くらDOMARA 「心の扉」

 

 

 桜の花びらが柔らかい春風に乗ってふわりと舞い降りてくる。

「......すっかり春ですわね。」

 私はそれを手のひらでそっと受け止めながら呟いた。やはり桜の存在が一番春の到来を感じさせてくれる事を実感しながら。

「.......」

 降り注ぐ様な桜を背中に受けながら校門をくぐり、私はゆっくりと昇降口に向かって行く。そんな包み込むような暖かい日差しに映し出された校舎も、今年は少しばかり遅く咲き乱れる桜に彩られてすっかり春の色に染まっていた。こうして歩いているだけで何か幸せを感じる事が出来る、春とはそんな季節なのかもしれない。

.......そして、

 

ばさばさばさっ

「.........ふう」

 いつもの事とは言え、下駄箱を開けると振り落ちてくる手紙の束を見ながら溜息をつく。3学期頃にはめっきり減っていたものの、新学期早々にすっかり元に戻ってしまっていた。もしかしたら、これもまた春の風物詩なのかもしれない。

「あらあら、相変わらず人気者ねぇ、知世お嬢様。」

 そんな時にふと背後で私を呼ぶ声を聞いて振り向くと、見慣れた姿の女子生徒が感心するような表情を見せながら立っていた。

「あら、おはようございます。郁恵(いくえ)さん。」

 私に郁恵と呼ばれた女性は笑顔で「おはよう、知世。」と元気の良い声で挨拶を返すと、

「新入生も入ってきたし、このまま我が校の憧れのお姉様No.1の座に君臨かしらね。」

 くすくす笑いながら楽しそうにそう言った。

「.......もう。そんなことありませんわ。」

 しかし、困ったような表情を隠すことなく見せる私に構うことなく、郁恵さんは大袈裟に肩をすくめながら、

「そりゃあ容姿端麗に頭脳明晰、とどめに大道寺コーポレーションのお嬢様とくればもう無敵よねぇ。正に神様の不公平さを証明する生き証人って所かしらん。」

 とやはり楽しそうに続ける。

「......もしかして人事だとお思いになって楽しんでません?」

「うん♪」

 間伐入れずに満面の笑顔で頷く郁恵さん。

「もう.....困りますわ。」

 それに対して私は自然に溜息が漏れる。

「女子校でこれなら共学だったらどうなっていたか想像も付かないわねぇ。あ、知世は男のコには興味なかったんだっけ?」

「...........」

「うんうん。その辺の清純さも人気の秘密ね。正に百合の女王様。」

「...........」

 ......女王様かどうかは別として、どうやらこの学園で私のイメージはそうなっているらしい。もしかしたら同じ女性からこうした手紙を沢山受け取るのもそうした事が起因しているのかもしれない。

「........あ、怒った?ゴメン。」

 先ほどから黙ってしまった私を見て言い過ぎたと思ったのか、手を目の前に合わせてごめんなさいのポーズを取る郁恵さん。

「いえ.....別に。」

 私は敢えて素っ気ない返事を返しながら自分の上履きに手を伸ばす。その態度に郁恵さんは「ん〜っ......」と困ったような声を挙げながらも、

「大体.......そんなに迷惑なら鍵をかければいいのに、敢えてそうしていないでしょ。」

「......それは......」

 そこでぴたりと私の手が止まる。

「そういう優しいところも人を惹き付けているのよ。........多分ね。」

 そう言って一度ウィンクすると、

「んじゃ先に行くね。」

 と一足早く教室に駆け込んで行った。

「もう.....手伝ってくださってもよろしいのに......」

 そして私はその背中を見送ると、零れて落ちていった手紙を一つ一つ拾い集める。

「............」

 これで.....何通目だろうか?そんな事を誰にともなく呟きながら。

 教室に入ってクラスメートの方達と挨拶を交わしながら自分の席に座った所で予鈴のチャイムが鳴り始めた。それを背中で受け止めながらふと窓の外を見ていると、2,3人の新入生らしいグループがバタバタと必死で昇降口に駆けてくる光景が目に映って来て、その微笑ましさに思わず頬が緩んでしまう。

「そう言えばあの人も今頃......」

 そこでふとあの人も朝が弱かったことを思い出す。駆け込んでいる女生徒達とイメージを重ね合わせながら、「ほぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」と叫びながらお家から学校まで全力疾走している姿が自然と脳裏に浮かんで来ていた。

『そして.......』

 かつてお兄さまの側で必死にローラーブレードを走らせていた昔の代わりに今は、

ドタドタドタ

「ほら、遅刻するぞ、さくらっ!」

「ほえええ、小狼君待ってぇ〜っ」

「なぁ、明日からはもっと余裕を持って出ようぜ!」

「ほぇ〜っ、いつもそう思ってるんだけどこうなるんだもんっ」

「.......まったく、毎朝鍛えられている気分だな。」

「.......ふふっ.....」

 その微笑ましい光景に自然と笑みが漏れる。

 でも.......

「......また.....」

 同時にちくりと感じる胸の痛み。いつからだったかお二人の事を考える時に感じるようになったこの感覚。どうしてだろう?それこそ私が望んでいた事だったのに.......

「.......もよ......」

 あんなに、さくらちゃんは幸せそうな顔をしているのに...... 

「知世っ!!」

「はい......?」

 隣の席に座っていた郁恵さんの声で我に返ると、担任の先生が教壇に立ちながら出席簿を手に持ってこっちを見ていた。更にはクラスの方々の注目も一手に......

「あ.......」

「もう、何を朝っぱらから深窓のお嬢様してるんだか。」

 そしてどっと笑いの声が挙がり、私はそのまま恥ずかしくて俯いてしまう。

「.......はにゃ〜ん.......ですわ。」

 ぽつりとあの人の口癖を呟きながら再びちらりと窓の方に視線を向けると、校庭には既に生徒の姿は消えていて、それでも相変わらず柔らかい春の日差しの中を桜の花びらが絶え間なく風に乗って舞い降りていた。

 

********そして

 夕方、私は夕焼けの赤に染まった帰り道を1人で下校していた。既に慣れきってしまった1人での下校。決して誰もお誘いしてくれない訳でも無いのに、私は敢えて1人を選んでいた。自分でも何故かは分からないままに。
 時折すれ違う私と同じ学校帰りの小さな子供達のグループ。.......いつからだろうか?私がそこから外れたのは.......それはほんの少し前のはずなのに、もう随分遠い昔の様に感じる。

「お帰りなさいませ、お嬢様。」

「......ただいま。」

 家に着いて出迎えた家政婦さん達と挨拶を交わしながら自室のドアを開けた時、明かりの無い薄暗い部屋を、窓のガラス越しに夕焼けの赤色の光が差し込んで私の部屋を微かに照らしていた。
 私は部屋の明かりをそのままに机に向かうと部屋の窓を開け、そして鞄を開けて今日受け取った手紙を取り出し始める。

「.......これで、何通目かしらね.......」

 今朝方呟いた同じ言葉を反芻しながらも、それを閉まっておく為に用意した1つの鍵の付いた箱を取り出した。.......いや、正確にはこれは3つめ。2つ目の箱はつい先日一杯になってしまったから。
 そして、机の引き出しの小さな小窓から鍵を取り出すと、それを手に持ってそっと箱を開ける。かちゃりと微かな音と共に開放されたこの箱の中には既に幾通かの封を切られていない手紙が入っていた。

「...........」

 そう、私は今まで一度も頂いた手紙の封を切ることはなかった。それらは全てこの箱にそのまま閉じこめて、そして再びこの箱が開かれるのは新しい手紙を入れるこの瞬間だけ。
 .......それは、ある意味受け取るのを拒否するより残酷な事かもしれない。手紙の差出人の方達は私の返事を期待してずっと待ち続けているのかもしれないのに。

「........ごめんなさい。」

 誰にともなくそう呟き、今日受け取った手紙を収める為に手に取ろうとしたその時、突然窓からそよいで来た風に飛ばされて、私の手を拒む様に机の上の便箋が部屋の中で踊り始めた。それは決して解放される事のない想いを込められた悲しい言霊達。

「.............」

 私はそれを無言で見つめながら、窓際に寄ってぱたんという小さな音共に部屋の窓を閉じると、風の支えを失った手紙が木の葉のように床にふらりと落ちていく。

『そういう優しいところも人を惹き付けているのよ。........多分ね。』

 不意に私の意識に直接響く郁恵さんの言葉。

「.............」

 .......私は一体何をやっているんだろう?もし郁恵さんの言葉が本当なら、私が行っているのはその裏切り行為でしか....ない。受け取る事の無い想いを受け取り続けて、私は何を求めているのだろう?

「...........」

 その答えが見つからないまま、私は静かに拾い集めた手紙を箱に収めていつもと同じ様に鍵を掛け、そしてそっと箱を元の場所にしまい込んだ。

 

 

「あ、そう言えば......さくらちゃんから電話あったわよ。たまたま自分で取った時にさくらちゃんだったの。久しぶりにさくらちゃんと話しちゃった。」

 その後の夕食時、私が少し遅れてお母様の対面に座ると嬉しそうにそう告げた。

「......そうですか.....」

 それに対して笑顔だけを取り繕って気のない返事をする私。

「そう言えば、知世もさくらちゃんとはもう随分お話ししてないんじゃない?」

「......そうですわね。そろそろご無沙汰して一年くらいになるかもしれませんね.......」

 黙々と食事を続けながら、まるで他人事の様に呟く。暑中見舞いや年賀状は去年や今年の初めも頂いたけど、電話や直接会って話すことはすっかり無くなってしまった。

「......そう。」

「やはり学校が違うとなかなか話題が見つからないのかもしれませんね。それに......」

 一瞬の時を開けて、

「.......今のさくらちゃんには、すぐお側にお相手がいますから。」

 自分で精一杯の笑顔を作ってそう答えた。

「知世......あなたは.......」

 私はその後に続くお母様の言葉を遮るように、

「.......でも、それでいいんです。それが私の選んだ道ですから。お母様の答えとは少し違うけれど、それでも私は私なりに........幸せを........感じていますから。」

 .......これが私の望んだ事、そして私自身が出した答えだから.......だから、これで私も幸せ。そう、幸せじゃないとおかしい.......のに。でも今の私はもやもやとした何かが常に私を取り巻いて、そしていつしか笑えなくなって......

 

 自室に戻って部屋に明かりを付けると、自分の机に向かい、そして、机の側にあるスタンドに視線を動かした。
 そこにあるのは私の昔の想い人の写真。以前はたくさん貼っていた写真も、今自分の部屋に飾ってあるのは最早これ一枚を残すのみだった。

「さくらちゃん......」

 .......ずっとさくらちゃんの側にいられると思っていた。さくらちゃんの側でビデオカメラ片手にその姿を追っかけていられると。
 ......いや、本当は続くはずだった。だけどそれを断ち切ったのは.......そう、この私自身だった。あの時、さくらちゃんと.......そしてさくらちゃんがようやく気付いた本当の想い人と再開して、結ばれたあの日から、私は少しずつさくらちゃんとの距離が離れていき.......そして、とうとう高校に入学する時には別の学校を選んでしまった。さくらちゃんの幸せこそが私の幸せ、そう、本当に大切な人だから、その人にとって一番の幸せを掴んで欲しい........だからあのお二人の行く末を側でずっと見守っていこう、そう決めたのに。
 なぜなら、それが私にとっても一番の幸せだから.....それが私の出した答えだったはずなのに。お二人の邪魔をしてはいけない。そんな言い訳と共に私はさくらちゃんから遠ざかっていた。

『やはり学校が違うとなかなか話題が見つからないのかもしれませんね。』

 本当は、実際さくらちゃんと会う機会が無くなったわけじゃなかった。......ただ、私がお誘いをお断りするようになっただけなのだから。

「もう、嫌われた......でしょうかね。」

 いっその事その方がいいのかもしれない。.......でも、それは絶対にあり得ないことは一番良く知っていた。私自身も決してさくらちゃんを嫌いになんてなれないのだから。

「.........愛してる、か。」

 やはりそれは時間の流れに委ねるしかないのかもしれない。この不可解な苦しみも、さくらちゃんの為と思えば耐えることが出来るはず。これは変化してしまった周りの環境に今だ戸惑いを感じているだけ。

 ......そう、.これは決して自己犠牲なんかじゃない、そう信じながら。

 

************

「知世〜!」

「......はい?なんでしょうか?」

 それから幾日か経ったある日、ちょうど2時限目が終わった後で、郁恵さんが教室の外から右手に何かをかざすように持って私の席に駆けて来た。

「はいこれ。さっき廊下の外にいた新入生に頼まれちゃった。」

 そして郁恵さんから差し出された物は一通の手紙。

「私に?」

「そう。可愛い娘だったわよ。」

「そうですか......」

 可愛い......そう言えば以前は口癖のように言っていたその言葉も最近は滅多に使わなくなった様な気がする.......そんな事を思いながら何気なく差し出し人の名前を見てみると、”春日野 咲美”と記してあった。

『....咲美.....さんか。』

 春を思わせる名前だな......と思った。

「しかし他の娘の様に下駄箱でなくてこういう形で直接手渡そうとはなかなかやるわね。」

 そんな私の隣で1人で感心している郁恵さん。

「まぁあんな状態だとせっかくの恋文もインパクトは無いに等しいからねぇ。」

 ......それでも結果は変わらない。またいつもの様にそのままあの箱の中に仕舞われるだけ。

「あ、ちょっと待った。」

 郁恵さんの台詞を横で聞き流しながら鞄の中に収めてしまおうとしている所で、

「......ね、せっかくだからちょっと手紙の中身、見てみない?」

 と興味津々な表情でそう提案する。

「.....郁恵さん。」

 私はすぐさまじっと非難の入り交じった目で見るが、

「だって、そりゃあ知世は普段から読み飽きているかもしれないけど、あたしはラブレターなんて読んだコト無いんだもん。」

「それはそうかもしれませんけど......」

「それに、こういう形で渡したって事は、相手も他の人に読まれる事は重々承知している筈よ。うん。」

 ぽんっと1人納得して手を打つ郁恵さん。私に言わせれば、だからこそ先方さんの信頼を裏切るべきではないと思うのだけど......

