わないでよ……って、それよりもアレってやろうと思えば難しいのかしら?」 「なかなか難しいですよ?エレメントのチカラを吹き込んで短時間だけ操る、簡易ゴーレム生成の魔法なんですが、お手軽な効果の割にそのレシピは複雑ですし」 「ふ〜ん……」 「……そういえば、あのお人形って先月に十三歳の誕生日を迎えたお祝いに姫様がお与えになったものですよね。アステルお嬢様はいつから魔法を?」 「んー、幼い頃から精霊と一人遊びをしていたのはよく見かけたんだけど、書庫に篭って熱心に読書するようになったのは母親が亡くなった後だから、まだ一年くらいかしらね?」 おそらく、色々思うトコロや悲しみを紛らわせるためでもあったんだろうけれど。 「その歳で、そんな短期間にもう全てのエレメントを使いこなしているとは……やっぱり血は争えないということですか」 「……ね、見込みがあると思わない?少なくとも、こんなトコロで燻ってるのは勿体ないわよね」 「姫様……もしかして、何か悪巧みでも?」 それから、魔法仕掛けのぬいぐるみと踊り続ける彼女の背中から滲み出る儚さの色を感じ取ってきた私がぽつりと水を向けると、エミリィはじと目で察した様な言葉を返してくる。 「人聞き悪いなぁ。私はいつだって幼気で可憐な女の子の味方よ?」 特に、背中の翼を雁字搦めに縛られて動けないでいる囚われの少女には、ね。 「……いずれにせよ、私としては可能な限り姫様の御意のままに、ですけど」 「ふふ、ありがと」 そして私は、エミリィに向けて片目を閉じて先に下がらせると、サプライズのタイミングを見計らって静かに自分が入れるだけの扉を開き……。 「〜〜〜〜っ♪」 「ふふ、ダンスのパートナーにするほど気に入ってくれてたんだ、その縫いぐるみ」 「…………っ?!」 やがて、オルゴールの音にかき消されて未だこちらに気付いていない隙を突き、背後近くまで接近したところで不意打ちをかけると、小さくも大きな魔法少女の卵は背筋を逆立てて動きを止めた。 「ひ、ひ、ひめさま……?」 「やっほー、アステルちゃん。今日も可愛いわねぇ?」 「いや、これはその……」 それから、思った以上の反応に噴出しそうになるのを抑えつつ、なるべく冷静な笑みを見せて名を呼ぶと、 幼気な魔法少女は可憐な丸顔を真っ赤にさせながら、しどろもどろに視線を泳がせてゆく。 ……いやホント、可愛すぎるんだから。 「けど、踊りを覚えたいのなら、言ってくれれば私がいつでも相手になってあげるのに」 この際ぶっちゃけてしまえば、私がこのお役目に文句一つ言わずどころか自発的に足しげく通っているのは、他でもない目の前のコの為なのだから。 「で、でも……」 「それとも、魔法の練習の方が主目的だった?何だかどんどんウデを上げてきてるみたいだし」 「…………」 (ふむ……) 「……なるほど。やっぱりアステルちゃんも、いつかは勇者様みたいになりたいってコトなのかしらねぇ」 「ううん……女のわたしは修行なんてしなくていいって言われてるから……」 そこで、相手の沈黙に秘められたフクザツな感情を察して私が水を向けると、アーヴァインの末裔の少女は淡々と首を横に振ってきた。 (…………) 以前にも私から似た言葉を向けられて同じ返事を口にしていた時は悲憤に満ちていたけれど、今はそれすら通り越した絶望の様な感情が痛々しいくらいに伝わってくる。 「そう……。なら、他になりたいものってある?」 「……わかんない……」 それから、更に続けた次の質問も、やっぱり同じように首を振ってくるアステルちゃん。 「わかんない、か……」 「うん……」 「…………」 でも、きっとそんな投げやりな心は本意なんかじゃないはず。 ……ただ、魔法の勉強などより花嫁修業というその先に待つ運命を自覚していて、それでも現状では逃れられないという諦めの気持ちに支配されているから、目を逸らせるしかないのだ。 「……ならば、きっとこの私が道を示してあげるわ」 そして、そんな姿を見てきて幾年月、ここで遂に我慢の限界を迎えた心地になった私は、悩める妹の頭に手を置いて静かに、しかし断固とした意思を込めてそう告げてやった。 「え?」 「王族だろうが平民だろうが、きっと誰もが何かを成し遂げる為に生を受けるものよ。もちろん、勇者の一族に生まれた継承権のない女の子でもね」 「……わ、わたしも……?」 「もちろん。……けれど、自分で選ぶコトから逃げていたら何も出来やしないし、決して幸せなんてやっては来ない。ね、これだけは覚えておいて?」 「わたし自身が、逃げてたら……」 「勇者一族の教えには戦術的撤退はあっても、“逃げる”という言葉は無いものでしょう?……だから、そろそろ勇気を出して一歩踏み出すコトを考えてみましょうか」 「…………」 「大丈夫、私にとってはアステルちゃんだって勇者様の一人なんだから」 たとえば、勇者一族に嫁ぐ予定にされている私がもしも相手を選ばせて貰えるのならば、このコがいいと躊躇いなく言えるくらいに。 尤も、アステルちゃん相手なら私が貰う形の方がしっくりくるだろうけれど。 「う、うん……」 「よろしい。それじゃあ、まずはアステルちゃんの本音をぶっちゃけてもらいましょうか?もちろん、ここから先は二人だけの秘密で」 すると、ようやく遠慮がちながら前向きに頷いてきたのに満足感を覚えた私は、華奢ながら兄達と変わらぬ才覚を秘めているはずの身体を抱き寄せて密着させつつ、耳元で内緒話を切り出してゆく。 