の言わぬ魔王様 その2

第二章 心に翼を持つ少女

「…………」
「……お嬢様、食が進んでおられない御様子ですわね?」
(んー……)
 よくも悪くも驚きに満ちて騒がしかった夜も明け、気疲れはありながらも何だかんだで普段どおりに起床したわたしだったものの、ぼんやりと重たい頭の中は、寝起きのハーブティーを飲んでもすっきりしないままだった。
「御気分が優れないのでしたら、本日は午前中だけでも謁見中止にしておきましょうか?」
「…………。(ふるふる)」
 そこで、フローディアが気を利かせた提案をしてくれたものの、気だるい頭をゆっくりと横に振るわたし。
「承知致しましたわ……。でも、あまりご無理はなさらないでくださいね?」
「…………」
 無理しないでと言われても、どうせほとんど玉座に座っているだけのお仕事なんだから、体調なんてさほど関係ないわけで。
「ちなみに、昨晩の件に関しては、この私が直接指揮を執って調査中ですので、どうかご安心なさってくださいまし」
「…………」
「……既に、新入りメイドに扮してお嬢様を襲った刺客には尋問を開始させて背後関係を、侵入者についても魔王家付の特務機関へ捜索命令を出しておりますわ。……ただ、出来れば内密のうちに処理してしまいたい案件なので、少しばかり難航するかもしれません」
「…………。(こくっ)」
 暗殺未遂については不安だから早めに解決して欲しいけど、信じて待つしかないか……。
「……尤も、侵入者の方に関しては、昨晩に本人が言っていた「度胸試し」が本当なら、あれからもう帰って行ってしまった可能性も高いのですが……」
「ただいずれにせよ、彼女(リコリス)がここまでやって来た経路は追いかける必要がありますわね。昨日も申し上げましたが、あの戦い以降、人間界と魔界を行き来する正規のルートはもう存在しないハズですから」
「…………」
(勇者リコリス、か……)
 それから期せずして、昨晩わたしに会いに来たという勇者が見せていた、ひまわりのような笑顔が脳裏に浮かぶ。
(わたしが父(とと)さまから魔王を引き継いだのと同く、勇者も代替わりしていたなんて……)
 あれから、改めてフローディアに本物なのかと尋ねたところ、胸に光っていた最高位の精霊使いの証であるメダリオンに、先の戦いで先代勇者が父(とと)さまにトドメを差した聖魔剣を腰に差し、そして何より背中に具現化させていたあの翼まで揃っては、疑う余地なんてないんだそうで。
 ともあれ、そうなれば魔王であるわたしにとって、彼女は最大の宿敵というコトになるんだけど……。
「……ただ、こちらの方も無理に隙間をこじ開けて行き来させる場合もありますから、勇者の方も単独で強引に潜り込む方法の一つや二つは持っていても不思議ではないのですけど、それにしても昨晩の行動は不可解と言えますわね……。聖霊の命でも受けて、プルミエ様の暗殺を目論んでやってきたというのならば、由々しき事態ながらまだ理解は出来ますが……」
「…………。(こくり)」
 むしろ、暗殺どころか危ないところを助けてもらって、敵意よりも親近感のほうが芽生えてきてしまったし、もういちど会いたい気もするんだけどね。
 ……せっかくだから、ささやかなお礼にご飯くらいはご馳走したかったし。
「まぁ、どちらにしても捕獲に成功した暁には、私自らがねっとりと尋問して全てを吐かせる所存ですわ。勇者だろうが年端も行かぬ少女の身で、単身ノコノコと魔王様の寝室へ飛び込む我が身の愚かさをたっぷりと調……もとい、教育して差し上げませんと。うふふふふ……」
(こらこらこら……)
 また、フローディアの悪い癖が発動しかけちゃってるし。
「…………」
(……でもホント、どこにいるんだろう……?)
 今ごろ、お腹すかせてなきゃいいけど。

                    *

「……ぶえっくしょいっっ!」
「う゛〜っ、昨晩ずっと森をウロウロしてたから、風邪引いたかな?」
 やがて、街路を歩いている途中で突然に襲ってきた悪寒とくしゃみで、思わず立ち止まって身震いしてしまうあたし。
 今朝は暖かな陽気が包み込んできてるというのに、誰かが噂でもしてるのだろうか。
(……ま〜、心当たりは充分だけどね。へっへっへっ)
 なんせあたしは、とびっきりの親不孝者ですから。
「ん〜〜〜〜っっ」
 それから、くしゃみと悪寒のどちらも一度だけで治まったのを確認してあたしは大きく背伸びをすると、再び歩みを進めてゆく。
 特に急ぎの用事は無いけれど、勇者に立ち止まりは似合わない……なんちて。
「はー、しかしいい天気だねぇ……」
 ともあれ、魔王ちゃんの寝室から飛び降りた後に宮殿裏の森へと着地して、そこから追っ手をくらませながら帝都の市街へ入った時は既に夜が明けていて、今のあたしは活気と賑わいに溢れる市場通りの人ごみに紛れながら、見物がてらにアテもなく移動していた。
「……しっかし、改めて見ると、街並みはそんなに変わらないみたいやねぇ」
 一応、ハッキリと分かる違いとして、半獣人だったり角や翼が生えてたりの多種多様な種族が闊歩しているものの、食材や衣装、原料や雑貨などのあらゆる物が忙しなく交易されている風景自体は、うちの地元とそう大差はない感じだったりして。
 ……なんてゆーか、魔軍の所為で魔界って聞くと物凄く物騒なイメージがあったのに、辺りの空気は騒がしくも暖かみが感じられて、晴天に恵まれた空も青く澄み渡っているし。
(今更だけど、魔界にもちゃんとお日様は照るんだ……?)
 拍子抜けといえば拍子抜けだけど、やっぱり真実なんて自分の目で確認しないと分からないものみたいだった。
(……まぁけど、パパの話の方は本当だったか……)
 あたしと似た年頃の女の子が魔王をやっていて、その側には先代の側近だった、魔界最強のガンナーが付いてるってのは。
(あの、おっかないおねーさんが、魔将の一角である“魔銃”のフローディア……)
 どうやら、昨晩は当てる気が無かったみたいで助かったけど、本気で狙われたら危ないかな?
 見た目はいかにもお嬢様って感じでなかなか綺麗だった割に、油断したら蜂の巣にされてしまいそうな殺気を放っていたし。
「…………」
(けどまぁ、いっか……)
 パパの時代と違って、今は無理にやり合う理由もなければ、直接追いかけてくるコトも無いだろうしね。
 しかも、今は白昼の街中だし。
「……んじゃーま、せっかくだから少しお店でも回ってみますかね?」
 さすがにそう何度も来られる場所じゃないだろうし、帰ったら間違いなく叱られるだろうから、記念品とご機嫌取りのお土産でも漁って……。

 ぐぅ〜〜っ

 しかし、そこできょろきょろと周囲の物色を始めたところで、こっちの方が先だとばかりに、お腹の虫が音を立てて鳴き始めてきた。
「うう、その前に腹ごしらえ、か……」
 そーいえば、昨晩にこっちへ来てから、まだ何も食べてなかったっけ。
 秘密の抜け穴で転送された先が宮殿裏だったから、そのまま駆け上っちゃったし。
(……へいへい、分かったわよー)
 まずは、ごはんごはんっと。

                    *

「さーて、これからどうすっかなー……」
 やがて、通りに並ぶお店の一つを適当に選んで入り、見たことのない名前の料理を直感で選んで注文した後で、あたしは賑やかな喧騒の中で確保したテーブルに頭をうつ伏せながら、空腹で鈍った脳みそを回して今後のコトを考え始めてゆく。
 とりあえず、魔王ちゃんには逢えて度胸試しは成功だし、当面の目的はいきなり達成できちゃったんだけど……。
(……でも、ホントにあんな女の子が魔王やってるんだ……)
 しかも、あたしが偶然に居合わせなきゃ、ナニやら危なかったみたいだし、余計なお世話だろうがちゃんとやっていけてるのかなーと心配になってきたりして。
 ……あの魔将だって、プルミエちゃんの護衛の割には来るのが遅かったよね?
「…………」
(……ん〜……)
 まあ、未熟者で大丈夫か?と心配されるのはお互い様だし、それにだからこそ、こうやって興味が沸いてここまで来ちゃったんだけど……。
「…………」
「…………」
(はぁ、お腹ペコい……はやく来ないかなぁ……)
 そして、あたしは料理を待つ間の空腹逃れも兼ねつつ、ここまでの経緯を思い返していくことにした。

