しがりの召喚師と無責任天使 その2

第三章 開かれた扉と動き出す時間

「……んじゃ、やっぱ土曜の夜は何も召喚されなかったんだ?」
「まーね。各ポイントに設置してるレーダーにも反応が無くて、珍しくそういう気配すら感じられなかったから、久々にゆっくりと眠れたわ」
 やがて週が変わった月曜日の昼休み、購買で手に入れたパンと飲み物を片手に、早速みちるを屋上へ呼び出して情報確認してみると、想定通りの返事が戻ってきた。
「そっかそっか、そいつは重畳。たまには平穏な夜もないとね?」
「けどま、今までだって別に毎晩キッチリ呼び出されてたワケじゃないから、理由までは気にしてなかったんだけど、アンタなんかやったの?」
「いやね、土曜は理美ちゃんと一晩中デートしてたからさ」
「でっ、デートっ?!」
 それから、ストローを刺した紙パックのコーヒー牛乳を吸い取りつつ質問に答えてやると、みちるは驚いたようなリアクションを見せてくる。
「そ。深夜に美しい星空を望んだ、遥か上空のお散歩。景色も綺麗だったし、邪魔も入らないから喜んでたわよ?」
 あと、出来たら一緒にダンスでもと思っていたものの、そっちは断られてしまったのが残念だけど。
「……ってアンタ、あのコに自分の正体明かしちゃったの?」
「うんまぁ、その方が都合よさげだし」
 確かに、人間界へ赴いた天使は正当な理由がない限り、現地の住人へ迂闊に正体を明かす様な行為は禁じられているけど、今回は当て嵌まるケースだと思う。
 ……たぶん。
「ったく、ムチャするわね。まぁ昔からか……」
「いやははは。ぶっちゃけ、あたしの方がみちるんの立場になっててもおかしくなかったかもなー?」
「みちるんゆーな!……けどそれでも、アンタは結果を残し続けてきたんでしょ?今はこのザマのアタシと違ってね」
「……つーかさぁ、結局みちるが天界を追い出された理由って、一体ナンだったのよ?」
 ちょっと脱線するけど、死罪が存在しない天使の法において極刑となるのが、”紐切り”と呼ばれる堕天使として天界から魔界へ追放される罰である。
 つまり、みちるんは最も許されない罪を犯した凶悪犯ってコトになっちゃうんだけど……。
「んなモン、堕天使の罪状なんて、大体相場が決まってるでしょ?大昔に天界を二分する戦争を起こした古の魔王を皮切りにさ」
「そりゃ、知ってるけどさぁ……」
 けど、良くも悪くも落ち着きの無い小物だったみちるが、唯一神である“主”への重大な反逆を行ったと言われても、初めて報告を聞いた時からピンと来なかったんだけど……。
「とにかくっ、アタシの墓荒らしはどーでもいいでしょ?それで、原因調査の方は進んでんの?」
「ん〜……。何だかんだでまだハッキリと言えるコトはあまり無いんだけどさー、ただ理美ちゃんは自分に秘められた能力(チカラ)を自覚してなさげってくらいかな?」
「……それってつまり、無自覚に召喚術を使ってるってイミ?」
「少なくとも、理美ちゃん自身に使う理由が見当たらんからね。そもそも、魔物に興味があるわけでもなければ、夜な夜な召還されてる事実すらよく分かってないみたいだし」
 一応、昔に同じく孤独感に苛まれていた召還師(サマナー)がお友達の代用品を求めて魔族を呼び出していたケースもあったみたいだから、まかり間違ったらそうなる可能性も無いとは言えないけど。
「じっ、ジョーダンじゃないわよ!目的もナシに呼び出されるとか、ピンポンダッシュやドタキャンを繰り返されてるようなモンでしょーが!」
「……だから、今はそれを調べてる最中だっての。どっちみち、トリガーは必ずあるハズだから」
 いやまぁ、もちろん怒りたくなる気持ちも分かりますがね。
「トリガー……ねぇ」
「ま、それを突き止める為にも、理美ちゃんとはもっともっと親密にならなきゃね。次の目標はお風呂にでも一緒に入ってもらうコトかな……むっふっふ♪」
「……なんかたのしそーね、アンタ?」
「任務だろうが、楽しめる部分はトコトン楽しむタチですから、あたしゃ」
「はぁ〜ぁ……。ったくもう……アタシの方は、そろそろガマンの限界キそうよ?」
 すると、みちるの奴はそんなあたしとは対照的に、深い溜息と不穏な台詞を吐いてくる。
「まーまー、そこを何とか……。ほら、食いかけのあんパンあげるから」
「いらん!……それに、アンタが天使なのを理美に明かしたのなら、もう“こっち”の世界へ引き込んだのも同然よね?」
「理美ちゃんは、あくまでこの地で生まれ育ったフツーの人間。天使や魔族と関わろうが、その原則は変わりゃしないって」
「んじゃもし、それが破られた場合は……ルールに従ってアタシでも躊躇無く討つ?」
「埒も無いたられば話は、時間の無駄。つーか、なにムキになってんのさ」
 まぁ、すぐムキになるのは昔からのコトだけど、何か私情込みっぽいというか。
「……あのさ、アンタってアタシの天使時代に……」
 ともあれ、何となく昔の同僚の態度にらしくなさを感じつつ、素っ気無いツッコミを入れるあたしに対して、みちるは少しの間を置いた後で何か言おうとしてきたものの……。
「天使時代に?あによ」
「…………」
「……いや、何でもないから。いちいち食いついてこなくていいっての」
 結局、何やら拗ねたように視線を逸らせながら、途中ではぐらかされてしまった。
「おいおい……」

 ひらり

「きゃうっ?!」
 そこで、煮え切らない態度にちょっとばかりイラついたのと、空気が微妙になってきたのを嫌気したあたしは、問答無用でつかつかと歩み寄ってみちるのスカートを盛大に捲ってやると、またも顔に似合わないエロ下着が目に入ってきた。
「あにすんのよ……!」
「……いや、今日も派手なのはいてるのかなーってふと気になったんだけど、通学中にまたスゴいの選んでんね?」
 そして、即座に飛んできたみちるのパンチを頬にめり込ませながら、苦笑いを返すあたし。
 ……つか、ピンクのレース付き紐パンとか、もしかして誘ってるつもりなんだろうか。
「か、カンケイないでしょ……?!」
「いや、というかさー、元々そーいうシュミじゃなかったじゃん?」
 まぁ、フリフリとかの甘ロリ入ってるトコロに名残はあるとしても、天使時代は水色系とか、ピンクでも今日みたいなキツいのじゃなくて、薄桃系が好みだった記憶があるんだけど。
「だ、だって、堕天使なんだから、このくらいは当然だってセンパイ達が……」
(それはハメられてるよ、みちるちゃん……)
 ホント、つくづく惜しいオモ……もとい、友人を堕天使にしてしまったもんだ。
 ……とまぁ、それはともかくとして。
「おっと……。みちると遊んでたら、もうこんな時間か」
 それから、ふと時刻が気になって手持ちの腕時計で確認してみると、そろそろ教室へ戻らなきゃならない時間になろうとしていた。
 まぁ、五限目が体育の明日と違って、今日は早めに戻るべき理由も特に無いんだけど……。
「……ところでさ、今更のツッコミかもしれないけど、アンタ理美とオトモダチになって、もっと親密になるつもりなんでしょ?」
 しかし、そんなのんびりと構えていたあたしへ、みちるが呆れた顔を浮かべながら、本当に今更の話題を切り出してくる。
「うん?そーだけど?」
「なのにさ、せっかくの昼休みにずっと放置してていーの?」
「あ……」
 しまった……。

                    *

「…………」
(……むっすぅ〜っ……)
 雨宿理美は、相変わらず孤独だった。
 ……いや、先週まではそれが普通だったんだけど、念願の新しい友達ができた新しい週の始まりで、日常の変化とか色々期待していたのに、現実はこのザマである。
(ホント、まるで天国から地獄に突き落とされた気分……)
 結局、契りを交わした土曜日は空が明るくなった朝方まで寄り添っていて、家まで送って貰った後の日曜日は午後から再び合流してモール街で食事やショッピングしたりと、今度は暗くなるまでずっと一緒に居たというのに……。
(はぁ……そのわたしを置いて、いつまでほっつき歩いてんだか……)
 その新しいオトモダチは、昼休みが始まるや否や、購買でパンを買いに行ってくると一人で出て行ったまま、結局もう終了まで五分を切っていたりして。
(まったく、無責任な天使なんだから……)
 しかも、戻ってくるまでこっちも食べずに待ってたのに、あんまり帰らないからとメールを送っても返事すらよこさないときたもんだから、むくれたくもなるというものである。
(……う〜っ、おなかすいた……)
 結局、何度かもう食べてしまおうと思いながらも、なんとなく意地を張りたくなってすっかりタイミングを逃してしまったわたしは、弁当持参でお昼抜きという、あまりにも間抜けな状況に追い込まれてしまっていたりして。
 これで、次の授業中にお腹が鳴って恥でもかいちゃったら、どう責任をとってもらおうやら。
「…………」
(……でもまぁ、わたしが悪い部分もあるのかな……?)
 最初に散々つれなくしたから、愛奏もついつい引きずってしまったのかもしれない。
 それに、愛奏が前に言った通り、わたし自身からも変わっていかないと。
(だから、やっぱりここは怒るんじゃなくて、あえて優しく……)