「わ、わたしは……姫さまとこうやってお話してる時間が大好きで……その……」 「もー、そういうコト言われると私の方から問答無用でお持ち帰りしたくなっちゃうじゃない?……それで他には?」 「……う、うん、えっと、わたしね……?」 「…………」 「…………」 第一章 やっぱり宿命なのかもしれない 「…………」 「……んぁ……?」 やがて、ふと意識が呼び覚まされて瞼を開くと、自分の字でぎっしり埋められた帳面や読みかけの参考書が目に入り、少し遅れて右手の先から細いモノが零れ落ちて小さな音を立てる。 「……?あれ……」 「……っ、しまった……!」 程なくして状況を把握するや、うつ伏せていた上半身を慌てて起こすと、学習机の向かいの窓から薄いカーテン越しに差し込む柔らかな陽光が、呆然とするわたしへ向けて皮肉っぽく朝の到来を告げてきていた。 「……うぁーやられた……」 その後、ルームメイトのお気に入りである桃色の可愛らしい壁時計の針を見やって思わず頭を抱えてしまうも、既にあとの祭り。 眠気で集中できなくなった時はいっそ少しだけ仮眠を取れば楽になるという友達の言葉を思い出して試してみれば、まさかそのまま寝落ちしてしまうなんて……。 (昨晩は徹夜のつもりで補助魔法(エンチャント)かけてたのになー……) それから、長時間枕にしていた腕の痛みと、外から聞こえるわざとらしい小鳥の鳴き声を背に、わたしは腹立たしいくらいにスッキリとした気分で暫く固まってしまうものの……。 「…………」 「まぁ、いっか……」 けど、今更あの時にどうしておくべきだったかを蒸し返しても仕方がない。 魔法で一時的に増強したといっても、あくまで心身を活性化させるだけで疲労そのものを取ってくれるわけじゃないから、今のわたしはあそこまでが限界だったということだろう。 (……勇者たるもの、常に先へ道は存在するという信念を忘れることなかれ、か) 代々伝わる我が家の家訓のひとつだけど、それでも最低限やるコトはやった後だし、肝心なところで居眠りしてしまうくらいなら、まだこれで良かったと思った方がマシかもしれない。 ……奨学金頼みで通学している身でホントにそれでいいのか自信は無いけど、たぶん。 「…………」 (……それにしても、何だか懐かしい夢を見てたような気がする……) あれは確か、自分が今こうしているきっかけになった日の……。 「ん?ああ、これのせいかな……?」 ともあれ、それから何となく寝落ちの間に見ていた夢の内容を思い出し始めつつ散らかった机の上に視線をやると、半分はみ出して押し出されかけていた一通の便箋が目に留まる。 つい昨日届いたばかりの、わたしの生まれ故郷を治めるマイルターナ王家の家紋が入った、ルミアージュ姫さまからの三度目に届いたお手紙だった。 (……大変なのは今日で終わりだし、その後はまずお返事を書かないとなー……) そこで、落ちる前に拾うついでに改めて目を通してみると、アステルちゃんなら自分のチカラできっと一目置かれる存在になるという励ましや、もうすぐ夏休みだけど予定はあるの?といった他愛も無い問いかけに、卒業後は姫さま付きの宮廷魔術師のポストもしっかり用意しておくからという、お世辞なのか本気なのか計りかねるお誘いの言葉などが綴られていた。 あとは、こちらで出来たお友達によろしくねというお約束で締めくくられていたけど……。 「姫さま付きの宮廷魔術師、かぁ……」 まぁそんな気軽に言われても、そもそも宮廷魔術師として召抱えられる自体が言うほど簡単じゃないんだけど、それでも今のわたしには大きな励みになっているのは間違いない。 ……というか、なったから徹夜で最後の追い込みをかけようと思ったんだった。 「さて、がんばらなきゃねー……」 ルミアージュ姫さまは幼い頃からわたしの姉を自称して何かと気にかけてくれてきた大恩人だし、いつか報いる為にも期待を裏切るわけにはいかない。 というワケで、これから待ち受ける最後の試練を前に、わたしは改めて決意の炎が湧き上がるものの……。 「……おっと……」 けど、その前に毎朝のお勤めを果たさなきゃ。 「ん……っと、ありがとね?」 とにもかくにも、わたしは両腕をめい一杯伸ばした後で久方ぶりに腰を上げ、夜は明けたのに机の上を律儀に照らしてくれていたランプの中の光と火の精霊を解放し……。 「さーて……」 続けて、部屋の隅のベッドで未だお布団に包まったまま惰眠をむさぼっているルームメイトのもとへと静かに近づいてゆく。 「……すー……すー……」 それから、ベッドの傍らからあんまり頑張ってなさそうな眠り姫の様子を覗き込むと、さらさらとした綺麗な長い髪を乱しつつ、指で挟んだ教科書を片手に無邪気な寝顔を見せていた。 (でもまぁ、努力しようとした痕跡は一応ある、のかな……?) 相変わらず、自然に目が覚めるまで眺めていたくなる癒しに満ちた可愛らしさなんだけど、とりあえずわたし以上に最後の追い込みが捗っていなさそうなのは間違いない。 ……もっとも、このお姫様と自分じゃ立場が違うから、これで別に問題はないとしても。 「ほらリセ、そろそろ起きる時間だよ?」 