                    *

「へへ〜ん!どうだ、取ったった〜っ!てカンジ?」
「……おいおい。まさかと思ったが、本当にお前が俺の後釜になっちまったのかよ」
 四年間にも及ぶ聖霊様のもとでの長くも苦しい鍛錬の日々を乗り越え、家へ戻った早速に書斎へ乗り込み、支給された装備一式でおめかししつつ、勇者の証である聖魔剣エクスプライムを両手で掲げて見せたあたしへ、パパは仕事の手を止めて珍しく驚きの表情を見せてくる。
 生まれ故郷が魔軍に破壊されて孤児となり、ウォーディス戦役が終わった後で勇者ラグナス・アーヴァインに養子として引き取られたあたしが、とうとう次代を襲名した瞬間だった。
「ホントにって、あたしを鍛えて聖霊様のもとへ導いてくれたのはパパじゃないのさ?……というか、今思えばそうなる予感がしたから、あたしを拾ったのかなって気もしてるんだけど」
 今から約五年前、二人で戦いの軌跡をたどる旅を続けながら、自らの勇者時代の武勇伝を小説として綴った『ウォーディス戦記』が当たった事がきっかけで、この街で作家としての永住を決めると同時に引退宣言したパパは、勇者に憧れて勝手に修行ごっこしていたあたしへ、仕事の傍らに剣の使い方や世界に存在する七種のエレメントについて教えてくれ始めたのに。
 そして、先代勇者の課したトレーニングを一年ほど続けてへこたれなかったあたしを見て、「そこまで本気なら、いっちょ試してみるか?」と、秘密の鍛錬場への紹介状を書いてくれたのが、今こうして実を結んだワケで。
 ……ちなみに、これは実際に鍛錬場へ行ってから知らされたんだけど、パパが務めていた「勇者」というのは、人間界の守護神にして七大元素を統べる存在である聖霊様よりエレメントの力の結晶である聖魔剣と無制限の加護が与えられた、異世界からの脅威に対抗する切り札の事で、代々の成り手は先代が後継者候補を見つけて推挙するケースが殆どらしいし。
「別に、そんなんじゃねーさ。魔王を倒した帰り道に養子を迎える事は決めたが、お前を選んで引き取ったのは、せめてもの償いのつもりだったんだよ。……何せ、お前の故郷のレシウスは俺が戦った戦地で最も悲惨な被害が出た町だったからな」
 しかし、そんなあたしのツッコミに対して、机の上で湯気を立てていたコーヒーカップを手に取りながら、懺悔でもする様に告白してくる先代勇者様。
 まぁ、それでもあたしの方は命の恩人として、感謝の気持ちばかりなんだけど……。
「ぶっちゃけ、あたし一人だけだったしねー、あの戦いで生き残った子供って。んじゃ、戦い方を仕込んでくれたのは?」
「一応、聖霊との約束だったんでな。やりたがってる奴にはチャンスを与えてやれって」
「そういえば、あたしも聖霊様から、求めているのは何よりやる気だって言われたっけ」
 さすがのあたしも、本当にそれでいいのかと半信半疑だったものの、確かに何度失敗しても立ち上がる限りは「いい覚悟です」と、むしろ褒めてくれながらデキるまで続けさせられたものだった。
「得体の知れない者達との戦いでは、相手に飲まれない意志の強さが大切になってくるのもあるが、何より報われない役目だからな。聖霊の加護を受けた勇者とはいかなる勢力にも属さない、自由な立場であることが義務付けられるから、富とか名声などは縁遠くなりがちなんだよ」
「あー、確かに……」
 ウォーディス戦役で次々と絶望的な戦いを覆して魔軍を退けていった「勇者」の噂は瞬く間に広がり、やがて魔王を倒した後は世界を救った英雄として知らぬ者はいないくらいの存在になったとしても、パパに出版の話を持ちかけた古い友人などのごく一部を除いて、「ラグナス・アーヴァイン」という名前を知ってる者は少ないだろうしね。
 ちなみに、そんな自由戦士である勇者の主な収入源は、聖霊様(正確には、その協力者)から出るお給料だけど、その水準はこの地方を治めているグランディール王国の騎士よりも遥かに低いらしいし。
「だから正直、可愛い我が子にはあまり勧めたい職業でも無いんだが……」
「でも、なっちゃったもんねー?……はぁ、この溢れんばかりの自分の才能が憎い……っ」
 だけど、あたしにとってはおカネなんて結構どうでもいい問題で、これでやっと勇者ラグナスの娘として胸を張れるのが、何より嬉しかった。
「……コラ、調子にのんな。本来“勇者”ってのは、聖霊から与えられる肩書きじゃなくて、勇者と呼ばれるに相応しい働きをした者が、人々から言い伝えられる称号なんだ」
「分かってるってば。あたしはまだ、スタートラインに立っただけって言いたいんでしょ?任せといてよ」
 実績なんて、すぐにバリバリ上げちゃいますよ、あたしゃ。
「ま、しかしそれでも、一応は平和の戻った今の時代に、勇者は必要とされてないかもしれないがな?」
 しかし、そこで意気揚々と薄めの胸を叩くあたしへ、パパは意地の悪い笑みを見せてくる。
「……う……っ」
「これも聖霊に言われたかと思うが、俺達ってのは異世界からの脅威に対しての存在であって、人間同士でのイザコザには極力関わるべきじゃない」
「……つまりだ、魔軍との戦いが一応は決着した今は、勇者といっても開店休業状態なんだよ」
「うへ……」
 まぁ、一応は分かってたつもりだけどね。
 だからこそ、パパも引退して別のお仕事を始めたんだろうから。
(……でも、それじゃちょおっと面白くないんだよなぁ……)
 たとえ、勇者がヒマな方が望ましいというのは、重々理解しているとしても。
「……やっぱりさ、勇者ってのは魔王があってこそ?」
「ふっ……。認めたくないが、それは否定出来ないかもな」
 そこで、ふと頭に浮かんだまま言葉にしたあたしの禁断っぽい質問に、パパは今度は自虐的に肩を竦めて肯定してくる。
「でも、その魔王もパパが倒しちゃったんでしょ?」
「いや、ウォーディスが倒れてそれなりの年月も経ったし、今は既に新しい魔王が即位しているハズだ。魔界にも魔界なりの秩序ってもんがあるが、それを保つ為には“王”が必要なんだよ」
 そして、「だからこそ、俺が先にウォーディスを討ち取ったことで、奇跡の一発逆転が叶ったんだ」と付け加えてくるパパ。
「ふーん……。となれば、その新しい魔王があたしのライバルってコトになるのかな?一体、どんな姿をしてるんだろ?」
 パパが戦った魔王ウォーディスは、魔人族という人間に近い種族だったみたいだけど、もし見た目で引いちゃうくらいの強烈なバケモノだったら、どうしよう?
(しかも、無数の触手とか生えてる、うねうねぐちょぐちょ系だったら……ごくり……)
「まぁ、絶対とは言えないが、もしかしたらお前と近い年頃の可愛い女の子かもな?」
 しかし、そこで想像力の限りにおぞましい姿を妄想していたあたしへパパが向けてきたのは、その真逆ともいえる、思いもよらない可能性だった。
「なぬ?」
「ウォーディス戦記でも少しばかり登場させているが、ヤツには一人娘がいたのさ。……ってそうか、決戦の章を出した時のお前は、絶賛修行中だったな」
「あはは、その間は外界とは隔離されてたからね〜。……でもそれじゃあ、その娘ってのが……」
「おう。だからもし、彼女がそのまま父の跡を継いで、次の魔王になっていたとしたら……」
「ほほーう?」
 それを聞いて、俄然興味が沸いてくるあたし。
 一応、あたしは養子だけど、互いに父親の跡を継いだ魔王と勇者か。
 ……これはゼヒ、一度は顔を合わせておきたいよねぇ?
「……ね、参考までに聞きたいんだけど、魔界って今でも行こうと思えば行けるものなの?」
「そりゃ、全く手段が無いわけでもないが……って、お前まさか……?!」
 それから、少しの間を置いた後で再び禁断の質問を向けるあたしへ、先代勇者様はコーヒーのおかわりを注ごうとする手をぴたりと止めて、呆れたような目を向けてくる。
「んふふっ♪せっかくだから、ちょっと度胸試しにって思ったんだけど」
 どうせ、こっちに居たって開店休業状態なんだしさ。
「おいおい、気軽に馬鹿なコトを考えるのはよせ。魔王がいるのは、魔界中枢の魔王宮だぞ」
「だけど、パパはそこへ乗り込んで、ウォーディスを倒したんでしょ?」
「……だが、ウォーディスの娘が魔王になっていたとして、おそらく魔将の生き残りが傍らに付いているハズだ。俺は直接戦う機会は無かったが、魔銃を持つ魔界最強のガンナーがな」
「あはは、だいじょーぶ。あたしは逃げ足だけは得意だし」
「そりゃ頼もしい話だが、得意げに言うコトでもないな……。とにかく、お前も勇者になったんだから、女だからとか言う気は無いとしてもだ、蛮勇は勇気にあらずで、無謀なのが一番困るって教育されなかったか?」
「だって、あたしは誰かさんの娘ですから♪」
 単身で魔王宮パンデモニウムへ正面から乗り込んでしまう程の。
「……ダメだ。大体、お前はまだ勇者になったばかりのヒヨッコだろうが。大事な跡取りにはまだまだ教えてやらなきゃならん心構えが沢山あるし、せめて自分や相手の力量をちゃんと見極められる様になるまでは、俺のもとで大人しくしているんだ。いいな?」
「ふぇ〜〜い……」
 と、その時点では一応は引き下がって見せたんだけど……。