 がらがらっ

「や〜!ゴメンゴメン……っ、えっと……待った?」
「……べつに……」
 やがて、そうこうしているうちに、ようやく神様からの贈り物が教室へ戻ってくるや、すぐにこちらへ手を上げて来たのを見て、ちょっと安堵しつつもぷいっと横を向いてしまうわたし。
 ……やっぱりイザとなると、なかなか変化に踏み出すって難しいものみたいだった。
「も〜、そんなに怒んないでよー。ちょっと野暮用もあったんでさぁ」
「……野暮用……?」
 別にいいけど、それはわたしのお昼をキャンセルさせるほどの用事なんだろうか。
「あー、うん。昔の仲間とちょっとね……」
 しかも、ちょっとちょっとって……。
「……それ、前にも聞いたけど、でも愛奏って先週来たばかりなのに、どういうことなの?」
「そこはそれ、イロイロと事情があってさぁ……」
 すると、やっぱり不機嫌さを隠せずに追求するわたしへ、頭を掻きながら曖昧な言葉でお茶を濁そうとしてくる愛奏。
「……むぅ……」
 いちいち説明するのが面倒なのか、はたまたワザとはぐらかしているのかは分からないけど、なーんか好きじゃないなぁ、その態度。
「まーまー、そうやって頬ふくらませる理美ちゃんもカワイイけど、あたし自身もいささか迷ってる部分があるから、もうちょっとだけ聞かなかったコトにしといてよ。ね?」
 しかし、愛奏はそれから強引に話をまとめてしまうと、ご機嫌取りとばかりにわたしの肩を優しく揉みはじめてきた。
「う、うん……」
 そこで、釈然としない気持ちは残しながら、仕方なくわたしも折れて頷くけど……。
「ホント、これでも理美ちゃんのコトばかりいつも考えてんだよ〜?あたし」
「…………」
 まぁ、それならいいかな……?

                    *

「……ちょっと待って、どこ行くの愛奏?」
 やがて五時間目の終了後、何やら慌てた様子で教室を飛び出そうとする愛奏の姿を見るや、こちらも急いで呼び止めるわたし。
 さすがに、そうそう何度も黙って目の前から立ち去られると、お友達としては凹んでしまいそうなんだけど。
「え、ちょっと野暮用だって……」
「………っ、わっ、わたしも行く……っっ」
 すると、またもはぐらかすような言葉が返ってきたので、今度こそわたしも席を立って駆け足で追いかけていく。
 ……まったく、いつもわたしのことばかり考えてるって割には、全然反省してないんだから。
「ん?理美ちゃんも来るの?」
「……ダメなの?」
「いや、ダメってコトはないけど……。ああ、理美ちゃんもずっとガマンしてたんだ?」
 そして、食い下がるわたしに愛奏はそう言うと、下腹部の方を軽く押さえて見せてくる。
「へ……?あ、いや、わたしは別に……」
 どうやら、行き先はお花摘みらしく、ちょっと取り越し苦労で勇み足を踏んでしまったみたいだけど……。
「んじゃ、悪いけどちょっと待っててくれるかな?」
「……ううん、やっぱりわたしも行く……」
 それでも、やっぱり首を横に振りながら同行しようとするわたし。
 実は、晴実とはあんまり連れ立った記憶が無いけど、こういうのも友達同士のお約束だよね?
「ふーん……。まぁ、あたしは別にいいんだけど……」
「……な、なに……?」
 すると、愛奏はそんなわたしへ小さく肩を竦めてみせた後で……。
「もしかして、そんなに見たかった?あたしが用を足してるトコロ」
「……違います……っ!」
 ひとを勝手にヘンタイさんにしないで下さいっ。
「なぁんだ……。あたしの方は理美ちゃんの見たかったから、交換条件のチャンスだったのにー」
「こらこらこら……」
 さすがに、それは友情のコモン・センスとは言えない気がするんだけど。

                    *

「それじゃ、ここで待ってるから……」
「ん〜?ホントに中までご一緒してもいいんだよ?にひっ」
 それから、同じ階のトイレの入り口まで来たところで見送ろうとするわたしに対して、ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべながら、愛奏はどこまで本気なのか分らない誘いをかけてくる。
「……いかないってば、もう……」
 さすがに、まだそこまでディープなカンケイになる段階じゃないし。
(あ、でもそういえば……)
「ん……?」
 天使様も、普通にご飯食べたり、トイレに行ったりするんだね?
 ……と聞きたいような、ヤブヘビっぽいから言葉にはしない方がいいような。
「…………」
「ん〜、どーしたの?ちゅーでもして欲しくなった?」
 そして、思わずじっと見つめてしまったわたしの視線に気付いて、なにを勘違いしたのか、窄めた唇を差し出しながら、抱きついてこようとする愛奏。
「……違うから。もう、さっさと済ませてこないと間に合わないよ?」
「へぇ〜い……」
(……まったく、すぐ調子にのるんだから……)
 ……でもホント、このまま愛奏とはどこまでのカンケイになるんだろう?
 なんだか、要求もだんだんとエスカレートしてきてる気がするし……。
「…………」
 しかも、そんな想像を働かせるわたしの胸は、ドキドキと高鳴り始めていたりもして。
(いやいやいや、いつかは分からないとしても、そんなカンタンに……)
「……ねぇ、ちょっといいかしら?」
「え……?あ、はい……」
 しかし、肥大化してゆく危険な予感に気持ちが昂ぶりかけたところで、冷や水を被せるようにわたしへ声をかけてくる生徒が一人。
(あれ……?)
 そこで、我に返りつつ声のした方へ振り返ってみると、そこには何となくだけど見覚えのある、ちょっと目つきが悪いけど可愛らしさも感じる小柄な女の子が立っていた。
「えっと……わたし?」
「そ。アタシは衣笠未知瑠ってモンだけど、ちょおっと顔貸してくんないかしら?」
「え、えええ……?」
 それから、とりあえず周囲に誰もいないのを確認して言葉を返すと、未知瑠と名乗った女の子はわたしへ向けて、ニヤリとワルっぽい視線で見据えながら絡んでくる。
(な、何なんだろう、このコ……?)
 どちらにしても、こういう絡まれ方をした場合、いつものわたしなら間違いなく「ごめんなさい」して一目散に逃げ出すところなんだけど……。
「ちなみにさ、アタシは今あそこで用を足してるあのアホ天使の知り合いだから。いーでしょ?」
「あ、う、うん……」
 それでも、続けて愛奏の知人を名乗られたのを受けて、足が止まってしまうわたし。
「んじゃさ、ここじゃナンだから、ちょっと場所かえよっか?誰に聞かれてもOKなハナシでもないしね」
「…………」
 ぶっちゃけ、この未知瑠ってひとの態度から友好的な空気が感じられないのは不安だし恐くもあるけど、でもこのコもわたしの知らない愛奏の一部分だというのなら……。

                    *

「……あ、あの……?」
 しかし、それから愛奏の知り合いを自称した女の子に半ば強引に連れて行かれたのは、往来が殆ど無い校舎の端っこの物陰だった。
「いいから、いいから……」
(えっと、これでお金でも要求されたら、まんま不良に絡まれた状態なんですけど、わたし……)
 しかも、幸いにもまだ足までは竦んでいないものの、目の前のコからは愛奏に似た得体の知れない雰囲気を感じさせられていたりして。
(もしかして、このコも天使だったりするんだろうか……?)
「……さて、時間も無いから単刀直入に言うけど、アンタなんでしょ?夜な夜なアタシらの同胞を呼び出してるのは」
 ともあれ、いざという時の逃げ道を探しながらも動向をうかがうわたしへ、いきなり未知瑠ちゃんは意味不明のセリフを切り出してきた。
「よ、呼び出し?……同胞……?」
「おーよ!愛奏のヤツは無意識だとかどーかと言ってたけど、アンタの所為でこっちはすっごくメイワクしてんの!特に、尻拭いさせられてるアタシがね」
「いや、そう言われても……」
 まったく身に覚えのないわたしにとっては、いいがかりにしか聞こえないんだけど……。
「それでも、アイツがワザワザ天界から出向いて調査するっていうから、昔のよしみで今まで様子見してやってたんだけどさ、やっぱそろそろ静観はヤメにしたの」
 しかし、そんなわたしにはお構いなしで、未知瑠ちゃんは一方的に言葉を続けつつ、なにやら敵意に満ちた視線を向けてきて……。
「愛奏が?調査……?」
「……さー、ぶっちゃけてもらうわよ!アンタ一体、どういうつもりでアタシの愛奏と……じゃない、勝手に召喚術を使いまくってんのよ?!それも、術師の掟はまるっきりムシしてくれちゃってるしっ」
 一瞬だけ、なにやら痴情のもつれっぽい言葉の後で、慌てて言い直したセリフを八つ当たり気味にぶつけてくる。
(あ、アタシのって……)
「大体さぁ、召喚術ってのは原則として対価となる代償が必要だし、呼び出した後の責任だって負うべきものなのに、今のアンタは使い捨てよりもヒドいコトしてんのよ?!」
「そ、そんなコト言われても、召喚術ってなんのことやら……」
 ただ、そんなに畳みかけられても、やっぱり一字一句たりとも心当たりが無いので、ひたすら噛み合わずに困惑させられるだけなんだけど……。
(ううっ、やっぱり誘いになんて乗らなきゃよかった……)