「ね、みんな♪」

「..............」

 気付いたら私の周りにちょっとした人だかりが出来上がっていた。

 

「........ふう。もう、内密にお願いしますからね。」

 周りの期待に溢れた視線に押されるように、私は先ほど受け取った手紙を溜息混じりにしぶしぶ封を切りはじめた。

『........そう言えば。』

 この学校に入学してきて、こうして頂いた手紙の封を開けるのは初めてだった気がする。そんな不思議な新鮮味を感じている自分に思わず苦笑しながら、手紙の封をしてあるハートマークのシールをそっとはがし、中に入っていた3つ折りの一枚の手紙を取り出す。

 ........そして、その手紙の内容は「今日の放課後、屋上でお待ちしています。」と書かれていただけだった。

「........???これだけ〜?」

 それを私の横から見た郁恵さんががっかりした様な声を挙げる。他の野次馬の方々も同じような心境みたいだ。

「そうみたいですわね。」

「てっきりあたしは、「知世お姉さまの事を思うと胸が苦しくて居ても立ってもいられなくなるんですぅ〜っ」とか、「ああもうどれ程知世お姉さまの腕に抱かれる事を想いながら幾夜もの眠れぬ夜を過ごしているというのでしょうか......」とかそういうの書いていると思ったのにぃ〜っ」

「.......それは残念でしたわね。」

 呆れた目で見る私をものともせずに、演技がかった言葉で1人悶える郁恵さん。

「あら郁恵、最近の女の子はもっと大胆な事書いてるかもよ。例えば......「知世お姉さまに私のすべてを受け取って欲しいんです.......」とか、」

「いやいや、もっとストレートに........」

「うわぁ、それ大胆〜っ!」

「いえいえ、愛しの知世様のハートをゲットするためならこの位は.......」

「......ふう。」

 端で好き勝手に盛り上がっている郁恵さんと他の野次馬さん達を後目に、再び溜息混じりに今度こそ手紙を鞄にしまい込もうとした時、

「それで、行くんでしょ?」

「......はい?」

 突然の郁恵さんの問いかけに、私は虚を突かれた様な声を挙げてしまう。

「だから、放課後。」

「......それは.......」

 思わず口ごもる。

「OKするにせよ断るにせよ、待ってるって言ってるんだからちゃんと行ってあげなよ。勝手に待っている方が悪いじゃ可哀想じゃない?」

「..........」

 黙り込む私に、いつの間にか私に復活していた周囲の視線が突き刺さるように向けられていた。そして、

「......行きます。」

 その雰囲気に、思わずそう返答せずにはいられない私だった。

 

「.......ふう。」

 一体今日何回目の溜息だろう?屋上へ通じるドアを開けながら考えてしまう。今までお手紙を受け取っても返事どころか封を開ける事すらしなかった私が、殆ど成り行きとは言え相手に直接会いに向かうなんて。

 ......しかし今回は不思議と私自身もいつもより乗り気だった。それは、お断りするにせよ、直接相手と出会って自分の意志をきちんと告げることは、今までの自分の行為への少しでも罪滅ぼしになる気がしていたから。それに、その事でもし相手が私を酷い人だと恨んでくれれば......この胸に蓄積された罪悪感も少しは和らぐかもしれない。

 そんな想いにかられたまま屋上へのドアを静かにくぐると、少し離れた夕焼けに映し出されたフェンスの目の前に、1人の女子生徒の後ろ姿があった。

『...........』

 ......沈黙。どうやらあまりにも静かに入りすぎたのか、相手は私が入ってきた事に気付いていないみたいだった。

『.....えっと......』

 そこで思わず一瞬の躊躇を覚えるが、ここまで来て引き返す訳にもいかないので思い切って自分から声をかける。

「あの......」

 と声を掛けようとした直後、

「.......来てくださったんですね、お姉さま。」

 明るい、透き通るような声と共にフェンス越しに立っていた女子生徒がショートカットの髪を軽くなびかせながら私の方に振り向く。

「........ぁ.......!」

 そして私の瞳にその女子生徒の顔が映ったとき、私は思わず声を挙げそうになった。少し小柄でつぶらな瞳、そして肩まで届かないショートの髪を持つその人は.......

「さくら.....ちゃん.........?」

 掠れるような声で呟く。似ていたから。うり二つとまではいかなくても、私の持つあの人の面影とあまりに重なったから。そう、あの人.......さくらちゃんに。

 そのまま一瞬さくらちゃんの姿とその女子生徒の姿が重なってしまう。.......が。

「はい......?どうかしましたか?」

 私の目の前に立った女子生徒が笑顔で私に話しかけた刹那、さくらちゃんと重なったイメージが消え、改めて今日初めて出逢った少女の姿が私の瞳に映る。

「い、いえ......」

 一瞬「さくらちゃん」と呟いてしまったのを聞かれなかった事に安堵しながらも軽い自己嫌悪に陥る。昨日久々にさくらちゃんの事を色々考えたからどうかしているのかもしれない。

「.......お手紙読ませていただきました。えっと.......春日野.......」

「咲美です。春日野(かすがの)咲美(さくみ)。」

 私が春日野さんの名前を呼び終わる前に彼女は自分で名前を告げた。

「手紙、読んでくださったんですね。嬉しいです♪.......といっても殆ど何も書いてませんでしたけど。」

 そう言って手を後に回してあはははと屈託の無い笑いを見せる。

「......そうでしたわね。」

 それにつられるかの様に私も自然に笑みが漏れる。......不思議な感じ。たった今出逢ったばかりなのに、私は既に彼女に対して親近感を感じ始めていた。

「わたし、文章で自分の想いを伝えるのは苦手なんです。......だから、こうして直接自分の言葉でお伝えできればと思って。」

 そして、再びにっこりとひまわりの様な笑みを見せた。その笑顔に、やっぱり

『.....似ている......』

 そう思った。顔形だけでなくて、さくらちゃんと同じ雰囲気を持った、そんな娘だ。一緒にいるだけで、笑顔を見ているだけで心を温かくしてくれる様な......

「あ、あの.......それで.......」

 はっといつの間にか、また自分の世界に入り込んでいた事に気付いて我に返ったとき、春日野さんは顔を赤らめて少し俯き気味で私を見ていた。
 それで私も本来の呼び出された相手と、そして自分の本来の目的を思い出す。

「......はい。」

 そして頷いて、改めて春日野さんに向かい合って、彼女の言葉を待った。

「......こういうのって自分勝手な言い分かもしれませんけど.....その.....ひと目惚れなんです。入学時の時にお手伝いで来られていた時に初めてお目にかかったときから、ずっと知世お姉さまの事が瞼に焼き付いて離れなくなって、だから.....」

 .......ひと目惚れ。思えば私もそうだったのかもしれない。いつでもきっかけはほんの些細な偶然。でも......一度始まればそれは幸せと苦しみが同居する終わりのない深淵で。

「だから、こうして自分の想いを直接伝えたいと思ったんです。」

「..........」

 そして、勇気を振り絞る様に胸に当てた手をぎゅっと握りしめて顔を上げ、真剣な目で私の瞳を見据えて、そしてはっきりとした声で

「知世お姉さま......わたしと、おつき合いしてくださいませんか?」

 と。

「..........」

 そのままお互い無言のままでしばらく続く沈黙。

 .......ついさっき出逢ったばかりとは言え、実際悪い気はしていなかった。寧ろ、出来ればこの娘の素直で純粋な想いをかなえて上げたいとも思った。

 私は、すっと呼吸を整えて、祈るような格好で私の返事を待っている春日野さんに出来るだけ優しい口調で、しかしはっきりと自分の意志を伝えた。

「.......ごめんなさい。私はあなたの想いを受け入れることは出来ません。」

 .....でも、今の私には出来なかった。それに、私が先ほどから感じている不思議な親近感や好意の起因は春日野さんの持つさくらちゃんの面影を通して彼女を見ているから.......それが何より許せなかったのかもしれない。

「.......そう、ですか......」

 私の返事を聞いた途端、搾り出すようにそう呟くと、春日野さんはその場に弱々しく俯いた。これだけ素直な人柄だから、断られるという答えは予測してなかったのかもしれない。

「.......ごめんなさい。」

 私は目を伏せて赤く染まり始めた夕日に照らされて今にも崩れそうに俯く春日野さんにもう一度同じ言葉を繰り返した。

 .......胸が痛んだ。罪悪感と自己嫌悪が今まで手紙を開けないまま封印している時とは比較にならない位の勢いで自分の胸に押し寄せていた。

「.........」

 私は今になって、軽い気持ちでここに来てしまった事を激しく後悔し始めていた。......それは、この春日野 咲美という少女に出逢ってしまった事。
 どういう形であれ、彼女に好意の感情を抱いた上で、そしてその気持ちを知った上でそれを踏みにじる事になってしまった事への悔恨だけじゃなかった。私は彼女と会って、ほんの僅かの会話を交わしただけなのに、ふと気付いてしまったのだ。私が何を求めていたかを。どうして今まで開くことのない手紙を受け取り続けていたか。
 ......私は知らず知らずのうちにさくらちゃんの代わりを追い求めていた様だ。だけど、同時にそれは私にとって絶対に受け入れることは出来ない事。なぜなら、それは自分の出した答えを否定する事になるから。だから、あんな中途半端な形で沢山の人の想いを受け取り、そして踏みにじって......

 

 そのまま赤い世界の中で、まるでお互いの時間が止まっている様な沈黙の時がしばらく続いた後、私は春日野さんより先に動いて、そっと屋上の出入り口に振り向いて歩き始めた。その時、

「.........待って........ください。」

 背中越しに呼び止める声が聞こえて、私はぴたりと足を止める。私はてっきり俯いたままで私が立ち去るのを待って、その後わっと泣き崩れるだろうと思っていたのに.......

「春日野......さん。」

 私は振り向いて再び彼女の方を見る。そして春日野さんは俯いたままで、

「........そうですよね。出逢ったばかりで突然そんな事言われても迷惑なだけですよね。」

「...........」

 私はそれに返す言葉が上手く見つからずにあれこれ悩んでいると、彼女は突然顔を上げて、そして先ほどまで見せてくれたあの笑顔で、

「.......だから、まずはわたしとお友達になって下さいませんか?」

 と。

「お友.....達?」

 自分にとってあまりにも意外な申し出に、私は呆気にとられた表情で呟いてしまう。

「ええ♪廊下ですれ違ったら挨拶したり、お昼一緒に食べたり、そして時々一緒に下校したり寄り道したりして。」

 先ほどまでの悲壮感は何処へやら、明るい笑顔で楽しそうに喋り続ける春日野さん。

「.......それとも、それすらご迷惑ですか?」

「...........」

 本当は私にとって彼女との関わりは一切持たない方がいいのかもしれない。......でも、確かに恋人としてならともかく、お友達になって欲しいという申し出まで断るのも難しい事だった。それすら断ってしまったら、今度は逆に私の方が相手への意識過剰という事になってしまう。

『.....ふうっ、私の......負けですわね。』

 何が勝ちで負けなのかは自分でも分からないが、まさか正式にお断りした後でこんな形で食い下がられるとは思いもしなかっただけに、そんな事を心の中で呟いてしまう。そして同時に、あの今にも崩れ去りそうな状態で、笑顔でそんな言葉が言えるこの春日野さんに私自身興味が出てきていたのも確かだった。.......私には無い何かを持つこの人と一緒にいる事で、私も何かが掴めるかもしれない。そんな予感と共に。

「........分かりました。そう言うことでしたら喜んで。」

「あ、ありがとうございますっ!」

 もう一度にっこりと笑う。.......何度見てもいい笑顔だと思った。見る度にあの人の笑顔に似ているとか言うのじゃなくて、純粋にそう思えてくる。

「あ、それで......」

「はい?」

 思い出したように春日野さんが話し始めた。

「呼び方ですけど、”知世お姉さま”って呼んでもいいですか?」

「そ、それは......ちょっと.......」

 流石にそれは.......と心の中で苦笑しながらやんわりと辞退する。

「ん〜.......それじゃ、普通に先輩と呼びますね。」

「......ええ。」

 実際”お姉さま”で無ければ何でも良かったので素直に頷く。そして、

「.......それで、私の方は.......春日野さん......でよろしいですか?」

「”お友達”なんですから、名前で呼んでください。」

 それもそうですわね......と納得すると、

「では、咲美さんとお呼びしますね。」

「........はい!」

 

 そして私たちは夕暮れの校舎を共に後にした。久々に誰かと並んで帰る下校時刻。お互いの明日の授業の事やクラスメート達の話で花を咲かせる。........長い間忘れていた何かを思い出した様な感慨をこの身に感じながら。

