天使の舞い降りた街 美幸編 その2
第三章 天使と悪魔
「お、来たな姫宮。改めて当学園へようこそ。校長に代わり歓迎するぞ」 やがて迎えた新学期の初日、わたしは約束の時間に合わせて職員室へ出向くと、編入先のクラス担任である爪草(つめくさ)先生が、歓迎の言葉と共に出迎えてくれた。 「あ、はじめまして……。何だか中途半端な時期の転入になりましたけど、これからよろしくお願いします」 「うむ。うちは県内唯一の女子校という事もあって、校則やら風紀面のチェックは厳しめになっているが、あまりいらん仕事を増やしてくれるなよ?……と言っても、お前さんは素行面での心配は無さそうだな」 「まぁ、そんなに背伸びしてみたいってタイプでもないですし」 「優等生風なのはいいが、冷めているのもどうかとは思うがな。無論、私としちゃ手が掛からないに越した事はないが」 ……ただ、言葉とは裏腹に態度の方は足を組んだ姿勢で腰掛けたまま、わたしの資料を読み返す合間にこちらを一瞥するだけという、何とも適当なものだけど。 というか、よれたシャツとタイトスカートの上に白衣をラフに羽織っている服装を見ても、ややキツめの理知的な顔立ちの割に結構大雑把な性格らしい。 「……にしても、これで姫宮は通算四度目の転校か。転勤族の子供ってのも大変だな?」 「一応、今回で終わりにするつもりですけどね。次に転勤の話が出ても、わたしだけは卒業するまでここに居座ろうかなと」 「そうだな。製薬会社で研究職を勤めておられる御両親とは裏腹に、ギリギリで編入試験に合格したお前さんの成績だと、いつでもすぐに受け入れ先が見つかるって保証は無さそうだ」 「いきなり痛烈ですね、先生……」 しかし、やっぱり教師としては厳しい部類らしく、いきなりの先制パンチを貰ってがっくりと項垂れてしまうわたし。 「生憎、私は現実は現実として受け止めろって性分なんでな。……ただ、本来は未熟だから学校へ通うのであって、別に落ち込む必要もない。そんな暇があれば貪欲に学べ」 「はーい……」 学歴や受験とか以前に、未熟だから学校で必要な事を学ぶ、か。 ……考えたら結構、物事の本質って忘れられがちよね? 「さて、とりあえず自己紹介はホームルームの時でいいとして、まずはこれから体育館で始業式が待っているんだが、転校慣れしている姫宮でも一人で行って来いってのはいささか不安だろう?」 「ええ、まぁ」 実際その通りなので、素直に頷くわたし。 きちんと正規の手続きを経て入学したとはいえ、転校初日ってのはやはり疎外感からどうにも居心地が悪いものであって。 「という訳でだ、私が事前にクラスの者から案内役を一人選んでおいた。これからそいつと始業式に出席した後で一緒に教室へ戻っているといい」 「はい。お気遣いありがとうござ……え?」 そう言って、爪草先生が(今まで気付かなかったけど)後ろに控えていた女生徒の方を親指で指し示したので、わたしもお礼を言いながらそちらを向いたものの、言い終える前に口元を引きつらせて言葉を止めてしまった。 「あは、美幸ちゃんごきげんよう、です♪」 ……なにせ、爪草先生が促した先でわたしに向けて人懐っこい笑顔を見せながら手を振っていたのは、ブロンドの美しい髪と蒼い瞳が印象的な女の子であって。 「ゆ、夢叶……?」 既に見間違えようのない、クリスマス・イブの日に声をかけられたのがきっかけで仲良くなった、守護天使の卵だった。 「何だ?お前ら顔見知りだったのか?」 「顔見知りというか、何というか……」 守護天使の契約こそ受け入れてはいないものの、あまり大っぴらにはいえないコトも含めてお近づきの儀式を交わした仲だし、彼女の胸元には確かにわたしがプレゼントしたペンダントのチェーンが見えるしで、もう他人行儀の仲じゃないのは確かである。 だからまぁ、その件に関しては今さら否定する気はないんだけど……。 「ええ。美幸ちゃんは私が心に決めたマイハニーですから♪……あれ、マイダーリンになるのかな?」 「別にどっちでもいいんじゃないか?海外だと特に区別はないぞ?」 「こらこらこら……っっ、わたしの方はあくまでもお友達って言ったでしょ?!……というか、先生も乗らないで下さいっ」 ……だけど、新しい担任を前にした職員室で堂々と恋人宣言をされる仲にまで進展した覚えはないつもりなんですがね、わたしゃ。 「既に知っているかもしれんが、この神月も二学期からの転入生でな。そんな訳で先輩として面倒見てやれと指示したんだが、入学前から学年一とも言われる美少女を口説き落としているとは、お前さんもなかなか隅に置けないみたいだな、姫宮?」 そして、そんなわたしの狼狽をまるで楽しんでいるかの様に、爪草先生はこんな時だけメガネの奥からニヤニヤとした視線を向けてくる。 「だから、違いますってば……」 「まぁいい。それじゃ、姫宮が慣れるまでのサポートは、神月に任せて構わないな?」 「了解です♪もう、手取り足取りでみっちりと教えちゃいますから」 「まてまて、一体ナニを教える気だってのよ?」 「むふっ♪それは美幸ちゃん次第ってコトで……」 「……えっと……」 普段から結構スキンシップ過剰な夢叶は、時々こういった本気か冗談か分からない台詞を吐くものの、大抵は本気の方だから困る。 「ではとりあえず、体育館までの道のりをしっかりと教えてやれ。もう始業式まで時間はあまり無いからな?」 ともあれ、担任の方はそんな二人の間に何が起ころうが知ったことじゃないらしく、わたしのツッコミは全スルーで話を進めてゆく。 「は〜い♪では行きましょうか、美幸ちゃん?」 「ああもう、学校でまで当たり前に手を繋ごうとするんじゃないのっ!……っていうか、先生にも言っておきますけど、全部冗談ですからね?」 最初のホームルームの時に、いきなりカップル認定で話を進められても困るし。 「別に生徒同士が手を繋いで校内を歩いちゃいけないって校則は無いしな。逆にいちいち念を押していると、かえって怪しまれるぞ?」 「…………」 一応、どうやらそういった心配はいらなさそうだけど、何ともまぁドライなコトで。 * 「んふっ、これで新学期になってもずっと一緒ですねぇ♪」 「……の前に夢叶、ちょっといいかしら?」 それから職員室を出るや否や、早速嬉しそうに絡みつかせてくる夢叶の腕を振り解くと、わたしは廊下を挟んで階段横にある教職員用トイレの前へと問答無用で連行していった。 「いやぁん♪いきなり人気のないトコロへ連れ込んでくるなんて、もう美幸ちゃんのえっち〜♪」 「だまらっしゃい。……そうじゃなくて、まさかと思うけどこれはあんたの仕組みじゃないでしょーね?」 すると早速勘違いした様子で、恥じらうフリをしながらクネクネと気持ち悪く身をよじらせる夢叶に、溜息混じりで本題を切り出すわたし。 夢叶も同じ学校へ通っているのは聞いてたし、それに関しては奇遇と納得してはいたものの、同じクラスとまでなってしまえば、さすがに不自然さは否めないというか。 「あはは、そこまではしませんってば〜。そういう無茶は、他の人の運命にまで影響を与えかねませんから」 「それでも『出来ない』じゃなくて、『しません』なのね……」 実際にどうやってやるのかは知らないけれど、まぁいずれにしてもやりたいけど出来ないよりは、理性により自制してる方がまだマシではある、か。 「でも、これで晴れて三度目の”運命”ですかね?えへへー」 「知らないわよ……っていうか、わたしはそんなの信じないって言ったでしょ?」 ともあれ、またも続いてしまった偶然を喜び、心底嬉しそうな笑みを浮かべる夢叶に、わたしは背を向けながら冷たく突き返した。 「……まぁ私の方としても、そうでないと困るんですけどね」 「へ?……なんの話?」 「いえいえー、これでまた学園生活も一段と楽しくなるな〜と思ったまでで」 その後、不意に冷静な口調で返された思わせぶりなセリフに反応して振り返ると、今度は夢叶の方がわたしの問いかけをワザとらしくスルーしてしまう。 「えっと……もしかして、何かわたしに隠し事でもしてる?」 「んふ♪私と契約を交わしてくれたら、全部話しちゃいますけど?」 「やっぱり、そうなるのね……」 なら、とりあえずは気にしないでおこう。 「あ、ところで先程の職員室で爪草先生にもう卒業するまでここにいるって言ってましたけど、それってもしかして私の為だったりしてくれちゃいます?」 「……違うわよ。もう、何でも自分の都合いいように考えないでよね」 というか、合格不合格のある編入試験を受けさせられて、ぶっちゃけ受験をやり直した様なものだし、もう次の然るべき時まではゴメンだというのが、紛れもない本音だった。 ……まぁついでに、こっちへ来ていきなり友人が出来たのが、何となくそんなに気になった要因の一つなのも確かなんだけど、これは口には出さないでおこうかなと。 「そうですかぁ。まぁ、その時は私も追いかけちゃうかもしれませんけど」 「あんた、どこまで……というか、いつまでいる気なのよ?」 「さぁ、それも美幸ちゃん次第、としか」 「……とにかくっ、せっかく同じクラスになったのに悪いけど、学校ではあんまりベタベタしてこないでよね。妙な噂とか囁かれたら、いきなり居られなくなるでしょ?」 そもそも、転校生にとってこれからしばらくは自分のイメージが決まってしまう大事な時期である。 せっかくもう親の都合には振り回されまいと決めたのに、別の要因でまた転校する羽目になるのは馬鹿らしいにも程があるワケで。 「つまり、人目を忍んでいればいいんですよね?んふ、そういう秘密のカ・ン・ケ・イってのも何だかドキドキしちゃいます♪」 しかし、それに対して夢叶は何やら不健全な勘違いをしたのか、頬を染めつつわたしの胸元へと顔を埋めてくる。 「こらこらこらっ、だから学校でそういうコトをやめろって言ってんの」 「……でも、要は見つからなければいいんですよね?」 そして、引き離そうと釘を刺すわたしの言葉をあっさりと覆してしまうと、もう片方の手を太ももの内側へ滑り込ませてくる夢叶。 「こ、こらぁっ、だから、そういう意味に解釈するんじゃないの、このヘンタイ天使っ」 大体、爪草先生からもう時間が無いって言われてるでしょうに。 「んふっ♪ですから、美幸ちゃんが相手ならそれも楽しからずや、ですよ?」 「あんたね……」 迷惑な程に前向きというか、本当に楽しそうなのがまた困るというか。 もちろん、それだけわたしのコトを慕ってくれているってことだろうけど……。 (ホントに、何でだろうね?) ヘタしたら、自分自身より遙かに夢叶の方がわたしを好きなのかもしれない。 ……まぁ、その理由はこれからゆっくり確かめるつもりだけど。 * 「では、本日の授業はこれまで。三学期は試験までの期間が短いから、早めに準備しておけよ?」 次の日、四時間目終了のチャイムが鳴ったのをきっかけに、教科書を閉じた爪草先生が英語の授業の終了を告げた。 「特に姫宮、お前さんは相当頑張らないと厳しいぞ?前に通っていた学校の授業の進み具合がうちより遅い上に今までの蓄積が無い分、無事に進級できるかどうかは、この三学期の成績だけで決まる訳だしな」 「う〜っ、そう思うなら助けて下さいよぉ」 そして、出席簿を眺めながら名指しで警告してくる先生に、頭を抱えながら唸るわたし。 ついでに、今日は挨拶代わりだのなんだのと、適当に理由を付けては指されまくりでヘトヘトだった。 「ちっちっちっ。“Heaven helps those who help themselves.”『天は自ら助くる者を助く』って奴だ。次のテストに出すかもしれないから、ちゃんと覚えとけよ?以上だ」 「起立、礼!」 しかし、そんな哀れな転入生へ向けて、新しい担任教師は素っ気なくも有り難いお言葉を残すと、短く締めくくって出て行ってしまった。 (鬼……) そうなると、やっぱり夢叶に頼らざるを得ないって事になるんだろう。 天使の力なのかは知らないけど、夢叶の成績は転入後からいきなり上位グループで、試験前はクラスメートから引っ張りだこにされる位に頼られているんだとか。 (……でも、出来ればあんまり借りは作りたくないのよねぇ) ただでさえ、わたしはあの子のお願いを断り続けている身だし、だからといって助けてもらうお礼に受け入れるってのも、何だか違う気もするしで。 「まぁ、それはともかく……んっ、もうお昼の時間かぁ」 ともあれ、あまり先の心配を引きずっても仕方がないと、わたしは切り換えて一度背伸びをした後で、机からお手製の弁当箱を取り出した。 お手製といっても、新たに作ったのは卵焼きとタコさんウィンナー位で、残りは冷凍食品やら余り物を詰めた程度のシロモノだけど、家からバスと歩きで通学に四十分はかかる身としては、これが精一杯といいますか。 (そういえば、夢叶の翼なら毎朝ひとっ飛び〜って感じで、楽なんだろうなぁ……) 日中ならスカートの下はジャージでも履いておかないとダメだろうけど……って、そういう問題じゃないか。 クリスマスの時みたいに寝静まった夜中ならいいけど、通勤通学でごった返す時間帯に翼の生えた人間がフワフワ飛んでいたら、たちまち大騒ぎになろうってものである。 