法少女はプリンセスに揉まれて勇者となる その7


第七章 信じた刃は白く

「ぐ……ぅ……っ」
 幼少の頃から秘かに憧れていた勇者を襲名しての五日後、わたしは聖魔剣の鞘を手にしたまま再び冷たい石の床に這い蹲って呻き声を上げていた。
「……どうし……て……」
 不意打ちとはいえ、二度も魔姫に一撃で沈められてしまったという無力感と、まさかのその相手に愕然としつつ、大切な人が去っていく足音を為す術も無く頭に響かせるわたし。
「…………」
 いや……どうして、なんかじゃなくて……。
(リセ……ごめん……やっぱりわたしが不甲斐ない……ばかりに……)
 そして、全身を巡る痺れに段々と意識が薄れゆく中で振り返りつつ、突如にして……いや、今思えばどうしてこうなるコトを想定していなかったのかを後悔させられていた。
「…………」

                    *

「…………」
 アルストメリア城の三階から繋がっている空中庭園の真ん中で、わたしは今日も聖魔剣エクスプレセアを両手に泰然と構え、眼を閉じて意識を研ぎ澄ませていた。
(集中、集中……)
 できる限りの雑念を捨て、剣と一体になった感覚になるまで、体中の神経を同調させてゆく。
 ……兄さん達もこうやって、長時間にも渡って精神統一の修行をしていたのは覚えているし、今でも怠っていないとも聞いている。
「……はー……っ」
 やがて、そうしているうちに身体が軽くなり、自分が一つの塊になった様な境地になる。
「…………」
 そうして、こうなる頃合を待っていたわたしは……。
「はぁぁぁぁぁ……ッッ!!」
 眼(まなこ)を一気に見開き、気合一閃!
 解放された聖魔剣に込められた聖霊の加護が全身を駆け巡り、爆発的な活力を……。
「…………」
 与えてくれるハズなんだけど……。
(うーん……)
「……どう?チカラは沸いてきた?」
「いえ……なんというか……」
 それから、すぐ隣のベンチに腰掛けたまま声をかけてきたルミアージュ姫に、首をかしげながら曖昧な反応を返すわたし。
 全力で首を横に振って否定するほど全く沸いてこないわけじゃないんだけど、期待していたレベルには到底及ばない、このもどかしさ。
 聖魔剣を手にしてから、光のエレメント集めも兼ねて毎日ここで続けているものの、未だに「これならイケるかも!」という領域には踏み入れられていなかった。
「……やっぱり、まだもう少し何かが足りないんでしょうね?」
「ううううう……何かって、一体なんなんですか……」
 せっかくここまで辿りつきながら、わたしにはまだ覚悟が足りないとでもいうんだろうか?
(いや、そんなはずはないんだけどなぁ……)
 もう途中で逃げ出す道は塞いでいるし、何よりやり遂げなければならない使命も沢山ある。
 ルミアージュ姫さまの為でもあり、勇者アーヴァインの末裔としてでもあり、もしくはアンゼリク兄さんの為でもあり、そしてわたしの帰りを待ってくれているリセの為にも……。
「……大体、アステルちゃんって、ちょっと気が多すぎなのよねー」
 しかし、そうやって焦りを募らせながら自問自答してゆくわたしへ、ルミアージュ姫さまが聞こえていたかの如くなツッコミとため息をついてくる。
「……なんか人聞きが悪いですけど、それは雑念って解釈でいいですか?」
「うーん、ちょっと違うわね。集中力の問題じゃなくって……」
 そして、姫さまは腕組みしつつ、何て説明すればいいか悩んだ様な素振りを見せた後で……。
「……ね、アステルちゃんって結局は誰が一番好きなの?」
「え……?!」
 やがて、唐突に核心めいた質問を向けられ、わたしの胸がどきっと高鳴る。
「い、いきなりそんなコト言われても……」
「もう、それをすぐに答えられないからダメなんだと思うんだけどなー?おねーさんは」
「……えええええ……」
 そもそも、誰が一番好きかと言われても、どういうイミで好きかでまた話も違ってきそうな気がするんですけど……。
「まぁいいわ。猶予も少なくなってきているし、ここらで一度心の整理でもしてみましょうか?」
 ともあれ、さっきから殆ど「え」でしか答えられていないわたしへ、ルミアージュさまはそう言って精神統一に付き合う傍らで読んでいた本を閉じて立ち上がる。
「……やっぱり、気持ちの問題なんですかね?」
「アンゼリク君も、騙されたと分かった後でさえ、ラトゥーレちゃんに対してこんな女の子相手に本気で刃を向けていいんだろうかという揺らぎが見えてたけど、迷いは勇者を凡人にしてしまうと思うの」
「迷いと言われても、今更そんなの無いつもりなんですけどねー……」
「いーえ、迷いと一口に言っても、自覚しているものばかりとは限らないわよ?……少なくとも、おそらくアステルちゃんはまだ自分の心を一本化出来ていないのだろうから」
「はぁ……」
 よく分からないけど、姫さまの方は何やら心当たりがあるっぽいので、ここはわたしも素直に頷いてみるとして……。
「……それにしても、何だか嫌な空模様ね。ひと荒れきそうかしら?」
 それから、いつしか黒い雲に覆われ始めてきていた上空を見上げつつ、ぽつりと呟いてくるルミアージュ姫。
「ですねぇ……これから今夜は雨かな……?」
 今日は朝からじめじめと生温い空気が漂うはっきりしないお天気で、実は少しだけ胸騒ぎみたいな昂ぶりも覚えたんだけど、もしかして姫さまも感じているのだろうか?
「んじゃ、降りだす前に戻りましょうか?じきに日も暮れちゃうし、お話の続きは私の部屋で」
「あはは、ちょっとお腹もすいてきましたしね?」
 ……ただまぁ、元々物騒な世界なんだし、いちいち気にしていてもキリが……。