「そういえば先輩は、いつもお一人で帰られていたんですか?」

「......そうですわね。特に最近は不思議と独りになりたがる事が多いですし。」

 前を向いたままで、他人事の様に答える。

「........う。やっぱり、ご迷惑でしたか?」

 それを聞いて申し訳なさそうに私を見る咲美さん。

「構いませんわ。別に元々独りでいるのがそれ程好きな訳ではありませんのでご心配なく。」

 と、今度は穏やかな表情で咲美さんの方を見て、彼女の不安感を取り除いてあげる。

「良かったぁ。ご迷惑だったらどうしようかと思っちゃいました。」

 そうして沈みかけた夕日に照らされた咲美さんの横顔が笑顔に変わる。.......本当に表情の豊かな子だ、そう思った。もう今日一日だけで彼女の様々な表情を見ることが出来た気がする。

「それで、咲美さんはどうです?」

「えっ、わたしですか?......わたしはどっちかというと寂しがり屋さんですから、大抵は誰か一緒に帰る人探してますね〜も。」

 寂しがり屋さん.......本当は私もそうなのかもしれない。

「.......そうですわね。やっぱり独りは寂しいですわね.......」

 特に意味を込める事もなく、そう独り言をぽつりと漏らす。

「だから、これからはわたしと一緒に帰りましょうね、先輩。」

「.......そうですわね。」

 そしてお互いが微笑み合う。......そう言えば自分が本当に楽しいと思えて、こうして笑えたのも久しぶりかもしれない。

 

 そんな雰囲気の中、やがて唐突に訪れるお互いの別れ道。

「あ、わたしこっちの道ですから.......先輩はそちらですよね?」

「あら......私の家をご存知なんですか?」

「それは.......まぁ。」

 私の問いかけに苦笑いの表情を浮かべる咲美さんを見て、私自身愚問だったことに気付く。

「.......そうでしたわね。」

 そしてふふと微笑むと、

「それでは、ここでお別れですね。」

「はい。ではまた明日ですっ!」

 そしてその場で元気良くぺこりとお辞儀をすると、咲美さんはそのまま踵を返してたったったっと軽やかに夕日の方角に向かって駆けていった。

「.............」

 私はその場でその咲美さんの後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた。あの娘とこうしてお友達になった事はきっと間違いではないと、朧気ながらにもそう感じながら。

 

*********

 それから一月が経ち、あの日以来私たちは何かと学園内で一緒にいる事が多くなった。多くなったというか寧ろ咲美さんが時間を見つけては積極的に私と一緒にいようとしているというのが正解かもしれない。私は特にそれを拒むこともなく咲美さんに接していたが、そうやって何かにつけて私に付いていこうとするその姿は、かつてビデオカメラを片手に常にさくらちゃんを追いかけ回していた自分の姿を彷彿させていた。

 

そんなある日のこと、

「知世先輩♪また来ちゃいましたっ。」

「.......?咲美さん?どうして?」

 隣から突然声がして、いつの間にか私の席の側に来ていた咲美さんに驚いていると、続いて郁恵さんも得意気な顔で現れて、

「ふっふっふっ、あたしがフリーパスにしてあげたの。咲美ちゃんはもうこのクラスだとすっかりお馴染みなんだからいいよね?」

「郁恵さん.......クラス委員ともあろう人がそういう事を積極的にされるというのは.......」

 と私がお小言の一つでも言おうとしても郁恵さんは何処吹く風で、

「それに、いちいち知世を呼びに教室を往復するのもいい加減疲れちゃったからね。」

「......う.....そう言われると私も何も言えませんが........」

「そうそう。気にしない気にしない!咲美ちゃん、好きなだけいてもいいからね。」

「はい、ありがとうございます!」

 そんな郁恵さんの心遣いに満面の笑みで答える咲美さん。郁恵さんの言うとおり、彼女は今や私のクラスでもちょっとした人気者になっていた。明るくて活発で素直で、ああいうタイプの人は誰からも好かれるのだろう。
 そして、最近の私はそうやってみんなに好かれている咲美さんの姿を嬉しく思い始めてもいた。

「しかし咲美ちゃんって可愛いよね〜、知世がちょっとうらやましいかも。」

 と、そのまま郁恵さん達に捕まって質問責めに合っている咲美さんを席に座って見ていた私に、郁恵さんと同じく、クラスメートでお友達の1人の美里(みさと)さんが声を掛けてくる。

「あら、美里さんも咲美さんがお気に召しましたか?」

 それに対してやはり嬉しそうに答える私。

「それで相談なんだけど........ね、隙あらば奪い取っちゃっていい?」

「......そうですわね......」

 と少しだけ考える振りをして、

「だめ、ですわ。」

 人差し指を立ててきっぱりと言い放つ。

「ううっ、やっぱりぃ?」

 そして涙目(多分演技だと思う)の美里さんに、くすりと笑って、

「冗談ですわ。別に私と咲美さんはおつき合いしている訳ではありませんし。私たちは”お友達”ですから。」

 すると、美里さんは不意に笑みを漏らして私にこう告げた。

「ふふっ.......そう言えば最近の知世、少し変わったね。」

「そう......でしょうか?」

 そんな唐突な美里さんの台詞に戸惑いを見せる。

「うん。明るくなったっていうか......今なら言えるって感じだけど、今までっていつもどこか影があるっていうか、憂鬱な感じの表情をしている事が多かったじゃない?」

「............」

 憂鬱......やはり他の人からもそう見えていたのだろうか?だとしたら、私は........

「でも、いい傾向だと思うよ。」

 そう言って、ぽんっと私の後から軽く肩を叩く美里さん。

「.......そんなものでしょうかね。」

 私は美里さんの方に向く事なく、向こうで輪の中心になっている咲美さんの笑顔を見ながら独り言のように呟く。

「うん。........だから、大事にしてあげなさいよ。」

「ですから、別にそういう関係では.......」

 と反論しかけたところで、美里さんがなだめる様に、

「......だから、お友達として。ね?」

「......はい。」

 やはり私の方が意識過剰なんだろうか?今の私たちには、もう恋人とかお友達とかの明確な境界線なんて不必要な気もするのに、その一方であくまで”お友達”というのを必死で保とうとしている様にしている自分もいる........それが私と咲美さんとの距離が近づけば近づく程に。

 

 そして、

「.......知世、最近何だか楽しそうね。」

 その日の夜、夕食時に突然お母様も美里さんと同じ様な事を話しかけてきた。

「やっぱり.......そう見えます?」

 確かに咲美さんと一緒にいる時間を楽しいとは思っているけど、そこまで表情として現れているとは思わなかったから。

「ええ。学校で何か良い事でもあったのかしら?」

 ........まぁそろそろ話してもいいかな。そう思いながら、

「......そうでわね。実は、最近新しいお友達が出来たんです。」

 と切り出すと、お母様は「ふぅん」と私の顔をじっと見ながら呟き、そして、

「なるほど。.......お友達はお友達でも、他の人とは少し違うお友達って所かしら?」

 と。それに対して相変わらずお母様は鋭いなと感心しながらも、

「.......そんな所かもしれませんね。私自身はあまり意識していませんけど。」

「ふぅーん、どんな子なの?」

 そして私の返答に、強い関心を持った目でそう聞いてくるお母様。

「えっ.....と、そうですわね......」

 それで、私はまだ一度も見たことの無いお母様に一番簡潔に印象を説明できる言葉を頭の中をめぐらせて探し出始めた。そして、そんな中でふと思いついた言葉は.......

『さくらちゃんに、そっくりな人ですわ。』

「............!」

 その時に一番に浮かんだこの言葉。一瞬凍り付いた様に動きが止まる。

「.......知世?」

「さくらちゃんに......そっくり.......だから?」

「え?」

「やっぱり......そうだから.......私は.......」

「知世?」

 お母様の言葉は耳に入らずに、まるで呪文を唱える様にぶつぶつと断片的な言葉を呟く。

「ご、ごめんなさいお母様。」

 私はその場にいてもたってもいられなくなって、そのまま食堂を立ち去って自分の部屋に戻った。

 

「............」

 咲美さんは咲美さん。咲美さんはさくらちゃんではない。.......そのつもりだった。さくらちゃんに似ているという事は、初めて出逢って、そしてお友達になった日から一度も意識したつもりもなかった。むしろ、そうしない様に心の奥底に追いやっていたのかもしれない。けど........

『さくらちゃんに、そっくりな人ですわ。』

 美里さんやお母様がおっしゃる通り、私はさくらちゃんから離れた頃から気付かないうちに変わってしまい、そして又以前の、さくらちゃんと一緒だった頃の私に戻ろうとしているのかもしれない。

 そして、そのきっかけになっているのは間違いなく咲美さんで、そして.......

「咲美さんにさくらちゃんの面影を重ねているから.......」

 今も机の横にあるさくらちゃんの写真を見る。.......どんなに表層で違うと思っていても、無意識に心の奥底でさくらちゃんの姿を追い求めている自分の姿を今はっきりと気付かされていた。

 .......ならば......

「.......試してみましょうか。」

 さくらちゃんの写真の前で決意を込めて呟く。このまま咲美さんとの関係を続けるなら.......避けては通れないだろうから。何も知らないで私を慕ってくれてる、咲美さんの為にも。

 

「........綺麗なお月様ですわね......」

 そんな決心を決めた時、ふと窓越しに夜空を見上げると、満ちた月が煌々と輝いていた。

『さくらちゃん...ほら、お月様がわたくしたちを見てますわ。この月に、私たちの永遠の愛を誓いましょう.... 』

「う〜ん......」

 その月を見ていると、遙か昔にそんな事を考えたことがあったのを思い出して苦笑してしまう。あれは確かお泊まりでさくらちゃんと一緒に眠ったときに、ふと目に映った満面のお月様に心の中でいつかそんな日が来るのを願って呟いたものだった。

『あれからもう6年.......か。 』

 人は時の経過と共に移ろい、変わりゆくものと言うけれど........私はどうなんだろう?さくらちゃんに比べて、もしかしたら私だけ今だにあの時間の延長線上に身を置いているのかもしれない。望まない環境の変化に反発する様に外面は変わったように見せかけても、まだ自分の心の中はあの時のままで。そう、必死で失うことから抵抗しながら少しずつ失っている、そんなもどかしさと共に。

 


********

「あ〜、もうお別れなんですね〜」

 次の日の放課後、咲美さんがいつものお互いの通学路の分かれ道に立って名残惜しそうにそう呟く。この頃は私も咲美さんと同じ様な事をぼんやりと考えるようになっていた。これも.......やっぱりさくらちゃんに似ているから.......だろうか?
 そんな事を考えながら、私は、昨日の夜から決めていた台詞を咲美さんに告げる。

「........咲美さん。もしよろしかったら、これから私の家に寄っていきませんか?」

「え......?」

 突然の私の提案に少し驚いた表情を見せる咲美さん。

「勿論、咲美さんのお時間があればでかまいませんが。」

「え.....っと、その.......いいんですか?」

 躊躇いがちに帰ってきたその返答に、

「ええ。誘っているのは私ですから。」

 にっこりとした表情で返す。

「は.....はい。それでは........お邪魔させて.....いただきます。」

 それに緊張した面もちで私の招待を受ける咲美さん。その表情から咲美さんの緊張の半分の正体を気付いて思わず心の中で苦笑してしまう。......確かに初めて私の様な家に遊びに来るのはあまり気軽にとはいかないのかもしれない。

「では、参りましょうか。」

 咲美さんの了承を受けて私はそう告げると、そっと咲美さんの手を取り、自分の家へ歩き出す。

「あ.....は.....はい........!」

 そして、私の手が咲美さんの手を取ったときにほんのり頬を赤らめた咲美さんが、その時可愛いと思えた。

 

「.......ほら、こちらですわ。」

「え、えーっと.....(汗)」

 門を開けて中へ案内しようとしたところで、既に開いた門の前で躊躇を見せる咲美さん。本当にくぐっていいのだろうか、そう表情が語っていた。

「ふふっ、遠慮なさる事ありませんわ。お友達なんですから。」

 そう言って微笑むと、ようやくいそいそと門をくぐって私の後に付いて歩き始めた。そう言えばさくらちゃんも初めて私の家に来てくれた時も、緊張の面もちをなかなか崩さなかったことを思い出して笑いがこみ上げてくる。