「……ん……っ」 ともあれ、まずはいつもの手順に従ってに肩を揺らせながら呼びかけてみるものの、僅かに表情を歪めただけで起きる気配はなし。 ……むしろ、気持ちよく眠ってるんだから邪魔するなとでもいいだけな反応だった。 「もー、今の期間くらいはすんなり起きてよね……」 「……んー、もうちょっとだけ寝たい……」 「だめに決まってるでしょ?特に今日までは絶対に寝坊が許されないんだから、ほら起きて」 むしろ、不安と緊張で寝付けないコも多いだろうに、図太いというかなんというか。 まぁ、それもある意味大物の証なのかもしれないけど。 「…………」 しかし、それでもこのワガママ姫は聞き入れるどころか、あろうことかわたしから背を向けてしまった。 「ちょ……?!」 普段はそんなに困ったちゃんじゃないんだけど、寝起きの悪さはホント手を焼かされっぱなしである。 (……止むを得まい、久々に強硬手段を使うか……) ともかく、このままじゃ埒があかないし、少々イラっともきたわたしは、サイドテーブルの上にある飲み水の入った瓶のコルクを抜いて、風の精霊の力を借りて少々吸い上げると、急速に冷やして固形に変えてやり……。 (ていっ、堕落への氷槌っ) 「…………っ?!」 そして、生成した氷をそのままターゲットの首筋へ向けてぽたりと落としてやると、リセはびくんっと大きく背筋を反り返らせて悶絶した後で、ようやく上半身を起き上がらせてきた。 「おっはよー、今度こそ目が覚めまして?」 「……ひどい……」 それから、してやったりな笑みを見せつつ改めておはようを告げてやるわたしに、眠り姫は上目遣いで恨めしそうな顔を見せてくる。 「だって、こうでもしないと起きそうもなかったから」 大きな音を立てる系だと、隣部屋の生徒にメイワクだし。 「……寮内で学友相手に攻撃魔法を使うの禁止……」 「んー、攻撃ってのは敵意を抱く相手にするものでしょ?」 「……んじゃ、愛情表現……?」 「いやいや、それはそれでおかしな方向になっちゃうから、他愛ないイタズラくらいで」 だから、頬に両手を置いてぽぽっと赤らめられても困ります、お姫さま。 「いたずら……」 「とにかく、着替えを持ってきてあげるから起きた起きたっ」 本当は、いつまでもこうやって何でもやってあげているのも良くないんだろうけど、今はもう言ってらんないし……。 「まったく、こうしてる間にも時間は……ひぁっ?!」 しかし、そう言ってクローゼットへ向けて踵を返したところで、不意に臀部の辺りに小さくて柔らかい感触が触れてきて、思わずヘンな声をあげさせられてしまうわたし。 「いたずらにはいたずら返し……でも、いい反応……」 「こ、こらぁ……っ」 それはイタズラじゃなくてセクハラっていうんですけどね、リセ姫……。 * 「ほら、早くしないと朝ごはん食べる時間無くなっちゃうよ?」 「……おなかすいた……」 やがて、まずは自分の着替えを手早く済ませたあとで、スカートも履かないままブラウスのボタンをもたもたと着けている相方の髪を櫛で整えてやりつつわたしが毎度の小言を向けると、まだ寝起きのぼんやりとした表情のお姫様は返事代わりにお腹の虫を鳴らせてくる。 「あはは、みたいだね……」 相変わらずだらしないというか無防備というか、わたしの知っているもう一人のお姫さまはいつも身なりを完璧に整えた綺麗で凛々しい、まさに絵に描いた様なプリンセスだったのに。 「でも、食事を出してくれる寮で良かったけど、そうじゃなかったらどうなってたのやら……」 「……だいじょうぶ。アステルがいるから……」 「うんまぁ、わたしはずっと家族の分までやってきたから問題ないけどさぁ……」 ただ、こういう一人じゃ何も出来ないダメダメっぷりも、またお姫様っぽさの一つかもしれない。 ……とはいえ、このリセリア姫がどこの国のプリンセスなのかは、実はわたしも未だに知らなかったりはするんだけど。 「…………」 リセとの出逢いは、ここの入寮日だった。 念願だったアルバーティン魔法学園からの合格通知がルミアージュ姫を経由して届けられ、入学を巡って父親と最後の大喧嘩をした挙句、荷物をもてるだけ背負ったままひとり出てきたおのぼりさん状態で、あの日のわたしは広大な敷地を彷徨いまくっていた。 「あーもう、広すぎ……」 入学試験を地元で受けられたお陰で下見が出来なかったのも失敗だったけれど、世界最大の規模を誇る学び舎と聞きつつ、お城のすぐ近くにある王立大学の何倍という基準で考えていたら、まさか城下町に匹敵する敷地面積だったなんて。 「ううう……」 ……しかも、全寮制なのに五万人を越える生徒が在籍している為、その居住区だけでも途方にくれてしまいそうな広さという。 「はぁ……」 とにもかくにも、さっさと荷物を下ろしたい気持ちを抑えつつ、まずは受付で寮生管理部署での手続きが必要と言われ、渡された簡易な地図と曖昧な説明を頼りに指定された場所へ向かっているものの、建物内部も数多くの塔やら校舎が網の目の様に張り巡らされた通路で複雑に繋がっていて、もう随分長いこと歩き詰めになっている状態である。 ……というか、おそらくどこかで道を間違えているんだろうけど、背中に負ったでっかい荷物が悪目立ちしてすれ違った他の生徒がちょくちょく二度見はしてくるものの、声をかけてくれる者は皆無だった。 (冷たいなー……) ……いや、むしろこっちから声をかけられない自分が情けないというべきかもしれないけど、今まで人里離れた山奥の隠れ里で暮らしていて、亡くなった母親と時々会いに来てくれていた姫さま以外に親しい相手もいなかった身としては、それもいきなり難易度の高いミッションではあったりして。 「はー……」 そこで、自然と再び溜息が漏れてしまうものの、これがわたしの選んだ道。 今はただ、幸せは自ら道を選んで踏み出した者に訪れるという姫さまの言葉を信じて……。 (えっと、とりあえず……) 「…………」 「……え……?」 そんな中、やがて本格的に現在位置が分からなくなり、一旦立ち止まって構内マップを確認していたところで、誰かに後ろから袖をぐいっと引っ張られてしまう。 「な、なに……?」 「……寮生課までのみち、教えて……」 振り返ると、なにやらお嬢様っぽい上品な雰囲気を纏った長い銀髪の小柄な女の子が、ルビーみたいな瞳を潤わせながら、困っているような顔で上目遣いに泣きついてきていた。 手には自分ほど大荷物じゃないけど旅行鞄を持ち、着ているのも同じく私服なのを見るに、どうやら似た様な境遇らしいんだけど……。 「……それがね、わたしも入寮手続きに向かってる最中なんだけど、同じく迷い子なの」 ただ、そんなものはむしろこっちが教えて欲しい状態だし、せっかく話しかけてくれた相手につれない返事をするのもすごく無念なんだけど、迷っている心細さは同じくよく分かるので無責任なコトを言うわけにもいかず、正直に答えつつ肩をすくめて苦笑いを返すわたし。 「そう……」 「うん、役に立てなくてごめんね……」 あーあ、せっかく最初のお友達を作れるきっかけだったかもしれないのに。 と、めぐり合わせの不運を呪いたくもなったわたしだったものの……。 「…………」 「……なら、せめてここからは一緒に……」 しかし、相手の女の子は少しの沈黙の後で右手を差し伸べつつ、わたしに提案を向けてきた。 「え……?」 「ひとりぼっちより、ふたりの方がちょっと安心……」 「う、うん……そーだよね?!」 そして、続けられた言葉に何だかすごく救われた心地がして、何度も頷きながら両手で差し出された手を取るわたし。 正直、迷い子同士じゃプラスにならないかもしれないけど、でもそんなのは問題じゃない。 「んじゃ、めでたく二人パーティになったところで、改めて踏み出しますか」 「……よろしく……でも、それ重くない?潰されそう……」 ともあれ、消沈しかけていたやる気に再び灯がともってきたところでクエスト再開を宣言するわたしに、女の子は不思議そうな顔で背中の膨れ上がった荷物へ視線をやってくる。 「ん?まぁマトモに背負ったら重いだろうけど、精霊に手伝ってもらってるから、全然へーき」 具体的にいえば、土の精霊のチカラを借りて重力を少しばかり操っているので、見た目に反して背中にかかる重量感は無いに等しかった。 「……おお、新入生なのにすごい……」 「えー、むしろこのくらいは当たり前に出来ないと入学はムリって思ってたんだけどね……」 そうしたら、存外に高い評価を受けて合格できてしまったので、少々拍子抜けはしてしまったんだけど。 ちなみに、重力を操る際に風属性とよく勘違いして上手く行かずに潰されたり途方にくれるのは、割と初心者あるある。 「…………」 「あ、そーいえばまだ名乗ってなかったっけ。わたしはアステル。アステル・F・アーヴァイン」 「……リセリア……リセでいい……」 ともあれ、それよりまだ一番肝心なコトを忘れていたわたしが自分の名を告げると、相手の女の子も躊躇いがちに応えてくれた。 「リセね。……えっとさ、これから無事に目的地まで着けたらでいいけど、良かったらわたしとお友達になってくれないかな?」 「……いいけど、そういうのは何だか不吉……」 「いやいやいや、戦場じゃないんだから……あはは」 「うふふ……」 そして、そのまま念願だったお友達になる流れも作れて、まずは喜んだんだけど……。 「…………」 (でも、ここから更に驚きの連続だったんだよね……) それから、しばらく二人で楽しく迷った挙句にようやく目的の寮生課を見つけて一緒に入寮手続きをしたんだけど、これが信じられないコトに同室の相手だったという。 ……そして、そんなあまりにも合縁奇縁な出逢いのお陰もあって、最初に知り合えた学友と親密な関係となってゆくのに時間はかからなかった。 正直、運命なんて言葉は好きじゃないんだけど、それでも信じる気になってしまったくらい。 「…………」 ただ、この数奇で幸運な邂逅にはいくつかの想定外もあって、まずはこのいかにもお嬢様な風貌のルームメイトは一人じゃ殆ど何も出来ない、超が付くほどの生活能力に欠ける箱入り娘だったということ。 それで、とりあえずできる範囲のコトはしてあげつつも途方にくれかけた最初の夜に寮長が部屋まで訪ねて来て、実はリセはお忍びで単身留学してきた、詳しくは話せないけどさる国のやんごとなき姫君という驚きの事情を告げられてしまい、わたしにはルームメイトになった縁でプリンセスの世話係を請われる羽目となってしまった。 (ん〜〜……) そんなワケで、結局は誰かの世話を焼かされ続ける日常という意味では、根本的なトコロはここへ入学する前とあまり変わらないかもというオチが付いてしまったものの、それでも相手が父親と兄三人の男ばかりだった実家と比べれば雲泥の差である。 