 ズズウンッッ

「……うお……っ?!」
 しかし、それから聖魔剣を鞘に納めて撤収しかけたところで、突如として城の正門付近の方から大きな爆発音と揺れが伝わってくる。
「な、なに……?!」
「敵襲……かしら?」
「……ルミアージュ様、すぐに避難してください!間もなくここも危険です!」
 そこで思わず姫さまと顔を見合わせていると、衛兵の一人が慌てた様子で退避を促してきた。
「何があったの?」
「敵襲です……!それも、相手の数は一名ですが、我々では止めきれないでしょう」
「たった一人の敵にって……まさか……」
「ええ、何せ相手は魔姫の一角ですから。さっ、お早く!」
「リセ?!」
「アステル?!待ちなさい……!」
 それから、頭に浮かんだ最悪の予感が的中するや、わたしはルミアージュ姫の制止を振り切って渦中へと駆け出していった。

                    *

「リセ……?!」
 ……やがて、もう何日ぶりかは数えていないけど、久々に大切な友達と遭遇したのは、二階から三階へと続く中央階段前。
「アステル……」
 懐かしいその姿を見てすぐに呼びかけると、相手も立ち止まってぽつりとわたしの名を呟くものの、感動の再会ムードには程遠かった。
「…………っ」
 なにせ、虚ろな真紅の目は生気が薄れていて、全身にはラトゥーレ姫みたいなどす黒い魔力を纏っているし、どうやらユーリッドさんの言葉通り……いや、想定以上の変わり果てた姿だったから。
「アステル……今は剣を持ってるんだ……?」
「うん、持ち込んだ杖は没収されたし、ちょっと事情があって……ってそんなコトより、リセはどうしてここに?!わたしは必ず戻るから待っていてって、伝えてもらったでしょ?!」
「……待てなかった……」
 それを見て、わたしが困惑と後悔で八つ当たり気味に叫ぶと、リセは短い言葉であっさりと吐き捨ててしまった。
「う……」
「それに、ラトゥーレはいつも私の大切なモノを奪おうとする……。やっぱり、自分の手で決着をつけなきゃいけない……」
「ダメだよ!もしリセに何かあったら……」
「……あとのことは、ユーリッドに任せてきた。彼女はお爺さまの代に迎え入れられた養子で、二代を跨いで今は継承権だってあるから、私がここで斃れても国(フェルネ)は終わらない……」
「え……」
 こんな時に、そんな都合のいい抜け道があったなんて知りたくなかったけど……。
「それとも、アステルも私の邪魔をする……?」
「……リセの為に、しなきゃならないのなら……あうっ?!」
 とにもかくにも、こうなればわたしがユーリッドさんの代わりに身を挺してでも止めようと身構えたものの、一歩目を踏み出す前にリセの杖の先から大量の黒バラと蔓が触手の様に襲い掛かってくると、避ける間もなく雁字搦めにされてしまった。
「ぐ……ぅ……っっ?!」
「ごめん……でも、アステルこそ少しだけ待ってて。すぐに決着をつけてくるから……」
 それから、石の床へ倒れ込んだ後も闇の魔力で生成されたトゲのある蔓にキツく締め付けられて呻き声を漏らすわたしへ、近づいてきたリセは憂いに満ちた目で見下ろしつつ、氷の様に冷たい殺気を孕んだ謝罪の言葉を告げてくると……。
「り、リセ……」
「……あと、奪われた家宝も、私が取り戻してきてあげる……」
 そう続けた後で纏ったマントを翻し、瞳に本来の光が戻らぬまま歩き出して行ってしまった。
「ぐ……ぅ……っ」
 わたしはすぐに立ち上がって追いかけたかったものの、程なくして今度は全身に強い痺れが走り始め、大広間へ向けて歩んでゆく大切な人の足音が頭の中で一際大きく響くのを感じながら、次第に意識が朦朧となっていった。
「……どうし……て……」