「ん〜……」 ……ただ「空を飛んで」なんて、そんな普通なら妄想で終わってしまう願望も、その気になれば叶えてもらえるってのは何とも不思議な感じだったりして。 (天使の舞い降りた街……か) いくら伝説が残っているからって、まさかうちのクラスに天界からお忍びで天使が留学して来ているなんて、誰も想像すらしてないんだろうけど。 「……って、あれ?」 それから、わたしは件の天使様の席へ視線を向けてみるものの、姿が無かった。 てっきり、一緒にお昼を食べようと一目散にやってくるかと思っていたのに。 (もう、黙ってどこへ行っちゃってるのよ?) ……まったく、授業中とかウザいくらいの視線を送ってきたりしてるくせに、こういう肝心な時は居ないって天邪鬼なんだから。 (いや……もしかして、先に購買にでも行ってるのかな?) 実質は一人暮らしに近い自分と同じく、夢叶もアパートを借りての独り身と聞いたけど、わたしみたく自分で作ったりはしないのだろうか。 「……姫宮さん、どうしたの?」 「え?あ、いや、ちょっと……」 そんな時、不意に背後から別のクラスメートに声をかけられ、曖昧な返事で応えるわたし。 夢叶を探しているって素直に言っていいものかどうか、一瞬躊躇ったからだけど……。 「ああ、神月さんならもう出かけたわよ?今日は新学期で最初になるし、お昼を食べる暇も無い位に忙しいんじゃないかしら?」 しかしそれは杞憂だったらしく、片桐(かたぎり)さんはさも当たり前のごとく、わたしの探している人物を当ててみせてしまった。 「え?何か部活動でもしてるとか?」 「部活動とはちょっと違うけど、凄く繁盛しているのは確かね」 「あれ、凄いよねぇ〜?まだ始めて何ヶ月も経ってないのに、もうすっかり聖憐名物だよ〜」 「確かに、毎週火曜と金曜は購買部の売り上げが激増してるって噂も……」 そしてどうやら、夢叶の行方についてはわたし以外のみんなが知っているらしく、片桐さんに続いて机を一ヶ所に集めながら、口々にその話題で盛り上がってゆくクラスメート達。 「だから、姫宮さんも今日はこちらで一緒しない?」 「あ、うん……。でも繁盛って、まさか屋台でもやってるなんて言わないよね?」 ……けどまぁ、とりあえずそういうことなら仕方が無い。 わたしも頷いた後で片桐さん達のグループへ机を寄せながら、冗談混じりに尋ねてみると……。 「近いといえば近いかな?別に食べ物を売っているワケでもないんだけど」 「へ?」 なんと、当たらずといえども遠からずだったらしく、片桐さんから思わせぶりな笑みが返ってきた。 「あはは、後で特別教室のある校舎の三階へ行ってみたらいいよ。すぐに分かるから」 「う、うん……」 一体、夢叶の奴は貴重な昼休みを費やしてナニをやっているというんだか。 * 「えっと……もしかして、これ?」 やがてお弁当を食べ終えた後で、片桐さん達と別れたわたしは特別教室の並ぶ奥の校舎へ早速向かってみると、二階から三階へと続く階段の出口付近から行列ができているのに気付く。 「……うおっ?!」 予想以上の光景に驚きを隠せないまま、携帯を弄っていたり、一月の寒さに震えながら並んでる生徒さん達を横目に三階まで上りきると、そこから更に奥の教室へ向けて結構な列が続いていた。 (……あの準備室の中に、夢叶がいるの?) 確か、あそこは普段使われていない第二家庭科準備室とは昨日の夢叶の案内で聞いたけど、空き教室で一体何が行われているんだろう? 「ありがとうございました〜!」 やがて、お礼の言葉と共にショートカットの活発そうな生徒が出てくると、続いて行列の先頭で待っていた三つ編みの大人しそうな子が、静かに入れ替わりで入ってゆく。 ついでに、並んでいる人達を改めて見回してみると、雑談に花を咲かせたり、静かに読書していたり、はたまた菓子パンをかじっていたりなど、暇つぶし方法は多様ながら、特にこれといって共通する特徴は見当たらないけど……。 「……あの、すみません。この行列って一体何ですか?」 「何って、神月さんの恋愛相談室だけど、あなた知らないでここまで来たの?」 ともあれ、これは聞いてみた方が早いと、今し方教室から出てきたショートカットの女の子を捕まえて尋ねてみると、呆れたような口ぶりで聞きたかった回答があっさり返ってきた。 ……まぁ確かに、何の行列かも分からない上に列にも並ばないでこんなトコロで何やってんだろうと思われても仕方が無いとして。 「やっぱり、夢叶の?……あ、えっと実はわたし夢叶のクラスメートで本人を探してるんですけど、昨日転校してきたばかりで何にも知らなくて、他のひとに聞いてもここへ来たら分かると言われて……」 「あら、そうだったんだ?なら教えてあげるけど、その神月さんが毎週火曜日と金曜日の昼休みと放課後に、あそこの第二家庭科準備室でタロットや水晶球とかを使った占い部屋を開いていて、これがまたすっごい的中率なのよ!」 ともあれ、事情を話したわたしにショートカットの子は興奮した口調で力説すると、並んでいる他の生徒からも、うんうんと賛同の頷きが起こる。 「そ、そんなに凄いんですか……?」 「ええ、しかも無料なんだから二度びっくり。高いお金を取っているプロの占い師さんの立場が無いわよねぇ?」 さすがにそれはちょっと大袈裟かなーと思うものの、やはり後ろの行列からはうんうんと賛同が続々と。 「はぁ……なるほど」 まぁ、天使サマだしね。 ……と、それで片付けてしまうのもどうかとは思うものの、もしかしたらタロットとか水晶球ってのはあくまでそう見せかけているだけで、実際に夢叶が結論を導き出す根拠は全然別のものなのかもしれない。 「気になるなら、あなたも一度試してみれば?並ぶのは大変だし昼休みだから一人あたりの時間は短いけど、恋愛以外の相談事でも親身に受け付けてくれるから、気分が楽になるコト請け合いよ?」 「あはは、そーですねぇ……」 とはいえ、普段は頼まなくても向こうからベタベタと付きまとってくる夢叶と会う為にわざわざ並ぶのも、アホらしいと言えばアホらしかったりして……。 「……でも、そういえば神月さん自身はどうなのかしらね?」 「へ?」 しかしそれから、ここで話も終わりかと思えば不意に話題を変えてきたショートカットの生徒さんに、意表を突かれたように目をぱちくりとさせられてしまうわたし。 「ほら、神月さんって同性の私でも見とれてしまう位に美人だし、優しくて親切で人気もあるんだけど、恋愛に関しては浮いた噂を全く聞かないから」 「う〜ん……もしかしたら、男の人には興味が無いのかも……」 少なくとも、クリスマスの日に女の子をナンパして熱心に口説いた挙句にお風呂へ連れ込んで性的イタズラをする様な人(天使)物なのは間違いない。 「えー?……もしかして、神月さんってそういう趣味の人?」 「さ、さぁ。特に根拠はないですけど、なんとなく……」 ただ少なくとも、わたしに対しては今更そっちの気が無いと言われても困ってしまうのは確かである。 「ふーん。……でも、神月さんだったらいいってコも結構したりして」 「えー……」 でもあのコって見た目は文字通りな天使サマでも、どが付く変態さんですよ? ってのは、さすがに口にする前に飲み込んだけど……。 (……でも、そういえば実際どうなんだろう?) 元々、夢叶がわたしに声をかけてきた理由は、守護天使の対象者候補だからだし。 ……となれば、考えてみたら夢叶がわたしに告げた「ひと目惚れ」って、そのまま素直に恋愛対象としての意味で受け取っていいんだろうか? わたしにひと目惚れして“恋”したから守護天使にして欲しいのか、もしくはリストアップされた対象者候補だから、逃すまいと方便に使って口説き落とそうとしているのか。 (ん〜、まぁどっちでも解釈できるんだけど……) いずれにしても、”リスト”っていうからには候補者は一人だけでもないんだろうから、わたしはあの天使様に「選ばれた」コトにはなる。 「…………」 ただやっぱり、その理由は謎なんだけど。 * 「……えっと、確かにあなたとの相性は高めですけど、でも相手の方は既に好きな人がいるみたいですねぇ?」 「うーん……諦めた方がいいのかなぁ?」 「一応、その人の好きな方とは両想いではなさそうですし、何だか一方通行の矢印ばかりで、色々と複雑に絡み合っているみたいでもありますけど……」 「それじゃ、今後の頑張り次第ってコト?」 「さて、それは無責任にアドバイスしにくいですねぇ。彼の心の天秤が少しでもあなたに傾く可能性があるならともかく、今はただ好きな人の姿しか見えていない状態みたいですし」 「う〜っ、それを言われたら厳しいかも……」 「占いで見た限りでは、彼の性格は恋愛に関しては引っ込み思案で弱気なタイプみたいですが、それ故に他人から流されやすい欠点もあるみたいです。だから本当に好きならば、相手にとって一番好きな人との幸せを祈って身を引くのも愛の形だとは思いますよー?視点を広げてみれば、あなたを想っている人は比較的身近な所にもいるみたいですし」 「……そっかぁ。まぁ、ダメならダメで元々ってつもりだったけど、そのあたしのことを好きって人は誰だか分かる?」 「さすがにそこまで掘り下げる事は出来ませんが、あなたの運命の流れを見れば、近いうちにアプローチされると思いますよ。当然、受けるかどうかはあなたの自由ですから、気軽に構えてもらっていいと思います」 「んじゃ、その時はまたあたしとの相性とか占ってくれる?」 「ええ、もちろん」 「……分かった。んじゃ、もうちょっとだけ様子見にするよ。とりあえず、今日はありがとね♪」 「はい、またいつでも相談してくださいね」 (おっとっと……) やがて、元気のいい声と共に席を立つ音が聞こえたので、中の様子を窺おうと隙間から聞き耳をたてていたわたしも、慌ててドア付近から身を離す。 ……なるほど、結構普通に恋愛相談をやっているらしい。 「はい、次の方どうぞ〜♪」 (次の人って……ああ、わたしか) 一応、自分が最後尾だったのを確認してから聞き耳をたてていたものの、結局それから新しい相談者は来なかったので、どうやらわたしでラストになりそうだった。 ……というか、もう予鈴はとっくに鳴った後で、昼休み終了まで殆ど残っていないし。 「……よっ、せっかくの昼休みに随分とお節介なコトをしてるのね、夢叶?」 「あ、美幸ちゃん?どうしてここに?」 ともあれ、わたしが入室して手を上げて見せると、久方ぶりとなる美人で良く当たると評判の占い師さんはやや驚いた顔を見せてくる。 ちなみに、狭い準備室の中は中央に二つの机が並べられて、紫色の柔らかそうなクロスが敷かれた上に件の水晶玉やタロットカードが乗せられているのみと、特に目を引くような演出や装飾はされていない、シンプル極まりない占い部屋だった。 「片桐さん達に聞いてね。昼休みに入った途端にいなくなって一体どこへ行ったのかと思っていたら、この校舎の三階で何やら怪しげな店を開いてるって」 「ああ、ゴメンなさい。毎週火曜日と金曜日はこうして占い部屋をやっているんですよ〜。最初は毎週金曜日だけだったのに、相談者が増え過ぎて火曜日も追加する羽目になっちゃったんですけど」 「ふーん……よく許可が下りたわね?」 「一応、ここって普段は使われない空き部屋ですし。部活動の代わりにって爪草先生に相談したら、まぁいいんじゃないか?と言ってもらえまして」 「んで、お昼も食べずにやってるの?」 「いいえ、食事はこれからですよ?ちょっとお行儀が悪いですけど、歩きながらでも食べられますし」 「……って、まさかソレ全部食べるの?」 そこで、いつもの人懐っこい笑みを浮かべながら頷く夢叶の背後で山積みとなっているモノに気付いたわたしは、思わず冷汗混じりに指差してしまう。 入った直後は気付かなかったけど、夢叶の座っているすぐ後ろの机の上は、パンやおにぎりに、スナック菓子の袋やデザート類と、よりどりみどりの食べ物が、お茶やジュースのパックと一緒にどっさりと山積みにされていた。 「あはは、リピーターの方とかがよく差し入れして下さるんですよ〜。別に私はそんなつもりじゃありませんのに」 すると、呆気にとられるわたしに、夢叶も肩を竦めながら困ったような笑みを見せてくる。 「まー、いいんじゃない?報酬なら貰っておけば」 つまり、それだけ人の役に立って感謝されているという証でもあるワケで。 ……となると、あのショートカットの子の言い分は、あながち大袈裟でもないらしい。 「ですから、いつも食べきれない分は持ち帰って夕食とかにしているんですけど、良かったら美幸ちゃんも食べませんか?」 「い、いいわよ別に……わたしもお昼を食べた後だしさ」 大体、他人への感謝の印を横取りするのは、イマイチ喉が通らないと言いますか。 「むぅ、別に遠慮なんてしなくてもいいですのに……。正直言えば、誰かが手伝ってくれないと食べ過ぎで太っちゃいそうですし」 「……だったら、尚更だっての。それより、ちょっと立ち聞きしちゃったんだけど、案外前向きなコトばかり言わないで、身を引く愛とかもアドバイスしてるのね?」 