魔法少女はプリンセスに揉まれて勇者となる その6
第六章 本当になりたかったもの
「……んぁ、もうこんな時間……」 昨日は何だかんだで徹夜してしまったからか、今朝は少しばかり目覚めが遅かった。 「ふぁ〜〜っ……」 とはいっても、二、三人は眠れる大きな客室のベッドの上にはわたしだけだし、身を起こしても広い室内には本来の部屋の主も居なければ、ルミアージュ姫のお世話役のレミーナというメイドさん一人が立っているだけで、咎める者もいないんだけど。 「……おはようございます、お目覚めはいかがですか」 「ふぁい……おかげさまでぐっすりと。それでルミアージュ姫は、まだ城主の寝室に?」 「ええ、ご朝食はいつも別ですので、もうじきお戻りになられると思いますが」 とりあえず、儀礼的に挨拶を向けてきた無表情のメイドさんに、わたしも欠伸混じりのお礼と質問を向けると、淡々とした返事が戻ってくる。 「……それと、取り急ぎアステルさまのサイズに合う服や下着もクローゼットに用意しておりますので、それまでに着替えを済ませておいて下さい」 「へーい。手ぶらで来たので助かります……よっと……」 そう、ルミアージュ様はこんな広くてふかふかのベッドがある客室を宛がわれているのに、夜はラトゥーレ姫の寝室へ出向き一緒に寝ているんだそうで。 (……というか、いくら女同士だからって、お嫁入り前のお姫さまが、夜な夜な城主の寝室に通ってるって……) しかも、何もされてないわけじゃないとか、おたのしみって言葉も聞いた気がするし、そもそもルミアージュ姫って男性嫌いで可愛い女の子好きを公言していたし……。 (いやいやいや……) 鼻血に悪いから、不健全な妄想はやめておくとして……。 (……さて、あれから一日経ったけど、リセはどうしてるかな?) ともあれ、何だかんだで寝ても覚めても、こうやって着替えている時でも無断で離れてしまった隣国のお姫様の顔がいつもチラつくのは、ちょっと罪悪感で心苦しい。 一応、まだわたしはお試しの立場で正式な契約は交わしていないし、だからこそ思い切れたんだけど、家族に黙って無断外泊した時みたいな気まずさが振り払えなかったりもして。 (まぁでも、来てなきゃそれはそれで大変なコトになってたけど……) 結果的に、本来の目的に関しては杞憂というか無駄足っぽかったものの、アンゼリク兄さんが奪われた家宝の方が、知らないうちに新しい魔王の手に渡りかけようとしていたのだから。 「…………」 (しかも、その為にはあの雷帝姫を救ってやって、か……) あれから、客室の隅っこで聞いたルミアージュ様の話によれば、今のラトゥーレ姫には先祖からの恨みによる怨念が取り憑いていて、それによって気性が極端に荒くなって城中の人たちを不安にさせていたり、リセに対して異常な敵対心を持つ様になっているんだそうで。 ……とまぁ、それもあくまで姫さまの推測ながら、恨みに関してはわたしも今までを振り返れば充分に心当たりはあるので、素直に信じる事にはしたんだけど……。 (でも、杖を取り上げられたわたしに、一体何ができるんだろう?) 魔術師が魔法を使う際は、杖などに埋め込まれた「コア」と呼ばれる精霊石の器に必要な量と種類のエレメントの力を必要なだけ集めて内部でそれを合成して出力するのが基本である。 一応、精霊と契約しているならば自力でマナを集めて使えなくもないものの、魔法の杖は魔術を行使するのに本来必要となる複雑なプロセスの殆どを自動で処理してくれる補助具でもあるため、先の戦闘で手持ちのコアを壊されたミスティが直ちに無力化してしまったのと同じく、今の自分にはまともに戦う術が無いといっても過言じゃなかった。 (……まぁ、仮に杖が戻っても再戦して勝てる気もしないけど……) ただ、それでも姫さまは暗黒の魔力を吸収する魔剣と破邪の力を持つ聖剣のどちらの特性も兼ね揃えた聖魔剣のチカラを引き出すことができれば何とかなると考えているみたいで、わたしも当面はそれを信じて付いていくしかない。 ……なにせ、これだけ大きな城なのにわたしが自由な行動を許されているのはこの客室だけという籠の中の鳥状態だけに、ラトゥーレ姫の計らいで城内フリーパスにしてもらっているルミアージュ様の協力無しでは、家宝を取り戻すどころか拝むことすら不可能なのだから。 「……着付け方が分からないなら、手伝いましょうか?」 「え?あ、ううん、ちょっと考えごとしてて……」 ともあれ、色々振り返っているうちに寝間着を脱いだまま手が止まってしまっていたらしく、レミーナさんに素っ気無く声をかけられて慌てて着替えを再開するわたし。 