                    *

(結局、こうして本当に来ちゃいましたとさ。にひっ♪)
 ……ってコトで、あたしも親不孝な不良娘だという自覚はあるんだけどね。
「ほい、おまちどうさま」
「おおっ、まってましたっっ」
 それから、ようやく注文した料理がいい匂いをさせて運ばれて来たのに反応して、即座に頭を起こしてフォークを握り、臨戦態勢を整えるあたし。
 とにかく、何をするにも、まずはお腹を満たしておかないと。
「……うをを、うめぇ!」
 そこで早速、メインディッシュが乗った大きなお皿の上で湯気を立ち上らせながらいい焼き色をしたお肉をひと切れ口に運ぶと、今まで食べたことがない味付けながらも、思わず言葉に出てしまう旨みが口の中へ広がってくる。
 メニューを詳しく見ても知らない食材ばかりで不安もあったけど、これは間違いなく大当たりだった。
「ん〜っ、この付け合せのサラダもいい……っ!」
 こちらも未知の食感の野菜で、真っ赤なドレッシングが見た目的にはちょっとアレだけど、なかなか癖になっちゃいそうな感じ。
「うむ、ふむ……」
 まぁ、パンだけはあんまり変らない感じだけど、でも風味がやや違うかな……?
(ん〜っ♪やっぱさ、勇者って冒険しないのは損だと思うんだよねー)
 こうやって、こっそりと魔界へ入り込んだりして、こんな新鮮でおいひい巡り合わせも味わえるんだから。
(いっそ、食べ歩きとかやってもいいかなー。お金が続けばだけど)
「…………」
(でもって、どーせならあのコも一緒に……は無理か)
 そして、続けてそんな妄想を始めたところで、自然と昨晩に出逢った小さな魔王の姿が頭に浮かんでくるあたし。
 ……やっぱり、今のあたしが一番気になっているのは、本来の目的の方みたいだった。
「しっかし、ホントに可愛いかったなぁ……」
 小柄であどけなさの残る可愛らしい顔立ちに、手入れの整ったさらさらで綺麗な金色の髪。
 更に、全然喋らないかわりに身振り手振りで何かを伝えようとする必死な仕草や、常に不安げな深紅の瞳は弱々しくも可憐という言葉がぴったりで、こうして思い出すだけで抱きしめたくなる衝動にかられたりもして、正直、「魔王」というイメージからはかけ離れているんだけど、それがまた余計に興味をそそられてくるというか……。
「むぐ、むぐ……」
(……それに、なんとなく他人とは思えない気もするんだよねー)
 握った手はすべすべで柔らかかったけど、ちょっと力を入れすぎたら折れてしまいそうな脆さを感じたし、何だか放っておけない気にさせられてしまうカンジだった。
「……ん〜……」
(やっぱ、もう一度だけ、会いに行ってみようかな?)
 一応、当初の目的は華麗に達成済みだし、あの魔将ガンナーさんがもう一度見逃してくれるとも思いにくいから長居は無用なんだろうけど……でも、このまま帰るのはどうにもすっきりしない。
 また叱られる種は増えてしまうとしても、あたしはもう一人前の勇者なんだから、決めるのはあくまで自分の意思である。
「……ほひ、ひめた」
 次のミッションは、「可愛らしい魔王サマを抱きしめて頬ずりしてくる」、としよう。
 ちょっと難易度高そうだけど、まぁやりがいはあるかな?
「……あぐ……っ」
(おし、そうと決まれば早速……)
「ん……っ、ごちそーさま。おばちゃんおいしかったよー」
「あいよ、どうもねー。800バランいただくよ」
「へいへーい……」
 ともあれ、プルミエちゃんのコトを考えているうちに料理をすっかりと平らげたあたしは、ご馳走様を告げて立ち上がると、ごそごそとポーチの中を探って財布を取り出し、会計を……。
「……げ……っ?!」
 済ませようとしたところで、今更ながらとんでもないコトに気付くあ・た・し。
「…………」
(……そういえば、こっちのお金を用意してなかったっけ?)
 お財布の中には、世界標準通貨として使えるグランディール王国発行のガルド硬貨は各種入っているものの、当然、世界が違うこの魔界でそのまま使えるハズもなく。
(やば……)
「…………」
(あ、でも……。金貨は相応の価値はあるかな?)
 お財布に二枚だけ入ってる一万ガルド硬貨は純金製だし、パパから聞いた話だと、魔界でも金や宝石類は高い付加価値が付いているものらしいから、これで何とかならないかしらん。
 ……さすがに、魔界とはいえ勇者様が食い逃げなんて、カッコ悪すぎるしね。
「えっとさ、これ金貨なんだけど、こんなので支払いってダメかな?」
「ん〜……どれどれ?」
 というコトで、あたしは小さな溜息の後で金貨を一枚差し出すと、支払いを待っていたエプロン姿の太ったおばさんは、興味深そうにそれを受け取ってまじまじと観察し始めていった。
(お……。なんとかなっちゃうかな?)
 門前払いはされなかったし、この際はおつりが出ないのは覚悟するしかない。
(けどそうなったら、食事一回で一万かぁ……)
 上手くやりくりすれば、この一枚で月の食費が賄えちゃうけど、まぁこういうのも冒険の思い出になると思えば……。
「…………」
「……あんたこれって、もしかして人間界で使われてる通貨なんじゃないかい?」
 しかし、やがて品定めを終えた後で顔を上げてきたおばさんは、怪訝そうな目を向けながら、足下を見られるよりも更に痛いトコロを突いてきた。
(げげ……っっ)
「まさかあんた、昨晩に宮殿へ忍び込んだという……」
「やば……っ!」
 まだ半日も経っていないハナシだし、そもそも大っぴらにはしないんじゃないかと油断してたけど、しっかり手配は回っていたらしい。
 そこで、あたしは逃げようと即座に身を翻したものの……。
「うおぅ……っ?!」
 時既に遅しで、あっという間に周囲を取り囲まれていた。
「……まったく、若い身空でいい度胸してるじゃないか?それとも、人間ってのはみんなそうなのかい?」
「いや〜はは……若さゆえのアヤマチ……かな?」
(あっちゃ……しまったなぁ……)
 結局、準備不足の代償は、金貨以上に高くついてしまいそうだった。

                    *

「……それで、無銭飲食容疑で捕まったというワケですか、貴女は」
「んはは、何とかお金は払おうとしたんだけど、まさかのボロが出ちゃったというか……」
 やがて、昨晩の気疲れがでて玉座に座ったままウトウトし始めてしまった昼下がり、衛兵長からの唐突な報告を受けて、フローディアと一緒に宮殿地下牢の独房棟へと足を運んでみれば、そこには昨晩に出逢った勇者の女の子が、鉄格子の前で頭をかきながら苦笑いを見せていた。
「正直、もうとっくに逃げ帰ったと思っていましたのに、まだ何か用事でも?」
「だって、あたしのお腹に住む妖精さんが、せっかくだから魔界の料理を食べたいってピーピー鳴いてたんだから、仕方ないじゃないのさー」
「まったく……。間抜けすぎて馬鹿にする気すら起きませんわね……」
「…………」
(えっと……。なんなの、この展開……?)
 朝ごはんの時にもう一度会いたいとは願ったけど、まさかこんな形でかなうなんて。
(……でも、やっぱりお腹はすいてたんだ……)
 ちょっとかわいそう……かも。
「しかし、報告では特に抵抗する素振りも見せないまま衛兵に引き渡されたとの事ですが、力ずくで振り切って逃げようとはしなかったんですの?」
「まぁ悪いのはあたしだし、囲んできたのも普通のお客さんばかりだったから、さすがにねー。それに……」
 そしてそこまで言ったところで、再びわたしの目の前に現れた勇者は、思わせぶりな視線をこちらへ向けてきたかと思うと……。
「……それに、なんです?」
「もう一度、ラブリーでキュートな魔王サマに会いたいなって。んふふっ♪」
 いたずらっぽく、片目を閉じてそう告げてきた。
「…………っ?!」
(もしかして、わたしが見にくると思って、わざと捕まったとか……?)
「…………」
 ホント、ばっっかじゃないの。
 ひとのことは言えないかもだけど、危なっかしくて見てられないんだから……。
「んで、これからあたしはどーなるのカナ?」
「……まぁ、貴女には尋問したいコトが山ほどありますけれど、処遇は今夜にでも緊急会議を開いて相談といった所でしょうか」
「…………」
 会議といっても、どうせまたわたしの意志なんておかまいなしに進められるんだろうな。
(だったら……)
「う……っ、もしかして、ギロチン刑とかもアリ?」
「あら、もし処刑されるとなれば、そんな生易しい方法で行われるワケがないでしょう?うふふ……」
 すると、嫌な予感に表情を引きつらせながら、手で首を掻っ切るしぐさを見せるリコリスに、ニヤリと残酷な笑みをうかべて絶望的な台詞を返すフローディア。
 まぁこれは、明らかにわざと不安をあおって楽しんでるなってのは分かるんだけど……。
「……っ、じ、じょーだんっっ!!」
 それでも、勇者(リコリス)の方はとても冗談に聞こえなかったのか、フローディアからの返答を聞いた途端、罠にかかったばかりの獣のように、鉄格子を握って暴れだしはじめた。
「ぐぬぬ、むぎぃ……っっ」
「はいはい、無駄ですわよ。エレメントの力を無効化する消霊石で作られたその鉄格子は、貴女の聖魔剣で斬るのは不可能ですし、ましてや力ずくで捻じ曲げようなど……」
「うう〜〜っ、けどさすがにこんなトコロで処刑されてしまうわけには〜〜っっ」
「…………」
 なんだか、わたしも見ていて楽しくなってきたけど、そろそろ話を前にすすめようかな?
 ……このまま、フローディアやほかの連中のオモチャにされるのは面白くないし、わたしの中である決心がついたから。
「ほ〜っほっほっほ、恨むのなら、自らの立場を弁えずに遊び半分でここまでやってきた自分の軽率さを恨むことですわね。何せ貴女は……え?」
 しかし、わたしはフローディアが高笑い交じりのセリフを言い終える前に牢屋の入り口まで足を踏みだすと、右手をのばして鍵を差し出すように促した。
「んお……っ?!」
「お、お嬢様……?まさか、放免してしまえと?」
「…………。(ふるふる)」
 違う。
 むしろ、その逆だった。
「…………」
「……かしこまりましたわ。今はプルミエ様が魔界の王ですものね」
 それからやがて、じっと見つめたわたしの意図を察してくれたのか、少しだけためらいの沈黙をおいた後で、フローディアは渋々ながらも牢屋の鍵を手渡してきた。
「ともかく、助けてはくれるんだよね?さっすがぁ〜♪」
「…………。(ふるふる)」
「え、違うの?」
「…………」
 べつに、昨晩助けてもらった恩返しでもなんでもない。
 むしろ、これはわたしのワガママなんだから、勘違いはしないで。
「はは〜ん。んじゃもしかして、あたしに惚れちゃったから側にいて欲しいとか?うひひ」
 すると、このマイペースな勇者は勝手な自己解釈をしながら、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みをみせてくる。
「…………」
(いや、そこまで言うつもりはないけど……)
「ちょっ、図に乗らないで下さいますかしら?!」
(……でも、近いといえば近いのかな……?)
 ただ違うのは、あなたの方がわたしの所有物になるというコトで、この鍵を開けた後も解き放たれるのじゃなく、もっと大きな籠へ移されるだけだから。

