無知な堕天使(ルシフェル)さんは一途で積極的な巫女さんに篭絡される その3
第四章 神霊力の源
……昨晩は、少しだけ昔の頃に戻った夢を見ていた。 御影神社に伝わる天使様が降臨していた伝説に憧れ、学校帰りにほぼ毎日あの階段を上って確認に通っていた中学生の頃。 「…………っ?!」 しかし、普段は社殿の中には当たり前に誰もいなくて、それを確認した後で思いを馳せながら軽く掃除をして帰るのが日課だったのに、今日はなんと境内に着くと背中に翼を生やした銀髪の女の子が裸でお賽銭箱の上に腰をかけ、夕陽に照らされつつ退屈そうに足をぶらぶらさせている姿が目に映り、わたしの心臓が大きく脈打つ。 (天使さまだ……!) 何やら既視感はあるものの、人ならざる異質な存在感にわたしがふらふらと吸い寄せられると、やがてこちらに気付いた天使様は「やぁ依子」と微笑を浮かべて名を呼んできた。 「……朔夜さん……」 そこで、わたしも何故か知っている相手の名前をぽつりと呼び返すと、朔夜と呼ばれた天使様は文字通りの天使の笑み(エンジェリック・スマイル)を浮かべ、隣へ座るようにお賽銭箱の上を叩いて促してくる。 「あ……はい……!」 それを見て無性に嬉しくなったわたしは、手を振って応えつつ駆け寄ってゆく。 ただ……。 「でも、そこはやっぱり座るところじゃないから、社殿の奥にでも行きませんか?」 「…………」 それから、すぐ目の前にまで移動した後で、やっぱり巫女としてお賽銭箱の上に腰をかけるのは気が引けたわたしが場所移動を持ちかけると、朔夜さんは返事をする代わりに勢いよく両腕に力を込めて飛び降り、今度はその背中の翼をゆっくりとはためかせて、少しだけ浮いた状態でこちらに手を伸ばしてきた。 「え……?」 (もしかして……) そして、その仕草にもう一度心臓が高鳴るのを感じたわたしが魅入られたように差し伸べられた手を取ると、朔夜(さくや)さんはそのまま翼を大きく羽ばたかせ、夕焼けの空へ向けて飛び上がっていった。 「わ、わわわ……?!」 みるみるうちに高度は上がり、社殿が小さくなってゆく。 (わ、すごいすごい……っっ) しかし……。 「……え……っ?!」 そんな上昇時間も長くは続かず、やがて不意に浮力感が無くなったかと思うと、今度は突然に力を失った朔夜(さくや)さんに覆いかぶされるまま境内へ向けて真っ逆さまに落ちていき……。 「わぁ……ッッ?!」 「…………っ」 「…………」 「……あれ……?」 無意識に上半身を跳ね起こして目覚めた時、わたしの目に映っていたのは自室の風景だった。 (夢……か……) せっかく途中まではいい感じだったのに、最後は飛んだ……もとい、とんだ悪夢になりかけてしまうとは。 「……は〜っ……」 ただまぁ、私が知ってる朔夜(さくや)さんは飛べなくなっているんだから、夢でもそうなるよね……。 「…………」 (……でもいつか、また飛べるようにならないかな……?) そうしたら、今度こそお空の散歩に連れて行って欲しいところだけど、チカラを取り戻してもらう方法って何かあるものだろうか。 (ん〜せっかくだから、今日は一緒に考えてみようかな?) 日曜日で時間もたっぷりあるし……。 「うふふふ〜……」 何より、夢から覚めてもわたしの天使様は今も家に居てくれているのだから。 ……と、無性に幸せな気分に包まれてきたわたしは一人でニヤニヤしつつ起き上がり、制服ではなく私服に着替えて部屋を出る。 「さて……」 それから廊下に出た後で、まずは朝食の用意をする為にお台所へ向かうか、朔夜さんを起こしに行くかで少しばかり足が止まり、客室の方へ足を向けてゆくわたし。 夢のこともあって無性に顔が見たくなったのが一番の理由だけど、もう”お客様”じゃなくて家族同様の店子なのだから、これからは一緒に料理をするのも楽しいかなと。 「んふふふふ〜♪」 いずれにせよ、今日も楽しい一日になりそうだった。 * 「…………」 と、そう思っていたのに……。 「……へ……?」 やがて、寝起きの朔夜さんの可愛らしい反応を想像しながらノックもそこそこに客室へ入った時、わたしは中の光景を見て凍りついた様に立ち尽くしてしまっていた。 「さくや……さん……?」 「…………」 なぜなら、昨晩まで確かに一緒にいて、夢の中でも会えた銀色の綺麗な髪をした愛くるしい天使様の姿はそこにはなく、ただまんまるい発光体が弱々しく布団の上で浮いていたのだから。 「……ッッ、あのっ、何があったんですか?!」 「…………」 しかし、それから発光体の下に昨日買った寝巻きや下着が散らばっているのを見て、この球体が朔夜さん自身だと確信したわたしは血の気が引くのを感じつつ慌てて駆け寄るものの、返事はなし。 