しがりの召喚師と無責任天使 その1

序章 特務”SSA01”中間報告書

 最初の報告を纏めるにあたり、まずは、遥か遠い太古の時代の黒歴史から紐解きたいと思う。
 かつて天界の新たな神にならんと、天使軍のおおよそ三分の一を率いて偉大なる我らが“主”へ反逆を企てた忌まわしき大天使が現れ、あえなく返り討ちにあった後に追放された魔界でかの者は魔族達の王となりながらも、その抱いた野望を諦めきれなかった。
 しかしながら、魔界で”紐”を切られた者が再び舞い戻る術は無い事実を知る堕天使は、二界の狭間に存在する人間達の世界へ目をつけ、まずは足がかりとして天界の転送秘術を流用して人間界への道をこじ開けると、やがて手中に収めるべく百万を数える魔王軍が派兵され、突如として異世界からの侵略にさらされた戦地は、一方的な蹂躙を受けて地獄と化していった。
 ……それでも、負け犬の運命はどこまで行っても負け犬なのか、直前に動きを察知した天使軍より迅速に送り込まれた援軍に手をこまねいているうち、付け焼刃の転送術が一人の天才魔術師の手で解析されると、それを元に編み出された対抗術により全ての魔軍が瞬く間に送還され、またも”失墜の明星”の野望は呆気なく潰えてしまった。
 更に、コトはそれだけに留まらず、魔王軍の侵略によりもたらされた副産物は人間たちに魔界への扉を開かせ、やがて生み出された「召喚術」により今度は魔族達が人間界へ呼び出され、利用される羽目になってゆく。
 正に、無様の極みではあるものの、しかし、それはこちらにとっても好ましいとは言えない状況だった為、やがて天使軍と魔軍の間で人間界への過度な干渉や一切の侵略行為を禁ずる協定が結ばれると、人間たちへも召喚術の封印を求める圧力もとい説得を行い、快く了承を得られたコトで、世界の調和を乱す危険なチカラは時の流れと共に廃れゆく運命となる……はずだった。
 けれども、そんな先祖の話すら伝えられなくなった遥か未来の、魔法や秘術といった言葉すら非現実な響きとなった遠い遠い末裔の時代に、さる少女に降りかかった不幸な運命のイタズラをきっかけに召喚術が復活してしまい、図らずも人間界は静かな危機を迎えようとしていた。

 ……と、前置きが少々長くなってしまったものの、以上が今回の事件のあらましである。
 けれど、心配は御無用。
 この事態への原因究明と解決の為に特務天使の派遣が決定し、選ばれたのは天界屈指のキュートで、いかなる難解な任務だろうがスマートに片付けてしまう腕利きなのだから、彼女の活躍をとくとご照覧あれ……まる。

「……ってなカンジでどーかな?天音(あまね)ちゃん?」
「どうかなって、まさか本当に最後のくだりを残すつもりなんですか?愛奏(あいか)様」
 やがて、お茶を淹れて近づいてきたあたしの相方へ、滅多に使わない自室の机の上で頭に浮かぶままペンを走らせてみた下書きの文章を見せると、露骨に呆れた反応が返ってくる。
「ん〜?なんかモンクでも?」
「いえ……。ただ少なくとも、スマートにはこなしていないですよね?」
「ぬぐぐ……」
 いやまぁ、そりゃー確かにね。
「正直に言えば、私としてはラミエル……いえ愛奏様のせいで、七大天使のイメージが少し変わってきそうですけど」
「……ち、言ってくれるけどさー、そもそもが参謀長サマからのムチャ振りもいいトコだったんだから、もう少し手心というものをだね……」
 自分で言うのもナンだけど、こんな任務の引き受け手なんざ、確かにあたしくらいのもんだったろーし。
「まぁ、それなりに苦労されているのは分かりますけど……」
「ん〜、たださー」
「ただ?」
「それでも、張り合いのある苦労なのは確かだけど」
 そして、その“張り合い”を頭に思い浮かべると、自然に口元が緩んでしまうあたし。
「……やれやれ、よっぽど気に入られたみたいですね?”彼女”のコトが」
「いやー、ほんとカワイイよねぇ?」
 だって、あれほど天使好みするコも珍しいというか……。
「やる気に溢れるのはいいですけど、なるべく公私混同は控えてくださいね?……もう手遅れかもしれませんが、一応」
「だいじょーぶ。ホント、天音ちゃんってば心配性なんだから……ていっ☆」
「一体、誰の所為だと思ってるんですか……まったく……」
「あはは、大船に乗った気でいなさいって。ここまでだって、何だかんだでウマくやれてるっしょ?」
「何だかんだだから、困るんです……はぁ」
「…………」
(とは、言われてもねー……)
 最初はホント大変だったんだけどさ。
 それというのも……。

第一章 お引き寄せヒロイン

「…………」
 雨宿(あまやど)理美(さとみ)は、孤独だった。
 ……なんて、自分で言ってれば世話もないんだけど、こんな三十人以上のクラスメート達が集められたざわめきの空間の中でさえも、わたしは教室の壁際の片隅でおひとりさま。
(クラス……メート?)
 ……いや、違うか。
 わたしにはまだ、この場所で「メート」と呼べる相手すらいないのだから。
「あ、おはよ〜。今日はちょっと遅かったね?」
「ふぁぁぁ、はよ……やっぱ月曜の朝はキツいわー」
「昨日、もう一軒、もう一軒って欲張ってるからじゃないの?付き合ったこっちも足が痛いわよ」
「だって、せっかくだし、ひと通りは回らないと気が済まなくってさー。なんかもっといいモノありそうで」
「……それで結局買ったのは最初のお店ってオチだし、まったくもう……」
(……友達と買い物、かぁ……)
 一応、つい何ヶ月か前までならわたしにも一緒行く相手がいないコトもなかったんだけど、今は随分と遠い存在に感じられてしまう。
「はぁ……」
 別に、他人との関わりを拒んでるつもりはないんだけど、一体、どこでボタンを掛け間違えてしまったのか、登校してから始業前のこの時間に、わたしは誰ともおはようの挨拶を交わすことすらなく、今日も机にうつ伏せたまま、孤独な日々を送っていた。
(う〜〜……)
「……ねぇねぇ、ところで知ってる?最近、深夜に季節はずれのお化けが出るってウワサ」
「あー、聞いた聞いた。遅くなった帰り道に、ゲームのモンスターみたいなのとか、黒い羽根が生えた女の子を見たとかなんとか」
「え〜?それってアレな集団じゃないの?ほら、コスプレっていうんだっけ?」
「うーん、まぁそうかも……。でも、今はハロウィンとかじゃないしねぇ」
「……けどさ、もし本物だったらどうする?捕まって食べられちゃうかもよ?」
「それって、どーいう意味での?」
「こらこらこら……」
(……食べられちゃう、ねぇ……)
 本当にそんなお化けがいるのかは知らないけど、わたしなんて遭遇して食べられても、ここにいる誰も悲しんでくれるどころか、名前を覚えてくれてすらいないんだろうな……。
「……ふぅ……」
 ホント、これじゃ一体なんの為に自分だけ残ったのやら。
 去年に父親の海外転勤が決まって、既に推薦で進学先を決めていたのもあるけど、異国の地でもちゃんと友人を作ったりして馴染める自信が無かったわたしは、そのまま実家で一人暮らしをする道を選んだのに、まさか残った方が余計に孤独になってしまうなんて。
(しかも、晴実(はるみ)には裏切られるし……)
 それと、なにより大きな理由として、小学生の頃からずっと仲の良かった幼馴染みと同じ高校へ進学する約束を交わしていたのがあったのに、その晴実はこの女子校を一緒に受けつつも、わたしに内緒で本命にしていた国立校の一般入試をこっそり受けて合格すると、約束を反故にして遠く離れたトコロへ行ってしまった。
(ホント、踏んだり蹴ったりとはこのコトだよ……)
 せっかく、第一志望にすんなり合格できたというのに、お陰で心細さしかない入学式を迎えるはめになって、ばら色の高校生活が始まるどころか、案の定、既に一月が経過しても自分だけじゃ輪に入れずにこのザマである。
(……はー、寂しいなぁ……)
 ほら、席のすぐ側に集まって談笑を続ける皆さま方、机の上へふっ潰しているわたしは傍から見ると死人みたいに見えるかもしれないけど、本当は心の中で会話に参加してるんだよ?
 ……まぁ、仏教用語では盗み聞きというのかもれしないけど。
「あ、そーいえば思い出したけど、何か転校生が来るみたいよ?千佳(ちか)が職員室へ行った時に見慣れない一年のコを見たって」
「えー、この時期に?」
「うん。しかも、海外のコですっごい綺麗だったから、すぐに分かったんだって」
「へ〜……」
(転校生、ねぇ……)
 今朝あたり、食パンでもくわえて走ってたら、出逢いでもあったかしらん?

 ガラガラ

「はいみんな、おはよう。ホームルーム始めるから席について?」
「……ん……?」
 ともあれ、やがて引き戸がスライドされた後で入ってきた担任の先生がホームルームの開始を告げてきたのを受けて、わたしものっそりと顔を上げると、少し遅れて見慣れない女の子が続いてきた。
「まず本日は、新しいクラスメートを紹介するわね?」
「…………!」
 それを見て、教室内が一斉にざわめき始めたけど、無理もない。
 遠目からでもはっきりと分る金色のさらさらとした綺麗な長い髪に、澄んだ蒼い瞳。
 しかも、目鼻立ちは西洋人形みたいに整っているばかりか、そこそこの長身にモデルさんみたいなメリハリのあるプロポーションも持ち合わせていて、確かにこれは、ちらっと見かけただけでも忘れるわけがない存在感である。
(けど、まさかのうちのクラスだったんだ……)
 さっきの噂が呼び水みたいで、ちょっと偶然にしては出来すぎだけど。
「……こりゃまた、なんかスゴそうな人がやってきたわね?」
「うん……。何となく、お持ち帰りしてうちに飾っておきたい的な?」
(あはは、確かに……)
 ……ただ、綺麗なんだけど「異質」って言葉も浮かんでくる見た目に加えて、高1のGW明けに転校とか、何やらワケアリっぽい雰囲気もぷんぷん……って、まぁわたしが気にしても仕方がないお話か。
「んじゃ、まず自己紹介してくれるかしら?」
「へいへーい、ただ今ごしょーかいにアズかりました、一葉(いちのは)愛奏(あいか)でえっす!ちょっと遠いトコロからやって来ましたけど、でも言葉とかはマッタク問題ないので、そこんとこシクヨロ!」
 それから、フルネームを大きく板書した担任の松野(まつの)先生に促され、一葉さんは澄んだ声で見た目からは想像もしていなかった軽いノリで手を振りながら流暢な日本語で名乗ると、最後に痛々しいポーズてウィンクを飛ばしてきた。
(……うわ、ちょっとウザい……)
 どうやら、西洋人形っぽいのは見た目だけみたいである。
「ちなみに、何となく雰囲気で分かるとは思うけど、一葉さんは海外からの留学生で、夏休みの間までここでみんなと一緒に学ぶ予定だから」
「いえっす〜!しかも単身で乗り込んできて何かと心細いので、どーか仲良くしてやってくださいな。んふっ♪」
(単身で異国の地へ、か……)
 心細いという言葉への説得力はともかく、その立場には何となく思うトコロも無くはない感じではあるんだけど……。
(でも、はっきり言ってニガテなタイプ……)
 仲良くできそうとかそういうの以前に、まるで自分とは接点が無さそう系な。
「それじゃ、とりあえず一葉さんの席は後ろに一つ空いている机になりますので、後はみなさんが色々教えてあげてちょうだいね?」
「ういっす☆ではでは、コンゴトモヨロシクってコトで♪」
「…………」
 と、思ってたんだけど……。
(え……?)
 それから、敬礼の決めポーズで愛想を振りまきながら教室の中をぐるりと見回していた一葉さんが、わたしの顔を見たところで、空いたほうの手を軽く振ってきたような?
(……まぁ、偶然か気のせいだよね……?)