 がちゃん

「うををを、ありがとー!プルミっちゃん愛してるー♪」
「…………っっ!!」
 それから、鍵をあけてあげるや否や、牢の中から矢のように飛びついてきたリコリスが、わたしを力一杯に抱きしめてくる。
(ち、ちょっ……)
「よし、ついでにこれで次のミッションも達成〜〜っっ。ちゃららら〜ん♪」
 しかも、さらにわけの分かんないコトを口走りながら、すりすりと頬ずりまでしてきたりして。
(さすがにちょっと……うざいかも……)
 ただ、それでも決してイヤな心地じゃなかったものの……。

 じゃきっ

「……プルミエ様がお許しになられたからといって、あまり調子に乗らないでくれやがりますかしら?」
 しかし、やっぱり狼藉の時間は長くは続かず、すぐさまフローディアがリコリスの後頭部へ銃を突きつけながら、殺気混じりに制止してしまった。
「ふぇ〜い……」
「大体、安心するのは筋違いですわよ?お嬢様はこの牢へ閉じ込めておくのを免じられただけで、貴女の立場そのものは変わっておりませんもの」
「……へ……?」
「そういうコトですわよね、プルミエお嬢様?」
「…………。(こくり)」
 そして、言いたかったことを代弁してくれたフローディアに頷き返したあとで、わたしは両目を閉じて精神を集中させると、広げた右手の先に紅く発光する非物質のリングを発生させた。
 これは、魔王家と一部の魔界貴族だけが持つ、強制契約魔法。
「ナニ、それ……?」
「…………」
(ちょっとだけ動かないでね、リコリス……)
「え、え……?おわッッ?!」
 それから、リコリスがきょとんとした反応を見せている隙に、わたしが発生させたリングを彼女の首元へ近づけてやると、そのまま吸い寄せられるように装着されていった。
「な、なんじゃこれ……っ?」
「それは、お嬢様の魂の一部で作られた首輪ですわ。これを嵌められた者は生成した主と見えない紐付きの関係となり、強制的に付き従わされる運命となりますの」
「……ってぇ、コトは……」
「ええ、つまり今後はプルミエ様が手放されるまでは、貴女に自由は無いと思って下さいな。ただしかし、考え方によっては光栄な話ですわよ?」
「…………。(こくこく)」
 これは、世俗一般では「従属の首輪」と呼ばれるものだけど、実際にどんな呼称となるかは、着けられた者の心がけしだいだから。
「…………っ」
 すると、リコリスはフローディアからの説明を聞いた後で、しばらくのあいだ呆然としていたかと思うと……。
「わ……わんっ?!」
 やがて、突然にしゃがみ込んで犬のモノマネを始めてしまった。
「いえ別に、なりきらなくてもよろしいですから……」
(あはは、ノリがいいなぁ……)
 手を出したら、お手とかもするかな?
 そこで、ためしにわたしが手を差し出してみると……。
「…………」
(あ、ホントにした……)
 ちょっとかわいい、かも。
「プルミエ様も、お戯れは程々にお願い致しますわ……。でも、よろしいんですの?さすがに宮中で大きな動揺が走りそうですが」
「…………。(こくこく)」
 それから、こちらのやりとりに呆れながらも、今度は少しばかり心配そうな顔で水を向けてくるフローディアへ、わたしは迷うことなく頷きかえしてやった。
(もちろん、全然かまわないから)
 むしろ、わたしが自分からなにも動けないと思い込んでいる連中への、ささやかなあてつけのつもりでもあるんだし。
「まぁ、魔王プルミエ様がお決めになられた事ですから、どの様なご決断であれ私は従いますわ。……では、ノコノコと再び戻ってきた代償として、貴女にもしばらくお嬢様の為に協力して頂きますわよ?」
 すると、わたしの意志を確認して恭しく頷いたあとで、今度はリコリスへ向けて話を続けてゆくフローディア。
「協力?このまま番犬でもやれって?」
「とりあえず、立って結構ですから……。貴女も昨晩に見たでしょう?最近になって、不届きにも魔王であるプルミエ様を狙う輩が出てきているので、これから少しでも戦力が欲しいんですの」
「戦力ぅ?でもプルミっちゃんってさ……」
「……無論、魔王プルミエ様は魔界の民、そして魔軍の頂点に立たれる存在ですわ。しかし宮殿内の従者の中で裏切り者が出てしまった現状では、本当の意味で信用に足りる者は限られてきていると言わざるを得ません」
「…………」
(裏切り者、か……)
 ちなみに、昨晩にわたしを狙ったあのメイドは、尋問の途中に自害してしまって、結局はだれの差し金だったかは分からなかったそうで。
「とりわけ、人間界から遊び半分にやってきた、本来は敵対する存在である貴女ならば、奇妙な話ですがお嬢様を狙う者達の息が掛かっている心配は無さそうですから」
「あー、なるへそねぇ。つまり、あたしにプルミっちゃんを護れと」
「……図に乗らないでくださいな。お嬢様をお守りするのは、あくまでこの私のお役目。ただ貴女は、いざという時の盾にでもなってくれればよろしいだけですわ」
「うわ、ひでぇ……」
「…………」
 ……正直、わたしの方はそんな役割を期待してのつもりじゃなかったんだけどね。
 でも、心細くなっていたのも確かだし、まぁいいか。
「んじゃさ、あたしが開放されるのは、事件が解決した後って解釈でいいのかな?」
「ええ。用済みになるまで生き延びていられれば、ノシでも付けて送り返して差し上げますわよ。……それでよろしいですわね、お嬢様?」
「…………」
 なんだか、結局また勝手に話が進められていってるのは面白くないけれど……。
「プルミエ様?」
「…………。(こくっ)」
 でも、仕方がないか。
 どうせ、手綱はあくまでわたしが握っているんだし。
「んじゃ、これからしばらくよろしくね〜、プルミっちゃん♪」
「……それと、我らが魔王陛下へ妙な仇名を付けるのはやめていただけます?」
「え〜、いいじゃんよー?可愛いし」
「…………」
(プルミっちゃん、ね……)
 たしかにくすぐったい感じだけど、でもあだ名なんて付けられたのは、これがはじめてだった。
 首輪つきの関係とはいえ、なんだかそれだけでわたしの最初のお友達になれそうな……。
「ほらー、今プルミっちゃんも笑ったし」
「……まったく、余計なお世話かもしれませんけど、先代勇者の名が泣きますわよ?貴女、彼の娘なんでしょう?」
「あはは、まぁパパはパパで、あたしはあたしっつーコトで」
「…………っ?!」
 しかし、それからフローディアの口から出た「娘」という言葉を聞いて、脳髄に電撃が走るわたし。
(パパ……?)
 まさかリコリスって、わたしの目の前で父(とと)さまを斃した、あの勇者の……?
「とにかくまぁ、そういうハナシなら協力するけど……。その前にオフロ入らせてくんない?昨晩入れなかった上に、バタバタしてもう汗だくでさー」
「入浴なら、夜更けまでお待ちなさいな。主人より先に一番風呂へ入ろうだなんて、まったく烏滸がましいんですから……」
「んじゃ、今夜はプルミっちゃんと一緒に入ろっかなー?お近付きになった記念に」
「ちょっ、お嬢様の髪を洗って差し上げる役目は、この私だけですっっ」
「だったら、あたしは背中でいいからさー。ね?」
「…………」
「……プルミっちゃん?」
「…………」
 え、ええええええ……?!