                    *

「……テル……!」
「アステル……!」
「う……」
 ……あれから、どのくらい経ったろうか。
「よかった、ようやく目を覚ましてくれた……大丈夫?」
 誰かが必死で呼びかけてきている気がしてようやく我に返ると、見上げた先ではルミアージュ姫が心配そうな顔でわたしを覗き込んでいた。
「正直、あまり大丈夫でもないですけど……うぐっ」
 ただ、意識は戻ったものの、まだリセの魔法の拘束は解けてなくて、身動きが取れないまま。
「困ったわね……この茨、解けない?私も触れないし……」
「精霊魔法仕掛けの拘束なら、奥の手を使って強制解除も出来るんですけど、こいつはどうやら呪いとの複合魔術みたいで……」
 リセもわたしの能力を把握した上でこの方法を選んだんだろうけど、あの期末試験で見せたのがまさかこんなトコロで仇になるとは……。
「そう……私もさっきリセリアちゃんの姿が目に入ったけど、以前にお城で見た時とはまるで別人だったわね。まったく、アステルちゃんも罪深いんだから」
「いや、その……」
 ホント、申し訳ないやら責任を感じるやら照れくさいやら……。
「えっと……それより、今の状況はどうなってるんですか?」
「現在は、概ねラトゥーレちゃん……いえ、あのコに取り憑いた魔神の思惑通りかしら?」
 ともあれ、今はそれどころじゃないと照れ隠しも兼ねて話を元に戻すと、ルミアージュ姫は神妙な顔で時おり戦いの音が聞こえてくる大広間の方へと視線を向けてわたしに告げてくる。
「魔神?」
「……ええ、私の認識が甘かったわ。ラトゥーレちゃんの書斎からヘルヴォルト家の記録を掘り起こして詳しく調べていたら、どうやらあのコに取り入ってる正体は単なる怨念なんかじゃなくて、この地に古くから封印されていた魂喰らいの魔神というのが分かったの」
「…………っ」
 そして、姫さまから詳しく聞かせてもらった話によれば、元々この地には他者の魂を取り込んで己の魔力とする危険な魔神が棲み付いていて、二千年前にラトゥーレ姫とリセのご先祖が協力して封印する事に成功したものの、一千年前の魔王交代の際に当時のヘルヴォルト家当主がそいつの力を利用してプレジール家からフェルネを奪い戻そうと、不完全ながらも封印を解いたら逆に魂を喰らい尽くされてしまったんだそうで。
 ……結局、魔神に喰われた彼はフェルネへ総攻撃を仕掛ける前に内部で“処理”されて原因不明の病で急死という扱いになり、領土安泰を優先した次の当主は計画を破棄して無駄な流血を避ける方向へ舵を取ったことで平穏が戻ったものの、それから後のヘルヴォルト家の当主は先代の悪夢に魘されるようになったらしい。
「……つまり、その悪夢を見せているのが、ラトゥーレ姫の先祖の魂を取り込んだ魔神だと?」
「ええ、魔神にとってもプレジール家を滅ぼせば自分の封印は完全に解けるし、リセリアちゃんの先祖を心底憎む彼との利害は一致しているもの。……そして丁度ラトゥーレちゃんの代は魔王の世代交代による久々の領土刷新の機会を得たから、特に強く干渉されているみたいね」
 そして、「ラトゥーレの毎夜苦しみもがく姿は、もう見るに耐えない……」と、辛そうに目を伏せるルミアージュ姫。
「…………」
「これまでずっと側で見てきたあのコの様子から察するに、おそらく夜な夜な夢の中で魔力加護と引き換えに、プレジール家を根絶やしにしろと吹き込まれ続けているんじゃないかしら」
「……っ?!てコトは、リセは……?」
「元々、二人はほぼ互角の実力と聞いたから、加えて魔神の魔力が注がれた今のラトゥーレちゃん相手には、彼女一人じゃ勝ち目は薄いでしょうね……」
「く……っ?!だったら、こうしちゃいられなかったんじゃない……うぁっ?!」
 しかし、湧き上がってきた衝動に任せて身を起こそうとするも、リセの黒薔薇の緊縛がわたしの身体に痛みを伴う強い圧迫を与えてくる。
「こんな……どうすれば、いいのよ……っ?!」
「……言葉にするなら、簡単よ。アステルちゃんが殻を破ればいい」
 そこで思わず真っ暗な天を仰いだわたしへ、ルミアージュ姫が素っ気無いまでの冷静な口ぶりで告げてくる。
「殻……?」
「リセリアちゃんの襲撃騒ぎで有耶無耶になってしまったけど、心を一本化しろと言ったばかりでしょう?」
「心を……」
「アステルちゃんはまだ魂を研ぎ澄ませられていない、勇者として中途半端な状態だから」
 そして、「ただ、この私の責任も多分にあると思うから、あまり偉そうには言えないんだけど……」と苦笑いも付け加えてくるルミアージュ姫。
「そう、言われても……今のわたしは、ただリセを死なせたくないだけ……」
「本当に、それだけ?それがアステルちゃんの信念?」
「…………」
 言われてみれば、ルミアージュ様には悪いながらも正直に申告したつもりが、どこかで淀んだ引っかかりを感じているのに気付く。
(……違うの?)
 心の一本化って、願いを一つに絞ることじゃないの?
 ……英雄と称えられた御先祖様だって、あの戦いできっと自分だけじゃ到底抱え切れない護るべきものを取捨選択していってたはず。