「考え事とは、ルミアージュ姫のコトですか?それともラトゥーレ姫様か、もしくはフェルネの姫君でしょうか」 「……どうしてお姫様方のことばかりなんですかと言いたいけど、まぁ全部当たりです」 「気が多いんですね?」 「いや、そう言われてしまえば、ミもフタも無いんですけど……」 ……でも、結局はそういうコトなんだろうか。 つい、何でもかんでも抱え込んでしまおうとしてるから……。 「……おまたせー、アステルちゃん?それじゃ早速行きましょうか」 ともあれ、今度は自問の沼に嵌ってしまいかけたところでルミアージュ姫も客室へ戻ってくると、ちょうど着替えが終わったわたしにムダ話は無しの問答無用といった様子で促してくる。 「い、行くって、どこへ……?」 ……あと、やる気満々なのは結構ですけど、やっぱノックくらいはして欲しいかなーと。 「まずは朝食の後で、少しばかり城内を案内してあげる。私と一緒ならいいんでしょ?」 「ええ、勝手にフラフラして迷い子になられるのが困るだけですから」 「あはは……分かりました……」 一応、今は敵地で軟禁の身のはずだけど、監視されている理由が情けなさ過ぎるような……。 * 「……そういえば、魔界へ来てからのアステルちゃんって殆どお城の中で暮らしてると思うけど、宮殿生活にも慣れたかしら?」 「あーいえ、やっぱりまだちょっと気後れというか、場違い感が……」 それから、食堂で一緒に朝食を頂いた後で、聖魔剣のある場所へ案内してくれるというルミアージュ姫の後ろを歩いていたわたしは、不意に投げかけられた言葉に苦笑いを返す。 ここの居心地が悪いのはまぁ当然として、リセのお城にいた時も一人で行動中はホントに自分がこんな場所にいていいんだろうか?みたいな違和感はやっぱり抜けなかった気がするし。 「でも、いつしか宮廷魔術師さんになるのなら、基本はお城の中での勤務になるんだし、もっと堂々としないとね?」 「ええ、まぁ……」 (宮廷魔術師、か……) ただ正直、本当にわたしに向いているのか、この頃自分でも分からなくなっているけど。 「……それで、アステルちゃんって私が知っているだけでも三人のお姫様からオファーを受けてたと思うけど、そろそろ身の振り方は決めたのかしら?」 「いえ、ここのお姫様には早々に失格通告を受けちゃいましたけど……」 元々、なんでこんなにモテるんだろう?という戸惑いはあったけど、ああやって要らないとはっきり言われてもショックを受けてしまったのだから、わたしもワガママなものである。 「ラトゥーレちゃんは即戦力主義だからねぇ……。でも、秘めた力は誰よりも高いはずなんだけど」 「……そう、ですかね?」 お世辞でも、今のわたしには凄く嬉しいけど……。 「少なくとも、私はそう信じてるから、こうして捕まえてるのよ?」 そして更にルミアージュ様はそう続けると、振り返ってわたしの手を取った。 「…………っ」 「……それじゃ、アステルちゃんはこれから暫くは私のものね?」 「は、はい……」 ついさっき、気の多さを自己反省したばかりなのに、抵抗不可なコトしてくるんだから……。 * 「……えっと、ここなんですか?」 それから、引かれる手から伝わる柔らかくて繊細な温もりに胸を高鳴らせながら連れて行かれた先は、七階にある秘宝展示室の入り口だった。 「そう、聖魔剣エクスプレセアはラトゥーレちゃんが勇者アーヴァインの末裔を退けた戦利品として、とりあえずここで公開されているの」 「うわぁ、一族の汚点がこんなところで……」 「まぁまぁ、それじゃちょっとお邪魔するわね。入場料は不要だったかしら?」 「……ええ、どうぞ」 ともあれ、入り口の守衛へ冗談交じりの声をかけて苦笑いを返されつつ入場してゆくルミアージュ姫に連れられ、わたしも続いていくと……。 「おお、すご……」 会場は大きな広間の中でゆったりと観覧できるように作られているみたいで、絵画が並べられた壁際には宝石や細工物がケースの中で煌びやかな光沢を放ち、中央付近には歴代の当主が使ったとされる王冠や剣、杖、甲冑などが威厳を示すように並べられていた。 「流石は二千年以上の歴史を持つ魔界貴族だけはあるわよね?ラトゥーレちゃん曰く、ここに飾られているのもほんの一部って話だし」 「……そんな中で、聖魔剣が見世物になっているのも、何というべきやら……」 「ふふ、コレクターとして欲しがる貴族は多いって話だし……ほら、あそこ」 ……そして、広間の一番奥にある特別展示場へと足を運ぶと、そこには情報通りに我が家の家宝が抜き身で台座に立て掛けられて展示されていた。 