第三章 守護者の憂鬱

「……はっ、はぁ、はぁ……っ」
 わたしは、半壊した謁見の間へ続く廊下を、わき目も振らずに走っていた。
「く……ぁ……っ」
 途中で足をもつれさせて何度も転びそうになったし、すでに目と鼻の先まで迫った目的地は、壁越しに激しい魔力の衝突が相次ぎ、地震のような揺れと轟音が鳴り響いて、いかにも危険地帯であるコトを告げてきているものの、それでも進まずにはいられない。
 ……だって、あの中では大好きな父(とと)さまが、命を賭した戦いを繰り広げているのだから。
「く……っ、お待ちください、お嬢様……!」
 しかし、開かれた扉のすぐ近くまで差しかかったところで、追いかけてきたフローディアに後ろから問答無用で抱きかかえられて、室内へ入るのを阻まれてしまうわたし。
「は、はなしてっ、フローディア……!」
「……これ以上は危険です!私は魔王陛下よりプルミエ様の御安全の確保を厳命されておりますが故に、力づくでもこの先へ進ませるわけにはまいりません!」
「で、でも……!」
「御無礼ながら、お嬢様が向かわれても足手まといとなられるだけです……敵は既に魔将の半数を討ち取り、魔王と魔軍に属する者は誰であろうと容赦しないでしょうから」
「……っっ、は、離しなさい、フローディア……!」
 だったら、なおさら……!
「ぐおおおおおおおおおおッッ?!」
「…………?!」
 それから、フローディアともみ合ってゆくうちに、謁見の間から父(とと)さまの断末魔のような叫びが響きわたったかと思うと、まばゆい光が扉からほとばしってきた。
「父(とと)さま……ッッ」
 それを見て、フローディアを引きずるようにして入り口まで駆け寄ったわたしの眼前にひろがった光景は、背中に翼を生やした勇者の剣が、父(とと)さまの心臓を貫いている姿だった。
「…………!い、いやああああああああっっ、父(とと)さま……ッッ!!」
「…………?!」
「お、お嬢様……ッ、ダメです……ッッ」
「は、離して、はな……うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ!!」
 そして、父(とと)さまの死に直面した途端に涙腺を決壊させながら、ただただ泣きさけぶわたし。
「お前は……もしや……」
「よくも……よくも父(とと)さまを……!!うああっ、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ」
 すぐに、勇者がこちらの姿に気づいて驚いた顔を見せたけど、そんなのもう関係ない。
 この姿を見て、少しでも心に傷を付けてやれればいいとすら思って、わたしは泣き続けた。
「…………」
「……くっ、お嬢様……っ、どうか今は……ッッ!」
「ぐずっ、ひぐっ、離してっっ、父(とと)さまのところへ行かせて……ッッ!!」
「な、なりません、それだけは……!」
 しかし……。
「………っっ!!………っっ」
「…………」
「……」
「お、お嬢様……?」
(……え……?声が……?)
 やがて、いつしかわたしは、泣き叫び続ける自分の声が出ていないことに気づいて……。
「…………」
「…………」
(う……ん……?)
 ふたたび目を開いた時のわたしは、静かな寝室のベッドの上だった。
「…………」
(……ふう……)
 その後で、さっきまで見ていたのは夢だと気づくまでに時間はかからなかったけれど……一体、いつぶりだろうか?あの時の夢を見てしまうのは。
「…………」
(ん……?)
「……すーっ、すーっ……」
 それから、耳元で安らかな寝息が聞こえてきたのに気づいて首を回すと、おそらくその原因になった当代の勇者が、わたしの隣で無邪気な寝顔を見せていた。
「んふっ、でゅふふふ……」
「…………」
 なんという、皮肉な巡り合わせなんだろう。
 魔王宮へ乗り込んで父(とと)さまの命を奪った仇の娘が、今度はわたしの危機にあらわれて命を助けてくれたなんて。
 ……しかも、そうとは知らないまま従属の首輪まで着けちゃったし、このモヤモヤしてくる気持ちは一体どこへ向けたらいいのやら。
「……すかー、すかーっ……」
「…………」
(なんだか、ムカつく……)
 そこで、ひとの気も知らないで気持ちよさそうに寝こけている顔がだんだんと癪にさわってきたわたしは、安眠の邪魔をしてやろうと自分の髪を適当に束ねて、その先でリコリスの鼻先をくすぐり始めてやることに。
(こうしてくれる……)

 こちょ
 こちょこちょ

「ん……ぐ……ふが……っ」
(あ、効いてるきいてる……♪)
 ほらほらー、いつまで耐えられるかな?
「…………っ」

 こちょこちょこちょ
 こちょこちょこちょこちょこちょ……。

「ひ……ん……ぐ……っ」
 すると、やがてリコリスの鼻が露骨にひくひくし始めたかと思うと……。
(お……?)
「…………っっ、ふぁ……」
「……っくっ、ぶえっっくしょいっっ?!」
 ほどなくして、女の子らしからぬワイルドなくしゃみを飛ばしながら、ようやく寝ぼすけな眼をひらいた。
「んあ……っ、な、なに……?」
「…………♪」
(ふふ、おはよ♪)
 そのあとで、上半身をのっそりと起こしつつ、一体何が起こったのか分からないといった様子で困惑しているリコリスの姿を見て溜飲が下りたものの、やっぱりこういうときに「おはよう」が言葉としていえないのはつらかった。
「…………」
「…………」
 それから、互いに目が合ったところで相手の出方を待とうと、しばらく見つめ合っていたものの……。
「……んふっ♪セキニン、とってね?」
「…………」
(うわ、うざい……)
 やがて、わざとらしく媚びたポーズを見せながら気色の悪いセリフを口走ってくるリコリスに、脱力しながらもイラっとさせられてしまうわたし。
 ……まったく、床で眠るのはかわいそうだからと思って、ベッドに入ってきたのを黙認してあげたら、これである。
「プルミエ様、そろそろ起床のお時間ですが……って……」
「あ〜おはよ〜。ちゃんと起きてるよー?」
「ち、ちょっ?!貴女、まさか昨夜はお嬢様と、ど、ど、同衾を……」
 そんな中、続けてわたしを起こしにきたフローディアが入ってくると、大袈裟に驚きながら更に騒ぎを大きくしてしまった。
「えーだって、この部屋ってベッドが一つしかないんだし、こんなに大きいんだからいいじゃないのさ?」
「そういう問題ではありません!いくら貴女がプルミエ様と離れられない立場とはいえ、その様なうらやま……もとい、身の程を弁えない行為は……!」
(はぁ、騒がしい……)
 コトあるごとに、何かやらかさないと気が済まないリコリスもだけど、それにいちいち反応するフローディアもフローディアって感じで、まったく相性がいいのか悪いのか。
「…………」
(でも、まぁ……)
 少なくとも、さびしくはなくなったかな?

                   *

「……んで、具体的に今日からあたしはほーひてればひいのかな?むぐむぐ……」
「そうですわね……。一応、昨日のうちに通告は出しておきましたし、当面はお嬢様の傍らで私の代役を務めて頂ければ」
 やがて、着替えをすませた後で朝食が始まり、早速わたしの隣の席で並べられた食べ物をほっぺた一杯にほおばりながら、今後のことを切り出すお行儀の悪いリコリスに、フローディアはテーブルの傍らに立ったまま、いつものように澄ました顔で淡々と答えていく。
 ……でも、よく見たら何か言いたげなのを、ずっとがまんしてるって感じだけど。
(そんな一気にほおばらなくても、取ったりしないのに……)
 というか、わたしの方もその食べっぷりを見てるだけで、なんだかお腹いっぱいになりそうだったりして。
「ふぁいふゃく?」
「ええ。ちょうど私の方も、別行動で処理しておきたい案件がいくつかありましたので」
「ふむふむ。んぐんぐ……」
「……ただ、当然ながら貴女に同席させるワケにはいかない場所もありますから、基本的にはその時以外でという事になりますわ」
「あぐ……っ、んっ、じゃあさ、その間は好きに宮殿内をウロウロしてていいの?」
「いいわけないでしょう……。何度も言いますけれど、貴女はもっと自分の立場を弁えなさい。今後の貴女の行動は、魔王プルミエ様の沽券にもかかわりますのよ?」
「ふぁ〜い……もぐもぐ……」
(まぁ、わたし的には好き勝手にしてもらっていいんだけどね……)
 危ないことはして欲しくないけど、むしろかき回してくれたほうがなんだか面白そうだし。
「はー、んじゃ、その間はプルミっちゃんの部屋で昼寝でもしてるかな……」
「それも、よろしいワケがありません!……まぁ、派手に騒いだりとか、怪しまれる様な行動を慎めばよろしいだけですわ」
「そう言われてもなぁ……むしゃむしゃ」
「……ちなみに、その首輪がある限り、貴女が何処にいるのかは常に把握されておりますので、努々お忘れなきように」
「ちぇー。やっぱりしばらくはプルミっちゃんの飼い犬なのね、あたしゃ……んぐんぐ……」
「…………」
 そういえば、自分の愛娘が宿敵に首輪を着けられて飼い犬になるのを強いられてると聞かされたら、わたしの仇はくやしがるだろうか。
(もしかして、そういう仇のうち方ってのもあったりして……?)
 ……いやいや、そこでドキドキしてどうする、わたし……。
「理解なさっているのなら、飼い犬らしく振舞いなさいな。別にお手やお座りまではしなくて結構ですから」
「へいへーい……むしゃむしゃ……」
「……それにしても、相変わらずよく食べますわね、あなた?」
 それから話も一段落したところで、焼いた肉や卵を乗せたパンを両手にもって交互にかじるリコリスへ、とうとう呆れ顔でツッコミを入れるフローディア。
 昨日の夕食もだけど、一応は毒見役って名目なのに、殆どリコリスが食べちゃうんじゃないかって勢いだった。
(まぁ、べつにいいんだけどね……)
 わたしとしても、いつも出された料理を食べきれずに半分は残していたから、ちょっともったいないと思ってたコトだし……。
「んぐっ、だって朝食は一日の基本だよ?それに、あたしはパパに拾われるまで孤児だったから、食べられる時に食べておきなきゃって癖が……うおっ、このベーコンうんめぇ!」
(え……?)
 しかし、そんな健啖な姿も、最初はお茶を飲みながら微笑ましい気分で見ていたものの、やがて「拾われた」という言葉を聞いたところで、わたしの手がぴたりと止まってしまう。
「あら、あまり似ていないとは思っていましたけれど、養子でしたの?」
「そ。あたしの生まれの故郷は魔軍との戦争で無くなって、今はもう跡地しか残ってないからねー」
「…………!」
「あの戦い自体は救援に駆けつけてきた勇者様が魔将を倒して勝った事になってるけど、あたしは家も家族も友達も全て失ってしまって、それを不憫に思ったパパが拾ってくれたんだ」
「……そうでしたの。魔将の一角である私の言うべき台詞でもないでしょうが、貴女も貴女で過酷を背負わされてきたみたいですわね」
(戦災孤児、か……)
 つまり、リコリスの父がわたしの仇であるのと同じく、リコリスにとってもわたしの父(とと)さまは仇というコトになるはずである。
「…………」
 でも、それじゃどうしてわたしを助けたり、好意的にふるまったりできるんだろう。
(リコリスは、わたしのコトは憎くないのかな……?)
 もっとも、わたしの方もちょっとフクザツな気持ちは芽生えても、べつにコリス自身に憎しみなんて抱いているわけじゃないんだけど。
「んま、だからこそ今を楽しんだ者勝ちってね?どうせ、失ったものは戻ってこないんだし」
 ……しかも、あっさりとそんなコトを言えてしまうのはちょっと羨ましいけど、わたしの場合は呪いがあるからなぁ……。
「なるほど、道理で貴女からは遠慮という言葉が感じられないワケですのね。……ただ、あまり本能の赴くがままに行動していると、いつしか落とし穴に嵌りますわよ?」
「むぐむぐ……んはは、だいじょーぶ……こうみえてもあらひ……むぐむ……んぐっ?!」
 そこで、物言いは和らげないまでも、いくぶんの思いやりを感じられる忠告を向けるフローディアへ、リコリスは口一杯にモノを放りんだまま笑い飛ばそうとしたものの、言い終わらぬうちに突如顔を青くして苦しみはじめてしまう。
(リコリス……?!)
 まさか、毒が混入されてた……?!
「……い、いえ、食材や工程は厳重に管理されておりますが、まさか……」
 それを見て、思わず立ち上がったわたしはまず振り向くと、フローディアも予想外とばかりに狼狽した表情を見せてくる。
(う、うそ……)
 毒見なんていっても本当にただの名目で、こういうことは今まで一度も無かったのに、まさかわたしを狙う手がこんなところにまで……?
「…………っっ」
(し、しっかりして……っ)
 ともあれ、突然の出来事にどうすればいいかあせったわたしは、とりあえず苦しそうに悶絶するリコリスの体を強く揺らせてゆく。
「うぐぐ……っっ、ぐる……し……」
「お、落ち着いてくださいませ、お嬢様!下手に揺らせば毒の回りが早まりますし、エレメントの強力な加護を持つ勇者ならば、自力で浄化出来るかと」
「…………!」
(あ、そーだった!)
 この前は昏睡薬を吸い込んだわたしも治しちゃったし、リコリスなら……!
「…………っっ」
(リコリス、ほら早く回復して……っっ)
「〜〜〜〜っっ」
 しかし、肩をつかんで促すわたしに対して、リコリスはますます顔色を蒼くさせながら、首をぶんぶんと横に振ってくる。
(……え、ちがうの?)
「…………っ!あ、あれ……」
 更にそこから、必死でテーブルの上にあるグラスを指差しているのに気づくわたし。
(こ、これ……?!)
「んぐんぐ……っ、ぷはぁ〜〜っっ!」
「……うほおおぅ、息がデキなくなって死ぬかと思ったぁ……」
 そこで、わたしがすぐさま取ってあげた果汁水入りのグラスを受け取ったリコリスは、それを一気に喉へ流し込むと、苦しそうに胸をどんどんと叩きながらもうしばらくのたうち回った後で、ようやく生き返ったような声をあげた。
(ちょ……っ)
「……結局、喉に詰まっただけですの?まったく人騒がせな」
「〜〜〜〜っっ」