 どんっ

「……う……っ?!」
「……いつまでもトボけないで。アンタこのままだと、マジでシャレにならないコトになるわよ?!」
 しかし、返す言葉すら思いつかずにオロオロするしかなかったところへ、今度は未知瑠ちゃんから人生二度目の壁ドンを食らってしまった。
「だ、だからそんなコト言われても……」
「アタシだって手荒なコトはしたくないし、アンタは本来、天使だろうが魔族だろうが手を出しちゃいけない約束に守られてるけど、でもそっちからルール破りをするってのは、それを自ら破棄するのと同義なのよ。分かってる?!」
「…………っ」
 もう、こうなったら……。
「た……助けて……愛奏ぁ……っ」
 ともあれ、敵意を剥き出しにすぐ近くまで迫られ、一気に恐怖が増幅してしまったわたしは、とうとういないはずの友達に助けを求める言葉が口から出てしまう。
「ちょっ、言うにコトかいて、それが返事?!」
 しかもそれは、当たり前だけど相手の怒りの火に油を注ぐ結果になってしまい……。
「…………っっ」
「……み〜ち〜るぅ〜〜っ?!」
 平手打ちでも食らってしまうのを覚悟して身を縮こまらせた直後、思わず名を呼んだ天使様が、ゆらりと殺気混じりのオーラを纏って未知瑠ちゃんの背後に現れた。
「あ、愛奏……?!」
「げ……っ?!」
「……ひとがちょおっと外してたスキに、あたしの理美ちゃんにナニしてやがんだ……っ!!」
 そして、未知瑠ちゃんが驚いて振り返ろうとする前に、問答無用で背後からプロレスの技っぽく手足に組みついてゆく愛奏。
「いだだだだだ……っ?!」
「ったく、あれほどオトナしくしとけと言ったのに、油断も隙もねーんだから……!エロパンツ脱がせてさらしものにしてやろーか、ええっ?!」
「ぎ、ぎぶぎぶぎぶぎぶ……っっ、てゆーかアンタには言われたくない……っっ」
(うん、まぁそれは同意……)
 ……じゃなくて。
「あ、あの……愛奏、あまり酷いコトは……」
「いーのいーの。クチで言っても分からんヤツには、こーやってしっかり躾けておかないと……ぬえぃっ!」
 それから、ようやく安心して気持ちに余裕が生まれたわたしは逆に助け舟を出すものの、愛奏は容赦なく締め上げ続けてゆく。
「こらぁ、アタシを猫か犬みたいに……いづづづづ……っっ」
「…………」
 でも傍から見てると、なんだか仲良さそうでもあったり……。
 ……あと、未知瑠ちゃんの方は何やら嬉しそうにも見えるのは、わたしの気のせいだろうか?

                    *

「……は〜。まったくゴメンねー理美ちゃん?あんだけ手を出すなって釘を刺しといたのに」
 やがて、お仕置きを終えた愛奏がようやく未知瑠ちゃんを解放した後で、もうとっくに次の授業が始まっているのに気付いたわたし達は、二人揃って屋上でぼんやりと過ごしていた。
 ……まさか、愛奏の「もう諦めてサボっちゃおうよ」という提案を、渋々ながらも飲んでしまったのは自分でも驚きだけど、それだけお昼に放置されたのが効いていたのかもしれない。
「ううん……。それより、前から言ってた昔の知り合いって、あのコのことだったんだ?」
 しかも、ちょうど今いる屋上で会っていたみたいで、それもわたしが愛奏と一緒にここへ来ることにした要因の一つでもあったりして。
「まーね……。ちょっとした腐れ縁になっちゃってるけど」
「……ってことは、あの未知瑠ちゃんも天使様なの?」
 少なくとも、言ってたコトが意味不明すぎて、普通の人には見えなかったし。
「ん〜。アイツはあたしとは対の存在だから。天界からやってきたあたしら天使に対して、みちるは魔界から来た魔族……つまり、理美ちゃんに分かり易く言えば“悪魔”ってコトになるかな?」
 しかし、それに対して屋上へ来てからずっと空を見上げ続けている愛奏の口から返ってきたのは、真逆ともいえる答えだった。
「あ、悪魔……っ?!」
「……まぁ悪魔っても、堕天使ってやつなんだけどね。一体ナニをやらかしたのかは知らないけど、絶対にやっちゃいけない罪を犯して魔界へ追放された元天使で、昔はあたしの同僚だったんだ」
「ふーん……」
「……だから、立場上は敵同士なんだけど、なんか本気じゃ憎め合えなくてさ〜」
「なるほどねぇ……」
 そういえば未知瑠ちゃんの方も、愛奏に対しては只ならぬ感情を抱いてるっぽかったな。
 わたしも、そういう部分には何となく親近感を覚えていて、理不尽に絡まれたけど未知瑠ちゃんのことは何となく嫌いになりそうもなかったりして。
「んでさ、手を組むコトは出来なくても、利害が一致してる部分に関しては時々ここで情報交換してたんだけど、短気なトコロは相変わらずだったみたいで、ほんっとゴメン……」
「……いいよ、ちゃんと愛奏が助けにきてくれたから。でも、よく場所が分かったね?」
「まー、そこはあたしも天使の端くれですから。にひっ」
「なにそれ……」
 ともあれ、思わせぶりに口元を緩める愛奏に苦笑混じりのツッコミを入れた後で、わたしもお日様の照る方へと顔を上げると、どこまでも続いている青く澄んだ空模様が視界の先に広がってゆく。
 授業をサボっている後ろめたさで、いささか居心地は悪いものの、でもここまでいい天気だと、逆に教室の中に押し込められている方が勿体なくも感じたりして。
「…………」
(でも、天界に魔界、か……)
「……ね、愛奏がやって来た天界って、もしかしてこの空の向こうにあるのかな?」
「え〜、空の先に続くのは宇宙っしょ?」
 それから、空を見上げたままふと頭に浮かんだコトをそのまま呟くわたしへ、愛奏は素っ気無く返してくる。
「…………」
 たしかに、高校生にもなって吐くセリフじゃ無かったかもしれないけど、まさか天界とか天使なんてファンタジーな世界の住人から、正論だろうがそんな現実を見ろ的なツッコミを受けるなんて。
「っていうかさ、人間界と天界は異なる次元に存在する世界だから、本来は宇宙の果てまで飛んでいったって繋がっちゃいないんだけど、でも隔てている次元の狭間に穴をこじ開けて道筋さえ作ってしまえば、お隣さんも同然になっちゃうってワケ」
「んじゃ、未知瑠ちゃんが来たという魔界も同じ?」
「ま、そーいうコト。……別に地中の奥深くにあるワケじゃないからね、理美ちゃん?」
「……うぐ……」
 そして、わたしが頭にイメージしていたコトは見透かされてたみたいで、今度は愛奏に先回りされてしまった。
 どうやら、「セカイ」というのは色んなトコロから繋がってるみたいだけど……。
「でも、だったらどうして次元を超えてまでして、天使や悪魔がこっちに来てるの?」
「あ〜、詳しく話せば日が暮れちゃうから簡単にまとめるとね、天使と魔族ってのは永遠の対立が続くライバル同士なんだけどさ、実はこの二つの世界を繋ぐ道って、天界から魔界への一方通行のみだったりするの。……つまり、天使が魔界へちょっかいをかけるコトは出来ても、逆はムリってハナシなんだけどさ」
「えっと……。よく分からないけど、なんか不公平なお話だね?」
「うんまぁ、異世界間での転送技術を確立させたのはウチらだし、そこは仕方がないんだけど、それでも何とか天界へ攻め込む方法はないものかと一生懸命に考えた、実に執念深い元天使の魔王がいてさ?……やがてそいつが思いついたのが、天界と魔界の中間地点にある人間界を経由する方法だったんだわ、これが」
「経由?ここからなら、愛奏の世界へ行けるってこと?」
「……ん〜いや、人間界と天界を繋ぐゲートはしっかり管理されてるし、理美ちゃんが興味本位で行ってみたいと思っても、観光目的で気軽に行き来が出来るワケじゃないんだけど、ただ”道”そのものはちゃんと相互に繋がってんの」
「どうして?」
「一応、天界と人間界は相互依存みたいなカンケイになってて、天使と人間がオトモダチになるのも、別にあたしと理美ちゃんが有史以来ってワケでもないからね。……というか、むしろここ最近が疎遠になってきてるカンジで、遥か昔は積極的に交流してたみたいだし」
 そして、「実は、過去には人間が召されて天使になった例もあったりして」とも付け加えてくる愛奏。
「へー……」
「ともかく、そんなこんなで”こっち”からなら天界へ侵入する足がかりが掴めるんじゃないかと、魔軍がエージェントを潜り込ませているのに対抗して、ウチらの方もこっそりと天使を駐在させて監視したり、時にはジャマし合ってるってワケだけど、今のみちるは”あちら”の側ってコトになるかな」
「ふぅん……何だか不思議だけどメイワクなお話だね……?」
 わたしにとっても、天使の世界からやってきた新しい友達が出来たのはやぶさかじゃない一方で、魔界からのちょっと物騒なコにも絡まれちゃってるし。
「あはは、確かに。……ただ、それでも一応は両軍の間でいくつかのルールが協定されていて、現地に住む人間を争いに巻き込むのは厳禁だし、また極力メイワクをかけないようにとも決められてるから、みちるの奴も本気で手を出してきたりはしない……とは思うんだけどさぁ」
「…………」
 でも、未知瑠ちゃんはわたしの方がメイワクをかけてるって怒ってたよね?
(あれは、一体どういう意味なんだろう……?)
 それに、何のコトを言われてるのか全然分らなかったから記憶は曖昧だけど、「召喚」がどうたらって言葉を沢山聞いた気がするけど。
「ま、どっちにしたって理美ちゃんはあたしがきちんと守るから、心配しなくていいからね?」
「……うん。信じてるから」
 そこで、そのコトも尋ねてみようかと迷ったところで、見上げていた視線を落として向けてきた愛奏からの嬉しい言葉を受けて、わたしもそれ以上はなにも言わずに素直に頷き返した。
 ……まぁ、愛奏がしっかり付いていてくれるなら、結局は同じコトだろうし。
「はー、理美ちゃんはいい子だねぇ〜。天使冥利に尽きるわぁ」
 すると、そんなわたしへ愛奏はいきなり駆け寄って抱きついてくると、嬉しそうにすりすりと頬ずりをしかけてきた。
「え、ちょ……っ?!」
「よしよし、それじゃ残りの時間は、このままそこの物陰でイイコトでもしてよっか?」
「ああもう、調子に乗るんじゃない……っ、この不良天使……っ」
 しかも、さりげなく制服越しに胸まで揉んできてるし……。
「ふへへ、何かみょーにしっくりくるんだよねぇ、そのコトバ」
「もう……。それじゃ、未知瑠ちゃんに絡まれてる時と大差ないってば……」
 ……それに、愛奏に本気で求めてこられたら、今のわたしは断りきれそうもないんだから。