                    *

「へ〜、一葉さんって日系の血筋も入ってるんだ?」
「そうなんスよ〜。んでもって、小さいコロからずっと日本に憧れてたんで、とうとうワガママ言って来ちゃったワケなのです」
「はー、だから日本語上手なんだ〜?」
「……でも、ナチュラルなブロンドきれい……ね、触ってもいい?」
「あ、どーぞどーぞご自由に。何なら記念に一本くらい持っていってもオーケーっすよ?」
「え〜、マジでマジで?」
「けど、この身空でハゲても困るんで、取りすぎはごカンベンつかーさいってコトで」
「あはは、寄ってたかって毟られても痛いしねー?」
「…………」
 やがて、ホームルームが終わって一時間目が始まるまでの短い隙間の時間、早速に一葉さんが取り囲まれて質問攻めにあっているのを尻目に、わたしは相も変わらず机にふっ潰したまま、背中越しに会話を盗み聞きしていた。
(まぁ、こんなもんだよねー……)
 蒼い目の転校生さんにちょっとばかり興味は芽生えたものの、当然それは他のみんなも同じみたいで、わたしの入り込む余地はいきなり塞がれてしまったみたいである。
 ……というか、わたしと違って快活っぽくて人気者になりそうなタイプだし、なんだかもう既に追い越されてしまった気分になって、ちょっと悔しいやら情けないやら。
「……はぁ……」
(どうせ、わたしなんて……)
 と、思わず逆恨み気味にため息を吐いてしまうものの……。
「…………っ?!」
 しかし、やがて背後のほうから、枕にしていた腕と顔の隙間に誰かの細腕が不意に潜り込んできたかと思うと、わたしの両目がやんわりと塞がれてしまった。
(ちょっ、ナニ……?!)
 さらに、その両手がそのままわたしの頭を引っ張りあげると、今度は適度な弾力のある、やわらかい感触が後頭部へ触れてくる。
(な、ななななな……?)
「だーれだ?」
「…………っっ」
 そこで、わたしは短くも馴れ馴れしい声の主を推測する前に、慌てて手を振りほどいて向き直ると、そこには先ほど手を振ってきていた転校生が、屈託の無い笑みを浮かべて立っていた。
「へ……?」
 その相手は、まさかまさかの……。
「にっひっひー、キミが雨宿理美ちゃんだよね?」
「……は、はひ……?」
 しかも、こっちが相手の名前を呟くより先に一葉さんの方からフルネームを呼ばれて、その場で硬直しつつ面食らってしまう。
 ……というか、どうしてわたしの名前を知ってるんだろう?
「あのさー、ちょっといいカナ?」
 けれど、一葉さんは戸惑うわたしに構わず、思わせぶりな視線でこちらを見つめながら、何やら用事があるとばかりに話を切り出そうとしてくる。
「え……?」
 仮によくないですと言っても、勝手に話を続けてきそうな雰囲気ではあるけど、とりあえず反応に困ってしまうわたし。
(うう、やっぱりこういう手合いはニガテ……)
「実はさー、あたし……」
 すると、案の定こちらが黙っているのをいいことに、一葉さんは一方的に会話を進めようとしたものの……。
「…………」
「…………」
「……んっと、どーして目を合わせてこないの?」
 やがて、そこからしばらく無言の時間が過ぎた後で、一葉さんがツッコミを入れてくる。
「あの……その……」
 そりゃ、怖いからに決まってるんだけど、でもさすがに言葉にしちゃうのははばかれるし。
 ……というか、面接の時にも言われたけど、初対面の人ときちんと向き合って会話するのは、やっぱりわたしにはハードルが高いみたいだった。
 しかも……。
「……え、ちょっ……」
 一葉さんはじっとわたしを観察しつつ距離をつめてきていて、何だかどんどんボディゾーンが侵略されてもいたりして。
(近い、近い……っっ)
「ふーん、そっか……」
 すると、両手を掲げて壁際ギリギリまで逃げるように後ずさるわたしを見て、一葉さんはようやく察してくれたのか、小さく呟いた後に一旦少し離れてくれたものの……。
(ふう、助かっ……)

 どんっ

「…………っ!」
「悪いんだけどさー、それじゃ困るんだよね。……ちゃんと、あたしの目を見て」
 ホッとしたのも束の間、今度はわたしの耳元の壁へ向けて、大きな音を立てながら自分の右腕を勢いよく押し付けると、澄んだ蒼い目に真剣なまなざしを浮かべて見据えてきた。
「……ふえ……?!」
(え、えええええ……っ?!)
「驚かせちゃったかもしれないけど、ちょっと大事なハナシがあるから、後で付き合ってもらえないかなぁ?」
「…………っ」
「ね、いいっしょ?それに、あたしはゼヒとも理美ちゃんと仲よく……」
「……こ、困ります……っっ」
「うおっ?!」
 しかし、そこから一葉さんの手が顎へと伸びたところで、わたしは反射的にその手を突き飛ばすように押しのけ、そのまま一目散に教室の外へと逃げ出していった。

                    *

「はぁ、はぁ、はぁ……っっ」
(なんなの?)
(なんなの?)
(なんなの?)
 それから、振り返ることなく廊下を駆けながら、頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされてゆく。
(……まさか、リアルで壁ドンされるなんて……)
 しかも、同じ女の子に。
「はぁ、はぁ……っ!」
(……とにかくっ、やっぱりああいう手合いはダメだ。すぐ飲まれそうになっちゃう……)
 晴実のやつも割と強引なタチだったけど、まさか初対面の相手にいきなりあんなコトをしてくるなんて、思いもよらなかった。
 ……それに何やら、軽そうな言動とは裏腹に、得体のしれない迫力みたいなのも感じたし、やっぱりあまり関わらない方がいいのかもしれない。
「はぁ、はぁ……はぁ……」
「……はぁ……っ」
 けど……。
(……えっと、もうそろそろ大丈夫かな……?)
 やがて、疲れから自然に足が止まってしまったところで恐る恐る振り返ってみると、追跡者の姿は見えず。
 どうやら、追いかけて来てはいないみたいで、まずは胸をなでおろしかけたものの……。

 キーンコーンカーンコーン

「あ……」
 しかし、ひと息ついたのも束の間、一時間目を始めるチャイムが鳴り始めてしまった。
「うぁ〜〜……っ」
 そういえば、教室の外へ飛び出してるヒマなんて無かったんだった。
(ううう、冗談じゃないわよ……)
 結果的には、転入生さんに教室から締め出された形になってしまうなんて。 
「……はぁ……どうしよ……?」
 なんか戻りづらいし、こうなったらいっそサボっちゃおうか?
「どーせ、わたしなんて目立たないんだから、先生も分からない……は、さすがに甘いか……」
 それに生憎、わたしはそういう悪いコちゃんなマネは慣れてない……。
「……ん……?」
 と、仕方がなく引き返そうとした直後に何やら視線を感じて振り返ると、隣の教室の中から見覚えの無い女の子が、こちらの方をじっと見つめているのに気付く。
 ……といっても、まだ見覚えのある相手の方が殆どいないのは置いておくとして。
「…………」
 頭に大きなリボンを付けた幼い感じの小柄なコで、ちょっと目つきは悪いものの、かわいいと言っても差し支えないとは思うんだけど……。
(えっと……)
 ただ、どんなにかわいいコだろうが、じっと見つめられているのは居心地が悪い。
「…………」
「雨宿さん?もう授業は始まっているのに、何してるの?」
「……っ、あ、いえ……」
 そこで、何か用があるのか尋ねるべきだろうかと悩んでいるうちに、通りかかった松野先生に声をかけられ、慌ててきびすを返すわたし。
(とっ、とにかく、今は戻らないと……)
 遅刻なのはちょっと気まずいとしても、まぁ一葉さんも授業中まではちょっかいをかけてこないだろう。
 ……たぶん。
「はー……何かヘンな一日になっちゃったなぁ……」
 そういえば、今日は出かけに運勢をチェックするの忘れてたけど、もしかして大殺界か天中殺にでもなってたとか?

                    *

「……それじゃ、今日はこれで終わります。油断してると最初の試験まであっという間だから、あんまり帰りにフラフラしてないで、今のうちにしっかり準備しておくようにね?」
「起立、礼〜!」
「やー、終わった終わったー」
「ねぇねぇ、どこか寄ってく?」
「……ふ〜〜っ……」
 やがて、普段より随分と長く感じてしまった週明けの月曜がようやく終わり、わたしは日直さんにならって担任の先生へ一礼した後にやってきた、えも言えぬ開放感と脱力感にぐったりと肩を落としていた。
(やぁっと、終わったぁ……)
 別に、テストの日でもなければ主要な学校行事も無い、極めて平凡な一日だったハズなのに、ぶっちゃけ今日は入学して一番と言ってもいい位に疲れた気がする……。
(まったく、それもこれも……)
「へいカノジョ、このあたしと一緒に帰らないかい?」
「……はぁ……」
 それから、疲れの元凶さんが通学カバンを手にナンパ口調で声をかけてきたものの、わたしはちらりと一瞥だけした後で、小さくため息を吐き捨てた。
 ……悪いけど、今日一日中付きまとわれてヘトヘトだから、できれば放課後までは勘弁して欲しかったりして。
「んもー、そんなつれなくすんなよぉ。そんなにあたしのコト気に食わない?」
「い、いや、別にそこまでじゃないけど……」
 すると、一葉さんが苦笑いを見せながら、馴れ馴れしい態度でこちらの肩に触れてきたのを受けて、思わず小さく首を振って否定してしまうわたし。
 ……というか、ここできっぱりメイワクだって言えないのが、余計な疲労を招いているもう一つの元凶なんだろうけど、ただそれでも心の中で葛藤する部分があるのも確かであって。
「だったら、いーじゃない?……ね、今朝にあたしが言った言葉、覚えてる?」
「……う、うん、まぁ一応……」
 確か、なにやら大事な話があるとか言ってたっけ?
「んじゃ、そんなに手間はかけさせないからさー、ほんのちょっとだけあたしに……」
「……えっと、ゴメンなさい……っ!」
「うを……っ?!」
 しかし、それでもわたしは一葉さんの手をまたも振り払ってお断りを返すと、朝に壁ドンされた時と同じように教室の外へと駆け出してしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
(う〜〜っ、また逃げちゃった……)
 そりゃね、ここまでしつこく言い寄ってくる理由があるのなら、気にならないと言えば嘘になるけど、でもやっぱり一葉さんからは得体の知れない雰囲気を感じているし、わざわざ自分から深入りしていくには心のハードルが高すぎである。
「…………」
(けど、逃げたところで、また明日も同じように……?)
「……はぁ……」
 それから、頭によぎった予感と共に脱力したわたしは、渡り廊下の途中で自然に足が止まってしまうと、いったん振り返った視界の先に追いかけてくる姿が見えないのを確認した後で、本日何度目かのため息を吐く。
 しつこく追いかけてこないのだけは助かるとしても、とにかく先が思いやられそうだった。
(……大体、わたしになんて構わなくても、いくらでも相手はいるでしょーに……)
「…………」
「…………」
(ほーら、ね……)
 それから、少し気になって戻った教室の中をこっそりと覗いたら、いつの間にか朝のように取り囲まれて楽しそうな輪ができていたりして。
「ふー……」
 まぁ、いいや……。
 帰り道まで付きまとわれないうちに、今日はもう、このまま帰ろう。

                    *

「は〜……。今日はホント疲れた……」
 やがて、誰も待っていない家へ帰宅し、いつもの様にひとりの夕食を済ませた後、わたしは温めにお湯を張った湯船に浸かりながら、今日一日のコトを思い返していた。
「……まったく、もう……」
 結局、あれから休憩時間ごとにあの海外からの転入生……一葉さんにちょっかいをかけられ続けるだけじゃなくて、授業中も後ろの方から視線を感じていたし。
「そりゃ確かに、クラスで誰の目にも止まらないのは寂しかったけど……」
 かといって、四六時中見つめられているのも、それはそれで考えものである。
(……というか、普通にストーカー行為だよね、あれ?)
 一応、担任の先生にでも相談した方がいいのかな?
「…………」
(でもなぁ……)
 メイワクですから近づかないで下さいと、きっぱりお断りを入れるのは何だかもったいないという気持ちも片隅にあるのが、何だか情けない感じではあったりして。
 まぁ、それがぼっち生活とどっちがマシかと言われると、悩みどころではあるんだけど……。

 ピンポーン

 ともあれそんな時、ふと玄関の方からチャイムの音が鳴り響いてくる。
「……ん?誰だろ……」
 お風呂に入る前はたしか八時半くらいだったけど、こんな夜更けに来客だなんて。
(荷物が届く予定もないし、隣の人が回覧板でも持ってきたのかなぁ?)
 ただどっちみち、この状態じゃ出られないんだけど。

 ピンポーン

 ……と、そんなわけで申し訳ないけどスルーを決め込ませてもらったものの、それからしばらくしてもう一度鳴ってきた。
「……う……」
 どうやら、先方さんも簡単には諦めないつもりらしい。
「もう、しょうがないなぁ……」
 そこで、くつろいだ心地をすっかりと害されたわたしは渋々と腰を上げ、浴室から出てバスタオルで全身を手早く拭き取ると、着替える予定だったパジャマじゃなくて、さっきまで着ていた普段着をもう一度身につけ始めてゆく。
(……けど、着てる間に帰っちゃうかな?)
 まぁその時はその時だし、気をとり直してまた入りなおしてもいいかもしれない。
 そういうことが気軽にできるのも、一人暮らしのメリットだし……。

 ピンポーン

「あー、はいはい……」
 しかし、それから脱衣場を出たところで鳴った三度目のチャイムを聞いて、濡れた髪を乾かすのもそこそこに、ついつい無用心ながらも急かされるがまま玄関まで小走りに駆けていって、ドアを開けてやるわたし。