(だよね……?)
「…………」
 しかし、何とか手放すまいと鞘を掴んだ左手を介して家宝へ問いかけるも、反応はなし。
(…………)
 ああもう、身体に力は入らないし億劫になってきた。
 もちろん、本気で何か返ってくるとは思っていなかったとしても……。
「…………」
 いや、本当は自分の本音なんて分かってる。
 やっぱりみんな……助けたい。
 欲張りでワガママだけど、取捨選択なんてしたくない。
(でも……)
 今のわたしに、そんな能力(チカラ)は……。
「……ね、アステルちゃん。アステルちゃんは私のことは、好きかしら?」
「へ?えっと……」
 しかし、それから気持ちが再び沈みかけたところで、ルミアージュ様から唐突にシンプル極まりない質問を向けられ、意識を引き戻されるわたし。
「アハハ、リセちゃんとどっちが、なんて意地悪なコトは言わないから」
「そ、それなら勿論、好き……です……」
 リセが聞いたら不機嫌にさせてしまうかもしれないけど、この気持ちはおそらく一生消えることはない。
 ……というか、リセへの想いとはおそらく別物なんだとも思うし。
「んじゃ、ラトゥーレちゃんは?」
「えっと……よく分かんないですけど、でも……」
「でも?」
「姫さまとの約束もありますし、出来るものなら何とか助けてあげたい、かも。……確かに気が多いですけど……」
 ここまであまりいい思い出こそないものの、彼女の境遇に対して何だか他人事には思えない気持ちもあったりするし。
「ううん、私が言ったイミはそんなんじゃないから。……それじゃ、どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって……あ……」
 それから、姫さまにそこまで踏み込まれたところで、わたしの頭に光明が宿る。
「……ね?一本化、出来そうでしょ?」
「…………」
 魂を研ぎ澄ませるという意味、やっと分かったかも……。
「あとは、きっとその聖魔剣が叶えてくれるわ。それは“そういう”武器なんでしょう?」
「そう、ですね……」
 そして、改めて自分の不甲斐無さに涙がにじみつつ、口元を緩めながら頷く。
 勇者のくせに集中力には欠けてるし、結局はリセにも気持ちで負けていただけじゃないの。
(こんなザマで、何が伝説の勇者の末裔だか……)
 でも……。
(……やれやれ、よーやくその時が来たわね?) 
「へ……?」
 するとその時、わたしの脳内へ直接呼びかける女の人の声が聞こえてきて……。
(ほら、さっさとワタシを解き放ちなさい。手遅れにならないうちにね?)
「…………」
「どうしたの?」
「……今、声が……」
「声?」
「……いいえ。それより姫さま、少しだけ手伝ってもらえますか……?」
「ええ、もちろん」
 最初は少し驚いたものの、それからすぐにわたしはそれ以上の言葉は不要とばかりに首を横に振って協力を促すと、ルミアージュ様も全てを察した様子で頷き、両手で聖魔剣の鞘を抱きかかえてこららへ柄の部分を差し出してきた。
「……ぐ……っ」
 そして、わたしはルミアージュ姫の助けを借りて何とか伸ばした両手でしっかりと柄を握ると、全身を蝕む痺れに抗うように念じた。
(未熟な部分は後でちゃんと修行するから、今は魔を討ち祓うチカラを……!)
(……ええ、覚えておくからね?さあ、思うが侭に未来を切り拓きなさい)
「…………」
「それじゃ、抜くわよ?」
「お願いします!……ってぇ……っ?!」
 それから、姫さまが勢いを付けて一気に鞘を抜き放った途端、体内から大きなチカラの猛りが湧き上がり、わたしを縛っていた茨の呪縛を瞬く間に浄化してしまった。
「お、おおおおお……ッッ?!」
 な、なにこれ……?!
「ふぅ、手遅れになる前にようやく覚醒したわね?勇者とは、己の想いをチカラに換えられる体質の者を言うの。だから同時にいくつもの想いを背負えば、それだけ純度が分散されてしまう」
 それから、立ち上がって自分の身体の変化を見回すわたしへ、姫さまは空になった鞘を差し出しつつ優しい笑みを浮かべて教えてくれた。
「……だから、常に勇者は最小限で最大の効果が得られる行動が求められる、ですか」
 そういや、家訓の最初の方にもあったっけ……。
「ほら、分かったら早く行きなさい?もうやるコトは一つだけのはずよ」
「は、はい……」
「……ああ、あと一つ。光や闇のエレメントってのは、扱う者の感情の起伏にすごく影響されちゃうものなの。ラトゥーレやリセリアちゃんは負の感情が闇の精霊と連動して悪い方向へ増幅しちゃったけど……皆まで言わなくても分かるわね?」
「了解です……っ!」
「聖魔剣の扱い方もこっそり勉強して分かってるはずだろうから……さぁ、何とかしてきなさい、アステル・F・アーヴァイン!」
「します!してみせます……っ!」
 とにもかくにも、早速わたしは強い言霊を込めた返事と共に勇気の翼(ブレイヴ・ウィング)を力いっぱい広げると、今も大切な人が戦っている渦中へと羽ばたいていった。