 ぽかぽかぽかぽかっ

 それをみて、無性に怒りがこみ上げてきたわたしは、思わず駄々っ子みたいにリコリスの背中を何度も叩いてやる。
「あいたたたっっ、ゴメンゴメンてばぁ……っ」
「…………っっ」
 ホントに、もう……っ。
「まったく、お嬢様にご心配をおかけする自体が万死に値しますけれど、ただこちらでは本当に毒を盛られてしまう可能性だってゼロじゃないんですから、努々お忘れなきように」
「へいへい……。そらまぁ、あたしは勇者だしね」
「……いずれにせよ、無事に戻って楽しく暮らしたいのならば、ここで貴女を歓迎しているのは精々お嬢様くらいというのを念頭において行動してくださいな。それでは、私はこれで」
 それから、フローディアは一度だけリコリスの肩をぽんと叩いて忠告した後で、控えの間の出口へと向かってゆく。
「んお?早速行っちゃうの?」
「ええ。午後に予定されている会議の時間までには戻りますわ。……それでは、お嬢様も心細いでしょうが、どうかご辛抱を」
 そして、揃って視線を向けるわたし達へそう告げると、恭しく頭を下げたあとで、先に出て行ってしまった。
「忙しないなぁ。朝ご飯くらい一緒に食べてけばいいのに……むぐんぐ……」
「…………」
 ……いや、本当は魔王の隣で遠慮なくむしゃむしゃ食べ続けているリコリスの方がおかしいんだけど、まぁこれは教えてあげなくていいかな……?
 それに、顔が真っ青になるほどの苦しい目に遭ってたのに、またすぐに食べはじめてしまう食い意地も、ちょっとだけ呆れてしまいそうだけど……。
(でも……)
「しかし、ホントどれも美味しいよねぇ……さっすが宮殿料理」
「…………」
(気に入ったのなら、いつまでもいていいんだよ……?)
 少なくとも、当分は手放したりしないけど。

                    *

「……ふう……」
(とりあえず、これでお嬢様の安全は確保した上で単独行動できますわね……)
 やがて、お嬢様に暫しのお暇を告げて控えの間から廊下へ出た所で、自然と小さく溜息を吐いてしまう私。
 正直、大事な主を預けるにはいささか頼りなさは禁じえないものの、彼女はラグナス・アーヴァインの跡を継いだ当代の勇者だけに、お嬢様を狙う者達も、その力量が分かるまでは迂闊に手は出せないだろうし、私自身も先日のやり取りでそれなりに高い能力を持ち合わせているのは分かっている。
(……それにしても、巡り合わせとは数奇なものですわね……)
 致し方がない事情もあるとはいえ、まさかプルミエお嬢様を守る為に、勇者の手を借りるコトになろうとは。
 しかも、お嬢様の方も私が不覚にも遅れたあの夜に助けられたのをきっかけに、彼女に心を寄せ始めているのが見て取れる様になって、面白くないコトこの上ないのはともかくとして。
(……でも、度胸試しと言っていたけれど、本当にそれだけなのかしら……?)
 彼女の奔放さを見ていると、本当にそのままかもしれないものの、それでも私には一つだけ引っかかっている事があった。
「…………」
(確かラグナスは、あの時……)

                    *

「…………っ」
「…………」
 三日三晩に渡り続いた壮絶な決戦の末に静寂が戻った戦場(いくさば)で、私は飛び出していこうとされるお嬢様を後ろから抱きかかえたまま、人間界からの刺客と無言で対峙していた。
 もう既に、人間界侵攻計画の決着はついてしまったけれど、私の戦いは寧ろこれからである。
「…………」
「……まだ、続けるのか?」
 やがて、亡骸となった陛下の傍らに立ち尽くしたまま、こちらへ視線だけを向けてきていた勇者は、振り絞るような声でそう訊ねてくる。
「…………」
 本来ならば、魔将の一角であるこの私も、命を投げ打って仇を討つべきなのだろう。
 しかし……。
「……いいえ、今回は我々の負けです。程無くして全ての魔軍へ撤退命令が下るでしょう」
 私は、腕の中で声にならない叫びをあげながらもがき続けている小さな主へ視線を落とした後に、断腸の思いで静かに敗北を認めた。
「…………!」
「申し訳ありません、プルミエ様……。ですが……これが私の役目ですから」
 そして私はそう告げると、抱きかかえたままで強制的に眠りへと誘う術を唱えてゆく。
「…………っ」
 ……まさか、夜更かし癖のあったお嬢様を寝かしつける為に覚えた魔法が、こんな形で役立つなんて思わなかったけれど……。
「…………」
 ただ、屈辱と忸怩たる思いを胸に見据える眼前の敵からの殺気は既に霧散していて、思い詰めた様に俯く表情からは、油断こそしていないながらも、勝者とは思えない虚無感が滲み出ていた。
 ……おそらく、彼もこれ以上の戦いは望んでいないのだろう。
「承知した……。ならば俺もここで退くとしよう。だがその娘……もしやウォーディスの?」
「ええ、お可哀想なお嬢様……。どうやら悲怨の呪いに囚われ、悲しみのあまり言葉を失ってしまわれたようです」
 それから、ようやく剣を収めた勇者が、深い眠りに沈まれるお嬢様へ視線を向けて尋ねてきたのを受けて、恨みゴトを交えた言葉で肯定する私。
(こんな事になるのなら、全てが終わるまで眠っておいて頂くべきでしたわ……)
 今は後の祭りながら、しかしウォーディス様の敗北を万が一にも予測しておくというのも、魔将の一角としては認めがたい準備だった。
「それは気の毒にな……。その呪いとは、いずれ解けるものなのか?」
 ともあれ、そんな私の返答に、勇者は淡々とした口調で更に尋ねてくる。
「限りなく、無理でしょうね……。まさか、貴方がここでプルミエ様に仇討ちをさせてくれるとは思えませんから」
 そして、大切なお嬢様を護りながら、私が彼を斃すことも……。
「…………」
「……そうだな。今はまだ俺の首はくれてやるワケにいかない」
 すると、勇者は開かれたままの扉へ向かって歩き始めながら、当たり前の言葉を返してきた後で……。
「だが……。その時が来れば……考えてもいい」
 やがて私達へ背中を見せた後に、一旦立ち止まってボソリとそう呟いてきた。
「その時……?」
「俺も、そろそろウンザリしてきた所なのさ。……怨嗟の円環にな」
「…………」
「その娘……。やがては次代の魔王となるのか?」
「……だとしたら、どうだと?」
 それから、続けて向けられた勇者からの問いかけに、私は片腕でお嬢様を抱きしめつつ、いつでも愛銃を抜ける臨戦態勢で突き返す。
(やはり、ここで芽を摘んでおこうとでも……?)
 ただ、もし本気でそうするつもりならば、背中を見せたまま問いかけたりはしないだろうけれど、それでも何があろうと、プルミエ様だけはこの命を捨ててもお守りせねばならない。
「……そうか……。それで、お前の名は?」
 すると、それに対して勇者はやはり戦意を見せないまま頷いた後で、今度は私の名を尋ねた。
「わ、私は十三魔将が一角、魔銃のフローディア。プルミエ様を守る矛にして、盾……!」
「フローディアか。俺はラグナス・アーヴァイン。……お前だけでも、どうかこの名を覚えておいてくれ」
「……え……?」