「ね、ねぇっ、返事してください……!」 「…………」 「朔夜さん、朔夜さん……ッッ?!」 「…………」 一体、昨晩に何が起こってしまったのか、せめて喋ってくれればいいのに、近くへ寄ってどんなに呼びかけても反応は返ってこない。 というか、触れてみたら携帯カイロくらいの熱は帯びていて重量感もあるけれど、口は見当たらないのでこれじゃ喋れなくて当たり前……って、冷静に分析している場合じゃなくて。 「……っ、ど、どどどうしよう……?!」 それから、いよいよもって錯乱しかけるわたしだったものの……。 (いや、落ち着いて……今までの中で何か気になったことは……) 「…………」 「…………」 「……あ……!」 そこで最初に思い出したのは、出逢った翌日に一緒にお風呂に入った時のこと。 (そういえば、朔夜さんの肌がボロボロ崩れていた様に見えてたっけ……?) 出血とか外傷は確認できなかったので、湯気でそんな風に見えた錯覚と勝手に納得して、昨晩に一緒に入った時は気にも留めていなかったけれど、もしかしてあの時から既に異変が……? (でも、どうして……?) そんなもの、わたしに分かるわけはないんだけど、でも朔夜さんはいつも口癖みたいに力を失ったと言っていたから、もしかしたらこちらに降りて以降も、日々ですごく弱ってきていたのかもしれない。 (結局、わたしは何もしてあげられなかったのかな……?) ただ、悔やむ気持ちは芽生えても、だったら何をしてあげるべきだったのかすら浮かばないのが余計につらい。 かといって、誰か相談できる相手がいたわけでもないし……。 「…………」 (あ、いや……?) 「……ち、ちょっと待ってて下さいね……ッッ!」 ともあれ、そこから脳裏にさる場所が思い浮かぶや、わたしは部屋の真ん中で佇んでいる球体の朔夜さんへそう告げて部屋から飛び出していった。 * 「はぁ、はぁ……っ」 それから、普段は金庫の中へ大切に仕舞われている、本来は無断で持ち出してはいけない家宝の鍵を手に家を出たわたしは、何かに取りつかれたように御影神社を目指して駆け出し、何度か足がもつれそうになりながらも長い長い階段を立ち止まることなく駆け上がっていた。 「……はぁ、はぁ……っ、くぅ……っ」 今日ほど、家と神社が離れた場所にあるのを恨みたくなったコトはないものの、ただ御影神社は実際に神様が逗留されていた伝承のある社殿で、住人と同じ高さの場所へ御住まいいただくのは失礼だからという理由があるから仕方が無いんだけど……。 「……っ、はぁ……っ」 ただ、そういった“ホンモノ”の社殿故に、神様をお世話していた時の記録も色々残っていて、それこそが今こうしてわたしが一目散に境内へ向かっている理由だった。 「……っ、待っててくださいね……朔夜さん……っっ」 かつて、ここに滞在していた天よりの使いが天使様だったのなら、同じ天使だった朔夜さんにも有用なヒントがあるはず。 ちなみに、それらの資料は社殿奥の宝物庫に保管されていて、わたしも手入れや掃除を手伝うついでに時々中へ入って見せてもらっているので、どんな物があるのかは大体把握しているつもりである。 「…………」 確か、初めて連れてきてもらったのは中学に上がった頃だと思うけど、その時に保存されていた掛け軸や文献に描かれた天使様の絵に大きく心を揺さぶられたのが、天よりの使いに憧れるきっかけとなったんだけど……。 「はぁ、はぁ……っ、は〜〜っ……」 ともあれ、息は上がりきって膝や足が震えつつも、気持ちが押し上げるのに任せてノンストップで階段を上りきり、ようやく一旦立ち止まって息を整えるわたし。 これをずっと続けていた所為か、インドア派なのに陸上部に誘われたこともあるくらい意外と体育の成績は悪くなかった、ってのはともかく……。 「……はぁ、はぁ……急がなきゃ……あれ……?」 しかし、小休止もそこそこにすぐにでも足を進めようとしたところで、何やら鳥居をくぐった先に異質な雰囲気を漂わせた誰かが居るのに気付く。 (ん……っと……) そこで、まずは遠目に観察してみると、何やら大きな水晶玉が乗せられた細長の机に、二つの小さな腰掛けが挟む様に置かれ、その片方にはフードじゃなくてローブを被った怪しげな人が腰を下していて、見た感じは占いでもやっているみたいである。 (もう、例大祭と初詣以外の露店はお断りしてるんだけどなぁ……) 許可申請を受けた覚えはないから明らかに無断だし、とりあえず管理人として色々言いたいことはあるものの、とくに今はこれから宝物庫を開けようとしているのにそんな所へ居座られては邪魔で仕方がないので、早々に撤収してもらおうと勇気を出して向かってゆくわたし。 (まったく、こんな忙しい時に……) だいたい、自分で言うのもなんだけど今の時期にうちの境内に店を出したって参拝客なんて殆ど来ませんっての。 「……んふふ、ちょっとそこゆくお嬢さん、私の占いを聞いていかれませんか〜?」 それから一礼して鳥居をくぐり、気後れを見せないように堂々とした態度で接近しつつも、どんな言葉で切り出そうかと思案していたところで、意外なまでに人懐っこい女の人の声で先方さんから水を向けられてしまう。 「当たるも八卦当たらぬも八卦、ですが貴女のお悩み解決のお手伝いは出来ると思いますよ?」 「いやあの、それより勝手に境内に出店されたら困るんですけど……」 「まぁまぁ、久々にこの街へお邪魔して昔のようにお悩み相談を、と思っていたんですが、思ったより誰も通りかかってくれなかったので、せめて貴女だけでもお客さんになってもらえたら嬉しいかなって♪」 それを受けて、引き寄せられるように綺麗な水晶玉が置かれた机の前まで移動したわたしが、まずは神社の娘として苦情を出したものの、占い師さんの方は無断出店には気にも留めていない様子で売り込んできた。 どうやら、案の定だれも来ない中で、せめて一人だけでもと粘っていたみたいだけど……。 「いやでも、わたしも急いでますので……」 「とはいえ、急いだ先に探し物が見つかる確証があれば良いんですけどねぇ?」 「…………っ」 ただ、わたしも今ばかりは心境的に付き合ってあげられる余裕なんてないのでお断りしたものの、占い師さんは腰掛けたまま訳知りな様子でローブの下からこちらを見上げてくる。 「ど、どうしてそれを……」 「んふふ〜、占い師は何でもお見通しなのです♪ですから、ここで私達が出逢ったのも運命の導きと思って暫し委ねていかれませんか、甘菜依子さん?」 そして、全て見透かされているような言葉に動揺を隠せないわたしへ、目の前の占い師さんは顔がすっぽりと覆われたローブの向こうから、にっこりと温みに満ちた笑みを浮かべて促してきた。 「…………」 「……まぁ確かに、縁結びの神社ですもんね、ここ……」 そんな笑みに絆されて名前まで呼ばれたのが決定的となり、何だか観念した気になってしまったわたしは独り言のようにそう返すと、客の為に用意されていた折り畳み椅子に腰をかける。 どのみち、わたしがお客さんになってあげなければ撤収しないつもりみたいだし……。 「んふふ〜、いらっしゃいませー。では改めてお悩みを窺いましょうか?」 「えっとですね……なんて説明したからいいか難しいんですが……」 というか、見ず知らずの人に素直に話していいコトなのかすら分からないんだけど。 「それでも、どうにか糸口を見つけたくて必死になっているのは、この水晶玉に映る貴女の魂の色で分かります。どうぞ藁をも掴んでみてくださいな♪」 「…………っ」 ホントに、全てお見通しなんだ……。 「そ、それじゃ……」 * 「…………」 「……ただいま〜……」 やがて、そんなこんなで一応は手掛かりを得られた後に急いで戻って来たわたしが玄関でただいまを告げるものの、返って来たのは静寂のみだった。 「…………っ」 もしかしたら、何かの間違いでも元に戻った朔夜さんが出迎えてきたりしないかなと、もちろん本気で期待はしていなかったとしても、やっぱりこういう空気は二年前にお母さんが亡くなる直前を思い出して涙が滲んでくる。 (……いやいや……) せっかく何とかなるかもしれない方法を聞けたのに、沈んでどうするわたし。 時間が経てば経つほどやっぱり朔夜さんは弱ってきていたのも教えてもらったんだし、まずは急がないと。 「……えっと戻りましたけど、具合はどうですか?」 ともあれ、気を取り直して二階の客室まで直行して恐る恐る様子を見ると、朔夜さんは相も変わらずパジャマや下着が散乱した布団の上でまん丸い発光体になったままだった。 「朔夜さん、今わたしが助けてあげますからね……?」 果たして、この状態でこちらが見えて声が聞こえているのかも分からないけれど、わたしは改めて意を決してそう告げると、客室のドアを閉めて衣服を脱ぎ始めつつ、怪しい占い師さんに言われた事を思い出していった。 * 「……なるほど〜、朝になって起こしに行ったら同居人がふわふわとしたモノになっていたと」 「ええ、最初は幽霊にでもなってしまったのかと思いましたけど……」 「あはは、通常の天使がそんな形状になってしまう事はあり得ないんですけど、彼女はむしろ“主”……つまり、神に近い存在ですからねぇ」 ともあれ、得体は知れないものの不思議と引き込まれるがまま正直に話してしまったわたしに、占い師さんは問診ですぐに症状が分かったお医者さんのようにさらりと回答を返してきた。 「神さま?」 