使の舞い降りた街 美幸編 その1


 わたし達の世界には、“天使の舞い降りた街”と呼ばれる場所があるらしい。
 「天界」という別の世界より、様々な想いを心に秘めてやって来た天使達は、やがてパートナーを見つけてその者の守護天使となる。
 そして、天使と契約を結んだ人間は幸運を身に付ける加護を受け、一方で守護天使は天界では得られなかった大切なものを対象者より受け取るのだという。
 夢物語にしても滑稽で、最初にその話を聞いた時は何の冗談かと思ったけれど、しかしわたしはすぐにその認識を改めさせられる事になってしまった。
 ……何故なら、新しく越してきた街で、天使はわたしの前へ確かに降り立ったのだから。

第一章 はじまりの広場

「……ん?」
 何やら柔らかくて冷たい感触が首筋に触れ、わたしは顔を上げた。
「あ、降り始めてたんだ……」
 微睡から覚めたばかりの曖昧な意識の中で、聖なる日にもたらされた天の恵みをぼんやりと受け止めながら、誰にともなく呟くわたし。
 ふわふわとした小さな綿飴の様な白い結晶は、今日という日の為に飾り立てられたこの街の風景をロマンチックに演出していた。
(ホワイト・クリスマスかぁ……)
 最初にここへ来た時と現在の風景との違いや、動くたびにコートやニットの帽子からパラパラと粉雪が落ちてくるのを見るに、どうやら降り始めてそれなりに経過しているらしい。
 ウェザーニュース的には外れ気味だけど、今日に限っては文句を言う人もいないかな?
「…………」
 ……とまぁ、それはともかくとして。
(やーれやれ……)
 それからふと周囲を見回してみると、近くのベンチに座っているカップル達がうっすらと雪化粧を始めた広場の中で身を寄せ合っている姿を見せつけられ、何だか急に居心地が悪くなってしまうわたし。
(あーもう。ひと目もはばからずに親が泣くわよ、まったく……)
 そりゃあ、むしろ今日のこの場所にソロでぽつんと座っているわたしの方がそぐわないと言われればそれまでなのかもしれないけど。
「はぁ……」
 ともあれ、そんな目に毒とも言える光景を目の当たりにさせられながら、小さく溜息を吐く。
 彼らにとっては恵みでも、自分にとってはそろそろ居座り続けるのが潮時になっているのを告げられている様なものだった。
「…………」
(まぁ、誰も好きでこんな寒い場所に座り込んでたわけじゃないんだけどねーえ……)
 実際、去年の今頃は友人達と家でパーティやって馬鹿騒ぎもしてたし、今回はクリスマスを迎えるタイミングが最悪だったのだから、ほんとツイてない。
「ああもう、なんだってこんな時期に慌てて引越しするんだか……」
 そこで一年前との落差を改めて実感させられ、わたしは思わず言っても仕方がない愚痴をぼやいてしまうと、言葉と共に吐き出された白い息がそのまま上空へ虚しく霧散してゆく。
 せめて転入が三学期からなのだから、お正月明けまでは引っ越しを待てばいいのに、親の仕事の都合というものは、そんな娘の希望を考慮してくれる余裕なんて無いらしい。
 ついでに言えば、その両親はこちらへ着くや、荷造りもそこそこに新しい仕事場へ出社したきり帰ってこないし。
(……かくして、わたしは見知らぬ街へひとり放り出されましたとさ)
 別に周囲の連中みたいに恋人と身を寄せ合っていたいなんて贅沢を言う気はないけれど、やっぱり見知らぬ地でひとりぼっちってのは、それだけで何だか堪える。
 お陰で、わたしはこんな日に越してきたばかりの街をアテも無く歩き回って疲れた挙げ句、お独りさまお断りな雰囲気のこの広場のベンチへ迷い込んで座り込む羽目となっていた。
 ……まぁ、この寒い中でウロウロしていたというのも今さら思い直せば馬鹿な話だけど、家に居たって何もやる気が起きずにゴロゴロするだけだろうから、まだ新しい環境に馴染む為にも幾分かは前向きと思ったまでであって……。
「ふぅ……」
 ともあれ、回想を交えて自分に言い訳しつつ更に虚しい気分になったところで、溜息をもうひとつ。
 さて、ここから弾き出されるとして、今度は何処へ行こう?
(……いや、そろそろ帰ろうって考える方が正しいのかな?)
 愚かにもこんなトコロでウトウトしていた為か、全身がすっかりと冷えきっているし、下手をすれば残りの冬休みは風邪で寝込む羽目になってしまいそうである。
「…………」
 それでも、誰もいない家へ何の収穫も無いまま帰るのにいまだ強い抵抗を覚えてしまうわたしは、のっそりと立ち上がって、広場の中央にある噴水の方へ向けて移動してゆく。
(そういえば、この広場ってなんて名前だったっけ?)
 ……まったく、いくらこのまま帰るのがイヤだからって、こういう普段は全く気にも留めないであろう事までわざわざ確認しようとしている自分に苦笑いしてしまうものの、まぁこの手の好奇心ってのは、最初に満たしておかないと機会が失せてしまうものだろうし。
 ちなみに、ここへ来る前に軽く確認したマップによると、ざっと見て百メートル四方くらいで整備されたこの広場はちょうど街の中心に位置していて、広場から道路を隔てた周囲はぐるりとショッピングモールに囲まれているコトから、買い物に疲れた人達の憩いの場といったイメージである。
(……の割には、居るのはカップルばかりなのよねぇ、これが)
 まぁ、こんな日を基準にしても仕方がないと言えばそれまでだけど、それでも他に行くトコロは無いのかと突っ込みたくなる位にあちらこちらでたむろしているのは、何か理由でもあるのだろうか。
(そりゃ、確かに綺麗な広場ではあるんだけど……ん?)
 やがて、円形に仕切られた噴水の側までたどり着いて、改めてぐるりと広場の風景を見回してみた時、ここから少し離れた場所で傘も差さずにぽつりと佇んでいる女の子の姿がわたしの目に止まる。
(うわ、可愛い……)
 そして、発作的に芽生えた好奇心の赴くままに視線を止めて見据えた途端、とくんっと一瞬胸を高鳴らせてしまうわたし。
 華奢な体つきながら、優しさと、どこか神秘性を兼ね揃えた柔らかくも整った顔立ちに、降り続ける雪にも負けない純白の肌。そしてロングストレートの綺麗なブロンドの髪が雪風に薙がれてサラサラと棚引くさまは、ただ立っているだけで同じ女の子のわたしでも思わず見とれてしまう存在感を醸し出していた。
(外人さん?待ちぼうけ中なのかな?)
 しかし、それなのによく見ると帽子を被っていない頭の上や、コート越しの肩口には降り続ける粉雪が冷たそうに積もってきていて、今までずっと同じ場所で立ち尽くしていた事を物語っていた。
 ……まったく、相手はどこの誰だかは知らないけど、こんな可愛い子を寒い中で待たせ続けるとは、不届きな奴もいたものである。
「…………っ」
 と、勝手に妄想して勝手に憤慨するまでは良かったものの、やがて観察する視線と相手の目線が合ってしまい、そのまま少女がにっこりと笑みを浮かべてきたのを受けて、慌てて目を逸らせるわたし。
 ……いけない、いけない。これじゃまるで不審人物である。
(……ええっと、わたしはこの広場の名前を見にきたんだっけ?)
 そして、ばつの悪さを払拭しようと彼女から背を向けて本来の用事に取りかかるものの、はぐらかすまでもなく目的の物はすぐに見つかってしまった。
 だって、今は水が吹き出ていない噴水の水溜めの淵に、「はじまりの広場」という文字が大きく刻まれていたのだから。
「はじまりの、広場?」
「ええ、そうです」
 珍妙とまでは言わないものの、どこか思わせぶりな響きにあてられたわたしが呟いた直後、まるでその言葉を待っていたかの様に、背後から人懐っこい女性の声が届く。
「この広場には遥か昔に天使が舞い降り、縁結びをしたという言い伝えがあるんですよ。そして、その時に伴侶を得た旅人が、当時ほんの小さな集落だったこの地に根付き、やがて大きな街へと発展させた事で、後に“はじまりの広場”と呼ばれる様になったそうです。一応、博物館などにも天使降臨伝説に関する資料が残されているみたいですね〜」
「天使、ねぇ。……あ、なるほど、確かに天使だわ」
 そこで、わたしは声をかけてきた相手の方へ振り向く前に噴水をよく観察してみると、中央に設置されたオブジェクトがハート型の弓矢を持った女性の天使像である事に気付く。
「……なるほど。やっぱりここは憩いの場所でも、カップル御用達のってわけなのね」
 ただ、町の中心地にこうして立派な広場を整備しているのだから、単にデートスポットというだけじゃなくて、この街の歴史的にも重要な場所ってコトなんだろうけど。
「ええ。その後もここで“はじまり”を宣言したり、二人の絆を確かめ合う方々が多いみたいですね。愛を司る天使が見守る場所として」
「ふぅん……でも、独り身のわたしには、とりあえず用事は無さそうね」
 ただでさえ居心地が悪くなっていたのに、改めてお呼びでないというか、相手を探して出直してこいとでも言われた気分になったわたしは、天使像の前で自虐的に肩を竦めて見せた。
「……なら、私とはじめてみます?」
「はぁ?」
 しかし、そんな異端者へ背後からの声が思いもよらない提案を切り出してきて、わたしは口元を引きつらせてしまう。
(えっと。もしかしてわたしってば、女の子にナンパされてる?)
 いや、いくらなんでもそんな……。
「ここは、愛を深める場所だけでなく、”そういう”場所でもありますし……」
「ち、ちょっと待ってよ、いきなりどういうつも……」
 そして、思いもよらなかった不意打ちに動揺しつつ、穏やかな口調で言葉を続ける相手の方へ慌てて振り返ると、すぐ背後にはついさっき目の合ってしまった女の子が、今度はこちらへ明らかな意志を込めた視線を向けて静かに立っていた。
「り……って……」
「んふふ、こんにちは♪……どういうつもりも何も、裏表のない言葉の通りですけど?」
 そこで、再び心臓をどきんと高鳴らせながら凍りついてしまうわたしに、少女は澄んだ蒼色の瞳に無邪気さと慈母的な優しさを感じさせる暖かい笑みを向けてくる。
 まるで、それは……。
(“天使の笑み”<エンジェリック・スマイル>って、こういうのを言うのかな?)
 何だかピュアっぽい輝きに満ちていて眩しいというか、引き込まれそうとでもいいますか。
 ……いや、とりあえずそういう感想は置いておくとして。
「ええと……わたし、で合ってるの?」
 未だに自分の事とは認識しきれずに、間抜けな台詞を返しながら見渡すものの、この周囲に立っている人間は、彼女の他には確かにわたし一人しかいなさそうである。
「ええ、合ってますよ?」
「でも、誰かと待ち合わせとかしてたんじゃないの?」
「いいえ?……ですが、確かに待っていたのかと言われれば、ずっと待ち続けていた事になりますかね?」
「待っていたって、まさかわたしを?」
 もしかして、さっきの視線を誘われているとでも勘違いしたのかしらん?
 ……いや、仮にそうだとしても、やっぱりどこか間違っているわけだけど。
「最初の一歩を踏み出す為に誰かを探していたのは事実ですけど、それがあなたになったのは偶然ですよ?だからこそ、この出逢いは神様からの素敵な贈り物なのかもしれないじゃないですかぁ♪」
「ごめん、言ってる意味が分かんない……」
「あはは、ちゃんと順を追って説明しますよ。でも、とりあえずこれをどうぞ」
 すると、不可解な言動を続けられて白旗を上げたわたしに、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせる女の子は楽しげに笑いながら頷くと、コートのポケットから折り畳みの傘を差し出してくる。
「へ?」
「ほら、雪が強くなってきてますから。まずは一緒に入りませんか?」
「う、うん……」
 彼女の言う通り、午後から降り始めた白雪は粒が次第に大きくなり、降り積もる勢いも時間を追うごとに激しくなってきているみたいだった。
(ありゃ……)
 それでもって、これみよがしにベンチで抱き合っていたカップル達も、この場に留まるのを諦めて立ち去ってゆく姿が目立ち始めているけど、それはまるで今までとは逆にわたしと彼女以外をこの場から追い立てているみたいにも思えてしまう。
「…………」
 もっと言えば、絶え間無く降り続ける大粒の結晶が視界を遮る様は、まるで雪で覆われた帳(とばり)のようでもあって。
「この雪、意志でも持っているのかな?」
 単なる妄想過多と言われればそれまでだけど、受け取った傘を開いた後で一緒に入ろうと寄り添ってきたこの謎の女の子に随分と都合よく変化していってる気がする天候に対して、顔を上げつつ独り言のつもりで呟くわたし。
 結局、この雪は他のカップル同様、わたし達の距離も縮める結果となってしまった。
「あはは、これも神様の思し召しなのかもしれませんね〜」
 それに対して、状況を利用していきなり懐まで踏み込んできた少女の方は、わたしの皮肉混じりの呟きに嬉しそうな顔を見せてくる。
 ついでに、頬が何だか朱色に染まっているのは、寒さのせいだけなのだろうか?
(神様……ね)
 ともあれ、この短い時間でその単語を聞いたのは既に二度目。
「神様を、信じてるんだ?」
「ええ、あなたは信じてないんですか?」
 何となく心に引っ掛かったので問いかけてみると、当たり前のコトの様に尋ね返されてしまった。
「えっと……」
 もしかして、この人の目的って宗教の勧誘か何かなのだろうか?
(だったら、早めにお断りを入れておいた方がいいかも……?)
 別に確固たるポリシーがあるワケじゃないとしても、だからといって積極的にそういった類のものと関わり合いになりたいつもりも無い。
 まぁ、これは自分だけじゃなくて、大多数の人がそんなものだろうけど。
「……なるほど。寂しい事ですけど、確かに今はもう誰もが必ずしも“主”の存在を必要としていないのかもしれないですねぇ」
「え?」
 しかし、そこでわたしがやんわりと遠ざける為の返事を考えている途中で予想外のフォローが入り、思わず逸らせていた視線を隣に立つ少女の横顔へと戻すと、彼女はどこか自虐気味な遠い目を向けている様に見えた。
「つまり、誰かに用意された神様よりも、やっぱり自分の目で信じる事の出来る誰かを見つける方が大切なんじゃないかって、そう思っただけです」
 それから、女の子は僅かの間を置いた後でそう続けたかと思うと、改めてこちらの方を向き、儚さを含めた笑みを見せてくる。
「う、うん……」
 相変らず、このコが何を言いたいのかはよく分からないものの、まるで引き込まれるみたいに頷いてしまうわたし。
「…………」
 単に綺麗なだけじゃない。
 ……何だか分からないけど、見据えられると目が離せなくなる不思議な存在感を持っている女の子だった。
「……だからこそ、私はその相手を見つける為に待ち続けていたんです」
 そして、見据えたまま立ち尽くすわたしに彼女はそう続けた後で、今度は何やら期待感に満ちた視線を向けてくる。
「もしかして、それがわたしなの?」
「はい♪」
「どうして?」
「どうしてと言われても……」
 しかし、こちらとしては当然の問い返しをしたつもりなのに、わたしをナンパした不思議少女は何故かそこで困った表情を見せてきたりして。
「だって、これが初対面なんでしょ?」
 そこで、そんな顔をされても困るのはこっちの方だよと突っ込みたくなるのを抑えて、納得できる理由を求めて質問を続けるわたし。
「ええ、そうですけど?」
「大体、お互いのことだってまだ何も知らないのに……」
 受け入れる、断るの返事を決める以前に、相手が一体どういうつもりなのかが分からないコトには、わたしも身動きが取れないというか。
「…………」
「そ、そもそも、わたしの名前すら知らないでしょ?」
「では、教えていただけます?」
「え?み、美幸……姫宮美幸(ひめみやみゆき)……」
「美幸ちゃんですね。ほら、これで名前すら知らない仲じゃなくなりました♪」
「あ、いや、だからそうじゃなくって……っ!」
 ……というか、何を素直に名乗ってんのよ、わたしは。
「なら、どこまで私が知れば納得してもらえるんでしょうねぇ?あ、もしご希望でしたら、この後で場所を替えてゆっくりと……」
「そーいう問題じゃないってば……というか、ゆっくりとどうするつもりなのよ?」
「んふふふふ♪そりゃもう、てっとり早く親密になってしまう方法はありますけど、詳しく聞きたいです〜?」
「聞きたくないわよっ!ああもう、どう言ったらいいのかしら……」
 ともあれ、それから名乗ったのを皮切りに今まで押し込んでいた言葉の数々が、まるでせきをきった様にしてわたしの口から出ていってしまう。
「……やれやれ、向けられるのは逃げ道を探す様な質問ばかりですね。そんなに理由が欲しいですか?」
「う……っ、理由と言うか、あまりにも突拍子がなさすぎるというか……」
 でも、わたしにとってそれらは必ずしも彼女を拒否する為ばかりじゃない事も自覚していた。
 得体の知れない相手への戸惑いと同時に、何故だかは分からないけれど、この場から逃げ出したい衝動も芽生えてこないのだから。
「まぁ確かに、突然こんなコトを言い出したら驚くだろうなという心配はありましたけど」
「で、でしょ?だからわたしは……」
 ただそれでも、この際女の子同士ってのも置いておくから、頭が混乱しかけている自分の心を落ち着かせてくれる理由が欲しいかなと。
「……でも」
「わ……っ?」
「“ひと目惚れ”って、そんなものじゃないかなぁって、思いませんか?」
 すると、彼女は言葉で答える前に、傘を持っていない方の手をわたしの腕に絡ませ、思わせぶりな上目遣いを見せつつ問い返してきた。
 しかも、相手の身長の方がやや高いのに、わざわざ屈みこんで。
「…………っ?!」
 ひと目、惚れ?
「所詮、そこに至るまでの過程や時間を求めても、現在(いま)を打ち消す根拠にはなりませんし、私は美幸ちゃんを初めて見た時に強く惹かれてしまいました。個人的にはそれで充分かなって」
「強く惹かれたって、どの辺りに?」
 自慢じゃないけど、外見も能力も良くて凡庸なんですけどね、わたしは。
 そもそも、単に目が合っただけなのに、一体どこに惚れる要素なんてあるのやら。
「知りたいですか?なら、これから少しばかり私に付き合いません?」
 しかし、わたしが続けた当然の追及に対して、目の前の美しい少女は納得できる回答を返す代わりに、思わせぶりな笑みを見せてそうのたまった。
「……えっと……」
「それとも、お忙しいですか?」
「あー、いや……そんなコトはないけど……」
(う〜〜っ……)
 とりあえず即答できなくて目は泳がせてみたものの、断る理由がないって困るよね。
 ……というか、イブの夕方にこんなトコロでぼっちしてる身に、その問いかけはすごくズルい。