                    *

「…………」
 決して、油断していたつもりはなかった。
 ……それに、“そういう”噂も聞いて準備もしてきたつもり。
「……く……っ」
 それなのに……。
「ふははははは!どうしたどうした、プレジールの魔姫よ?!」
 もう、どれだけ戦い続けているか分からないけど、決めるつもりで放った渾身の一撃も相手の障壁に阻まれ、息切れして万策も尽きかけている私に対し、瓦礫寸前の玉座の前でラトゥーレ……いや、彼女を乗っ取った魔神は背中から禍々しい影を具現化させつつ勝ち誇っていた。
「……はぁ、はぁ……っ」
 敵の手の内はある程度分かってるつもりだし、実際に繰り出してくる攻撃はラトゥーレの得意技ばかりだから、対処不能な攻めで致命傷を受けてるわけでもないけど……。
「どうした?もう攻めて来ぬのか?ならば……」
 やがて、次の反撃の一手を考えあぐねているうちに、魔神=ラトゥーレの方から杖を振りかざしてくると、その先に集まる甚大な魔力で生成された漆黒の雷が肥大化して、こちらへ齧り付くように襲い掛かってくる。
「……水の精霊よ、集まって……!」
 そこで即座に反応した私も同じく杖を構え、避雷効果のある水の盾を作って、そこへ雷撃を集約しようとしたものの……。
(だめ……防げない……?!)
「ふっ、貴様の余力もその程度……最早こざかしくもあるわ……!!」
「ッッ?!……うぁぁぁぁぁ……っ?!」
 すっかりと密度の弱まっていた私の盾は、相手が追加で注入してきた魔力から耐え切れずに打ち砕かれ、そのまま初めての直撃を食らって吹き飛ばされてしまう。
「……う、うう……っ」
(……ため込まれた魔力の桁が……違いすぎる……!)
 戦いが始まった直後こそ互角だったのに、長引けば長引くほど差がついてきて……今や勝ち目すら尽きかけていた。
 ……悔やむとしたら、何だかんだでラトゥーレを殺してしまうコトに躊躇いを覚えてしまった自分の甘さなんだろうけど……。
「……くっくっくっ、全く、圧倒的ではないか?」
 ともあれ、すぐに立ち上がれずにいる私へ、ラトゥーレに憑いた魔神は勝利を確信させた笑みを浮かべて、一歩ずつ近づいてくる。
「忌々しき封印が片割れしか解けておらぬが為に、我は未だこの地へ縛られたまま。……故に、いかにして貴様をここまで誘き寄せるか苦心させられたものだが、まさか此れ程の絶好な頃合で叶う日が来るとはな?」
「…………」
「プレジールの当主にして魔姫ともあろう者が、たかが一人の人間如きに愚かな話だ。……尤も、このヘルヴォルトの魔姫も同類だった様だがな?」
「あなたには絶対に分からないし、関係ない……」
 そう、既にすっかりと意識を乗っ取られてしまっているラトゥーレは分かっていたからこそ、アステルを私の呼び水にしたし、それゆえに本気で憎しみも感じたけど……。
「フッ……だが、喜ぶがいい。貴様を斃した後であ奴の魂も喰らってやるが故に、我の中で本懐を果たせばよかろう?」
「…………ッッ?!」
 ……こいつは、“それ”にすら値しない、ただの汚物。
 こんな奴に、アステルの魂を汚させるわけにはいかないから……。
「いずれにせよ、ここでプレジールを根絶やしにすれば、我が封印も完全に解ける。加えて魔姫二人の魂があれば、我は魔王ともなれようぞ!フハハハハハ!!」
「ぐ……っ、黙……って……!」
 私は最後の力を振り絞って立ち上がり、余力を杖の先に集めると、最期の一撃に賭けてゆく。
(こうなったら、私の命と引き換えにしてでも……!)
 いわゆる、“魔杖”と呼ばれる高位の杖に埋め込まれた精霊石には特別なチカラが隠されているものが多く、このプレジール家に代々伝えられてきた秘法の一つであるルキフグスの杖にも、切り札と呼ぶべき秘術が仕込まれている。
 ……その秘術とは、自分の魂を触媒にして闇の魔力を一気に解放させる、いわば相打ち狙いの暗黒魔法で、これを使った後の私はどうなるか分からないし、暴走を引き起こせばアステルの身にも危険が及ぶかもしれないけど……。
「…………」
 ……それでも、この悪魔だけはここで滅ぼしておかなきゃならないから……。
「ほう、魔姫らしく最期の抵抗を試みるか。くっくっくっ、そうでなくてはな?」
「……馴れ馴れしいし……めざわり……!」
(ルキフグスの杖よ、我が魂を贄に怨敵を打ち滅ぼすチカラを……!)
 やがて、発動に必要な魔力を集めた私は、いよいよ仕込まれた秘術を発動させようとしたものの……。
「…………っ?!」
 しかし、魔力が解放されて攻撃の形を為す前に、精霊石のコアが音を立てて砕け散り、私の周囲で小規模の爆発を引き起こしてしまった。
(そんな……?!)
 最期の一撃は、まさかの自爆だなんて……。