                    *

「…………」
 その夜、いつもの就寝時間はとっくに過ぎて、わたしもベッドの上でお布団に包まって眠ろうとしていたものの、なぜか目がさえて寝つけないでいた。
 ……というのも、消灯して真っ暗になった部屋で横になったところで、昼間に未知瑠ちゃんから言われたコトをふと思い出してしまったからだろうけど。
「…………」
『アンタなんでしょ?夜な夜なアタシらの同胞を呼び出してるのは』
(……夜な夜な、呼び出すって……)
 それから、妙に落ち着かない気分になったわたしは起き上がると、灯りは点けずにそのままカーテンだけ開いて、月明かりの差し込むベランダへと足を運んでゆく。 
「…………」
(呼び出すって言われても……べつに、何も出てきちゃいないよね?)
 ベランダの柵に手を付いてちょっと寒い夜風を受けながら、眼下の庭やら家の周囲を見回しても、特に変わったものは見当たらない。
(あれ、一体どういうイミだったんだろう……?)
 まぁ、単に未知瑠ちゃんの勘違いの可能性だって否定できないとしても……。
「……ん……?」
 しかし、それからよく見ると、うちの斜め向かいにある電柱の物陰に誰かが立っているのに気付くわたし。
(あれ、誰だろ……?)
 シルエットからは女の子っぽいけど、少なくとも愛奏でも未知瑠ちゃんでもなさそう。
(まさか、わたしのストーカー……?)
 ……なんて、即座に考えるほど自意識過剰なつもりでもないし、スマホか何かを握って視線はそちらに釘付けみたいだから、単にSNSかなにかをチェックするために立ち止まっているだけかもしれないけど……。
「…………」
 そして、しばらく観察しているうちに、顔を上げた相手の方もわたしの視線に気が付いたみたいで、こちらをちらりと一瞥した後にそそくさと立ち去っていってしまった。
「な、何なんだろう、あれ……?」
 さすがにちょっと気持ち悪いし、やっぱ明日にでも愛奏に相談した方がいいのかな?
 まぁ、泊めてあげるから見張っていてというのも、それはそれでキケンな予感もするけど……。
(やっぱり、何かがちょっとオカシイよね、最近……?)
 住んでいる地区で妙な噂が流れるようになったり、それを裏付けるかの様にホンモノの翼を持った天使様やら悪魔(堕天使っていうらしいけど)が目の前に現れたりと、この春くらいから、自分の周りで異変っぽいコトが起き続けている感じだし……。
「…………」
(でもなぁ……)
 確かに不気味ではあるんだけど、ただホンネを言えば、ちょっとばかり相談するのが怖かったりして。

第四章 発動トリガー

「……では、本日はこれで終わります。あまり遅くならないように気をつけて帰るのよ?」
「起立、礼〜!」
「……は〜っ、終わった終わったー」
 やがて、次の日は愛奏のお仕置きが効いたのか、未知瑠ちゃんに絡まれたりすることもなく無事に放課後を迎え、一日が終わった開放感で教室がわいのわいのと活気付いてゆく。
「…………」
 しかし、そんな喧騒を尻目にわたしはと言えば、そのまま着席してぼんやりと窓の外を見つめていたりして。
 別に、その先に気になるものがあるわけでもないんだけど、何となく今日一日はずっとこんな感じで、心ここにあらずな状態だった。
「……どったの、理美ちゃん?掃除して帰らないの?」
「ん……」
 すると、そこで愛奏が視界へ割り込むようにきょとんとした顔を覗かせてきたものの、問いかけに答えるかわりに生返事を向けるわたし。
「ほら、いつまでも座ってたら教室掃除の人が困っちゃうよ?あたし達も担当の場所いこ?」
「あ、うん……」
 そして、促す愛奏に手を引っ張られてわたしも立ち上がると、渋々と頷いてカバンを取った。
「…………」
 今はまだ腰を上げたくない気分だけど、仕方ないか。
 ……というか、放課後でこんな気分になっているのは初めてだったりして。

                    *

「やーしかし、長い渡り廊下の掃除をしてるとさ、翼さえ使えたらこう、しゅーって一気に往復出来て楽なのにって思っちゃうんだよねー」
「あはは、そーだね……」
 それから、当番箇所の掃除を片付けての帰り道、同じく一緒に掃き掃除していた愛奏が全身を使って途切れることなく話しかけてくるのを、わたしは適当に笑いながら相槌をうっていた。
 これって、周りはけっこう迷惑な気もするし、さっきからひらひらと短いスカートの裾がまくれてパンツが見えたりもしてるけど、なんだか今日はツッコミを入れるテンションが上がらない。
「…………」
 結局、昨夜に目撃した人影は、わたしの家を張り込んでいたんだろうか?
 そして、未知瑠ちゃんが言ってたことは、それとカンケイしてるのかな?
 ……なにせ、そういった想像しても堂々巡りなコトばかり考えていたのだから。
(うーん……)
 けど、愛奏に相談しようと幾度か思いながらも、何となく切り出し方とかタイミングが掴めないまま、とうとう帰宅時間を迎えてしまっていたりして。
「……ちゃん?」
 もちろん、友達になった愛奏に今さら話しかけにくいなんて、情けないことを言うつもりはないんだけど、それでも躊躇ってしまうのは、やっぱり未知瑠ちゃんに言われた別の言葉を思い出したからだろうか。
『アンタこのままだと、マジでシャレにならないコトになるわよ?!』
「…………」
 いったい何がシャレにならないのかは想像もできないけど、あの口ぶりからして何やら穏やかじゃないのだけは分かる。
(そりゃ、解決しなきゃならないコトがあるなら、早いうちの方がいいのかもしれないけど……)
 だけど、あんな言い方されたら、やっぱり聞くのが怖くなってしまうし、そうこうしているうちに今度はこのまま知らなきゃ知らないで済む方が無難かもなんて葛藤が芽生えて、どうにも踏ん切りがつかなくなってしまっていた。
「……ちゃんってば……」
 ……だって、せっかくわたしのもとへ親友に裏切られた寂しさを忘れさせてくれそうな天使様が舞い降りてきたんだし、できれば自分から波風なんて立てたくは……。
「もう……っ!これでもか……ッッ」
「へ……?」
 と、そこでその天使様からの業を煮やした言葉が耳に突き刺さって、はっと我に返るわたしなものの……。