                    *

「……しっかし、あっという間に暗くなっちゃったわねー」
「そうですねぇ。雪のせいで余計に早まった感じでしょーか」
 やがて、モール内にあるコーヒーショップの片隅に陣取ったテーブルの上で肘をつきながら、ガラス張りの壁越しに外の風景を見やると、あちらこちらで飾られているイルミネーションたちがもうすっかりと夜闇に染まった空間で引き立てられて、昼間よりも人通りの増えた街路を煌びやかに照らしていた。
「まぁ時間も時間だし、ケーキ屋さんがそろそろ目が回るぐらい忙しくなる頃かな?」
「殆どの人達にとっては、本来お誕生祝いをすべき者の為のケーキというわけでもないんでしょうけど、これからが聖なる夜の始まりですねぇ」
「……聖なる夜、ねぇ……」
 何だかそれもどこか皮肉っぽい響きに聞こえるけど、ともあれ、あのまま独りで佇んでいたのなら、いい加減に馬鹿馬鹿しくなって帰ろうかって頃合だったろうに、ギリギリで一緒にお茶する相手が見つかってしまった。
(んー、結局はうまく誘い込まれてしまったけど……)
 ただ、元々は誰もいない家に居るのが嫌で寒空の下をフラフラしていたのだから、まぁ結果オーライと言えなくもないか。
 まだもうちょっと帰りたくない気分だったのも確かだし。
「でも、ホントにご迷惑じゃありませんでしたか?」
「はっきりと断れる用事があったなら、とっくに言ってるから気にしないで……はー」
「あはは、私には僥倖でしたけど……」
(……やれやれ……)
 ……まぁ、どうせ晩ご飯も外食するつもりだったから、何だったら今度はこっちから食事に誘ってもいいんだけど、その前に聞くべきお話は聞いておかないと。
「んで、さっきの話の続きだけど……って、そういえばまだ名前も聞いてなかったっけ?」
 という訳で、とりあえずオーダーしたエスプレッソをひと口含んだ後に、ワザと素っ気無い態度で質問を切り出すわたし。
「あ、ゴメンなさい。美幸ちゃんに尋ねておきながら、自分はまだ名乗っていませんでしたね……えっと、では改めまして私は神月夢叶(こうづきゆかな)と申します♪せっかくですし、夢叶と名前で呼んでください」
「ゆかな?」
「ええ。こう書きます」
 すると、未だ謎しかない目の前の女の子は小さく頭を下げて名乗った後に、肘をついていない方のわたしの手を取って一文字ずつ自分の名前をなぞってゆく。
(「夢」に「叶う」……か)
 その、手の中を泳ぐ繊細な指の動きにくすぐったくもゾクゾクとさせられる感触の中で、わたしの掌にしっかりと刻み付けるように書き込まれた文字は簡単に読み取ることが出来た。
「へぇ、いい名前ね。夢が叶います様にって付けられたの?」
「いいえ、私は人の夢を叶える存在ですから。そちらの意味での“夢叶”です」
 それから、自分なりに名前の意味を解釈するわたしへ、夢叶と名乗った少女は満面の笑みを浮かべたまま、あっさりと覆してしまう。
「ああ、そう、なんだ……?」
 やっぱり、端から聞いていると胡散臭いコトこの上ないものの、適当に頷いて流せば終わる台詞をわざわざ訂正しているのだから、本人もこだわりがあるのだろう。
「んじゃお願いしたら、わたしの夢も叶えてくれるのかな?」
「そうですねぇ……。あまり極端な運命の変化は無理ですけど、美幸ちゃんのこれから広がる可能性未来のうち、最も幸せな道へと誘(いざな)い続けるという意味で良ければ」
「……は?」
 冗談のつもりで言ったのに、ワケの分かんない言葉で真面目に返され、眉間にしわを寄せながら言葉が止まってしまうわたし。
「少なくとも、それが“守護天使”の存在意義であり、使命ですから」
「守護、天使……?」
 そして、更に夢叶の口から現実離れした言葉が続けられ、今度はわたしの脳みその働きが一瞬止まってしまう。
「えっと……あまり大きな声では言えないんですが、実は私、守護天使の卵として人間界にお邪魔させてもらっている身でして。天界では愛を司る“ハニエル”の名を持つ天使をやっていたりします♪」
 そこで、自分じゃ見えないけど明らかにヘンな顔になったわたしへ、身を乗り出して内緒話でもする様に顔のすぐ近くで囁いてくる夢叶。
「いや、真面目にそんなコトいわれてもね……」
 天然のブロンドさんだし、瞳も蒼いし、日本人ではなさそうとは初見の時から思っていたけれど、まさかそんな荒唐無稽な正体明かしをされるとは。
(……というか、宗教関係者でなければ、ちょっとアブない人?)
 もしかして、厄介な人と関わっちゃった?
「それで、守護天使を志した天使は人間界に降り立ち、天界中央情報センターの占術エンジンである“ラプラスの眼”がリストアップした候補者の中から、自分で守護する相手を捜さなければならないというルールがありましてー」
「…………」
「対象者は勝手に絞られているのに、その後のきっかけから契約までは全て自分で進めていかなきゃならないなんて、随分と無責任で厳しい試練を課せられるんですが、それまで守護天使の卵達はこうして一人の人間として生活するコトになる訳で、これがちょっとした留学気分というか、なかなか新鮮な体験が出来たりして、案外満更でもないかな〜とか思ってしまう時もあるんですけどね。あはは♪」
「…………」
「ただまぁ、今でこそ志願者も少なくこんな限定的な形になってしまっていて、元々守護天使は“主”を信じる全ての人間に付くのが望ましいとされていた時代もあったんですが、まぁこれは遙か昔の話で、現在はむしろ……って、美幸ちゃん聞いてくれてます?」
「ん?ああ、まぁ聞き流しレベルなら一応」
 やがて、何かのスイッチでも入ったかの如く、一方的に言葉の洪水を浴びせ続けてくる夢叶から不意に矛先を向けられ、わたしは人通りの耐えない外の風景へ視線を向けたまま、煮え切らない気持ちを言葉に乗せて適当に相槌をうつ。
 ……というか、真面目に聞けば聞くほど頭痛がしてきそうだし。
「まぁ、最初はいきなり信じろと言われても、やっぱり無理ですよねぇ。元々天使に興味を持っていたり、信仰心が敬虔な方ならともかく」
「そりゃね。わたしにはまるで文芸部の友人に創作物語を考えたから聞いてくれって、延々とプロットを説明されている気分だわ」
 そもそも、信者の人だろうが、今の状態では納得しないと思うんですけどね。
「先程、噴水の前でお話しませんでしたっけ?この街にはかつて天使が舞い降りたと」
「うんまぁ、それは覚えてるけど。この街を大きくした人の縁結びをしたんだっけ?」
 余所者のわたしにとっては、随分とご都合主義的な伝説内容に聞こえたものの、少なくともああやって現在も形として残っているのだから、地元の人にはずっと信じ続けられてきたのかもしれない。
「はい♪実はその天使とは、この私のコトだったりします。てへ♪」
「…………」
「ああもう、信じて下さいよぉ〜っ!」
 そこで、とうとう無言のまま席を立つわたしを、慌てて袖を引っ張りながら引き止めてくる夢叶。
「だって……ねぇ?」
 さすがにここまで来ると、もう付き合ってらんないとでも言いますか。
「そもそも、天使にとって不誠実な嘘は大罪ですし、軽い気持ちで人を騙したりなんてしませんってば〜っ」
「と、言われても……大体、天使ってのは頭の上に輪っかがあったり、背中に翼が生えていたりするもんでしょ?」
 確かに、美貌も含めた夢叶の纏っている雰囲気の異質さは認めるけど、それでもやっぱり普通の人間というカテゴリは超えていないワケであって。
「ほほう、つまり証拠を見せろと?」
 すると、ぞんさいな態度で冷たく突き放すわたしに、夢叶は目を輝かせながらそう切り返してくる。
「え?あ、いや……」
「仕方がないですねぇ。天使である証を見せなければ信じないと言われるのなら、美幸ちゃんにだけは惜しげもなく晒け出しちゃいましょーか♪」
 そして、夢叶はまさしく我が意を得たりとばかりにうんうんと頷くと、今度は強引に店の外へ向けてわたしの腕を引っ張ってゆく。
「ち、ちょっ……一体、どこへ連れて行こうってのよ?!」
 まだ、飲みかけのコーヒーもテーブルの上なのに……っ。
「それは、行ってみてのお楽しみってコトで。んふっ♪」
(……えっと、もしかして藪から蛇を突っつき出しちゃいましたか、わたし?)
 いずれにせよ、図らずも何やら慌ただしいイブの夜になろうとしているみたいだった。

                    *

「ほらほら、美幸ちゃん。もう少しですから頑張って下さ〜い♪」
「はぁ、はぁ……っ、ち、ちょっと待ちなさいよ……っ」
 やがて夢叶に案内されるがまま(というより、殆ど強引に連れて来られた感じだけど)、わたしは息をぜぇぜぇと切らせながら、町外れにある神社の境内へ続く階段を上っていた。
 既にすっかりと日も落ちて、勢いが落ち着いてきた雪の代わりに冷たい夜風がわたし達を吹き付けてくるものの、予定外のエクササイズで額にはじんわりと汗が滲んでいたりして。
「大丈夫ですか〜?というより、運動不足気味みたいですねぇ?」
「わ、悪かったわね……っ、ぜぇっ、そ、そもそもっ、この神社は階段が多すぎんのよっ」
 大体、わたしに言わせれば時々こちらへ振り返りながらも、軽快なステップで呼吸ひとつ乱さずにひょいひょいと上り続けている夢叶の方がおかしいし。
「まぁ、この辺りで一番高い場所だけに、百段以上は楽にありますからねぇ。その分、上りきった後の達成感もひとしおと評判ですけど」
「う〜っ、前に住んでた家の近くにあった神社の階段は、この半分も無かったのに……」
 確かこの辺りの神社はここだけだし、来週末にでも再び初詣で訪れる事になると思うと、余計に疲労感がのしかかってくる心地だった。
「ふう、ふぅ……っ、それにっ、どーでもいいけど、天使が気軽に神社仏閣の類に立ち入ってもいいものなのっ?!」
 よく分からないけど、神社の境内は神域って奴じゃなかったっけ?
「まぁ確かに、他の神社では排他的な力が働いてあまりよろしくはないんですけど、ここはちょっと事情が違いましてー。この御影(みかげ)神社が奉っているのは、四百年ほど昔に降臨して縁結びをした天使だったりしますから」
 すると、ペースが鈍って少しばかり離れてしまったわたしを待つ為か、一度立ち止まった後で大袈裟に辺りを見回しながら補足してくる夢叶。
「ぜぇ、ぜぇっ、天使を奉っている神社なんて、ぜぇっ、聞いたコトないわよっ」
「まぁ、この地に住む当時の人達は天使なんて概念を知りませんでしたからねぇ。結局は自らの範疇で解釈して、天界からの使者というよりも地祇が現れたという扱いになってしまった為に、こういう形で奉られている訳ですが。ほら、私に掴まって下さい」
 そして、ようやく追いついて前屈みになるわたしに夢叶は手を差しのべると、今度はゆっくりとしたペースで歩みを再開していった。
「……つまり、今までの話が本当に本当だとするなら、この神社に奉られているのは夢叶だってコト?」
「あはは、天界としては目的失敗だったので結局怒られちゃったんですが、それでも何だか照れますねぇ。この私が“主”を差し置いて神様扱いだなんて」
 それから、アシストしてもらって大分楽になったのもあり、素直に手を引かれながら滑稽な結論を導き出すわたしに、夢叶は苦笑い交じりで頭を掻いてみせる。
 勿論、まだ全面的に信じる気はないとしても、少なくとも夢叶本人からは嘘をついている様な躊躇いは全く感じられなかった。
「でも、だったら夢叶は一体いくつなのよ?」
「もう、女性に歳なんて尋ねるものじゃないですよ〜と言いたいですが、天界と人間界では寿命も流れる時間の早さも違うので、換算するのがちょっと面倒ですねぇ」
「……つまり、少なくとも見た目通りのわたしと近い年代ってワケじゃないのね」
「まぁ、私が次代のハニエルとして戴冠した時が、こちらの世界で確か四百三十年ほど前ですから。まだその時は、守護天使になりたいって気持ちなんて全くありませんでしたけど」
「四百三十年前?と、いうと……」
 少なくとも、夢叶はこっちの世界では四百歳以上というコトになるのか。
(うわ、天使ってずるい……)
「んふっ♪実は、ここでの縁結びが愛を司る天使としての初仕事だったんですよ〜。先程も言った通り、成果はあまり出ませんでしたが、この時代はちょうどこの国に私達の存在が知られ始めてきた頃で、試しに顔を出してみろって話になりまして」
 そして、「だから、その縁もあって私が再び人間界に降りる場所としてこの地を選んだんです」と補足してくる夢叶。
「でも一体、何の為に?守護天使なんて言ってるけど、そっちに何かメリットはあるの?」
 まさか、魂と引き替えに現世(うつしよ)での栄誉を、なんてのは天使の仕事じゃないだろうし。
「天界も魔界も、人々の信仰心無くては維持し得ないものですから。私が美幸ちゃんの為に力を発揮出来るのかどうかも、結局は強く信じてもらえるかどうかにかかっているんです」
「と、言われてもねぇ……」
 まぁ、目の前に存在するものはさすがに信じる所存ですが。
「例えばの話を一つするなら、昔は医療技術が今ほど発達していませんでしたから、自らの力で治療が施せない病気にかかった時などは、必死で神様に回復をお祈りしていたんです。そこで、天界では信仰心の強い方を対象に、時々天使が力を与えて奇跡を起こしたりしていました」
「……とまぁ、そうやって天恵を与えるコトで人々の信仰心は維持され、それにより“主”や天使の力も増していくという訳です。逆に、人々の心が荒れ果てた場合は、魔の力が増幅していくコトになりますが」
「そりゃまた、夢のある話ね。……つまり、信者になればどんな難病も怖くないって?」
「いいえ。残念ながら、全員を助けるってわけにはいきませんけどね。寿命だとか、本来はここで天に召される運命を強引に捻じ曲げてしまえば、他人の運命指数をも歪めて生態系のバランスを崩してしまいますので、やはりあくまで快方に向かう可能性未来のある人達の中から、という話になりますけど」
「……ゴメン。また何を言われているのか、よく分かんなくなった……」
 というか、節々で専門用語みたいなものを挟まれても、ちんぷんかんぷんだったりして。
「ちょっと一方的に喋りすぎちゃいましたか?でもまぁ、まずは美幸ちゃんには私の存在を信じて貰わなきゃならないわけですし……あ、着きましたよ、お疲れ様です〜♪」
 それから程なくして最上段まで辿り付くと、夢叶は繋いでいた手を一旦離して境内の中へと先に駆け込み、まるで客を招き入れる様な仕草でわたしの方へお辞儀して見せた。
「ようこそ、私の神域へ……なんて言ったら、御影さんに怒られちゃいますね、あはは」
「はぁ、はぁ……っ、もう、これ以上は歩けないわよぉ」
 ただでさえ、本日は午前中から無駄にウロウロ歩き回ったのに、挙げ句こんな高台にまで上る羽目になるなんて、完全に想定外である。
 しかも、有酸素運動にしてはキツ過ぎだから、脂肪の燃焼になったのかも怪しいし。
「まぁまぁ……。実は、この御影神社の境内もはじまりの広場と同じく、デートスポットとして良く利用されている場所なんですよ?ほら、ここからだと街の風景が一望できますから」
「あ……ホントだ、綺麗……」
 そこで夢叶に促されるがままに、石造りの低い柵の向こうに広がる夜景を目の当たりにすると、わたしは疲れも忘れて見入ってしまう。
 大都会みたく中心部に高層ビルが建ち並んでいるわけではないものの、ちょうど時期が時期だけに、あちらこちらで街全体がイルミネーションの光でお化粧されているみたいだった。
(あれ、あそこって……)
 また、夕方まで居座っていたはじまりの広場も夜になるとライトアップされるみたいで、ここからでも噴水の明かりが確認できるぐらいに存在感を示していたりして。
「…………」
(ここが、これから少なくとも三年近くは住むことになる街かぁ……)
 山と海に囲まれ、地形を有効利用しながら整然と敷き詰められた街並みは、素朴だけど落ち着いた趣が感じられて、今まで騒がしい所に住んでいただけに悪くはないのかもしれない。
 ……もっとも、また突然に親が転勤だの言い出さなきゃ、だけど。
「ね、素敵な場所でしょう?ただ、夜景目的で人が集まるのは、殆ど春先から夏季限定みたいですが」
「そりゃ初詣以外で、寒い時期にワザワザこんなトコロまで滅多に来ないわよ」
 確かに景色は綺麗だけど、高台ゆえに夜風の厳しさは更に増しているワケで。
 ……ただ、夏も夏で辿り付く過程で汗だくになってしまいそうだから、やっぱり個人的にはここへ通うのはご遠慮願いたいけどね。
「まぁ、こちらとしては高くてひと気の無い場所へ行きたかったので、実に好都合なんですが」
 そして、冷めた口ぶりで肩を竦めるわたしに、ニヒりと含み笑いを浮かべてくる夢叶。
「……う……っ」
 えっと、ここまでノコノコ付いて来たのはいいけど、大丈夫なんでしょうね?
「一応、絶対に隠さなきゃいけない規則があるわけじゃないんですけど、異質な存在ってのは何かと騒がれて、守護対象者に迷惑をかけてしまう可能性もありますし」
「んで、ここまで来たのはいいけど、どうやって証明するのよ?」
「…………」
 すると、夢叶は言葉で答えることなく、代わりにわたしから背を向けた後で腰までの高さしかない柵の前まで駆け出していくと、躊躇もなしにその上へよじ登ってしまった。
「ち、ちょっ、何してんのよ?!危ないじゃないっ」
 しかも、石を削って作られた柵の上は先が尖っていて、とても安定して立ってはいられない形状だというのに。
「おっとっと……そうですねぇ。ここから少しでも強い風が私を凪げば、背中から真っ逆さまですか?」
 だけど、動揺を隠さないわたしに対して、夢叶の方はこちらの方を向いて地面と崖を隔てる危険な足場の上で両手を広げ、綺麗な髪をさらさらと棚引かせながら、まるで他人事の様に呟いてくる。
「分かってるなら降りなさいよ、ばかっ!」
「でも、自分が天使である証を美幸ちゃんに見せなければ、信じて貰えないですし……」
「だからって、何もそんな危ないトコでやらなくてもいいでしょ?!ほら、降りなさいっ」
 一体何が悲しくて、引っ越して来た二日目に飛び降り自殺の現場なんて目撃しなきゃならないのよと、わたしは真っ白な息を大きく吐きながら、じりじりと夢叶の方へ近付いてゆく。
(何とか、止めなきゃ……)
「ね、美幸ちゃん。そうやって引きずり下ろそうと近付いて来ているのは、天使と名乗った私の言葉が信じられないからですか?それとも、私の事を心配してくれているから?」
「……そのどっちもよ。このままあんたが落ちたら、帰り道の路上でわたしは真っ赤な花を見る羽目になっちゃうじゃない」
 下手したら、一生もののトラウマである。
「なるほど、やっぱり全く脈がないってコトも無さそうですねぇ〜。美幸ちゃんに信じてさえ貰えれば」
「ああもう、くだらないコトばかり言ってないで、いい加減に降りなさいよ!」
「降りますよ〜。ちゃんと約束を果たした後で……ふわぁっ?!」
 しかし、言い終える前に強い風がわたしの背後から夢叶へ向けて吹き付け、彼女の身体がぐらりと大きく後ろへ仰け反った。
「夢叶……っ!」
 それを見たわたしは無意識に駆け出して思いっきり飛びつくと、その先で行き場を失って泳いでいた夢叶の手を掴んだ。
「あは……美幸ちゃん、そうやって飛び出してくれたというコトは、やっぱり私を……」
「……っ、それとこれとは話が別よ!大体、天使の証明だってまだ見せてないじゃないっ!」
 そしてそのまま、夢叶の身体をこちらへ引っ張り込もうと、掴んだ手に全力を込めるわたし。
 いくらなんでも捨て身が過ぎるというか、言葉とは裏腹に夢叶の正体なんて正直どうでもよくなっていて、引きずり下ろした後はとにかく引っ叩いてやろうと思いながら。
「そうですねぇ。こうして美幸ちゃんが来てくれたコトですし、勿体ぶるのもこの辺にしておきますか♪」
「へ……?」
 しかし、夢叶はそんなわたしの感情など全くお構いなしの様子で、むしろ嬉しそうにそう告げたかと思うと、彼女の腕から突然の反発力が加わり、こちらへ引き込むどころか、逆に強く引き寄せられてしまう。
「ふわわ……っ?!」
 そして、柔道でいうところの巴投げでも受けてしまったかの如く、わたしの身体はふわりと弧を描いて背中から柵の向こう側へと、文字通り“投げ出されて”しまった。
(うっ、嘘おっ?!)
 瞬間、エレベーターで一気に下降したり、絶叫マシンに乗った時とかで受ける、独特の重力感と共に目を丸くしてしまうわたし。
 あの状況から自分の態勢を維持したままわたしを投げ飛ばすなんて、見た目に反して一体どんな腕力をしているんだろう?
……いや、そんな事よりも夢叶を助けるどころか、逆にわたしが空中へ放り出されるなんて。
(ああもうっ、ワケわかんないけど恨むわよ夢叶……ッッ!)
「…………」
「…………」
(……あれ?)
 とはいえ、全ては後の祭りと観念して目を閉じたものの、いつまで経ってもわたしの身体は地面に叩き付けられる気配がない。
 いや、それどころか放り出された直後の心臓を握り潰されるような感覚も、いつの間にか落ち着いてきているみたい……?
「……大丈夫ですよ、美幸ちゃん。落ちたりはしませんから」
「何を馬鹿な事を……って、ええっ?!」
 やがて穏やかな口調で声をかけられ、開いた瞼を夢叶の方へ向けた瞬間、わたしの目は再び大きく見開き、空中に投げ出されているのすら忘れて大きな声をあげた。
(う、そ……)
 でも、これが驚かずにはいられようか。
 繋いだ手の先に見える夢叶の背中からは白銀色に輝く、幾重にも重ねられた眩い翼が生えていたのだから。
「心配は無用ですよ〜。私の翼なら、美幸ちゃん一万人分の重さでも楽に支えられますし」
「……えっと、本当に天使さま、だったの?」
「ええ。普段は隠しているだけでこれこの通り。ちゃんと空だって飛べます♪」
 確かに、重力から逆らったわたしの身体は、いつしかふわりとした浮遊感に包まれ、背景の流れも止まってしまっている。
 ……いや、正確には凄くゆっくりとしたペースで神社裏の駐車場へ向けて下降してはいるものの、間違いなく夢叶が纏う幾重もの翼に制御されていて、わたし達の身体は確かに“飛んで”いた。
「え、ち、ちょっと……え、えええっ?!」
「だから、美幸ちゃんが手を離しさえしなければ落ちるコトはありませんってば。……もっとも、私の方からは絶対に離しませんけど♪」
 そこで、事実は事実としても、あまりにも自分の常識を超えた出来事に頭がパニック状態になりかけるものの、わたしをナンパした天使様はそう言って優しい笑みと共に手を強く握り締めてくる。
「……まるで、映画みたいね。もしくは、新手のアトラクションか」
「やっぱりあれこれ説明するより、実際に体験してもらった方が早いと思いまして♪」
「そりゃ、ね……」
 ただ翼を見せるだけじゃなくて、こうして飛行体験までさせられたんじゃ、偽物だと疑う余地はもうどこにもない。
「ではこれで、私の主張は本当だったというのは分かってもらえましたか?」
「わっ、分かったけど納得はしてないわよ!何だって本物の天使がわたしなんて……」
 逆に、本物なら尚更ワケが分からないというか、別にわたしは天使が出てくる宗教の信者でも何でもないんだし……。
「きっと、“縁”があったってコトですよ。今日あの場所にお互いが鉢合わせたという、ね」
 すると、夢叶は動揺が収まらないわたしにそう告げると、正に文字通りの天使の笑み(エンジェリック・スマイル)でにっこりと微笑んだ。