「うわ……確かに本物だ……」 できれば見間違いであって欲しかったけど、疑いようもない。 自由の象徴である「風」を表現したという複雑な意匠の柄や鞘にはうちの家紋がしっかりと刻まれているし、精霊のチカラを余すことなく乗せられるように特別な合金で鍛えられた白と黒の二色の直刃は、世界でも類を見ない特別製なのだから。 「どう?何か感じるものは?」 「心中フクザツって以外には何も。今は沈黙してるみたいですし……」 ただ、使うものが使えば、仕込まれた光と闇のエレメントが相反して制御しきれない程の爆発的なチカラを生み出す(はず)の剣だけど、今は灯火が消えたように静かに佇んでいる。 まぁ、使える者が厳しく制限される武器だから、それも当たり前なんだけど。 「……そう?ふーん……」 すると、ルミアージュ姫は少しだけ考える仕草を見せた後で、ご無体にもいきなり台座の前に踏み込んでうちの家宝を抜き取ってしまうと……。 「ちょっ……?!」 「あら、案外軽いのね?」 「ルミアージュ様、困ります……っ!」 「いいから、いいから……はいアステルちゃん?」 慌てて駆け込んできた衛兵の制止を無視して、同じく驚くわたしの手元へ放り投げてきた。 「わわっ?!」 (まさか、もう怨霊退治を始める気……?) とにかく、こうなったらえーいままよと、魔王殺しの剣を受け止めたものの……。 「…………」 (あれ……?) ……しかし、両手でしっかりと柄を握ろうが、聖魔剣からの反応は何もなし。 実際に使って邪竜を斃したらしい父から聞いた話だと、抜いた瞬間に身体の奥底から燃えるようなチカラが湧き出てきたそうなのに。 「どうかしら?」 「……いえ、特に……何も……」 その後、姫さまから感触を聞かれ、その場で呆然としたままぽつりと答えるわたし。 ……そもそも、チカラが湧き出る以前に、聖魔剣の沈黙すら破れていないみたいである。 (そんな……やっぱりわたしじゃ……?) 「……。分かったわ、それじゃそろそろ戻しておきましょうね?」 「は、はい……」 ともあれ、それからルミアージュ姫はいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべてそう告げると、立ち尽くすわたしの手から聖魔剣を受け取って再び元の場所へと戻してゆく。 「ルミアージュ様、困ります!その様な勝手極まりない振る舞いをなされては……」 「別に、手垢が付いて困るようなものでもないでしょう?どうせ献上する前には磨くんだし」 「…………」 「それじゃ、用も済んだしもう行きましょうか?」 「え……あ、はい……」 そして、姫さまは守衛からの苦情を受け流しつつ、立ち尽くすわたしの手を強引に取って展示室からの退場を促してきた。 * 「うーん……おそらく、何かが足りないんでしょうね……」 「だから、言ったんですよ……兄さん達じゃなきゃ聖魔剣は扱えないって……」 やがて、殆ど言葉を交わさないまま、同じ階の誰もいないテラスへ連れられた後に、横長のベンチに腰掛けて呟くルミアージュ姫の隣で、わたしは肘を付いていじける様にぼやいていた。 「そんなコトは無いはずだけど……。確かにアーヴァイン家の血筋縛りはあるとしても、男か女かなんて誰かが始めた勝手な取り決めに過ぎないもの」 「でも……」 「つまり、アステルちゃんはまだまだ勇者になれていないってコトかしら?」 「それも昔に言ったじゃないですか?!わたしは勇者にはなれないって……!」 だからこそ、わたしは示してもらった魔術師への道に光を見つけたというのに、今さらこんなつらい思いをさせられるなんて、と初めてルミアージュ姫を恨みたくなったものの……。 「……けど、なりたかったんでしょう?」 「え……」 しかし、じっと眼を見据えて投げかけられた姫さまの言葉に、ドキっとさせられるわたし。 「本当は、お兄さん達に混じって修行もして、アステルちゃんも勇者さまと呼ばれる存在になりたかったのよね?……だから、こっそりと一族に伝わる秘術とかも勉強してたじゃない」 「そ、それは……」 「私がアルバーティンへの入学を薦めたのもね、本音は鳥かごから出してあげたかっただけ。兄達にも負けない強い想いがあるのに、誰にも言えなくて燻っていたアステルちゃんを見ていられなかったから」 「それじゃ、卒業したら姫さまのお付きになれというのも、実はホンキじゃなかったんですか?」 「いいえ?