「それがですねぇ、あの方々の因果は先程のAさんが好きなB君はCさんのコトが好きなんですけど、そのCさんはD君に思いを寄せていて、でもD君はAさんに……という、円環みたいなカタチになってるんですよー」 そこで、善意の消化の手伝いを懇願する目を向けてきた夢叶から話題をはぐらかそうと、わたしが矛先をさっきの相談内容の方へ向けると、評判の占い師さんは苦笑いを浮かべながら事情を説明してきた。 「一方通行同士の四角関係かぁ……。確かにそれはややこしいというか、相談される方も大変だろうけど、でもどうしてそこまで分かるの?夢叶の特殊能力?」 「まぁ、“見る”能力もなんですけど、それだけ私の元へ相談に来られる方も多いってコトですよ」 「ああ、なるほど。そういうコトか……」 種明かしをしちゃえば、AさんだけじゃなくてCさんも訪れているのね。 「……んじゃ、夢叶が予言していたD君がAさんに告白してカップル成立しちゃえば、ぴったり上手く収まるかもって寸法ね?」 まぁ、必ずしもAさんとD君じゃなくてもいいんだろうけど、ともかく誰かが折れさえすれば解決か。 ……あくまで俯瞰から見た他人事の視線で言えば、だけど。 「愛を紡ぐ天使の立場としては、不幸になる方が一人でも少なくなる様に仕向けるのが理想ですから。そして、以前に相談を受けたCさんのお話からはB君からの想いに気付いていて、その上で幾分の迷いが感じられていたのと、先程のAさんからの反応を見て、B君に対して今ならまだ諦める余地がありそうと判断したので、AさんにD君の存在をちらつかせてみたというのが根拠になります」 「たしかに、弱腰に様子を見るっていってたっけ」 「……ただそれでも、各々が持つ真実の愛はただ一人にのみ注がれるものですからね。もしこのまま上手く収まったとしても、B君とD君は時々CさんとAさんの未練に多少なりとも苦しむ羽目になるとは思んですが、それは愛する人を側に置ける代償と納得してもらうしかありませんねぇ。元々が一方通行同士なんですから」 そして夢叶はしみじみとした口調で締めくくると、要冷蔵っぽいデザート類や飲み物を準備室に備え付けられている冷蔵庫へと押し込み始めてゆく。 「……でもさ、夢叶はどうしてこんなコトをやってんの?善意の差し入れはあるとしても、基本は無料で相談に乗ってるんでしょ?」 「どうしてと言われましても、これが私にとって本来のお仕事ですから。……まぁ、正式には休業中の身ですけどね」 しかし、わたしにはまだ本当に聞きたかった質問が残っていたので、途切れかけていた会話の流れを戻すと、手を休めずに首だけをこちらへ振り向かせた夢叶から、さも当然のような口ぶりで答えが返ってきた。 「そういや、縁結びしてたんだっけ……?」 なるほど、だから恋愛相談室か。 ……まぁ恋愛に限ったわけでもなさそうだけど。 「ええ、前にも言ったと思いますけど、ほらこれを見て下さいな」 「うん?」 ともあれその後、片付けの手を止めて夢叶がわたしに差し出して見せたのは、占いの本の片隅に描かれた、白い翼にハート型の弓矢を持った天使のイラストだった。 「ここに描かれているのは私……つまり、愛を司る大天使ハニエルなんです。どうやら、同じ様な役割を持つキューピッドさんと同一視されることも多いみたいですが」 「ああ、“愛のキューピッド”って喩えられると分かりやすいわ。なるほど、それが夢叶のお仕事なのね?」 「もちろん、それだけじゃないですし、キューピッドさんと私は全く別の存在ではあるんですが、まぁ大体そういう感じなりますね〜」 それから、妙に合点がいったわたしがぽんっと手を打つと、夢叶もにっこりと笑みを浮かべて頷き返してくる。 「……でも、これが夢叶って言われても、本人が目の前だと笑えちゃうわね?」 そもそも、はじまりの広場の噴水に飾られている天使の像は美しい大人の女性の姿だったのに、この本に描かれているのは翼を生やした赤ちゃんの姿である。 ……まぁ、どちらにしても本物と似ていないって共通点はあるんだけど。 「実はここでの初仕事以降、私がこちらの世界で姿を現したことは殆どありませんでしたし、やっぱり長い年月を経てイメージが変わっていくのは仕方がありませんねぇ。……ただ、私の先々代は好んで赤子の姿をしていたと聞きますから、あながち間違いでもないんですけど」 「先々代?」 「ええ。私の属する階級の天使は、当代で一人の存在しか許されていませんので」 「……んっと、よく分からないけどそんな立場の人が、こっちでこんなコトをしててもいいの?」 天使の階級とか何とかはさっぱりとしても、つまり代わりがきかない存在って意味でしょーに。 「今は天界も魔界も表立って争う理由は特に存在しない平穏な時世ですからね〜。勿論、“主”の玉座を守る者が一時期でも席を外すのは望ましいとは言えませんけど、それでも人間界へ降りて守護天使を経験するコトは、今後の私にとっても天界の為にも必要なミッションなんです」 しかし、そんなわたしの追求に答える夢叶はいつも様に人懐っこい笑みを浮かべてはいるものの、同時に芯の方からは悲壮とも言える意志が感じられていた。 「……けど、だからって自分が天使であることが、わざわざ貴重な昼休みを潰してまでやってる理由にはならないわよね?」 「理由にならない、と言われましても……」 そこで、何やら会話の流れが旗色悪くなってきそうな予感がしたわたしは、再び矛先を変えようと更に追求を深堀りすると、夢叶は首を傾げつつ返答に困った顔を見せてくる。 「だって、確か天使が人間に何かをしてあげるのは、自分達への信仰心を維持する為だと言ってなかったっけ?でも、今夢叶がやってるのは天使じゃなくて、学園名物の占い師としての評価を上げてるだけでしょ?」 しかも、別に相談を通じて「天使や神様を信じなさい」とか、布教活動をしているわけでもなさそうだし。 「まぁ、それは“性分”としか答えようがないですけどねー。私は基本的に自分の力で幸せになったり喜んでくれる人がいれば、それだけで満足なんです」 「……つまり、わたしの方がメリットだのデメリットだの、打算的過ぎですか」 もしくは、いちいち理由がなければ動けないし、信用もできなくなってる寂しい人間であると。 ……とはいえ、むしろ普通はそれが当たり前で、別にさもしいことだとも思わないけど、ただ夢叶がわたしに見せる天使の笑みは、彼女みたいな生き方をする者だけが見せられるものなのかもしれない。 「美幸ちゃんも、試しにそういうのから脱却してみれば何か分かるかもしれませんよ?さしあたりましては、すぐにでも幸せに出来る相手がここにいるわけですし♪」 そして夢叶はしれっとそう続けると、両手を大きく広げてわたしを誘ってきた。 「ホントめざとく口説いてくるわね、夢叶……」 まったく、相変わらず仕事熱心というか、油断も隙もないんだから。 「それに見返りなんて自分から求めなくても、感謝の気持ちというものは、いずれ何らかの形に変わって報いとなるものだと思います」 「……まー確かにそんなものかもしれないわね。ちょっとお腹の肉にとっては過剰な感謝の証みたいだけど」 それでも、反撃のチャンスを得たわたしはやや大袈裟に肩を竦めて見せながら、ワザと意地悪くそう告げてやる。 もっとも、言葉とは裏腹に尊敬の念みたいなものも芽生えているのは内緒だけど。 「はぅ〜っ、そう思うなら美幸ちゃんも助けると思って、幾らか持っていってくださいよぉ」 「だから、いらんて。大体、あんたの胃に入らないと、せっかくの感謝の気持ちも報われないんじゃないの?」 「ううっ、こういう時だけ反論不能な突っ込みが……ところで、美幸ちゃんも何か相談事があったんじゃないですか?」 「あ、いや。単に夢叶が何かやってるって聞いたから、来てみたってだけだけど……」 考えたら、どうしてわたしはわざわざ列に並んでここまで来たんだろう? 夢叶に「お節介者」と言ってやる為だけに用も無いのに並んでいたのなら、それこそわたしの方がお節介者である。 「そうですかぁ〜。まぁ、何か相談事があったらいつでも言って下さいね?愛しの美幸ちゃんなら、二十四時間態勢でどんな悩みでも受け付けちゃいますから♪」 「……んじゃさ、もし恋愛相談があるって言ったら、受け付ける?」 それでも、来てくれただけでも嬉しいと言わんばかりの笑みを見せる夢叶に、ふと悪戯心が芽生えてしまったわたしは、素っ気無く意地の悪い質問を切り出してみた。 まぁあとはもう一つ、先程浮かんだ疑問の答えを探ろうって意図もあるんだけど。 「え?」 「もし、わたしもある日突然誰かにひと目惚れして夢叶の元へ相談に行ったら、ちゃんと相性占いしてくれるのかなって」 「…………」 「いいですよ。それが私の仕事ですから」 すると、少しだけ間を挟んだ後に、わたしと同じく淡々とした口調で頷く夢叶。 「無料で?」 「……いえ、もしかしたら美幸ちゃんだけには、何か見返りを要求してしまうかもしれません……」 そして、こちらについては特に意味を込めたつもりじゃなかったものの、つい続けて口から出てしまった軽口に、夢叶はまたも僅かの思考時間を置いた後で遠慮がちにそう告げてきた。 「そっか……」 こういう場合、わたしだけからは受け取らないって方向になるかと思ったら、逆なのね。 「ただ、私は原則として美幸ちゃんの最も幸せな可能性未来へ導く為に守護天使を志しているつもりです。たとえこれから美幸ちゃんが他の誰かを好きになろうとその気持ちは変わりませんし、どうかそれだけは忘れないで下さいね?」 「夢叶……あ……?」 キーンコーンカーンコーン しかしその後、真剣な目でこちらを見据えて続けてきた夢叶の言葉がわたしの心に突き刺さった瞬間、五時間目の始まりを告げるチャイムが準備室内に鳴り響いた。 「あれれ……ちょっとばかり、長話をしすぎちゃいましたね?」 「……やーれやれ、転校二日目でいきなり午後の授業に遅刻かぁ」 前の学校だと優等生で通っていたのに、ここではとんだ不良生徒ね、わたしは。 「まぁ、火曜と金曜の五時間目に遅れがちになるのはいつものことですし。美幸ちゃんは私が無理に引き止めて色々手伝わせたという方向でエクスキューズしてもらって下さい」 「いーわよ、別に……。わたしが夢叶と話がしたくて残ってたんだし、そこまで卑怯者じゃないってば」 しかも、結局は夢叶の短い昼食時間まで奪ってしまったというのに。 「違います。私の為にそうして欲しいんです」 しかし、肩を竦めて申し出を断るわたしに、夢叶は真面目な顔で首を横に振りつつ意外な台詞を向けてくる。 「え?」 「んっと……まだ自分でもよく分かりませんけど、多分これも愛のカタチの一つじゃないですかね?」 (……変なやつ……) 前にお風呂で弄られた時はドSの気配を感じたけど、実はドMの因子もあるのかしらん? * 「…………」 それから、二人揃って五時間目担当の爪草先生に怒られつつも訪れた放課後の時間、わたしは特別教室校舎の三階へ続く階段を上った先にある廊下の角へ背を預けながら、昼休みの時と変わらない長い行列が消化されてゆく様を無言で眺め続けていた。 ……いやむしろ、放課後は受付時間が長い為か、相談者の数はこちらの方が多いみたいで、しかも生徒に混じって若い先生まで並んでいる姿を見た時は、さすがに心の中で苦笑いを禁じ得なかったりして。 (まぁでも、この最後尾で終わりかな……?) 既に空は夕暮れのオレンジ色に染まりかけていて、放課後恋愛相談室の営業時間の目安となる閉門時間まではあと僅かしか残っていない。 「…………」 それで、わたしは何をやっているのかと言えば、別に何をするワケでもなく、ここで夢叶がお勤めを終えるのを待ち続けていたりして。 理由は自分でも良く分からないけど、何となくそんな気分になってしまったとしか言いようもない。 (まったく……一体何をやってんだろうね、わたしは) こんなの、別に頼まれたわけでもない単なる時間の無駄遣いで、精々閉店後に出てきた夢叶がわたしの姿を見たら、驚いたり喜んだりするかなって程度である。 「…………」 それでも夢叶がわたしに言った、「試しにそういうのから脱却してみれば、何か分かるかもしれませんよ?」という言葉が、奇妙な存在感を伴って脳裏にこびり付いていて、だったら手始めに発言主を喜ばせてやろうかと思い立ってしまったのだから仕方がない。 ……まぁ、強いて根拠を挙げるならば、自分の占いを頼ってくれる人がいるというだけで、献身的にこんなコトを続けているあの子に何かしてやりたい気持ちが芽生えてしまった、って辺りだろうか。 (……おっ、そろそろ終了みたいね) ともあれ、それから無意味に自問自答しているうちに、一番後ろに並んでいた大人しそうな小柄の生徒が、前の人と入れ替わりで準備室へ入っていくのを確認するわたし。 (さーて、どうやって喜ばせてやろうかしら?) 迷惑かもしれないけど差し入れも鞄に忍ばせているし、あの子が出てきたら昼間みたいに顔を出して片付けを手伝ってやるか、それとも驚かせるのを優先で出てくるのを待って不意打ちしてやるか……。 「……あら、あなたは並んで占ってもらわないのかしら?」 「えっ?!ああ、友達を待ってるだけなので」 しかし、そうやって夢叶へのサプライズ演出を思案している中で、わたしの方が階段を上ってきた誰かに不意打ちを受けてしまう。 「友達?今占って貰っている子かしら?」 