 ガチャ

「…………」
 すると……。
「よっ、はぁうでぃ〜♪ケーキ買ってきたんだけど、一緒に食べない?」
「…………っ」

 バタン

「……え、えええええ……っ?!」
 その先にいた顔を見るや否や、すぐにドアを閉めてしまったわたしの反応に驚く叫びが外から聞こえてくるものの、それはこちらのセリフだった。
(……ちょっ、まさか家にまで押しかけてくるなんて……!)
「…………」
 けど、せっかく来たんだし、無言で門前払いはかわいそうだったかな?
 それに、あのケーキってわたしが好きなお店の……。
(いや、気持ちわる……っっ)
 しかし、そこで思わず背筋に悪寒が走ってしまったわたしは、再び鍵をかけて足早に洗面台の方へと駆け出してゆく。
 うちの住所を一体どうやって調べたのかは気になるけど、入れたら入れちゃったでなし崩しになってしまいそうで怖いし、ここはやっぱり見なかったことにしておこう。

                    *

「ふー……ホント、何なんだか……」
 やがて、髪を乾かした後で二階にある自分の部屋まで戻ると、室内照明のスイッチを入れつつ、改めて息を吐くわたし。
(もう、ピンポン鳴らしたって、ゼッタイ開けてあげないんだから……)
 あんまりしつこいようなら、通報も辞さない所存になってきたものの、ドアを閉めてここへ戻るまで一度も鳴っていないのを見るに、さすがにもう諦めて帰ってしまったみたいだった。
「…………」
「は〜……ちょっと早いけど、今日はもう寝よっかなぁ……」
 やり忘れてる宿題はないはずだし、お風呂にも入って、さっき髪を乾かすついでに歯磨きもしたし、後はベッドに転がって適当にネットでも見ながら、眠くなったところで寝ちゃえば。
 今日の疲労具合なら、おそらくあっという間に眠りにつけるだろう。
(うん、それじゃ早速……)
「…………」
「……んん……?」
 しかし、それからカーテンを閉めようとベランダへ通じるガラス戸の前まで歩いていくと、視界の先に見えるコンクリートの柵の上に、箱の様なモノが置かれているのに気付く。
(なんだろ、あれ……?)
 風で飛んできたにしては、ちょっとワザとらしいというか、何だか見覚えがあるような……?
「…………」
 そこで、無性に気になってしまったわたしは、一応確認しておこうとガラス戸の鍵を外してスライドさせ、ちょっとだけ肌寒い夜風を受けながらベランダへと出て行った。
「……あれ、もしかしてこれって……」
 それから、柵のすぐ前まで近付いてよく見てみると、そこにあったのはやっぱり見覚え通りのわたしが好きなケーキ屋さんのボックスで、しかも……。
「これってさっき、一葉さんが持ってた……ん?」
「よっ、ご名答〜♪」
 さらに、よく見るとボックスの横に人の指が並んでいるのが見えた途端、今しがた呟いた相手が柵の向こう側から、にょきっと勢いよく顔を出してきた。
「ひぃ……っっ?!」
(ま、まだ帰ってなかったの?!)
 いやいや、それ以前に、一階の庭からこのベランダへよじ登るには、高いハシゴでも持ってこなきゃ無理だろうに、一体どうやって……?
「うはははは、や〜気付いてもらえて良かったよー。こうしてるのが外の通行人の注目を集めたらどうしようって、心配しながら待ってたんでさぁ?」
 そこで、思わず後ずさりながら腰を抜かしてしまいそうになったわたしへ、一葉さんはお月様が綺麗な夜空を背に、満面の笑みを向けてくる。
「…………っ」
 それは、不審人物と称するにはあまりにも無邪気な、まるで天使の様な笑顔だけど……。
「……それで、一体何なんですか?」
「にひっ。そろそろ、ちゃんとあたしの話を聞いてくれたら嬉しいかなーって」
 ともかく、いい加減に呆れたというか、根負けしたわたしが素っ気無く用件を尋ねてやると、初めて見た時から変わらない表情で、嬉しそうに切り出してくる一葉さん。
「話って……もう、一体なんの用件があると……?」
 まぁ、ここまでして言いたいコトがあるのなら、諦めて聞いてあげなくもないけど。
「……うん。まずは、あたしとお友達になってくれないかなって、ね」
「うえ……?!」
 ……と、不安隠しに肩を竦めてみせながら尋ねたわたしへ向けられたのは、あまりにも呆気ない言葉だった。
 まさか、それが言いたいがために一日中追いかけ回した挙句、こんな馬鹿なマネを……?
「ダメかな……?」
(いや、ホントなんていうか……。もしかしてホンモノのおバカさんだったの?)
「…………っ」
 けど……。
「……帰ってください」
 それから、呆然とさせられながらも、何だかむかっ腹が立ってしまったわたしは、投げかけられたお誘いを短い言葉でつき返す。
 ……悪いけど、この状況でわたしが返せる言葉なんて、これしかなかった。
「……あはは、やっぱそーだよねぇ?ゴメン、また出直すわ」
 すると、一葉さんにとっても想定済みの反応だったのか、苦笑い交じりにあっさりと引き下がると、ぶら下がっていた柵に両足をかけていき……。
「え……?」
「んじゃ、まったね〜!おやすみぃー♪」
 別れの言葉のあとで両手を離して柵を強く蹴り出し、宙返りを見せながら庭へと飛び降りていった。
「ちょっ、あぶな……!」

 ふわっ

「…………ッッ?!」
 しかし、思わず手を伸ばして叫んだその直後、両手を大きく広げて飛び降りる一葉さんの背中から、眩い輝きを放つ幾重にも重ねられた翼が現れて翻り、ほぼ同時に二度驚かされてしまうわたし。
「は、羽……?!え……?」
 まさか、あれって……。
「そのケーキはお土産だから、理美ちゃんが食べちゃって?んじゃ、また明日学校でー♪」
「…………っ」
 それから程なくして、青白く輝く羽根を散らせながら無事に着地した一葉さんは、背中の翼が消えた後も立ちすくむわたしへ勢いよく両手を振りながらそう告げると、今度こそ駆け足で門をくぐって立ち去って行った。
「……な、なんなの、あれ……?」
 いや、それもだけど……。
「こんな時間に二人分のケーキなんて持ってこられても、わたしひとりじゃ食べきれるわけないじゃない……」
 やがて、一葉さんの姿が視界から見えなくなった後でようやく硬直が解けたわたしは、ベランダに残された置き土産の方を一瞥してポツリと呟いた。
 ……まぁ、一緒に食べるつもりだったのを断ってしまったのは、わたしの方なんだけど。
「…………」
 でも……。
『……うん。まずは、あたしとお友達になってくれないかなって、ね』
(友達、か……)
 そりゃ、欲しいよ。
 晴実と別れてからこっち、ずっとひとりで寂しい思いをしてきたんだから。
「けど、もうちょっと誘い方ってものもあるでしょうに……」
 あんな強引すぎる流れじゃ、素直に頷けるわけがない。
「……はぁ……」
(……そういえば、あいつと最初に友達になった時も、こんなノリだったっけ?)
 人見知りが激しく、なかなか素直になれなかったわたしに、結局ノーが言えない状況になるまで付きまとってきて……。
「…………」
 ……うう、思い出したら胸が痛くなってきた。
「やっぱり、今日はもう寝よう……」
 形が崩れないままボックスの中に入っていたケーキは美味しそうだけど、こんな気持ちで食べても味が変わってしまいそうだし。
(とりあえず冷蔵庫にしまって、明日食べればいいかな……?)
 ただどのみち、ひとりで侘しく食べるのに変わりはないんだろうけど。

                    *

「んあ〜。結局、上手くいかなかったなぁ……」
 やがて、サプライズで狙ってみた理美ちゃんへの自宅訪問が不発に終わったあたしは、街灯に照らされた深夜の住宅街を歩いて戻りながら、反省会モードに入ろうとしていた。
「……むしろ、あれで本当に上手くいくなんて思っていた方が驚きですけど」
「うはは、ちょおっと強引にイキ過ぎたかな?」
「ちょっとどころの話じゃないですよ……。ホント、参謀長様が全幅の信頼を寄せる凄腕と聞いて、私もお手並みを期待してましたのに、行き当たりばったりにも程がありますってば」
 すると、そんなあたしへ向けて、バックアップとしてこっそりと同行していた相方の天音ちゃんが、溜息交じりの呆れツッコミを入れてくる。
「言うねぇ……。けどま、初日だからこんなモンだよね?あとは、天音ちゃんイチオシで選んだケーキが役に立ってくれればいいんだけど」
 なんでも、理美ちゃんのお気に入りってハナシだし。
「まぁ確かに、雨宿さんが学校の帰りにあのお店へ通っているという調査報告はしましたけど、でもこんな時間に訪問する手土産に、生クリームたっぷりのケーキというセンスもどうかとは思いますよ?」
「うぐ……。やれやれ、天音ちゃんってば手厳しいよねぇ……」
 この天音ちゃんは、天使軍の秘密情報部に所属する人間界方面駐在エージェントで、今回の任務のサポート担当になってからこっち、あたしがやって来る前から準備や世話を焼いてくれているのは有り難いんだけど、ツッコミが冷たく容赦がないのが玉に瑕だった。
 まったく、モトは悪くないんだから少しは笑ってくれれば可愛いだろうに、あたしに見せるのは常に特務天使らしい淡々とした表情だけ、っていうのはともかくとして……。
「私が言っているのは、あくまで一般常識の範疇の話ですってば……。まったく、今までもそうやって力ずくで押し通してきたんですか?」
「いやはは、あーいう引っ込み思案なタイプは、強く押されたら断りきれないかにゃ〜って……」
 それに、ぽつんとしながらも他者との関わりを拒絶してるワケでもなさそうなのは、ひと目見た時から分ったしね。
「……だからって、いきなり壁ドンは無いと思いますけどね。心配だったんで教室の外から見てましたけど、私が見てもドン引きでしたよ?」
「むー、今こっちで流行してるって聞いたから、試してみたのに……」
「アレは、ある程度仲良くなったトドメかなにかでやるものだと思いますけど……」
「ふむふむ、それは参考にしよう」
 ぶっちゃけ、あたしも半信半疑だったけど、実際にやってみるとけっこー楽しかったし。
「……次のチャンスがあれば、のお話ですけどね」
「ふふん、どっちにしても理美ちゃんにあたしの存在はしっかりと焼き付けたろうから、こっからが勝負だっての」
「モノは言いようとは、正にこのコトですよね……。とにかく、このミッションに関しては私も一蓮托生なんですから、しっかりして下さいね?」
「へいへーい」
 あたしとて、マリエッタ姉から直々に請け負った以上、カッコ悪いところを見せるわけにはいかない。
 けど……。
「……ん〜。でもさ、まだなーんとなくピンとはキてないんだよねぇ」
「なにがですか?」
「もちろん、調査目的のコト。……本当に理美ちゃんがそうなのかなって」
 まぁ、あたしも天使の端くれとして、クロと判断して特務を発令した司令に今更疑問を差し挟むつもりもないんだけど……。
「少なくとも、私の事前調査では、最も可能性が高いという結論にはなりましたよ?」
「うん……」
 そして、それを直接確認するのが、このあたしの最初の仕事ではあるんだけど。
「…………」
 ともあれ、そこからあたしは歩みを止めないまま、今回のミッションを請け負った時のやり取りを思い出し始めていった。