……けど、姫(プリンセス)の傍には、やっぱり魔術師よりも勇者の方がお似合いかなって」 「…………っ」 しかし、結果はこのザマである。 ……ダメだ、何か涙腺がヤバくなってきたかも。 「……けど、そうなると困ったわね……。私の目論見的には、アステルちゃんが聖魔剣を問題なく起動出来たのを確認した後に、戴冠式へ出席する為に帝都へ発つタイミングで決行するつもりだったんだけど……」 ともあれ、そんなわたしに構わず、ルミアージュ姫は続けて独り言のように呟いてくる。 「戴冠式って、新しい魔王の?」 「ええ、一生に一度見られるかどうかの機会だからって、私もお供させてもらえる予定なんだけど、その時に一緒に持っていく献上の剣は私が預かることになるはずだから」 そして、「半分は聖剣のあの剣はね、ラトゥーレちゃんみたいな純然たる魔族が持っていると身体に障るのよ」と付け加えてくるルミアージュ姫。 「……あとは、一緒に行けないまでも見送りの最前列にアステルちゃんを立たせておけば、僅かな決行機会が生じるはずだったんだけど、今のままじゃ厳しいかしら?」 「わたしが言うのもなんですけど、絵に描いたもちですよね……」 ついでに、失敗したら今度こそ確実に命は無さそうである。 ……正直、わたしの方はもうどうなってもいいくらいの心境だけど、ルミアージュ様にとっても危険すぎる賭けといえた。 「まぁ、戴冠式はもうちょっと先だし、他の方法を考える時間も無くはないんだけど……」 それでも、ルミアージュ様は前向きに思案し始めたものの……。 「…………」 「……ううん、やっぱり大前提が崩れたのに甘い判断は禁物か。……ね、アステルちゃん。確か勇気の翼は習得してたわよね?」 しかし、やがてすぐに首を横に振って取り消してしまうと、視線を大空へ向けたまま、徐にそんなコトを尋ねてきた。 「ええ、まぁ……わたし一人で飛ぶのが精一杯ですけど」 思えば、自分にもミスティくらいの飛行能力があれば強引な手段だって使えたのに……。 もちろん、無断で強奪なんて勇者のやるコトじゃないかもしれないとしても。 「それで充分よ。だったら……今すぐ、ここから隣の国へ帰りなさい」 ……ともあれ、また何か無謀な作戦でも思いついたんだろうかと嫌な予感がしつつ頷くわたしに、ルミアージュ様は思ってもいなかった言葉を命令口調で告げた。 「姫さま……?!」 「とりあえず、私の無事の確認は出来たでしょう?なら、今回はそれで良しとすべきね」 「で、でも、聖魔剣は……」 「諦めなさい。確かに家宝も大事だろうけど、勝ち目が無い戦いを挑んで命を捨てる程の価値でもない。不幸中の幸いとして魔王の手に渡ったところで、精々飾りくらいにしかならないわ」 「…………っ」 「……今なら誰もいないし、すぐに飛び立てば日が落ちるまでに国境は越えられるでしょ?道中でお腹はすくかもしれないけど、そこは帰り着いた後で沢山食べさせてもらって?」 「そ、そんな……」 「ほら、何をぐすぐずしてるのアステル?!こんな所にいつまでも座っていたって、もう私の部屋には入れてあげないわよ?早く広げてみせなさい……!」 「…………っ!」 それから、あんなに優しかった姫さまから容赦なく畳み掛けられて、わたしはとうとう立ち上がって命令通りに勇気の翼を広げようとしたものの……。 「…………」 「…………」 「……え……?」 「どうしたの?」 「……うそ……出てこない……?!」 以前にミスティと戦った時は思い浮かべた通りにすっと広げられて当たり前に使えてたのに、今はまるで無くしてしまったかのごとく、いくら念じても出せなくなってしまっていて……。 「そんな……じゃあ……」 「う、うう……っ、わ、わたし……わたし……」 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ」 とうとう、ひび割れて決壊してしまった涙腺の赴くがまま、どうしていいか分からずに姫さまの胸に飛び込んで子供のように泣きじゃくってしまった。 「うーん、これは困ったわねぇ……」 「ぐず……っ、ひぐ……っ、わ、わらし……わだじぃぃぃぃっっ」 「……大丈夫よ。一度得たものを完全に失ってしまうコトなんてそうそう無いから。さぁ、落ち着いて一緒に原因を考えていきましょう?」 すると、少しだけ困惑した反応を見せながらも、姫さまはわたしの頭を優しく撫でてくれながら諭してくる。 「ひぐっ、ぐす……っ、は、はい……」 おそらく、きっかけはラトゥーレ姫に負けてからだろうけど、とてもリセには見せられない醜態を晒して、悔しいやら恥ずかしいやら……。 