「ええ。彼女の身体、というか“器”は天界人とまったく同じ構造になっているんですが、それは集めた神霊力の強さに応じて成長度合いが変化してゆくんです。……と言っても、何のコトやらってお話ですよね?」 「え、ええ……。そもそも、神さま自体も見たことないですし……」 まぁ、一般的には見た事なくて当たり前なんだろうけれど、一応は巫女の端くれだけに少しだけ後ろめたい気持ちにもなってきたりして。 「あはは、神職の方であろうが、普通はそういうものですからお気になさらず。……では、簡潔に纏めますと、今の彼女は“神霊力”が完全に尽きてしまった状態となり、人としての姿が維持できなくなってしまったと思われます」 そこで、何となく視線を逸らせてしまったわたしに、占い師さんは訳知りな態度で無邪気に笑ってフォローを入れると、早速核心に入ってくる。 「じゃ、その……神霊力、というのをまた満たしてあげれば元に戻ると?」 「飲み込みが早いのは助かりますねぇ。……ただ、言うほど簡単ではないんですが」 「と、いうと?」 「神霊力というものはですね、例えば天使は自分たちが仕える唯一神から絶対の忠誠と引き換えに翼を介し“加護”として与えられているものでして……」 「……加護……」 「貴女がお家へ連れ帰った彼女なんて、天使時代は最高位の熾天使(セラフィム)として“主”より無尽蔵の神霊力を引き出し、それはもう天界中のみならず魔界にまでブイブイとその名を轟かせていたんですが、堕天使となって神より見放されてしまった今は、当然にその最たる供給源が断たれてしまっているワケなんですよねぇ」 「……どうして、そんな人が堕天使なんかに……ってのは、今聞くべき内容じゃないですね?」 すごく気にはなるものの、それよりまずはどうにかしてその神霊力というのを補充してあげないと。 「ええ、それで普通の堕天使は神の加護を失った時点でもう天使としての能力(チカラ)は完全に消失してしまうものなのですが、彼女の場合は特別に自前で何とかすることもできます」 「…………?!」 ともあれ、そこからようやく光明の様な言葉が出てきて、思わず立ち上がってしまうわたし。 「まぁまぁ、必要なコトはちゃんと説明しますから落ち着いて下さいな。……とまぁ、天使の神霊力は神の加護から与えられていると言いましたが、じゃあその源になっている“主”はどうやって得ているのかと言えばですね、ずばり“信仰心”なのですよ」 「信仰心……」 あ、ようやく自分も知っている言葉が増えてきた。 「天使達が仕える天界の唯一神というのは、“神霊”と呼ばれる雄大にして偉大なる魂なのですが、その御霊が神としてのチカラを維持、増強させてゆくには、自らへの信仰心を集め続けなければなりません」 「…………」 「そして、特異ながらその神霊と同様の性質の魂を有する彼女も、同じく……」 「信仰心で神霊力というのが回復できる、と……?」 「本来は信仰心なんて易々と調達出来るものではないんですけどね〜。……ただし、幸運なことに今は丁度お誂え向けの方がいらっしゃるみたいですし」 「つまりそれが、わっ、わたしなんですね……?!」 そして、一度落ち着くように宥められて座っていたわたしは、居てもたってもいられなくなって再び立ち上がる。 まさか、わたし自身に何とかできる可能性が秘められていたなんて。 「ええ、本来は何処にも居場所なんて無かった彼女に惹かれ、名前も付けてあげて甲斐甲斐しいお世話を焼いている、献身的で物好きな貴女、です♪」 「物好き……」 まぁ、否定はできないかもしれませんけど……。 * 「…………」 やがて一応、念のために靴下やら頭のリボンも外してお風呂に入る時と変わらない生まれたままの姿になると、わたしはゆっくりと朔夜さんの変わり果てた身体へと腕を伸ばしてゆく。 (えっとたしか、ここから……) * 「……では、具体的な方法ですが……まずは服を脱ぎます」 「はい……?」 それから、いよいよ朔夜さんを救うやり方を教えてもらえるコトになったものの、いきなり脱げと言われて呆気にとられてしまうわたし。 「その後、貴女の記憶に刻まれている彼女の姿を、全身で想いを込めてイメージする。以上です」 「全身で……?」 「ええ、信仰心自体は非物質な“念”の波動なので、本来は接触せずとも吸収可能なんですけど、対象者に直接触れることでより効率的に伝えることが出来るのです。んふっ♪」 そして更にそれっぽい説明と共に、はっきりと表情は見えないながらも何やらニヤニヤとした視線を向けてくる占い師さん。 どうも、口ぶりからは楽しんでいるようにも見えるものの、ただわたしを騙そうとしてるとは全く思えない不思議な説得力も感じさせられていたりして。 