「ククク、フハハハ!この佳境にて集中を乱し制御を誤るとは、愚かの極みなり!」
「…………っ」
「最早、貴様の余力では我に傷一つ付けるコトすら適わぬ。そろそろ、引導を渡してくれるわ!」
 そして、精根尽きかけて這い蹲る私に完全な勝利を確信した魔神は、ラトゥーレの杖の先に禍々しくもどす黒い魔力を集め、それが大きく口を開けた巨大な邪竜の形を為していった。
「…………」
 ここまで、か……。
(アステル、ごめんなさい……)
 私の命が尽きて戒めが解けたら、どうか逃げ……。
「さぁ、至高の媚味なる魔姫の魂よ、我が血肉となる時が来た!」
「……そうは、いくかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
「…………?!」
 しかし、いよいよひと飲みにせんと邪竜が放たれたのとほぼ同時に、背後から最後に思い浮かべた想い人の叫びが突如聞こえてきたかと思うと、白銀の翼を生やしたアステルが煌く羽根を撒き散らせながら、目にも留まらぬ速度で私の前に降り立ち……。
「……アステル……!」
「ぬ……?!」
「でぇりぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
 両手に握った二色の刀身の剣を気合一閃の叫びとともに横薙ぎに振り抜くと、霧を晴らす様に迫ってきていた邪竜をかき消してしまった。
「……す、すごい……!」
「はー、はーっ……よし、どうにか間に合った……!よね?」
「う、うん……」
 一応、かなりギリギリだったけど、でも……。
「無粋な乱入者めが、貴様も我の邪魔をするか?!」
「……不躾なのは謝るけど、ラトゥーレ姫との約束を果たしてもらいにきたわよ?」
 ともあれ、呆然としつつも頷く私に精悍な笑みを見せた後で、続けてアステルはラトゥーレを乗っ取った魔神へ切っ先を向けて威風堂々と言い放つ。
 ……それは、アステルってこんなにカッコよかったんだ?って見とれてしまう凛々しさで。
「約束、だと?」
「大切な宝を取り戻すために、もう一度だけ挑戦させてくれるんでしょ?それ、たった今から挑ませてもらうから……!」
「人間ごときが図に乗るな!消え失せるがよいわ!」
 すると、挑発に激昂した魔神はどす黒い魔力の塊を次々と生成しては四方からアステルへ向けて放ったものの……。
「無駄よ……ッッ」
「ば、馬鹿な……我が力が届かぬ……だと?」
「……生憎、これでも“ごとき”じゃ片付けられないワケありなのよね、わたしゃ」
 それらもまた、剣を縦に構えて発生させた障壁で防いでしまうと、動揺を見せる魔神へ向けて余裕すら見せ始めるアステル。
(あれが、“魔王殺し”の聖魔剣が持つ、聖霊の加護……?)
 ……いや、むしろ聖魔剣がアステルを強くしているというよりも、彼女の意思に剣が応えているというべきなんだろうか。
「リセ、立てる……?」
「う、うん……アステル……あのね、私……っ」
 ともあれ、それから敵と対峙したままのアステルから改めて声をかけられ、私はゆっくりと立ち上がりつつ何か言おうとしたものの、言葉がもつれて口ごもってしまう。
 ……言うべきことは沢山あるはずなのに、最初の言葉がすぐに出ない。
「……ホント、いつも待たせてゴメンね、リセ?けど、もう大丈夫だから」
「う、うん……私の方こそ、待ちきれなくて……ごめん……」
 けど、そんな中でアステルから先にごめんなさいを向けられ、私の方もよろけながら彼女の隣へ立ち、素直に仲直りの言葉が出てきた後に……。
「あはは、それじゃこれでおあいこってコトで」
「……うん……えっと、それとね……?」
「ん……?」
「……ずっと、アステルには杖よりも剣が似合いそうって、そう思ってた……」
 それから、今まで言うまいとしていた告白がとうとう口から出てしまう。
「リセ……」
「言いたくなかったけど……たぶん、アステルは宮廷魔術師なんかより……」
「……実はさ、わたしも本音はそうだったのかもだけど……でも、こうも言われたよ?お姫様の傍らに似合うのは、やっぱり魔術師より勇者さまだって」
 しかし、籠の中から可愛がっていた小鳥を解き放つ心地で告げたそんな私に、アステルは凛とした笑みで、心が高鳴る言葉を返してくれた。
「アステル……!」
「さあ、二人で一緒に決着をつけよう?やっぱさ、ラトゥーレも助けてあげたいし」
「……うん……っ!」
 そして続けてアステルに促され、私は心の闇が綺麗に晴れてゆく心地になりつつ頷くと……。
「でも、その前に……」
「へ?ん……っ?!」
 私は湧き上がる衝動の赴くがまま、不意打ちでアステルの唇を奪っていた。
「リセ……?」
「……これが、今の私のきもち……勇者に託す姫としての……」