「おかえりなさいませ、お嬢様。」

「ただいまですわ。」

 私がただいまを告げると、すぐ後にいた咲美さんに気付いて、

「そちらはお友達の方ですか?」

「えっ、はっ、はい!春日野 咲美といいますっ!」

「可愛いお名前ですね。ようこそいらっしゃました。」

「あ、ど、どうも。」

 にっこりと微笑まれたのにも関わらずびしっと背筋を立てる咲美さん。

「それでは後でお部屋までお茶を用意していただけますか?」

 そのやりとりにくすくす笑いながら私はそう告げる。

「はい、かしこまりました。」

 そして軽く一礼して去っていく家政婦さんにぺこぺこといつまでもお礼している咲美さんを見て、

「.......やっぱり、皆さん慣れてないとそんな感じなのでしょうかね。」

 私の部屋への廊下を歩きながら呟くように話しかける。

「あ、あはは。」

 それに苦笑いで返す咲美さん。

「いつか郁恵さん達を初めてお連れした時も、いきなり郁恵さん、「あ、本日はよいお日柄で〜」とか言い出して思わず吹きだしてしまいましたわ。」

「.......いえ、その気持ち、凄く分かります。」

 と、思い出し笑い混じりにそう告げる私に対して、咲美さんはうんうんと神妙に頷いていた。

「うわ......」

 そして、私の部屋に入った途端に咲美さんは感嘆の溜息を漏らした。

「わたしの部屋の何倍あるんだろう.......」

 と呟きながら、落ち着かない様子でしきりにきょろきょろと見回す。

「あまり広すぎでもかえって落ち着かない物ですわ。何処に腰を落ち着けたらよいのか困ったりして。」

「あ、あはははは。」

 正に今の自分がそうだと言わんばかりに苦笑いを浮かべる咲美さん。

「先輩はずっとこのお部屋で過ごされていたんですか?」

「.......そうですわね。小さな頃からずっとこのお部屋でしたわね。」

「はぁーーーーっ........あれ?」

 ほへーーーーっと言った感じでひっきりなしにきょろきょろしていくうちに、何かが咲美さんの目に止まったらしい。

「あ、それは......」

 どうやらその視線の先にあるものはビデオカメラらしかった。咲美さんは、興味に引かれるままに、とてとてとビデオカメラの方に向かって、

「先輩、もしかしてビデオお撮りになるんですか?」

 それを手に持って興味深そうにじーーーーーっと眺め始めた。

「ええ。昔はビデオカメラ片手に走り回って、お友達の姿を撮影したりするのが趣味だったんです。」

「へぇーー.......っ」

 その私の答えに関心と驚きとが混ざった声を挙げる。

「.......意外ですか?」

 私は答えの分かっている質問を敢えてしてみる。

「本音を言えば少しだけ.......です。」

 そして帰ってくる予想通りの返答。つまり今の学校に入学してからの私のイメージだととてもそうは思えない、そういう事になる。確かに最近はあまり色々動き回ることも無くなったけど........
 でも、一番カメラを触らなくなった原因は撮りたいものが無くなったからだろう。そう、わたしのカメラはほぼさくらちゃんを撮るためだけに存在してたのだから。

「でも、いいなぁ.......出来ればわたしも欲しいです。」

 咲美さんはそう言いながら、壊さないように注意を払いながらもあれこれと弄り続けている。

「あら、何でしたらお譲りましょうか?」

 その咲美さんに、私は冗談半分に持ちかけてみた。

「え?」

 当然きょとんとする咲美さん。

「そうですわね......何を撮るつもりなのかによりますわね。」

 そう言って試すような目で咲美さんを見ると、彼女はさほど考える素振りもなく、

「そりゃもう、学校に持ち込んで知世先輩を撮るに決まっているじゃないですか♪」

 と嬉しそうにカメラをこちらに向けてきた。

「.......う〜ん.......」

 何となくその風景がありありとイメージ出来すぎて苦笑してしまう。このまま譲ったら、しばらくは本当に毎日ビデオカメラを学校に持ち込んで撮影しそうで。それで撮影したテープを手書きのレーベルで分類した後にずらりとお部屋に並べて1人自己満足に浸ってみたり.......

『きっとなさるんでしょうね.......』

 何より自分がそうしていただけに確信めいたものがあった。最も、さくらちゃんと違って、平凡な日常の風景ばかりになるだろうけど、それは大した問題ではないだろう。私とて、もしさくらちゃんがカードキャプターで無くとも何かと理由を見つけては可愛い服を着せてさくらちゃんの姿を撮り続けただろうから。

「では......考えておきますね。」

 でも、今度は逆に被写体の立場に立ってみるのも悪くはないかもしれない。それに、そのビデオカメラはもう私の役目は終えているだろうから.....もし私と同じ様な気持ちの人が必要としているのなら、その人の手に委ねるべきなのかもしれない。

「え、本当ですか?でも......凄く高価なものですよね?これ.......」

 驚いた顔で私を見る咲美さん。

「........だからこそ、もう私が使うつもりが無いのなら、必要としている人に預ける方がいいかもしれませんから。」

 長年使い続けて込められた想いと共に先輩から後輩へ.......か。

「..............」

 いや、その前に......どうしても確かめておかないといけない事があった。とは言え.......

『.....どうやって切り出したものでしょうか.....』

 元々それが目的で、今日此処まで咲美さんをお招きしたというのに、私自身なかなか踏ん切りが付かないでいた。何かきっかけがあれば.....と思いながらも、自分からお話を進めるのを躊躇って、その事から逃げていた。

 そんな時、

こんこん

 と、突如自室の部屋をノックする音が響く。

「どうぞ。」

 その私の返事のすぐ後で、「失礼します。お茶をお持ち致しました。」の声と同時に、先ほど頼んでおいたお茶が運ばれてきた。

『.....ちょうどいいですわね......』

 と、その頃合いの良さに満足感を覚えながら、

「とりあえずお茶にしましょうか、咲美さん。」

 と促した。

「あ、はい.......」

 そして咲美さんもビデオカメラを一端置いて、遠慮がちに私に習ってお茶が置かれたテーブルに向かって来る。

「それでは、どうぞ。」

「あ、は、はいっ、いただきますっ!」

 紅茶の入ったカップを相変わらず緊張気味に受け取る咲美さん。先ほどビデオカメラを触っていたときに解れた表情がまた少し引きつってきていた。

「......では私も。」

 と咲美さんに続いてカップを手に取り、淹れたての紅茶を口に運ぶ。そのふくよかな芳香が先ほどまで焦っていた心を幾分かは落ち着かせてくれる心地がした。

「ふぅ.......」

 一口飲んで視線を目の前に戻すと、

「すごく美味しいです、このお茶。」

 と感動を表情に表して私に訴えかけてきた。

「.......それは良かったですわ。」

 それににっこりと微笑んで返す。

「しかし.......」

 そして、カップから立ち上る湯気を眺めながら、

「やはり初めて他の人の家に来られたときは落ち着かない物ですわね。」

 ととりあえず話題を切り出す。

「あ.....はい。あはは。」

 それに対して咲美さんは苦笑しながら相づちを打った。しかも私の家みたいな所だと尚更なんだろうなと思いながら。そう言えば郁恵さんや美里さん達も、あまり進んで私の家には遊びに来たがったりしないという事も思い出されてくる。

「まぁ、それも最初だけ。これから幾度もお越しになさっていくうちにすぐに慣れますわ。」

「.......はい。」

 その私の台詞に、とても嬉しそうな笑顔で頷く咲美さん。

「.......ふふ。」

 そう。私は彼女のこの笑顔が大好きになっていた。この笑顔を見ていると、何だか心のそこから暖まるような心地がして、

 ........そして、さくらちゃんの面影を一番感じる事が出来るから。

『..........』

 だけど咲美さんはその事を知らない。私が彼女に寄せている好意は、咲美さんに自分の想い人のイメージを重ねているからという事を。そして、それは心の表側で否定しても、心の裏側の無意識の部分で行われていておそらく今の私には切り離すことは出来ないと思う。
 だから、思い切って話してみようと思った。本当の事を。........彼女に、私と、さくらちゃんの事を。

 それはもしかしたら咲美さんを傷つけてしまう結果になるかもしれない。......でも、このまま何も本当の事を教えないままでいるよりは遙かにいいと思うから。何より、例えお友達としてでも、咲美さんの事を自分にとって大切な人だと思える様になってきたから。

 それに、今なら......まだ離れることが出来るだろうから。もしこれからもっと二人の距離が近づけば、きっと最後まで言い出せなくなってしまうだろう。いや、寧ろそれはもう手遅れになりかけているのかもしれない。

 ......もう既に、こうしてその結果を恐れている自分がここに存在しているのだから。

「.........咲美さん。」

 もう一口だけ紅茶を飲んだ後でカップを静かに置き、真剣な眼差しで彼女を見た。

「........はい。」

 その視線に気付いて、咲美さんも神妙な表情に変わって私を見る。

『.....恐れないで......』

 心の中でそう自分に言い聞かせながら、

「お話ししたいことが.......あるんです。」

「......はい。」 

 私に合わせてじーーーーーっと私の目を見る咲美さん。考えてみたら端からみるとあまりに滑稽な構図なのかもしれない。

「実は......」

 決意も決めて、話し出そうとしたその時、

「知世〜?」

 と部屋の入り口のドアの向こうから聞き慣れた声がして、軽いノックと共に私の返事を待たずにドアが勢いよく開かれた。

「........お母様?お、お帰りなさいませ........」

 突然のお母様の思いも寄らぬ登場に少し驚いて思わず口ごもったが、

「今お友達が来ているんですって?」

 とにこにこと興味深そうにそう問いかけて来たところで思い出した。そう言えば前も......郁恵さん達の時もこうして私のお友達の顔を見に来たんだったと。

「ええ。先日少しだけお話しした方ですわ。」

 それを思い出すと私は平静に戻って、

「あ.....えっと.........」

 まずは状況があまり飲み込めていないらしく、少し混乱している咲美さんに、「私のお母様ですわ。」と紹介する。咲美さんも突然お母様が入ってきたときは呆気にとられていたものの、それを聞くと慌ててお母様の方に向いて、

「あ、ど、どうも初めまして。春日野 咲美といいます。」

 と玄関の時と同じく、自分の名前を告げるとぺこぺこと何度も深々とお辞儀し始めた。

「咲美ちゃんね。私は知世の母で大道寺 園美と言います。いつも知世がお世話になってます。」

「あ、いえ、そんな......先輩にはわたしの方こそいつも........」

 と赤くなりながら咲美さんの顔がにっこりと微笑んでるお母様と合ったとき、

「......あ.......っ」

「.............」

 お母様が咲美さんの顔を見て驚いた様な声を挙げて、そして、

「........さくら.......ちゃん?」

 思わずそう呟いた。

「?」

「.......ええ、良く似てらっしゃるでしょう?」

 突然出てきた知らない名前に戸惑う咲美さんを後目に、私はお母様ににっこりとそう相づちを打つ。

「あ、あの.....さくらちゃんって.......?」

 奇しくもきっかけは与えられた。.......もう後戻りは出来ない。

「.......とりあえず私の机の隣の写真立てをご覧になって下さいな。」

 私はお母様に向けた笑顔そのままで、極めて平静にそう咲美さんに促した。

「知世......」

「.......お母様、感謝しますわ。こうして機会を与えてくださった事を。」

 私の言葉通り、机に向かった咲美さんの後ろ姿を見ながら声を掛けてくるお母様に、涼しい顔でそう私は答えた。お母様には皮肉に聞こえるかもしれない台詞だったが、これが私の本音だったから。

「............」

 そして、

「.........あ。」

 目的の物を見つけた咲美さんがぽつりと呟いた。

「そう。その方が、さくらちゃんですわ。」

 どうやら自分にどことなく似ているという雰囲気を自分でも感じ取った様子で、じっと写真を見つめている咲美さんの背中越しにそう告げる。

「.......この人が........」

「.......そう。私の一番大切なお友達で、.......そして私の一番好きだった想い人。」

「.....想い人......」

「.......”だった”という過去形はおかしいですわね。おそらく私は今もきっと.......」

「.........」

「そしてその始まりはもう6年も前から......になります。」

 淡々と語りかける私の言葉を背中で受け止めながら、咲美さんはしばらく無言で写真を見つめた後、

「........この人は、今どうされているんですか?」

 と静かに問いかけて来た。

「さくらちゃんは......ようやく気付いた、あの人にとっての一番大切な人と共に幸せの中におられますわ。」

 それにも相変わらず淡々と答える私。まるで許されることを放棄した懺悔でもしているかの様に。

「...........」

 咲美さんは、私の返答を背中に受けた後、少し躊躇う様な素振りを見せながら再び私に質問を投げかけてきた。

「....先輩は......知世先輩は、自分の想いを告白されたんですか?」

 私は、咲美さんの質問に対して彼女の背中に向けて静かに首を横に振り、

「いいえ.......私の願いは一番大切な人に幸せになって貰うこと......さくらちゃんの中で別の人の存在が誰より大きくなりはじめたと気付いた時に、そう自分の答えを導き出して.......ふふっ、奇しくもさくらちゃん自身が気付く前ですから、色々お手伝いも致しましたが。」

「知世.......それは......」

 と口を挟もうとしたお母様の言葉を遮って、

「いいんです。.......愛の形は決して一つではありませんから。自分と共にいる事がさくらちゃんにとって一番の幸せでないならば、私はさくらちゃんを自分の中で縛り付けたくは無かったですから。」

 .........それが私の出した答え。私なりのさくらちゃんへの愛の形。

「それでも、そう思いながらも、先輩はその人と似た人を捜し続けて.......そしてわたしと出逢った。」

 実際あのお二人の距離を縮めていくお手伝いをしていた頃は全く感じていなかった。寧ろ日に日にお互い惹かれていく様になったあのお二人を見るたびに私も幸せを感じていたはず。......しかし。
 あのお二人が涙と共に抱きしめ合ったのを見届けたあの日......私の橋渡しの役目も終わったと実感したあの日、私の心に何か淀みのような別の感情が生まれた。そして、それが何なのか自分でも分からないままそれは私の心を蝕んでいき.......次第に私をさくらちゃん達から遠ざけていったのだった。

「........はい。最も、その事に自分自身気付いたきっかけはあなたとの出逢い......ですが。」

 .........でも、私は気付き始めているのかもしれない。

「........わたしとお友達になってくれたのも、わたしがそのさくらって人と似ているからだったんですか?」

 咲美さんの声が微かに震えていた。私に裏切られた......そんな心境なのだろうか。

「........どういう形であれ、私にはそれを完全に否定することは出来ません。」

「............」

 そのまま訪れる沈黙。それは風の無い空間の中でまるで時が止まったように。

 .......咲美さんは今いったいどんな気分でさくらちゃんの写真を見つめているのだろう?やはり、話さない方が良かったのか?止まった周囲の時間の中で私の思考だけが様々な思いを交錯させながら駆けめぐる。

 

 ......しかし、その静寂も不意に咲美さんの声で破られた。

「........本当に先輩は、それで良かったんですか?」

「え?」

 相変わらず私に背中を向けた状態で私にそう語りかける咲美さん。

「........それで先輩自身は、幸せになれたんですか?」

「............」

 ......私......が......?