                    *

「やっほ、おひさしぶりー?」
「……あら、思ったより早く来てくれたのね。大出世してこちらの束縛から離れたのはいいけど、もしかして退屈してたのかしら?」
 久々に司令部からの要請を受け、特に気負いも無いまま作戦会議室へ出向くと、天使軍でも一、二を争う美貌の参謀長が、悪戯っぽい表情であたしを出迎えてくる。
「そらもー、あたしらはずっと開店休業状態だしさ。……それに、マリエッタ姉からの呼び出しとあらば、馳せ参じないワケにもいかないっしょ?」
 この、コードネームにマリエッタという名を与えられた上級第三位の智天使は、まだ特務機関の下っ端だった頃からの長い付き合いもあって、今は階級こそ追い越してしまったものの、あたしにとっては姉貴分といえる存在だった。
「ありがとう。義理堅い妹を持って幸せだわ」
「んで、折り入った話ってあにさ?」
 ……ただ、マリエッタ姉からこうやって直々に呼び出される時ってのは、昔っから嫌な予感しかしない用件ばかりだったりするから、やっぱり油断は禁物なんだけど。
「ええ。来て貰ったのは他でもないんだけど、貴女へ頼みたい特別なミッションが一つあるの」
「やれやれ、やっぱ特務関連か……。もう、メンドくさいのはゴメンなんだけどなぁ」
 もちろん、世間話やお茶の相手のつもりで呼び出されたワケじゃないのは承知の上としても、今回はどんな無茶振りを吹っかけられるのやら。
「世の中、メンドくさくない仕事なんて無いわよ?とにかく、貴女向けの任務だと思うからお願いするの」
「へいへ〜い……」
 けど、今までの付き合いの中で、この参謀長サマは出来そうな相手にしか頼みごとをしないタイプなのは知っているだけに、まずは黙って話を聞くしかないんだけど。
「実は今、人間界のさる地方でちょっとした騒ぎが起こっているの。まずはこれを見て?」
 ともあれ、それから渋々と頷いて円卓へ着席したあたしへ、マリエッタ姉は早速本題を切り出すと、中央の立体スクリーンから人間界のさる地方の映像が浮かび上がってくる。
「ふむ……」
 これだけで何か言えと求められても正直困るくらいの、山と海に挟まれた平凡な地方都市の風景だけど、こんな場所でワザワザこのあたしが呼び出されるほどの事件でも起きているんだろうか?
「ここはね、天界にとってはちょっとばかり曰くがあるエリアなんだけど、でも戦いとは無縁の平穏なこの街に、つい最近から“魔物”が頻繁に出没しているらしいの」
「魔物?つまり、魔界の眷属ってーこと?」
 そりゃまた、奇怪な。
「ええ。それでも出没は夜間の遅い時間のみで、現地の住人の被害報告も特に受けていないし、今の所は大きな混乱に到っている様子はないんだけど、ただ化け物が出たという目撃情報が飛び交って、ちょっとした街の噂になっているみたい」
「ふーん……。けどさー、いまさら協定破りのリスクを負ってまで魔族達が夜な夜なこんなトコロへ押しかけてどうしよってのよ。まさか、魔界で人間界の観光でもトレンドってんの?」
 一応、天界の天使軍も、魔界政府が保有する魔軍も、主要な地方へエージェントを駐在させて、情報収集活動やら相互監視くらいのマネはしてるので、こっそりと人間社会に混じって暮らす天使や魔族はいるとしても、そんなあからさまに異形の姿をした魔物がウロついてるというのは、ちょっとイミが分かんない。
 そもそも、協定には紛争や侵略行為の一切禁止だけじゃなくて、現地民へ無用に怯えさせたり不安を与えたりする行為自体を極力控える様にって取り決めになってるはずだし。
「それがね……。どうやら魔界の連中が協定を破って勝手に入り込んでいるんじゃなくて、あちらの人間によって呼び出されているみたいなの」
「つまり、召喚師(サマナー)がいるってコト?一体誰が、何の為に?」
「さて、それはまだ分からないわ。ただ、現地での先行調査の結果、召喚者の目星はついたの」
「ほうほう」
「……見て、このコよ」
 そして、参謀長サマが改めて中央スクリーンへと視線を促すと、画面が替わって今度は紺色の正装着姿の一人の小柄な女の子の全身が映し出されてきた。
「お、かわいー」
 ちょっと表情には曇りがあってダウナーっぽいけど、ショートの黒髪に包まれた丸顔のあどけない顔立ちは、なんだか護ってあげたくなる様な雰囲気のコである。
「名前は、雨宿理美。この街の高校(ハイスクール)に通っている十五歳の学生よ。この地元の生まれで実家暮らしだけど、現在は両親とは離れて一人で住んでいるみたい」
「……ふーん、随分とお若くて可愛らしい召喚師(サマナー)さんなんだ?」
 この若い美空で、今は廃れているハズの禁断の秘術を、一体どうやって習得したんだろう。
「いいえ、まだ断定に至るまでの裏付けは取れていないわ。……ただ、魔物が召喚された際に彼女の周辺から強力な魔力反応が確認されたんだけど、これは古の時代に彼女の先祖が召喚術を行使した時のものと一致しているらしいの」
「先祖?……ってーコトは、このコはそのテの血筋?」
「ええ、関連情報はそこの資料にまとめてあるけど、こちらでもなかなかの有名人よ?というか、召喚師としてはお家元と呼ぶべき家系かもね」
「なるへそ……」
 それから、思い出した様にテーブルの上に用意されていた書類を手に取ってパラパラと捲ってみると、確かに今さら改めてお勉強するまでもない、さる高名な人物のコトが記されていた。
「…………」
「どう?彼女にもっと興味が沸いてきたかしら?」
「……ん〜、まぁ召喚術を扱える可能性を否定できないのは分かったけどさー、でもなんかまだいまいちピンと来ないなぁ。それで、あたしにこのコをどーしろと?」
「なんとかして♪」
「……おいコラ、真面目にやれ作戦担当」
 言うに事欠いて、なんですかその指令(オーダー)は。
「だけど実際、扱いには困っているのよ。仮に彼女が召喚者(サマナー)としても、人間界へ潜入した天使が地元の住人を勝手に排除ってワケにはいかないでしょう?」
「まーね……」
 確かに、天界や魔界からの来訪者が人間界で現地民を傷付けるのは、いかなる理由があろうがタブーと定められているから、処理が難しい問題なのはまぁ分かる。
 ……ただ、モトモトの話をすれば、それを条件に人間界の召喚師(サマナー)達にも召喚術の封印を了承させたハズなんだけど。
「だから、貴女にお願いする役目として、まずは現地へ赴いて対象と接触した後に事実確認をするコト。本当に彼女が召喚者なのか、そして一体何の為に召喚行為を繰り返しているのか」
「……ふむ。魔界側と絡んでるってセンは?」
「ええ、そういった可能性も踏まえて、場合によっては罠にかけられたり、彼女が召喚した魔物と交戦する羽目になる想定も必要だから、こちらとしてもそれなりのカードを切るコトにしたってわけ」
「なるほどねぇ。確かにそりゃメンドくさいわ……」
 でも……。
「だけど、物好きな貴女向けではあるでしょ?確か、一度人間界へ行きたがってたじゃない?」
「んはは、違いねーわね」
 まぁ、エデンの塔に引きこもっているより面白そーではある、かな?

                    *

「…………」
 んでもって、こっちへ来てから理美ちゃんと同じ学校へ潜り込んで、さっそく一日中付きまとってはみたものの……。
(うーん、まだ全然見えてこないかな……?)
 天音ちゃんからの報告どおり、別に魔術やら魔物の研究に興味シンシンな痕跡は見当たらない上に、術者特有の”匂い”すら感じられないし、クラスでは孤立気味みたいだけど、でもイジめられてる様な雰囲気も無かったから、理美ちゃんが召喚術を行使する動機も見当たらず。
「……か様……!」
「ふーむ……」
 んでもって、魔物が呼び出されているらしい夜間に自宅を訪ねてはみたけれど、お風呂上りで上気してちょっと色っぽかったくらいで、別に怪しい儀式をやってそうな気配もナッシングだったし……。
(せめて、自宅に上がらせてもらえれば、もうちょっと調べも捗るんだけど……)
 その為にも、何はともあれまずは理美ちゃんとしっかり仲良しさんになってから……。
「愛奏様ッッ!!」
「んお……っ?!」

 どんっ

 ……と、すっかり歩きながらの考えゴトに夢中になっていた中で、後ろの天音ちゃんから鋭い声で呼ばれて視線を戻した途端、すぐ前方まで迫っていたふさふさとした弾力のある誰かと衝突して、あたしは弾き返されてしまった。
「うおっと、こりゃシツレイ……」
 どうやら前方不注意のまま、すぐそこの角を曲がってきた誰かと鉢合わせてしまったみたいだけど……。
「ん、ふさふさ?……おわっ?!」
「グルルルル……」
 しかし、その人間というよりも獣っぽい感触に違和感を覚えて顔を上げると、こちらの世界では異形の姿となる、全長で2メートル以上はありそうな二足歩行の大きなオオカミが、鋭い目つきでこちらを凝視しつつも低い声で唸っていた。
「……な……にっ?!」
 その姿を認識するや否や、条件反射的に後ろへ跳んで距離を空けるあたし。
(魔物……!しかもコイツ、魔狼じゃないのさ……?!)
 種族で言えば、魔界では比較的ポピュラーな半人半獣(ウェアウルフ科)の魔獣族だけど、でも体毛が銀色のコイツは「銀魔狼」と呼ばれる、際立って戦闘能力が高くも一部の辺境でのみ生息している亜種だったはず。
(おいおいおい……)
 ……というか、こんな場所でウェアウルフと、しかも魔界の極寒の地でしか見ないとされるレア種と出くわすなんて、ほっぺたでも抓りたくなる程に現実味の薄い遭遇だったりして。
「一体、どーいうコトよ、これは……」
「分かりません……けど、こんな強力な魔物の観測は私も初めてです……」
 ともあれ、対峙しつつ呟くあたしへ、すぐ後で同じく身構える天音ちゃんが冷や汗混じりに返してくる。
「……ガルルルル……ッ」
「えっと……」
 ……まさか、しつこく付きまとわれて怒ってしまった理美ちゃんが、あたしを始末しようと召喚して差し向けた?
(うへぇ……)
 だとしたら、明日は土下座の一つでもカマしといた方がいいかもしれない……けど……。
「やれやれ、ここはあたしが何とかするしかない、か……」
 どっちにしても、野放しにしはしておけないしね。
「愛奏様……!」
「天音ちゃんは下がってて。……こーいうのは、あたしの役目だから」
 そこで、あたしは小さく溜息を吐きつつ、まずは天音ちゃんを制した後で、普段は納めている背中の翼と、標準武器である天使剣を手元へ呼び出した。
「グルルル……?!」
(……やーれやれ、いきなりマリエッタ姉の想定が的中しちゃったとはね)
 こちらでの戦闘行為はなるべく避けたいトコロだけど、降りかかる火の粉は払うしかない。
 ……それに、あたしの翼を見た途端、相手の目の色も変わったしね。
「へへ、それじゃあたしが遊んであげよっか、ワンワンちゃん?」
 それに、銀魔狼は言葉こそ話せなくとも、知能そのものは高いハズだから、捕まえて尋問すれば召喚者の情報を得られるかもしれない。
「ガルルルルッッ!!」
「…………」
 ただ、明らかに苛立っている感情は伝わる反面で、獲物を前にしてのギラギラとした殺気をあまり感じられないのは、ちょっとばかし気になるけど……。
(ま、いいか……。どうせ命まで奪うつもりはないし)
 中級天使の天音ちゃんにはちと厳しい相手だろうが、今のあたしなら一撃で戦闘不能に仕留めて……。

 ヒュオッ

「……ちょおっと待ったぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「ぬお……っ?!」
 しかし、それから先手必勝を狙って相手の懐へ一気に飛び込もうとしたトコロで、突然一陣の風が吹くと共に上空の方から制止の声が届いたかと思うと、まるで流星の様な勢いで、あたしとオオカミさんとの間に翼を纏った女の子が割り込んできた。
(堕天使……?!)
 その灰色の翼は、見間違えようハズもない。
 姿こそあたし達と似ているけれど、罪を犯して天界から魔界へ追放された者達である。
「……はぁ、はぁ……。悪いんだけどさ、ここは黙って引いてくんないかしら?」
 ただ、こちらにとっては敵が増えたコトになるワケで、あたしは臨戦態勢のまま相手の出方を伺っていたものの、すぐに降ってきた乱入者は息を切らせながら、背中越しにそう告げてくる。
「いや、黙って引けと言われても……」
「グルルルル……!」
「ほら、アンタもよ……!」
「…………ッッ」
 それから、続けて堕天使の少女はポケットから取り出したパフュームボトルの中身を銀魔狼の鼻先で噴射すると、あっという間に意識を奪ってしまった。
「……ふう。とんだ災難だったけど、次に目覚めた時は悪いユメでも見たと思うでしょ」
「ちょっ、そいつをどうするつもりなのさ?!」
「うう、重い……とにかく、昔のよしみでコイツはアタシに任せてもらえる?悪い様にゃしないからさ」
 そして、膝を落とす銀魔狼の身体を、堕天使は背中から覆い被される体勢で抱きとめると、あたしにそれだけ告げて、問いかけの返事も無いまま飛び上がろうとしてゆく。
「昔のよしみ?って、おい……っっ」
 そこで、あたしも翼を翻して追いかけようとしたものの……。
「……いえ、ここは黙って受け入れておきましょう、ラミエル様?」
 しかし、今度は後ろから袖を引っ張ってきた天音ちゃんに引き止められてしまった。
「あたしゃ、愛奏だっつーの!……って、まーいっか……」
 堕天使ってコトは、あの女の子の方は召喚された魔物じゃなくて魔軍のエージェントかもしれないし、確かに深追いは得策とは言えないかも。