「……そっか、ありがと……って言ったら、ヘンかな?」
「ふふ……ちょっとそうかも……」
「き、貴様ら、黙って見ておれば先程から我が前でふざけおって……!」
「ふざけてない……真剣……」
 それから、眼前で手を出しあぐねているくせに勝手に怒り出す魔神へ、冷たく返してやる私。
「うん。ふざけてるのは、どう見てもアンタの方だから……」
 更に続けてアステルも同調すると、私の手元に片手で握った聖魔剣を差し出してきた。
「……リセ、アイツを祓うには大量の聖と魔、両方のチカラが同時に必要なんだけど……手伝ってくれる?」
「もちろん……。でも、どうすればいい……?」
「二人で、この聖魔剣に封じられたチカラを発動させて浄化してやるの。わたしは光、リセは闇の精霊に働きかけて……いい?」
「……うん、二人の共同作業……だね?」
「えへへ、そう言われるとちょっと照れくさいけど……」
 でも……それでうまくいく気がする。
 ……負ける気なんてしない。
「…………っ?!」
 そんな気持ちを込めて、私がアステルの右手を包むように両手で剣を取り、更に彼女がその上に左手を被せると、身体の芯から光でも闇でもない不思議な活力が沸き上がってきた。
(もしかしてこれが……昔にルドウェキア陛下を退けたチカラ……?)
「……さぁ、行くわよ!最期の抵抗はしなくていいの?」
「ならば、見せてくれるわ!永きに渡り蓄積されし我が魔力を……!!」
 それから、準備も整ったところでアステルが向けた挑発を受け、ラトゥーレに乗っ取った魔神イクリプスは最も激しく激昂すると、これまで飲み込んできた魂が一気に解放されて、空気が淀むほどの禍々しい気配を滾らせながら、複合体となった影が大きく膨れ上がってゆく。
「……わたしにとっちゃ、的がでかくなっただけね。リセ……?」
「うん……狙うのはあの悪霊本体……私もラトゥーレを助けてあげたい……」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ!!」
 それでも、私たちは飲み込まんと迫り来る影にも臆せず、意識を統一していき……。
「我が魂は不滅……さァ貴様ラも我ト一つになるのだァァァァァァァァァァ!!」
「お呼びじゃないのよ、アンタは……ッッ!!」
「……消えて……!」
 アステルに合わせたタイミングで、ラトゥーレの頭上の魔神本体へ向けて放った渾身の一撃と共に、聖魔のチカラを解き放った。
「ウゴアァァァァァァァァァァッッ?!」
 その後、斬撃を起点として放たれた二色の眩い光はそれぞれ相手の闇を吸収し、そして光に溶け込ませるように浄化してゆく中で、やがて魔神の影がもがき苦しみ始め、糸が切れたかのようにラトゥーレの身体はその場に倒れ込んでしまう。
「ラトゥーレ?!」
「……う……っ、く……わ、わらわは……?!」
 それを見た私とアステルは一緒に駆け寄ろうとしたものの、程なくしてラトゥーレはようやく悪夢から覚めたように額を手でおさえて首を振りつつ、よろよろと背中を起こしてきた。
「やった……?!」
「……ううん、まだ……」
「へ……?」
「あとは任せて……私が義務を果たすから……!」
 そしてラトゥーレの解放を確認した私は、ちょうど足元に見つけたルキフグスの杖のコアの欠片を拾い上げ、それを依り代にして代々伝わってきた封印秘術を起動させると、魔神の魂のすぐ近くの空間に大きな裂け目が広がってゆく。
「あれは……!もしかして、次元の隙間?」
「うん……もう二度と戻って来れないようにする……!」
 これこそ、二千年の昔に私の先祖がラトゥーレの祖先と一緒に施した封印術の完成版で、いつしか封印が弱まったり、解けてしまった時のために代々受け継がれてきた、不死の魂を時の流れの無い亜空間へ永久に追放する究極の秘術。
「うっ、うがぁぁぁぁっ?!ひ、引き寄せられ……やめろぉぉぉぉぉぉ」
「……悪いけど、慈悲は無いから」
 やがて、大きな裂け目に広がった向こう側から強烈な吸引力が働き、吸い寄せられる魔神の魂は必死であがき始めるものの、もちろん私が手を止めることはない。
 これで、長きに苦しめられていたラトゥーレも救われるはず……。
「……ぬおおおおあ、か、かくなる上は、タダでは滅びぬ!ヘルヴォルトの血も諸共……!!」
「ひ……っ?!なんじゃ……うわぁぁぁぁぁぁッッ?!」
 しかし、それからいよいよ逃れられないと悟った魔神は、最後のチカラを振り絞って伸ばした影でラトゥーレの足を掴むと、一緒に亜空間へと吸い込まれてしまい……。
「ラトゥーレ……?!」
「わたしが行く!コレお願い……っ!」
 それを見たアステルは咄嗟に聖魔剣を私に放り投げるや、翼を翻して閉じかけた裂け目の中へと躊躇いなく飛び込んで行った。
「アステル……ッッ」