「対象者に、直接……ですか?」 「ええ。ちなみに、天界の再奥に鎮座まします“主”は信徒と直接触れ合うことは出来ませんので、沢山の方から少しずつ集めるやり方なんですけど、それとは真逆とも言える今回の状況では最も有効的な方法ではないかと」 「な、なるほど……!」 * 「…………」 (……全身を使って、か……) いざやってみろという状況になると、さすがに照れとか恥ずかしさは感じてしまうものの、今はそんなコト言っている場合じゃない。 「朔夜さん……」 そしてわたしは自分で付けた堕天使の少女の名を呟きつつ、まずは暖かい熱を帯びた発光体全体を抱きしめると、両目を閉じて彼女と初めて出逢った夜から昨日お休みを告げた時までの自分が見た光景を思い出し始めてゆく。 「…………」 「…………」 思えば、ひと目惚れだったかもしれない。 ずっと夢見ていた天からの訪問者と遂に出逢えたという感激もあったけれど、初めて彼女の姿を見て胸が強く高く鳴ってから、純粋に目が離せなくなっていた。 「…………」 夜風にさらさらと晒された綺麗な銀の髪に、芸術品の如く端正な顔立ち。 その蒼色と紅色の瞳は他人を寄せ付けない鋭さはあるけれど、なにやら深い悲しみや憂いも帯びている気がして、もちろん朔夜さん本人に言ったことはないけれど、何となく救いを求めている様にも映っていた。 「…………」 背丈はわたしの服が着られるくらいには近くて、透き通るような白い肌に、胸の膨らみは控えめだけど柔らかくも美しい曲線をしていて、くびれはあまり目立たなかったと思うものの小さめのお尻とのバランスもよく、少しばかり寸胴ぎみなのが逆に親近感やら色っぽさを感じさせられて……。 「…………」 ……と、立場を利用して朔夜さんのカラダを眺めていたいとか触ってみたいという邪まな理由で毎日一緒にお風呂に入っていたのが、こんな時に役立とうとしているのは苦笑いものだけど……。 「大丈夫ですよ、朔夜さん……わたしが全て思い出してあげますから……」 それに、わたしの記憶に刻み付けられた朔夜さんの姿は、もう決して消えることはないはずだから、もしあの占い師さんの言うとおりなら、きっとわたしがいる限り……。 「…………」 「…………」 「…………」 「……あ……?!」 すると、受けた助言のまま自分の記憶の中の朔夜さんを明確にイメージしつつ語りかけ続けてゆくうちに全身で包み込む発光体の熱量が増していき、やがてその形が楕円から細長い塊に変わっていったかと思うと、今度は目を開けていられないくらいの眩い光を発してきた。 「…………っ」 「…………」 (う……ん……?) それから程なくして、抱きしめる感触が柔らかくも複雑で生暖かい、それでいてそれが何なのかすぐに分かる馴染み深いものへと変化したのに気付いて、閉じた目を開いてみたら……。 「…………っ!」 「さ、さく……」 ……わたしの腕の中に、黎明朔夜さんが戻ってきていた。 「…………」 「……あれ……?」 の、だけれど……? * (…………) これまで、一体いつ生を受けたのかすら覚えていない程の永い刻を渡ってきた中で、初めて私は「諦め」という言葉を知ろうとしていた。 何せ、あれから魔界よりの邪魔者を退けた後に、まだどうにか形が残った状態で寝床には戻れたものの、目を閉じた間もなく崩壊は始まり、やがて全身の感覚が引いてゆく様にして私の五感は失われてしまったのだから。 (…………) 所謂、“エレメント”状態に戻った訳だが、こうなってしまうと、動けないどころか何も見えないし聞こえない。 土くれの塊も同然となってしまった器に意識だけが閉じ込められ、自分からはもう一切に動けないこの状態では、前向きになれというのが無理な話というものであるが。 (あとは、このまま消えゆくのみ、か……) 最後の最期にエデンの塔の最奥で今もふんぞり返っているだろう神霊の心地を体感する羽目になったのは皮肉な話だが、自分の本来の立場を考えれば遅かれ早かれこうなる運命だから、悲憤する意味もない。 (…………) ただ、唯一心残りがあるとすれば、何も分からずこちらへ墜とされた私に手を差し伸べてきた少女へ約束した対価を充分に払えていないくらいか。 (すまんな、依子……) 思えば、この地へ降りた天使の事も教えてやれていないし、天界史上で最悪の罪人として堕天使となった後も、交わした約束だけは守るというのが最後に残った矜持のつもりだったのに。 『大丈夫ですよ、朔夜さん……わたしが全て思い出してあげますから……』 (む……?) しかし、それから依子の顔が意識の中に浮かぶと同時に、何やら声が聞こえて来た気がした。 (……ふ、こいつはお笑いだな。