「......悲しすぎるじゃないですか、そんなの......」

 咲美さんの震えた声が私の部屋に儚く響く。

「悲しすぎるって......」

 そんな事、私は考えたことも無かった。私は......正しい選択をしたはず。さくらちゃんと小狼君と......そして私自身の為に。

「だって.......今の先輩は、必死で逃げているんですもの。自分の信じた選択の結果から。」

「逃げ......てる?この私が.......?」

 .......どうしてだろう。咲美さんの言葉が私の心に突き刺さって来る様な、そんな感覚を私は受けていた。

「それでも今でも自分の行動を信じてるから......だから自分が心の底で抱えている悲しみにも気が付かずに......」

「わ、私は決して悲しんでなんか........!」

 その咲美さんの台詞に、今日初めて感情的な態度で反論する私。

「......先輩。」

 その私の反論に、咲美さんは一度私の名前を呼んで制した後で、悲しみと、そして哀れみに満ちた瞳を持って私に振り返り、

 ......そして私に冷たく言い放った。

「だって......先輩は、失恋したんですから。」

「.........!」

 失恋した......私が.........さくらちゃんに........?

「私が........失恋...........?........う........っ うぁぁ........っ!」

 その言葉を受けた瞬間、突然ぼろぼろと涙の粒が、まるでせきを切ったようにあふれ出してくる。

「私.......さくらちゃんに.........っ さく....ら........」

 言葉にならない言葉を発しながら、その場にしゃがみ込んで止まらない涙を溢れさせていく。

 まるで、今まで抑えていた何かが弾けたように、それは突然決壊したダムの様に止めどなく溢れていった。

「あ......ご、ごめんなさい.......っ わたし......先輩のお気持ちも知らずに勝手なこと........っ!」

 その後で自分の言葉に強い罪の意識を背負い、そして踵を返してだっと私の部屋を飛び出していく咲美さんも呼び止める事も出来ずに、

「うぅ......っ.......ぐす.......っ ひく........っ」

 .......ただ私は側で優しく抱きしめてくれたお母様の胸の中でひたすら泣き続けた。まるで全てを自分の涙で精算するかの様に。

 

 

***********

 

 そして、何時間も泣き続けてようやく落ち着いた時、私は自分のベッドの上に独りで横たわっていた。泣き疲れて一度は眠っていたけど、その途中で目が覚めてしまった......そんな所だろうか。

「............」

 窓から差し込んだ月明かりをじっと見つめながら、漠然と色々なことを考えていた。結局泣きやむまでずっと側にいてくれたお母様の事、走り去ってしまった咲美さんの事、........そして、さくらちゃんの事。

『だって......先輩は、失恋したんですから。』

 頭に浮かんで来る先ほどの咲美さんの言葉。この言葉が心の琴線に触れた後、私は自分でも怖いくらいの勢いで涙がこぼれ落ちた。それはまるで今まで溜めていた涙が一度に溢れかえった様で、そしてまるで今までの自分を洗い流すようで..........
 でも、それが止まった今は驚くほど冷静に先程の言葉を受け止めていた。

「私は.....さくらちゃんに選ばれなかった.......」

 ......そう。結局はそれが結果だった。でも、それは既に覚悟の上で、私は”好きな人の幸せは私の幸せ”という答えを引き出したはず。

「..........」

 もし私が、咲美さんがそうした様にさくらちゃんに自分の想いを告げれば、さくらちゃんはきっと断れなかったのを知っていたから.......だから.......私は自分の想いを告げることをしなかった。
 ........私の為にさくらちゃんを縛りたくはなかったから。私が一番の幸せを手にするなら、さくらちゃんにも一番の幸せを掴んで欲しかったから。

 でも、それが本当に私の出すべき答えだったんだろうか?私の答えは間違っていたのだろうか.......それとも本当の答えはもっと別の所にあったのだろうか?

 多分その答えを出す事が出来るのは........

「......咲美さん。」

 そんな時、ふと咲美さんの姿が脳裏に浮かぶ。考えてみれば、予期しない展開だったとはいえ彼女には辛い役回りを演じさせてしまった。

 ......もしかしたら今回の事で嫌われたかもしれない。......でも、それでも.......

「.........」

 明日、顔を見せてくれるだろうか?いつもの様に昇降口で待っていて、「知世先輩、おはようございます!」って太陽の様に眩しい笑顔を見せてくれるだろうか.........

「それは多分.......」

 我ながら愚問だったと、そんな事を考えてしまった事を後悔すると、そのまま眠りに就き始めた。

 ......明日、寝坊してあの人を待たせてしまわない様に。

 

 

 そして次の日、いつもの時間に目覚めて、そしていつもの様に登校すると、昇降口のいつもの位置でやはり自分の見知った顔を見つけた。

「.......おはようございます。咲美さん。」

「おはようございます、知世先輩!」

 私の姿を見つけて開口一番、満面の笑顔でそう挨拶してくる咲美さん。それは、いつもと変わらない朝の風景だった。.......とはいえ、考えてみればまだほんの一月程なのに。それでももうそれが私にとっての日常になっていた。

「.......先輩、昨日はごめんなさい。わたし.......」

 そして少し表情を落として謝罪する咲美さん。

「いいえ。お気になさらないで下さい。......むしろ、一晩泣いてすっきりしましたわ。」

 それに対して、私は笑み浮かべながらそう告げた。

「まだ、自分の本当の答えは出てないんですけどね。」

 とも付け加えて。

「えっ.....と、それでなんですけど........先輩、今日放課後お時間ありませんか?」

 そしてふと遠慮がちにそう申し出る咲美さん。

「ええ、構いませんけど。」

「でしたら、放課後屋上でお待ちしてますので、来ていただけませんか?」

「屋上に?」

「はいっ、是非お話ししたいことがあるんです。」

 とにっこりと笑う。

「.......分かりました。必ず参りますね。」

「はいっ!」

 

*************

 そして放課後までの時間は瞬く間に過ぎていき、私は咲美さんとの約束通り屋上に向かい、そして入り口の扉を静かに開いていた。
 すると、屋上に出た私の視界に逆光で西日が差込み、そしてその視界の向こうでフェンスの前に立っている1人の女子生徒の後姿が映る。......ほんの一月前、遅咲きの桜がようやく舞い始めた頃、私と咲美さんはここでこうして出逢った。

「咲美さん.......?」

「.......来てくださったんですね、知世先輩。」

 あの時と同じ台詞と共に、ショートカットの髪を少しだけなびかせながら振り返る。沈み行く夕日を背に受けて微かに微笑みながら。

「........ええ、約束しましたから。.......それとも、もしかしたら私は来ないと思ってましたか?」

 その微笑みに、私は少しだけいつもと違う咲美さんの雰囲気を受け止める。

「........正直言うと、ちょっぴり不安でした。だってわたし......」

 やはり昨日のことを気にしているらしい。

「今朝も言ったとおり、その事はまったく気にしてはいませんわ。......寧ろ、感謝しなければいけないかもしれません。」

 そう。あの言葉は私なんかよりも、寧ろ言った咲美さんが一番辛かったと思う。.......あれは本当は私自身で気付かなくてはいけなかった事なのだから。

「そして、謝らなければいけないのかもしれません........」

 そして、私はそう言って咲美さんに頭を下げようとしたとき、

「........でも、一番苦しんだのは先輩だったじゃないですか。」

 咲美さんはそれを遮るようにそう言った。

「ですが、それは全て......」

 私の自業自得と呼べる物だから。しかし、咲美さんは更にその言葉も遮って、

「.......人を好きになるのがいけない事なんですか?一番大切な人の側でずっと一緒にいたいって.....そう思うのは当たり前じゃないですか。先輩も本当はそれを望んでいたはずです。」

「..........」

 ......そう。確かにそうだったのかもしれない。本当は、私はずっとさくらちゃんの側にいたかったはず。

「.......だけど、先輩はそれをしなかった。自分の好きな人にとっての一番大切な人が他にいる事を知っていたから。だから......その人の為に自分の気持ちを別の形に封じて........そして先輩はその人の元を去って.......」

 ......違う。私は本当は嫉妬していただけだった。自分で望んで得た結末の筈が、あのお二人が幸せになっていく行く末を見守る事が耐えられなかっただけ。

 本当は答えなんてずっと前から出ていたはずだった。でも、やはり咲美さんの言った通り、私はそれから必死で耳を塞いで逃げていたのだ。

「.......咲美さん。私は.......」

 でも、今更その事に気付いても最早どうにもならなかった。もう後に残るのは悲しみの痕(きずあと)だけだから。

「それで、わたし昨晩ずっと考えてたんです。わたしが先輩に出来る事は無いかって。」

 そんな私に、咲美さんは優しくも、微かな憂いを帯びた表情でそう言い、そして

「そして、やっと一つだけ思いつく事が出来たんです。それは.......」

 初めて出逢った日に私に告白した時同じ様に、決意をこめてぎゅっと手を握りしめて、そして真剣な眼差しで私の目を見つめてこう告げた。

「先輩、今度からわたしと先輩の二人だけの時は、わたしの事「さくらちゃん」って呼んでください。」

「え........?」

 それは、万が一にも予測し得なかった、あまりにも突拍子の無い提案だった。私は呆気にとられた顔でそのまま絶句してしまう。

「わたし......咲美は所詮咲美。さくらさんになりきれないのは重々承知の上です。......でも、それでも先輩がわたしにさくらさんの面影を重ねることで少しでも先輩の心を和らげる事が出来るなら.........」

 でも咲美さんの顔は真剣そのものだった。一つ一つの言葉に、確かに彼女の純粋な想いが込められていた。

「わたし、馬鹿だからこんな事しか思いつきませんでしたけど........それに、もしかしたら先輩を更に深く傷つけるだけかもしれないけど........」

「咲美さん........」

「でも、わたし先輩のお役に立ちたいんです!」

 それきまるではち切れないばかりの悲痛な叫び。咲美さんは私の顛末を知って、それでも私と同じ苦しみを受け入れようと言うのか。......私の為に。

「......咲美さん。」

「...........」

「本当に........」

 ようやく絞り出せた声で彼女の名前を呼び、自分も叫んでしまいそうな程の感情を抑えながら、

「本当に........それでよろしいのですか?もし、もし私があなたのその提案を受け入れたら........私が見ているのはあなた自身では無い事になるんですよ?そして、せっかく大きくなりかけた私の中の貴方の存在も全て.......」

 消えてしまう。私の心の傷を埋めるために彼女の私への本当の想いと共に。
 ........どんな理由があれ、それだけは絶対に受け入れられない事だった。いや、少なくとも咲美さん......彼女にだけはこの痛みを味わわせたくなかった。何故なら、彼女にとっての私だけなくて、もう私にとっても掛け替えのない存在になろうとしているのだから.......

 しかし、そんな私の言葉に対しても、彼女は穏やかな表情でそれを平然と受け止めて、

「.......いいんです。だって、それならずっと先輩のお側にいられますから。」

 と。

「...........!」

「どういう形であれ、わたしは先輩と一緒にいる時が自分にとっての一番の幸せですから。」

「咲美......さん........」

 再び私は言葉を失う。

「たとえ嫌われたとしても.......わたしがその人の一番になれなくても、それでも.......それでもわたしはずっとその人と一緒にいたい。だって.......好きになっちゃったんですから、世界で一番大切な人だって.......誰に対しても胸を張って言えるんですから。」

 そう私に告げる咲美さんの心には何の曇りも、一片の迷いも無かった。
 .......そして私は知った。これは私への自己犠牲なんかじゃないと。そう、これが彼女の答え.......これが彼女なりの愛の形なのだと。痛々しいほど純粋で、一途で.......それでいて包み込むような優しさと強さを持って。

「本当に......私とは正反対の答えを出すんですね、あなたは。」

 ........私はそんな彼女が羨ましいと思った。そして同時に......愛おしくてたまらなかった。

「あ......っ!」

 突然私に抱き寄せられて驚いた声を挙げる咲美さん。私が咲美さんが愛しいとそう思った次の瞬間、私は彼女をこの手に抱きしめていた。.......いつも私の側にいて、そして私を一番大切な人だと言ってくれた人を。

「私は.......あなたが羨ましいです。もし私にもあなたの様な言葉が言えたなら.......」

「先輩......」

 .......そう。私はいつも悲しみから逃げていた。大切な人の幸せは自分の幸せと心の中に逃げ場を作り上げ、その一方で来ることのない奇跡を待ち続けて.......私の時間はあの時から止まっていた。

「.......だけど、それでも今度はあなたに出逢うことが出来た。......咲美さん。」

 でも......もう再び止まった時間を動かそう。閉ざしていた私の心を開き、そして手を差し伸べてくれた人の為に。

「.......知世先輩.....わたし......わたし.......!」

 ........そして、真実を見極めて.......今度こそそれを受け止めよう。

 私はそっと必死で言葉で自分の想いを紡ごうとする咲美さんの唇を指で遮った。

「.......咲美さん、もう何も言葉はいりません。」

 そう、彼女が私を必要としているのと同じように、私もこの少女が必要なのだと気付いたから。そしてそれは、決してさくらちゃんの代わりとしてなどではなかった。私が今求めているのは......