こっちのお姫様は素直で可愛いし、いい匂いもするし、それに髪もさらさらで手触りいいし、肌もぷにぷにで柔らかいし……。 「……?……」 (いやいや……) ……とにかく、そんな出逢いから数ヶ月が経ち、最初はそれこそ下着のつけ替えから手伝っていたレベルだったのが、このままでは良くないと一つずつ教えていった甲斐もあって、今はゆっくりながら自分で着替えられるようになっているから、これでも着実に進歩はしてきているのである。 「まぁ、ご飯の用意まではいいとしても、せめて自分で起きられるようにはならないとね?」 「……ん、努力はしてみる……」 「んで、いつしかリセがわたしを起こしてくれる日が来れば、晴れて卒業かな?」 今はまだ、妄想ですら頭に浮かびにくいけど。 「……でも、アステルはいつも寝起きいい……」 「そういえば、何故か寝坊とは無縁なんだよねぇ、わたし……」 その理由は未だに分からないんだけど、確かにわたしって小さい頃から起きなきゃいけない時間にきっちり眼が覚めてしまう、目覚ましいらずの体質だったりしていた。 「……もしかしたら、それって精霊の加護かも……」 「そうなのかな?」 「うん……人間には精霊から愛される者もいるってきいてる……」 (だったら、昨晩の寝オチも防いで欲しかったんだけど……) もしかしたら、逆にあれは精霊からの寝不足への気遣いだったのかしらん?……なんてね。 * 「うわ、のんびりしてたらあんまり余裕なくなっちゃったかも……」 ともあれ、やがてたっぷりと時間をかけて着替えと洗面を終えた後でわたしはリセの手を取り、一階の食堂へと早足に向かっていた。 机に伏したまま目覚めた時点ではいつもの起床より早めの時刻だったので、起こすだけ起こした後はあまり急かしたりはしなかったものの、一人の時と違って二人でお喋りしながらだとあっという間に時間が過ぎてしまうものである。 「……ごめん……」 「いやいや、今さらそんなの気にする仲でもないでしょーに」 すると、手を引かれながらしおらしく謝ってくるリセに、振り返りつつ苦笑いを返すわたし。 「……でも、アステルの邪魔になってない……?」 「なるわけないってば。というか、ぶっちゃけそこまでガツガツもしてないつもりだし」 厳密には全く支障が無いわけでもなかろうが、少なくとも最初に得られた大切な友達を見捨ててまで得たいモノなんてない。 「徹夜で勉強してたのに……?」 「あー、あれもどのくらい準備しといたらいいのか加減が分からなかっただけで、べつに学年のトップを狙ってるとか、そういう野望も無いから安心して」 「……だったら、アステルはどうしてここに……?」 「ん〜……ぶっちゃけ、あの環境から抜け出せるなら何でも良かったのかも……」 「…………?」 あの日々が地獄だったとまで言う気はないけど、遥か昔に世界を救ったとされる伝説の勇者を先祖に持つ四人兄妹の末っ子で唯一の娘だったわたしのこれまでは、母や数少ない使用人のみんなと共に、アーヴァインの勇名を維持するため厳しい修行に明け暮れる兄達の世話をするだけの存在だったから。 しかも、十二の時に母が過労と無関係とは思えない病で亡くなって、以後はその分までわたしが背負うことになり、それ自体が重荷だったのもあるけれど、何より辛かったのは、そんな灰色の日々の先に待つ将来が、一族の繁栄の生贄としていつしか親の決めた誰かのもとへお嫁に差し出されると知った後だった。 ……だから、兄達に遊び相手になってもらえず幼い頃からひとり精霊と遊んでいたわたしは、時おり慰問に来てかまってくれていたルミアージュ姫さまからここアルバーティン魔法学園への入学を薦めてくれたのをきっかけに、魔術師を目指して本格的に勉強することに決めたわけだけど……。 「……家族と、うまくいってなかった……?」 「家族というより、自分に流れる血と……かなぁ?」 それで、予想通り親に猛反対されつつも姫さまの力添えもあり、奨学金を受け取れる程度の成績で合格に漕ぎ着けられたわたしは家出同然に飛び出してきたこともあって、もう後戻りは出来ない重圧はあるものの、少なくとも今の時点で後悔はしていない。 なぜなら……。 「おーい、ご両人こっちこっちー!」 やがて、リセを連れて入り口が解放された広い食堂へ入ると、中でいつもみたいに待ってくれていた、快活そうなのといかにも優等生なメガネっ子の友人二人がこちらへ向けて手を振ってくる。 「おはよう、アステル、リセ」 「おはよ、ロザリーにレネット……って、ご両人はなんか恥ずかしいからやめて……」 そもそも、わたしとリセの関係ってカップルというよりは親子に近い気もするし……。 「けど、ルームメイトだからって、いっつも手を繋いで移動してるペアなんて他に見ないしさー」 「ああ、これはクセみたいなもんだから……リセも当たり前に繋いでくるし」 「……うん、こうしてるとあったかくてほっとする……」 「や〜れやれ、やっぱお熱いこって」 「だから、別にそんなんじゃ……」 「まぁまぁ、とにかく座ったら?私達も先に食べないで待ってたんだし」 「へーい、そうだろうと思ってちょっと急いで来たんだけどね……」 「……うん、おなかすいた……」 「…………」 そんなこんなでちょっと騒がしいけど、まず念願のひとつは早速叶えられたから。 