 ひらりんっ

「ひ……っっ?!」
 時すでに遅しで、わたしは愛奏の目の前で盛大にスカートを捲くられてしまった。
「……ねー理美ちゃん、今日はちょっと寄り道して帰んない?って声をかけたかったんだけど、呼びかけても全然反応がなくてさー、あはは」
 それから、思わず平手打ちをかました紅葉のような痕を真っ白な頬へ残しながら、頭を掻いて苦笑いしてくる愛奏。
「……べつにいいけど、ほかに方法はなかったの?」
 まったく、花も恥らう乙女を辱めてまで。
「いやはは、一応はあたし以外は見てないと思うから……」
「そーいう問題じゃなくって……」
「んじゃ、耳に息を吹きかけたり、首筋をすーっと指でなぞられる方がよかった?」
「……ごめん、わたしが悪かったから……」
 ただでさえ、昨日は二人してトイレに行ったまま授業が始まっても戻ってこなかったからとからかわれちゃったんだから、これ以上の誤解が広まるような行為は人前じゃ控えて欲しいし。
(……いやまぁ、いいんだけどね、わたしの方は……)
 どうせ、他には誰もいないんだし、愛奏さえ差し支えがないのなら。
「んじゃ、とりあえずオッケーでいいの?」
「……あ、うん……」
 ともあれ、それからいつの間にか差しかかってきていた商店街の入り口の方を親指で差しながら切り出してくる愛奏に、小さく頷き返すわたし。
「へへっ、ちょっとクレープ食べたい気分になったんでさー」
「ふーん……」
 わたしの方は甘いものを欲しがってる気分でもないんだけど、まぁ今日はもうちょっと愛奏と一緒にいたいしね。
「んでその後は、あそこのお城にでもしけこんじゃう〜?」
「……だから、調子に乗らないの……」
 ホント、わたしが一番困っているのは、どこまで本気なのやらってコトなんだけど。
(今度また言ってきたら、試しに了承してやろうかな……?)
「ん……?」
「ううん……」
 ……その時の反応が、ちょっと見ものかもしれないし。

                    *

「はい、どーぞ。今日はあたしのオゴリだから」
 ともあれ、それから商店街の中にある、行きつけらしいオープンカフェに連れて行かれた後で、二人分のクレープの注文を終えて戻ってきた愛奏が、わたしの分を手渡してくる。
「……あ、ありがと……でも、いいの?」
 まとめて注文してくるから席に座って待っててと言われて素直に従ったのはいいけど、何か悪いことしちゃった気が……。
「いーのいーの、これも必要経費のうちだし」
 しかし、そんなわたしへ愛奏は冗談なのかイミシン発言なのか分らない言葉を返してくると、自分の分を手に隣の椅子へ腰掛けた。
「……よく分からないけど、これって経費に入るの?」
「うんまぁ、理美ちゃんとの接待交際費は基本的に認められる、はず……」
 そこで、苦笑い交じりにツッコミを入れるわたしに対して、クレープを持ったままちょっと自信なさげに腕組みを見せる愛奏。
「あはは、なにそれ……」
 というか、まさかホントに愛奏ってわたしとお友達になってくれる為に神様から遣わされたとでもいうんだろうか。
「さーさー、それより食べよ?あたしお腹空いちゃってるし」
「う、うん……それじゃ、いただきます……」
 とにかく、ここは素直に好意に甘えておこう。
 ……この次は、わたしがご馳走すればいいし、また楽しみも増えようってもので。
(うん、おいしい……)
 そんなわけで、まずは愛奏のオススメのラズベリーショコラを一口食べてみると、心地よい甘さとちょっとだけ懐かしい味が広がってくる。
(……そーいえば、このお店には昔に来たことあったっけ)
 多分、晴実の奴と一緒だったと思うけど、もういつの話だったかは思い出せなくなっていた。
「や〜でも、こっちって食べ物がおいしーいよね?天音ちゃんが居ついて戻ってきたがらないワケだわ」
 そして、よっぽどお腹を空かせていたのか、愛奏は上機嫌な笑みを見せながら、はぐはぐとわたしの何倍もの勢いで食べ進んでいたりして。
「天音ちゃん?」
「……あれ、そういえばまだ紹介してなかったっけ?あたしのサポートをしてくれてる部下というか仲間のコなんだけど、同じくうちの学校に通ってるから、明日にでも顔あわせしとく?」
「えっとそれって、3組の春日井さんのこと?」
 そこで、何となくピンときたわたしは、以前に聞いた名前を挙げてみる。
 たしか、敬語で会話してたって話だったけど、部下ってのは発想が無かったかも。
(……ってコトは、愛奏ってこう見えて、結構地位のある天使様……?)
「そーそー、なんだ知ってんじゃん?理美ちゃんも耳が早いなぁ」
「あ、ううん、ちょっと小耳に挟んだだけだけど……んじゃ、春日井さんも天使様なの?」
「まー、そーいうコトになるかな。ちなみに、特務で来たあたしと違って天音ちゃんは駐在員だから、今年は一緒に学生さんを始めたけど、実は結構前からこの街で生活してたりして」
「ふーん……」
 特務……ね。
「まぁせっかくだから、天音ちゃんともお友達になってあげてよ。ちょっと愛想は悪いけど、理美ちゃんのコトも助けてくれるだろうし」
「う、うん……」
 本音をいえば、今は愛奏だけいてくれればいいかなって気分ではあるけど、いずれにしても交友関係が広がるのは悪い話じゃない。
 ただ……。
(う〜っ、肝心の本題はどうしよう……?)
 なにやら昨日から意味深な言葉が次々と出てきてはいるものの、やっぱり詳しく聞いていいものかどうかの悩みは尽きそうもなかった。
 もしかしたら、本当に身の危険が迫っているかもしれない反面で、自分からわざわざヤブを突っついてヘビを出してしまう結果になったらどうしようという、別の意味での怖さ。
 ……それになにより、ここで自分の中に猜疑心が芽生えてきているのが許せなかったりして。
「…………」
「……んでさ、今日はずっと考えゴトでもしてるカンジだったけど、なんか悩みでも?」
 しかし、そうやってクレープをちびちびとかじりつつ、頭の中で何度もループする葛藤を続けていた中で、先に食べ終えてしまった愛奏が残った包み紙をくしゃくしゃと丸めながら、不意打ちぎみに切り出してきた。
「…………っ?!」
「見てたら、朝からずっとココロは上の空っぽくて、授業中もぼんやりしたまま耳に入ってなさげだったし、ナニやら言いにくいことでも抱えてるのかなって」
「あ、えっと……」
 やっぱり、愛奏には見透かされていたらしい。
 ……まぁ、自覚してるほど露骨だったから、当たり前なのかもしれないけど。
「ほらほら、あたしで良かったら話してみなよー。お友達でしょ?」
「…………」
 ともかく、それでこうやってお膳立てしてくれたのなら、覚悟を決めてしまおうか。
「うん……。えっと、あのね、何から話したらいいのやらって感じなんだけど……愛奏は召喚師って何のことか知ってる?」
「へ?」
「あ、ゴメン、唐突だったかな……?でも昨日、わたしが召喚師だって未知瑠ちゃんが……」
「…………」
「それで、なにか怒ったように、このままじゃシャレにならないコトになるとも言われて……」
「……はぁ。みちるの奴、やっぱり空気読まずにぶちまけてやがったのね……ったく、もう……」
 そこで、思い切ってまずは昨日の出来事から切り出してみたわたしの質問に、愛奏は珍しく大きな溜息を吐きながら悪態をついてきた。
「……やっぱり、愛奏も何か知ってるの?」
 というか、愛奏の露骨に苛立った態度は初めて見ただけに、いきなり後悔ぎみだけど。
「んっと……ま、いっかぁ。もうそろそろ、こっそりと調べるのにも行き詰まりだったし」
「こっそり……?」
「……ほら今さ、この街に夜な夜なお化けが出没するって噂のハナシは、前にもしたよね?」
 そして、それから愛奏は諦めたように天を仰ぎ、独り言っぽくぼやいた後で話に乗ってきた。
「う、うん。ついでに天使もいたって聞いたことあるけど……もしかして?」
「ああ、それはおそらくあたしか天音ちゃんだから、横に置いておくとして……んでさ、驚かないで欲しいんだけど、そいつらを呼び出しているのって、どうやら理美ちゃんらしいんだよねぇ」
「わ、わたし……っ?!」
 ……というか、驚くなという方が無理な身も蓋もなさだった。
「一応、まだ完全な確証とまでには至ってないんだけど、でも今までの調査結果によればそうなるみたい」
「で、でも、そんなコト言われても……」
「だよねぇ?……けど、根拠はあるんだよ。たとえば、理美ちゃんの遠い御先祖様って、召喚師として天界や魔界でも有名な人物だったりするし」
「へ……?」
「昨日さ、天界への侵攻を諦めなかった昔の魔王が人間界を経由してルートを作ろうとしたって話をしたよね?天使や魔族がこっちの世界へ駐在員を置くきっかけにもなったんだけど」
「う、うん……」
「その時の魔界は、まだこっちとも繋がってなかったんだけど、元天使だったその魔王が天界の異世界転送技術の一部をパクって作ったゲートでトンネルをこじ開けて、最初は人間界を制圧しようと乗り込んできちゃった……ってトコロまでは話したかな?」
「えっと……いや、半分以上が初耳だと思う、けど……」
 いずれにしても、荒唐無稽極まりない上に話のスケールが大きすぎて、頭の中が困っている感じだった。
「そだっけ?……まぁいいや。んでさ、その動きを察知して迅速に送られた天使の援軍もあって、泥沼の戦いになる前に膠着化させるコトは出来たんだけど、その間に魔王の開いたゲートの仕組みを短期間で解析して、逆に連中を送り返す”送還術”を創り上げちゃった天才術師が戦地にいてね?」
 それから、「しかも、理美ちゃんくらいの若くて可愛らしい魔女さんだったってハナシだよ?」と付け加えてくる愛奏。
「……女の子の、術師……?」
「とまぁ、結局は彼女がそれを使って魔王や魔軍をみーんな送り返しちゃったんだけど、やがて後にその魔女さんはそれをベースに、人間界から異世界の者を呼び出したり送り返す“召喚術”までも生み出しちゃったってワケ。……あ、でもこの辺のコトはあたしの生まれる遥か昔のハナシだから、直接見たわけじゃないんだけど」
「……えっと、どこまで真面目に聞いていいのか分かんないけど、つまりわたしの御先祖さまって、その話に出てる術師ってことなの?」
「いえっす♪まー、にわかには信じにくいだろうけど、理美ちゃんはあるイミ、古き昔に世界を救った伝説の勇者サマの末裔とも言えるのかな?」
「いや、そーいわれても……」
 ……なにその、喜ぶ人なら大喜びしそうな隠れ設定。
「ま、その戦も千年以上昔の、しかも理美ちゃんが生まれ育ったココとは全然別の場所での話だから、ピンとこないのも分かるんだけど……とにかく、だからで片付けるには大雑把過ぎとしても、理美ちゃんには遺伝か何かで召喚師(サマナー)の資質が眠っていたみたいでさ、んでもって理由はこれまたよく分からないんだけど、ここ最近になってそれが発動しちゃってるらしいのが、こちらの見解なの」
 そして、「もうちょっと具体的には、確認されてるのはこの春くらいからなんだけど」と付け加えてくる愛奏。
「発動なんていわれても、わたし今まで全然知らなかったよ?」
「……うん、それはあたしも理美ちゃんと今まで一緒にいた過程で分かってきてるから。おそらく、何かのきっかけで無意識に行使されてると思うんだけど……うーん……」
「…………」
 えっと、それって……。
「ともかく、そんな不安定で物騒な状態を放置しておくわけにもいかないと、原因を調査する為に天界から派遣された美少女特務天使(エージェント)が、このあたしってワケなのよ」
「…………っ」
 それから、視線を中空へ逸らせたまま告白された愛奏の本当の正体を聞いて、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えるわたし。
「ついでに、みちるの奴がイライラしてるのは、理美ちゃんが無意識に呼び出しちゃった魔族を、なるべく人知れずにせっせと元の魔界へ送り戻す役目を負わされてるからなんだけど……」
(そんな……)
 そして続けて、ずうんと頭から重たい何かがのしかかってくる。
 ……けど、それは魔物を呼び寄せている原因と言われたからでも、未知瑠ちゃんへのメイワクの意味が分かったからでもない。
「…………」
「んじゃ、もうこの際だからさ、しばらくあたしと一緒に生活したりして、本格的に心当たりを探してみちゃう?」
(……いっしょに生活、か……)
 ついさっきまでなら、確かにわたしもそうなったらいいのにって思ってたけど……。
「ほら、ちょうど理美ちゃんも一人暮らしだし、まずはひと月くらい……」
「…………」
「それじゃ……」
「ん……?」
「……それじゃつまり、愛奏って本当はそのためにわたしに近付いたんだ?」
 そして、わたしは勝手に肩が震えるのを感じながら、はいかいいえの代わりに質問で返す。
「えっとまぁ、そー言われてしまえば、天使の身としては任務だからとぶっちゃけるしかないんだけど……でも、このままじゃ理美ちゃん自身を含めて、イロイロとマズいコトになっちゃうしさぁ……」
「…………」
(さっきからぶっちゃけ過ぎだよ、愛奏……)
 嘘をつけないのって、本来は信用できる人のバロメーターなんだろうけど、でもわたしにとっては最悪の回答だった。
 ……つまり、転入初日から仲良くなりたいと付きまとってきたのも、わたしに天使の翼を見せて星空の散歩へ連れて行ってくれたのも、そして一葉さんからは卒業しようと言ってきたのも、本当の目的は別のところに……。
「……もしかして、昨晩に家の前でこちらを見張ってた女の子も?」
「あー、多分それ天音ちゃんだわ……。ゴメン、言ってなかったけど、召喚術が発動した時の魔力反応値を調べる為に……」
「…………っ!」
「うわっと?!」
 それから、わたしは最後まで聞くことなく立ち上がると、まだ半分残っていたクレープを愛奏の方へ投げつけていた。
「……そうなんだ。んじゃ、わたしが馬鹿だったってことじゃない……!」
「さ、理美ちゃん……?」
「さよなら……。もう明日から話しかけてこないで……!」
「え、ちょっ……?!」
 そして、眩暈を感じるほどに沸騰してしまった感情の赴くまま別れを告げて踵を返すと、後は一切振り返らずに家路へ駆け戻っていった。