「……んでさ、結局ナニがどーなってんの?」
 ともあれ、やがて乱入してきた堕天使が魔狼を抱えて漆黒の空高く飛び去ってしまった後で、その背中を見送りながら誰にともなく呟くあたし。
 この短い間で一気に予想外の出来事が続いて、さすがに混乱気味だったり。
「私に聞かれても困りますけど、ただ今夜も魔物が呼び出されてしまったのは間違いありませんね」
「あ〜……やっぱり、くつろぎの時間をジャマされて怒らせちゃったのかなぁ?」
「さて、それは分かりかねますけど、まぁ明日学校で顔を合わせたら、とりあえず謝っておいたらどうですか?」
「ん〜、そーだねぇ……」
 ま、今夜のところは魔物召喚の事実を確認しただけで良しとするとして……。
「……でも、あんな物騒なのが呼び出されているのなら、確かに看破は出来ないってワケか」
「ですね……。ここまで被害者が出ていないのは、奇跡みたいなものかもしれません」
「やれやれ……」
 ……確かに、色々と退屈はしなさそうな任務みたいだった。 

第二章 無意識系サマナー

「……ふぁぁぁぁ……ねむい……」
 図らずも、やたらと慌しかった月曜から一夜が明け、わたしは寝起きから抜けない気だるさや眠気と戦いながら、登校後の下足場で上履きに仕替えていた。
 ……これでも、昨晩はいつもより早めに就寝してたっぷりと睡眠を取ったはずなのに、いまいち疲れがとれていないみたいである。
「う〜っ……。あれだけ寝ても、まだ足りないのかな……?」
 もしくは、眠りすぎたのが逆にまずかったのかもしれないけど。
(はー、やれやれ……)
 それもこれも、全ては昨日転入してきた誰かさんが原因だけど、また今日も同じように一日中振り回されてしまうのだろうか。
『……うん。まずは、あたしとお友達になってくれないかなって、ね』
「友達、ね……」
 昨夜はつい断ってしまったけど、どうしてもと土下座でもされちゃったら、仕方がないかな?
(あはは、なーんて……)
 まぁ、昨日に散々奇襲された分、さすがに今日は滅多なことじゃ驚いたりしないんだから。
「…………」
 と、思っていたのに……。

 ガラガラ

「理美ちゃん、昨日はすんませんした……ッッ!」
「……え、えええ……っ?!」
 それからやがて、いつものようにクラスルームの扉を開いた先でわたしを待っていたのは、まさかの一葉さんが深々と土下座してくる姿だった。
「ち、ちょっ……?!」
 さすがにこれは想定外というか、それを見た周囲が一気にざわめき始めたんですけど?!
「ホント、しつこく付きまとった上に、メーワクを省みずに家まで押しかけちゃって……これ、このとーり!」
「い、いや……べ、別に怒ってるわけじゃないから、早く顔を上げてよ……っ」
 やり過ぎたと反省してくれてるのはいいとしても、正直ここまでされると、わたしの方が困るというもので。
「ですから、なにとぞ刺客を送りつけるのだけは御勘弁を……!」
「……へ……?」
 そこで、わたしの方も慌ててしゃがみ込んでやめさせようとしたものの、続けて一葉さんから出てきた不穏極まりない言葉に面食らってしまう。
(刺客……?)
「あの……悪いけど、言ってるイミがぜんぜん分かんない……」
「いやいや、でも昨晩のあの後……」
「あの後……?えっと、一葉さんが帰った後のことなら、あれからすぐ寝ちゃったけど……」
 もう遅かったから、手土産のケーキを冷蔵庫へ放り込んで。
「……え、ホントに……?」
「だって、すごく疲れてたし……」
「…………」
 すると、一葉さんは意外そうに顔を上げて、しばらくわたしと見つめ合ったかと思うと……。
「……いや、メンゴメンゴ。……そっか、あたしのカン違いかぁ」
「う、うん……?」
 やがて勝手に納得してしまった後で、ようやく立ち上がって頭を掻きながら、すごすごと自分の席へと戻っていってしまった。
(えっと、なんなの……?)
 誤解が解けたのはいいとしても、刺客って……。

                    *

「…………」
(は〜〜っ……)
 ともあれ、それからわたしも自分の席へとついた後で、朝っぱらから驚かされて更に蓄積されてしまった疲労感の赴くままに、いつものごとく誰とも会話することなく、ひとり机の上でうつ伏せになっていた。
(まったく、突拍子も無いことばかりしてくるんだから……)
 これで、クラスや校内でヘンな噂でも立ったら、どうしてくれるんだか。
「……ねぇねぇ、聞いた?また昨晩、白山地区の辺りで出たらしいわよ?」
「へー」
「しかも、ツィートしてた人によると、今度はオオカミ男さんだったって」
「あはは、一緒にフランケンとかドラキュラはいなかったの?」
 しかし、そんな心配は杞憂みたいで、やがて耳に入ってきた周囲の会話は昨日と同じ、最近出没しているという謎のお化けの噂だった。
「…………」
 けど、ひとつ聞き捨てならないのは……。
(白山地区って、うちの近所じゃないのよ……)
 なんか、物騒だなぁ……。
 それが仮に本物であれ、ただのコスプレ集団の類であれ、ひとり暮らし中のわたしには心細くなる話に違いはない。
「ううん、そういうのはいなかったんだけど、何やら天使さまみたいなのもいたって話だよ?」
「なにそれ?背中に翼でも生やしてたの?」
「そーそー。でもオオカミ男さん共々、上手く写真には撮れなかったって」
「…………」
「……天使、ね……」
 そういえば、そっちに関してはわたしにも心当たりが無くもないかな?
「おろ、呼んだかねマイハニー?」
 すると、わたしの小さな呟きに反応して、土下座してきた割には全く反省の色が見られないストーカー予備軍さんが、ひょこっと顔を出してくる。
「……っ、呼んでません……」
「うおう、これは失敬失敬、HAHAHA……」
(ええい、おこがましい……)
 しかもマイハニーって……ああもう、ツッコミが追いつかない……っっ。

                    *

「……よし、では本日の授業はここまでとする。宿題忘れないようにな?」
「起立、例!」
 それからやがて、チャイムが鳴ると同時に、四時間目の古文担当の駒田(こまだ)先生が教科書を閉じて午前の授業の終了を宣言すると、お昼休みの到来に教室内が慌しくなってゆく。
「はー、お腹空いたね〜」
「……ほら、急がないと席が取れないわよ?」
(確かに、すっごくお腹ペコい……)
 何せ、昨日から誰かさんのお陰で無駄な体力を使わされ続けてるせいもあってか、四時間目の途中からお腹が鳴り始めたりもして、地味にピンチを迎えていた。
(ま、なんとか耐えられたからいいんだけど……)
 ともかく、何はともあれ腹ごしらえと、思い思いの席へ移動しているクラスメート達を尻目に、いつも自分で用意してきているお弁当箱を机の中から取り出すわたし。
 一応、お手製といえばお手製ながら、実際はでき合いのおかずも多いので、自分で作ったと胸を張って言えるのなんて、おむすびと玉子焼きとタコさんウィンナーくらいのものだけど。
「へー、今日もかわいいお弁当箱だねぇ。いつも自分で作って持ってきてるのかい?」
「…………」
 そして、包みの結び目を解こうとしたところで、空腹を増長させてる元凶の転校生さんが顔を覗かせてきたものの、ぷいっと横を向いてやるわたし。
 もちろん、他に一緒に食べる相手はいないものの、それでもやっぱり何だか癪に触るので、ここは知らんぷりしてやることに。
「おろろ……まいっか。いつかは理美ちゃんがあたしの為に作ってきてくれるくらいの仲にはなってもらうから、カクゴしててよね?」
「……勝手に言ってなさいっての……」
「んじゃ、まった後で〜♪」
 すると、一葉さんはそれ以上食い下がってこないかわりに、ふてぶてしい捨て台詞を残した後で、軽く敬礼のようなポーズを見せて教室から出て行ってしまった。
「ったく、もう……」
 あの自信は、一体どこから沸いてくるのやら。

「……ね、雨宿さんって、一葉さんと前から顔見知りだったの?」
「え……?う、ううん……」
 ともあれ、それから一葉さんの姿が見えなくなった後で、不意にすぐ近くのクラスメートから声をかけられ、慌てて首を横に振るわたし。
「そ?何だか妙に仲良さそうだし。今朝のだって悪ふざけなんでしょ?」
「い、いや、本当に昨日が初対面だから……」
 まぁ言いたいコトは分かるけど、あの馴れ馴れしさは、このわたしが一番戸惑っているわけで。
「それに、今朝も3組の春日井(かすがい)さんが敬語で話しかけてたのを見たんだけど、結構ミステリアス路線な人だよね?」
「あは、もしかして、実はいいトコのお嬢様とか?」
「…………」
(……いや、というより……)
 もし、昨晩に見たのが夢なんかじゃないとしたら、彼女はもっと非現実的な存在ってコトになるんだろうけど……。

                    *

「……は〜やれやれ……。これからどーしたもんかね?」
 やがて、理美ちゃんと別れた後に一人屋上へと移動したあたしは、他に誰もいなかったのをいいことに、金網へ足をぶら下げて宙ぶらりんになりながら、紙パックの飲み物片手に今後の戦略を練っていた。
「ん〜〜っ……」
 とりあえず、魔物が召喚された事実は確認できたとしても、問題は今朝の反応を見る限りだと、理美ちゃんの方は身に覚えが無いっぽいんだよね。
 あたしも職業柄、相手が嘘をついてるかどうかに関しては敏感なつもりだから、刺客と聞いた時の、一体何のコトだか分からないって言葉が嘘じゃないのは分かる。
(ホントに、理美ちゃんが召喚師(サマナー)なのかねぇ……?)
 実際、マリエッタ姉も天音ちゃんも確信と呼べるまでには至ってないってハナシだから、根本的な所から疑ってみるのもアリかもしれないけど……。
(ま、とにかく理美ちゃんとの関係を深めないコトには、なかなかね……)
 とりあえず、調査の続きはそれからでいい。
「……んで、あとの手がかりといえば、”あいつ”かな……?」
 それから今度は、昨晩にいきなり乱入してきて、召喚された銀魔狼を勝手に連れ去ってしまった堕天使のコトを思い浮かべるあたし。
 少なからず事情を知ってそうだった上に、何やら思わせぶりなコトも言ってたし、探してみる価値アリかもしれない。
(……んじゃ、そっちの件は天音ちゃんにお願いしちゃおっかな?)
 また向こうから勝手に飛び込んできてくれると有難いんだけど、さすがにそうそう簡単に尻尾を掴ませてはくれないだろうから、こっちは気長に……。