                    *

「…………」
 あれから勇者……ラグナス・アーヴァインはそれ以上何も言わずに立ち去ってしまい、二度と姿を見せてはいないものの、あの時の思わせぶりな言葉は、未だに私の脳裏にこびり付いていた。
(しかも、次に勇者を引き継いだのが、あのラグナスの娘というのならば……)
「…………」
 いや、今はその疑問は置いておこう。
 滑稽な話ながら、今はその不審な侵入者が味方で、敵の方が内部に隠れているのだから。
「ともあれ、急がないとなりませんわね……」
 先代陛下より託された者として、あくまでお嬢様の守護者はこの私でなければならない。
 そんな、今までずっと守り続けていきた矜持の為にも。

「……あら、お帰りなさいませ。フローディアお嬢様♪」
 それから後に、控えの間からまずは自室へと戻った私を、先に来て待っていたエプロンドレス姿の女性が、満面の笑みを浮かべて出迎えてきた。
「ご苦労様、フィオナ。その格好もそんな呼ばれ方も、今は懐かしい感じね。……ただ生憎、もう私にメイドは必要無いけれど」
 そして、そんな付き合いの長い元従者へ苦笑い交じりに頷き返すと、部屋の隅に備え付けられたソファーへ腰掛ける。
 今はもう、家の慣習に従って御宮仕えを始めた私を追いかけて転職したというのに、まだ未練でもあるのか、それともただの戯れなのか、時折こうして昔の格好を見せてきていた。
「みたいですねぇ……。久々に早く来てお掃除でもして差し上げようかと思っていましたのに、もうすっかりとご自分で身の回りのコトは出来る様になられておいでみたいで」
 ちなみに、無邪気な外見とは裏腹に、私よりも少しばかり年長者であるこのフィオナは、実家にいた頃に専属で仕えていた堕天使出身の護衛兼メイドで、今はこうして魔王家直属の特務機関であるブッシュミルズの諜報員となって支えてくれている、腹心と呼べる存在だった。
「ふふ、いつまでもフィオナに心配をかけるワケにはいかないでしょう?ましてや、今の私はかつての貴女と同じく、主にお仕えして御世話をする立場なのだから」
「それはご立派になられて嬉しい様な、寂しいような……ですねぇ」
 ……といっても、当家の当主であるお母様が差し向けた監視役も兼ねているのは、敢えて黙ってる事実だけれど。
「……さて、それでは本題に入りましょうか。あれから何か分かったかしら?」
 ともあれ、せっかくの自由時間を無駄にしたくはないので、早速に用件を切り出す私。
 今の私がフィオナに求めているのは、情報収集能力の方である。
「何か分かったのかと言われれば、特にめぼしい新情報はありませんねぇ。新入りメイドに扮して姫様を狙った刺客の正体はフリーのエージェントですし、雇い主を吐く前に自害されてしまった以上、特定は困難と言えます」
「……あら、私は貴女へ調査依頼した時、あの夜の会合にいたクェイルードかヴェルジーネが怪しいと言ったハズだけど、それを裏付ける手がかりは何も見つかっていないのかしら?」
 無論、出席しなかった面々も怪しむべきだろうけれど、それよりもあの二人の言動や態度、それに後で思い返せば、あの会合で無駄に話を長引かせようとする素振りも見えていたし、そもそもプルミエ様のお命を狙って何かをしでかそうという大掛かりなマネが出来る者など、決して多くはない。
 いくら魔将としての立場が隅に追いやられているとはいえ、魔軍の大将であるあの二人は、れっきとした上級魔界貴族である。
「いえ……。痕跡らしきものは何も」
「そう……」
 ……ただそれでも、裏付けが出ればプルミエ様の守護者として自ら追い詰め、処断する覚悟はあるものの、どうやら芳しい報告は聞けそうもなかった。
「というかですねぇ、フローディアお嬢様?ここだけの話ですが、プルミエ様が次代の魔王に即位されたプロセスに不満を持つ者は存外に多いので、その様な単純なお話ではないのですよ」
「……むしろ、今回の事件で注視すべきは誰の差し金かではなく、本当に姫様の暗殺を実行しようとした者が出てきたというコトそのものなのです」
 しかし、そこで個人的には期待外れだった報告に対して念を押す私へ、首を横に振りながら肩を竦めて見せてくるフィオナ。
「つまり、あの夜の犯人だけを特定した所で、根本的な解決にはならないと?」
「ええ。ぶっちゃけブッシュミルズのメンバーですら密かに不満を抱えている者は多いみたいですし、特にあの戦役で生き残った五名の魔将達で、プルミエ様のお世継ぎに心から賛同されているのは、正直に言えばフローディア様くらいのものです」
「……やはり、魔王の証を血筋だけで引き継がせたのは、大きな反発を招いてしまったみたいね」
 そこで、私もお嬢様が置かれている立場を改めて理解すると、自然と溜息が漏れてしまう。
 先代陛下もせめて、根回しをきちんと済ませておいて下されば良かったのに、歴代屈指の実力と称えられた希代の魔王様だけあって、まさか御身が志半ばに討たれるとは思いもよらなかったのだろう。
「それに加えて、姫様が先日にリコリス・W(ウィングハート)・アーヴァインを召し抱えられた件も、御乱心として不満の火種となりかねない状態ですねぇ」
「…………」
 御乱心、か……。
「むしろ、姫様が捕らえた彼女を自らの手で公開処刑にでも為されば、勇者を屠った魔王様として面目を保つ絶好の機会となっていただけに、親プルミエ様の諸侯からも不可解な判断と疑問の声が挙がっているかと思われますよ?」
「……お嬢様には、お嬢様なりの御考えがあるのよ。それに、捕らえた当代勇者にはそれなりに利用価値もあるから、すぐに処刑してしまうのは得策ではないわ」
 ただ、確かにプルミエ様は「姫様」としては理想的でも、「魔王」としてはいささかお優しすぎるのは、この私も否めない所だった。
 ……例えば、お嬢様はリコリスとの出逢いが、次代の魔王としての面目どころか、御自身の呪いを解く絶好の機会である事に気付いておられないのだから。
「…………」
「……ね、フローディアお嬢様は御存知ですか?」
 それから、一旦会話が途切れて暫く沈黙の間が続いた後で、不意にフィオナが口元を妖しく緩めてこちらへ近付きながら、思わせぶりに新しい話題を切り出してくる。
「え?」
「ぶっちゃけた話ですけどね、魔界全土の世論として、次の魔王はか弱いプルミエ様よりも、生き残った魔将達の中から選ばれるべきだったという考えを持つ者が多いみたいなんです」
「つまり、一番強い魔将こそが魔王に相応しい……って意味かしら?」
「ええ。今の新体制では蔑ろにされがちになっていますが、それでも魔将とは魔王陛下に次いで魔軍の頂点に立つ存在ですから」
「……勿論、その一角にして、メンブレイス伯爵家の次期当主候補であるフローディアお嬢様も含めて、ね」
 そしてそう告げると、何かを促す様に私の肩へ手を差し伸べてくるフィオナ。
「……っ!フィオナ、まさかあなた……」
「こんな機会は千年に一度、あるか無いかだと思いますよ?」
「く……っ!何を世迷いゴトを。メンブレイス家は代々魔王家を影から護り支えてきた家柄。あなたも当家に仕えた者として、それを忘れたとは言わせないわよ?」
「生真面目なお嬢様ならば、きっとそうお答えになると思っていましたが、当主様よりの御伝言です。ウォーディス家も、かつては一介の諸侯だった時代があったでしょう?と」
「お母様が……」
 つまり、これはフィオナ個人が炊き付けているんじゃなくて、メンブレイス家の……。
「それに……お嬢様が護りたいのは、”魔王”プルミエ様とは限らないんじゃないですか?」
「フィオナ……」
「……では、私はこれで。御用命がおありの際は、いつでも言ってくださいね?」
 それから、フィオナは最後にいつもの穏やかな表情へと戻して話を締めくくると、恭しく一礼を見せて退室していった。
(私が護りたいのは、“魔王”としてのお嬢様とは限らない、か……)
 フィオナも、なかなか痛い所を突いてくるものだけど……。
「…………」
 やがて私は、ソファーへ腰掛けたまま中空を仰ぎながら、先代魔王陛下より特命を受けた日の事を思い出し始めていった。