「よし、それじゃまずは涙を拭いて顔を上げて。……私にとって、貴女は……」 けど、今はルミアージュ姫さまの腕の中だし、他に誰も見ていないから……。 「……まったく、うちの姫様に見初められた宮廷魔術師ともあろう方が、何たるザマですか」 「…………っ?!」 と思いきや、突然に少しばかり懐かしさも含んだ聞き覚えのある声が背後から届いてきた。 「あら、あなたは……」 「どうも。プレジール家メイド長兼宮廷魔術師長兼秘書長兼軍師兼特使のユーリッド・ヘイムでございますー」 慌てて振り返ると、そこには特別製のエプロンドレスに身を包んだ、やたらと肩書きの長いコンビニ軍師さまが、スカートの端をちょこんと摘んだいつものカーテシーで会釈してくる。 「なんかまた増えてるような……特使?」 位置的に、どうやら城の外から飛んで来たみたいだけど。 「そーですよ。貴女さまの返還を交渉する為の特使、です」 「わっ、わたしを……?」 「本来、アステルさまの所業は姫様への重大な反逆行為に加えて、当家とは無関係な行動原理の上に、今は追っ手を差し向ける余裕も無いとあらば捨て置くべき案件ですし、貴女もそのおつもりで決行に移されたのでしょうが、リセリア様の心理的ダメージの方が深刻でして……」 ともあれ、またも何やらイヤな予感のする単語を拾って突っ込みを入れるわたしに、ユーリッドさんは渋い表情で腕組みしながら、ため息交じりに事情説明をしてくる。 「リセが……?」 「最初の報を耳にされた時こそ、領主のご責任から踏みとどまってはいただけたんですが、その後はあまりよろしくない方向ですっかりと気落ちなされてしまいまして……」 「昨晩などは、ご入浴中にさめざめと涙ぐまれつつ、いつしか『あの泥棒猫……』とご剣呑な面持ちで呟き始めておられたのを見て、これはヤバいと思い急遽アルストメリア城へ特使を送る次第と相成ったわけです」 「うわ……」 「アステルちゃん、一体ナニをしてそこまで好かれちゃったの?」 「……そんなの、本人に聞いて下さいってば……」 一応、やましいコトは一切しておりません。たぶん。 「っていうかですね、ここも魔界だけに相手の心を狂わせるのに長けた”魔性”を持つ手合いはそれなりに見ますけど、アステルさま程の方は初めてですよー。魔姫にあれほどの執着を持たせるなんて」 そして、勘ぐるような突っ込みを向けるルミアージュ様に続いて、ユーリッドさんも肩を竦めて大袈裟に首を横に振りつつ、どこまで本気で言ってるのか分からない言葉で乗ってくる。 「まぁ、アステルちゃんの悪女っ」 「お二人ともやめてください……それでっ、交渉したんですか?」 「ええ、まずはリセリア様と相談しまして、領土の明け渡しは無理としてもプレジール家の家宝の一つを差し出すつもりで交渉に臨んだのですが応じてもらえず、ラトゥーレ姫からの返答は『返して欲しくば、リセリアが自らここまで取りに来い』の一点張りでした……はぁ」 それから疲れの色がにじむ溜息の後で、「……どうやら、ラトゥーレ姫はアステルさまを餌に使ってうちのお嬢様を誘き寄せたい模様です」と付け加えてくるユーリッドさん。 「エサって……でも、そうなったら……」 「ええ、それぞれ暗黒面に墜ちかけておられる魔姫お二人が本気で殺し合う事態になりかねませんが、軍師としてはそれだけは回避せねばなりません。……それに、ラトゥーレ姫がこの城での決着に拘っているのも何やら引っかかりますし」 「……それで、どうするつもりなんですか?というか、そもそもどうやってここまで?」 「どうやってについては、普通に一旦お城から出た後で、外からここまで飛んできました。城内に居た間にアステルさまの気配を拾っておおよその位置情報を掴んでいましたし、実はわたくし認識阻害も使えるので、誰にも見つからずに辿り着けた次第ですねー」 そこで、何だか不穏な予感を覚えつつ話を進めるわたしに、コンビニ軍師さまは腰に手を当てて自慢げに更なる新しいスキルを披露してきた。 「認識阻害って、隠密行動も出来るんですか……」 これでまた肩書きが増えた気がするけど、一体どこまで便利屋なんだこの人。 「……そして、もう一方のどうするつもりかについてですが、かくなる上は古来よりの魔界の流儀、すなわち“力ずく”に訴えようと思いまして」 ともあれ、それからユーリッドさんは苦々しい表情に変えてそう続けた後で……。 「え……?」 「軍師としては不本意の極みですが、どうぞこのわたくしめに浚われてくださいませ」 胸元へ手を回して小さく頭を下げつつ、わたしへそう告げてきた。 