                    *

「…………」
「…………」
 やがて帰宅後、わたしは誰もいないリビングで、バラエティ番組の笑い声がむなしく響くテレビを前に何もする気力が起きず、ただ漠然とソファーの上に座り込んでいた。
「…………」
 途中で何度も涙腺が決壊しそうになったのをどうにか耐えて家に着くや、手荷物を投げ出して真っ先に自分の部屋へ駆け込み、すっかりと暗くなるまでベッドの上で泣きはらした後で、せめてご飯くらいは食べておかなきゃと、フラつく足取りでリビングまで移動して、帰り道に買ったコンビニ弁当の包みを開けたものの、結局は半分も食べられずに力尽きてしまっている。
「…………」
 まだ制服すら脱いでいないし、お風呂にだって入りたいけど、とにかく今は何もかもが億劫で動くチカラが湧いてこない。
「…………っ」
(……また、裏切られちゃった……)
 結局、愛奏も同じだった。
 友達になりたいと付きまとってくる裏で、わたしに本音を隠していたなんて。
(……けっきょく、愛奏もわたしのコトを愛してなんていなかったんだ……)
 それなのに、わたしの方は「神様からの贈り物かも」だなんて舞い上がった勘違いをしたまま、勝手にその気になっていって……。
「……寂しい……よ……」
 やがて、わたしの瞼にじわりと熱いものが再びこみ上げてくる。
 さっきまで、あれほど悲しみにくれていたのに……。二ヶ月前に幼馴染みから別れを告げられた時の夜も同じくらい流れ出たのに、涙というのは不思議と枯れないものらしかった。
「…………」
「……ふぅ……」
(明日、学校行きたくないなぁ……)
 わたしはこれから、一体何を拠りどころにして日々を送ればいいんだろう?
「…………」
 まったく、ぼっちになってしまった学校生活が一月ほど続いた挙句、ようやく少しは慣れてきたつもりだったのに……。
(……天使様のくせにザンコク過ぎだよ、愛奏……)

                    *

「……えっとさぁ、みちる?」
「あによ……?愛奏」
「そりゃね、うちの参謀長サマも、もしかしたらこういう事態もあり得るんじゃないかと想定して、このあたしを送り込んだとは思うんだけど……」
「…………」
「でも一体、どーいうコトよこれっっ?!」
 理美ちゃんにいきなり絶交を告げられた夕方から、やがて迎えた魔族の時間、あたしはフラれた傷心に浸っているヒマすら無しに、ハンズフリーでみちる達と常時通話状態にしたまま、灯りが消えかけた夜の郊外を飛び回っていた。
 みちるや天音ちゃんから緊急事態と呼び出されるまでもなく、日が暮れ落ちてから突如にして大量に沸き出てきた魔族の気配に驚いて飛び出してみれば、こっちの世界にいるハズのない者達が続々と出現していたりして。
「知らん!今までだって、ここまで酷い騒ぎになったコトなんてなかったわよッッ!」
「ちっ、いくらなんでも、一度に湧き出すぎ……っ!」
 理由はまだ不明ながら、いつもは精々一体かそこらなのに対して、今宵はこの街に点在するアクセスポイントから絶え間なく魔族達が呼び出され、あたしとみちる、そして天音ちゃんも巻き込んで事態の収拾に奔走させられる羽目になっていた。
「しかも、さっきから送還の合間にゲートを閉じて回ってんのに、すぐにまたこじ開けられちゃってナンなのよコレ?!」
「……どーやら、今夜はよっぽど強力なチカラが働いてるみたいやね」
 これが、理美ちゃんに眠っていた潜在能力とでも言うんだろうか……ってのはともかくとして。
「でりゃあっ!ここで逢うたが百年目、覚悟……ッッ!!」
「く……っ、だーかーらーご愁傷様って御見舞い申し上げてるでしょーが?!すぐにそっちのエージェントが送り戻してくれるから、大人しく順番を待ってろっての……っ!」
 ……んでもって、現在のあたしはといえば、携帯電話のグループ通話で連絡を取りあいつつ、天使と見るや問答無用で襲い掛かってきた、全身黒づくめの鎧姿に魔剣持ちの重装兵と路上で刃を交えていたりして。
「天使の言い分などに耳を貸さぬ!大方、これも貴様らの陰謀だろう!」
「んなワケあるかぁ……っ!」
 この場に不釣合いで物騒な出で立ちに目を瞑れば、姿形こそ人間と似てるけど、おそらくこいつは魔王軍か魔界貴族の衛兵ってトコロだろう。
 見る感じ、分別は出来てるっぽいから、カタギの住人には手を出さないとは思うけど……。
「問答無用……ッッ」
「く……っっ」
 どちらにしても、彼らにとっての天使は斃すべき敵に違いなく、あたしは鋭い踏み込みで斬りかかってきた相手の一撃を捌いて、隙をうかがってゆく。
(予想はしてたけど、やっぱ天使が手伝っても穏便にはいかねーか……)
 とりあえず、あたしの役目は片っ端から魔界へ送り返しているみちるのアシストで、召喚されてしまった不幸な魔族の皆さんへ大人しく帰るように“説得”しつつポータル付近へ集めるコトだけど、素直に話を聞いてくれた例は皆無だった。
「……ったくもう、ちゃんとおうちに帰してあげるって言ってるのに……」
「天使を前に首を取らずして戻っては、立つ瀬が無いわ!」
「あー、そうですか……!」
 だったら、仕方が無い。
「……んじゃ、こっちもエンリョなく……せいっ!」
 あたしはこれ以上の話し合いを諦めるや、既に見切っていた斬撃の隙を突いて刹那の間で懐まで踏み込み、一刀のもとに斬り伏せた。
 ……勿論、鎧の上だから殺しちゃいないけど。
「は、疾……すぎ……ぐっ」
「お気の毒サマだけど、おたく程度でどうにかなる相手でもないのよ、あたしゃ」
 こちとら、本来は“主”の玉座を護る、天使軍の切り札の一角なんだから。
「……みちる、また一人片付けた。不幸なお客さんは何処に放り投げときゃいい?」
 ともあれ、あたしは気絶した敵へみちるから渡されていた特殊なマーカーペンでラクガキ……もとい印を付けると、次の指示を仰ぐものの……。
「もう位置は把握してるし、マーカーさえ付けてくれたならその辺の電柱の影でいーわ。……あ、それとそっちの方向にまた新手……!」
 続けて、労いの言葉も息をつく間もなく、新たな出没情報が告げられてしまう。
「ぐへぇ……」
 ったく、次から次へと……!