                    *

「…………」
「……ん……?」
 目覚めた時は、壁掛け時計の音だけが室内に響く、静かな朝だった。
(ここは?……って、ああ、自分の部屋か)
 引っ越してまだ三日目だからだろうか、昨日も目覚めた時に同じ自問をした気がするくらい、未だに自室の風景が見慣れない。
 ……もっとも、まだ必要最低限のものだけ取り出して適当に並べている状態で、片付けが完全に終わっていないからってのも大きいんだろうけど。
「ふぁぁ〜っ……えっと、今何時だっけ?」
 ともあれ、暖かい毛布に包まれたまま上半身を起こして確認した現在の時刻は午前八時前。通学している時なら完全に遅刻だけど、目覚ましをセットしていない休日にしては、あまりに早く目が覚めてしまったみたいだった。
「んぅ〜っ……何だか、随分とぐっすり寝込んでた気がする……」
 少々の欠伸は漏れるものの、妙にすっきりとした目覚めに加えて、どんな夢を見たのかも全く思い出せないあたり、たっぷりと熟睡しきっていたのかもしれない。
「…………」
 まぁ、昨晩は無駄に歩き回った上に色々あったし、よっぽど疲れていたってコトかな。
 それとも……。
(……実は、昨晩の出来事が夢だったとか?)
 ついそんな風に考えても仕方が無いというか、他の人に聞かせたらまず間違いなく「夢でも見てたんじゃないの?」って反応が返ってくる気がするし。
 ……ただ、わたしの腕と脳が刻銘に記憶している、空中で繋いだ夢叶の手の温もりだけは夢で見た幻とは思えないけど。
「一体、何だったんだろうね……ん?」
 それから、ぼんやりと記憶を掘り起こし始めた矢先、カーテンが閉められた薄暗い部屋の一角で、鳥の羽根に似た見慣れないモノが銀色に鈍く発光しているのに気付く。
 すぐ上には昨日着ていた厚手のコートがハンガーに掛けられているのを見ると、どうやらポケットに入っていたものが床にこぼれ落ちたらしい。
「……あれは、もしかして夢叶の?」
 わたしは眠気が残っていなかったのも手伝って、特に抵抗なくベッドから起き出して近付くと、そっと夢叶の置き土産を拾い上げてみた。
「…………」
 確かに羽根は目の前に存在していて手に触れる事も出来るけど、感触というか質量は全く感じない。
 ……そういえば、必要な時以外は翼を隠していると言ってた気がするけど、鳥の羽根と見た目は近くても、明らかに異質なものらしい。
「天使、かぁ……」
 やがて、指で摘んでクルクルと回していると、昨晩の体験が鮮明に脳裏へフラッシュバックされてくる。
 クリスマス・イブなのに独りぼっちという手持ち無沙汰を紛らわそうと、新しく越してきた町中を彷徨い続け、やがて歩き疲れた頃に「はじまりの広場」と呼ばれる街の中心に位置する広場に居座っていたら、神月夢叶と名乗る女の子からひと目惚れしたと声をかけられ、そして実は彼女の正体は愛を司る天使で、わたしの守護天使になりたいとせがまれたりもして……。
(つまり、平たく言えばわたしは昨晩、突然目の前に現れた天使様にナンパされて告られちゃったと)
「…………」
 変なの。
 いや、それでばっさり切り捨てていい問題なのかは分からないけど、理解の方が追いつかなくて、とりあえずそんな言葉しか思い浮かばない。
「ふー……」
(それにまぁ、一応その件は断っちゃったワケだしね……)
 あまりにも展開が独りよがり的というか、強引だったし。
「…………」
 ……と、わたしは改めて夢叶と別れた昨晩の事を回想していった。

                    *

「はい、お疲れ様でした〜♪……って、美幸ちゃん大丈夫ですか?」
「……う〜っ、なんかまだ体がフワフワしてる感じ……」
 短いようで、随分と長く感じた人生初の飛行体験を終え、まるで遊園地のアトラクションを終えた客を迎えるオペレーターっぽい口調で尋ねてくる夢叶に対して、ふらふらとした足取りのまま呟くわたし。
 既にアスファルトの地面へと着地しているにも関わらず、足下は何だかまだ地に足が付いていない様な感覚だった。
(う〜〜っ……)
 実際はゆっくりと降下していっただけで、決して長い時間浮いていたわけでもないのに、それだけわたしの身体にとっても特異で強烈な体験だったというコトだろうか。
「やっぱり、最初は誰もがそんな感じみたいですね〜。かくいう私も、天使になって初めて空を飛んだ後は、まるで雲の上を歩いているかの様でしたから」
「…………」
 天使、ねぇ……。
「ともあれ、これで美幸ちゃんに信じてもらえたと思いますし、晴れて私と守護天使の契約を結んでもらう事が出来そうですね〜?」
「……ちょっと待った。夢叶が本物の天使様だってコトは分かったけど、その理由までは理解してないって言ったでしょ?どうしてわたしなのよ?」
 しかし、それから夢叶が喜々とした表情を見せつつ、何やらポケットの中をごそごそと漁り始めたところで、わたしは開いた右手を突き出してきっぱりと制止をかける。
「ひと目惚れしたから、では不服ですか?」
「そりゃまぁ、人に好かれるのはやぶさかじゃないけど、さすがにそれだけじゃね……。わたしはそこまで自信家でも無いし」
 そもそも、ここまでの自分の人生を振り返ったって、そんな前例もないワケで。
「ん〜。先ほどカフェで言いませんでしたっけ?守護天使の卵は、予め人間界へ降りる際に天界中央情報センターから候補者をリストアップされるって」
「聞いたような、あんまり覚えてないような……って感じだけど、その一人がわたしってコト?」
「……そうなりますかねぇ」
 そこで、何だか妙な展開になってきたと眉をひそめるわたしに、幾分の間を置いた後で頷く夢叶。
「なんでよ?わたしには選ばれる心当たりなんてないのに。……まさか、宝くじみたく無造作に決めてるんじゃないでしょうね?」
「いいえ。守護天使の対象者を選ぶ基準は、原則として運命指数を比較しての相性で決めているんです」
「えっと……さっきから時々出てくるけど、その“運命指数”って何なの?」
「天使や人間の各個人が持つ運命の流れを可視化してデータベースにしたものです。平たく言っちゃえば、魂の波長ですね」
「いや、全然平たくないんだけど……」
 言葉だけは短くなっても、言っている意味はますます分かんなくなっていたりして。
「つまり、魂の波長が合う者同士ってのは惹かれやすいんです。……例えば、いきなり私に声をかけられて、初対面ながらここまで付き合ってくれた美幸ちゃんも、きっとそういった先天的な要因があったはずですよ」
「…………」
 まぁ、結果論としてそう言われれば、確かに否定もできないかもだけど……。
「要するにですね、私と美幸ちゃんは出逢うべくして出逢った運命の相手というコトです♪なので、何も唐突過ぎる展開だと戸惑う必要はないのですよ?さぁさぁ♪」
「……生憎、わたしは占いとかあまり信じないタイプなの」
 そして、確信に満ちた笑みを浮かべてそう締めくくり、「私の胸に飛び込んでおいで」とばかりに両手を広げて迎え入れようとしてきた夢叶へ、わたしは冷たく突き放して背を向けた。
「美幸ちゃん……」
「別に、夢叶自身がどうってワケじゃないけど、でもそうやって勝手に決め付けられるのは何だか気に食わないのよね」
 まだ、ひと目惚れってのを突き通された方がマシだったというか。
 ……あと、何やら勝ち誇ったような態度も妙にムカつくし。
「……運命に抗いますか。それともやはり、異質な存在とは関わり合いになりたくないですか?」
「どちらも違うわよ。わたしは、自分が納得できないからお断りするの」
「なるほど。……でも、私がひと目惚れしたというのも嘘じゃないですよ?むしろ、やっぱり間違いじゃなかったなって、改めて実感させられちゃいましたし」
 すると、わたしの返事に夢叶は怒ったり落胆する様子もなければ、また無理に引き止めようともせず、ただ静かな口ぶりで背中越しにそう告げてくる。
「……そりゃ、御愁傷様だったわね」
 しかし、わたしはそんな天使様にもう一度素っ気無い返事を向けた後で、別れの挨拶も無しに立ち去っていった。
「んふふ、おやすみなさい美幸ちゃん。……そして、メリークリスマスです♪」
「ふん……っ」

                    *

「…………」
(今思えば、ちょっと冷たすぎたかなぁ……?)
 何やら全てが仕組まれているというか、掌の上で踊らされている感じだったのが気に入らなくて振り払ってしまったものの、単にお友達になりたかったのならやぶさかでもなかったんだけどね。
(妙な話にはなったけど、せっかくこの街に越して来て初めての顔見知りだし……)
 まぁメルアドとか電話番号とか、連絡方法を一切何も交換しないで別れちゃったんだから、今更コンタクトのやりようもないんだけど。
「……にしても、守護天使、か……」
 その後、質量の感じない夢叶の羽根を相も変らず回し続けながら、独り言を呟くわたし。
 詳しい話はよく覚えていないけど、対象の人間が一番幸福な道へ進める様にサポートする存在なんだっけ?
 んで、理由というか目的は信仰心……つまり、自分の存在を信じてもらう為。
『天界も魔界も、人々の信仰心無くては維持し得ないものですから。私が美幸ちゃんの為に力を発揮出来るのかどうかも、結局は強く信じてもらえるかどうかにかかっているんです』
「…………」
 連絡手段を失い、このまま顔を合わす機会も無くなれば、いずれ夢叶の存在は忘却の彼方へと消え去ってしまうのかもしれない。
 少なくとも昨晩のわたしの行動は、自分から夢叶との関わりを拒絶したのだから。
(……けど……)
 それでも、あのコの存在の欠片がこうしてわたしの手元へ残っているのなら、まだ完全に途切れてはいないってコトなんだろう。
「…………」
「ちょっと、出かけてこよっかな……?」
 それから、わたしは少し考えた後で、夢叶の羽根をコートのポケットに戻すと、朝食をパスして洗面台へと直行して行った。