「私も......咲美さん、あなたが欲しい.......です。」

「.......はい!」

 私は恐れていた。もし自分の出した答えが間違っていたのが真実だったとしたら......もう失った時間と、そして大切な人は二度と戻っては来ないから。やがてその真実は誰を恨むことも、そして誰にも縋ることも出来ないまま決して消えない心の傷になって、終わることのないその痛みを受け入れて生きていく事が出来ないだろうから。

 ........そう。あの時最後まで笑っていた私は........本当は泣いていたのだから。

 私の言葉を受けると彼女はそっと瞳を閉じ、そして互いに引き寄せられるようにして距離を近づけ、そっと唇を重ね合わせた。

「ん..........っ」

 互いの鼓動とぬくもりを感じながら、夕焼けに赤く染まった世界の中で私たちは新たなる契りをここに結んだ。

 そして、夕日に照らされた影が一つに重なったこの時、私はようやくあの時以来今まで背負ってきた全てを想い出の中に還す事が出来た様な気がした。それは、ようやく踏み出せた新たなる一歩と共に。

 

 

「えへへ、やっぱり照れますね。」

 帰り道、いつものように夕日の中を二人で歩いている時、咲美さんは繋いだ手を見て照れくさそうに微笑む。どうやらすっかりご満悦そうな様子だった。

「......そうですわね。」

 私はそんな咲美さんを愛おしげに見つめる。確かに”友達”から”恋人”に変わった感覚、それは思ったより大きい物だった。
 .......でも、本音を言うと、私の方は少々物足りなく感じてもいた。もっと咲美さんを感じていたい、そんな欲求が先ほどから私の心に渦巻いていた。

「.............」

「あ〜、もうそろそろ分かれ道ですね......残念。」

 視界に現れたいつもの分かれ道を見て、咲美さんはせっかく繋いだばかりの手を離さなければならない事を残念がる。

「でも、今日限りなんかじゃないんですよね。これからはいつでも.....」

 と先ほどまでのご満悦な表情に戻った所で、

「........ね、咲美さん。」

「........はい?」

 きょとんと私の方を振り返る。

「二日連続になりますけど........今日もこれから私のお家に寄って行きませんか?」

「え.......」

「実は私.......まだまだ足りないんですの。だから.........ね?」

 と、繋いだ手をやや強める。

「は......はい.........」

 すぐに私の言葉の真意を汲み取ったのか、咲美さんは恥ずかしそうにそう頷くと、うっすらと頬を赤らめる。

「........それでは、参りましょうか。」

「.........」

 彼女はこくんと一度頷くと、私に手を引かれるようにして歩き始めた。

 

「.......まだ、落ち着きませんか?」

 家に戻って、早速私の部屋に移動した後で、相変わらずきょろきょろと落ち着かない感じの咲美さんに声をかける。

「いえ、その.......今日は特に....その........」

「.......ふふっ。大丈夫ですわ。気を楽になさって。」

 と後からそっと抱きすくめると、抱きしめた腕越しに咲美さんの心臓の鼓動が伝わってきた。

「あら......もうこんなにドキドキと.......」

「あ、あう.......先輩......っ」

 どうやらかなり緊張しているみたいで。

「.......まずはそれを解さないといけませんわね。」

 私は後から抱きすくめたまま、ベッドの端に腰をかけた。

「先輩......」

「ほら、力を抜いて........」

 そして、私の膝の上に座る咲美さんにそう耳元でささやきながら、彼女の躰を両手で包みこむ。

「........先輩.....暖かい........」

 抱きしめた私の手を両手で軽く支えながら呟く咲美さん。そんな時、ふわりと咲美さんの香りが私の鼻孔をくすぐってきた。

「..........」

 それを受けて、私の高陽も高まり、そして心臓の鼓動も次第に早くなって来る。それでも何とか冷静保ちながら、私に身を預けてくる咲美さんを受け止め続けた。

「......出来ればずっとこうしていたいです。先輩......」

 私が抱きすくめたままでゆっくりと流れる時間の中で、幸せそうにそう告げる咲美さん。.......だけど私は敢えてそれを止めようとした。

「.......それも悪くないですけど、でも......やっぱりいつまでもこのままなのは少し困りますわ。」

「え......どうして.......?」

 咲美さんの顔が少しだけこちらに向く。私に抱きすくめられて動けない状態だとそれが限界なんだろう。

「だって......この体勢だと、咲美さんのその可愛い唇を奪えませんもの。」

 くすりと含みながらそう告げる。

「あやや......」

 その私の台詞にそのままぽっと顔を赤らめる咲美さん。その純真さに更に愛おしさがこみ上げてくる........というか先ほど私が恥ずかしい言葉ばかり口走っているだけなのかもしれないけれど。
 .......でも、それならそれで面白いかもしれない。

「ほら、先ほどの夕焼けの中の時みたいに.......ね。」

「は....はい.....先輩.....」

 そして促すままに咲美さんと私は一度立ち上り、向き合った状態でそっと咲美さんの肩に手をかける。そしてそのまま咲美さんの目を見つめようとするが、咲美さんは恥ずかしそうに私の視線を逸らして俯いた。

「.......ふふ。どうしたのかしら?」

「あの.....今のわたし、先輩に見つめられるのが凄く恥ずかしいんです。自分でも良く分からないくらい.....」

 目をそらして赤らめたまま、か細い声でそう答える咲美さん。一方の私の方はと言えば、彼女のそういう仕草に更なる扇情感を煽られていた。

「......こちらをお向きなさいな。」

 私は敢えて聞かない振りをして、咲美さんの顎の下にそっと手を伸ばして少しだけ強引気味にこちらを向かせる。

「あ......」

 そしてじっと咲美さんの目を見つめると、咲美さんの目が小さく見開かれた。怯えと期待の入り交じったような、そんな瞳。そして、

「咲美さん......愛してますわ。」

 そのまま私は少し演技がかった口調でそう告げると、

「ん.......!.......ん........っ」

 咲美さんが何か返事をする前に間伐入れず咲美さんの唇を奪った。
 .......そしてこれが本日二回目の口づけ。そのまま咲美さんの柔らかい唇の感触に酔いしれながら手を背中に回して抱きしめると、制服越しから体全体で咲美さんの体温が伝わってくる。

「.........っ」

 重ね合った唇越しから咲美さんの吐息と共に咲美さんの目が次第にとろんと潤んでいき、そして抱き寄せた手から彼女の力全身の力がゆっくりと抜けていくのを感じた。.....少し落ち着いてきたみたいである。

「.......先輩.......っ」

 ようやく唇を離した後、咲美さんがすっかり力が抜けてとろんとした目で私を見つめているうちに、私は不意に体重を前に預けて、そのまま咲美さんを後のベッドに押し倒した。

「あ........っ」

 どさっという軽い音がして、私は咲美さんに覆い被さるような形になる。いささか強引だったかもしれないけど.......

「咲美さん......」

 私は不安の混じった目を見せる咲美さんに優しく声をかける。

「.......怖いですか?」

「.......ちょっとだけ、怖いです。」

「そう.....」

「あ、でも......」

 そして俯いたまま躊躇いがちに、

「知世先輩にだったら.......いいです。」

 ぽつりとそう小さく呟いた。

「........かわいいですわ。咲美さん。」

 それだけ言うと、私はもう多くの事は話そうとせずに、もう一度軽く唇を交わし、そしてゆっくりと咲美さんの頬や首筋などを順々に口付けていく。

「ん........っ」

 それに対してくすぐったい様な声を挙げて反応する咲美さん。私は更に自分の手をそっと咲美さんの胸に当ててみた。

「あ......先輩.......っ」

 そして、咲美さんはそんな私の行為を不安気に、それでいて悩ましい表情で私の行為を見つめる。制服の上着越しからでも右胸からとくん、とくんと心臓の鼓動が伝わっていた。

「.........」

 ........もっと直接触れて感じたい。そんな欲求が私の中で渦巻く。

「ね、制服越しじゃなくて......もっと直接咲美さんの温もりを感じたいですわ。」

「知世先輩.......はい。」

 咲美さんが赤らめながらもこくんと頷いたのを確認して、まずはゆっくりと彼女の上着に手をかける。

「...........」

 脱がせた上着を丁寧に畳んで側に置き、今度は胸元のリボンを解いて、そしてブラウスの一番上のボタンから順に外していく。一つ一つボタンを外すたびに咲美さんの透き通るような白い肌が覗いてきて、同じ女性であるはずの私でも心臓が更に早鐘の様に鳴り始めてくる。

「......あ、あの......先輩......っ!」

 そして、3つめのボタンを外したところで咲美さんの不意に呼び止める声で手を止める。

「どうしました?」

「あの、良かったら.......先輩も脱いで......下さい。」

 そのまま視線を逸らしたままで弱々しくそう訴える咲美さん。どうやら自分だけ脱がされているという事が咲美さんの羞恥心を強く煽っているみたいだ。だから.....

「......分かりました。でしたら先に私が脱ぎますわね。」

 そのまま咲美さんを脱がせる手を一端止めて、今度は自分の衣服をするすると脱ぎ始める。咲美さんと同じように着たままだった上着を脱いで、そしてリボンを解いた後で咲美さんの前でボタンを一つ一つ取っていく。

『......しかし.....』

 ブラウスを脱ぎ捨てた所で、咲美さんの感じていた羞恥心を自分にも体感させられて、思わず私自身も頬を赤く染めてしまう。

『......確かに.....これは少し恥ずかしいかも.....』

 不思議な感覚だった。この恥ずかしさは郁恵さん達と学校で一緒に着替えている時には感じる事の無い感覚。

 やっぱり好きな人の前だから.......だろうか。そして咲美さんも.......
 とは言え咲美さんを安心させる為にも私があまり躊躇する訳にはいかないので、すぐさまスカートのホックに手を伸ばして、ゆっくりと外していくと、やがてするりといった軽い音と共に私の腰の部分から足下へスカートが落ちていった。

「わぁ.......先輩........とても綺麗........です。」

「そ、そうですか......?」

 感嘆しながら私の体をじっと見つめる咲美さんの熱い視線を受けて、思わず両手で隠してしまう。......見られるのがこんなに恥ずかしいなんて。

「.......ホントに......思わず見とれちゃいます。」

「う......あまりそういう台詞を言われると......」

 更に恥ずかしさが倍増して体が火照ってくる様な心地がした。......先ほどまで私が咲美さんにがそういう台詞を言っていたのに。

「でも......同時にちょっぴり後悔してます。」

「え.......?」

「先輩に先に脱いでもらった事........だって........」

 そう言って咲美さんは自分の胸にちらっと目を向けた。

「.......そんな事はありませんわ。」

 そんな咲美さんを見て私はくすりと微笑むと、再び咲美さんに覆い被さるように顔を近づけて、

「私にとって、今私の目の前にいるのが咲美さんであるという事、........それだけで充分。」

 我ながら歯の浮く台詞だなと思いつつもそう囁きかける。

「あ、あの......それって.......」

「ふふっ、勘違いなさらないで。咲美さんにはこのくらいの方がお似合いで可愛いって事ですから。」

 そして、途中まで外していたボタンの残りを外していく。

「う〜......っ」

 何やら複雑な表情を見せる咲美さん。ボタンを外したブラウスを左右に取り払うと、白に薄桃色の小さな花柄がプリントされた生地に包まれた咲美さんの胸が露わになる。........それは、まだ幼さを残した慎ましげで小さな膨らみ。

「........かわいい。」

「......恥ずかしいです。」

 そして、私の視線を受けて両手で胸を覆い隠す咲美さん。私はそれに構わず、今度は位置をずらしてスカートを下ろしにかかる。

「.........っ」

 咲美さんはぴくっと一瞬体を硬直させながらも、腰を少しだけ浮かせて脱がせやすいようにしてくれた。胸の方とお揃いの白に小さな薄桃色の花柄。とても咲美さんらしくて可愛いと思った。

「咲美さんも.......綺麗ですわ。凄く。」

「........先輩..........」

 そうして、そっと露わになった咲美さんの肌に手を触れると、先ほどまでの制服越しとは違って咲美さんの肌のぬくもりが直接自分の手に伝わって来た。

「あ.........っ」

 私は咲美さんの胸元に顔を埋めて鎖骨や首筋などを攻めながら、同時に体のラインに沿って咲美さんの躰に触れている手をゆっくりと滑らせていく。

「や.......ぁ.......っ、先輩.........っ」

 そうして体全体を撫でるように自分の手を這わせていくうちに咲美さんの弱い部分も色々見つけだすことが出来て、そして次第に私の愛撫に反応する声が次第に変わっていく咲美さん。最初はくすぐったい様な反応を見せていたが、次第に熱い吐息を漏らしながら上気していく様になった。

『......そろそろですわね.....』

 私はそれを頃合いと見計らうと、いよいよ咲美さんの敏感な部分を重点的に攻め始める事に。まずは手の全体で咲美さんの胸にそっと触れて、そして一方で下着越しに胸の先端の部分を開いた指で指でなぞってみる。