「……あら、こんばんは。まさか天使さんがお出迎えなんてね?」
 そして、四階建てビルの屋上付近で遭遇した次の相手は、やたらと露出度の高い痴女みたいなカッコウした、黒い翼を纏った(見た目は)若い女性。
 こちらは人間の精気を狙って、普段から割と頻繁に潜り込んでいるとは言われてる、純魔族の吸精鬼(サキュバス)だった。
「ま、いろいろ事情があってねぇ。……んで、一方的に呼び出されたトコロを申し訳ないんだけど、ハメを外す前に大人しく誘導に従ってくんないかな?」
「そう言われても……。せめてもの代償として、召喚者の精気を分けて戴かないと。んふふ……」
 とりあえず、まずはダメモトで交渉を試みるあたしなものの、今度はいきなり襲われないながらも、はいそうですかと飲むワケにはいかない条件を持ち出されてしまう。
「いや〜、召喚者はまだ年端も行かない女の子だし、それは勘弁してあげて欲しいんだけど……」
「あら、人間の女の子も大好物よ、ワタシ?穢れの無いウブなコは特にね」
「いやいやいや……。お腹空いてるなら、代わりにあたしのを少し分けてあげるからさぁ?」
 というか、召喚者が女の子と聞いて舌なめずりとか、これは理美ちゃんの為にも放置しておけない相手みたいである。
「え〜?でも、天使の精気なんて吸ったら、おなか壊しちゃうじゃない?」
「んじゃ、悪いけど力づくで……失礼……っ!」
 ……ってコトで、あたしは一度だけ肩を竦めて戦闘開始を告げると、先手必勝とばかりに翼のチカラを開放して、相手が身構えるよりも速い速度で接近しつつ回りこみ……。
「…………っ?!ちょ……」
 手早くバックを取るや、両腕を羽交い絞めにしつつ、みちるから分けてもらった強力な即効性睡眠薬を含ませたハンカチを、敵の口元へ当てて眠らせるあたし。
「ん……ぅ……っ」
「……はー、やれやれ……。ったく、このエロ悪魔め……」
 まぁ、ちゃんと節度を守って吸うなら実害はあまり無くて、人間によってはむしろご褒美になるみたいだけど、だからといって理美ちゃんに手ぇ出させるワケにはいかない。
(……そーいえば、理美ちゃんってちゅーとかしたコトあるのかねぇ?)
「また一つカタづいたみたいだけど、まだ休んでる暇はねーわよ?今度はそっちの付近に邪鬼族っ!こいつらは怪力で獰猛な上に、人間と見分けがつきにくいから気をつけなさいよねっ!」
 ……などと、『ヘンタイ注意』のマーカーを付けた後で屋上の物陰に運びながら妄想している間にも、みちるから次の指示が入ってきてしまう。
「うええええ……」
 見分けに関しては問題ないとしても、そろそろいい加減にしてくださいってカンジだった。
「……ったく、まさかとは思うけど、召喚騒ぎのドサクサに便乗して、そっちも大量に送り込ませてるんじゃないでしょーね?」
「んなワケあるかぁっ!だったら今アタシがコマネズミみたく働かされてないわよ!……てか、どうせアンタが理美に何かやらかしたんでしょ?!」
 そこで、魔族の反応を感知して次のターゲットのもとへ接近しつつ、思わず愚痴の一つも零すあたしなものの、みちるから手痛い反撃を食らってしまう。
「うぐっ、そ、それはこっちのセリフだっつーの!大体、モトはといえばみちるが理美ちゃんに余計なコト言うから……っっ」
 おそらく……というか、間違いなくこの騒ぎと放課後にあたしが理美ちゃんを怒らせてしまったのは関係してるんだろうけど、具体的な因果関係については未だ不明。
 というか、理美ちゃんが今どこでナニをしてるのかすら分からないんじゃ、推測のしようもないんだけど……。
(でもなぁ……)
「んで、その理美はどーしてんのよ?」
「知らねーわよ……。怒って帰っちゃった理美ちゃんの背中を見送って、それっきりだから……」
「……まったく、詰めが甘いどころじゃないですよ、愛奏様?そこでちゃんと追いかけていれば、この騒ぎは防げたかもしれませんのに……」
 そして、みちるに続いて別の場所で回収の手伝いをしている天音ちゃんまでが、会話に割り込んで非難を向けてくる。
「えええ、天音ちゃんまでがあたしを悪者扱い……」
 まぁ、今回ばかりは反論もしにくいんだけど。
「……とにかくっ、アンタは今からでも理美のトコロへ行って何とかしなさいよ!このままじゃキリが無いどころか、回収がゼンゼン間に合わないペースになってるんだからっ」
「ナンとかって……ああもう……っ!」
 まったく、どいつもこいつも指示が適当すぎ。
 けど……。
「でなきゃ、ホント知らないわよ?!こんな騒ぎを引き起こしたんじゃ、最悪は非常手段の命令が下りかねないし」
「ですね……。こちらにとっても、このままでは雨宿さんが見過ごせない脅威に指定されかねませんよ、愛奏様?」
「く……分かってるってばさ……。さすがにそれは忍びないしね?」
 正直、このタイミングで出向くにはあまりに気まずいけど……でもしゃーないか。
「てめェ、さっきからこのオレを無視して何くっちゃべって……グフっ?!」
「……悪いけど、急いでるんでちょっとそこで寝てて」
 それから、あたしはまず新手として対峙した、チンピラ風のガラの悪い魔界産の小鬼をぶん殴って説得完了すると、そのまま翼を翻して理美ちゃんの自宅へと飛び上がっていった。

                    *

「理美ちゃん、いるんでしょ?!お願いだからハナシを聞いて!」
「…………」
 それから、急いで理美ちゃんちの庭へ降り立った後で、あたしは玄関のチャイムスイッチを何度も押しつつスピーカーへ向かって呼びかけるものの、全く反応は返ってこなかった。
 最初は留守かと思ったくらいに家の明かりは殆ど点いていないけど、中から僅かに照明の光が漏れ出しているのも見えるし、何より理美ちゃんがいるのかどうかは、魂の反応で分かる。
「ちょっと、今シャレにならないコトになってんだってば!」
 ともあれ、呼び鈴を鳴らし続けつつ、後ろでノビている魔獣の姿を一瞥するあたし。
 ちょうどここへ着いた時、召喚された魔物の一体が理美ちゃんちの敷地へ入り込もうとしてたので片付けたけど、さっきの吸精鬼(サキュバス)みたく、中には召喚者に手出しをしようとする連中もいるみたいだから、このままじゃ身の危険にさらされる可能性も高いというのに。
「あたしのコトはまだ許さなくてもいいから、とにかくお願いだってばっっ」
「…………」
「……もう、出てこないなら、勝手に鍵をこじ開けちゃうよ?!」
「…………」
 しかし、だんだんと脅し混じりの言葉に変えても、やっぱり反応は無し。
 これだけ騒いで気付かれてないワケはないから、どうやらあたしの顔なんて見たくも無いってコトかもしれないけど……。
「ああ、くそ……っ」
 こうなったら、不本意ながら強制お邪魔しますをするしかないか……。
(……はー。これで、ますます嫌われちゃうかもしれないけど……)
 ただ、さすがに玄関ドアを壊すつもりまではないので、あたしは指先を鍵穴へ触れさせ、風の精霊の力を借りて強制解錠させてゆく。
 今はロックシステムも進化して、この力技が通用しない施錠も増えているとは天音ちゃんから聞いてるけど、古い家だったのが重畳だったというべきか。