                    *

「…………」
 何やら分からぬうちに、どうにも名状しがたい異質な空間の深淵へと引きずり込まれつつ、わらわはじきに終わろうとしているこれまでの自分を投げやりに振り返っていた。
 幼き頃より、先祖伝来の領土であるフェルネ奪還の責務を負わされ、その為にあらゆる知識や秘術、そしてプレジール家と共に代々輩出していた魔姫の一角に数えられるべく厳しい修行も課せられてと、自分には選択というものが与えられる機会も時間も無い歩みであったと思う。
「…………」
 それもこれも、抱えの占術師によりそう遠くない時期に魔王交代……即ち、次の領土更新の機会を迎えるという予言が降りたからであるが、今となって思えば、元々は自分と似た立場のリセリアに対しても憎しみの感情など抱いてはおらず、むしろ許されるのならば誼みを結びたかった筈なのに、それも植え付けられたプレジール家への敵対意識で塗り替えられ、いつしかおかしな方向へ歪められてしまった気がする。
(……ま、あとは、少しばかりあやつが羨ましかったのもあろうがの……)
 ともあれ、そんなこんなで先代である父も早くに没し、当主となった後はようやくわらわの好きに出来るかと思っておれば、今度は無様な先祖の呼び覚ましたワケの分からぬ魔神の干渉を受けて、その挙句はこのザマという。
 ……しかも、自分が魔神と先祖の怨念に操られていたと分かったのが、リセリアとの決闘で一度は追い詰められた際に意識と身体を完全に乗っ取られた後というのだから、言葉も無い。
「…………」
 故に、これまで生きてきて楽しみを感じた記憶は少ない。
(……いや、一つだけあったか)
 ただそれでも、帝王学の一環として受けた人間界への留学生活は楽しかった。
 頼る者がいぬ中での心細さもあったが、そんな中で世話を焼いてくれて対等に接してくる、初めての友と呼べる存在が得られたし、ゆえにあやつの依頼を受けて我が城へ招いた後も、ルミアージュが傍らに居てくれる間は、わらわはあの時の自分でいられていた。
(……せめて、最後にもう一度ルミアージュと……)
 心残りも見つかってしまったが、まぁよい。
 わらわ諸共引きずりこもうとしておるこの魔神は、ルミアージュの存在を快く思っておらなんだ様子であるし、あのままではいつしか操られた自分があやつに危害を加えさせられていたやもしれぬと思えば、これでよしとすべきであろ……。
「ゥーレ……ッッ」
「……む……?」
 しかし、いよいよもって諦めの境地へ入りかけた頃、ふと頭上より誰ぞ呼びかける声が聞こえてきておるのに気付く。
「ラトゥーレ、今助けるから……ッッ!」
「ぬ、ぬしは……?!」
 まさか、ルミアージュの幻影でもあるまいにと自虐気味に見上げれば、既にほんの微かな光しか見えなくなった裂け目の方より、わらわを忌々しき魔神より分断した翼を生やした勇者がこちらへ突っ込んで来ておった。
「な、何故ゆえ……?!」
「ワケなんてどうでもいいから、手を出して!」
「し、しかし……」
「いいから、早く……ッッ!」
「お、おう……ぬおっ?!」
 それから、正気を疑う暇もなくあ奴の勢いに流され、差し伸べられた手に向けてわらわも全力で右手を伸ばすと、すぐに取られた腕と掴まれた足から同時に強烈な牽引力が働いてくる。
「逃さぬ……!必ず貴様も道連れに……」
「ぬ……く……っ、やめろ、わらわを引き千切る気か……うぐっ」
「ラトゥーレ、諦めないで……っ!ルミアージュ様が待ってるから……っ」
「……っ、そ、それよりその為に……そなたはわざわざわらわを助ける為に、ここまで飛び込んできおったというのか……?!」
「何か問題でも……っ?!それに、このままじゃハッピーエンドにならないじゃないっ」
「わ、わらわが助からないと……じゃと?!あぐ……っ!」
「リセだって、ラトゥーレを助けたいって言ってるんだから、無駄にしないで……ッッ」
「…………っ、リセリアまで……」
「…………」
「……くっ、いっ、いい加減に離さんか、穢らわしい……ッッ!!」
 その勇者の言葉で、最後の一撃を食らわせる活力が漲ったわらわは、空いておった方の足へ全霊を込めて蹴り上げてやると、纏わり付いておった汚らしい影はようやく引き剥がされ……。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ?!口惜しい、口惜しいぞォォォォォォォォ!!」
 そのまま、魔神の成れの果ては断末魔をあげつつ、深淵の奥底へと吸い込まれていきおった。
「はぁ……はぁ……」
「……ほら、ちゃんと抗えたじゃない?」
「ふん……まっこと勇者とかいう輩は向こう見ずで愚か者ばかりよの……」
 その後、生意気なコトをぬかす勇者の胸元へ抱き寄せられるも、これ以上抵抗する気力も尽きたわらわは、大人しく身を委ねつつぼやいてやる。
「否定はしない……でもわたしは、こうやって無意識に飛び出せた自分が好きかな?」
「無意識、じゃと?」
「ほら、家訓曰く、勇者がいちいち理由を考えて動くんじゃない、ってね?」
「……それは、ただ無謀というのではないのか?」
 そもそも、先程まで辛うじて見えていた微かな光も消え、既に閉じられてしまったこの亜空間から、いかにして抜け出そうというのか。
 ……尤も、このまま漂うとしてもあの汚らわしい悪霊よりはこやつの胸の方が、ルミアージュ程の心地ではないとしても遥かにマシではあるが。
「へへ、けど、ただ無謀なだけでもないんだよ?ほら見て」
 しかし、そんなわらわへ向けて、勇者は自分の翼の端から伸びていた一本の青白く光る細い線を指差してくる。
「……なんじゃ、ちゃっかり紐付きで飛び降りてきおったのか」
「うん。向こうでわたしたちを待ってる人たちが、ちゃんと繋ぎとめてくれてるから」
「…………」
「……あと、それにきっと、こんなわたしをリセも愛してくれるかなって……あはは」
「ふん……それでも、愚か者には変わりあるまいて……」
 正直、リセリアの心情を思えば言いたいコトも無くはないものの、張り詰めていた緊張が解けて脱力してきたわらわは最後にそれだけ返すと、あとはその愚か者の腕にしがみ付いて大人しく連れて帰られてやるコトにした。
(ふん……)
 ……ただ一応、愚か者だろうがいささか過小評価しておったのは認めねばなるまいが。

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