この私が最期に想いを馳せたのが出逢って間もない人間とは) ミカエルの奴、悔しがるだろうか。 ともあれ、最初は幻聴かと思い、自虐気味な笑いがこみあげてはきたものの……。 『わたしの記憶に刻み付けられた朔夜さんの姿は、もう決して消えることはないはずだから』 『もしあの占い師さんの言うとおりなら、きっとわたしがいる限り……』 (……依子……?) しかし、そこから依子の語り掛けは続いてゆき、いつしか真っ暗だった視界に眩い明かりが灯ったかと思うと、何やら生暖かくも懐かしさを覚える感触が全身を包んで来る。 『……あ……?!』 (……まさか……) この感覚は……。 (…………っ) それから、依子の驚いた様な声が聞こえた後で、私は一旦意識が遠くなっていき……。 「…………」 「…………」 「…………っ」 「……ん〜〜っ……」 次に目覚めた時は、すぐ目の前に私を抱きしめつつ両目を閉じた依子の顔が迫っていた。 「……依子……?」 「わあっ?!朔夜さん目が覚めてたんですね……っ?!」 「あ、ああ……」 「こ、こここれは違うんですっ!カラダは元に戻ったのにすぐ目を覚まさなかったから、昔に読んだ絵本の通りにキスでもしたら起きてくれるかなってそんな邪なつもりでは……」 そこで、私が無意識にぽつりと名を呼ぶと、依子は慌てふためいた様子で抱きしめていた両手を離して、何やら必死に弁解を始めてくる。 「いやまぁ、それは別に構わないが……。それより、君が私を復活させてくれたのか」 ……しかも、私だけでなく依子も一糸纏わぬ素っ裸になっているみたいだが。 「ええ、正直半信半疑な部分もあったんですけど、頑張っちゃいました〜♪あはは」 「しかし、一体どうやって……」 まぁ、どうにかして依子が私へ神霊力の源を注いでくれたのは分かるとしても。 「……それがですね、何か役に立つ情報を得られないかと御影神社に残っている文献を漁ろうと行ってみたら、境内に謎の占い師の方が勝手にお店を構えてまして……」 ともあれ、それから感謝の言葉よりもまずは疑問が口に出てしまった私に対して、依子はようやく冷静に戻った様子で腕組みしつつ答えてくる。 「占い師?」 「ええ、それでまずは無断出店の文句を言いに行ったんですけど、その占い師さんは悪い人には見えない人懐っこい雰囲気で、しかも何やら訳知りそうな物言いだったのもあって思い切って相談してみたら、裸で触れあいながら自分の覚えている朔夜さんのイメージを浮かべればいいって……」 「……ほう、それでどんな奴だった?」 というか、何やら心当たりがあるぞ……それ。 「えっと、いかにもなローブで隠していたのではっきりと顔は見てないんですけど、でも笑顔が素敵な女性だったと思います。……あ、あと端の方から長い金髪が伸びていたような?」 「ふむ……」 ただ、そいつが私の想像した通りならば、どうしてまた……。 話を聞く限りでは、あの場所で依子を待っていた様にも受け止められるが。 「まぁでも、その占い師さんのアドバイスでこうして上手くいったんですから、今はただ感謝の気持ちしかないです。けど……」 「確かに、な……」 無論、私としてもそれについては全く異存はない、が。 「…………」 「……ん、どうした?」 「ただですね、どうやら完全に上手くいったとも言いがたい部分はあるみたいで……いえ、これはこれですっごく可愛くて頬ずりしたくなるくらいなんですけどっ……!」 しかし、そんなとりあえずの安堵も束の間、会話を続けつつこちらを見る依子の態度が煮え切らないのに気付いて私が理由を訊ねると、何やら気色の悪いフォロー込みの報告が気まずそうに返ってくる。 「はぁ?」 上手くいかなかったと言われても、別に視覚や聴覚、触角といった五感に異常は感じられないし、手足だってちゃんと……。 「……ん……?」 それから、改めて私も自分の身体の確認を始めた所で、すぐに何やら違和感があるのに気付く。 「まぁ、見てもらったほうが早いですかね……。驚かないで下さいよ?」 「うむ……って、な……ッッ?!」 そして、依子が苦笑い交じりにそう告げたきた後で、室内の姿見を引っ張ってきて目の前に置いて見せてくるや、わざわざ念押しされたにも関わらず、目を見開いて驚きの声を挙げてしまう私。 (こ、これは……) ……何せ、縦長の鏡に映し出されていたのは、つんつるてんな幼女の姿だったのだから。 「あはは、昨日までは朔夜さんのほうがわたしより背丈が高かったですのに、今となっては……」 「おおう……」 確かにこうして並んでみると一目瞭然で、何だかんだでどうやら完全復活とはいかずに、私の目線の高さは依子の胸元にまで下がってしまっていた。 (……これは、さすがに言葉もない……な……) 元々、人間界へ落とされた時点でも見る影も無いくらいの変わり果てた姿だったというのに、まさかそこから更に弱体化してしまうとは……。 「体格的には小学四年か五年生くらいにまで戻った感じでしょうか?……まぁ、これはこれで歳の離れた妹が出来たみたいで可愛いんですけど、ただ昨日買った服や下着は買い直しですねぇ……」 「おい、そんな呑気なコト言ってる場合か……」 ここまで身体が縮んでしまったというコトは、すなわち……。 (…………) ……いや、違うな。 「はぁ、やっぱりチカラ及びきれずみたいでした……すみません……」 「いやいや、すっからかんだったのだからこんなものだろう。本当に良くやってくれた」 それから、気落ちした様子で肩を落とす依子へ、苦笑い交じりに精一杯伸ばした手で背中を叩いて励ます私。 むしろ、あの状態からたった独りでここまで蘇らせてくれたのならば、これでも驚異的と言わざるを得ないというものである。 「そうですねぇ……。まぁとりあえず、わたしの知ってる朔夜さんの姿はかろうじて取り戻せて、何よりこうしてまた会話ができる様になっただけでも良かったですよ」 「だな。これから更にチカラを取り戻せれば、また以前くらいには戻れるかもしれないし……」 それでも、ここへ落ちて来た時の状態までが精々というのも悲しいが、ただこれで依子さえいれば当面は干上がる心配から解放されたかもしれないのは大きい。 ……というか、おそらく今までも依子から知らずのうちに神霊力の源を補充して貰っていたのだろうが、全身を使って集中的に注ぎ込む儀式の効果がここまで違うとは。 「えっと、我が家は物持ちはいい方ですし、押し入れを漁ればわたしが小学生の頃に着ていた服もいくつか残ってるかもしれませんけど……その前に、ちょっと安心したらお腹もすいてきたのでまずはごはんにしましょうか?私、朝から何も食べずにバタバタしてたんでお腹ペコペコなんですよ……」 ともあれ、これが今の精一杯と互いに納得した所で、依子がお腹の音と一緒に空腹を訴えてきて、まずは食事にしようという話になったものの……。 「ああ、面倒かけたな。私も手伝おうか……?」 「いえ、子供の身体にまだ慣れないでしょうから、朔夜さんは休んでいてくださいな。とりあえず穿くものが無いのが問題ですけど、スリップとパジャマの上だけでも着ておいて貰えれば」 「了解した。……仕方がないな」 正直、手伝おうというよりは何か手伝わせて欲しい心境なのだが、この状態では足を引っ張ってしまうだけか。 「では、すぐに用意してきますので♪」 「あ、こら……!」 ……だがその前に、いくら家の中だろうがお前の方こそちゃんと服を着ていけ、依子。 * 「ふ〜っ……お腹空いたぁ……」 それから、言われて脱ぎ捨てていた服を再び着込んだ後に改めて台所へ移動したわたしは、冷蔵庫の中の食べられそうなものを片っ端から取り出しては空腹の赴くがままに調理を続けていた。 何やら冷蔵庫の大掃除でもする勢いでちょっと冷静さを欠いている自覚はあるものの、幸い今日は日曜なので午後から朔夜さんと二人で買い出しに行けばいいし、何より思ったよりも全然早くそういった普段通りの生活が戻って来たことに至福の達成感を味わっていたりもするんだけど……。 (……でも、思ったより中途半端になっちゃったな……) というか、あの時点で朔夜さんを救えるのは自分だけだったとしても、所詮はわたし一人ではあれが精一杯ということらしかった。 (うーん、やっぱりこのままだと朔夜さんは弱ったまま……か……) まぁ、今回のやり方で回復できるというのならいつでもいくらでも喜んでやるし、何なら今後は定期的にシテおくと予防になるかもしれないし、もしかしたら更に濃密に絡み合ったりしたらもっと効果的になる可能性も……。 (しかも、今ならおねロリかぁ……) わたしからイロイロ教えてあげるのも、幼女になった朔夜さんにぐいぐい攻められるのも、どちらも想像しただけでゾクゾクと……。 「……うへへ……いたっ?!」 しかし、そこでついイケない妄想に耽りかけたところで、包丁で指を少し切ってしまって我に返るわたし。 「あいたたたた……う〜っ……」 まぁ、そういった行為もしたいといえば勿論したいけれど、根本的な解決にはならないというのも分かっているつもりというか、自分一人のチカラには限界がある事を認識してゆくうちに、あの謎の占い師さんと最後に交わした会話が頭の中にこびり付いて離れなくなっていた。 「…………」 * 「ありがとうございます……!今から帰ってやってみますっ」 「ええ、頑張ってくださいね〜♪・あ、でも最後にもう一つだけ聞いて行かれませんか?」 「はい……?