                    *

「……さて、ここまで来たはいいものの……」
 やがて、手早く準備を整えて目的の場所まで出かけると、わたしは白い息を吐きながら早速辺りを見回し始める。
 昨日と違って視界は良好だけど、本当に目当ての人物はいるのだろうか?
(……でも、わたしのカンは確かにそう告げているのよね)
 目的地の名は、はじまりの広場。
 約四百年前に天使が降り立ち、後に創始者となる人の愛を紡いだ事で、この街の歴史が始まったとされる場所。
 ……そして、縁を結んだ天使は永い時を経て再びこの地に舞い降りて、今度は自分の護るべき相手を求めている。
(だから、あのコがいるとしたら……)
 この街の、この場所に強い思い入れがあって、今までずっとここでパートナーを探していたのなら、多分きっと今日も……。
「…………」
「……夢叶」
 いた。
 雪こそ降ってはいないものの、わたしはすぐに昨日と同じく噴水の前でひとり佇んでいる金髪の少女の姿を見つけることができた。
 ……というか、あまりにも簡単に見つかりすぎてちょっと拍子抜けなものの、今朝は雲ひとつない晴天のお陰で寒さもひとしおなので、無駄な手間をかけないで済むに越した事はない。
「美幸ちゃん……あはっ♪やっぱり来てくれると思って、ここで待っていました」
「……別に、わたしの守護天使になってくれって言う為に来たんじゃないわよ」
 それから、呟く様な小声の呼びかけに応えて振り返るなり、満面の笑みを浮かべて出迎えてくる夢叶に、コートのポケットへ手を入れたまま素っ気無く答えてやるわたし。
 確かに、まだ守護天使なんて言われてもピンとこない以上、受ける気なんて更々無い。
 無いけど……。
「勿論、分かってますよ〜。まずはお友達からですよね?」
「まずは、ってのがちょっと引っ掛かるけど、確かにここで夢叶と偶然に出逢ったのも、何かの縁なのかなってね」
 結局、見知らぬ土地に越してきて独りぼっちだから、簡単に手放したくなかっただけかもしれない。
 ……でも、きっとそういうのもひっくるめての“縁”なのだろう。
 時間と記憶を二日前まで戻して、今と同じ状況をリプレイ出来るかと言われても無理だろうし、今日も独りでアテも無くフラフラしていた可能性の方が遥かに高いと思う。
「ええ。一度目は偶然で、二度目は必然、三度目は運命って言葉もある位ですから」
「まぁ確かに、今日は夢叶がいるかなと思って来たんだから、必然ってのは認めるわ」
 そして、夢叶もそれを予感してここで待っていたわけで。
「んふっ♪滑り出しは上々ですね〜。それではせっかくですし、今日はこれからデートでもしませんか?」
「へいへい……。その間は守護天使の話を持ち出さないって約束するなら、別に構わないわよ」
 あとデートって言い回しも引っかかるけど、ここまで来てしまった以上は深く突っ込みますまい。
 ついでに朝食抜きで駆け込んでしまったから、お腹も空いてきたコトだし……。
「問題ありませんよ〜。その話はこれからたっぷりと親密になってからにしますから♪」
「……あと、ヘンなコトをしようとしても、即座に絶交するからね?」
「まぁ、努力はします」
「努力じゃなくて、約束しなさいよっ!」
 嘘をつけない夢叶が曖昧な言葉で返すってコトは、つまるトコロがする気は満々なんだろう。
 わたしにとっては、ある意味宣戦布告された様なものかもしれないけど……。
「それに、美幸ちゃんと私では、考え方に少々食い違いがあるかもしれませんし……」
 ともあれ、夢叶はトボけた口調でお茶を濁してしまうと、わたしの腕に抱きついてきた。
「こらこらこらっ、早速居直ってきてるじゃないのよ?」
「でも、その基準もまたこれから先に変わっていくかもしれませんしね♪にひっ」
 それから幸せそうに続けて、ニヤリと口元を緩める夢叶。
「…………っ!も、もうっ、勝手に言ってなさいよね……っ」
 何だかキケンな予感がするというか、もしかしたら早まってしまったのかもしれない。
 ……だけど、同時にわたしの中で何となく確信めいたものも感じていた。
「まぁまぁ、絶対に後悔はさせませんって♪」
「今言われても、何だかイヤらしい響きにしか聞こえないんだけど……」
「んふっ♪それはつまり、期待されてるってコトだったりします?」
「あほうっ」
 どんな形になるのかはまだ分からないけれど、聖なる日に白雪と共にこの“はじまりの広場”へ舞い降りた天使様とわたしの物語は、既に始まってしまっているんだろうなって。

第二章 儀式

「では、私と美幸ちゃんの素敵な出会いを祝してカンパイです〜♪」
「あはは、何だか改まってそう言われるとくすぐったいけど、乾杯」
 やがて注文した料理が運ばれて、文字通りにお膳立てが整った後、上機嫌な顔でグラスを掲げてくる夢叶に、苦笑い混じりで乾杯を受け入れるわたし。
 ブランチというよりはもう殆どお昼時といっていい時間帯になってしまったものの、夢叶とのデートの始まりは、彼女の強い希望で腹ごしらえとなった。
「いえいえ、私にしてみれば間違いなく記念日ものですからー」
「大袈裟ねぇ。こんな調子で毎年祝う気?」
 友人と知り合った日をいちいち記念日指定していたら、それこそキリが無いでしょうに。
「私としては、出来ればそうしたいですけど……んくっ、んくっ、ぷはぁ〜っ!……はぁ、おいしいです」
 ともあれ、互いにグラスを軽く合わせた後で夢叶は中身を一気にあおってしまうと、すっかりと出来上がったテンションで満足そうに笑いかけてくる。
「おお、豪快にいったわね」
「そりゃもう、めでたい祝杯なんですから。あ、すみませんおかわり下さい〜」
「早速二杯目か。もう、飲み物でおなか一杯になっちゃうわよ?」
 ただでさえ、料理の方も勢いに任せて食べ切れない位に注文しちゃってるのに。
「まぁまぁ、細かい事は気にせずに。ほら、美幸ちゃんもグイっとやって下さいよ〜」
 しかし、夢叶の方はこちらのツッコミなど意に介す様子もなく、今度は身を乗り出してわたしの手を取り、まだ半分も減っていない中身を押し付けてくる。
「こらこら、絡むんじゃないっ。それに、一気飲みは危険だから勧めたりもしないの」
「でも、アルコールは入っていませんけど?」
「だよねぇ……」
 飲んでいるのは確か、わたしと同じりんごソーダのハズなのに。
(いや、もしかしたらアルコールで酔っ払うとは限らないとか?)
 特定の果汁とか、炭酸水自体でとか、カフェインがダメとか……。
「……ん?どうかしましたか?」
 そこで、無意識にじっと見つめてしまったこちらの視線に気付いた夢叶が、わたしの手を取ったままきょとんとした目を向けてくる。
「あ、ううん。もしかして、天使様は炭酸飲料で酔っ払ってしまうのかなって」
「さすがにそれは無いですよ〜。嬉しくて、ちょっと舞い上がってしまっただけです」
 とりあえず、荒唐無稽なのは分かっていながらも正直に思っていた事を話すと、夢叶はようやく一歩引いて照れ笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「あはは……そうだよね。わたしも何かヘンなコト言っちゃった。ゴメン」
「……でも、確かに美幸ちゃんも最初は戸惑う部分はあるんでしょうねぇ」
「そりゃまぁ、当たり前だけど天使様の友人なんて生まれて初めてだしね。もしかしたら、ヘンな色眼鏡で気を悪くさせてしまうコトもあるかもしれないけど……」
 大体、わたしはまだ異国人の知り合いすら持った経験がないワケだし。
 ……ただ、少なくとも夢叶とは友達になるつもりでこうして一緒にいるんだから、悪意は無いってのは伝えておかないと。
「いえいえ、そういう溝はこれから時間をかけて埋めていけばいいだけです。そう、じっくりと……」
 しかし、続けてわたしがフォローを入れる前に、夢叶は全く気にしないとばかりの両手を振るジェスチャーを見せたかと思うと、続けて口元へ手を当てながら、「ぐふっ」と妖しい含み笑いを向けてくる。
(じっくりと、ナニをされるんだろう……?)
 何かこう、乙女の第六感は間違いなく危険信号を発してはいるんですけどね。
「でも、さし当たってはまずはご飯からですね〜♪そろそろ、お鍋がいい煮え具合みたいですよ?」
 ともあれ、一瞬身を引いたわたしに夢叶はそう告げた後で、テーブルの中央に用意された土鍋の蓋を手に取ってゆっくりと引き上げると、湯気を上らせながらぐつぐつと美味しそうに煮えた水炊きの具材が姿を現してくる。
「あ、そうみたいね……」
 白菜に春菊、しいたけに豆腐に鶏肉、そして海老や蛎といった魚介類に……と、何とも食欲をそそる光景ではあるんだけど、実は一つだけ問題があったりして。
「しかし、今が冬場で良かったですよねー?この季節だからこそ予約無しでも入れるお店が沢山あるんでしょうし」
「まぁ、確かに言われればそうかもしれないれど……」
「……あれ?もしかして美幸ちゃん、お鍋は嫌いでした?」
「あーいや、そんなんじゃないけど、でもちょっとブランチにしてはヘビーかなぁって」
 それから自分との温度差を感じたのか、再びきょとんとした目を向けてくる夢叶に、苦笑いを浮かべながら改めてテーブルの上を飾るご馳走に目をやるわたし。
 実は水炊きの大きな鍋と取り皿だけじゃなくて、釜飯のおひつも並んでいたりして。
「朝ご飯もまだと聞いたので大丈夫かなと思ったんですが、美幸ちゃんって小食な方でしたか?」
「そりゃまぁ、頑張って食べられないコトもないとは思うけど……でも、妙にお鍋に拘っていたのを思い出してね」
 とりあえずお腹も空いたから、まずはご飯を食べに行こうと話が決まったまではよかったものの、その辺のファミレスでいいんじゃない?というわたしに対して、夢叶は断固として鍋物を主張してきたりして。
 ……ただ、いくらお腹が空いているといっても、お鍋はちょっと重いし時間もかかりそうだからと、わたしは「ファミレスの鍋焼きうどんじゃダメなの?」と尋ねてもみたものの、「それじゃ意味が無いんですっ!」と譲らなかった。
 それで結局わたしの方が折れて、ショッピングモール内でやっている鍋物屋さんを探して今に至るワケだけど……。
「だって、この国には親睦の証として、一緒に同じ物を食べるって風習があるらしいじゃないですか。ほら、“コトワザ”で『同じ釜の飯を食べた仲間』でしたっけ?」
「……あー、なるほどね。つまり、これはわたし達がお近付きになった“儀式”のつもりなんだ」
 ついでに釜飯も追加したのは、“文字通り”ってワケですかい。
「その通りです♪……けど、美幸ちゃん達は普段はやらないんですか?」
「まぁ、お誕生会とか何かの行事で食事会みたいなのはするけど、わざわざ今回みたいにお鍋を囲んだ覚えはないわねぇ」
 むしろ、こういうのは生粋の日本人よりも日本のコトを勉強した外人さんとかがやりたがりそうというか。
「……むぅ、古来より和を重んじるこの国では、そういった絆を深める風習みたいなものは沢山あるんですから、もっと実践すべきだと思うんですよ。はい、どうぞ」
 すると、わたしの返答に夢叶は嘆かわしいとばかりにぼやいた後で、釜飯が控えめに盛られたお茶碗を差し出してくる。
「お、悪いわね?」
「いえいえ、お互い様ですから♪」
「……ああ、そっか」
 そして、お礼に対する夢叶の返事が何を意味しているのかをわたしはすぐに理解すると、もう一つのお茶碗を手に取り、同じ様によそおってゆく。
「はい、ではどーぞ」
「えへ、ありがとうございます〜♪」
(……なるほど、こういうのも悪くない……か)
 それから、手渡した時に夢叶が返してきた嬉しそうな満面の笑みを見て、まだ鍋の中身に手を付けていないのに、何だか身体の芯が温まってくる様な心地を感じるわたし。
 とりわけ、普段から一人で食事をするのが当たり前な自分だから、余計に感じ入るものがあるのかもしれないけど。
「…………」
(それとも……)
「えっと、次はお鍋から見繕いましょうか?」
「ううん。それは自分でやるから、菜箸を取ってくれる?」
「あ、はい。どうぞ♪」
 ともあれ、続いてわたしがお願いしてみると、夢叶は目の前に置かれていた菜箸を拾って手渡すだけじゃなく、自分の手を添えて握らせてくる。
「……ありがと」
 身を少し乗り出して手を伸ばせば自分でも取れるし、わざわざ手を握ってくるのも少しばかりの鬱陶しさはあるものの、それでも悪い気はしない。
「熱いから、気をつけて下さいね♪あ、お豆腐取りましょうか?」
「ううん、豆腐は後でいいや。それより、お出汁を入れてくれる?」
「はい♪」
(……ん〜……)
 なんていうか……。
「……よっと、こんなもんかな。悪いけど夢叶、そこのポン酢も取ってくれる?」
「ええ、これですね〜♪」
 やがて、鶏肉をメインに好きなものを適当に掬い上げた後で、手を伸ばせば届きそうどころか、明らかにこちらからの距離の方が短いにもかかわらずわたしがお願いすると、夢叶はこれまた嬉しそうな顔で身を乗り出して容器を手に取り、両手で差し出してきた。
「…………」
「どうしました?」
「……いや、わたしって何だかんだで人恋しいんだろうなってね」
 それから取り皿を一旦置いた後で、指先を触れ合わせながら調味料の容器を受け取ると、苦笑い混じりに本音を告白するわたし。
 今朝、夢叶の姿を求めてはじまりの場所へ戻った理由は一言二言じゃ表せない位に複雑なんだろうけど、結局は「寂しいから」に集約するのかなと。
「まぁ、そうでなければ私も美幸ちゃんに必要としてもらえる余地がありませんからねー。ついでに言えば、寂しがり屋の人が少なくなれば私の本業の方も存続の危機ですが」
「愛を司る天使、だっけ?だけど、夢叶も見知らぬ土地じゃないとしても一人で人間しかいない街へやってきて、心細いとか寂しいって気持ちはないの?」
「私ですか?今の私は美幸ちゃんとの輝かしい第一歩を踏み出せたので幸せな気持ちでいっぱいですけど、場合によったら今後はあるかもしれませんねぇ?」
 そしてそんなわたしに対して、夢叶はそう言って思わせぶりな視線を向けてくる。
「……ええと、もしかして暗に圧力をかけてきてますか?」
「いえいえ、とりあえず言ってみただけですよー?まぁ、そういう方向に解釈してもらえたってだけでも充分嬉しいですけど♪」
「勝手に言ってなさいっての……もう」
 まったく、油断も隙も無いんだから。
「あはは。でも、私は別に結果だけを求めているわけでも、焦っているつもりも全くありませんから、無闇に身構えたりしなくても大丈夫ですよ?本音のお話をすれば、今は単に美幸ちゃんと仲良くなりたいだけですし」
「仲良くって、どこまでの意味で?」
「それはもう、“ひと目惚れ”した位ですから。んふっ♪」
 そこで、わたしの向けた突っ込みに夢叶は曖昧な返事をしつつ、頬に手を添えながらニヤニヤと気持ちわるく悶えて見せた。
「…………」
 いや、やっぱり警戒はしておいた方がいいと思うのよね。うん。

                    *

「……そういえばさ、夢叶って普段は何をしてるの?」
 やがて、会話も一段落してしばらくは食事の音だけが続いていたものの、鍋の中身が半分くらい減った辺りで沈黙を破ってみるわたし。
 一緒に食べてる釜飯が効いてお腹が膨れてきたので、ちょいと箸休めの意味もあるんだけど。
「何を、といいますと?」
「いや、パートナーを探しているのは聞いたけど、別にそれだけの為に毎日フラフラしてるってわけでもないんでしょ?」
「ああ、普段は学生をやっています。一応、留学生って扱いで」
「留学生、ねぇ……。まぁ、一番無難な線かな?」
 というか、最近の学校は異国だけじゃなくて異世界の人達も受け入れるのかしらん?
 ……勿論、正直に天使だって申告はしてないだろうけど。
「一応、人間界へ在任中に就く職業は自由ではあるんですけどねー。中には何にもしてない人いますし」
「夢叶は敢えて学生を選んだと。んで、どこに通ってんの?」
「光比奈(みつひな)区にある、聖憐(せいれん)学園ですよ」
「……ぐあっ」
 いや、友達相手に同じ学校へ通うと聞いてこういう反応もどうかとは思うものの、しかし思わず天井を見上げてしまったのは確かである。
「もしかして、美幸ちゃんもですか?」
「うん……わたしの転校先」
 県内で唯一の女子校である、私立聖憐学園。
 前に通っていた学校の勧めだったのもあったんだけど、女子校の方が気楽かなとか、大学部まであるから進学が楽かなとか、そもそも悩む時間すらロクに無かった事情もあって、全く深く考えないで編入試験を受けたのはいいものの、まさかこういう奇縁が隠されていたとは。
「んふっ♪これぞ正に“主”のお導きですね」
「お導き、ねぇ……」
 そりゃまぁ、「奇遇」なんて理屈じゃ説得力不足かもだけど、逆に言えば何とでも解釈できるワケで。
 ただ、ここで最も重要になるのは……。
「これで、新学期の訪れが俄然楽しみになってきましたー♪今までも新鮮で楽しい学生生活を体験させてもらっていましたけど、それが更に何百倍にもなるというか」
「あははは、は……」
 一方のわたしにとっては、何だか落ち着かない日常の予感しかしないんですが。
「というコトで、美幸ちゃんが入学してきたら、私が校内を隅々まで案内してあげますね♪」
「……へいへい。わたしが何も知らないのをいいことに、誰も通りかからない場所へ誘い込もうとかしないのなら助かる話ね、それは」
「…………(ぽんっ)」
「こらこらこらっ、その手があったかって顔をしてんじゃない……っ!」
 いや、予感じゃなくて確信……なのかも。
「まったくもう、天使がそんなに煩悩にまみれていいの?」
「煩悩だなんてとんでもない。ただ、任務に忠実なだけですよぉ」
 そこで、思わず呆れた溜息を吐くわたしに、心外とばかりの真顔で反論してくる夢叶。
「任務って……」
「もちろん、当面のプライマリミッションは、全力で美幸ちゃんを篭絡させるコトになりますねぇ」
「……はいはい、お手柔らかに頼むわ」
 とりあえず、寂しさなんて感じる暇が無さそうなのは確かみたいね。
 良くも悪くも、だけど。