「……あによ?ニヤニヤして」 それから、二人が確保してくれていた席に誘導されつつ、思わず頬が綻んでしまったわたしに、くせっ毛のショートヘアが性格もそのまま現している二人目の友人が怪訝そうに絡んでくる。 「いや、レネットは今日も元気だなーってね」 「……あ、さてはなんか失礼なコト考えてたな?」 「んー、違うけど心当たりでもあるの?」 「むぐぐぐ……」 「あはは、ちょっと別のコト考えてただけだから」 こうやって、同世代の女の子の友達に囲まれて、騒々しくも楽しい時間を過ごせる。 ……これも、わたしが家を飛び出してまで得たかったモノの一つだった。 「……ところで、なんかほっぺたに跡が付いてるわよ、アステル?髪もぼさぼさだし」 ともあれ、ようやく四人揃ってテーブルの上に用意されていた朝食にとりかかっていた中で、今度はレネットの幼馴染みで芋づる式に友達になってくれたロザリーが、懐に忍ばせていた櫛をこちらへ差し出しながら話を向けてくる。 「うんまぁ、昨晩は机の上で寝オチしちゃってさぁ。ふぁぁ……」 おかげで、目が覚めた時は妙にスッキリしてたけど、でもやっぱりしかるべき場所でしっかり寝ていない分、疲れが抜けきっていないみたいであくびが漏れてしまう。 「……むぐむぐ……」 「おいおい、伝説の勇者の末裔ともあろーものが、たかが期末試験ごときでそこまで必死にならんでも……」 「先祖は関係ねーでしょ、先祖は……。むしろ逆に、そのせいでわたしは今まで学校にも行けなかったんだから、今になって座学で苦労させられてんの」 大陸連合に加入している国家間で決められた方針で、今の子供は男女問わず五歳程度から初等学校へ通って基礎教育を受けるのが推奨され、また各国の政府はそれに必要な施設や予算を用意する義務も負っていることから、我らがマイルターナ王家でも就学率は高いんだけど、生憎わたしの場合はずっとある意味独立国家みたいな隠れ里に篭らされていた為に、そんな国際条約など適用外の身だった。 それでも、一応は姫さまの協力を得ながら独学で最低限の勉強はしてきたつもりでも、やっぱりちゃんと学校へ通ったのと同等の学習をしてきたとはとても言えないし、そもそもルミアージュ姫が用意してくれた推薦状が無かったら、魔法学園への受験資格すら怪しいものだったワケで。 「ふーん……でも、うちの学園って定期的に有名人も出してるって聞いたけど、まさかあの魔界から魔軍を連れて侵略に来た魔王を追い返した大英雄の子孫と知り合えるなんてさー」 「歴史の教科書にも大きく載っている人物だものね?……そういえば、入学後に学園新聞の記者から取材申し込みも受けたんだっけ?」 「だから、やめてってば……。あのインタビューだって断ったし」 大体、わたしにしてみれば血筋の呪縛から解放されたくて里を出たというのに、それを入学初日の顔合わせで担任のアルマ先生が、「苗字でピンと来た人もいると思うけど、実はアステルさんは、あの伝説の勇者アーヴァインの末裔なんです♪」と得意顔で補足説明を入れてくれたおかげで、クラス中に広がったどよめきと共に噂があっという間に広められ、それからしばらくの間は校内を歩いているだけで周囲から視線を浴び続ける羽目になってしまった。 ……それでも今はもう落ち着いたし、この英雄譚マニアのレネットともクラスが違うのに仲良くなったのはそれが結びつけてくれた縁だから、全てがマイナスってわけでもないんだけど。 「しっかし、それでも唯一残念なのはアステルが女の子ってコトかなー。男のコだったらお嫁さん候補にしてもらってたのに」 「アホですか、あんたは……」 というか、男尊女卑も甚だしいうちの一族の嫁だなんて、とてもお奨めできませんが。 「あら、でも最近は女性同士もアリみたいよ?同性婚認めてる新興宗教も増えてるって話だし」 「おっ、マジで?だったら……」 「……アステルは渡さない……」 しかし、それからロザリーが更に話をこじらせるフォローを入れて、レネットがこちらへ襲いかかりそうな怪しい手つきを見せると、今度は隣で黙々と食事を続けていたリセがわたしを抱き寄せて対抗の意志を見せる。 「ちっ、それでも既に強力なライバルが……」 「……あーもう、前期試験の最終日だってのに、いつまでもしょーもないやり取りしてんじゃないの。それよりテストの準備の方は大丈夫なの?」 「んなモン、今さら問われたってどうしようもないじゃん?もう当たって砕け散るだけ」 「うん、まぁそうかもしれないけど……ロザリーは?」 まったく、コイツは妙なところで潔いというか、男らしいというか。 もし仮にレネットと結婚する羽目になっても、わたしの方がお嫁さんな気がする。 「私は気軽なものかな?残ってるのは得意科目ばかりで、“午後”の方はもう脱落してるから」 ともあれ、呆れつつも続けてロザリーの方へ水を向けると、こちらは自慢と諦めの混じった苦笑いが返ってきた。 「あー、ロザっちは荒事ニガテだもんねー?」 「……私は魔法薬学科志望だからいいの。どうせこっちの成績は影響しないし」 「でも、薬学だって触媒の採集で色んなトコロへ行ったりするでしょーが?」 「その時は、ちゃんと護衛を連れてくからいい……」 そして、そう言って十年来らしい幼馴染みの方を指差すロザリーさん。 「護衛って、あたしかっ?!」 「あはは。