「いえ、お人好しの占い師の方です……」 (うわ、すごく綺麗な人……) ともあれ、突然わたしの目の前に現れたのはすらっとした長身で、絹の様に繊細で美しい烏色の長い髪と、精巧に造られた人形みたいに整った顔立ちを持つ、まるで大和撫子を絵に描いた様な美人さんだった。 また、ややつり目の黒曜みたいな色の瞳からは、どこか威圧感のようなものも漂わせていて、同じ美人でも色んな意味で夢叶とは対照的である。 「……そう。ではやはり、あなたが大天使に見初められた美幸ちゃんというわけね?」 「へ……?」 それから失礼は承知ながらも、まるで引き込まれるように相手を観察しているうち、相手から突然予想外のセリフを切り出されて、わたしの心臓がどきりと一瞬強く脈打ってしまう。 「だけど、さっきからじっと私の顔ばかりを見て……ふふ、もしかしてお姉さんにひと目惚れしちゃったのかしら?」 「あ、あなたは一体……?」 「私?私は十六夜鞘華(いざよいさやか)。さやかさんでいいわよ?」 そして謎の美人生徒は妖艶な笑みを浮かべながら、膝同士が触れる距離まで迫ってくるとわたしの顎をくいっと持ち上げ、囁きかけるように名乗った。 「……い、十六夜さん、ですか。珍しい苗字ですね……?」 別に名前を聞いたつもりじゃないのだけど、それでも密着された圧迫感や、得体の知れない雰囲気に飲まれて、わたしはついつい相手に流された台詞を返してしまう。 十六夜って確か、古典の題名にも使われている、昔は一番美しいとされた月齢の事だっけ? 「そう?私には月がよく似合うと思って素直にこの名を選んだのだけど。少なくとも明けの明星の癖に、“神月”なんて名乗っている天の邪鬼なコよりはね」 「天の邪鬼って……やっぱり、夢叶の知り合いなんですか?」 「知り合い?そうねぇ、知り合いと言えば知り合いよ。……時には狂おしい程に」 その後、ようやく一番聞きたいコトを言葉に乗せられたわたしの問いかけに、十六夜さんは思わせぶりな回答を返してくると、今度は穏やかながらも、何やら背筋がぞくっと寒くなる笑みを見せてきた。 「そ、それで、夢叶かわたしに何か用事なんですか?」 ……というか、ここまで接近される理由についても心当たりはないんですが。 「ふふ、そんなに身構えなくてもいいのよ?ただ、あのハニエルが選んだ相手がどんなコなのか見に来ただけだから。……最初に話を聞いた時は、まさか相手がこの学園に転入してきた生徒だとは思いもしなかったけど」 「わたしだって、未だにわけが分からない部分はありますよ……。突然声をかけられて、ひと目惚れしたから守護天使にしてくれなんて言われて、それからずっと付きまとわれてるし」 それでも、逃げたい気持ちとは裏腹に相手のペースに飲まれたまま「離れて」と突き放すことも出来ず、せめてもの抵抗に視線だけを逸らせながら吐き捨てるわたし。 (んでもって、今度はこうして美人だけど怪しいおねーさんに絡まれてるってワケだ) 「ふぅん。……ならば、私が開放してあげましょうか?」 「ど、どうやって……?」 「簡単よ。あの子じゃなくて、この私のモノになればいいだけ」 「え、あ……っ?!」 すると、そんな不幸なエトランジェに十六夜さんはこれまた思いもよらない提案をしてくると、わたしの頬へ両手を添えて、逸らせた顔を目の前へゆっくりと戻していく。 「ほら、肩の力を抜いて身も心も私に委ねなさい。その方が、あなたの為かもよ?」 「…………っ」 そして、深淵みたいな瞳に魂が吸い込まれるかの如く、わたしの身体はその場から動けなくなってしまった。 (ちょっ、一体何なのよ、このデタラメな展開はっ?!) 転校二日目で、いきなり波乱ってレベルじゃないってばっっ。 「…………」 「……美幸ちゃん?もしかして待っていてくれたんですか?」 「あ、夢叶……っ。……まぁ、何となくだけどね」 しかし、そこで突然横合いから届いた甘ったるい声が場の雰囲気を緩和すると、金縛りが解けたわたしはそのまま十六夜さんの腕をすり抜けて夢叶の方を向いた。 「……へぇ」 「えへへ、何となくでも凄く嬉しいですよ〜♪……ただ、約一名お呼びでない方もいらっしゃるみたいですが」 すると本当に嬉しかったのか、夢叶はまずとびっきりの天使の笑み(エンジェリック・スマイル)をわたしに見せた後で、今度はトゲを含んだ台詞と一緒に十六夜さんの方へ向き直ると、いつもの人懐っこい顔が今まで見たことのない剣呑なものへと変わってゆく。 ……どうやら、両者はお友達という間柄ではないらしい。 「あら、ご挨拶ね。相変らず多忙みたいだから、少し手伝ってあげようかと思ったのに」 「結構です。大体、あなたはいつもいつも怠惰な方向へ導いてばかりですから」 それでも、全く物怖じする様子もなく茶化してくる十六夜さんに、夢叶は滲み出る敵意を隠そうともせず、取り付く島も無しとばかりに突き返してしまった。 「別に、それでいいんじゃない?どうせ我慢したって報われないんだから。掠奪する愛だろうが、自分の欲望に対して忠実に生きる方が、最後は後悔しなくていいものよ?」 「だけど、それでは一人の幸福に対して多くの他人が犠牲となってしまいます。一極集中はいずれ不満が噴出し、やがては不毛な争いを招く結果となりますから。……まぁ、そちらにとっては好都合でしょうけど」 「ふふ。今時、自己犠牲の精神を尊ぶのは天使位のものよ?それも、一握りの上層部に都合良く作られた、偽りの美徳だというのに」 「…………」 しかし、十六夜さんの方もその敵意を真っ向から受け止めて、冷たい視線を向けたまま反論してくる夢叶の言葉をばっさりと切り捨て、黙らせてしまう。 「単に役に立てるのが幸せだから?感謝されたり喜ぶ顔が見られればそれで満足?おめでたいわね。それで苦もなく得をした誰かが見えない所でほくそ笑んでいるわよ?……それに、本来あなたはそちら側の立場でしょうに」 「ち、ちょっと、あなたが何者かは知りませんけど、いくら何でも言い過ぎ……ひっ?!」 やがて、あまりに容赦の無い物言いにカチンときたわたしも、一歩踏み出して夢叶の援護をしようとしたものの、最後まで言い終える前に再びこちらへ伸ばしてきた十六夜さんの手に掴まり、そのまま強引に引き寄せられてしまった。 「何者か、ですって?そうねぇ、分かりやすく言ってしまえば、“悪魔”ってコトになるのかしら?」 それから先程と同じようにすぐ間近まで端正な顔を近づけると、全身が凍りついてしまうほどの冷酷な笑みを浮かべたまま衝撃の告白をしてくる十六夜さん。 「あ、悪魔……っ?!」 「天使が紛れ込んでいるのだから、その対となる悪魔も居たっておかしくはないでしょ?守護天使なんて言いながら、裏でどんな悪巧みをしているのか分かったものじゃないし」 「あなた方に言われる筋合いはありません。そもそも、本日は一体私に何の用です?」 「何の用と言われてもね。自分の胸に手を当ててみろとしか答えようがないのだけれど」 「……さて、見当もつきませんね。それより、穢れた手で抱き寄せている美幸ちゃんを速やかに解放してもらえませんか?邪悪な悪魔に拘束されて、すっかり怯えていますよ?」 (いや、正直わたしにとっては、今の殺気立った夢叶も充分怖いんですけどね……) というか、さっきからこの一帯だけ空気が張りつめて息苦しいので、これ以上はわたしのいない所でやって頂戴ってのが本音だった。 「まぁまぁ、そう尖らないの。今日は確認しに来ただけよ。あの大天使ハニエルが守護天使になりたがっているなんて俄には信じ難かったのだけど、どうやら本気みたいね。それこそ一体どういうつもりなのかしら?」 「答える義務はありません。ただ、あなた方が余計な勘ぐりをしても意味が無いとだけは言っておきます」 「……そう願いたいものね。あなたと同じく、私もこちらでの生活を楽しんでいるクチだから、余計な波風は立てて欲しくないもの」 そして、十六夜さんは穏やかな口調で締めくくると、わたしを抱きかかえる手に僅かな力を込める。 「は、離して下さいっ!」 痛くはないものの、そこから不穏な意思を感じて恐怖を覚えたわたしは慌てて振り解こうとしたものの、残念ながら十六夜さんの腕力の前にはビクともしなかった。 「じたばたしないの。別に取って喰おうってわけじゃないんだから」 「でも、十六夜さんって悪魔なんでしょ?」 「ふふ、言うじゃない?確かにその通りなんだけど、一応今は悪魔だろうがこちらの世界で好き勝手に振る舞える時代でもないのよねぇ……残念ながら」 「いい加減にして下さい!言っている内容とやっているコトが矛盾していますっ」 「だって、まだ私の用事は完全に終わってはいないもの。……それに、やっぱり悪魔と言えば天使の邪魔をするのが華ってものじゃないかしら。……ねぇ美幸ちゃん?」 「しっ、しりま……んぅ……っ?!」 そこで、とうとう声を荒げ始めた夢叶に十六夜さんはそう続けるや、わたしの顔が強引に首元へと引き寄せられ、そのまま唇を奪われてしまった。 「美幸ちゃん……っ?!」 (ち、ちょっと、嘘ぉ……っ?!) その瞬間、頭上に重たいモノを落とされたようなショックと共に、昔に読んだ漫画の擬音が頭の中で大きく響いて、そのまま思考停止してしまうわたし。 「…………」 また同時に、重ね合わせられた生暖かい唇ごしで吐息が吸い取られている様な感覚も受けたものの、今はそんなコトは瑣末に過ぎず……。 「…………」 「…………っ」 「……ふぅ……っ。なるほど、大天使に見初められただけあって、未だ誰の色にも染められていない乙女が持つ、濁りの無い清純な精気ね。でも、美味しいけどあなたは確かに普通の人間……特別な魂の波動は認められない」 やがて、いい加減に息苦しくなった辺りでようやく唇が離れると、今度はじっと観察する様にわたしを見据えながら、良く分からない専門用語を交えた感想を呟く十六夜さん。 「悪かったですね……どうせ彼氏いない暦イコール実年齢ですよ……」 「尤も、たった今私が一つ汚しちゃったけど。うふふ」 「…………っ」 確かに……これがわたしのファースト・キスだったのに。 「鞘華さん……ッッ!!」 「あらあら、大天使様の綺麗なお顔が羅刹みたいになってきたし、今日はここまでにしとくわ。……それじゃ美幸ちゃん、また会いましょうね?」 「け、結構です……っ!」 それから、不吉な捨て台詞の後でようやく開放され、反射的に身を守りながらお断り申し上げるわたしに、十六夜さんはクスクスとからかう様な笑みを見せて立ち去って行ってしまった。 「…………」 まったく、いきなり何だってのよ……。 「……ね、夢叶。あの人が悪魔ってのは本当なの?」 「本当ですよ……。正確に言えば彼女は罪を犯した天使が魔界へ追放された堕天使の類ですけど、今は間違いなく魔界の眷属です」 程なくして、十六夜さんの背中が見えなくなった後も彼女が降りて行った階段を見つめて立ち尽くしたまま尋ねるわたしに、夢叶は淡々と肯定してくる。 「堕天使、ね。でも放っておいていいの?」 「天界と魔界はもうずっと長い間停戦状態が続いていて、中立地帯である人間界では現地の住民に対して直接的な危害を加えたり、また巻添えの危険がある戦闘行為は互いに自粛する様に協定されているんです。だから、ああやって時々私の前に現れてくるんしょうけど」 「でも、わたしはさっき……」 「……残念ながら、強引に唇を奪われたという程度では、協定違反とは認められないと思います……」 「まぁ、そーでしょうね……はぁ……」 んじゃ、野良犬に噛まれたとでも思って諦めるしかないか。 悔しいことは悔しいけど、だからといって戦いの火種にまでされても困るし。 「……それにしても……やれやれ、天使に続いて悪魔まで出てくるなんて、とんでもないトコロに転校して来てしまったみたいね、わたしは」 それから、何だか妙に脱力を感じてしまったわたしは溜息混じりに独り言を呟くと、次第に暗くなりはじめた校舎をぐるりと見回した。 未だ転校して数日、この街に越して来て一月も経たないのに、平凡な日常の風景の中へ非現実な存在が次々と現れてきている。 まぁ、天界だの魔界だのといった用語が当たり前の様に出てくる辺り、“世界”はわたしが思っている以上に広くて深いってコトなのかもしれないけど。 「ごめんなさい……元を辿れば、私のせいですね?」 「だからって、今更謝られてもねぇ……」 それに、わたしが聞きたかったのは、多分謝罪の言葉じゃないと思う。 「……ところで、その堕天使の人からはまた会いましょうなんて言われたけど、ホントに大丈夫なの?またヘンなコトされないかしら?」 魂を奪われるとか、バリバリと頭から食べられるとか、そういう命の心配までは無さそうなのは分かったものの、また抱き寄せられて唇を奪われたりするのは、乙女の貞操的には大ピンチである。 「大丈夫だと思いますよ。彼女も、本気で私に喧嘩を吹っかけるつもりは無いでしょうし」 「喧嘩って……」 「……行きましょう、美幸ちゃん。もう校舎が閉ってしまいますよ?」 そして夢叶は一方的に会話を締めくくってしまうと、強引にわたしの手を取った。 「あっ、こら……また勝手に……」 (……夢叶?) しかし、夢叶の手を握ってくる力がいつもよりも強く、またしっとりと汗ばんでいるのに気付いて言葉を止めるわたし。 (もしかして……嫉妬してる?) 言葉には出さないけど、でも確かにこちらを向くことのない不機嫌な横顔や、痛いぐらいに強く繋がれた手の圧迫からは、そんな感情がしっかりと伝わってきていた。 「…………」 (何だ、やっぱりそうなのね……) それが自分にとって良かったのか悪かったのかは定かじゃないのに、何故かほっとしてしまうわたしがいる。 ……とりあえず、「ひと目惚れ」が嘘じゃないってコトだけは確かみたいだから。 * 「……ああそうだ。すっかり忘れてたけど、ほいお疲れ」 やがて階段を下りて校舎を抜け、下足場まで着いてようやく繋がれた手が離れたところで、わたしはふと購買で差し入れを買っておいたのを思い出すと、鞄に入れていたプリンを二つ取り出して片方を夢叶に差し出した。 「え、一つは私の分ですか?」 「それ以外に、何があんのよ?」 まさか、二つ買ってわざわざ見せびらかした後で、わたしが両方食べてしまうとでも思ったのだろうか。 「でも……」 「別に心配しなくたって、わたしはいつも自分でお弁当を作っては月単位で貰っているお昼代を浮かせておやつを買ってるんだけど、こいつはその範囲内だから」 その代償は三十分程度の早起きながら、時給換算で千円分だから悪い話じゃないし、親も親で花嫁修業になるからと黙認状態だった。 ……んで、浮いたお小遣いで普段はコンビニのパフェを買うところを、今日は購買のプリンに変更して二人分買ったというだけの話である。 「そうなんですか……?」 「まぁ昼間だけであれだけ貰ったんだし、嫌がらせかって思われそうだけどさ。でもお礼だけじゃなくて、たまには“ご褒美”もあっていいんじゃないかって思ってね」 自惚れかもしれないけど、わたしは多分それを与えてあげられる数少ない存在なんだろうし、つまりこれがワザワザ夢叶を待ち続けた本当の理由ってことになるのかな? 「……いえ、すっごく嬉しいです♪確かにそんな美幸ちゃんの心遣いは、私にとって何よりのご褒美ですよ〜。凄く報われた気分です♪」 すると、わたしの意図を汲み取った夢叶は両手で受け取ったプリンを抱きしめながら、差し込む夕日を背に幸せそうな顔を見せた。 「そっか……」 ついでに言えば、そんな顔を見せてもらえたなら、わたしも報われたコトになるのかな? 「あ、でも……もしよかったら、頬にちゅーとかもしてもらえたら、更に報われるかな〜とか思うんですけど」 「ええい、図に乗るんじゃないの。……まぁ、いつかまたわたしがご褒美をあげたいって思う時が来たら考えるわよ」 大体、今日はしてあげても十六夜さんとの間接キッスになってしまいそうだし。 「……美幸ちゃん、やっぱり気にしてます?」 それから、わたしは先刻の衝撃体験を思い出しながら、乾いてきた自分の唇を指で擦っていると、夢叶が遠慮がちに尋ねてくる。 「まぁ、ファースト・キスだったし……」 こんな形で喪失する為に今まで大切に取っておいたのかと思えば、泣きたくもなってはくるけど。 「本当にゴメンなさい。私がもっと……」 「あんたが謝るコトじゃないでしょ?大体、私がもっと何だってのよ?」 ただ、気にしていないと言えば確かに嘘にはなるけれど、もう覆水盆に返らずってハナシであって。 「ううっ、私がもっと早く……」 しかし、それでも夢叶の方は悔やんでも悔やみきれないのか、本当に悔しそうに肩を震わせながら言葉を続けていき……。 「だから、もういいってば。考えたら無防備すぎたわたしが悪……」 「もっと早く、私が美幸ちゃんの唇を奪っていれば……ッッ!」 それから、逆に気の毒になってきたわたしがフォローを入れ終える前に、両拳を握りしめながら魂の叫びをあげる夢叶。 「だ〜〜っ、責任を感じる方向が違うっ!」 言うに事欠いて、一体何を口走りやがりますか、このド変態天使様は。 「私、決めました!もうこれからは自分に遠慮することなく、校内だろうが何処だろうが、全力で美幸ちゃんを落としてみせます!これ以上、私のっ!美幸ちゃんのはじめてを奪われてなるものですかっ」 そして、夢叶は燃えさかる炎を背景に開き直り宣言してしまうと、使命感に燃えた強い意志を込めて、がしっとわたしの手を掴んだ。 「……あのね。それじゃ十六夜さんと大差ないじゃないのよ?」 というか、天使サマ自身じゃなくて、このわたしに遠慮して欲しいんですがね。 「いいんです。私はちゃんと責任を取るつもりですからっ!全身全霊を尽くして、必ず美幸ちゃんの一生を幸せなものにしてみせますっ!」 「あ、あはは……そりゃどーも……」 もしかして、あの堕天使の方は初めてのキスを奪うどころか、夢叶のヘンなスイッチまで入れてしまいましたか? (……今度会ったら、真っ先に文句を言ってやるんだから) まぁ、出くわさないならそれに越したことはないし、今の夢叶もちょっと位は頼もしいかなーと思わないでもないんだけど、ね。 第四章 存在意義 「それじゃ美幸ちゃん、ちょっと行ってきますね?……ホントは美幸ちゃんとずっと一緒に居たいんですけど、私を待っている人達がいますから」 「いえいえ、どーぞお構いなく。後でたっぷりと差し入れしてあげるから楽しみにしてなさいな」 やがて週末を控えた金曜日の四時間目終了後、手早く出かける準備を整えながら、申し訳なさそうに声をかけてくる夢叶に、わたしは少しばかり意地悪な視線を向けながら、軽く手を振って送り出してやる。 「ううっ、結構ですよぉ。今度『差し入れは御遠慮ください』って張り紙しようと思ってますし……」 「だったらいっそのこと、寸志って形で少しでも拝観料を取っちゃえば?」 有料化することで行列の緩和に繋がったり、案外その方が気兼ねなく相談できるって人もいそうだし。 「いえ、それは教室をお借りする際に交わした約束違反ですし、元々私がやりたくてやっている事ですから。前にも言いましたが、私は皆さんが相談に来てくださるだけで嬉しいんです♪」 すると、わたしの冗談半分の提案に夢叶は満面の笑みを浮かべてそう答えると、鼻歌混じりに教室を出て行ってしまった。 「ただ、自分の力で喜んでくれる人がいるだけで満足な性分、か……」 本人が好きでやっているんだから、確かに他者が気に病む話はないんだけどね。 「いや〜、本当に聖人君子って感じだねぇ、夢叶ちゃんは」 「そうそう。あのピュアな笑みは、まるで天使みたいだよね〜?」 (……まぁ、実際に天使様だし) その後、近くにいたクラスメート達が口々に夢叶を称賛する声を聞きながら、心の中で突っ込みを入れてゆくわたし。 もっとも、全ての天使が夢叶みたいな性格なのかってまでは知り及ぶトコロじゃないけど。 「ホントよかったわね、ゆっきー。あんな気立てのいいカノジョに惚れられて」 「うんうん、あそこまで美人で底なしの優しさも備わっているコなんて、探してもなかなかいるもんじゃないわよ、ヒメ?」 「……でも、実は結構みゆっちの内心はフクザツだったりしない?『ホントはあたしだけの為に占っていればいいのよ!』ってカンジで」 「違うよー。みゆちゃんはその分、二人きりになった時に思いっきり甘えてるんだよね?」 「あのね……別に、まだ独占欲なんて感じる間柄じゃないってば」 やがて、夢叶の姿が見えなくなるのと同時に矛先がこちらの方へ向き、これまた好き勝手な台詞を口々に浴びて苦笑いを返すわたし。 (……というか、まだニックネームが固まってないからって、バラバラの好き勝手に呼ばないで欲しいんですけどね) 正直、わたしの方が誰に言っているのか分からなくなってくるし。 「…………」 ともあれ、十六夜さんに初めての唇を横取りされたのがよっぽど悔しかったのか、遠慮しない宣言が出た火曜日の翌日から、転校初日にわたしと交わした約束は何処へやら、夢叶は本当に遠慮無く学校にいる間はわたしの側にべったりと張り付いて離れなくなってしまった。 (ほんと、効果はてきめんだったわねー……) すると、あっという間に夢叶がわたしにベタ惚れ中と知れ渡り、今ではすっかりとクラス内で公認のカップル扱いとなっていた。 (……まぁいいんだけどね、別に……) それでも夢叶の人徳か、あくまで友情の範囲内として解釈されているのか、はたまた女子校だからなのか、わたしが心配していた奇異な目で見られて居心地が悪くなるということはないみたいだし。 (いや、やっぱり夢叶の人徳なのかな……?) むしろ、女の子同士なのに祝福ムードっぽいのは、夢叶が幸せそうな顔を見せているのがクラスメート達にも嬉しく思えているからなのかもしれない。 「とにかく、神月さんっていつも自分の事は棚に上げて、他人の為に汗を流して笑みを浮かべている子だったからね。いいお友達でもいいけど、大切にしてやりなさいよ?」 「はぁ……」 ……という、この何度目かになる片桐さんの言葉がそれを裏付けている訳で。 「まぁいいわ。んじゃ、私達は飲み物でも買ってくるから、美幸と理霧(りむ)は机のセッティングをお願いね?」 「分かった……。でも、妙なモノは買ってこないでよ?もう生ぬるいコンニャク入りお汁粉なんて買って来ても、わたしお金払わないからね?」 それから話も一段落したところで、改めて残った仲良しグループでお昼を食べる支度をしようと仕切ってくる片桐さんに、わたしはジト目を向けて釘を刺しておく。 「あれは新入りの儀式みたいなものよ。今日はちゃんと別の許せるギリギリのラインを見繕ってくるから。じゃ、行きましょ若菜(わかな)?」 「はーい」 すると、片桐さんはわたしに意味深な言葉とウィンクを返したかと思うと、悪巧みをする人の顔を浮かべたまま、楽しそうに教室を出て行ってしまった。 「別にウケなんて狙わなくていいから、普通にホットのお茶を買ってきてってば……」 この片桐さんは見た目こそ生真面目な優等生……いや、実際に成績優秀だしクラス委員もやっているから本当に基本は真面目な優等生なんだろうけど、反面で物事を普通に進めるのが嫌いという、タチの悪い部分を持っているのが玉に瑕だった。 (……というか、みんな何かしらの個性があるわよねぇ、ここの人たち) 類は友でも呼んでいるのか、転校してから夢叶経由で仲良くなったこの新しいクラスメート達は、見た目で突飛な人はいなくても、内面では結構な曲者が揃っていたりして。 片桐さんは既述したとして、彼女に同行していった若菜ちゃんも夢叶がわたしにラブアピールしてくるたびに目を輝かせたりと、女の子同士がベタベタいちゃいちゃするのを見るのが大好きという、ちょっと(?)変わった趣味を持っているみたいだし。 そして……。 「まったく、千恵子(ちえこ)ちゃんの趣味にも困ったものだよね、ゆきちゃん?ああ見えて芸人気質でもあるのかなぁ?」 「……わたしにしてみれば、理霧もどっこいどっこいだけどね」 ともあれ、片桐さんが出て行った後で自分も役目を果たそうと席を立ったところで、教室に残ったもう一人のメンバーに声をかけられ、肩を竦めながら首を横に振って見せるわたし。 ……いや、むしろ厄介さで言えばこの子の方が遙かに上かもしれない。 「え〜?どうしてぇ?あたしのどこが困ったものなのよ、みゆみゆ〜?」 「その、喋るたびにコロコロと呼び名が変わる所がよ。……というか、頼むからみゆみゆだけはやめて……」 既に何種類のバリエーションがあるのか把握しきれていない自分の呼び名なものの、さすがに許容しがたいものが出てきたところで、わたしは額を抑えて頭痛を感じている仕草を見せる。 この、快活な不思議系少女の理霧は本当に直感だけで生きてる子というか、片桐さん達曰く、「時に神の閃きを持つ」とその第六感は称賛されているものの、気分次第でバラバラなニックネームを付けて人を呼ぶという、ちょっと変わってるというかぶっちゃけはた迷惑な癖があった。 ……というか、わたしのニックネームが未だ定まらずに好き勝手呼ばれている原因の殆どはこのコのせいだし。 「そっかなぁ?みゆみゆはみゆみゆで可愛いと思うけど?」 「だから、連呼しないでよろしいっての。また誰かが真似するでしょ?」 「よっ、みゆみゆ〜?」 「お約束どーも……っ!」 そして、期待に応えて(?)近くのクラスメートが呼びかけてきたのを受けて、首を向けながらツッコミを入れるわたし。 (は〜〜っ……) ……ただまぁ、それでも悪目立ちだろうが、クラスの中でぽつんと孤立しているよりは遥かにマシとも言えるんだけど。 転校生ってだけで勝手に自分の周りに人が集まってくるのは漫画の中だけか、よっぽど何か特色のある人だけで、普通は話すきっかけを掴めないままで埋もれてしまいがちだし。 (まったく、友達を選べないってのも転校生のつらい部分よね……) ただ、夢叶の友達だけあって基本的にはみんな親切でいい人達ばかりだから、そういう意味での不満は無いんだけど。 「…………」 「……ところでみゆりんって、やっぱり夢叶ちゃんと契約を結んじゃったの?」 「へ……?」 しかし、そんな新しい友人関係について考えながら机を移動させてゆく中で、不意打ち気味に理霧から予想外の話題を切り出され、わたしは思わず手を止めてしまう。 正直、みゆりんも勘弁して欲しいけど、それは置いておくとして……。 「二学期の頃と比べたら、今のカナちゃんは恋する乙女というか、もうゆき姫しか見えてないって感じだしね。