                    *

「……さーさー美幸ちゃん、早く脱いで下さいー♪」
「で、でも、恥ずかしいよ……」
 ロッカーを背にした壁際に追い詰められ、いつもの低姿勢な態度と違ってやや強い調子で促してくる夢叶に、わたしは視線を逸らせながら身体をよじらせてゆく。
「大丈夫ですよぉ、私もすぐに脱ぎますからー。むふっ」
「だけど……」
 同性が相手だろうが、やっぱり視線を感じる中で衣服を脱ぐのは抵抗感がある。
 そもそも、場所を考えれば視界に入ってしまう程度は仕方が無いとしても、夢叶については鼻息を荒くしつつ明らかに好奇の視線を向けてきているのだから。
「恥ずかしがったままでは、いつまで経っても前に進みませんよ?ほら、手をどけて下さい」
「そんなの分かってるよ。でも……」
「……仕方がないですねぇ♪では、私が手伝ってあげますから」
 すると、「仕方がない」と言いながらも凄く楽しそうな口調でそう告げると、わたしのブラウスのボタンに手を伸ばしてくる夢叶。
「や、だめ……っ」
「往生際が悪いですよ、美幸ちゃん?ここまでついて来たんですから、今更ダメなんて言わせません」
 そこで思わず抵抗するわたしなものの、夢叶は更に強い口調で遮ると、わたしの手を取って真剣な目つきで見据えてくる。
「夢叶……」
「さぁ美幸ちゃん、選んで下さい。自分で脱ぐか、私に脱がされるか」
「……って、ああもうっ、自分で脱ぐのは脱ぐけど、じろじろ見ないでって言ってんのっ!」
 周りに人が殆どいないとはいえ、いい加減公衆の場でコントまがいのやりとりを続けるのもアレなので、一旦夢叶の手を強めに振り払ってツッコミを入れるわたし。
 ちゃっかり争点を摩り替えようとしてるし、ホント油断ならない天使なんだから……。
「え〜、少しくらい見せてくれたっていいじゃないですかぁ?」
「おだまり。図々しい要求をしておいて居直るんじゃないわよ」
 しかも、明らかに「少しくらい」って態度じゃないでしょうが。
(……まったく、いきなり心配的中じゃないのよ)
 とまぁ、どうして了承してしまったのかは自分でもよく分からないけれど、やがて昼食が終わった後で、「同じ釜のご飯を一緒に食べた次のステップは、やっぱりお風呂で背中の流し合いですよね♪」という夢叶の口車に乗せられてしまった。
 ……いや、一応わたしも夢叶と一緒に温泉スパなんて嫌な予感しかしないので最初は抵抗しようとしたものの、そこですぐに代替案を出せなかったのが運の尽きだったんだけど。
「んじゃ、私が先に見せたら美幸ちゃんも見せてくれます?」
「何でそういう方向になるのよっ!……というか……」
 わたしはそこで言葉を止めると、改めて目の前に迫っている天使様の胸元を確認してみる。
「…………?」
「多分、それをされると恥ずかしいより凹んでしまいそうだから、やめて……」
 背丈は殆ど違わないというのに、この服の上からでも分かる曲線の違いは何なんだろう?
「え?え?どうしてですか?」
「ああもう、うるさい……!たまにちらちらと見るくらいはいいから、あっち向いて脱ぎなさいっ」
 そこで、なんだか自棄っぱちな気分になったわたしは一方的にそう告げると、夢叶から背を向けて脱ぎ始めていった。
(ったく、自前でそれだけのプロポーションを持ってるくせに、人のを見たがるんじゃないわよ)
 ……いや、多分そんな問題じゃないんだろうけどさ。
「あ、美幸ちゃんのお尻可愛い……」
「こら……っ!やっぱり見んなっ」
 少なくとも、あの子の視線の先は常にわたしを見ているのだろうから。

                    *

「お〜。温泉スパなんて初めて来たけど、思ったより広いわねぇ」
 やがて入浴の準備を終え、裸の上にタオルを抱きかかえた格好で、更衣室から浴室への扉を二人並んで開けてみると、普段自分の家で入っているお風呂とは比較にならない位に広くて蒸し暑い空間が、何とも言えない開放感と共にわたし達を出迎えた。
「しかも、ここはつい先月にオープンしたばかりなので、とっても綺麗ですし」
 確かに、清掃が行き届いているだけじゃなくて、壁とか床とか、備え付けの備品一つを取っても未だ新築の輝きを保っている感じである。
「ふむ。最初は面倒くさいとか、わざわざお金を出してまでとか思ってたけど、これなら悪くないか」
 辺りを見回してみると、更衣室と同じく中の客足も疎らで、奥に見える大理石造りの大きな浴槽で思いっきり手足が伸ばせそうなのも魅力的だった。
「…………」
 ただ、魅力的なのはいいんだけど……。
「にしても、最近オープンしたって割には人が疎らよね?」
 まぁ、今どき銭湯くらいでお祭り騒ぎにはならないだろうけど、こんな調子で大丈夫なのだろうか。
「そういう時間帯だからじゃないですか?まだ開店直後ですし」
「……ああ、そういやまだ全然お風呂の時間じゃないわね」
 そこで夢叶に言われて、備え付けられていた大きな壁掛け時計を見てみると、時刻は午後二時を過ぎた辺りで、確かに世間一般での入浴タイムに突入するのはまだ当分先である。
「ええ、心配せずとも、あと何時間かすれば洗い場の確保にも困るくらいになると思いますよ?」
「なるほど。それを聞くと、いい穴場の時間なのかもねー」
 営業時間が長いお店ゆえのエアポケットみたいな感じかしらん。
「……それに、私としてはそれも見越して今の時間に来たんですから、混んでいても困りますし……」
「ん?どういう意……ひっ?!」

 さわっ

 ……しかし、それから不意に何やら不穏さを含んだ呟きが聞こえて振り返ろうとしたものの、それよりも早く夢叶の手がわたしのお尻にソフトタッチで触れてきた。
「ち、ちょっ……」
 しかも、本当は反射的にげんこつでも食らわるつもりだったのに、わたしの胸がどきんと強く脈打ち、逆に足が釘付けになってしまう。
(な、何なの、この感じ……?)
「んふっ♪もちろん、誰もいない方がじっくり……もとい、のんびりできるって意味ですよ?」
「なんか、言葉の節々からいかがわしい響きを感じるんだけど……」
「気のせいじゃないですか?……もしくは、美幸ちゃんがそういう展開を期待しているか」
 そして、夢叶はわたしの耳元でそう囁いた後で、再びわたしのお尻へ手を伸ばしてくる。
「…………っ?!」

 ごいんっ

「もう、いたいじゃないですかぁ〜っ」
「おだまり……。痛い目に遭わされて当然のマネをしてるんだから、当たり前でしょーが」
 しかし、今度は勘弁ならんと反射的に鉄拳制裁を叩き込むわたしに、頭を押さえながら図々しくも抗議の言葉を返してくる夢叶。
「別に減るものじゃないですし、代わりに美幸ちゃんも私の身体を好きなだけ触っていいですから〜」
「だーかーらー、そういう問題じゃないっての、もう」
 お風呂へ連れ込んだからって、さっきから調子に乗って居直り過ぎです。
 ……というか、ヘンなコトしたら即座に絶交という約束が形骸化するのも早すぎ。
「まぁまぁ。それはともかく、まずは身体を清めませんと♪」
 しかし、夢叶の方は全く意に介した様子もなく、今度はわたしの肩を抱きながら、風呂桶と椅子が備え付けられた、壁で仕切られている鏡張りの洗い場ブースへと移動を促していく。
「……えっと、やっぱり夢叶が背中を流してくれるの?」
「だって、その為に来たんですし、何か問題でも?」
「あ、いや……」
 やっぱり嫌な予感はするんだけど、まぁ今更ジタバタしても仕方が無い……か。