「……なるほど。アステルちゃんを迎え、いや誘拐しに来たワケね。でも丁度良かったかしら?」 「そんな……」 ……あと、言い直すなら逆だと思います姫さま。 「ついでと言っては失礼ですが、ルミアージュ姫はいかがなさいます?何でしたらアステルさまと一緒に浚わせて頂ければ、更に好都合なんですが……」 「私は、ラトゥーレを見捨ててはゆけない。……それに、聞いた様子じゃアステルちゃんの憧れのお姉様である私にとっては、何だかそちらの方が危険っぽいし」 そして、続けて姫さまにも水が向けられたものの、すぐに躊躇いのない拒否が返された。 「自分で言わないで下さいよ……」 でも……。 「……かしこまりました。ではやはりアステルさまだけ連れ帰らせていただくという事で……」 「…………」 「……ゴメンなさい。せっかくですけど、わたしもやっぱりまだ逃げたくないです」 そんな憧れの姫さまを見て心が決まったわたしも、深々と頭を下げつつお断りを入れた。 「なんですと……?」 「だって、家宝の聖魔剣だって取り戻さなきゃならないですし」 「アステルちゃん、ここで強がっても仕方が無いわ。せっかく脱出の……」 「いいえ、ルミアージュ様の命令でも聞けません、残ります……っ!」 だって、このままじゃあまりにもカッコ悪すぎるし、それに……。 「やれやれ、つくづく困った方ですねぇ……ですが、コトは一国の存亡に関りますので……」 「……うわっと……っ?!」 ともあれ、それから頭を掻きつつぼやいた後で、いつかの夜以来の黒い翼を広げて掴みかかってきたユーリッドさんの手から素早く身を翻して回避するわたし。 「力ずくでと言った以上、これ以上は問答無用とさせて頂きます……!」 「お願い、分かってユーリッドさん……っ!」 とはいえ、抵抗するにしても翼も無ければ丸腰同然のわたしに出来るコトなんて殆ど無い。 ……脱出賛成派のルミアージュ姫も、ベンチに腰掛けたまま静観みたいだし。 「むしろ、分かってくださいはこちらのセリフですから……!」 「く……っっ」 とにかく、壁際へ追い込まれないように気をつけつつ、わたしは相手が空中から滑空してくるタイミングを見極めて素早くサイドステップや横転しながら避け続けてゆく。 「ち……魔術師の卵の割にすばしっこいんですね?……やはり血は争えませんか」 「それにアステルちゃんも山の中育ちだし、これで結構鍛えられてるのよ?」 「解説どうも……っっ」 ただ、今はまだ悪あがきから抜け出せていないというか、一度捕まってしまえばそれで終わりという状況の中で、わたしに打開する道があるとすれば……。 (城内へ逃げ込むだけ……っ!) 「……よっ……とっ!」 そこで、わたしは逃げ回りつつも、避けた後の隙で一気にテラスの出入り口へ駆け込めそうな地点を探してゆくうち、やがてユーリッドさんが一気に勝負を決めようとしたのか、ひと際高く飛び上がっていくのが目に入る。 (きた……っ!風の精霊よ……ちょっとでいいから、わたしにチカラを……!) それに対して、わたしはサイドステップの後に城内へ全力で駆け込める位置へ立つと、それ以上は敢えて逃げずに意識を一方に研ぎ澄ませて備えていき……。 「……、……っ……」 (……今だ……!え……?) いよいよ、高速で滑空してきた相手の動きに先回りして足を踏み出そうとしたものの、ユーリッドさんはこちらへ再接近する直前で急速に勢いを殺してしまった。 「しまった……?!わっ?!」 そして、虚を突かれてこちらの動きも止まってしまった隙に、わたしの身体は獲物を捕らえたユーリッドさんの両腕に抱えられ、そのまま天高くへ運ばれてゆく。 「く……っ」 「お気の毒ですが、打開する方法が一つしかないというのは、実質的には無いのも同然です」 「は、離して……っ!」 「こら……っ、往生際が悪いですよ……足元を見てください……!」 「……う……っっ」 それでもわたしはすぐに諦めずに暴れようと試みたものの、がっしりと腹部を掴まれたままユーリッドさんに指摘されて見下ろした先は、既に地上は小さく見える彼方だった。 「ここから落ちれば確実に助かりませんけど、まさか原型も留めていない無残な肉塊になった方がマシ、なんて言いませんよね?」 「…………っ」 万事休す、か……。 「……やれやれ、今ならリセリア様も怒って……はおられるでしょうが、それでも貴女さえ無事に戻れば丸く収まりますから」 「…………」 「わたくしはお説教好きな方ではありませんが、アステルさまはもう少し自分を必要とする者のコトも考えるべきです」 そして、ようやく抵抗を止めたわたしへ、急速に城から離れつつ諭してくるユーリッドさん。 (自分を必要とする者、か……) ……でもそれは、きっとルミアージュ姫さまも同じだろうに、自分の力不足の所為で取捨選択しなければならないなんて。 「……うう……っ、ぐす……っ」 ダメだ、また考えると涙が……。 「まぁ、だからといって、そう自分を責めるものでもありませんよ?本来、アステルさまはまだ未熟で当たり前のお年頃なのですから」 「…………」 (……いや、そんなので割り切ってちゃ勇者にはなれないんだ) 家訓曰く、勇者に「いつか」はない。やらねばならぬ時こそが最大の好機なり。 「まずは、無理に背伸びしすぎないで自分に出来ることから片付けていって下さいな?そのさしあたっての対象は、うちの姫様になるでしょうけど……」 「……でも、こんなみっともない姿をリセに見せたくはないよ……」 今のわたしは、随分と酷いカオになってるだろうし。 「まぁまぁ、先にお色直しくらいさせてあげますからー」 「……そーいう問題じゃないです」 何より、このままじゃ合わせる顔が無い。 ……せめて、謝るにしても胸を張って謝れないと。 「…………」 (ごめんね、リセ……やっぱりもうちょっとだけ待ってて、わたしは必ず戻るから……!) だからこそ、後悔を残したままじゃ帰れない……いや、帰らない。 「…………」 (……だから、聖霊さま……どうかもう一度、わたしに羽ばたくチカラを……!) それから、わたしはいつしか自然に祈るように念じ始め……。 「……っ、アステルさま……?」 「我が呼びかけに応え出でよ、勇気の翼(ブレイヴ・ウィング)……ッッ!!」 やがて全霊を込めた叫びに呼応する様に、背中から熱い感触が伝わったかと思うと、白銀色に輝く大きな翼が生えた。 「出た……?!」 「……な……っ?!」 「……ごめん、ユーリッドさん……っ、わたし……っ!」 すぐさまわたしは叩きつけるように翼を大きくはためかせて強烈な衝撃派を発すると、そのままユーリッドさんを引き剥がして離れてゆく。 「そんな……くっ、どうあっても帰還を拒否されるというコトですか……?!」 「意地も張れない勇者なんて勇者じゃないし、それに今のわたしはきっとリセが好きになってくれたわたしなんかじゃないから……!」 「……だから……代わりにリセへ伝えておいて下さい!わたしは必ず戻るから、もう少しだけ待っていてって……!」 そして、わたしは大声を張り上げてそれだけ告げるとユーリッドさんから背を向け、白銀の羽根を撒き散らせつつ全力でルミアージュ姫のいるテラスへと飛び去って行った。 「はぁ、はぁ……っ」 「……まったく、アステルちゃんも妙なところで頑固なんだから」 それから、ユーリッドさんを振り切りテラスの入り口から城内へ飛び込んだ後で息を切らせて座り込んだわたしを、追いかけてきたルミアージュ姫が呆れた様子で覗き込んでくる。 「……それはお互いさまです。ルミアージュ姫……いえ、“お姉さま”?」 「ふふ、それじゃここから先は家宝なんかじゃなく貴女の信念の為に戦いなさい?きっとそれが光明にもなるって、そんな気がするから」 「はい……!」 お父さん、ゴメン。 ……やっぱり、わたしはどこまでも親不孝者みたいです。 * 「……ふん、それで結局は自ら篭へ戻ってきおったのか」 「ええ、まぁ……安易に逃げたくなかったですし」 やがて、ユーリッドさんが諦めて帰って行ったのを確認した後に、城主から呼び出しを受けたわたしとルミアージュ姫がコトの顛末を言える範囲で報告すると、ラトゥーレ姫は腰掛けた玉座で肘を付きつつ不機嫌そうな顔を見せてきた。 「しかしあの女狐めが、舐めたマネを……ただ、それだけあ奴らにも余裕がなくなったという裏返しであろうがの」 「あちらのお姫様も、アステルちゃんがいなくなって相当なショックを受けているみたいだし」 「ふん、それに関しては悪い気分ではないが……で、こやつが残った目的はあの忌々しい剣か?」 「アレはアステルちゃんの家に先祖代々伝わる大事な家宝だしね。それが新しい魔王へ献上されるかもしれないって話を私がしたものだから」 それから、改めてこちらへ鋭い視線を向けてくるラトゥーレ姫に対し、臆することなくルミアージュ姫がわたしの代わりに答えてゆく。 実は、ここへ来る前に説明は極力自分がするから、わたしはあまり喋らなくていいと言われているんだけど、何だか妙に頼もしかった。 「その様な事情など、わらわの知った事ではないがのう?