どんな馴れ初めで仲良くなったのかな?」 「えっと……どうして、契約のコトを?」 先日の十六夜さんにも正体込みで驚かされたけど、まさかこんな身近にも訳知り顔で接してくる人がいるとは思わなかった。 一応、夢叶が天使ってのはわたし以外には誰にも告げてないらしいんだけど……。 (……それとも、これが理霧の持つ神の閃きって奴?) だとしたら、本当に恐るべしである。 「どうしてって、私の彼も天使様だもん。だから同じオーラっていうか、雰囲気で分かるの」 すると、肯定する代わりに驚きの表情を返すわたしへ、理霧は自分の左手に填められたアクアマリンっぽい宝石が乗った指輪をちらつかせつつ、涼しい顔で種明かしをしてくる。 ……いや、種明かしというよりは、わたしには爆弾発言にも等しいのだけど。 「彼って……つまり、理霧には守護天使がいるってこと?」 「うん、彼氏兼、守護天使様♪」 そこで声を潜めて確認するわたしに、ひまわりの様な笑みを見せながら、無邪気に頷いてみせる理霧。 どこをどう穿った見方をしても、嘘をついている風には見えなかった。 「へ、へぇ、そうだったんだ……?」 「うんっ♪」 正直、守護天使なんてこの街の人間では自分だけが知ってる言葉とすら思っていたのに、まさかこんな身近な所に”先輩”がいたなんて。 ……というか、わたしはまだ候補に過ぎないだけに、既にその向こうへ踏み込んだ人がいるってのは親近感よりも驚きしかなかった。 「んじゃ、理霧は守備天使の契約を結んだんだよね。どんな感じだった?」 「え〜、どんなカンジだったかなんて……もう、みゆみゆのえっちぃ♪」 ともあれ、それならそれで好都合とばかりにわたしが質問を向けると、理霧はまるで恥ずかしいコトでも訊ねられたかの様に頬を赤く染めて、小さな身体をモジモジとよじらせていく。 「え、えええ……?なにその反応……」 まさか契約って、えっちぃコトなの? 「だって、ふたりの魂の波長が一番シンクロした時に宣誓の儀を済ませないとならないみたいだから、どうしてもその為にお互いを高めようと思ったら……ね?」 「……あー……」 それから、理霧の言葉を元に自分たちに置き換えた光景を想像すると、わたしの顔にも熱がこもってくる。 ……でも確かに、それが一番てっとり早く親密になれる方法なのかもしれないし、夢叶もその機会を窺ってるフシがあるというか、現に温泉スパだと色々悪戯されちゃったしね。 「でも、尋ねてくるってことは、みーちゃんはまだなんだ?まぁ女の子同士だもんねぇ」 「う、うん……。一応、自分が納得できないうちはお断りって感じなんだけど、そういうコトするんだ……」 これじゃ、色んなイミで結婚してくれと言われるのと大差ない気はする。 「ふーん。でも、ゆかちゃんのコトはもちろん嫌いじゃないんでしょ?」 「まぁ、それとこれとは別問題だからねー。色々情報不足だし……」 とりわけ、自分が納得に達していない理由の半分はこれである。 「ん〜……だったら、あたしの彼にでも会ってみる?」 すると、腕組みしながら天井を仰ぐわたしに、気まぐれ姫は最後の机の移動を済ませた後でこれまた思ってもみなかった提案を向けてくる。 「え、いいの?」 「うん。もしユメちゃんに直接聞けない質問とかを抱えてるなら、聞いてみたらいいよ」 「(す、鋭い……)そうねぇ、せっかくの放課後の時間を邪魔していいのなら、お願いしちゃおうかな?」 そして、理霧が続けた言葉に思わず舌を巻いてしまうものの、有り難い提案には違いないので、素直に頷くわたし。 夢叶には悪いけど、ちょうど放課後はフリーだから都合もいい。 「あはは、別にそんな気を使わなくてもいいんだよー。どうせ、あたしと彼はこれから死ぬまで一緒なんだし」 「そういうものなの?」 「そういうものらしいよ?交わした契約の期限は、あたしの命が尽きるまでだから」 「命が、尽きるまで……」 だったら尚更、安易に受けちゃいけないってワケですか。 * 「あ、こんにちは。それとはじめまして。僕は凪風郁実(なぎかぜいくみ)といいます」 やがて迎えた放課後、理霧と一緒に待ち合わせ先に向かった公園では一人の青年が既に待っていて、わたし達が到着するや、自己紹介と共に深々と頭を下げてきた。 「これはどうも、ご丁寧に。わたしは姫宮美幸と申します……って……」 そして、受けたわたしも自己紹介しつつ頭を下げようとしたところで思わず動きが止まると、そのままじっと相手を見据えてしまう。 「……?どうかしましたか?」 「いや、まさか女の子……じゃないよね?」 郁実と名乗った理霧の守護天使は、夢叶と似た優しさに溢れる雰囲気を纏いながらも、中性的で可愛らしい顔立ちをしていて、体つきも男性の割には小柄で華奢な為に、わたしでなくても初見は一瞬どちらの性別なのか迷ってしまいそうだった。 (……もしかして、天使って皆こんな感じなの?) とりあえず、瞳の色が蒼いのは共通しているみたいだけど。 「……すみません。確かに女性と勘違いされることもありますけど、僕は一応男です」 「あはは、そうですよねぇ?こちらこそ失礼しました……」 「もう、ゆっきーってば人の話聞いてた?」 「いや、別に忘れてたってわけじゃないんだけど……」 それから、郁実くんと理霧の二人からそれぞれツッコミを受けて、苦笑いしながら頭を掻くわたし。 事前に理霧の口からはっきり“彼氏”と聞いていたのに、どうも夢叶と知り合ってからというもの、わたしの頭の中はどこかズレてきているみたいだった。 「そもそも、守護天使は対象者が男性の場合は女性の、女性の場合は男性の天使が付くのが通例ですから」 「ええ?でも、夢叶って確かに女性だった……わよねぇ?」 一緒にお風呂も入った仲なんだから、今更そこは疑っても仕方がない。 「そうですね。ハニエル様……いや、夢叶さんはれっきとした女性の天使です」 「んじゃ、なんでわたしを選んだのよ?」 別に、この街には男の子がいないワケでもあるまいに、夢叶は確かにわたしを対象者と告げた。 ……いくらなんでも、今さら何かの間違いでしたってコトもないとは思うんだけど。 「さぁ、その辺は僕にも。そもそも、あの方に関しては良く分からない事だらけですし」 「そっか。まぁ、それはいいとして……」 「みゆりんは、いくいくに質問したいことがあるんだよね?」 「質問っていうか、確認しておきたいって類のものばかりだけどね」 それから、頃合いを見計らって本題を切り出してきた理霧に、わたしは肩を竦めて見せる。 別に夢叶から聞いた話を本気で疑ってるわけでもないけど、自分が納得できる理由を探している以上、聞ける対象が他にもいるのなら、多方面から聞いておきたいってのが本音であって。 「確認、ですか?」 「ええ。……まず、守護天使ってのはラプラスだか情報センターだかで、予め候補者をリストアップした後に派遣されるシステムになっていて、わたしはそのうちの一人だって夢叶から聞かされたんですけど、これって本当なんですか?」 「夢叶さん向けのリストに載っていた人物までは分かりませんけど、システムに関しては本当ですよ。僕も天界中央情報センターのラプラス・エンジンで人間界へ降りる前に候補者をリストアップしてもらい、結局理霧を選んだって言ったらおこがましいですけど、意気投合した結果にそうなったカタチです」 というコトで、早速わたしが最初の質問を向けると、こちらの曖昧だった部分を補足しながら事実と認める郁実くん。 「結構、勝負は早かったよねー?」 「そうだね。理霧が僕をすぐに受け入れてくれたから……」 「だって、最初に郁実を見た時にビビっと来たんだもん。あ、この人はあたしの運命の相手だって」 そう言って、嬉しそうに学校でも見たアクアマリンの指輪が光る手で、理霧は郁実くんの腕をぎゅっと抱きしめた。 「あはは、なんだかごちそうさま……?」 恋する乙女にありがちな非論理的な主張だけど、理霧が言えば妙に真実味を感じられるのが面白かったりして。 「みゆみゆは、夢叶ちゃんに会ってそういうの感じなかった?」 「ん〜、わたしはまぁ綺麗だなーと思ったくらいで特には……。夢叶の方は何か感じたみたいだけど」 だから、ひと目惚れしたなんて言ってきたんだろうし。 「そっかー。だからまだ迷ってるんだ?」 「迷ってるというか、特に必要を感じられないしね……」 ぶっちゃけ、夢叶と一緒なのはそれなりに楽しいとしても、わたしの方はこのままいいお友達同士でも充分といいますか。 「どっちでもいいなら、とりあえず受け入れちゃえば?」 「うんまぁ、そうなのかもしれないけどねー……」 なんか、それも癪に障るというか、不思議なくらいに抵抗感を覚えていたりして。 「……いえ、心に引っかかりを感じているのならば、しっかりと熟考された方がいいとは思います。どの道、心が研ぎ澄まされないと契約の儀式も成立しませんから」 「やっぱ、そうなりますよねぇ……。んじゃ、とにかく夢叶がわたしに言ってきた話は本当って認識でいいんですね?”証”も見せてもらったし信じてなかったわけじゃないですけど、あまりに現実離れした内容ばかりで、正直どう受け止めたらいいのか戸惑ってたし……」 「確かに、嘘は言っていないと思います。思いますけど……」 それから、とりあえず裏も取れてホッとしつつ念を押すわたしに、郁実くんは語尾に曖昧さを残す言葉を返してきた後で、考え込む仕草を見せる。 「思うけど、何か?」 「……いいえ、あの方はあの方なりに色々と思うところがあるのだと思います。僕も一度、夢叶さんが守護天使に志願したそれらしい理由を聞いた事はありますけど、それは理解出来るつもりですし」 「それらしいって、どんな理由だったんですか?」 「……すみませんが、それは貴女が夢叶さんから直接聞いて下さい」 「そっか……」 口調は遠慮がちながらも、そう告げる郁実くんから強い意志が込められているのを感じたわたしは、それ以上は尋ねられなかった。 「うんうん、悩み始めると止まらないもんだよね〜。だからあたしは、自分の直感を信じてスパっと決めてるんだけど」 「でも、理霧はもう少し良く考えた方がいいと思う……」 そこで、場の空気が重くなりかけたフォローのつもりなのか、言葉通りに何度も頷きながら横槍を入れてくる理霧に、郁実くんは苦笑いを向ける。 どうやら守護天使といえど、この直感姫の行き当たりばったり加減には苦労させられているみたいだった。 「ええええ、今さらそういうコトいうかなー?」 「あはは、まぁまぁ……。それともう一つ聞きたかったんですけど、守護天使って具体的に何をしてくれる存在なんですか?対象者が最も幸せな未来へ進める様にサポートしてくれるってのは聞きましたけど、漠然としすぎてピンとこないというか」 「言葉で説明するなら文字通りなんですが、実際はそんな大袈裟なものではありませんよ?一緒に居られるうちは側で小さな支えになってあげて、居られなくなった後は頭上から見守りつつ、ささやかな幸運、つまり”加護”を分け与えるというだけです」 それから、ふと痴話喧嘩の流れに向きかけたのを苦笑い交じりに制止してわたしが次の質問を向けると、郁実くんはやや自虐的に頷き返しながら答えてくれた。 「……ささやかって、どの程度まで?」 「つまり、あくまで守護天使がサポート出来るのは、各個人に生まれつき定められた運命チャートの中で分岐する可能性未来の話です」 「つまり、わたし達って生まれながらに行き着く先が決められてるってこと?」 たとえば、わたしと夢叶との出逢いとか。 「いえ、“運命”とは人が生まれた直後は無限に近い可能性分岐が存在していて、時の経過や本人の変化と共に少しずつ絞られてゆくものですから」 「……あー、なるほどね……」 当たり前といえば当たり前の正論だけど、なんかちょっと耳が痛いような。 「それで、僕達が干渉出来るのは、現状で残っている可能性の範囲内ということです。チャンスを引き寄せたり、その時に一番力を発揮出来る様に気持ちを落ち着かせたりして」 「……だけど、その時点で存在しない分岐を無理に付け加えたりってのは、他人のチャートを狂わせてしまうからダメだと」 「そういう事です。……だから、寿命を迎えた対象者を守護天使が延命する様な行為は許されず、深き想いゆえに道を外してしまった守護天使も過去には存在したと聞きます」 そして、その後で「人間にとっての天使の寿命は、殆ど無限にも等しいですから」と付け加えてくる郁実くん。 「は〜……」 ともあれ、これについても以前に夢叶が言っていた内容と一致しているみたいだけど……。 「……でも、ちょっと立ち入ったコトを聞くようですけど、その先に悲しみが待っていると覚悟しながら、あなたはどうして守護天使になろうと?」 「僕ですか?僕は天使としての存在意義を求めて、です」 それからわたしは遠慮がちに、これを最後にするつもりで一番尋ねたかった質問を向けると、郁実くんはやや曖昧な口調とは裏腹に、迷う事なく即答してくれた。 「存在意義?」 「だって、天使とは愛する者の守護者ですから。僕は今、理霧の守護天使になって凄く実感させてもらっているんです。特に何かしてあげているわけではなくても、僕が理霧を守りたいと願い、そして彼女にも必要とされている。