                    *

「美幸ちゃん、気持ちいいですか〜?」
「ん〜。もうちょっとソフトにお願い」
 やがて、ボディソープを適度に馴染ませた柔らかいスポンジを通して、ごしごしと嬉しそうに背中を擦ってくる夢叶に、膝の上へ肘を立てながら相槌代わりの注文を付けるわたし。
 普段自分で洗う時よりも色々とくすぐったい感じはするものの、同時に何だか不思議な心地よさも感じていたりして。
(……そういえば、誰かに背中を流してもらうのって、いつ以来だったっけ?)
 思い出そうとしても該当する記憶が浮かばない辺り、もしかしたら幼少期の家族相手を除けば、これが初めての経験なのかもしれない。
「はいはい、かゆい場所とかあったら言ってくださいね?……あ、それと肩もこっているみたいですけど、後で揉みましょうか?」
「あー、いや。わたしそういうのはくすぐったくてダメだから、別にいいよ」
「でも、そんなコト言われると余計にやりたくなったりしてくるんですけど……むふっ♪」
「こらこらこら……っ」
 その、「むふっ」の瞬間に背中から寒気を感じたんですけど、気のせいでしょうかね?
「だって、美幸ちゃんの背中って小さいから、すぐ洗い終えてしまいそうですし……」
「はいはい……んじゃ、少しぐらいなら揉んでもいいわよ?」
 それでも、背中越しからおねだり半分の甘い声で残念そうに呟いてくる夢叶に、小さい溜息交じりに許可を与えてしまうわたし。
(……何だかんだで、わたしも夢叶に甘いわよねぇ?)
 昨晩の守護天使の契約こそはきっぱりと断ったものの、考えたらそれ以外では何となく断りきれずに流されるがままって感じになってる気が……。
「えへへー。そうこなくっちゃですよー」
 ともあれ、夢叶は嬉しそうに声を弾ませると背中を流すのを途中で放り出し、ボディソープでぬるぬるした指先のまま早速肩揉みの方へと移行してくる。
「あ、でも慣れてないんだから、優しくやんなさいよ?」
「問題ありませんってば。私の大天使アイで美幸ちゃんのせいかん……もとい、ツボを的確に認識して、絶妙な指使いと力加減であっという間に天国へ連れていって差し上げますからー♪」
「……ちょっと待った。今なんて言いかけて訂正したのよ?」
「いえいえ、ちょっとした言葉のアヤです♪」
「…………」
(というか、何よ大天使アイって?)
 問題ないと言われてもわたしには問題しか感じないセリフの上に、天使に天国へ連れて行かれるってのも何だか笑っていいのか困るジョークだったりして……。
「まぁまぁ、マッサージ自体は真面目にやりますから、ご心配なく〜」
「ん……っ、あ、ホントだ……」
 しかし、それでも夢叶の言葉通り、肩もみ自体はツボをきちんと突いてきて確かに気持ちよかったので、とりあえずわたしは細かいツッコミは止めてしばらく身を委ねることに。
「加減を調整して欲しい時は言ってくださいね?美幸ちゃんが満足するまで続けちゃいますから♪」
「満足するまで、ねぇ……」
 本当にわたしが続けてと言ったら、一時間でも二時間でも続ける気かしら?
「……でも、美幸ちゃんのお肌ってスベスベしていて触り心地が最高ですねぇ。思わず頬刷りとかしちゃいたくなります♪」
「んー、せっかくお褒めいただいても、夢叶ほどじゃないとしか……」
 そっちこそ本当にバージンスノーみたいな真っ白で傷一つ無い、美しすぎる肌をしている癖に。
「いえいえ、自分の肌なんて私にとってはどうでもいいコトですし。……あ、でもでも別に美幸ちゃんのお肌がどうであろうが、私の気持ちに変わりはないですよー?」
「ああ、左様ですか……」
 何だか逆効果のフォローっぽいけど、まぁいいや。
「とまぁ、それはともかくとして……どうやら軽度ですけど肩こりが見受けられますねー美幸ちゃん?」
「え、そう……?」
 自覚はなかったけど。
「美幸ちゃんも私と同じく見知らぬ地へ越して来た身ですし、知らずのうちにストレスや不安で身体が張り詰めてるのかもしれませんねー……」
(んー。ぶっちゃけ、緊張の原因は今肩を揉んでる天使様にある様な気もするんだけど……)
「…………」
 でも……。
「ですが、これからいつでも言ってくれれば、この私が心も身体も癒して差し上げますから♪」
「…………」
「それでもって、いつしか美幸ちゃんにとって私がなくてはならない存在になった時にでも、また改めて昨晩のお話をさせてもらえたら嬉しいかなって……」
「…………」
「……えっと、どうかしましたか美幸ちゃん?痛かったです?」
 やがて、いつの間にか黙り込んでしまったわたしを怪訝に思ったのか、一旦手を止めて恐る恐る尋ねてくる夢叶。
「いや、何だか妙に嬉しそうだなぁ……って」
 ただ背中を流したり、肩を揉んでいるだけなのに、いちいちどうしてそんなに楽しそうなんだろうと。
「だって、ずっとこういうのに憧れていましたから♪ほら、お肌とお肌の触れ合いっていうか」
「そういえば、やたらと手を繋ぎたがってくるよね、夢叶って」
 昨日も何だかんだでコトあるごとにわたしの手を取ってたけど、今日も広場からここまで移動する時はいつも隣から当たり前に手を伸ばしてきてたし。
「ん〜。今までは実体のない魂の繋がりばかりを紡いできましたから、こういう直接的な温もりって嬉しいんですよね。“実感”って、こういうコトなんだっていうか」
「それも何だか、儚い話ね……」
 大切なのは心だというのは良く聞く詭弁だけど、だからといって本当にそれだけじゃリアルとも言えないワケであって。
「ですから、こうやって美幸ちゃんの体温を直接感じられるのは凄く幸せな気分なんです♪出来れば、もっと貪るがごとく感じたい位に」
「……はいはい。わたしで良ければ、少しぐらいならいいわよ?」
 そこで、何だか夢叶に同情心が芽生えてしまったわたしは、つい無警戒に安請け合いしてしまったものの……。
「ほほう……。では、遠慮なく♪」
「ふぇ?……ひゃっ?!」
 その直後、背後で肩を揉んでいた天使様の目が怪しく光った様な気配を背中が受け止め、慌てて振り返ろうとするものの、時既に遅し。
 わたしが動くより先に夢叶の指先がわたしの耳の裏へと伸びて、そのまま不意打ちの刺激に仰け反らされてしまう。
「ちょっ、いきなりナニすんのよ……っ?!」
「何と言われても、せっかくお許しを頂いたので、もう少し色んなトコロから美幸ちゃんの温もりを実感させてもらおうかなと。んふっ♪」
 そして、身を震わせながら抗議するわたしにヘンタイ天使はそう告げると、ボディソープでヌルヌルとした指先を耳の付け根から首筋の方へ擽るように這わせてくる。
「いきなり好き勝手に拡大解釈してんじゃないわよ……って、ちょっ、ダメ……くすぐったいって……」
 一応、大声が出てしまったり、立ち上がって逃げ出す程じゃないものの、それでも黙って耐えられるかと言えば絶対無理ってレベルのくすぐったい刺激に、肩を強張らせたわたしの背筋からゾクゾクっとしたものが走ってゆく。
「でも、こういう裏側って、ひとりで洗っている時は割と見逃されやすい部分ですし」
「……だからって、普通は指で洗ったりなんてしないわよぉっ。というか、さっきまでスポンジ使ってたくせに……っ」
「ほら、耳たぶとかだって、いつ甘噛みされるか分からないんですから」
 しかし、わたしの抗議を夢叶はあっさりスルーしてしまうと、今度は耳たぶを指でくすぐったり揉んだりとソフトタッチで弄り回してくる。
「そ、そんなコトしそうなヘンタイは、あんた位だってば……ちょっ、だからくすぐった……んっ」
(……あれ、一体どうしたんだろう、わたしの身体……?)
 普段は、自分でつまんでみても殆ど何も感じないハズなのに、何だか妙にぞわぞわしてくるというか、敏感になってきてるような……。
「え〜、こんなに柔らかくて美味しそうなのに……というか、むしろ噛みたくなってきたんですけど、ダメですかね?」
「いいワケないでしょーがっ!もう、調子に乗り過ぎぃっ」
 というか、時と場所を弁えなさいよね。
「むぅ、残念です……でもまぁ、一応今は美幸ちゃんの身体を洗って差し上げている最中ですし……」
 すると、夢叶はブツブツと残念そうに呟いた後で、耳たぶから首筋に下りていった指先を、今度は鎖骨から肩口へ向けてゆっくりと滑らせてくる。
「ち、ちょっとまったっ、背中を流すのは許したけど、他の部分まで洗ってくれなんて頼んじゃ……ふぁっ?!」
 この指の動きを見ていると、何だか全身撫で回しコースって感じなんですけど……っ。
「んふっ♪今更細かいコトは言いっこナシですよ〜?」
 それに対して、このヘンタイ天使はもう言い訳がましい方便すら無しでわたしのツッコミを遮ってしまうと、肩口から下りた指を今度は両脇の中へと潜り込ませてきた。
「はひっ?!ば、ばかっ、そこダメ……っ」
 瞬間、今までとは比較にならない強い刺激が走り、思わず自身を抱きしめる様に身を丸くさせるわたし。
 ……いや、させるんじゃなくて完全に「させられている」んだけどね。
「やっぱり、美幸ちゃんってくすぐったがりさんですねぇ?何だかゾクゾクしちゃいます♪」
 そして更に、わたしの反応を見て指先を脇腹へかけて上下させながら、夢叶の奴は楽しそうに不穏な言葉を向けてくる。
「んんっ!……っ、ひとのカラダを弄んで楽しんでるんじゃないわよ、この悪魔……っ」
 もしくは、Sの気でもあるのか。
「……むぅ〜っ、愛を司る大天使に向かって、何て心外な……」
 そこで、精一杯の抵抗のつもりで吐き捨てたわたしに、夢叶はワザとらしくも露骨に不機嫌そうなセリフを返してきたかと思うと、今度は単に滑らせるだけじゃなくて、両手の指を生きものの様に躍らせてくすぐり始めてきた。
「あひぃ……っ、わ、脇はダメ、やめて……悪かったからぁ……っ」
「だ〜めです。今のはたとえ美幸ちゃんと言えど、ちょっと聞き捨てならない暴言でしたからー。ぐふふふふ♪」
「はひ……っ!こ、言葉に説得力というモノが感じられなふひぃっ!わよ……っ!んあっ」
「いえいえ〜、本来なら天罰てきめんですよー?でも、美幸ちゃんですから特別にこの程度で済ませているだけで♪」
「はぁっ、はぁっ、ほ、他のトコロを触ってもいいから、もうくすぐるのは勘弁してよぉっ」
 許せないからお仕置きって割には、その白々しい口ぶりから手段と目的が入れ替わっているのは明らかだけど、どの道いつまでも耐えられる攻撃じゃないのは確かなワケで、やがて夢叶に白旗を揚げてしまうわたし。
「ほほう。他って、たとえばどんなトコロならOKなんですか?」
 すると、夢叶の奴は改めてスポンジから揉み出したボディソープを両手に馴染ませた後で、今度は脇腹から太ももの方へと、滑らせる様にぬるぬる度が増した指先を伸ばしてきた。
「え、えっと……それは……その……んっ!」
 ちょっ、それ以上内側に入ってきたら……。
「もしくは、どこがダメってはっきり言って下されば、善処しますけど?」
「う〜〜っ、性悪天使ぃ……っ」
 しかも、善処ですかい。
「あはは……これは自分でもちょっと意地が悪いかなーとは思うんですけど、でもこうして美幸ちゃんの身体に触れれば触れるほど、もっと他の部分も触ってみたいって欲求が湧き上がってしまうんです」
「そ、そんなコト言われても……ひっ!足首もくすぐった過ぎるからだめ……っ」
 わたしにとっては理不尽極まりない話ではあるんだけど、でも何故だか逃げられない。
 このままだと、更にエスカレートしてくる予感はひしひしと感じているのに、夢叶の繊細で柔らかい指がゆっくりと這い回る中で、次第に身体の芯から微弱だけどジンジンとした疼きの様なものが広がっていって、それがわたしをこの場へ縛り付ける目には見えない楔になっていた。
 ……ついでに、心臓の動悸も高鳴り続けて苦しいぐらいになってるし。
(もしかして、わたしってば知らないうちに拘束されちゃってる……?)
「……というワケで、ゴメンなさい美幸ちゃん……」
 やがて、そんな考えが頭を過ぎった直後、意味不明の謝罪の言葉と共に、夢叶が突然後ろから抱き付いてきたかと思うと、わたしの背中にマシュマロみたいな柔らかい感触がべったりと密着してきた。
「あうっ?!い、いきなり何よっ?!それに、どうして……」
「一応、さっきから焦っちゃダメだってのは自分に言い聞かせてるんですけど……でも……」
 そして、戸惑いを隠せないわたしにヘンタイ天使様はそう続けると、腹部へ腕を回して固定した後で、密着させた胸をゆっくりと上下させてきた。
「あっ、こら……っ、ちょっ……」
 これはくすぐったいやら恥ずかしいやら、柔らかくも適度に弾力のある先端の感触が結構気持ちいいやらで、正直フクザツ過ぎだったりして。
「あん……っ、やっぱり指よりも、こうした方が美幸ちゃんの体温を直接実感出来ますね。んふっ♪」
「直接はいいけどっ、やってるコトは殆ど痴女の領域じゃないのよ……っ?!」
 というか、湯船からは物蔭に隠れているとはいえ銭湯の洗い場で大胆すぎと周囲を見回してみるものの、幸いにわたし達のやりとりを見ている人は居なさそうだった。
(いや、本当に幸い……なの?)
 逆に言えば、夢叶の束縛から逃げる口実も失ったワケで。
「失敬な。これも愛情表現ですよ?多分」
「……ああ、そーでしょうとも」
 確かに、好きな人以外にこんなコトしてたら、本当にただのヘンタイ痴女さんだし。
 だけど、そんな中でわたしも実感していることが一つあって……。
「ほら、美幸ちゃんにも伝わりますか?この私の胸のときめきが」
「……うん。夢叶の鼓動も背中越しにちゃんと伝わってる」
 わたしと同じく、とくんとくんと早鐘の様にしっかりと脈打ち続けていて、そこに不思議な連帯感と、また天使といっても基本構造は自分達と変わらないんだというコトを改めて認識させられていた。
「ええ。信仰心の薄れた今の人間界での私は浮いた存在なのかもしれませんが、でもこうしてちゃんと”実在”しているんですよ……?」
「もしかして、それを改めて伝える為に?」
「んふっ♪……では、今度は美幸ちゃんの鼓動を確認させて下さいね?」
「え?!そ、それって……」
 ……と、しみじみした空気になったのも束の間、程なくして夢叶がそう続けてきたかと思うと、彼女の両手がわたしの胸をすっぽりと覆ってしまった。
「んあっ?!こ、こらぁ……っ!」
「うふふふふ……美幸ちゃんの胸、可愛くて柔らかいです」
 そして感触を楽しむかの様に、ゆっくりとわたしの乳房を揉みしだいてくる夢叶。
「ち、ちょっ……だめぇ……っ」
「それに、こんなにドキドキしてる……さて、この動悸の原因は何でしょうかね?」
「す、少なくとも、あんたの所為ってのは確かよっ、ん……くぅっ」
 更に言うなら、揉まれているといっても鷲掴みって程じゃなくて、むしろソフトタッチで優しい手つきなのに、まるで心臓をきゅっと掴まれてる様な圧迫を感じさせられていたりして。
「あは、それは嬉しいですねぇ……では、もっと感じさせてもらっていいですか?」
「……も、もう……っ、ヘンなコトしないって約束だったのに……」
 しかも、何だか胸が苦しくなってきてるし……。
「…………」
「……ね、美幸ちゃん。私にこんなコトされるのって、不快ですか……?」
「ず、ずるいわよ……そういう質問……ん……っ」
 すると、少しの間を置いた後で夢叶に耳元で囁かれ、少しだけむかっ腹も立ちながら曖昧に返すわたし。
 いっそ本当に不快で苦痛だったら、力ずくにでも撥ね退けられるのに、そうじゃないから困ってるんだってば……。
「ありがとうございます♪……それじゃ、もうちょっとだけ調子に乗ってみてもいいですか……?」
 すると、わたしの心を読み取ったのか、答えになってない返事を受け止めた夢叶は嬉しそうに囁くと、今度は伸ばした指先で円を描く様にして、先端部の周囲をゆっくりとなぞり始めてくる。
「ふあっ?!……ち、ちょっ、なにしてんのよぉ……っ」
 いや、間違いなく焦らしてきてるんだろうけど、これって今までとは比べ物にならない位に切なくなってきて、地味にキツい攻撃だった。
「んふふふ、美幸ちゃんのピンク色の蕾、可愛いです……」
「あ……やぁ……っ」
 それから、耳元へ荒い息を吐きかけるヘンタイ天使様の呟きを聞いて、いつの間にか鏡越しで胸が丸見えになっていた事に気付くわたし。
 背後からの割に妙に正確な指遣いで焦らしてくるかと思えば……というか、しかもそれをこのタイミングでわざわざ告げてくるのが実に意地悪である。
「ね、ココもさわ……もとい、いじ……もとい、綺麗にしてもいいですか?」
「何度言い直したって、恥ずかしいからダメぇっ!というか、じろじろ見な……」
「あひ……っ?!」
 しかし、拒否の言葉も最後まで言い終える前に夢叶の指先が胸の先端へ触れ、わたしの全身に電流の様な衝撃が走った。
「はぁ、あああ……ああ……っ」
 それはまるで、今まで念入りにくすぐられたり焦らされたりしながら、蓄積されていたものが一気に弾けてしまった様な刺激。
「あは、やっぱりここも凄く敏感……ほら、こうすると……」
「ふあっ?!や、だめっ、だめなの……っ」
 そして更に休む間も与えず、ボディソープにまみれたヌルヌルの指先で掻き回してくるヘンタイ天使様に、わたしは為す術もなく彼女の腕の中で痙攣させられてゆく。
(ちょっ、なんなのよコレぇ……っ)
 頭の中が真っ白になって何も考えられなくなりそうというか、お風呂とかの時に自分で軽く触れた時と比べても、全く違う感覚だった。
「はひ……っ、らめぇ……っ」
「うふふふふ、あっという間にこんなに硬くなっちゃいましたけど、そんなに気持ちいいですか?」
「んあっ!はぁ、ふぁぁぁっ!ぐりぐりしちゃ……ひっ」
 しかも鏡が目の前にある所為で、夢叶の指が乳首を挟んで擦り合わせている様を見せ付けられて余計に恥ずかしさが増幅されている上に、それが更にわたしの身体を敏感にさせているというか……。
「ん〜、返事がありませんねぇ。美幸ちゃんが気持ちよくないのなら止めちゃいますけど?」
「はぁ、はぁっ、あひ……っ、元々やめる気なんてないくせにぃ……っ」
 その証拠に、さっきからずっと弄り回す指が止まらないどころか、逆に執拗さが増してきているのだから。
「だって、身体は正直ですから〜。美幸ちゃんが胸の先をこんな風にしているのって、私の指で気持ちよくなっている証拠なんですよね?」
 しかし、わたしの反論を夢叶はあっさりと却下してしまうと、今度は乳輪の周りに円を描きながら、再び焦らすような愛撫へと切り替えてくる。
「あう〜っ、いじわる……」
「……別に意地悪のつもりなんかじゃないですよ?むしろ、アピールしているつもりですし」
「え……?」
「私を受け入れて下さったあかつきには、こういうご奉仕もたっぷりとしちゃいますよ……って♪」
「…………っ」
 こ、この……っ。
「んふっ、少しは心が動いちゃいました?」
「ち、調子に乗るんじゃないわよっ。自分でやりたいから弄り回してるくせに……っ」
「……むー、会心の一撃のつもりだったのに、まだ仕込みが足りませんでしたか……」
 そこで、一瞬グラついてしまいそうになったのを堪えて、ヘンタイ天使からの誘惑を振り払ってやるわたしに、夢叶は残念そうに呟いた後で焦らすのを止めて再びこねくり回してくる。
「んぁっ?!はぁ、はひぃぃっ、も、もう許してぇ……っ」
 このまま続けられるのも止められるのも怖くなって、おかしくなりそうだから……。
「……でもまぁ、美幸ちゃんの言葉も否定は出来ないんですけどね〜。ほら、弄っているうちに私のもすっかりと硬くなってきちゃったみたいですし……」
 そう言って、夢叶が改めて自分の胸を押し付けてくると、確かに背中へ当たる感触の中で明らかにさっきよりも弾力が強くなってる部分があるのに気付かされるわたし。
「あ……う……っ」
 夢叶も……感じてるんだ……。
「さて、気持ちも昂ぶってきたトコロで、出来ればお互いに直接触れ合わせて一緒に気持ちよくなりたいんですけど……さすがにここではちょっと不自然ですよねぇ?」
「はぁ、はぁっ、もう、ホントにヘンタイなんだからぁ……っ」
 一体何の羞恥プレイよ、この痴女天使っ。
「ヘンタイさんですかぁ。……んふっ♪なんだか美幸ちゃんにそう言われると、逆にゾクゾクしてきたりするんですけど」
 しかし、夢叶の方は逆に楽しそうというか、ヘンタイ上等とばかりに囁いてくると、居直った指遣いでわたしの突起した先端部をぐいぐいと押し込んできた。
「ひあっ?!……うう〜っ、もしかして夢叶って……んっ、真性さん……?」
「さぁ?自覚は無いですけど、でもこれは美幸ちゃん相手の時だけだと思いますよ?」
「ば……ばかぁ……ああんっ」
 人のお乳を好き勝手に弄びながら口説いてんじゃないわよ。
 ……余計にくすぐったくなるじゃないの。
「…………」
「……えっと、それでですね、美幸ちゃん。ヘンタイさんついでに、もう一回だけゴメンなさいを言わせてもらってもいいですか?」
 そして、それから僅かの間を置いた後で、再び遠慮がちに思わせぶりな台詞を切り出してくる夢叶。
「はぁ、はぁっ、え?謝るってコトは……?」
「お近づきの印に……ここも……洗わせて下さいね」
 言うが早いか、胸から離れた夢叶の右手がお腹を通過して、下腹部へと下がってゆく。
「あ……そこ、は……ぁっ?!」
 その夢叶の手が、わたしのどの部分を目指しているのかはすぐに分かった。
「や……っ」
 けど、今まで背中を流す口実で執拗に愛撫を重ねられ、すっかりと腰がくだけてしまった今のわたしは立ち上がって逃げたりする余力は残っていなくて、精々力の入っていない太股や両手で夢叶の腕を押さえるのが精一杯の抵抗だった。
「ゴメンなさい……でも、今は払いのけさせて下さいね?」
 だから、そんなのはこのヘンタイ天使様の障害には全くなっていないワケで……。
「…………っ」
 やがて、やや強引に太股をこじ開けられて下腹部の奥へと潜り込んだ夢叶の指先は、わたしの一番恥ずかしい秘所の入り口へ到達してしまう。
「あっ、ん……っ!」
 それは、胸に触れられた時とはまるで違う感覚だった。
(とうとう夢叶に……こんなトコロまで触れられちゃった……)
 彼女の指先から伝わる直接の感触よりも、その事実を認識すればするほど心臓が高鳴ってきて、何だか再び息苦しくなってしまう。
「んふっ、凄くドキドキしてきました……ここが美幸ちゃんの、美幸ちゃんの……」
 それは夢叶も同じなのか、後ろから「はぁはぁ」と荒い吐息に混じって、興奮しきった呟きが聞こえてくる。
「ああもう……っ、それ以上は言うんじゃない……っ」
「……でも、どうしてなんでしょうね?私にとって、美幸ちゃんの身体は全ての部分が愛おしいはずなのに、ここだけは特別な気がします」
「そりゃ、現に特別な場所なんだから……」
 女同士だからって、気安く見せたり触らせたりできる場所じゃないし。
「では、後で美幸ちゃんにも私のを触ってもらうとして、そろそろ指……動かしますね?」
 すると、夢叶は悪戯っぽくそう告げたかと思うと、指先をもぞもぞと曲げたり伸ばしたりしながら、入り口の辺りをなぞり始めてゆく。
「ん……っ!ゆ、夢叶ぁ……っ」
「あはっ、つるつるでぷにぷにしていて……あと、何だか既にぬめってますねぇ?」
「ば、ばかぁ……っ、なんでそういうコトを言うのよぉ……っ」
「確かこれも、気持ち良くなった時に分泌されるもの……ですよね?」
「し、知らないわよ……っ」
 羞恥プレイのつもりなのか、それとも本気で聞いているのか。
 いずれにしても、わたしの顔は沸騰しっぱなしだった。
「嬉しいです、美幸ちゃん……ならば、もっと気持ちよくしてあげますね?」
 一方で、夢叶の方はやっぱり恥ずかしがるわたしを見て幸せそうに囁いてくると、秘所の上にある部分へ向けて、探る様に指先を這わせてきた。
「……えっと、確かここが一番敏感な場所なんでしたっけ?」
「あっ、だ、ダメ……ひぅっ?!」
 そして、夢叶の指先がクレパスを掻き分けて肉芽に触れた瞬間、再びわたしの身体に仰け反る位の強い刺激が走ってしまう。
「んふっ♪ここみたいですね〜。気持ちいいですか?」
「ふぁぁ、ああ……っ!ち、ちょっと待ってっ、気持ちいいっていうより、強すぎて苦しいから……っ」
 ただでさえ誰かに触れられた経験なんてないのに、痛いくらいの刺激で心臓に悪すぎる。
 ついでに、もう片方の手は相変わらず胸をこねくり回してきてるんだし。
「おろろ、すみません……ちょっと強引過ぎましたか?」
「ちょっとドコロじゃないけどね……あと、ソープにまみれた指で好き勝手に弄られたら、結構しみるんだけど……」
「あはは、そう言えばそうですよね……。失礼しましたです」
 ともあれ、さすがに泣きが入ったこちらの主張に一旦手を止めてくれたので、ついでにもう一つの苦言も付け加えると、夢叶はシャワーの蛇口を捻って右手を軽く洗い流し始めた。
「……あの、夢叶さん?」
「何ですか?」
「しみるからって指を洗い流したのはいいけど、それって本末転倒じゃない……?」
 それはそれで、何やら既に目的が失われているような……。
「いえいえ、それでもちゃんと洗ってはおかないと。……まぁ、何でしたら指以外で綺麗にして差し上げてもいいんですけど」
「ばか……ヘンタイ……っ」
「んふふ〜っ♪それはいつかのお楽しみにしておきますね?」
 そしてヘンタイ天使様は楽しそうにそう続けた後で、今まで入り口をなぞっていた指先を僅かに埋め込ませてきた。
「ち、ちょっ、ダメっ!わたしまだ……っ」
「大丈夫です。無理をして傷つけたりはしませんから」
 そこで思わず芽生えた怖さと供に、両手でさっきよりも強く腕を押さえて抵抗するわたしの耳元で夢叶は優しく囁きかけると、膣の中深くまでは指を挿入しないまま、ゆっくりと内部を掻き回してゆく。
「ん……はぁっ、はぁぁ……っ」
「ね、こんな感じでどうですか?」
「……う、うん……」
 まぁ、多少は強引でも、一応はちゃんと気遣ってくれてるみたいだから、そこまで嫌ってワケじゃない、かもだけど。
「あはっ、奥の方からじわじわと溢れてきてますね〜。もっともっと気持ちよくしてあげますから♪」
「ふぁぁっ、ん……くぅっ……っ」
 ただ、それでも気持ちいいというより不安と怖さでそれぞれ三分の一って感じではあるんだけど、実はもう一つ問題が……。
「はぁ、はぁ……っ、夢叶……そこ……あまり弄られ続けたら……」
 やがて、その問題が無視出来なくなった辺りで、遠回しかつ遠慮がちに切り出すわたし。
「ふぇ?我慢できなくなっちゃいます?」
「ばかっ、そうじゃなくて……いや、別の意味で違わないんだけど、その……」
 しかし、そこまで言いかけたところで、やっぱり口ごもってしまう。
 イザとなると、あまりにも言い出しにくい事情といいますか……。
「なんですか?」
「……えっと、悪いけどちょっと席を外させてくれないかな?」
「え〜〜?今更なんでそんなコト……」
「ち、違うのっ、その……おしっこ……出そうだから……」
 ともあれ、遠回しに伝えるのが難しいと判断したわたしは、小声でぼそぼそと理由を話す。
「おや、それはそれは……」
「……だから、その手を離してって言ってるのに……っ」
 しかし、恥を忍んで正直に打ち明けたというのに、夢叶の奴は入り口付近にめり込ませた指を離そうとはしなかった。
「えっと、誰も見ていないみたいですし、ここで済ませちゃうってのはどうですか?」
「ちょっ……ナニ言い出すのよ……っ?!」
 その上、言うにコト欠いてなんて提案してきやがりますか、このど変態天使様は。
「正直、私にも良く分かりません。でも何だかドキドキして、もう止まらない衝動が自分を支配してきているって感じで……ゴメンなさい」
 そして、夢叶は一方的に三度目のゴメンなさいを告げたかと思うと、一旦止めていた指を再び上下に動かして、促す様に弄り回してきた。
「ひっ?!こ、こら、ばかぁ……っ」
「うふふふ、ほら、我慢は身体によくないですよ〜?」
「分かってるなら、お願い……トイレに行かせて……」
 もう、本当に限界だから……っ。
「私が手を離しても、今から駆け込む猶予はもう無いんじゃないですか?ココも、こんなに震わせてますし」
 それでも、懇願するわたしに夢叶は手を離さないまま囁くと、今度は指先で尿道の入り口を軽くノックし始めてくる。
「やぁっ、トントンしちゃだめ、なの……っ」
 下腹部に力を込めて締めてるってのに、刺激されたら……。
「お嫌いですか〜?なら、こういうのは……」
 だけど、夢叶の方は全く構わず、今度は指先でほぐす様にマッサージし始めてきた。
 それはまるで、優しくこじ開けられている感じでもあって……。
「あひ……っ、だ、だめ……っ、でる……でちゃう……っ」
「我慢しなくでいいんですよ〜?ここなら誰も見てませんから……さぁ……」
「…………っ」
 もう……ダメ……。
「……は、はぁぁぁぁぁ……あ……っ」
 やがて、諦めがわたしの心を支配した途端、執拗に弄り続けられた尿道口から、今まで溜め込んでいたモノが決壊してしまった。
「あ……美幸ちゃんのがいっぱい……」
(う〜〜〜〜っ)
 そして、一度噴出してしまったモノは途中で止められるハズも無く、ただ他の人に見られないのを祈りながら、一秒でも早く出し切ってしまうのを待つだけだった。
「あは、美幸ちゃんのあったかい、です……」
「もう、手で受け止めたりしないでよ……手が汚れちゃうでしょ?」
「とんでもない。これも美幸ちゃんの一部みたいなものですから♪……私は、少しでもそれを感じ取りたいだけです」
「……やっぱり超が付くヘンタイ天使様だ、夢叶は……」
 しかも、一途さと紙一重ってのが余計にタチが悪いというか。
「でも、実は美幸ちゃんの方も結構気持ちよかったりしません?」
「……そりゃまぁ、今まで随分と溜めてたから、ね……」
 だからって、癖になっても困るんですけど。