「はぁ......っ、......ん.......っ!」

 その瞬間、まるで電気が走ったようにぴくんと仰け反る咲美さん。相当敏感になっているらしく、暫く弄っているとくっきりと咲美さんの胸の突起が浮かび上がってきた。

「.......ふふ。」

 もう焦らす必要もないかと思った私は、咲美さんの胸の谷間に指を滑らせてフロントホックを弾くと、

「.......わわっ!」

 その瞬間、咲美さんは慌てて上半身を起こして露わになりそうになった自分の胸を手で隠す。体が火照ってきている状態でも羞恥心の方が未だに先立つ辺りが非常にいじらしかった。
 .......とはいえ、ここは容赦なく、

「.......咲美さん。」

 私はすぐに咲美さんに触れないで、その場でじっと咲美さんの目を見据える。

「.......は.......はい.......」

 その私の視線に促され、咲美さんは少女の恥じらいの表情を隠すことなく浮かべながら、そっと隠した手を解いて、ゆっくりと私の目の前に晒していった。

「......かわいい。」

 思うより先に言葉が出てきて、そして私はそのまま吸い寄せられる様にその咲美さんの胸の膨らみを手の中に収めて、

「あ.......っ!」

 そして柔らかい咲美ちゃんの胸の感触を楽しみながらゆっくりと揉みしだいていく。

「はぁ......ぁ........んっ せんぱ.......ぃ......っ」

 頬を更に赤く染めて悩ましげな声で私の行為に応える咲美さん。私はそんな声がもっと聞きたくて、その小さな膨らみの先に見える、正に桜桃の様な突起に口を付けていった。

「あん......そこ........」

 最初は軽く口づけをして、そして舌で周りを少し押すような圧力をかけながらなぞるようにして転がしていく。

「んん.......はぁ......ぁ........っ」

 ......そして、不意に少し堅くなってきた先端を軽く甘噛みすると、

「ひ......! くぅぁ........っ」

 今までとは格段に違う刺激に、咲美さんは反り返る様にして反応を見せる。

「......気持ちいいでしょう?」

 しばらくそうやって唇の中で弄んだ後で、今度は指先で両胸を軽く摘みながら咲美さんの首筋に唇を持っていってそう囁きかける私。

「はぁ.....んっ 何か......浮いているみたいで......んっ!」

「......でももっと気持ちよくなりますわ。」

 そう囁くと同時に、再び咲美さんをそっと後に押し倒し、胸を攻める手を止めないままで再び咲美さんの唇を奪う。

「ん.......んんっ?!」

 そして、先ほどまでのただ重ねるだけの口づけだけではなくて、今度は自分の舌を咲美さんの舌を目指して唇の彼女の中に挿入していった。

「ん.......っ」

 それに戸惑いを見せる咲美さんを優しく導くように絡め合わせていくと、次第に咲美さん自身も積極的に私の舌と絡め合わせていくようになる。

「はぁ.....はぁ.......っ」

 呼吸の時に離れた唇から唾液の糸が引いていき、その光景に更なる扇情がかき立てられていく。

「もう一度......ほら、舌を出して.......」

「はぁ.....はぁ......先輩........んっ......」

 .......そして再び、淫猥とも言える音を響かせながら互いに絡ませ合った。

「ん......はぁ.......っ んん......っ」

 それからしばらく私達はその行為に酔いしれながら貪り合っていたが、やがて私は胸を攻めていた片手を今度は太股の内側からその付け根にかけてスライドさせていき、

「........!っ」

 そして、ほのかなふくらみを包んだ生地の上から一番敏感な部分に指でそっと触れてみる。

「あ......!そこはだ.......んんっ、んーーーっ!」

 すると、先ほどみたいに体を起こして抵抗しようとした咲美さんを、私は今度は強引に唇を塞いでそのまま動きを封じた。
 それと同時に、咲美さんの秘所の部分に触れている指を擦る様に上下させていくと、私の指先に何か湿ったような感触が伝わって来る。

「.......ふふっ、咲美さん、下着の上からでも分かるほど感じてる.......」

 咲美さんの部分を弄る手を止めないまま少し意地悪気にそう囁く私。

「は、恥ずかしい......です.......っ」

 それにぷいっと視線を逸らす。そんな仕草がたまらなく可愛くて、そのまま理性を飛ばしてしまいそうな衝動にも駆られながら、今度は下着の中に手を差し入れて直接咲美さんの花園に手を触れてみる。

「や.....あ......せんぱ.......あっ.......くぅっ!」

 咲美さんの秘所を掻き回す私の指に、シーツをぎゅっと握りしめながら耐えている咲美さんの秘所からはもう既に止めどなく雫が溢れだしていた。

「.......どうしたのかしら?こんなに溢れさせて......」

 私はわざとらしく指で咲美さんの分泌しているものを掬い上げるようにしながら問いかける。.......少し意地悪な悪戯心が働いているのかもしれない。

「......んっ......そ、それは.......」

 そして、その返答に戸惑っている側で、中指を少しだけ咲美さんの秘所の中に挿入してみる。

「......っ! あ.......く.......っ はぁ.........っ」

「それに、この中もとっても熱い.......」

 指一本入れただけで絡みつくような締め付け感と火傷しそうな程の体温を感じながら、ゆっくり出し入れする私。

「はぁ......はぁ.......そこ.......んんっ.......」

「ほら、質問に答えてませんわよ。」

 そう言いながら、少し指を戻し今度は指を曲げて上辺の当たりを擦りあげてみると、咲美さんは又、びくんっと躰を仰け反らせた。

「.......ここら辺りが特に感じるみたいですわね.......」

 その反応を見て、今度はその部分を中心に指で攻め立てる。

「はぁ......ぁぁぁ......っ.......!」

「......ほら、どうですか?こんな感じで........?」

 とすっかり調子に乗って咲美さんを弄っていた所で、不意に、

「せ、先輩こそ.......どうしてそんなに......ん......っ、もしかして.......こういう事慣れていらっしゃるんですか.........?」

「え.......?私は.......」

 と言われてぴたりと手が止まる。そう言えば.......私だってこの様なことをするのは初めてだったはずだけど......考えてみたら今日の私って.......

「.......わたしは......先輩だから.......その.......こんなに.......感じちゃってる......ん.......ですけど.........」

 と俯きながらそう応える咲美さん。.......ならば私も.......

「私もお相手が咲美さんだから.......って事になりますわね。」

 と微笑んだ。

「先輩.......」

 本当に好きと言える人だから......それだけあれば他には理由なんていらないはず。

「......でしたら......もう少し大胆になってみましょうか。」

 そして一度軽く唇を重ねると、咲美さんの下半身の方へ体をずらしていき、そして

「......あ.......先輩.......っ」

「咲美さんの全て.......見せてくださいね。」

「........っ!」

 今まで咲美さんの下腹部を覆っていた下着の両端に手をかけて、咲美さんの返事を待たずにするすると下ろしていき、そして片足だけ完全に脱がせると、ゆっくりと両足を開いていった。

「.......ああ........っ」

 しかし、咲美さんはやはり恥ずかしそうにしながらも、今度は手で隠そうとせずに私の望むがままに、その全てを晒し出していく。

「.......綺麗ですわ、咲美さん......」

 胸と同様、こちらもまだ幼さが残っていて、それでいて咲美さんから分泌された雫で濡れている光景が私には不思議なくらい官能的だったりした。

『.......ちょっと、危ないかもしれませんね、私。』

 と内心苦笑気味になりながらも、私は間近で見つめながらそっと小さな薄桃色の花びらを開いていく。

「......あ、あの......先輩だから......その......見られてもいいかなって思っているからであって、ホントはとっても恥ずかしいんですかねっ!」

 拒まない代わりに言葉で羞恥心をはぐらかそうと必死でそう訴えかける咲美さん。

「分かってますわ。.......ですから私がたっぷり愛でて差し上げませんと。」

 そう言って、私はそっと咲美さんの花弁に口を付け、

「ふぁ.......っ......!」

 そしてまずはほんの少しだけ顔を出している咲美さんの肉芽も含めた入り口付近から丹念に舌を這わせていった。

「あ.....ぅ.......っ........せんぱい.......はぁ.......っ」

「......ん......っ 咲美さんの......味がする........」

 わざと音を立てるようにして淫らな音を響かせながら、私は咲美さんから分泌されていくものをすくい取っていく。

「......先輩......結構.......いじわる.......ですっ.....ああんっ」

「すべては咲美さんが可愛い過ぎるから......ですわ。.......ふふ。」

「ふぁ......ぁ........んん.......っ、はぁ.....はぁ.......ああんっ」

 私の頭を押すようにしながら悶える咲美さんに、今度は少しずつ押し出す様な圧迫に逆らいながら、ゆっくりと自分の舌を挿入していった。

「あ.....先輩の舌が......入ってくる........」

 そしてある程度入ったところで最初はゆっくりと、そして段々と激しく舌を動かす。

「くぁ......んっ ダメ......です......激し......あふぅっ!」

「.........」

 咲美さんの花びらの内壁を生き物のように這い回せる私。咲美さんの愛液ももう受け止めきれなくて私の唇の横から伝ってぽたぽたとこぼれ落ちていた。

「はぁっ、はぁ......っ、ん.......っ ダメ.......先輩........わたし、わたし.........っ!」

 そろそろ咲美さんも限界かな......そう思った私は動かす舌の動きを少し早める。

「ふぁ.....っ、やぁだめ.....っ、きちゃう.......はぁぁぁぁっ」

「.............」

 私の頭を抑える咲美さんの力が強くなるものの、それに対して構わず激しく攻め立てる私。そして........

「あっ......あっ.......ふぁ........あん............ぁっ.......!」

 一度びくんっと痙攣させて咲美さんは果てた。

「.......はぁ......はぁ......はぁ..........っ」

 顔を上げると、咲美さんは肩で息をしながら恍惚の表情を浮かべていた。

「咲美さん.......」

「......先輩......すごく.......感じちゃいました.......」

 とろんとした目でこっちを見てそう言う咲美さんの前で、私は今度は付けていた自分の下着を脱ぎ初め、

「.......まだまだ終わりじゃありませんわ。今度は一緒に........ね。」

 と告げる。

「先輩......」

 そして咲美さんは、私が最後の一枚を取った時、透明な粘着質の様なものがまるで糸を引く様に走っていくのを見て、

「.......はい......今度は私に........させてください。」

 と言いながら、咲美さんは先ほどの余韻を引きずったまま、少しふらっとしながら私の肩に手を回し、そして、

「.......咲美さん........ん......っ」

 今度は咲美さんの方から私に唇を重ねてくる。

「先輩.......わたしも.......愛してます........っ」

「......咲美さん.......っ」

 .......そして再び一つに重なり合う。それは夜がすっかり更けてしまうまで、お互いの心が満たされるまで続いた。

 

 

 

**********その後、

「.......何となく夢を見ているみたいです。」

「.......え?」

 そして終わった後で、裸のまま暫くお互いが抱き合うように私の上に覆い被さるようにして密着していた咲美さんが、不意に少しだけ体を起こして、そして自分の顔を私の顔の正面に持ってきてそう呟く。

「今こうして......先輩と裸で抱き合っている事.........」

 .......確かにこんなに早く一線を越えてしまうとは思わなかっただろう。

「ね、先輩、一つだけわがまま言っちゃってもいいですか?」

「.......ええ。咲美ちゃんのわがままなら。」

 にこりと笑顔で返す私。

「あの.....これから先輩の事.....二人だけの時でいいですから”お姉さま”って呼んでもいいですか?」

 お姉さま.....確か初めて咲美さんと出会った時にもそう呼ばれた。あの時は断ったけど........

「......かまいませんわ。咲美さんがそうお望みなら。」

 今なら断る理由は何処にもなかった。

「ありがとうございます、お姉さま♪」

 .......流石に呼ばれ慣れない響きに背筋がくすぐったいものがあったけど、まぁこれも時期に慣れててくれる.......はず。

「それから.......もう一つ。」

 そう言って片目を閉じて、人差し指を口元に持ってきて、

「わたしの事も、”咲美”って呼び捨てにしてください。」

「........う、それは.......」

 ちょっと即答で受け入れるには苦しかった。

「だって.......”咲美さん”だなんて凄く他人行儀なんですもの。」

 私の躊躇に、少し不満げに、それでも可愛く頬を膨らませる咲美さん。

「......困りましたわね........」

 でも、確かに咲美さんの言い分も良く理解できていた。せっかく恋人同士という間柄になったのだから、今までとは違った呼び方をしたいということなんだろう。

『.....とは言え.....』

 流石に呼び捨てで呼ぶのは抵抗がありすぎた。何か他に、”さん”以外で自分が呼ぶのに躊躇しなくて、それでいて特別な意味合いを持つ呼び方........