天使にとって、これ以上幸せなコトは無いじゃないですか」 「夢叶も、そうなのかな……?」 誰かに必要とされてこその天使。 それは、確かに夢叶が恋愛相談室って形で体現しているわけで。 「あの方と僕とでは立場が違いすぎるので、肯定も否定も出来ませんけど。……でも、同じく守護天使を志した身ですからね」 「うんうん。きっとゆかちゃんもみゆっちに必要とされたいって願ってるんだよ〜」 「そっか……」 ……でもやっぱり、まだピンとこないのよねぇ。 必要とされると言われても、何か助けて欲しいコトがあるワケじゃないし。 「…………」 いや、郁実くんの言っている意味は、多分そんなんじゃないってのも何となく分かってはいるんだけど……ね。 * 「……言いたい事はそれだけか?釈明にもなってないぞ?」 そう言って、夢叶のすぐ前に立つ長身の男性は、ただでさえ鷹みたいに鋭い目を険しくさせながら、眼下の相手を睨みつけるように見下ろしていた。 表情にはそれほど感情を映していないみたいだけど、口調や目つきからして、この男性は相当怒っているみたいである。 「別に、十夜(とうや)に言い訳なんて最初から通じるとは思ってないし、ワザワザ考える無駄な時間の方がもったいないでしょ?」 対して、その視線を向けられている相手の方は全く意に介さないとばかりに、殺気混じりの鋭利な言葉をさらりと受け流してしまう。 ……どうやら、夢叶の方は怒られる筋合いなんて無いとばかりの素っ気無い態度を見せていて、互いに反目とまでは言えないとしても、両者の間に溝があるのは明らかだった。 「居直るんじゃない、まったく……お前にも困ったものだな?」 その後、諦めたように溜息を吐く男性は二十代半ばから後半辺りだろうか、痩せ型で長身、ファッションセンス的には飾りっけは無いものの、「クール」って言葉が良く似合う彫りの深い端正な顔立ちをしていて、間違いなく“イケメン”の類ではあるんだけど、表情に乏しく目つきが怖いので、あまり夢叶に紹介してもらいたいと思うようなタイプじゃなかった。 「困る理由(ワケ)なんて無いでしょ?許可は正式に受けて来てるんだから」 「俺が言っているのは、そんな今更な決定事項の是非じゃない。……まったく、いつまで経っても遊び呆けて候補者を探さないと思えば、今度はそれか。戯れも大概にしろ」 「……別に、遊び呆けていたわけじゃないもん。この場でずっと探し続けていただけよ」 「それこそ、怠慢の言い訳にしか聞こえんが?」 「ま、貴方が私の行動をどう受け止めようが自由だけど、ただ戯れというのは取り消してもらえるかしら?人の気も知らないで」 ともあれ、そうこうしているうちに今度は夢叶の方が、以前に十六夜さんと対峙した時に見せたような険しい目で相手を睨み返す。 (……事情は知らないけど、険悪な空気ね?) わたしはそんな二人を見比べながら、これまでの経緯を簡単に思い出しつつ、最初の印象をリセットさせていった。 「…………」 * 郁実くんと会った二日後の日曜日――つまり今日の事だけど、わたしは朝も早くから、夢叶とはじまりの広場で待ち合わせをしていた。 というか、普段学校であれだけベタベタされてるんだし、わたし的にはわざわざ休日にまで一緒にいる必要もない気はするものの、だからとって他に用事も無いし、夢叶には先日の土曜日に丸一日かけて転校前との授業進行の隙間を埋める臨時家庭教師をしてもらった恩もあるので、そのお礼という意味も含めてデートのお誘いを了承したわけだけど……。 「……あれ、いない?」 しかし、広場の入り口まで辿り着いた時、いつもの噴水前に夢叶の姿は見えなかった。 (まだ来てない?……ってのは、あの子に限ってありえないわよねぇ?) そこで、噴水の近くに設置されている時計を見上げて時刻を確認すると、今は待ち合わせ時間の十分前。 初めて逢って以来、今までここで何度か待ち合わせはしてきたけれど、いつもならそろそろ大声でわたしの名を呼ぶ声が響いて恥ずかしい思いをさせられるのに。 「ん……?」 しかし、それから周囲を見回していくうち、ひと気の少ない広場の隅に夢叶ともう一人、見たことのない男性が並んで何やら熱心に話し込んでいる姿がわたしの目に映る。 (夢叶……と、誰?) まさか、この期に及んで「実は彼氏持ちでした〜てへ♪」なんてオチはあるワケないよねと思いつつも、男性の方が一方的にちょっかいを出しているのではなく、まるで今日は自分とじゃなくてあの人と約束していたのかと思うぐらいに自然と会話しているのが引っ掛かったわたしは、様子を伺う為にこっそりと近づいていくコトに。 (いや、なにをコソコソとしてるんだろう、わたし……) 夢叶とは約束していて、もうその待ち合わせ時間なのだから堂々と顔を出せばいいのかもしれないけど、一体どんな話をしているのかも気にはなったし……ね。 * (……と、盗み聞きを始めて現在に至るってわけだけど……) どうも、最初の親しそうって印象はちょっと違うみたいだった。 「戯れじゃない方が余計にタチが悪いんだよ。この前はワザワザ候補者の一人を連れて来てやったのに、取り付く島もなく無碍にしちまいやがって」 「仕方が無いじゃない?好みじゃないというか、ピンと来なかったもの。というか十夜こそ、そういうお節介はルール違反なんじゃないの?」 「……だからって、どうしてあの娘なんだよ?俺には理解出来ない」 ともあれ、とりあえず知り合いらしい男性は夢叶からの素っ気無い返答を聞いたところで、とうとう頭を抑えながら項垂れてしまう。 どうやら、夢叶に何かを言い聞かせるのに相当手を焼いているみたいだけど……。 (……あの娘ってのは、わたしのコトだよね?) えっと、よく分からないけど、もしかしてわたしってばなにやら失礼なこと言われてる? 「十夜が理解出来なくても問題は無いでしょ?当事者同士が解り合えてさえいれば」 「……そうは言うがな、お前がそんなだから魔界の連中が不審に思って動いた挙句、結果的にあの娘を巻き込んでしまったんだろうが?先日、評議会の議題にも上がったみたいだぞ」 「う……それを言われると痛いかも。少なからずも、美幸ちゃんの心に傷を与えてしまったわけだし……」 どうやら夢叶は今も気にしているのか、痛い所を突かれたとばかりに、唇を噛みしめながら表情を落としてしまう。 (まだ引っ張ってんのね、あのコ……) 一方でわたしの方は、忘れてしまえるほどじゃないとしても、いつまでも引きずったりはしていないつもりなんだけど。 「しかも、奴……十六夜鞘華は特命を受けて派遣された工作員ではなく、天界の動きを監視する為の駐在エージェントだぞ。つまり、お前がこのまま好き勝手を続けるなら、奴との接触が今後も続く可能性は高いと言わざるをえない」 「……大丈夫。私の沽券に賭けて二度と美幸ちゃんには手出しさせないから」 「俺が心配しているのはそんな問題じゃない。事を荒立てるなと言ってるんだ、ハニエル」 それから、決意を込めた真剣な目つきで頷く夢叶に、相手の男性の方はぴしゃりと釘を刺しつつも、大きな溜息を吐いてみせた。 「それも分かってる。……でもとにかく、私はもう守護天使になる相手は決めたの。美幸ちゃん以外には考えられないし、他の候補者なんて眼中にも無いから」 (夢叶……!) 「……まったく、一体何がお前をそこまで駆り立てるんだろうな?」 「実は私にも、時々分からなくなる時があるんだけどね。でも……」 「……でも、何よ?」 「美幸ちゃん?」 そこで、口ごもった台詞の続きを促しつつわたしが静かに二人の前へ姿を見せると、夢叶は驚いた顔を浮かべて動きを止めた。 「わたしとしても、ぜひ続きが聞きたいわね?」 「んふっ♪もう後戻りが出来なくなる代償を伴う覚悟があるのなら、いいですよ?」 「え……?」 しかし、そこから問い詰めるつもりが逆に意味深な質問で返されてしまい、今度はわたしの動きが止まってしまう。 「……成る程、お前が件の姫宮美幸か」 そして更に、そんなわたし達に割り込む形で男性が近付いてくると、今まで夢叶を見ていた威圧感たっぷりの鋭い視線を、今度はこちらの方へと向けてきた。 「…………っ」 遠くから見ていた時も結構怖かったけど、こうして間近で見下ろされると相手の眼力から来る迫力が何倍にも増して、蛇に睨まれたカエルのごとく足がすくんでしまうわたし。 「まったく、困ったものだな……」 「あ、あの……その……すみません……?」 それから、さっき夢叶に言ったものと全く同じ台詞を向けられ、わたしは反応に困った末に平謝りするしかなかった。 (や、やっぱり出て行くんじゃなかった……?) それから、自分のおこがましさと浅はかさを悔やみ始めたものの……。 「と〜うぉ〜や〜?!私のっ、美幸ちゃんを怯えさせるんじゃないわよッッ!!」 「ぐわぁ……っ?!」 しかし、そんな怯えるわたしの姿を見て瞬時に怒りを沸騰させたらしい夢叶が、ギロりと鋭い殺気を込めた視線を向けながら彼の足を強く踏みつけると、十夜と呼ばれた男性の表情が痛みに歪んでゆく。 「まだ、あんたのモノになった覚えは無いっての。……それより、約束の時間はとっくに過ぎているのに、いつまで話し込むつもりよ?」 「はうっ、ゴメンなさい……私は約束の二時間前には来て待っていたのに、この目つきの悪い男の人に絡まれて、延々と付き合わされていたんですよぉ」 ともあれ、夢叶の反撃で金縛りから解放されたわたしが、もう大丈夫という意思表示込みでため息混じりに咎めてやると、ヘンタイ天使様は態度と声色をコロっと豹変させて甘えるように言い訳してくる。 「絡まれてって、どう見ても知らない相手には見えないけど……」 「あのな……今日は定期報告の日でもあるだろうが……ぐっ……っ」 すると、そんな夢叶に十夜と呼ばれていた男性は、まだ痛みに顔を引きつらせて足取りもフラフラとさせたまま横槍を入れてくる。 ……どうやら、ヒールを履いているにも関わらず、夢叶の奴は本気で串刺しにするくらいの勢いで踏みつけたらしかった。 「定期報告?」 「……いちいち説明するのは面倒くさいな。夢叶、お前が簡潔に教えてやれ」 「はいはい、まずこのお邪魔虫さんの名は御剣十夜(みつるぎとうや)といいます。何だか思春期の男の子がカッコいいと思って付ける様な名前ですよね〜?ださ」 「黙れ。何も考えず適当に付けたお前に言われる筋合いは無い」 そして促されるがまま、ぞんさいな口調で名前を紹介した後で、口元へ手を当てながら失笑する仕草を見せる夢叶に、心外だとツッコミを入れてくる御剣さん。 ……こういう場面を見れば、結構仲良さそうなコンビにも見えるんだけどね。 「まぁ、名前のセンスでとやかく言う気はないけど……つまり、御剣さんも天使様ってことですか?」 「ああ。この馬鹿の同僚だと思ってくれていい。ただ、俺はお目付け役だがな」 というコトはこれで三人目になるけど、もしかして天使との遭遇って思ったよりレアリティ低い? ……もしくは、夢叶との出逢いから連鎖してるのかもしれないけど。 「馬鹿は余計でしょ?まぁ、お目付役と言っても別に何するわけでもなくて、時々こうやって暇つぶしにちょっかいを出してくる程度なんですけどねー。……でも、今回はちょっと気に障る事も多かったし、愛する彼女の雪音(ゆきね)さんに、あるコトないコト言いふらしちゃおっかな〜?」 「勝手にしろ。それに、何をするわけでもないうちが花だろうが」 「……まぁね。でも、それには及ばないから安心して?」 「だといいがな……。俺としては、お前が最後まで自分の立場を忘れないのを祈るだけだ」 「自分の立場を忘れていないからこそ、今回は凄く重要なミッションなの。それは理解してくれているんでしょ?」 「まぁ何もお前が、とは思うがな。いや……お前だから、なのか?」 「んふふふ、さぁね〜?」 「…………」 (結局、殆ど会話に付いていけてないんですけどね、わたしゃ) それでも、わたしの守護天使になりたいって夢叶の意志は固いものの、その同僚である十夜って人は、何だかあまり快く思ってなさそうという位は分かったけど。 「それで、えっと御剣さん、さっきの“困ったもの”ってのは、どういう意味なんですか?」 「……いや、先程の発言は取り消しておこう。全てはこの馬鹿が悪いのであって、お前に罪は無い。威嚇する様なマネをして悪かったな」 ともあれ、わたしも何とか会話に入ろうと質問を向けると、御剣さんは少しの間を置いた後で、こちらへ軽く頭を下げながら非礼を詫びてきた。 「はぁ……」 ただ、罪は無いと言われても、わたしには罪を犯した心当たりそのものがないワケで。 「余計なコトは言わないの、十夜。今の私はただ美幸ちゃんの守護天使になりたいだけ。それ以上でも以下でもないんだから」 「お前なぁ……本当に本気なのか?」 「あら。何だったら、今から証明して見せるけど?」 そこで未練がましく念を押してくる御剣さんに、夢叶はニヤリと口元を歪めて見せた直後、こちらへ飛びつく様に突撃してくる。 「うわっと……っ?!」 しかし、そんな展開が何となく読めていたわたしは咄嗟にバックステップで避けると、そのまま抱きしめようとした夢叶の両手は空を切って、顔から地面へと沈んでいった。 