                    *

「…………」
「…………」
「……えっと、大丈夫ですか……美幸ちゃん?」
 それから、背中を流すと称した長い長いお触り放題タイムが終わり、ようやく自慢の温泉に移動した後でしばらく呆けたまま座り込んでいたわたしに、肩を並べて浸かる夢叶が遠慮がちに声をかけてくる。
「大丈夫、なんかじゃねーわよ……。夢叶のせいで湯船に浸かる前にのぼせちゃったじゃない」
 というか随分と長い間、湯にも浸からずに裸でいたというのに、わたしの身体は冷え込むどころか、すっかりと火照ったままだった。
「あはは、すみません……。ホントは初めてのデートなのに飛ばしすぎだと自覚はしてたんですけど……」
「でも、止まらなかったって?」
「正直に言えば、手が滑ったフリでもして胸をちょっと触らせてもらおうかなって位のコトは企んでましたが、美幸ちゃんが思ったより敏感な反応を見せてくれたので、何だか私の方もムラムラと……」
「……もう、言い分が変質者のそれになってるじゃないのよ」
 おそらく、もしわたしに訴えられたら勝ち目なんて万が一にもなさげというか。
「あはは、でもお陰様で実に濃密な時間でしたよ〜。まぁ敢えて言えば、美幸ちゃんに私の背中を流してもらえなかったのが残念ではありますけど」
「悪かったわね〜ぇ。あっさりとへばってしまって」
 そう言って、悪びれもせずに苦笑いを浮かべる夢叶に、トゲと皮肉をたっぷり込めた自虐を返してやるわたし。
「…………」
 夢叶自身が気付いているのかどうかは知らないし、確認したりもしないけど、実はお小水を出してしまったのと同時にノボりつめちゃったのよね……恥ずかしながら。
(何だかんだで、わたしもヘンタイさんの因子があったのかなぁ……)
「…………」
 初めて女の子相手にイタズラされて、ここまでなっちゃうなんて……。
 心より先にカラダの相性を確認されられてしまった心地だけど、それを認めるにはあまりにも癪に障る話だった。
「…………」
「……あの……やっぱり、怒ってます?」
「さぁ、どーかしら。……んで、ホントに誰にも見られてないでしょーね?」
 ともあれ、そんなこんなでそっぽを向いたまま黙り込んでしまった後で、夢叶が今度は不安げに覗き込んできたのを受けて、素っ気無く返事してやるわたし。
 最初に入った時は殆ど貸し切り状態だったものの、湯船に浸かろうとした頃にはいつの間にか客足も増えて賑やかになってきてただけに、目撃者がいないかちょっと気まずさも感じていたりして。
「一応、私も気をつけてはいましたけど、”最中”に周囲からの視線は感じませんでしたから、おそらく大丈夫じゃないかと」
「頼むわよ、ホントにぃ……」
 せっかく綺麗なお風呂なのに、下手したらここへ来られるのが最初で最後になってしまう。
「…………」
 というか、一応はわたしの方も一緒にお風呂ってコトで、多少のセクハラは覚悟していたけど、まさかここまでのコトになるなんて。
 普段は人畜無害な人懐っこい笑みを常に浮かべている癖に、イザとなると油断大敵というか、やっぱり危険なコだわと言うか……。
(でも……)
 ……一番ヤバいのは、いきなりあんなコトまでされたのに、わたし自身が意外と嫌悪感を感じていないってトコロだった。
 普通なら、残った力を振り絞って平手打ちでもかまして、「もう二度と顔も見たくない」って位は吐き捨ててもおかしくないだろうけど、何故かこうして寄り添ってくる夢叶を何も言わずに受け入れてるし。
「……ん〜っ……」
(なんなんだろうね、この気持ち……)
 一緒に鍋を突付いていた時から感じていたけど、今日の今日からお付き合いが始まったばかりだというのに、夢叶が隣にいるのが既に当たり前になりかけている自分がいたりして。
 夢叶はわたしを運命に導かれた相手と主張していたけれど、やっぱりそういうのも否定出来ない要素なんだろうか?
「ふぇ、どうしました?じっと私の方を見て」
「…………」
 ……まぁ、いいか。
 これからどうせ、わたしの意思はあまり関係なく付きまとわれるんだろうから、その位でなきゃ長続きなんてしないわよね?
「ううん。ちょっと天使様の綺麗なお顔に見惚れていただけよ」
「……もう、そんなコト言われると恥ずかしいじゃないですかぁ」
「ほほう、ケダモノの本性を持ったヘンタイ天使様に羞恥心があったのは意外だったわ」
「美幸ちゃん……やっぱり、怒ってません?」
「さぁ、ね」
 その正確な答えは、わたしも知りたいわよ。

                    *

「ん〜、時間が経つのは早いわね……なんかあっという間だった感じ」
 お昼にがっつりと食べ過ぎたのもあって、夕食はファミレスで簡単に済ませて店を出た後、すっかりと夜の色に染まった辺りの風景を見渡しながら、誰にともなく白い息を吐いて呟くわたし。
 ポケットから携帯を取り出して確認した時刻は午後七時半を回った辺りで、既に頭上ではお月様と一緒に星空が宝石の粒の様に輝いていて、体感する寒さも昼間より一段と増していた。
「真冬は日の暮れるのも早いですからね……」
「だねぇ……。どっちにしても、そろそろお開きの時間かな?」
「名残惜しいです……でも、またお誘いしてもいいんですよね?」
 そこで、わたしがひと区切りの頃合を告げると、夢叶は胸元でぎゅっと手を握り締めながら、不安そうに上目遣いを見せてくる。
「友達なんだから、いちいち改まらなくても気軽に誘ってくれていいのよ?……ただし、銭湯での行為は自重してもらうけど」
 間違いなく、あれは「友達同士のスキンシップ」なんて範疇を遥かに超えていたワケで。
「えええ、あの時が一番楽しかったですのに……」
「こらこらこらっ。大体、銭湯は公共の場でしょ?人が少ないからって調子に乗ってたけど、あれは本当は迷惑行為なんだからね?」
 あまつさえあんなコトまでさせられたし、もし店員さんにバレてたら追い出されてたかも。
(…………)
 うわ、思い出したら顔が火照ってきた。
「だったら、二人しかいない場所でならいいんですか?」
「……そーいう問題じゃないってば……もう、えっちなんだから」
 でも、ここではっきりと「二度とするんじゃないわよ」とまでは言い切れないのが、何かちょっとムカつくというか。
「むぅ。やっぱり私って、えっちですか?」
「反論の余地があるとでも?出逢って二日目の相手にあんなマネなんて、訴えられても文句言えないんだからね?」
「あはは……でも、美幸ちゃんに言われれば言われるほど、もっとえっちなコトがしたくなる私は、確かにそうなのかもしれないですねぇ」
 そしてその後で、「でも、あくまで美幸ちゃん限定の話ですよ?」と補足してくる夢叶。
「……ばか」
 フォローになってないというか、アピールのつもりなのかもしれないけど、こちらとしては居直られても困るんですがね、天使様。
「もちろん、美幸ちゃんに嫌われてしまう行為をするのは本意じゃないですけど、でも一緒にお風呂ってのは、私にとっては大変重要で嬉しいオリエンテーリングなので、良ければたまにでも機会を与えてくれたら嬉しいかな〜って思ったりもするんですけど……」
「はいはい、その辺りで手を打ってあげるわよ……もう」
 とりあえず、「うん」とも「お断り」とも断言できないので、ぷいっと顔をそむけながら曖昧な返事を素っ気無く返すわたし。
(ああもう、何やってるのよ、わたしは……)
 これじゃまるで、本当は好きなのに素直になれないコの反応である。
「んふっ♪さて、名残も尽きない親睦デートの締めくくりなんですが……美幸ちゃん、今日はまだお時間ありますか?」
 ともあれ、そんなわたしの反応に夢叶の奴は満足そうに笑みを浮かべると、今度は後ろ手に思わせぶりな視線をこちらへ向けながら、何やら新しい話を切り出してくる。
「あによ?まさか早速二人きりになる為にホテルに行こうとか、うちに来ませんか?とか言い出す気じゃないでしょうね?」
「それも近いうちに実現したいとは思いますけど、まずは嬉し恥ずかし初デート記念に、今夜限定のプレゼントを美幸ちゃんに差し上げたいと思いまして♪」
「今夜限定?……えっと、つまりクリスマス・プレゼントってこと?」
 生憎というか、言われて今思い出したので、わたしの方は何も用意していないのが心苦しいんだけど。
「ああ、そういえばそうなりますねぇ。ただ、どちらにしてもまだちょっと時間が早いので、後ほど迎えに行かせてもらっていいですか?」
「後ほどって、一旦帰ってろって?」
 まぁ、ヘンなコトする為じゃないなら付き合いますが。
「ええ。なんでしたら、ひと眠りでもしておいて下さいな♪」
「????」
 でも一体、この天使様は何を企んでいるんだろう……?

                    *

 こんこん
 こんこん

「…………」

 こんこん
 こんこん

「……美幸ちゃ〜ん……」
「んあ……?」
 やがて、誰かに呼びかけられた声が微かに聞こえた気がして、わたしはむっくりと上半身を起こしていった。
「……う〜っ……?」
 不意に意識が引き戻され、どうにも形容し難い気だるさと共に辺りを見回すと、未だ片付けが終わっていないダンボール箱の山々がわたしの視界に映る。
 ついでに、左手にはメール作成画面が起動したままの携帯電話が握られていた。
(そっか、いつの間にか寝てたんだ……)
 あれから夢叶の言われるがままに一旦帰宅した後で、ベッドの上に身を投げ出して携帯を弄ってたまではよかったものの、どうやらそのまま眠り込んでいたらしい。
 本当は届いたメールに返信した後で、ちょっと休憩したら荷物の整理でもやろうと思っていたのに、やっぱり遊び歩いているだけでも、しっかりと体力は消耗してしまうものらしい。

 こんこん
 こんこん

「ああ、はいはい……っ」
 ……と、ぼんやりしてる場合じゃなかった。
 カーテンの閉められたベランダへ続くガラス戸の方からは、先ほどからずっとノックをする音が鳴り続けているんだから。
(……ん、ベランダ?)
 しかも……。
「美幸ちゃ〜〜ん……」
 わたしを起こしたきっかけでもある、ノックの合間に聞こえてくる甘ったるい声の主は、まさしく待ち人のものだった。
「……夢叶か。もう、迎えに来るなら玄関からインターホンを押しなさいよね?」
 ともあれ、悪態をつきながらも急いでベッドから降りて壁掛け時計を見ると、時刻は午後十時半を回った辺り。
 あれから駅で別れて三時間近くになるけど、ようやくお出迎えらしい。

 どんどん
 どんどん

「みゆ……」
「あーもう、ちゃんと気付いてるからいつまでも叩くんじゃないっ!……って……」
 そして、急かされる様に引き戸の前まで向かい、カーテンを勢いよく開いてノックを止めようとしたものの、その向こうに見えた待ち人の姿に、わたしの方が一瞬フリーズしてしまう。
「やっと気付いてくれて良かったです〜。美幸ちゃん♪」
「……夢叶……。あんた、なにその格好?」
 ガラス越しの向こうに続くベランダに立っていた夢叶の出で立ちは昼間と全く違っていて、真っ赤なとんがり帽子に、同じく赤と白で統一されたボア入りのコートを羽織り、更にコートとデザインが統一された短いスカートの下には真っ白のタイツと、珍妙ながらも比較的馴染み深い衣装に身を包んでいた。
 ……つまり早い話が、戻って来た天使様はサンタクロースの格好をしていたワケで。
「改めてこんばんは、美幸ちゃん。そして、メリークリスマスです♪」
 ともあれ、待ち人には違いないので錠を解除して中へ入れてやると、夢叶は自分の格好を見せつける様にくるりと一回転した後で、満面の笑みを向けてくる。
「もしかして、一旦帰ってろって言ったのは、こんなサプライズの為なの?」
 どうやら、肝心のプレゼント袋の方は持っていないみたいだけど、まさか「プレゼントは私」とか言い出す気じゃないでしょうね?
 ……もっとも、プレゼント袋を持っていたらいたで、逆にわたしの方がお持ち帰りされそうな気もするけど。
「あはは、別にそういうつもりもなかったんですが、言われてみたらクリスマス・プレゼントになるってコトで、急遽帰りに衣装を用意するコトにしました♪」
 そう言われてよく見ると、夢叶が着ているのは雑貨屋で投売りされている様な、パーティー向けの割と安っぽいコスプレ衣装みたいだった。
「そりゃ手間かけたわねぇ。……でも、悪目立ちしてたんじゃないの?」
 わたしが着たら、ただの浮かれた子で終わりだろうけど、ブロンドに蒼い目を持つ夢叶では安っぽい衣装でも何だか全然違って見えるというか。
 やっぱ、西洋発祥の文化だけに、外人さん(風)の人が着ると妙にそれっぽくなってる感じで。
「そんなことありませんでしたよ?もう夜も遅いですし」
「……んで、ベランダからそんな格好で夜遅くにやって来て、結局何を始めようってのよ?」
「あはは、不躾かなーとは思ったんですが、でもご両親がお休みでしたら申し訳ないと思いまして」
「心配しなくても、今は誰もいないわよ?今は引継ぎやら何やらで忙しくて、往復するのが面倒だからしばらく泊まりがけるってさ」
 まぁ、明日か明後日には帰ると言ってた気もするけどアテにはしてないし、最早「だからどうした」って話でもあるんだよね。
「……そうですか。それは……」
「別に気遣ってくれなくてもいいわよ。もう慣れっこだし」
 すると、可哀相にでも思ってくれているのか、うかない顔を見せて俯いた夢叶に、肩を竦めながらフォローを入れるわたし。
 もう自分のコトは一人で大概出来るし、そもそも居たらいたで「さっさと部屋の片付けを済ませなさい」とお小言を受けそうだから、むしろまだしばらくは帰ってこない方がいいくらいである。
「いえ、それもあるんですが……それだったら、美幸ちゃんを連れ出すんじゃなくて『今晩泊めて下さい』って流れの方に持っていけば良かったかなぁって」
「あほう……っ」
 後で迎えに行くからってうちの住所を教えてしまったけれど、もしかして早まったかしら?