でもまぁ思ったよりガチだよね、あの実技試験……」 ちなみにアレというのは、クラスメート同士で魔法戦闘をするという、ちょっと変わった試験のこと。 ロザリーの言う通り、二年次から学部が分かれた後は縁が無くなる生徒もいるものの、新入生には全員に課せられているこのトーナメント形式の対戦試験は、クラスで一番強いのは誰かを競うイベントでもあるだけに、温度差こそあれなかなか盛り上がっているみたいだった。 「あたしは結構楽しんでるクチだけど、でもクラスが違うからアステルと当たれないのが残念だわー。結構注目もされてるみたいだしさ?」 「わたしは友達を叩きのめして愉悦を感じるシュミはないんで助かったけどね」 とはいえ、ここまで勝ち抜いているのなら、ちょっと手合わせしてみたい気もするけど。 「……いま、さらっと勝利宣言に等しいコメント出しやがった。ぐぬぬぬ……」 「まぁ実際、敵なしで勝ち進んでるんでしょ?……あとそういえば、リセも残ってるんだっけ?」 「……がんばってる……」 それから、ふと思い出したようにロザリーから矛先を向けられ、バターたっぷりのパンをかじりながら頷いてくるリセ。 「結局、脱落組は私だけかー。午後からは観客席でみんな応援してるから頑張ってよ?」 「どっちみち、泣いても笑っても今日が終わったら夏休みを待つだけだからがんばろー!おー」 「……おー……」 「…………」 (夏休み、かぁ……) * やがて最後に残った午前中の二科目の筆記試験も(おそらく)何とか乗り切り、学園敷地内にある自慢の大型闘技場(コロシアム)では決戦の火蓋が切って落とされていた。 フィールドを囲む観客席は既に試験の終わった見物の生徒たちで埋め尽くされて歓声も飛び交い、さながらテストというよりはお祭りイベントの様相だったりして。 (やれやれ、ちょっとした見世物よね、これじゃ……) 長い夏休みを挟んで二期制のアルバーティン魔法学園は前後期で二度ずつ試験があり、うち期末には七日間の日程で十数科目の筆記テストが実施されるのと並行して、実践力を重視する校風から学科別で実技試験が課せられる。 「はぁ……っ、雷よ貫け……っ!」 「…………」 中でも総合科の一年生全員や魔法兵科の生徒に課せられる対戦形式の試験は学園名物になっているらしく、ルールは一定の距離を置いて設置された二つの六芒陣が刻まれたサークルの上に魔法の杖を持ってそれぞれ立ち、そこから供給される全身を覆う魔法障壁の壊し合い。 「ええーいっ!ファイアーストームっっ」 「…………」 そして、この全方位をカバーする円形の障壁は術者が任意に属性変更出来る構造になっていて、つまるトコロはこの世界に存在する地・水・火・風・光・闇の六種(正確にはもう一つ)の精霊(エレメント)の相関図を把握した上でどれだけ実際に使いこなせるかを試すテストみたいだった。 もちろん、術者が集めて扱えるマナ、つまり魔力の出力量も反映されるので、やはりパワー勝負な側面もあったりはする。 「く……」 「…………」 ……ってコトで、闘技場の一角に用意されたうちのクラス用のサークルの片割れの上に立つわたしは、対戦相手のガーネットさんが手を変え品を変えで繰り出してくる魔法攻撃をそれぞれの対抗属性で受け止め続けているんだけど……。 「どうして、反応が速すぎる……っ?!」 (いや、そっちが遅いんだってば……) 一応、これがうちのクラスの準決勝最終戦なので、慎重にいってみようとまずは相手の出方を伺ってみたものの、これまでの相手同様、やっぱりまるで勝負になりそうもない。 相手がどの属性の攻撃を仕掛けてくるのか分かった後で余裕をもってバリアチェンジできる上に、そもそも使えるのは火と風と光の三属性だけみたいで、凄く読みやすいときたもんだ。 ……いやまぁ、わたし達はまだ入学して間もない一番未熟な新入生なんだから、これで当たり前なのかもしれないけど……。 (でも、そろそろ終わりにしますか……!) 「く……っ、いくら勇者様の子孫だからって……」 「今度はこちらから行きます……光断の剣(シャイニング・レイ)……ッッ!」 控え席でちょこんと座して待つ次の相手がどうにも気になっている事だし、わたしはマナが尽きて相手の攻撃の手が止まった頃合を見計らい、自分の杖の先から一本の剣を象った光属性のチカラの塊を精製し、ガーネットさんの障壁へ向けて振り下ろす様に解き放つと……。 「ひ……?!え、えっと……きゃあッッ?!」 「勝負あり!勝者、アステル!」 慌てて同じ属性で防ごうとした光のバリアはあっさりと力負けして大きな音を立てて派手に砕け散り、審判を務める担任のアルマ先生の勝利宣言と周囲からの歓声が届いてくる。 「ふー……」 さて、これで残るは決勝だけなんだけど……。 「アステルさんどうします?少し休憩を入れますか?」 「いえ、それはお構いなく……」 ……しかし、よりによってその相手というのが、最も戦いにくい相手だったりして。 「……というわけで、最後の相手はこの私……」 ともあれ、やがてガーネットさんが退場した相手側のサークルに、わたしがここへ入学して最も見知った人物が入って来るや、やる気満々といった様子で杖をこちらへ向けてくる。 「まさか、こんなトコロでリセと戦う羽目になるとはね……」 そう。わたしと同じく最後まで勝ちあがってきたのは、ルームメイトのお姫様だった。 ……一応、ここまでの戦いっぷりを見る限りでは、常にギリギリで勝利を拾ってきて随分とハラハラもさせられてきたので負ける気は正直しないものの、やりにくい相手なのは間違いない。 「……勝負ごとは負けちゃいけないのが家訓だから……」 「あー、うちの兄さん達も修行中にそんなコト言われ続けてたっけ……」 これも、特別な環境に生を受けた者の宿命……なのかな? 「……んじゃ、仕方がないね。親友が相手だろうが戦って白黒つけないと」 おそらく、今のわたしもその一人なんだろうし。 「では、二人ともそろそろ決勝戦を始めますよ?構えて……!」 「うん……手加減は無用……」 「いいの?」 「……だって、私も手加減なしでいくから……!」 「へ……?!」 そしてリセがそう告げるが早いか、背筋に寒気が走るほどの強烈な気配と共に、相手の杖の先から放たれた竜の形をした炎の奔流が凄まじい勢いで襲いかかってきた。 「うわっ?!」 それに対し、わたしはすぐさま対になる水属性の障壁で防ごうとするものの……。 「…………っ」 しかし、普通なら相殺できるハズが、力任せに突き破ろうとする相手の魔力に押されて障壁全体に軋みが走ってゆく。 ……つまり、リセの放った炎竜の前にわたしの水の盾は防ぐどころか、逆に蒸発させられそうだった。 (やば……っ?!) まさかといえばまさかの、扱えるマナのキャパシティは自分よりリセの方が遥かに上らしく、だとしたら真っ向から受け止めようとしたのは選択ミスっぽいけど……。 「く………っ」 (でも、まだまだぁ……っ!) 家訓曰く、防ぐだけが防御じゃないから……。 「風よ、猛り巡れ……トルネード……ッ!」 それでも、わたしは障壁が突き破られないうちに水から風属性へバリアチェンジすると、暴風の盾を張り巡らせるのと同時に杖の先から竜巻を起こし、竜の形に凝縮されていた炎を上空へと散らしてやる。 「……さすがアステル……ちゃんと受け流した」 「……はぁ、はぁ……ったく、こんなチカラを隠してたなんて、リセも案外……」 今まではワザと力を抑えてたみたいだけど、これでまたこのお姫様の謎が深まってしまった。 ……ただ、それをわたしとの戦いで解放したってコトは、それだけ認めてくれてるって意味なのかもしれないけど。 「ほら、次はアステルのばん……」 「言われなくとも……っ!」 ともあれ、この立ってるだけの大きさしかないサークルの上で逃げずに打ち合うこのバトルで長期戦はやってらんないし、わざわざ攻守交替してくれたのなら一気に攻めるしかない。 「いけっけぇぇぇぇ……ッッ、ダモクレス・ランス……っ!」 わたしは即座に反撃の形をイメージしつつ、炎を防いだ風のエレメントの力を利用してリセの頭上へ轟音とともに特大の雷の槍を落とした。 複合属性の雷撃系は防ぎにくい上に、この速度ならリセも反応は無理なはず……。 「げ……?」 と思いきや、その槍はリセの障壁まで届かず、代わりに頭上へ翳した杖の先で受け止められてしまう。 「避雷針……わっ?!」 しかもそれだけに留まらず、続けてリセは杖の先をこちらへ向けて、受け止めたわたしの雷撃をそのまま反撃の一撃として返してきた。 (反射ってズルい……っ) 「く……っ」 でも、さすがにこれで負けるなんていくらなんでも間抜けすぎと、わたしは咄嗟に全ての属性のエレメントを同時に呼び出し、代々伝わる門外不出の奥の手を繰り出してゆく。 バレたらまた親と大喧嘩だけど、そもそも知ってる人すら殆どいないハズだから……。 (間に合って……第七の円環(セブンス・ウロボロス)……っ!) とにかく、“それ”を使って塗り替えられた属性の障壁に、真正面から叩き込まれた雷の槍は蒸発するように消え去っていった。 「……無属性……?やっぱりアステルは……」 (え、リセも第七属性を知ってるの……?) いや、それより……。 「今度こそ、これで……!」 もちろん、そこで手を緩めることなくわたしは左手に持ち替えた杖を縦に構えると、光の精霊に働きかけてそれを軸とする非物質の弦と矢を具現化させてゆく。 これも実家の書庫に保管されていた魔術書を勝手に読んで覚えた奥義魔法だけど、実戦で使う日がくるなんて……。 「……って、うわ……っ?!」 (く……っ) そして、ほぼ同時にリセの召喚した無数の禍々しい闇の剣が全方位を取り囲んできたものの、わたしはそのまま構わず右手で魔法の弓を引いてゆく。 今からこんなの防げやしないし、この弓ならあるいは先に……。 「いっけぇっ!必殺、マギカ・アーヴァレスト……ッッ!!」 それから、気迫を込めて叫びつつ魔法の矢を放った直後にリセの剣が一斉に襲いかかり、程なくして障壁の砕け散る音が二度鳴り響いた。 それは、同時ではなく僅かの時間差を置いての連続で……。 「はぁ、はぁ……」 「……ごうかく……」 「へ?」 「し、勝者っ、アステル!」 やがて、杖を持つ手を降ろしたリセが意味深なセリフを呟いた後に、遅れてアルマ先生からのジャッジが下り、大きな歓声とともにわたしの勝利が確定する。 「……はー……」 全力を尽くして戦ったのはこれが初めてなだけに、とりあえず勝てたのは素直に嬉しい。 「…………」 (でも……) 元々得体のしれなさは感じていたとしても、リセってホント一体何者なんだろう? 次のページへ 戻る |