「うう〜っ、美幸ちゃんってば堕天使なんかにはあっさり唇を奪われたくせに、私に対してのガードは固すぎる……」 「おだまり。まったく、油断も隙もあったもんじゃないんだから」 その後、冷たい地面に全身を張り付かせたまま恨めしそうな声で抗議してくる夢叶に、肩を竦めながら突き放してやるわたし。 大体、既に初めてを奪われたからって、花も恥らう乙女が易々と許してなるものですか。 「成る程。……まぁいい、何にせよ未達成のまま帰還する羽目になるよりは遥かにマシだろうからな。当面は自分の立場を好きなだけ乱用していろ」 ともあれ、そんな夢叶の姿を見て御剣さんも諦めたのか、憮然とした顔で頭を掻きながらも、溜息混じりに渋々と受け入れた。 「あはは……。その言い分だと、夢叶が随分とワガママなコにも聞こえますね?」 「実際、天界きってのワガママ姫だからな。今後も色々と振り回されるかもしれないが、その気があるのなら付き合ってやってくれ」 そして、苦笑いを浮かべるわたしに疲れた様子でそう告げると、御剣さんは軽く手を振りながら立ち去っていってしまった。 (その気があるなら……か) 「別に私、ワガママじゃないもん……」 それから、見送った御剣さんの背中が広場から消えた後で振り返ると、夢叶は未だに起きあがらないまま、拗ねた口調で呟いてくる。 (へいへい……) さようでございますか、夢叶お姫様。 「……ほら、みっともないから、いい加減起きあがりなさいって」 それから、このワガママ姫が何を求めているのか察したわたしは、彼女の前でしゃがんで手を差し伸べてやりながら、母親が言い聞かせる時のようにそう告げた。 「えへへ、美幸ちゃん大好き〜♪」 すると、待ってましたとばかりにわたしの手を取って顔を上げると、お日様の様な満面の笑みを見せてくる夢叶。 「まったくもう、駄々っ子かあんたは。……ほらほら、顔とか汚れてるじゃない?」 さっきの御剣さん相手の時と比べて口調からして態度が違うし、ホントにバカなんだから……。 わたしは小さく溜息を吐くと、ポケットからハンカチを取りだして、夢叶の顔に付着した砂や埃を丁寧に落としてやる。 「にへへ……」 「ほら、ここちょっと擦りキズが出来てるし、あんまりアホなコトやってたら美人が台無しよ?」 ……それはまるで、何とか親の気を引こうとする子供のようにも見えて、ちょっとだけ母性本能に響いてしまったのは内緒だけど。 「あはは。たまにはちょっと甘えてみたいな〜とか思いまして」 「人の夢を叶える夢叶でも、やっぱり疲れてしまう時はあるってこと?」 確かに天使とはいえ、与えてばかりじゃ一方的に干上がっていくだけだしね。 「別にそんなコトはないですよ〜?……けど、何故か美幸ちゃんにだけはそんな気持ちになってしまうというか」 「似た様な台詞は前にも聞いたわよ?でも、わたしにとっては口説き文句になってないけど」 「……いいえ、これは紛れもない本音ですよ?先程十夜に言った、『自分でも時々分からなくなる』って類の」 そこで、またいつもの口説きタイムかと軽く流そうとしたわたしに、夢叶は茶化さないでと言わんばかりの真顔に戻してそう告げてくる。 「夢叶、やっぱりあなたは……」 「これってやっぱり、私には美幸ちゃんで間違いなかったって事ですよね♪こんな素敵な出逢いを下さった“主”に感謝しませんと」 「…………っ」 そして、夢叶はひと通り顔を拭き終わったわたしの手を改めて取ると、思わずドキっと胸が高鳴ってしまう程に綺麗で澄み渡った天使の笑み(エンジェリック・スマイル)を見せた。 * 「……しっかし、何だかいきなり疲れちゃったわね。今日は絶好のお散歩日和なのに」 それから、近くのベンチへ移動して二人並んで腰をかけたしばらく後で、お日様の照る青空を眺めながらぼんやりと呟くわたし。 主な原因となったのは、やっぱり御剣さんからの威圧感だけど、まぁ見ていた限りだとあの人も夢叶に振り回されて苦労しているみたいだし、ちょっとだけ親近感みたいなものも感じていたりして。 「それじゃ本日はこのままここで、まったりと一日過ごします?」 「げっ。何が悲しくて、こんな寒い日に」 確かに天気は晴れだけど、季節的には最高気温が二桁行くか行かないかの一月である。 現に今も、夢叶の提案に脱力しながら、小刻みに手を擦れ合わせたりしているわけで。 「でしたら、もう少しだけここにいて、お昼からまた温泉スパにでも行きませんか?」 「……なによ、また背中を流すのを口実にセクハラしようっての?」 確かに、あの温泉スパそのものは結構気に入ってるんだけど、夢叶の場合はわたしとは微妙に目的が違うから困りものだったりして。 「あはは、そう言われてしまえば身も蓋もありませんけど……んじゃ、私の部屋に来ます?」 「こらこらこら、提案が更に図々しくなってるじゃないっ」 「だって、基本的に今日は私の希望を優先してくださるんですよね?」 「うっ、この悪魔……っ」 というか、一瞬だけ夢叶の笑みから邪悪な気配を感じて、背中からはしっぽみたいなのも見えた気がするんだけど、果たして気のせいでしょーかね? 「……あら、呼んだかしら?」 すると、わたしの台詞に反応して不意に背後から声がしたかと思うと、本物の悪魔の人がひょこっとベンチの裏から顔を出してくる。 「ひっ?!ゆ、夢叶ぁ……っ」 「だ、大丈夫です美幸ちゃん。もう二度と美幸ちゃんには指一本たりとも触れさせませんからっ」 「あらあら、美幸ちゃんと私は初めてのちゅーを交わした仲なのに、そんなに嫌わなくてもいいじゃない?お姉さん寂しいわぁ」 その姿を見た瞬間、反射的に夢叶の後ろへ隠れてガタガタと震えるわたしに、クスクスとからかう様な笑みを浮かべてくる十六夜さん。 「ううっ、無理矢理奪っていった癖に……」 「ふふ、だってあまりに美味しそうだったからつい……ね。だけど、あの濁りのない極上の精気をもう一度味わわせて貰うのは、ちょっと難しそうかしら?」 「……ええ、今度は命懸けになりますよ?お食事なら、その辺のレストランで済ませた方が余程安上がりだと思いますけど?」 ともあれ、十六夜さんの方はどこまで本気か分からないものの、昔のアニメの主人公みたいに指をポキポキと鳴らせながら据わった眼で睨む夢叶の方は、既に臨戦態勢へと突入しているみたいだった。 まぁどうやら、夢叶でも敵わないというコトはなさそうなのは助かるけど……。 「もう、血の気が多いんだから。あなたも天界じゃ評議会の連中に煙たがられているんでしょ?ここでトラブルばかり起こしていたら、足下を掬われるわよ?」 「評議会が何を思おうが、私の知った事ではありません。大体、そのトラブルを起こして追放された堕天使の言葉とも思えませんし」 「言うじゃない。あなたも気づけば排除される羽目になってしまったって事態にならなければいいけどね、当代ハニエル様?」 「……あのそれで、十六夜さんはわたし達に一体何の用なんですか……?」 それから、二人が何やら自分の知らない世界の言い合いを始めたのを見て、存在を忘れられる前に恐る恐る割って入るわたし。 仲が悪くて白熱するのは勝手だけど、わたしだけ置いてけぼりにされても困るんですが。 「用と言われても、たまたま見かけたから声をかけたのだけど、迷惑だったかしら?」 「迷惑です」 すると、惚けた様子で尋ね返す十六夜さんに、ぴしゃりと即答してしまう夢叶。 さっきはわたしに身も蓋も無いと言っていたけど、夢叶の方も人のコトは言えないみたいである。 「ふふ、随分と嫌われたものねぇ?まぁそれもまた楽しからずや、だけど」 しかし、そんな夢叶の反応に対して十六夜さんは気分を害した様子もなく、むしろ唇に指先を当てながら、楽しんでいるかのような妖しい笑みを浮かべてくる。 「……っ、い、行こうか夢叶っ」 「ですが、堕天使に挑発されて尻尾を巻いて逃げ出すというのも、天使としては……」 そして、その視線から何とも言えない寒気を感じたわたしは、手を添えた夢叶の肩を強く握って促すものの、対峙する天使様の方は未だに睨み合いを止めようとはしなかった。 「ああもう、どこでも夢叶の行きたい所に付き合ってあげるからっ」 「ほほう、美幸ちゃんにそこまで言われるのならば仕方が無いですねぇ♪……という訳で、どうやらあなたに構っている時間は無くなったみたいなので、これにて失礼します……!」 しかし、わたしが苦し紛れにそう言ったのをきっかけに、夢叶はまたしてもコロっと態度を変えてしまうと、逆に自分から手を引いて歩き始めてしまった。 (げ、現金なやつ……) というより、もしかしたらわたしからそのセリフを引き出す為にゴネたんじゃないでしょうね?とか勘ぐってしまったりして。 「あらあら、あなたもこちらの住人の素質があるんじゃないかしら?」 「外野が煩いですよ。……というか、前から思っていたんですけど、堕天使が日の高いうちからあまりウロウロしないでもらえます?」 「へぇ、日が落ちてからならば好き勝手させてもらってもいいのかしら?明けの明星さん?」 「……どの道、ここは中立地帯ですから。互いに強い制約で縛られているはずです」 「ふふ、そう願いたいわね?」 「行きましょう、美幸ちゃん……これ以上ここに居ても意味がありませんから」 「だから、さっきからそう言ってるのに……」 相手にしないって言ってる割には、しっかりと挑発に食いついているじゃないのよ。 ……まぁ、それが天使と悪魔の関係ってものなのかもしれないけど。 * 「ねぇ夢叶、そういえば天使様ってこの街にいま何人ぐらい来てるの?」 やがて夢叶のアパートを目指して街路を並んで歩いてゆく途中、わたしはふと聞きそびれていた質問を思い出して尋ねてみる。 「今は私と郁実くんと、十夜の三人だけです。近頃は守護天使になりたいなんて物好きな天使は少なくなってしまいましたから」 「つまり、連続して次々と出てきたけど、これで一旦は打ち止めか。……んじゃさ、夢叶はどうしてその物好きな天使の一員になったのよ?」 どうせまた、守護天使を受け入れてくれた後で全て話すとでも言ってくるんだろうけどさ。 「……また、どうしての話ですか?美幸ちゃんって、事あるごとにそればかりですねぇ?」 すると、予想していた反応とは違って、珍しくわたしに呆れた風な顔を向けてくる夢叶。 まぁ、言われてみれば確かにそうかもしれないけど……。 「だって、実際分からないコトだらけなんだから仕方がないじゃない?わたしにひと目惚れした理由も含めてさ」 一応、真偽については今さら疑う気はないとしても、それが全ての不可解を払拭するかというのは別問題である。 「初めて出逢った時から理由ばかりを求めて、そんなに私が怖いですか?」 「こ、怖いって……」 頭の中にそんな言葉を思い浮かべたつもりはないし、言い回しとしても滑稽だと思うのに、わたしは何故か痛い所を突かれた様な心地になってしまう。 「確かに、私達はこの世界では浮いた存在ですし、美幸ちゃんも得体の知れないモノへの戸惑いは簡単に払拭出来ないとは思いますけど……」 「別にそんなんじゃなくて、展開が急すぎて時々理解が追いつけなくなっちゃうの。これがもし、夢叶とわたしの立場が逆だったら、同じように質問攻めにしてると思うけど?」 もしくは、わたしが脳天気な男の子だったら、こんな綺麗な女の子に惚れられたってだけで舞い上がって、他のコトは全部どうでも良くなってしまってたかもしれないけど。 「まぁそう言われれぱ、確かに否定は出来ないかもしれませんが……」 「でしょでしょ?だからわたしは……」 「……でも、誰かを好きになるのに理屈が必要ですか?」 「う……っ」 しかし、そこで真顔の夢叶から心に突き刺さる必殺の殺し文句で射抜かれ、歩く動作ごと言葉を止められてしまうわたし。 「もし、どうしても理由が必要と言われるのなら、美幸ちゃんの可愛いらしい顔はいつ見ても食べちゃいたくなるとか、何だかんだで私とのコトを真剣に考えてくれていたり、また誠意に対して誠意で返してくれるところとか、色々挙げられるとは思いますけど」 「え?あ、うう……」 「それでも、多分一番しっくりとくる理由を言葉なんかで説明出来ないのが、きっと“ひと目惚れ”ってものなんだと思います」 「で、でもさ……」 「猜疑心に囚われずとも、美幸ちゃん自身が感じている感情は全てが真実だと思いますし、それを否定する必要なんてありません。そんな中で、無意識に小さな理由から切り捨てていき、最後に残った大きなものを選び取って明確化させてゆくものですから」 「うう、むむ……」 続けて、今度は夢叶から大真面目に次々と言葉を畳み掛けられて、わたしは恥ずかしいやら困惑するやらで、押される一方だった。 「……まぁ、美幸ちゃんとはあれこれと言葉を交わすよりも、やっぱりもっとお肌を重ね合わせた方がてっとり早いかもしれませんねぇ?」 「…………っ」 そして最後にそう締めくくった後で、夢叶がさっきの十六夜さんみたく指先を口元へ当てつつ、「ぐふっ」とイヤらしい笑みをこちらへ向けてきたのを受けて、わたしの背筋にゾクゾクっとした感覚が走ってゆく。 (……ええと、わたしは本当にこのままノコノコと付いて行って大丈夫なのかしらん?) いやまぁ、逃げようにもわたしの右手はしっかりと繋がれているんだけどさ。 次のページへ 前のページへ 戻る |