『.....あ.....』

 しかし難しい条件のようで、それは意外とあっさり見つかってしまった。私は、視線を咲美さんの目の前に戻して、そして両手で彼女の頬に手を添え、穏やかな笑みと同時に

「........でしたら、私は今後は”咲美ちゃん”と呼ばせてもらいますね。」

 と宣言した。私のお友達の間で”ちゃん”と呼んでいたのは、ケロちゃんを除けば今まででさくらちゃんのただ1人だった筈。今までさくらちゃんを”ちゃん”で呼んでいたのはそれ程強い意味合いを持たせていたつもりもなかったけど.......今、持たせてもいいかもしれない。咲美さんの為に。

「私がこういう風に”ちゃん”を付けて呼ぶのは.......他にはさくらちゃんだけです。それでよろしいですか?」

「.....はいっ。約束ですからね」

 そして満面の笑みで応える咲美さん......いや、咲美ちゃん。

「ええ......それではその証として.......」

 私は手を添えた咲美ちゃんの両頬をゆっくりと自分の顔に近づけていく。

「お姉さま.......」

 そして咲美ちゃんも瞳を閉じてそれに委ねて、そして私たちはもう一度唇を交わし合った。これが私達の約束の証。おそらくこれからも何か二人の間で約束事を交わすときはずっとこうして契りを結んでいくのだろう。

「..........咲美ちゃん。」

 その後で、私は咲美ちゃんの体をぎゅっと強く抱きしめる。

「お姉さま.....?」

「もう少しだけ、このまま........」

 まだ足りない.......という訳でも無いのだろうけど、それでもまだ離れたくなかった。腕が自然に咲美ちゃんのぬくもりを求めている、そんな感覚。

「.......お姉さま.........」

「.......結局、私が一番寂しがり屋だったって事かもしれませんね.......」

 しみじみと呟く。

「お姉さま.......でも、これからはわたしがずっとお側にいますから。」

 という咲美ちゃんの台詞と共に、いつの間にか咲美ちゃんの方が私を強く抱きしめていた。

「.......例えお姉さまがわたしの事嫌いになっても.......絶対に離れませんから。」

「.......ええ。」

 これではどちらがお姉さまなのだか......と思いながらも、そのまま咲美ちゃんの胸に体を委ねる私だった。........自分の弱い部分を出せるという事が、こんなに安心感を与えられるもなのかという事を実感しながら。

 

 

********そして次の朝

「おはようございます、咲美ちゃん。」

「おはようございま〜す!知世......えーっと......」

 一瞬躊躇する咲美ちゃんに、

「ふふ......お好きな呼び方でよろしいですわ。」

「え....と、じゃあ知世お姉さま.......」

「......はい。」

 とにこっと笑ったところで、

「よ、お姉さまだって、ひゅ〜ひゅ〜♪」

 後から囃したてる様な声が響いて振り返ると、

「あら、郁恵さん......に美里さんも。」

「おはよう知世、咲美ちゃん。」

「お、おはようございます........」

 いつもと同じように応対した私に対して、恥ずかしそうに俯きながら挨拶を返す咲美ちゃん。

「いやいや、とうとう”お友達”を卒業したのね、うんうんうん。」

 何故か満足げにうんうん頷く郁恵さん。

「あ、あの......」

「.......で、どうだった?」

 ずいっと咲美ちゃんの方に迫る郁恵さん。

「どうだったって........?あの........」

「そりゃもう決まってんじゃない、二人の想い出となる、初めての.......」

 と言いかけたところで、

「.........そ、それではお先に失礼しますっっっ! きゃ〜っ!恥ずかしい〜っ」

 咲美ちゃんは顔を真っ赤にして足早に去って行った。

「待ってよ〜っ、あたしにだけこっそり聞かせてってば〜っ!」

 そして嬉しそうにそれを追いかける郁恵さん。

「全然こっそりじゃないですよ〜っ!(汗)」

 

 

「まったく郁恵の奴は.......」

「..........くすっ」

 呆れた表情の美里さんの隣で段々声が遠くなっていく咲美さんと郁恵さんの姿を見ながら笑みを漏らす。

「ま、でもこれでようやく幸せの福音が聞こえてきたって所かしらね、知世。」

「え?......ええ。」

 突然そんな事を言ってきた美里さんに戸惑いなが曖昧な返事を返すと、

「唯一開いた手紙の相手が昔の想い人に似た人で、しかもそれが自分にとっての運命の人となるなんてね。恋の奇跡って奴かしらん。」

「.........!どうして、それを.......」

 流石に驚いて美里さんを振り返る私。

「全部知ってたわよ。あなたの机の隣りに飾ってある写真、あれが知世の想い人だったんでしょう?」

「.......え、ええ。しかし、お手紙については......」

「それはね......知世、あなたは気付いてないみたいだけど、実は私も郁恵も、一度あなたに恋文を書いて、他の子みたいにこっそり下駄箱に入れたことあるんだもの。」

 そして、二人一緒に、もしどっちかが選ばれても恨みっこ無しでってルールでと付け加える。

「.........!」

「ま、それも去年の話だけどね。.......それで気付いたの。まさかクラスで一番仲が良かった私達が出した手紙を読んで、まるで何事もなかったように振る舞う訳ないでしょ?しかも優しい知世なら尚更。」

「美里さん........」

「だから、郁恵と組んでちょっと出逢いを演出してみようと思ったのよん。まさか最初の相手とここまで上手くいくとは思わなかったけど。」

「........それじゃ、郁恵さんがあの手紙を開けてみようと言い出したのは........」

「う〜ん、まぁ郁恵の事だから、あらかじめ話してなくてもああいう展開になったかもしれないけど、まぁそういう事ね。」

「...........」

 そして、美里さんは後から私の肩に手を置いて、

「みんな、知世を幸せにしてあげたいって.......そう思っていたのよ。」

 そしてその後、「だって、大切な友達だからね」と付け加えた。......とっても優しい表情だった。

「でも.......」

「ん?」

「郁恵さんと美里さんは、それでもよろしいのですか?だって........」

「ああ、私達は返事が貰えなかった時点であっさり諦めちゃったから。それにね......内緒なんだけど......」

 そして美里さんは私の耳元でこっそりと、

「ええっ?!郁恵さんと美里さんって実はおつきあ..........んんっ!」

「こら、声が大きいでしょ!内緒なんだから!」

「ご、ごめんなさい.......」

「まぁ最初は傷の舐め合いだったんだけど、そのまま意気投合しちゃってね。今じゃむしろ知世に感謝してる位かな。」

 それは強がりでもなんでも無い、心からそう思っている表情だった。

「......まぁそれはともかく、そんな訳だから.......前にも言ったと思うけどもう一度言うね。」

 そして、私が今まで見た中で一番の優しい笑顔でこう言った。

「.......大事にしてあげなさいよ。」

「........ええ。」

 


******放課後、

 私は家に帰るや否や電話を手に取り、そして、一つ一つ心を込めて私にとって一番良く覚えている番号を押していく。最も、前に電話した時と少しだけ間隔が開いている分少しだけ緊張していたけれど。

「........あ、もしもし、大道寺ですけど......あ、さくらちゃん?知世です。ええ。はい。........お久しぶりですね。ええ、元気ですわ。」

 懐かしい声だった.......という程実際時間が経っている訳でもないのに。

「さくらちゃんの方はどうです?.......え?ふふ。さくらちゃんは相変わらず朝が弱いみたいですね。一緒に登校している小狼君も大変ですわね。」

 昔と変わらない会話の一言一言が、まるでぽっかりと開いてしまった時間の空白を埋めていくようにして、

「えっと.......それで、実は私から提案がありまして、今度の週末に久々にお会いしませんか?ええ、よろしければ私の家で。......あ、ちなみに当家は男子禁制なので小狼君にはご遠慮いただくとして.......うふふ、冗談ですわ、是非御一緒にお越し下さいな。......はい。」

「え?どうして急に........ですか? それは.......」

 私はそこで一度にこっと微笑んで、

「........実はさくらちゃんに是非紹介したい人がいるんです。ええ。私の通っている学校の後輩の女の子で......きっとびっくりされると思いますわよ。......はい。それでは、お待ちしてますね。」

 ......かちゃり。

「さて........」

 電話を終えて、次に向かったのは自分の部屋。そして、

「久々にこれの出番ですわね。」

 私は以前毎日使っていたビデオカメラを手にとって構えてみる。もうすっかり忘れたと思っていた取り扱い方が、まるで自分の記憶が巻き戻されているかの様に次々と思い出されて来るのを感じていた。

『.......ごめんなさい咲美ちゃん。これはまだ譲れないみたいですわ。』

 今度は咲美ちゃんとさくらちゃんを一緒に撮ろうとか、衣装をどうするかとか考えながら、久々の充実感を味わいながら今日の残りの時間は瞬く間に過ぎていったのだった。

 

 

そして、日曜日、

「知世ちゃーん!」

「さくらちゃん、お久しぶりですわー!」

 入り口で再開するや否や、ひしっと抱き合うさくらちゃんと私。少し見ない間に、さくらちゃんはとっても綺麗になっていた。

 .......そして、

「ずっと連絡もせずにどうしてたんだ?さくらが心配してたってのに。」

 憎っくきもその原因と思われるお方もここに。

「......まぁ色々ありまして。」

 それに対してしみじみと答える私。それは色々あった様で1人で空回りしていただけの様で.......

「でも、今日の幸せそうな知世ちゃん見たら安心した。」

 そう言って嬉しそうな顔を見せるさくらちゃん。

「どうもご心配おかけしました.......さくらちゃん。」

 私はぺこりと頭を下げる。

「.......うん。やっぱり知世ちゃんはわたしの一番のお友達だから。」

 その時、そのさくらちゃんの言葉で私はふと大切なことに初めて気付いた。さくらちゃんの幸せは私にとっての幸せ、それは決して一方通行じゃなかったと言うことに。それは、さくらちゃんにとっても同じだったのだ。本当にさくらちゃんが幸せになるには、私自身もまた幸せにならないといけなかったのに..........

 .........なぜなら、それが、私とさくらちゃんとで結ばれた”絆”なのだから。

「.........はい♪もちろん私ももですわ。」

 でも、けっして手遅れではないと思う。失った空白の時間はこれから取り戻していけばいい、それだけの話なのだから。

「ところで、誰が紹介したい相手がいるんじゃなかったか?」

「あ、ええ。その人はもう既に来てますわ。えーっと......」

 少し遠慮がちに口を挟む小狼君の台詞に私はきょろきょろと辺りを見回すと、

「あーーうーー、お姉さまーーーーーーーっ」

 重そうな食器の山を抱えておぼつかない足取りで私を呼びながら歩み寄ってくる少女が1人。

「あらあら、咲美ちゃん.......お手伝いなんてよろしいのに.......」

 そして咲美ちゃんは庭に用意されたテーブルの上にかしゃんという微かな音と共に食器を置くと「ふぅ.....」と溜息を付いて、

「あはは。何となく手持ちぶさただったもので。」

 その場で照れ笑いを浮かべた。

「.......くす。」

「お、おい.......」

 そんな彼女を見て、最初に小狼君が反応を見せる。

「ええ。よく似てるでしょう。しかも、外見だけじゃないんですのよ。」

「...........」

 そして、小走りに駆け寄って来る咲美ちゃんを何か複雑な表情でじっと見つめる小狼君。

「........まぁ、もうそんな事はどうでも良い事なんですけどね。」

「知世.......」

「ふふ。」

 自然と零れる笑み。全ては彼女のおかげだった。確かに咲美さんと出逢った事でさくらちゃんと昔の様な”大切なお友達”に戻れたのは少し現金かもしれないけど......

「お姉さま〜♪」

 全てはもうどうでもよかった。.......幸せだから。

「咲美ちゃん、お疲れさまでした。」

 駆け寄ってくる咲美ちゃんを抱き留めるようにして受け止めると、

「という訳で、本日さくらちゃんにご紹介したいのがこの方なんです。」

 ずいっとさくらちゃんの方に向けた。

「........わっ、この人が.......」

 先に咲美ちゃんの方が反応する。

「そう。この方がさくらちゃん。.......私の大切なお友達ですわ。」

 とまず咲美ちゃんにさくらちゃんを紹介すると、さくらちゃんも笑顔で

「はじめまして、木之本さくらです。よろしくね。」

 と自己紹介して、そして......

「はじめまして! わたしは........」

 .......庭の桜は再び眠りについて、そして木々の若葉が緑をなし始めていた。それは、桜が出逢いを運び、そして始まった新たなる叙事詩。


「あ、小狼君、これをどうぞ。」

 やがて準備が整い、みんなで昼食会が始まるや否や、私はまず小狼君に小皿に盛った料理を差し出した。

「ん?何だ、これ?」

「是非小狼君に召し上がっていただこうと思って、特別に心を込めてお作りしましたの。ささ、どうぞ♪」

「.........?」

 小狼君は何やら怪訝そうな表情を見せながらも、勧められるがままに取りあえずその料理を口に運び、

「○☆※△■◎〒♭*〜???」

 次の瞬間声にならない叫びを挙げて悶絶する小狼君。......成功♪

「.......小狼君、小狼君っ?!」

「をほほ。香辛料の量を少し間違えたみたいですわね。ごめんあそばせ♪」

「お姉さま.......(汗)」


 でもそれは同時に回帰でもあった。さくらちゃん達といつも一緒にいたあの頃の、一番輝いていた季節の知世への。


「......さて、それでは殿方がお取り込みの間に衣装直しと参りましょうか♪」

「と、知世ちゃん......もしかしてまたビデオに撮るの〜?」

「せっかく久々にさくらちゃんがいらして下さったのですから当然ですわ。そう思いまして、今日はうんっと沢山さくらちゃんに似合いそうなお洋服をご用意しておりますので。」

「ほぇぇ〜っ.......」

 それでも覚悟はしていたらしく、苦笑しながら私の部屋に向かうさくらちゃんの後ろ姿を見た後で、私は咲美ちゃんの方に振り返って、

「そして......咲美ちゃんも.......ね。」

 そう言って私はゆっくりと彼女の方に手を差しのべた。

「........はいっ!」


 .......新たなる邂逅と、そしてほんの僅かばかりの成長を遂げて。

 

 

*******おわり*******

 

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