 がちゃ

「おじゃましまーっす……」
 それから、開錠したドアを静かに開けて玄関へ入ると、冷たくもしんとした空気があたしを出迎えてきた。
(やれやれ、まさかこんな形で初めて上がらせてもらうコトになるなんてね……)
 七大天使のあたしがこんなドロボウの真似事をする羽目になって、自業自得ながらもやっぱり色々とフクザツな気持ちは拭えないけど、まぁ今は全部棚上げしておくしかない。
 ……ともあれ、玄関から続く廊下は一番手前に二階へ行ける木製の階段があって、その奥はいくつかの部屋が繋がっているみたいだけど、あたしが無断でお邪魔するのに合わせて右奥の入り口から漏れていた明かりが消えてしまったのを見るに、どうやらあの先にいるらしかった。
(あれで隠れたつもりなのかなぁ、理美ちゃん……)
 こういう、ちょっとヌケてる部分もカワイイというか、理美ちゃんの気配もしっかり感じるし、あたしにとっては誘い込まれているも同然で、状況が状況でなければ、敢えてかくれんぼに付き合って逆に驚かせてやろうという悪戯心も芽生えてしまうところだけど……。
「理美ちゃーん?出てきて顔を見せてよ……あたしのコトは気が済むまでぶん殴ってもいいからさぁ?」
「…………」
 とりあえず、廊下を進みながら声をかけるものの、返事は無し。
(……こりゃ相当、ガチンコで怒らせちゃってるのか……)
 別に、騙してたつもりじゃないんだけどなぁ……。

 ピッ

「……さとみちゃーん?」
「っ、来ないでよ……!」
「うおっと?!」
 やがて、向かった先のリビングルームらしい広間へ足を踏み入れ、入り口付近の壁から手探りで見つけた明かりのスイッチを押した途端、中央に備えつけられていたソファーの奥から、理美ちゃんの鋭い声と雑誌のようなものが飛んできた。
「……ちょっ、無断侵入は謝るけどさ、友達にモノを投げつけちゃダメでしょーが」
「友達って、どうせ口ばっかりでホントはわたしのコトなんてどうでもいいんでしょ?!もうほっといて!」
「だーかーらぁーっ、ハナシを聞いてってば……!」
 しかも、理美ちゃんの裾がはみ出たブラウスはボタンが中途半端に外れて、スカートはよれよれ、顔も泣きはらした跡がくっきりと映っていて、ほんの少し見ない間に、とても見ちゃいられないヒドい有様になってしまっていたりして。
「……信じてたのに……」
「愛奏なら裏切らないって……きっと晴実とはちがうって……」
「理美ちゃん……?」
「でも……でも……うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ!!」
 それから、こちらへ向けて殴りつけるような慟哭が飛んでくると同時に、背筋がゾクっと寒くなる程の強烈な魔力が、理美ちゃんの身体から一気に発散されていった。
「うを……っ?!」
 ……これだ、おそらくこいつが召喚術の発動された瞬間……!
(ってーコトは、もしかして発動のトリガーって……)
「ちょっ、ナニやってんのアンタはっ?!今とんでもなくヤバいのが顔を出してきたわよ?!」
 そして、今まで捜し求めていたモノの正体に気付いた直後、それを裏付けるようにみちるから血相を変えた様子で連絡が入ってくる。
「や、ヤバいって……?」
「たまたまポータル近くにいた時に強烈な気配を感じたから、今なんとかゲートに干渉して押し返そうとしてるけど、もしコイツが出てきちゃったら、アタシにゃ手に負える自信ないからね?!魔王家ですら倒しきれずに封印されてた、超キケンな魔神なんだから……っっ」
「げぇぇぇぇっ?!」
 な、なんですと……っっ。
「アタシもまさか、理美がここまでのチカラを秘めてたとは想定してなかったけど……さっさとナンとかしないと、ホンキでこの世界の滅亡危機になっちゃうわよっ?!」
「うげぇ……」
 これはマズい。マズ過ぎる……!
「ぐすっ、ひぐ……っ、ほら、今でもわたしを置いてけぼりにして、他のヒトと話してるし……」
「い、いや、あのね理美ちゃん……?」
「もう、帰ってよ……愛奏なんて顔も見たくないんだから……!」
「そ、そう言われても、ホントそろそろ機嫌を直してくれないと、理美ちゃんの呼び出してる魔物でここら一帯がかなりヤバいコトになってるんだけど……」
「しったこっちゃないわよ!こんな嘘にまみれた世界、滅んじゃえばいいんだ……!」
「いやいやいやいや、そんな自暴自棄にならないで、ここは冷静に……っ」
 このままじゃ伝説の勇者サマの末裔から、破滅願望持ちのラスボスになっちゃうってば。
「とにかく今すぐ帰って!このウソつき天使……っっ!」
「…………ッッ?!」
 しかし、何とか宥めようとあれこれ悩む最中に、新聞を投げつけてきた理美ちゃんから、心にぐっさりと突き刺さる罵声を浴びせられ、一瞬硬直してしまうあたし。
「……っ、い、言うにコト欠いて……」
 ぶっちゃけ、かなりカチンときたというか、天使にとって嘘つき呼ばわりこそが最大の侮辱だというのに。
(……もー決めた、非常手段発動。)
 そこで、こっちも気持ちが据わって完全に吹っ切れてしまったあたしは、身に着けてたイヤホンマイクを引きちぎって投げ捨て、そのまま無言で理美ちゃんの方へずかずかと歩み寄ってゆく。
「だから、来ないでって言ってるのに……!」

 がいんっ

「あ……」
「…………」
 途中で理美ちゃんが投げつけてきたクリスタルの置物が額に命中したけど、気にしない。
 こちとら最強天使の端くれ、ホンキ出せばこんな程度じゃビクともしないから。
「……こ、こないでってば……っ」
 やがて、とうとう踏み込めば手が届きそうな距離にまで接近したところで、理美ちゃんは慌てて逃げようとしたものの、所詮はムダな足掻き。
「あ……っ?!」
「さて、つかまえた。……もう観念してもらうからね、理美ちゃん?」
 あたしは手加減抜きでしっかりと理美ちゃんの両手を掴むと、真顔のままそう告げてやった。
「はっ、離してよ!けーさつ呼ぶから……っっ」
「悪いけどさせないし、呼ばれたってあたしならどーにでもデキちゃうから。……ほら、ちゃんとこっち見て」
 そして、お約束って感じのセリフで最後の抵抗を試みる理美ちゃんへ冷淡に言い放ってやると、じっと相手の瞳を見据えるあたし。
「…………っっ」
「まずは一つだけハッキリさせとくけど、目的や理由こそあれ、あたしが理美ちゃんと仲良くなりたい気持や言葉に嘘なんてない」
「…………」
「それにほら、帰り道にお城寄ってく?って言ったけど、あれだって理美ちゃんが頷いたら、本当に連れ込んじゃってたかもしれないし」
「で、でも……」
「けど、もう言葉でどんなに伝えようが、信じてもらえないというのなら……」
 それから、あたしは両手を掴んだまま、未だ信じきれないといった様子の理美ちゃんの顔へ自分の口元を密着させていき……。
「え……」

 ぶちゅうううううっっ

「…………ッッ?!」
 そのまま、強引に唇を奪ってやった。
「…………!」
「……っ……」
「……ぷはぁっ、どう?これでもまだ嘘つきって言っちゃう?」
 だったら、信じてもらえるまで更にスゴいコトだってしちゃう覚悟ありますが。
「…………」
 ……と、長い長い口付けの後でようやく唇を離したあたしが改めて尋ねるものの、理美ちゃんの方はぽやんと惚けながらも、呆然とした様子でこちらを見つめていた。
(あ……。しまった、つい……)
 取り乱していた心を落ち着かせる為のショック療法も込みだったんだけど、ちょっとばかりやり過ぎた?
「……えっと、ご、ゴメン?あたしもちょっと頭に血がノボって……ぬお……っ?!」
 ……と、程なくしてこちらも頭が冷えて後悔が芽生えかけたところで、あたしは理美ちゃんから強く寄りかかられ、そのまま後頭部をカーペットの床へ打ちつけながら押し倒されてしまった。
(痛い……)
 けど……。
「…………」
「……えっと、と……とにかく、信じてもらえたかな?」
「…………」
「……正直、まだ分かんないけど……でも……」
 やがて、打ちつけた痛みに耐えつつ恐る恐る尋ねるあたしに対して、理美ちゃんは感情を抑えた表情で覆いかぶさってきたまま、未だ煮え切らない言葉を返してきたあとで……。
「でも……?」
「今晩……一緒に寝てくれたら考えてもいい……かな……」
 続けて、照れくさそうに視線を逸らせてぼそりとそう呟くと、張り詰めたものが抜けていったかのように、あたしの胸へ頭を沈めてきた。
「……りょーかい。モチロンよろこんで……」
 となれば、これで後始末はみちる達に押しつけちゃうコトになりそうだけど……。
(は〜〜っ……)
 ……とにもかくにも、どうやら何とかなったらしい。

次のページへ   戻る