 バタンッッ

「やぁっと見つけた!……ったくもう、フラフラしてんだから!」
「んお?」
 ……と、その件は一旦置いて次の考え事へ移ろうとした矢先、突然に大きな音を立てて屋上と校舎を繋ぐ扉が開かれたかと思うと、中から何やら怒った様子の女子生徒が一人、肩をいからせながらこちらへ近付いてきた。
「教室で姿が見えなかった上に、購買や食堂まで出向いたのにいないから、随分と探しちゃったじゃないのよ?」
「えっと……。そりゃスマンかったけど、どちらサマだっけ?」
 理美ちゃんよりも小柄のちんちくりんながら、童顔でなかなか可愛らしい感じのコだけど、そんな勝手にはぐれてしまった友達を責める口調で捲くし立てられましても。
「……ちょっ、アタシの顔を見忘れたか?!」
 しかし、当然のことながら面食らってしまうあたしに対して、すぐ近くまで寄ってきた女の子の方は、腰に手を当てながら更に不満を訴えてくる。
「見忘れたかって……」
 そう言われれば、何となく見覚えがあるような、無いような……。
「…………」
「……ん〜っ……って、あれ、もしかして昨晩の……?」
 あの時は辺りが暗かったし、飛び込んできた後もこちらへは殆ど振り返ってこなかったからすぐに出なかったけど、そういえば特徴が一致してるかも。
「そーよ!でも、それだけじゃないでしょ?!」
 そこで、少しばかりのタイムラグを経てようやくピンときたあたしはポンと手を打ったものの、しかし最後まで言い終わらないうちに追加のツッコミが入ってくる。
「それだけじゃないって……」
「……アンタまさか、本気で忘れちゃったの?!昔のよしみだって昨晩言ったでしょーに」
「昔のよしみってもねぇ……」
(いや、まてよ……?)
 そろそろ、こっちの方がイラっとしてきたんだけど……と言いかけたところで、ふと記憶の奥底から呼び覚まされた名前が浮かんでくるあたし。
「……あれ、もしかしてさ……未知瑠(みちる)?」
 やや険しくなった目つきとか、黒く染まった髪の色とか、影を帯びた空気を纏ってるとか、天使時代とは雰囲気がすっかり変わっているものの、言われてみれば目の前であたしに食ってかかってきている堕天使は、昔の同僚にウリふたつだった。
「やあっと、全部思い出したわね……ったく、もうホントにアタシのコトなんてすっかり忘れてしまったのかと思っちゃったじゃないの、愛奏?」
 そこで、再びぽんっと手を打ちつつ、記憶が蘇った証拠に懐かしのニックネームを口にしたあたしへ、溜息混じりながらも、ようやく険しい表情を緩めて同じく名を呼んでくるみちる。
「……いやだって、まさかこんなトコロで魔界へ追放された昔の仲間と再会するなんて、夢にも思わなかったしさー」
 ちなみに、このみちるは天使養成施設(エンジェリウム)時代からの付き合いで、同期に卒業して所属先が一緒になった駆け出し時代はよく組んで仕事もしていた、かつては相棒と呼び合う間柄だったんだけど、やがて実績を積んで順調に昇進していく中での再編成で離れ離れになってしまったのち、さる任務中に重大な罪を犯したとして、最も重い極刑……つまり、魔界への追放を言い渡されてしまった。
(やっぱり、堕天使になっちゃったんだ、みちる……)
 正直、耳にした最初は信じられなかったものの、事実は事実として一切の詮索は許されなかったので、あたしも仕方が無いのかと割り切るコトにしたんだけど……。
「ま、そこは世の中広いようで、案外狭いってコトかしらね?」
「んだーね……。つか、もしかしてまだその名前を使ってんの?」
「おーよ?一応改めて名乗っておくと、ここでのアタシは衣笠(きぬがさ)未知瑠(みちる)だから。……けど、そーいうアンタだって、一葉愛奏と名乗ってるんだから、同じようなモンでしょーが」
「うはは、まーねぇ」
 “主”の代行者であり、個を否定された駒である通常天使には、名前なんて与えられない。
 その代わり、天使達は仲良くなった仲間同士で互いに愛称を考えて呼び合うのを友情の証としていて、あたしはこちらに赴任する際、自分が「未知瑠」と名付けた仲間から同じく付けてもらった「愛奏」の名を使用しようと決めたけど、どうやら考えたコトは同じだったらしい。
 ……まぁぶっちゃけ、単に改めて考えるのが面倒くさかったのも大きいんだけど。
「……にしても、この街に魔族が連続して召喚されている事案に、天界も本腰で調査に乗り出す事が決まって、天使軍からとびきりの腕利きが派遣されるから警戒するようにとは言われてたけど、まさかアンタだったとはね。よっぽど人手不足なのかしらん?」
「失敬な。これでも今は最上級ランクの天使よ、あたし?」
 ともあれ、それから肩を竦めてイヤミ混じりで煽ってくるみちるへ、あたしは逆さまのまま腰に手を当てて胸を張ってやる。
 自慢じゃないけど、総勢3億を越える天使軍の中で、僅か7人しかいないポジションの一角に、何故だか選ばれちゃったワケで。
「ラミエルだっけ?まさかアンタが名付き(ユニーク)天使に大出世とか……。あと、さっきからパンツ見えすぎてる」
「うおうっ?!」
 しかし、それからすぐに冷めた口調で返ってきたみちるからの指摘を受けて、慌てて裏返っていたスカートを戻すあたし。
 さっきまでは片手で押さえていたハズだけど、みちるのコトを思い出した際に離してしまっていたらしい。
「ったく、こんなハレンチな元同僚が今や七大天使って、ほんとアタシって何なのかしら……」
「まーまー、それでみちるんは今ナニしてんのさ?」
「ハッ、見りゃワカるでしょ?この地方担当の駐在エージェントに任命されて、アンタよりも少し早くこっちにやってきてんの。もちろん今の所属は、魔界政府の情報機関だけど」
「へー。つまり立場が変わっただけで、やってる仕事は前と同じようなもんってコト?まぁ無難なトコロに着地できて良かったじゃん」
 何だかんだで、今回の任務を受けるまで天界から出たことが無かったあたしに対して、みちるの方は天使時代からこっちの世界でも仕事してたみたいだし。
「それも、傍から見るほど気楽なハナシじゃないけどね?……けどま、魔界へ落とされて生き延びた堕天使は、厄介払いも兼ねて大半がこっち送りになってるカンジかしら?」
 すると、思ったままのコメントを返すあたしに対して、みちるは自虐的にそう答えた後で、「ほら、天使って背中の翼を隠すだけで、簡単に人間界へ潜り込めるし」と付け加えてくる。
「ふーん……。それで、心細かったところへ昔の同僚と出くわしたのがあんまりにも嬉しくて、ついついあたしの姿を探し回ってたと?」
「んなワケ、ないでしょーがっっ!アンタがどこまで情報を集めたのか、聞き出しに来たのよ。一応、アタシもこの件の担当者にされてるし」
「つーコトは、この件って魔界政府も問題視してるんだ?」
「アタリマエだっつーの……。こっちだってえらいメイワクしてんだから。代償もルールも無視で、夜な夜な一方的にぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんと……」
「ふむ」
「んで、アタシが片っ端からその召喚された者達を人知れず送り戻してるんだから……お陰で、寝不足が続いてたまんないわよ……ふああああ……」
 そして、みちるはがっくりと項垂れながらぼやいた後で、今度は眠そうに欠伸を噛み殺した。
「なるほど、そりゃお疲れちゃーん」
 つまり、昨晩に現れたのも、あたし達と交戦になる前に回収する為だったってコトらしい。
「ったくもう、どうせ召喚するなら天使の方にすりゃいいのに、なんでこっちばっかり……」
「そりゃ、昔の魔王が魔界と人間界とを行き来する為に無用心な穴を開けちゃったのが始まりなんだから、恨むならそっちを恨みなさいな」
 その堕天使出身の魔王が用いた異次元転送術は、パクリだけあって穴を開ける為の仕組みは似通ったものなんだけど、ただ一つ根本的な違いがあって、魔界式のはゲートを開いてる間は誰でも自由に行き来が可能なのに対して、オリジナルの天界式は個別で紐付けされた一方通行ということ。
 つまり、天使が他の世界へ派遣される際は出立時に個別で紐付けされ、転送後は一旦ゲートが完全に閉じられて、戻る際に天界から引っ張り上げてもらう仕組みなので、他の世界からの異物は入り込みにくくなっているし、また紐を切られればもう戻れなくなるので、派遣先での不正や裏切りの抑止力にもなる一石二鳥のシステムである。
 ……まぁ、その分プロセスが多くて一度に多くを運ぶには不向きで、あちらさんは効率を取ったんだろうけど、お陰で開いていたゲートの一つを一時的ながら人間に占領され、魔界の位置情報を掴まれてしまったのが致命傷になったので、やっぱりマヌケと言わざるを得なかったり。
「ま、そんな大昔のハナシを今更言ってもしゃーないんだけど、未だにアタシらが尻拭いさせられてんだから、メーワクな話よねぇ」
「……ん〜でもさー、召喚されるったって場所は決まってるっしょ?だったら、近くに引っ越すとか寝袋でも持参で待ってりゃいいじゃん」
 せめてもの慰めと言うのもアレだけど、異世界間の行き来は「アクセスポイント」と呼ばれる、条件を満たした特定の地点でしか穴が空かないから、召喚術を行使した場合も、呼び出せるのはその玄関(ポータル)のみという縛りがあるワケで。
「ええい、気軽に言ってくれてんじゃねーわよ……。つーかさ、この街ってナゼだか知らんけどやたらポイントが多いんだから……」
「んじゃ、夜な夜な闇にまぎれてポータルの見回り?大変やねぇ」
「ぬぐぐ……他人事みたいに……」
「だって、あたしはまだ天使だから他人事だしー」
 まぁ、もしみちるにも手に負えない勢いで溢れ出しちゃった時はそうも言ってられないだろうけど、大きな騒ぎを発生させていない今のところは、上手くやれているみたいだった。
「この……!……ま、いーわ。んで、アンタの方の調査結果はどーなのよ?」
 そこで、心の中ではそれなりに気遣いつつもワザと煽るような言葉を返してやったあたしへ、みちるはムキになりかけたのを我慢して話を進めてくる。
(ちっ、少しは耐性ついたじゃない……)
 やっぱり、相応にメンタルも強くなってるみたいだけど、まぁそれはともかくとして……。
「さー、あたしも昨日から任務開始したばかりだし、まだ何とも。……ただとりあえず、召喚者と思われる人物はアガってるんで、まずはそこから当たってんだけどさ」
「そ?こっちも、あの雨宿理美が怪しいってハナシになってるんだけど、特命を受けたアンタが執拗に付きまとってるってコトは、ビンゴでいいのかしら?」
「つか、人聞き悪いっての……。まーでも、完全な裏付けには至ってないから、今は何とか仲良くなろうとしてるトコ」
 いずれにしても、魔軍の情報機関も理美ちゃんにアタリを付けているとなれば、また一つ脇が固まったと見て問題なさそうだった。
 ……勿論、心配事も増えるコトになるワケだけど。
「昨日、見てたわよ。仲良くなるどころか、怯えさせてたじゃないの?」
「はっはっはー。んで、あんたらの方は理美ちゃんをどうするつもりなのさ?」
「ぶっちゃけ、アタシとしては本人を捕まえて尋問するなり、家に押し入って痕跡を探すなりと力づくで何とかしたいんだけど、残念ながらそれはウチでも許可されてないし」
「ま、そーいうルールだしねぇ」
 だから、あたしもケーキを手土産に穏便に入れてもらおうとしたんだけど、残念ながら空振り。
「よーするに、まだアタシ達が持ってる情報に殆ど差は無いって解釈でOK?」
「みたいやねぇ。……もし互いに手詰まり気味なら、あたしが理美ちゃんと親密になるまでは協力しちゃう?昔のよしみでさ」
 そこで、あたしは何の気なしに共闘を持ちかけてみたものの……。
「んなワケねーでしょうがっっ」

 がしゃんっ

「うをっ?!」
 即座に拒否してきたみちるに金網を思いっきり蹴られ、その衝撃であたしは床へと振るい落とされてしまった。
「堕天使と天使が手を組むとか、ジョーダンでも言っていいコトと悪いコトがあるわよ?!」
「むぅ、そんな怒らんでも……」
 確かに、天使にとっても堕天使は憎悪されるべき存在ってハナシにゃなってるけど、生憎あたしには知ったこっちゃないし、ちょうど理美ちゃんとのラブラブプロジェクト、通称ラブプロに悪役が欲しいと思ってたから、みちるはおあつらえ向けだったんだけど……。
「それに、みすみすアンタに仕事されちゃ、アタシの手柄になんないでしょ?愛奏こそジャマしないで大人しく見てなさいっての」
「え〜。そー言われても、あたしにも立場があるし……」
(……つまり、早い者勝ちってコトですかい)
 昨日の今日だし、しばらくは様子を見ようと思ってたけど、みちるがお邪魔虫になるのなら、あまりのんびりともしてられないかも。
「…………」
 とまぁ、それはそれで面白そうだから望むところでいいんだけどさ……。
「だから、お互い恨みっこナシってコトで、いーわね?」
「おーおー、えらそうに。んで、みちるサマにはナニか秘策でも?」
「うっ、うるさいわね……っ、アタシだって追放されるまではアンタと……って、どーでもいいけど、いつまでそうしたままなのよ?それに鼻血も出てるし」
 それから、振り落とされて地面に寝っ転がったままで会話を続けるあたしへ、ようやくみちるが腰に手を当てて見下ろしながらツッコミを入れてくる。
 ……そのあたしの視線の先には、短いスカートの中が丸見えになっているというのに。
「いやー、なかなか悪くない眺めだなぁって」
 しかも、そのロリフェイスで黒に白の水玉リボン付きだなんて、小悪魔アピールのつもりなのかエロ過ぎなんですけど。
「ば……ッッ?!この、スケベ天使……っっ」
「ぐぇっ」
 そして、ようやくこちらの眺めていたモノに気付いたみちるが、顔を真っ赤にしながら一歩後ずさると、すぐに体重の乗ったゴムの感触があたしの顔を踏み潰してきた。
「ホンっっト、変わんないわねー、アンタ……」
「んはは、おかげさんで……」
 みちるの方はイロイロ変化は見えるけど、でも久々に懐かしいノリだったかも。

                    *

「…………」
(……遅いなぁ……)
 やがて、昼休みの時間も残り少なくなり、カーテンが閉められて薄暗くなった教室の中で、体操服に着替えたわたしは机の上に腰掛けたまま、ぼんやりと教室のドアを眺めていた。
 五時間目の体育を控え、もう大体みんな着替え終わって校舎の外へ出て行ったコも多いというのに、昨日やってきた蒼い目の転入生さんは昼休み開始直後に出て行ったきり、まだ戻って来ていない。
(今日は早めに戻って着替えなきゃいけないのに、忘れてるのかな……?)
「ねぇ、一葉さん戻らなくて大丈夫なの?そろそろ移動に間に合わなくなりそう」
「……さ、さぁ……」
 しかも、気にしてるのは自分だけじゃないみたいだけど、わたしに尋ねられても困りますというか。
(まぁでも、呼びに行ってあげた方がいいのかな……?)
 とはいえ、今どこにいるのかはわたしも知らないし、なによりメアドすら交換していなくて連絡のしようもないんだから、実際はまだそこまでするような間柄でもない。
 けど……。
「…………」
 何なんだろう?この妙にイライラさせられる感覚は。
(もう……。いいから、さっさと……)