                    *

「……で、これからどうするの?」
「言葉で説明するよりは、実際に見てもらった方が早いですけど……」
 やがて、言われた通りにコートを羽織って玄関から表へ出た後で改めて尋ねるわたしに、夢叶は何やら辺りを見回しながら曖昧な返答を呟いてくる。
「ん?なにきょろきょろしてんのよ?」
「……いえ。どうやら大丈夫みたいなので、ちょっと失礼しますね♪」
「わ……?!」
 そこでツッコミを入れるわたしに夢叶はそう告げてくるや、今度はいきなり両手をそれぞれ背中と膝の後ろへ同時に回してきたかと思うと、あっという間に視界がぐるりと回転していった。
「ちょっ、何なの……っ?!」
「あはは、心配いりませんよ〜。こう見えても私は美幸ちゃんの一万人分程度は楽に支える力がありますから……ってのは、昨晩に言いましたよね?」
 そして、予測不可だったお姫様だっこの不意打ちを受けて目を丸くするわたしに、見上げる形となった視界のすぐ先に映る夢叶の顔が、にっこりと優しい笑みを浮かべてくる。
「そーいうモンダイじゃなくて、聞きたいのはどーいうつもり……」
 当然、そこで手足をバタつかせながら文句を言うわたしなものの、夢叶は言葉で返答する代わりに、背中から幾重にも重なる眩い翼を具現化させてきた。
「……って、もしかしてこれから飛ぶの?」
「ええ。空中散歩に御招待です♪」
 それから、一日ぶりの”それ”を見てわたしがぼそりと呟くと、夢叶は笑みを浮かべたまま頷き、背中の翼をゆっくりと翻し始めてゆく。
「お、おおお……っ?!」
 程なくして、すぐに背中から押し上げる強烈な浮遊感がはたらき、わたしの身体は一気にうちの屋根を越えて舞い上がっていった。
「ち、ちょっ……これ、こわ……っ」
「んふふ〜。落ちる心配はありませんけど、せっかくですから私にしっかりと抱きついていて下さいね♪」
 その、あっという間に地面が遠くなってゆく光景に恐怖を覚えて無意識に強くしがみついてしまうわたしに対して、心配ないと言いながらも、自ら支える腕を絡ませつつ限界まで密着させようとしてくる夢叶。
「ああもう、人の弱みにつけこんでんじゃないわよっ!」
 というか、ほっぺたが天使様のふくよかな胸に当たって苦しいんですけど。
「まぁまぁ、最初は戸惑うでしょうけど、美幸ちゃんの身体にかかる負荷は最小限で済む程度に抑えて飛んでいますし、すぐに慣れて気持ちよくなってきますから♪」
「んな、簡単に言われても……」
 確かに心臓を掴まれる様な圧迫感は段々と慣れてはきてるけど、やっぱりエレベーターとかとは比較にならない急上昇のスピード感だし、心配はいらないと言われたってやっぱり不安感は拭いきれないしで、別に高所恐怖症じゃなくてもリラックスしろという方が無理である。
「……というか、本音を言えばこうやって美幸ちゃんと密着した状態の方が私的には幸せなんですけど、でもこのままではプレゼントが渡せそうにないんですよね〜」
 しかし、必死でしがみ付いたままわたしが呟いたすぐ後で、夢叶は名残惜しそうに言葉を続けると、次第に上昇を続ける流れが緩やかになってゆく。
「え?」
「お待たせしました〜♪それでは丁度いい場所へ着いたので下ろしますね?」
 やがて、その緩やかな流れがとうとう止まったかと思うと、再び満面の笑みを浮かべながら、到着宣言と共にとんでもないセリフを告げてくる夢叶。
「お、下ろすって……ちょっ、嘘でしょ?!」
「大丈夫です。どうか私を信用して、じっとしていて下さい」
「う〜、分かったわよ……」
 そう言われたら黙って従うしかないというか、こんなトコロまで連れ出された時点で、わたしはまな板の上の鯉も同然だしね。
「ありがとうございます♪では……」
 ともあれ、わたしが諦めて頷いた後で、夢叶は支えていた腕をゆっくりと反時計回りに回転させて、空中へ立たせようとしてくる。
「…………っ」
「大丈夫……私の手が美幸ちゃんと繋がっている限り、絶対に落ちる事はありませんから」
 そして、自分の足が何も無い場所を踏んだ違和感で、思わず目を瞑りながら身体を強張らせてしまうわたしに、言い聞かせる様な口調で、もう一度「大丈夫」を繰り返してくる夢叶。
「…………」
「……あ、ホントだ……?」
 そう。
 言われて恐る恐る目を開けてみると、本当に夢叶のいう通り、わたしはその場に“浮いて”いた。
 上昇中はしがみついて密着してた自分と夢叶を繋いでいるのは、今やそれぞれの片手だけだというのに。
「す、すごいわね?本当に落ちないで空中に立っていられるなんて……」
 その、あまりにもファンタジックな現実に頭の理解が追いつかないまま、足元の辺りをまじまじと確認しつつ他人事みたく呟くわたし。
 まるで、マジックショーで自分を使った空中浮遊の実演を見せられているみたいだった。
「ええ、落ちませんよ〜。私がしっかりと支えていますから」
「支えてるって……やっぱり、これで?」
 それから、今度はがっちりと繋がったわたしの左手と夢叶の右手へ視線を移してゆく。
「ええ。天使の翼は鳥類のモノとは全く異なるものですから。今は私の手を介して、飛行能力を美幸ちゃんにも分け与えているんですよ」
「まるで魔法みたいね……。んで、わたしに分け与えて夢叶の能力は弱まったりしないの?」
「ご心配なく。これでも私は大天使の一角ですから♪その気になれば、この街に住む人達で輪を作って飛んだりも出来ますし」
「大天使……ね」
 “大”って付いている位だから、やっぱり普通の天使とはワケが違うんだろうか?
 ……もっとも、その普通の天使自体も見たこと無いんだけど。
「それよりほら、これで視界が自由になったんですから、辺りを見回してみませんか?」
「あ、うん……って、うわぁ……!」
 そして、促されるがまま改めて視線を巡らせたところで、ようやくわたしは夢叶からのプレゼントの中身を理解した。
「はぁ〜〜っ、きれい……」
 眼下には無数の明かりやクリスマスのイルミネーションで飾られた眩い夜景が煌びやかに敷き詰められ、見上げた先では雲が殆ど見えない澄みきった夜空のキャンパスに、真ん丸い金色のお月様と、無数の銀色の星々が負けじと輝きを放っている。
 その圧倒的な光景は、空中に立っている不安や恐怖を一気に吹き飛ばしてしまう程に、わたしの心を一瞬で塗り替えてしまった。
「この特別に彩られた夜景も、じきに終わりですからねー。次に見られるのは一年後です」
「……今夜限定ってのは、そういうコトだったのね。でも今更だけど、こうしているのを誰かに見られても大丈夫なの?」
 まぁ、さすがに真下の地面から見上げても、スカートの中は覗かれないだろうけど。
「もう夜も遅いですし、目撃者がいたところで天使と人間が夜空のデート中なんて思わないでしょうから」
「あはは、確かに今の夢叶の格好なら、サンタさんが飛んでいるとでも勘違いされるかな?」
「……まぁ仮にそうだとしても、私が今宵にプレゼントを渡す相手はただ一人だけですけど」
 そして夢叶はそう告げた後で、不意に繋いだ手を引いてわたしを再び抱き寄せてくる。
「わ……?」
「シャルウィダンスです♪ここなら、誰かとぶつかる心配も、ひと目を気にする必要もありませんよ?」
「お、踊るの?でも……」
 いきなり舞踏会のお誘いを受けても、どうリアクションしたらいいか困るんですけど。
「大丈夫ですよ〜。ワルツの踊り方なら、私も少々勉強してきましたので♪」
 しかし、戸惑うわたしに夢叶は一方的に言葉を続けると、今度は繋いだ手を支点にして自らくるくると回ってゆく。
「……もう、強引なんだから」
「どのみち、ここでじっと立ったままというのも、何だか勿体無いですから」
「まぁ、それもそうね……」
 仕方がない、ここまで来たんだから付き合いますか。
 誰かと踊る経験なんてなかったけど、確かに夢叶の言う通り、ここなら他人の目を気にしなくてもいいし。
「では手取り足とりで、優しく丁寧に手ほどきしちゃいますね♪」
「へいへい、どーぞお手柔らかに……」
 それから天使様に導かれるがまま、わたし達は繋いだ手だけは決して離さずに、お月様がスポットライトを照らす星空の下で心の赴くままに踊り明かしていった。

                    *

「う〜〜っ、じっと座ってたら、また冷えてきた……」
 やがて、御影神社の屋根へ二人並んで腰掛けてぼんやりしていた中で、合わせた手に白い息を吹きかけながら誰にともなく呟くわたし。
 踊り疲れた後に休憩場所を求め、夢叶の提案でここへ降りてきた直後は身体が火照っていたものの、もう日付が変わる間際の時間帯だけに、再びクールダウンするまで時間はかからなかった。
「確か近くに自動販売機があったと思いますけど、何か暖かいものでも買ってきましょうか?」
「いーわよ、別に。この場で一人にされる方が怖いし、一緒に降りて行ったとしても誰かに見られたら困るでしょ?」
「私の方は別に構いませんよ?どうせ、サンタさんと間違えられるんでしょうし」
「……そーいう問題じゃなくて、わたしがあんたに抱っこされてる姿を見られたくないって言ってんの」
 わざわざ抱きかかえずとも手さえ繋いでおけばOKと自分からバラした癖に、ここまで降りて来た時にも夢叶の奴はちゃっかりとお姫様だっこをしてきたワケで。
 ……まったく、今時、バカップルでもやらないってのに。
「むぅ、そう言われると、敢えて見せびらかしたくなるんですけど」
「……とにかく、せっかくのんびりしてるんだから、バタバタしたくないの」
 さっきの空中散歩の時みたいな、全方位のパノラマで広がる感動とまではいかないけど、ここから見える夜景も充分すぎるほどの絶景だった。
 一応、本殿の屋根の上へ勝手にお邪魔して不敬を働いている後ろめたさはあるものの、そもそもここで祭られている神様の正体が隣にいる天使サマらしいから、宮司の御影さんも許してくれるかなと。
「そうですねぇ。確かに、この寒い中であまり水分を取っていると、また途中で……」

 ごいんっ

「……殴るわよ?」
 そこで最後まで言わせる前に、たんこぶが出来る位の強さで鉄拳制裁を入れるわたし。
「殴ってから言わないで下さいよぉ〜っ」
「自業自得よ、ったく……」
 でも、思い出したらまた勝手に顔が火照ってきてしまったけど。
「あはは、ではお詫びに別の方法で暖かくしてあげますね♪」
 それから、夢叶はげんこつを受けた場所を擦りながら苦笑いを浮かべると、もう片方の手でわたしの右手を取ってくる。
「な、なによ?」
「ほら、私の手は暖かいですよ?」
 すると、手袋越しに絡ませてきた夢叶の手の平を介して体温よりも高い熱が伝わってきたかと思うと、そこからわたしの全身へ瞬く間に温もりが広がっていった。
「あ、本当だ……これも天使の力なの?」
「美幸ちゃんへの想いの強さですよ〜♪と言ったら、信じます?」
「正直、どこまで本気で言ってるのか分からないセリフは返答に困るんだけど……まぁいいわよそれで」
 逆に、真面目に種明かしをされたところで、わたしには理解不能だろうし。
 ……というか、飛行能力についてもだけど、彼女の手がちょっとした暖房器具代わりになって身体を温めてくれている現実だけを受け止めておくのが、夢叶との正しい付き合い方だと個人的には思うわけで。
「…………」
 とまぁ、それはそれで自己完結として……。
「……でも、ありがとね夢叶。素敵なプレゼントだったわ」
 それから、会話の流れも一度途切れた後で、言うタイミングをずっと窺っていたお礼の言葉を照れくささ半分に告げるわたし。
 煌びやかで何処までも続く夜景をステージに踊り明かすなんて、少なくとも夢叶と出逢えなければ絶対に味わえなかった体験だろうし、おそらく今夜見た光景や受けた感動は決して忘れることなんてないと思う。
「喜んでもらえたなら何よりです♪……まぁお礼でしたら、ちゅーとかさせて頂けると嬉しいんですけど……」
「おだまり。すぐ調子に乗るんだから……」
「むぅ、こういうロマンチックな雰囲気に飲まれてしまえば、美幸ちゃんの唇も頂けそうかなと思ったんですけど、そんな簡単にはいかなかったみたいですねぇ」
「あんたね……」
 油断も隙もないというか、それが本音だったのかというか、本当に呆れる位にヘンタイな天使様なんだから。
 ……ただ、それも“ひと目惚れ”という好意の上に存在しているのだから、わたしもやぶさかでもない部分は芽生えてきてるんだけど。
「まぁいいです。今宵は先行投資と思えば……」
「ふふん、お生憎様。実はわたしのクリスマス・プレゼントもちゃんと用意してるんだから」
 ともあれ、残念そうながらも好き勝手なコト言ってくれるヘンタイ天使へわたしは得意げにそう告げると、繋いだ手を一旦離して、コートのポケットから包装された小箱を取り出した。
 ……実は、サプライズを用意していたのは君だけではないのだよ、夢叶君。
「え……?」
「さっき、別れた後でその衣装を買いに行ったと言ってたけど、私も帰りに寄り道してたのよ」
 そういう意味では、ワンクッション置いて一人で買い物に行くタイミングが得られたのはわたしにとっても好都合だった。
「わ、私にプレゼント、ですか?」
 すると完全に予想外だったのか、驚いた顔を浮かべて尋ね返してくる夢叶。
「だって、せっかく夢叶がクリスマス・プレゼントをくれようとしたんだから、わたしも何か用意しないと不公平でしょ?」
「……そういうもの、なんですか?」
「そういうものよ。友達同士のクリスマス会ではプレゼント交換をするのが、こっちの世界での慣わしなんだから」
 まぁちょっと大げさではあるけど、少なくともわたしはそうだってコトで。
「えっと、開けてみていいですか?」
「もちろん」
 そしてわたしが頷いたのを見て、夢叶は慎重に包装を解いていく。
「…………」
(ああ、そういえば結局間に合ったんだ……)
 相手が中身を空けてどんな反応を見せるか、期待と不安が入り混じるこの感覚。
 プレゼント交換といえば去年のクリスマス会以来で、越して来たばかりの今年は諦めていただけに、何だか余計に感慨深かったりして。
「わっ、ネックレスですね!」
「しかも、わたしとお揃いのよ。指輪とかは学校に着けて行けないけど、これだったらOKでしょ?」
 それから、夢叶が小箱に収められていた小さなハートのネックレスを掲げたところで、自分が今着けている物をコートの下から取り出して見せながら補足するわたし。 
 こういうのが、新しく通う学校の校則で認められているのかどうかは分からないけど、指輪とかと違って目立たない様にもできるしね。
「……もしかして、わざわざ同じものを探してくれたんですか?」
「別に、最初はそこまで考えてなかっんだけどね。とりあえず何かアクセサリをあげようと思ってお店に行ったら、偶然見つけたというか」
 まぁ、そういうのも含めての縁なのかもしれないと思って、選んだ次第ではあるんだけど。
「ありがとうございます!美幸ちゃんからのプレゼント、とっても嬉しいです♪」
「んじゃ、そのままじっとしていて。わたしが着けてあげるから」
 そして、サプライズの仕上げにわたしはそう告げるや、夢叶から一旦受け取った後で彼女の後ろ首へ両手を回し、留め金を繋げようとしてやる。
「は、はい……」
「…………」
(でも、こうして間近で見ると、やっぱり綺麗よねぇ……)
 互いの顔が密着しかけて一瞬ドキっと胸が高鳴ってしまったり、薄く桃色がかった柔らかそうな唇がすぐ近くまで来ると、求められなくてもなんだか血迷ってしまいそうというか。
(いやいやいや……)
 落ち着け、わたしは元々そっちの趣味の人じゃなかったはず。
 ……でも、不思議と夢叶ってそういう壁を意識させないというか、上手く表現できないけどいつの間にか引き込まれようとしてしまう“引力”みたいなものを秘めているのも確かなんだと思う。
「……美幸ちゃん……?」
「あ、ううん……もうすぐだから……んっと……」
 それから、いつの間にか手が止まっていたところで夢叶に声をかけられ、慌てて再開するわたし。
「…………」
(……ひょっとして、そういうのが天使の持つカリスマみたいなモノなのかな?)
 あるいは……。
「…………」
「…………」
「……えっと、私にも似合ってますか?」
「そうねぇ……全く似合わないってコトはなくてひと安心だけど、でもやっぱり最初は少しばかりの違和感もあるかな?」
 ともあれ、やがて着けてあげた後で照れくさそうに尋ねてくる夢叶へ、わたしは考える仕草を見せながら、敢えて率直な言葉を向けてやった。
「う〜っ、そうですかぁ……」
「でも、ずっと着けていれば、いずれ身体の一部みたいに馴染んでくるわよ。アクセとか靴とか、服もだけど、元々そういうものじゃないかって思うから。……多分、友情もね」
 そして、それを真に受けて夢叶が複雑そうな顔を見せた後で、すかさずわたしがフォローの言葉を続けるものの……。
「え……?」
「……いやゴメン、実はそういってみたかっただけ」
(むー、我ながらワザとらしかったわね……)
 やっぱり、ガラにも無いことは言うんじゃなかったと、照れ隠しにこめかみの辺りをポリポリと掻きながら視線を逸らせるわたし。
 ただ……。
「美幸ちゃん……」
「……まぁつまりその、無理に焦ったりせずに、もっとのんびりとっていうか、長い目でお付き合いしましょうってコトで……」
 ちょっと自爆しかけたけど、これが夢叶の好意に対する今の自分なりの回答だった。
「ありがとうございます……♪片時も離さず大切にしますね」
「……ああでも、そうは言ってもお風呂とか寝る時は外しておきなさいよ?一応銀製だけど、そんなに純度の高いものじゃないだろうから、お肌が荒れちゃうかもしれないし」
 そこは、貧乏学生のお小遣いで買える範囲でのアイテムなわけで。
「では、少なくともこれからデートする時は必ず着けていますね?」
「デート、ねぇ……」
 それから、夢叶から改めて“デート”って言葉を持ち出されて苦笑いを返してしまうわたし。
「何かヘンなコト言いました?」
「……ううん。まぁいっか……」
 今は違和感を感じるこの言い回しも、これから一緒にいる回数を重ねてゆくうちに、あまり気にならなくなるのかな?
「あと、美幸ちゃんさえ良ければ、いつでも今夜みたいに夜空の散歩へご招待しますからね?」
「そうね……絶対に落ちないって保証があるなら、またお願いしようかしら?」
 最初は怖かったけど、確かに空を飛ぶという行為は、何とも言えない開放感に満ちていたし。
「あは、大丈夫ですよ〜。私の手さえ離さなければ」
 すると、わたしの返事に夢叶はきっぱりとそう告げると、今一度繋いだ手をぎゅっと握ってくる。
「……んで、夢叶からは決して放さないと」
「ええ♪だから、安心していつでも言ってきて下さいね?」
「ありがと。……でも冬場は寒いから、もうちょっと暖かくなってからお願いするかな?」
 それに対して、わたしは言葉では控えめに応えた後で、こちらの方からも繋いだ手に力を込めてやった。
「……はい♪」

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