                    *

「……こ、この私めを、魔将の末席に……ですか?」
 私がプルミエお嬢様にお仕えするようになってから数年が経ったある夜、魔王陛下より二人だけで話があると申し付けられて、私室へと出向いた先で待っていたのは、思ってもみなかった昇格の話だった。
「そうだ、フローディア・L(ルミナス)・メンブレイス。貴様を明日付けで、我が懐刀の一角として任命する。代々魔王家を影で護り続けてきたメンブレイス家の次期当主に相応しい実力を持つ貴様ならば、その資格は充分であろう」
「ですが……」
 確かに、魔銃の扱いに関しては御墨付きを頂いているとはいえ、しかしウォーディス様の片腕として魔軍にも大きな影響力を持つ魔将となるには、通常はもっと厳しいプロセスが課せられるはずだった。
「元来、魔将とは魔王である我の手足となる者達。此度の人事は、我が貴様を必要と思えばこそと心得るがよい」
「……有り難き幸せに存じます」
 だけど、ウォーディス様がそう断じてしまえば、後は従うしかない。
 今の魔界は、現魔王陛下の絶対的なカリスマで秩序が保たれている様なものなのだから。
「さて、フローディアよ。魔将としての貴様に与える軍事権限は、主に魔王宮の警護に関するものとなるが、今宵に我が呼び出したのは、もう一つの重要な役割を与える為だ」
 ともあれ、躊躇う間も選択権も存在しない私がただ頭を垂れて拝領する意思を見せた後で、魔王陛下はこちらを見下ろしながら、思わせぶりな言葉を告げてきた。
「もう一つの役割……でございますか?」
「うむ。……これより貴様は、魔将でありながら我の為ではなく、体制の為ですらなく、ただ一人の主の為に尽くすのだ」
「ただ一人の主とは、つまり……?」
 そこで、真っ先に私の脳裏へ、寝室でお休み中の小さな主人の顔が浮かんでくる。
「フローディアよ。伯爵家より派遣された貴様を我が娘の従者と任命して以来、プルミエは家族の如く気に入っておる様だ。それだけ貴様がメンブレイス家に生を受けた嫡子として真摯に己の義務を全うしてきた証であろうが、今の娘が我に次いで心を許す相手と断言して間違いはないであろう」
「お嬢様が……光栄至極にございます」
 尤も、初めてプルミエお嬢様と御対面した際に心を射抜かれた心地になって以来、伯爵家の嫡子としての義務感なんて、もうすっかりと薄れてしまっているけれど。
「故に、貴様にはその責を負ってもらう。今後の貴様の行動原理は、あくまでプルミエの為とせよ。魔将の座と権限を許可したのも、全てはその為と心得るのだ」
「…………」
「……そして、今後いかなる時も我が宝の味方であり続ける事。以上である」
「承知致しました。この命を賭しても……」

                    *

「…………」
 そうして、私はプルミエお嬢様への絶対忠誠と引き換えに、魔将の地位を与えられた。
 元々、ウォーディス様から命じられるまでもなく、私は最期の時までお嬢様の味方でいるつもりだったし、どういう形であれ魔将を輩出した事で、当主であるお母様にも一族の誉れと喜ばれて、唐突な辞令に最初は戸惑いながらも、あの夜は私にとって生涯最高の瞬間を迎えた時と言えた。
(……けれど、今度は私自身が魔王にだなんて……)
 どうやら自分の及び知らぬ所で、身内にまでよからぬ色気を抱かせてしまっているらしい。
「…………」
「まったくもって、馬鹿馬鹿しい話ですわ……」
 お生憎様だけど、私にはその様な野心など微塵も無い。
 もしも私が野心と呼べるものを持っているとすれば、自分がお嬢様にとっての一番の存在であり続けたいという、ただそれだけである。
 何故なら、私にとっての宝物は地位でも富でもなく……プルミエ様そのものなのだから。
「……ふう……」
 そこで、無性に私のお嬢様を強く抱きしめたくなったけれど、今は単独行動中。
「…………」
(ホント、ムカつきますわね……!)
 野心に駆られて私の宝を狙っている連中にも、突然に現れてお嬢様の心を奪おうとしている勇者にも。

                    *

「……よォ、フローディア。今日は一人か?」
 やがてフィオナとの話を終え、次の目的地へ向けて中央ロビーへ移動してきた所で、柱に背中をもたれたまま腕組みをしている、長身で目つきの鋭い魔人族の男性に声をかけられた。
「あら、クロンダイク。ご無沙汰ですわね」
 基本的に男性は嫌いだけど、それでも無視は出来ない同僚。
 同じ魔眼でも私とは全く異質の、ひと睨みで相手を竦みあがらせて行動不能にしてしまう「鷹の目」と呼ばれる能力を持ち、背中に負った背丈ほどある幅広の封魔剣イーヴルレイが常に周囲へ威圧感を醸し出している魔将の一人、「魔戦士」クロンダイクだった。
「聞いたぜ。捕らえられたラグナスの野郎の娘を、姫様がよりによって召し抱えられたそうじゃねーか。これでオマエもじきに用済みだな。くっくっくっ」
 そこで、努めて素っ気無く応じる私に対して、皮肉めいた笑みと視線をこちらへ向けてくるクロンダイク。
 ……しかし、その目は笑ってなんていないみたいだけど。
「仕方がありませんわ。今は少しでも人手が欲しい所ですから」
「……俺達、魔将を蔑ろにしても、か?」
(ほら、案の定きましたわね……)
 丁度これから、同僚達一人一人と会うつもりだったので好都合ではあるものの、彼は曲者揃いの魔将達の中で、最も単純で直情型な思考の持ち主だけに、やはり黙ってはいられなかったらしい。
「我らは魔王陛下の側近。……ならばいかなる決定にも従い、支えるべきでしょう?」
「そら、先代陛下の時代ならば納得した言い分だけどな。何人も歯向かえぬあの圧力の前には、オレ達ですらただ平伏するしかなかった」
「…………」
「だがな、プルミエ姫が魔王となった今はどうだ?ただ神輿として担ぎ上げられ、実態は周囲のやりたい様にされるがままの、もの言えぬ傀儡に過ぎないじゃねェか!」
「口を慎みなさい、クロンダイク。それ以上は……」
 私はそこで、あまりに過ぎた口ぶりで熱を帯びる彼を一旦黙らせようとするものの……。
「魔王ってのはな、魔界で最強の存在だから魔王なんだ。違うか?」
 しかし、クロンダイクは逆に続けた言葉で遮ってしまうと、悲憤に満ちた目を私へ向けてきた。
「…………」
 確かに、ウォーディス様へ真っ向から勝負を挑み、敗北した後に実力を認められて召抱えられた彼だけに、言い分は分からないでもない。
 けれど……。
「プルミエ様とて、先代陛下の正当なる嫡子。あの御身にはそれだけの秘められた力はお持ちのはずよ。ただ、あまりにも世継ぎが早すぎたのと……」
「ふん、呪いで言霊ごと失ってなきゃ、か?」
「……ええ」
 悲怨の呪いがお嬢様を脆弱な魔王陛下とさせている理由の一つは、言葉を失っただけでなく、「言霊」自体が封じられてしまっているコトである。
 基本的な原理として、一点に集中した魔力を起爆させるのは、術者の言霊……すなわち、強い霊力が込められた「言葉」であり、一応はそれなしでも発動は出来るものの、本来の効果とは程遠いチカラしか生まれない。
 ゆえに、今のお嬢様は術者としても封じられて、御自身では殆ど戦えない状態だった。
「だが、いかにポテンシャルが高かろうが、発揮できなきゃ同じ事だ。無力な魔王としてナメられ続けるだけで、現に姫自身も完全に諦めて無抵抗じゃねーかよ?」
(いや、決してそんなコトはない筈……)
 おそらく、プルミエ様が勇者(リコリス)を召抱えられたのは、そんな自らの境遇の中で反抗心を示される
おつもりでもあったんだと思う。
 ……ただ、私がそれを口にするには、あまりにも情けないけれど。
「お嬢様にいつまでも惨めな思いをさせる気など、私とて更々ありませんわ。ただ情勢が不穏となった今は、使えるものは何でも利用しようとしているだけ」
「ハッ、利用ねぇ。……ま、確かにあちらの方もひ弱そうな小娘だが、オレにとっては来やがるならいっそ、ラグナスの野郎本人の方が良かったがな?無駄な力を浪費したくないとか抜かして、奴は追い詰めたオレにトドメを刺さずに行きやがったから、それを後悔させてやらねェと」
 ともあれ、それから堂々巡りしかけた所でクロンダイクは勇者(リコリス)の方へ話の矛先を向けると、そろそろ話は終わりとばかりに壁から背中を離していき……。
「……なぁフローディア。さっき姫様はあの先代陛下の娘だから、同じ様に強いハズだと言ったな?だったら、勇者の場合はどうだと思う?」
 やがて、私に背を向け歩き始めて十歩も進まないうちに、惨忍な笑みを浮かべながら振り返ってきた。
「興味を持つのは結構ですが、軽はずみな行為は慎む様に願いますわね、クロンダイク。彼女の首には、プルミエ様が生成された首輪が着けられているのですから」
 今のリコリスはお嬢様の所有物であり、彼女へ手を出す事は、魔王陛下への反逆行為となる。
 ……つまり、あれを受け取っている間はお嬢様に縛られているけれど、逆に言えば庇護を受けている証でもあるのが、従属の首輪の持つ二面の意味だった。
「んじゃ、反逆行為とみなされた場合は、オマエがオレの粛清に来るのか?」
「……必要とあらば。ただ、同胞に弓を引くのはやはり気が進みませんが」
「奇遇だな。オレもだ」
 すると、それなりの躊躇いを残したまま告げた本音に対して、クロンダイクは今一度思わせぶりにニヤリと笑って見せると、今度こそ私の前から立ち去って行った。
「…………」
(やっぱり、このままでは情勢が悪くなる一方かしらね……)
 泥沼化した戦いの後で疲弊している今は、プルミエ様のようなお優しい魔王が求められているはずと、残った諸侯達は先代陛下の遺志を汲む形でお嬢様をたてたけれど、やはり魔界という地には弱肉強食の志向が根強く残っているみたいだった。
(力ある者は、より力のある者にしか従わない……か)
 魔界に確立して久しくなった、封建制の貴族主義社会という秩序も、やはり頂きに立つ魔王が強大な存在であればこそ。
 ……となれば、私のお嬢様がすぐに先代の様な存在となるのは難しいとしても、やはり今のもの言えぬ魔王様のままでは、とても従わせきれないのかもしれない。
(もしくは……)
『それに……お嬢様が護りたいのは、”魔王”プルミエ様とは限らないんじゃないですか?』
 それから、先ほど聞いたフィオナの台詞が、再び脳裏にリフレインしてくる。
「…………」
 まずは色々、自分の望みから見つめ直す必要があるかしら?

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