 がらがらっ

「ふぃ〜っす……おりょ?!……うあ、次は体育だったっけ」
(……あ、戻ってきた)
 しかし、それから時計の針を眺めながらぼやきかけたところで、不意に教室の入り口が勢いよく開くと、ようやく戻ってきた一葉さんが密室状態に驚いた反応を見せながら入ってきた。
 ……どうやら心配的中というか、普通に忘れていたらしい。
(い、いや、わたしは別に心配なんて……っ)
「もう、早く着替えないと間に合わないわよ?」
「そーそー。次の先生、遅刻に煩いんだから」
「いやはは、メンモクない……。ちょっと懐かしの友達と話し込んでたもんで」
(懐かしって……)
 あなた、昨日やってきた転入生ですよね?
 ついでに、何やら顔に鼻血と足跡が残ってるのも気にはなるけど……。
「…………」
「……ん?どーしたのかな、理美ちゃん?もしかして心配してくれちゃったりしてた?」
「…………っっ」

 ぷいっ

 やがて、一葉さんがこちらの視線に気付いてニヤニヤしながら手を振ってきたのを見て、反射的に顔を背けてしまうわたし。
(……やっぱり、なんかムカつく……)
「んも〜っ、そんなにツレなくしなくてもいいじゃんよぉ〜っ」
 しかし、そんなわたしへ一葉さんはめげずに、更に馴れ馴れしく擦り寄ってきたりして。
(あーもう、うざい……)
「しっかし、理美ちゃんってけっこー着痩せするタイプなんだねぇ?制服の上からだと分かりにくかったけど、膨らんでるトコロはしっかり膨らんでるカンジで……。ね、ちょっと揉んでみてもいい?」
「……いいわけないです……っ」
 しかも、更に調子に乗ってセクハラまでしようとしてくるし。
 ……いやまぁ、体型でホメられたのは初めてだから、ちょっと嬉しいのは内緒としても。
「あははは、ホント仲いいよね?そんなに雨宿さんが気に入ったんだ?」
「ふ……ひと目惚れとはこういうものなのかも……なーんて」
「えー、マジ?」
 いやいやいやいや……。
「……ほら、もう遊んでるヒマなんて無いんだってば……」
「おっ、そーだった、そーだった。んじゃ……」

 ぼんっ

「…………っ?!」
 そして、わたしに促されてようやく着替えを始めた一葉さんがブラウスのボタンを外して胸元を開放した途端、立体感に満ちたふくらみが弾けて、クラスメートの視線を一瞬で釘付けにしてしまった。
「おおお……これが舶来産の……」
「……あたし達、これからのグローバル時代に生き残れるのかしら?」
(ちょっ……)
 ひとのプロポーションをホメてくれたのはいいけど、その後できっちりと上には上がいるってコトも見せつけてくれてるじゃない……。

                    *

「……よし、では今日もストレッチから始めるぞ?サボると怪我の元だから、各自適当にペアを組んでしっかりとやるように」
 やがて午後の授業が始まり、無事に揃って出席確認も間に合った後で、いかにもといった暑苦しい風貌の定茂(さだしげ)先生が、お約束ながら無神経な指示を出してくる。
「……はぁ……」
(まったく、人の気も知らないで簡単に言ってくれるんだから……)
 元々、運動自体も得意なほうじゃないけど、何よりおひとり様のわたしには、こういう二人一組になれというのが一番の難題で、大抵は見かねた先生に相手を見つけてもらうか、もしくは先生自身と組むという、なんとも忸怩たる思いをさせられているんだけど……。
「むふふふ〜。理美ちゃ〜ん?」
「…………」
 けど、今は癪に障るくらいワザとらしくニヤけた顔で、手ぐすねを引いてるコがひとり。
「ね、もし相手に困っているのなら、あたしと組もうではないかい?」
(むう〜〜っ……)
 というか、他にいないのを分かって誘ってきてるのが表情に出てるだけに、本当はスルーしてやりたいところだけど……。
「……はいはい……」
 でも、ここは下手な意地を張っても仕方がない。
「へへ、そうこなくっちゃ♪」
 そこで、渋々と頷くわたしへ満面の笑みを見せると、早速嬉しそうに密着してくる一葉さん。
(……それにしても、向日葵みたいに笑う人だなぁ……)
 弱みを利用されてるのに、それを見たら全て許してしまえるような。
(いや……)
 天使の笑み(エンジェリック・スマイル)っていうんだっけ?こーいうの。
「んふふ、このままシャルウィダンスっちゃう?」
「やらないってば……」
 ……ただ、いちいち物事がまっすぐ前に進まなくて疲れるけど。

「んしょっ、いっちにー、いっちにー……と」
「……ん……っ」
「ね、理美ちゃん……。つかぬコトを尋ねるんだけど、いいかな?」
 ともあれ、それからしばらくは比較的黙々と二人で準備運動をこなしていたものの、やがて前屈運動に入った辺りで、わたしの背中をゆっくりと押しながら、一葉さんが遠慮がちに切り出してくる。
「え……?う、うん……」
「理美ちゃんってさ、他に仲のいい人っていないの?」
(ぐあ……っ?!)
 そこで、わたしが躊躇いがちに頷くと、いきなり後ろから鋭利な槍で心をぐっさりと串刺しにされたも同然の、ド直球な質問を投げかけられてしまった。
「…………」
 珍しくひかえめな態度で尋ねてきたかと思えば、なんという……。
「あ……もしかして、地雷だった?」
「…………」
 そーよね……どーせわたしなんて、新しい友達の一人も満足に作れないコミュ障だから……。
「あはは、まーまー大丈夫だって。今はあたしが来たし♪」
 そして、短い言葉での返事すら投げ返せずに黙り込んだわたしの背中へ、心配御無用と言わんばかりの無邪気な声でそう続けると、今度は肩をもみもみしてくる一葉さん。
「んじゃ、もしかしたらこれも運命だったのかねー、なんて」
「…………」
 そこまでは過言としても、本音を言えば結構嬉しい言葉ではあるんだけど……。
「あの……」
「ん?」
「えっと……ど、どうしてそんなに……その……わたしに構うの……?」
 だけど、まだ素直に喜べないわたしは、ちょっとくすぐったい肩揉みに耐えつつ、恐る恐る尋ねてみる。
「んー。誰かと仲良くするのに、理由なんているのかい?」
「……そう言われても……」
 確かに、友情ってのは理由に縛られるものじゃないのかもしれないけど……。
「まーでも、あたし達はまだもうちょっとお互いのコトを知り合う必要はあるかな?」
「…………」
 えっと、それは素直に肯定すべきなんだろうか。
「もー、ノリが悪いなぁ。そこはすぐに頷いてよぉ」
「……えええええ……」
「というかさ、あたしの方がいくら仲良くしたいと思ったって、理美ちゃんの方からもあたしに興味を持ってくれないと、いつまでも堂々巡りって感じだしー」
「……まぁ、確かにそうかもしれないけど……」
 もしかしたら、わたしに他の友達ができない理由も、そんなトコに……?
「へへ、んじゃさー、理美ちゃんの方からあたしに聞いてみたいコトってない?」
「え、えっと……」
 しかし、それから続けて唐突に無茶振りをされ、またも言葉に詰まってしまうわたし。
「ほらほら、今なら特別サービスでスリーサイズとか聞かれても、バッチリ答えちゃうよん?」
「……い、いや、それは別にいいけど……」
 一葉さんについて知りたいこと……か……。
「…………」
(あ、そーだ……)
「……ん、んじゃ、一つだけ……いいかな?」
 そこで、短い時間で一生懸命考えるうちに、昨夜の光景を思い出したわたしは、思い切って水を向けてみるコトに。
「へいへーい。一つといわずに、百個でも千個でもどーぞエンリョなく」
「それじゃ、日が暮れるってば……えっと、あのね?昨晩の帰り際に見せたあれ……あの、本物……なの?」
「ん?ホンモノって?」
「だ、だから……その……。あれが本物だとしたら、一葉さんってもしかして……」
「…………」
「ふーん……。理美ちゃんってさ、天使とか悪魔の存在は信じてるタイプ?」
 そして、そこから先の「天使」という単語を口にするのがはばかれて歯切れの悪い質問になってしまったわたしに対して、一葉さんは僅かに手を止めた後で、その続きをフォローしつつ尋ね返してくる。
「……えっと……」
「ほら、最近噂になってるっしょ?夜な夜なバケモノが出てきちゃうって。……あれとか、ホントのコトだと思う?」
「さ、さぁ。そっちは見たことが無いから分らないけど……」
「……そっかぁ、なるほどねぇ……」
 すると、わたしの困惑まじりの返答に、一葉さんは何やら勝手に納得した様子で、しみじみと頷いてきた。
「…………?」
 いや、なにが「なるほど」なのか、わたしにはさっぱりなんだけど……。
「ううん、こっちのハナシだから。……それより、理美ちゃんの質問に答える代わりに、ひとつお誘いしてもいいかな?」
 ともあれ、何やらおいてけぼりを食らった気分になって面食らっていたわたしだったものの、それから一葉さんは次第に肩もみから背中のツボ押しへと指の動きを移行させながら会話を誘導させてくる。
「ん……っ、お、お誘い……?」
 ……というか、これじゃ柔軟じゃなくてマッサージっぽいけど、それは置いておくとして。
「そ。んでね、理美ちゃんって、夜更かしは得意なほう?」
「え……う、ううん、あんまり……」
 元々、夜中に長電話とかしたりするタイプでもなかったけど、特に自分でちゃんと起きなきゃならない一人暮らしになってからは、早めに寝るのを心がけてるし。
「そっかぁ。……んじゃ、平日はやめといた方がいいかな?」
「あの……いったい何の……んく……っ」
 だから、ひとりで勝手に話を進めようとされても困るんですけど。
 ……あと、ヘンな声が出ちゃうから、ツボ押しも程ほどに……。
「えっと、唐突かもしれないけどさ、次の土曜日の夜って空いてるかなって」
「へ……?」
 それはまた、本当に唐突だった。
「あー大丈夫、ダイジョウブ。別にヘンなコトしたりとか、取って食いやしないから。あははは」
「……でも、昨日はベランダから進入しようとしてきてたし……」
 さすがに、まだ素直に信じるのは無理っぽいです。
「今回は、家へ入れてくれなくってもいいからさ。とにかく理美ちゃんにプレゼントしたいものがあるんで、見たいテレビとかが無いなら、ちょっとだけ付き合ってくれないかな?」
「う、うん……。まぁいいけど……プレゼント?」
 べつに、プレゼントの響きに乗せられたわけじゃないけど、でもそれがこちらの向けた質問の返事代わりなら、付き合う義理もあろうってものだし。
 ってコトで、わたしは何となく頷いたものの……。
「んじゃ、決まりだね。週末の夜は理美ちゃんとオールナイトのデートってコトで♪」
「で、デー……んひぃっ?!」
 その直後、一葉さんが穏やかじゃない言い回しに置き換えてきたのと、同時に敏感な部分へ指が入ったのが重なって、思わずヘンな声をあげさせられてしまうわたし。
「ちょ……っ」
「……を、やっぱココ気持ちよかった?なんか予想以上に強張ってたみたいなんで、つい……」
「〜〜〜〜っっ」
 ……えっともしかして、わたしってば上手く誘導されちゃった?