正当な戦いで得た戦利品じゃ」 「まぁそうかもしれませんけど、このままでは無用な災いを呼びかねないかなって……」 仮にわたしが諦めたって、いずれ“神速の貴公子”と“竜殺し(ドラゴン・バスター)”の異名を持つ兄さん二人が全霊で取り戻そうとするだろうし。 「ふん、わらわを脅そうなど百年早いわ!何なら、剣と一緒にアーヴァインの末裔たる貴様の魂も献上品に加えてもよいのだぞ?!」 「……う……っ」 すると、わたしの進言は逆に気に障らせてしまったらしく、ラトゥーレ姫は立ち上がって激昂してくるものの……。 「まぁまぁ、そう言わないで……だからね、ラトゥーレちゃんお願い。アステルちゃんに一度だけ家宝を取り戻す機会をあげてもらえないかしら?」 そこから、ルミアージュ姫が慣れた様子で宥めながら割って入ると、わたしにとっても思いもよらない提案を向けていった。 「へ……?」 「機会、とな?」 「ええ、これから戴冠式へ出立するまでの期間に、アステルちゃんが聖魔剣を手にしてラトゥーレちゃんへ挑んで一本取れたら返してあげる、というのはどう?」 「どう、と言われてものう……」 ……いや、まったく。 「どうせ、普段から剣をコレクションする趣味もなければ、気高いラトゥーレちゃんが貢ぎ物で媚を売るのも、本来は気が進んでないんでしょ?」 「……ち、ルミアージュにはかなわぬか。まぁよかろう、アレを手に取った程度でわらわに一矢報いられるとも思えぬが、退屈凌ぎに付き合ってやろうぞ?」 しかし、どう考えても受けるメリットは見当たらないラトゥーレ姫の方も、やがてルミアージュさまに流されるように了承してしまった。 「い、いいんですか……?!」 「ただし、次に敗北した際は色々と覚悟しておくのじゃ。ルミアージュもそれでよいな?」 「勿論、アステルちゃんもそこまで覚悟の上でここに残っているはずだから。そうよね?」 「え、は、はい……」 いやまぁ、確かにそう言われたら頷くしかないんですけど……。 「よろしい。……んじゃ、あの剣はそれまで借りておいてもいい?この私の名にかけて持ち逃げはさせないから」 「……好きにするがよいわ」 (え、いいのホントに……?) というか、もしかして漆黒の雷帝の最大の弱点見たり? 「……さて、これでお膳立ては整えたから、あとはアステルちゃん次第ね?」 「正直、唐突過ぎてわたしも驚きましたけど……でも、どうしてあんな申し出を?」 ともあれ、やがて(やや強引に)話も決まって再び秘宝展示室へ向かう道中、肩をぽんぽんと叩きながら満足げに告げてくるルミアージュ姫へ、苦笑い交じりで尋ね返すわたし。 お陰さまで、真っ暗闇の中で一筋の明かりが灯された気分ではあるけれど。 「まず、根本的に作戦を変更する必要があったんだけどね、その中でやっぱアステルちゃんは堂々と挑むのが向いてるかなって」 「あはは、確かにそうですね……ありがとうございます」 (本当、この人は……) ならば、わたしの方は今度こそ親愛なる姫さまからの期待に応えるのみである。 * 「……さぁアステルちゃん、聖魔剣をもう一度手に取ってみて?」 「は、はい……!」 それから、まさかその日のうちに再び訪れるコトになるとは思っていなかったうちの家宝の展示場に着くや、見守る姫さまに促されるがまま、わたしは今度こそという期待と、これでダメだったらという不安を心に同居させつつ台座へ両手を伸ばしてゆく。 「テラスで勇気の翼を出した時のコトを思い出して。一度はラトゥーレちゃんに敗北したショックで自信を失いかけてたけど、もう大丈夫。今の貴女は紛れもない勇者だから……」 「…………!」 (そうだ、こんな所で躓いている場合じゃない……) 使命を果たして約束通りにリセのもとへ戻る為にも、そしてわたしの望みを叶えてくれようとしているルミアージュ様のためにも……。 「…………」 「…………」 「……あ……!」 やがて、そんな想いを込めて静かに佇む聖魔剣の柄へ触れると、大きく脈動する衝撃が一度伝わり、沈黙していた刀身から光と闇の混ざり合うエレメントの気配が立ち上ってゆく。 「どう?」 「ええ……今度は確かに感じます……!わたしの手に反応して聖魔剣が目覚めたのを……」 「そう。なら、いよいよ決戦も見えてきたわね?」 「……は、はい……」 「…………」 (あれ、でも……こんなもの……?) ただ、それでも一つだけ気になるのは、確かに起動はさせたものの、話に聞いていたような爆発的なチカラというには、まだ到底及んでいないってコトだけど……。 次のページへ 前のページへ 戻る |