                    *

「んっと、そろそろかな……?」
 そして迎えた約束の土曜日、すっかりと夜も更けて深夜の時間帯へさしかかってきたものの、わたしは静まりきったリビングのソファーに寝そべりながら、壁時計を見上げていた。
 いつもなら、まだ眠ってはいないとしても、とっくにパジャマに着替えて横になっている頃だけど、今日は念の為に掃除やらお茶の準備やらの来客を迎える準備を整えて待機中という、ちょっと珍しい週末になっていたりして。
(……でも、こんな時間に訪ねてきて、一体どうするつもりなんだろう?)
 あれから、何をするつもりなのか気になってちょくちょく尋ねたのに、口元に指を添えて「へへへ、ナイショ♪」と言うだけで教えてくれなかったし。
 ……まぁ、一応は悪い人じゃなさそうなのは何となく感じるから、信じてあげるけど。

 ピンポーン

「あ、来た……」
 ともあれ、そうこうしているうちにチャイムが鳴ったのを受けて玄関のドアを開けると、見るのはこれが初めてとなる私服姿の一葉さんが、月曜日の夜と同じようなポーズで手を振ってくる。
「やーやー、こんばんわ。今日はちゃんとアポイントもあるでげすよ?」
「う、うん……」
 ……ただ、今日は手土産は持参してきていないみたいだけど。
「それで、すっかりと待たせてしまったかい、マイハニー?」
「あ、ううん、時間ぴったり……だと思う」
 もうこの際、「誰がハニーだ」という部分は突っ込まないとして、左手に着けたままの腕時計を確認したら、ホントに一分たりともズレのない時間通りみたいだった。
「へへ、そりゃ良かった。実は時計は持たずに出ちゃったからさー」
(すご……)
 まったく、時々こうして謎の底知れなさを感じる人である……というのは、ともかくとして。
「……えっと、まずは上がってく?」
 それから、うちに入れてくれなくてもいいとは言われたけど、備えだけはしておいたわたしは、遠慮がちに切り出してみるものの……。
「ううん、それには及ばないけど……。ところで、理美ちゃんのご家族は?」
 しかし、一葉さんの方はあっさりと首を横に振ると、代わりに極めてプライベートな質問を向けてきた。
「…………」
 ホント、謙虚な部分もあるのかと思えば、やっぱり図々しいんだから。
「えっと……もしかして、ゴメンなさいな理由?」
「……あ、ううん。そうじゃなくて、お仕事で海外に行っちゃっただけだから」
 ただ、素直に言おうかどうか、ちょっぴり迷っただけで。
「ほほう、そーでしたか。……んじゃ、一人で心細いのなら、あたしが通い妻にでもなっちゃいますけど?」
「……いーから、そういうのは別に……」
 というか、一体どこからそんな言葉を覚えてくるのやら。
「ふっふっふ、んじゃま、早速始めますか……って、理美ちゃんスカートか。……あ〜、先に言っとくべきだったかなぁ?」
 ともあれ、それから一葉さんは本題に入ってきたものの、わたしの服装を見て、何やら腕組みを始めてしまう。
「へ……?」
 そういえば、一葉さんの方はパンツみたいだけど。
「……ま、いっかー。どーせ夜だから見えないよね?」
「あの、どういうコト?……それに、どうしてこんな時間に?」
「ん〜、ホントは理美ちゃんの為にはもっと早い方がいいのかもしれないけど、デキれば周囲が寝静まる時間帯が都合よくってさ」
「え……わっ……?!」
 そして、不安を隠せないまま続けたわたしの質問にまとめてそう答えると、一葉さんは指を鳴らせて、自分の背中から月曜日の夜以来となる白銀色の翼をふわりと解放させてきた。
「なにせ、こーいうワケだから。……あ、眩しくない?」
「う、ううん……でも結局、これってホンモノ……なの?」
 今度は間近に現れたので、試しに手近な翼の端へ手を伸ばしてみると、確かに触れた感触そのものは伝わるものの、重量感に関しては淡雪のように軽かったりして、正直、見た目どおりの「翼」としての機能を本当に果たすのか、疑問に思ってしまうくらいなんだけど……。
「ふっふっふー。それを今から、理美ちゃん自身の体験をもって証明しようってワケなのです。……では、ちょこっと失礼〜♪」
 しかし、そんな半信半疑のわたしへ一葉さんは得意げにそう告げてきたかと思うと、不意打ちで自分の胸元へ頭を引き寄せ、続けて背中と膝の裏の辺りへそれぞれ腕を回してきた。
「あ……ちょ……っ?!」
 ……いわゆる、お姫様だっこというやつである。
「んじゃま、最初はちょっとだけ戸惑うかもしれないけど、だいじょーぶだから♪」
「……え、まさか……」
「にひっ、それでは星空のお散歩コース、一名様ご案内〜♪」
 それから、嫌な予感にわたしが手足を暴れさせようとするよりも早く、一葉さんはキラキラと輝く翼を羽ばたかせて、煌々と輝くお月様へ向けて飛び上がっていった。
「…………っ」
(ひぃぃぃぃぃぃ……っ?!)
 それは、まるでエレベーターが屋上を目指して一気に駆け上がっていくような浮遊感。
 昔に一度乗って後悔した絶叫マシンほどの重力加速度じゃないとしても、安全装置も無しでさっきまで踏みしめていた地面から離れ、あっという間に自宅の屋根すら小さくなっていくのを見て、わたしは思わず一葉さんに全力でしがみついていた。
「あはは、やっぱり最初は怖いよねー?」
「……あ、当たりまぇ……っ!……けど……」
 本当に、一葉さんの背中の翼はホンモノで……。
「けど?」
「……ホントに、天使様だったんだ……?」
「んっふっふー。あ、でも他のみんなにはナイショだからね?」
「う、うん……」
 一応、今までだってもしかしたらもしかするのかもとは思っていたものの、いざこうして証拠と一緒にカミングアウトされると、改めて驚かされてしまう。
(でも……だったら、どうしてわたしだけに……?)
「……んじゃまー、ちゃんと飛べるのは確認してもらったコトだし、そろそろ体勢を変えてみよっか?」
 ともあれ、続けて浮かんだ猜疑心を言葉にしようかどうか迷ったところで、正体を明かした天使様はわたしの耳元でそう促してくる。
「体勢……?」
「ん〜。こうやって理美ちゃんにしがみつかれてるのも役得なんだけど、でもこのままじゃ折角の夜景も楽しめないっしょ?」
 そして更にそう続けると、すりすりと太ももの裏からお尻の辺りを、ちょっといやらしい手つきで撫で回してくる一葉さん。
「こ、こら……っ!で、でもどうやって……」
 確かに、このままだと別の意味での不安が芽生えてきそうだけど……。
「うん。こんなカンジで」
 すると、嫌な予感半分に尋ね返すわたしへ、一葉さんは短い言葉だけを告げるや、抱きとめていた手をパッと離してしまった。
「ひ……?!」
 しかし、ほんの一瞬だけ時間が止まったような錯覚を覚えた後で、すぐにわたしの左手を一葉さんの右手が掴み取ると、今度は重力が消えたような浮遊感が全身を包み込んでくる。
「……え……?」
 そして気付けば、わたしの両足はそのまま空中に“立って”いた。
「怖がらないでいいよ?今はあたしの手を介して、理美ちゃんにも翼の飛行能力を分けてあげてる状態だから」
「……ほぁー……なるほど……」
 というか、実際にそうなっているんだから疑う余地なんて無いけど、でもなかなか不思議な感覚だった。
 浮いているのに、空中に立って自由に歩いたりできるなんて。
「つまり、あたしと手を繋いでいる間は、絶対に落ちる心配は無いってワケね。……まぁ、あたしから離すコトなんてないけど、理解してもらえた?」
「う、うん、まぁ何となく……」
「……それよりほら、周りを見てみて?」
「周り?……って、ふわぁぁぁぁ……!」
 それから、改めて一葉さんに促されて周囲をぐるりと見回すや否や、全方位に広がる圧倒的な眺めに声が出てしまうわたし。
「ね、綺麗でしょ?こういう場所でしか味わえない眺めなんだから」
「……は〜っ……確かに……」
 それは、入学直後の校内見学で見た、うちの学校にあるプラネタリウムとは比べ物にならないくらいの臨場感。
 まぁ、映像じゃなくてこっちは生で見てるんだから当たり前なんだけど、見上げた先に広がるお月様が輝く満天の星空も、見下ろした先のまだ灯りが沢山燈っている街並みも、全部自分のものになってしまったような、何とも贅沢な気分にさせられてしまったりして。
「しかも言い忘れてたけど、ちゃんと防寒対策もバッチリだからね?」
「あ、ホントだ……」
 しかも、よくよく見るとわたし達の周囲には目に見えないバリアみたいなのがあって、強く吹き付ける上空の風や寒さを防いでくれているみたいで、至れり尽くせりとはこのコトである。
「んっふっふ〜、気に入ってくれたかな?こんな特等席で夜景が楽しめる人間は、この街じゃ理美ちゃんくらいのもんだよ?」
「う、うん……ありがとう……」
 ともあれ、落ちる心配さえないのなら、確かにこんな素敵な体験はちょっと見当たらない。
 そしてこれが、一葉さんが言ってた、わたしへのプレゼントというのだから……。
(あ、でも……)
 さっき、一葉さんがスカートなのを気にしてたのは、そういうイミだったのね……。
「あはは、大丈夫だって。この高さなら地上から見上げたくらいじゃ、いくら眩しい純白だろうが全然分かんないだろうし」
 そこで、思わず繋いでいない方の手でスカートの裾を押えながら真下を確認するわたしに、一葉さんは笑いながらフォローを入れてくる。
「た、確かに……って……」
 ここは敢えて黙ってるけど、ゆ、油断もすきも無い……。
「ってーコトでさ、そろそろぐるりとこの街の上空を一周でもしてみよっか?」
「……う、うん……。でも、目立っちゃわない?」 
「それも心配ご無用。……ほ〜ら、最近は夜な夜な怪しいお化けが出没してるってウワサが広まってるしさ」
「……あはは、そういえばそうだったっけ……」
 まぁ確かに、だからこそこの時間帯を選んだんだろうし、飛行機とでもニアミスしない限り、はっきりと正体がバレちゃう心配も無いっぽい。
「んじゃ、決まりぃ〜♪……ああでも、その前に一つだけ……いいかな?」
 そして、わたしが納得したタイミングで、ふと思い出したように別の話を切り出してくる一葉さん。
「え?」
「ね、そろそろ“一葉さん”は卒業しない?あとついでに、さん付けの方も」
「…………っ」
 それはつまり、ここから先は一葉さんとは他人じゃなくなるってコト。
 ……というか、これまでもアプローチは受けながら躊躇いが生じてスルーしてしまってたけど、今度という今度はグッサリと心に突き刺さってしまった。
「…………」
(……そうだよね、もう意地張らなくていい、かな……?)
 この天使様はわたしにだけ、ヒミツを明かしてくれたんだから。
「……う、うん……分かった……その……」
 そこで、わたしは小さく頷いた後で、お返しに繋いだ手を少しだけ強く握り返して……。
「ん〜?」
「……っ、あ、あいか……」
 照れくささを隠しきれないまま、お友達の契りを結んだ。
「にひっ♪んじゃ、改めて今後もよろしくね、理美ちゃん?」
「うん。こちらこそ……」
(ひとりぼっちに戻った高校生活が始まって最初にできたお友達は、まさかの天使様、か……)
 もしかして、一葉さん……愛奏は寂しい思いをしていたわたしの元へ、神様が送り届けてくれたのかな?
 ……なんだか、こうやってずっと手を繋いでいると、そんな気すらしはじめたりして。

                    *

「……ん〜……っ」
 やがて、満天の星空の下での楽しい時間もひと区切りを迎えて、あたしと理美ちゃんはこの街で一番高い場所にある御影(みかげ)神社の社殿の屋根に寄り添って腰掛けつつ、ぼんやりと煌月を眺めていた。
 ……まぁ、他所の神様の寝床の上でというのも不敬なハナシだけど、この地は元々天使降臨の伝説が残っているみたいだし、一応はこの地の平穏の為にやってるコトでもあるので、共存共栄の為にご勘弁願うとして……。
「……すぅ……すぅ……っ」
(……ホント、夜が弱いんだなぁ……)
 この場所へ降りてきた直後は、疲れた様子ながらも理美ちゃんの方から積極的に話しかけられたけど、そのうち言葉が途切れたと思ったら、すぐに静かな寝息に変わってしまっていた。
(……この様子じゃ、魔の時間帯に怪しい儀式をしてるってセンは完全に無くなったかな?)
 まぁもっとも、既にその可能性はあたしの中じゃ消えかかってはいたんだけど。
「…………」
 理美ちゃんと接触を始めての一週間、魔物の召喚自体は幾度か行われていたものの、本人は全くそのコトに気付いていないどころか、逆に怖がる素振りすら見せていたワケで。
 ……ただ、その一方で、魔物が召喚される直前に、理美ちゃんの家から「術」の気配が感じられたのも確認済みなので、やっぱり無関係とは言い難いし、事前に受けた調査報告の内容にも大きな食い違いはなさそうである。
 と、なれば、そこから導き出せる可能性としては……。
(……つまり、あたしの推測が正しいとしたら、おそらく理美ちゃんは無意識に呼び出してしまってるっぽいんだよねぇ……)
 ぶっちゃけ、みちるの奴が聞いたら怒り出しそうな、最も始末に悪いパターンではあるものの、問題はそのトリガーである。
「……すー、すー……」
(けど、今のところは何も起きない、か……)
 そんなワケで、とにもかくにも召喚術が発動された瞬間を押さえたいと思って、とっておきの方法でひと晩中一緒にいられそうな機会を作ってはみたものの、安らいだ寝顔を見せる理美ちゃんからは何の変化も感じられないし、わざわざ街並みが一望できるこの場所を選んで見張っているけど、魔族の気配はまるでナッシング。
「……ん〜っ、ま、いっか……」
 ただ、これを不発と捉えるのはズブの素人で、変ったコトは起きていないという事実そのものだって重要な手がかりだし、何よりこれで対象者と「お友達」の間柄になるという最初の段階はクリア出来たのだから、あとはこのまま親密になりつつ見守っていけば、そのうち掴めるのは時間の問題だろう。
「……ん……あいか……ぁ……」
「…………」
(天音ちゃんからは行き当たりばったりと酷評されたけど、何だかんだで手際よくね、あたし?)
 これが、参謀長サマも認めた腕利きの実力ですよ……なーんてね。

次のページへ   戻る