別に構いませんけど……」 朔夜さんを助ける為の具体的な方法を教わり、早速立ち上がって踵を返したところで占い師さんに引き留められ、わたしは一旦立ち止まって振り返る。 ……まぁここまで来たら、聞くべきことは全部聞いておいた方が良さげだろうし。 「ありがとうございます♪……それで、貴女もこちらの神社の管理者一族ですから、この地は四百年以上昔に天よりの使いが降臨した、“天使の舞い降りた街”というのはよく御存じですよね?」 「そ、それはもちろん……」 「では、ここで問題ですが、どうしてある日突然に天使が降り立ってきたのでしょうか?」 そこで、有用な情報をくれた相手を信じて今一度わたしが着席すると、占い師さんは嬉しそうにお礼を述べた後で思ってもみなかった問いかけを投げかけてきた。 「どうしてって言われても……さぁ……」 言われてみれば、今まで考えたコトなんて無かったかもしれない。 「ん〜、そこですぐに答えて貰えないのはいささか困るお話なんですが、ここで先程言った信仰心集めが関わってくるんです。天界と魔界は次元を隔てて完全に切り離された世界なのに対して、実は天界とこの人間界はゆる〜く繋がっていまして」 「ゆる〜く、ですか……?」 「ええ。つまり、繋がっているというコトはこちらに住む何十億という方々も対象になりますから、それで神は人間界から出来るだけ信仰心を集めようと、様々な場所へ天使を派遣して恩恵を齎させ始めたというわけですね〜」 「なるほど……。それで、大昔の“ここ”もその対象に選ばれたと?」 まぁ、確かに考えてみればいくら天使さまだろうが、何の目的も無しでってわけもないよね。 「はい♪ただ実際に上手くいったかどうかは別のお話ではあるんですが……」 「え……?」 「……とまぁ、とにかくそうやって“主”も沢山の天使達を使い、地道に神への認知を広めてゆくコトで、ようやく沢山の信仰心というものは集めることが出来るわけです」 「だから、口で言うほど簡単じゃない……?」 「ええ。ですから、彼女にとってこの窮地で救いとなる貴女と出逢っていたのは本当に僥倖だったと思いますよ?……ただし、これだけでこと足りるのかは分かりませんけど」 「それは、どういう……?」 「いまお教えしたのはですね、彼女が危機を迎えたり弱り切っていた時に、あなたが助けてあげたいと切に願うことで回復してあげられる方法なんですよ。つまり……」 「元気な時にはあんまり効果はないと?」 「あはは、こればかりはやってみなければ分かりませんけど、おそらくは。それに、あなた一人だけでは彼女が失われた全てのチカラを取り戻させてあげるのは難しいでしょうし」 「んー、やっぱりまだまだ前途は多難ですか……」 「それでも、私としては彼女と貴女との邂逅は、まだここで滅びるべきではないという運命の導きを感じていますけど」 「……それは、占い師さんの見解として?」 思えば、まだ情報を貰っただけで占ってもらってはいなかった気がするけど。 「んふふ〜、そういうコトにしておきましょうか。……ともあれ、まずは貴女の心の赴くままに出来ることをしてあげてくださいな」 すると、そんなわたしのツッコミに、訳知りの占い師さんはいたずらっぽく笑った後で背中を押してきたかと思うと……。 「は、はい……」 「……えっと、引き留めておいてなんですが、実はエレメントになった状態をあまり長く放置していると、もう元に戻れなくなってしまったりする可能性もありますし……」 「たっ、大変……っ?!」 続けて、物騒な新情報と共に「てへ♪」と頭に手を当てたのを見て、わたしは今度こそ戻らなきゃと慌てて立ち上がる。 「……あ、でもそういえば、占い料とかはいいんですか?」 「ええ、これはささやかなご恩返しですし。それでは、貴女に神の祝福のあらんことを♪」 そして、最後に一応は拝観料を訊ねたわたしに、人懐っこくて(おそらく)美人のお節介焼き占い師さんはそう言って、ローブの奥から天使のような笑みを見せてきた。 * 「…………」 (ささやかなご恩返しって、お店の地代のつもりだったのかな……?) 一方で、本当はあの場でわたしを待っていたような気もするんだけど。 (でも、これだけでこと足りるのかは分かりませんけど、か……) どうやら、あの予言は的中になりそうな気はする。 ……というか、あの占い師さんもそこまで見越して、逸るわたしをわざわざ引き留めてあんなお話をしてきたんじゃないのかなって。 「信仰心集め、かぁ……」 確かに言葉にするのは簡単だけど、実際に不特定多数から信心を得るなんてそうそう出来るものではなく。 うちの神社だって縁結びあらたかなパワースポットとして地元ではそれなりに有名だけど、やっぱり定例蔡とか初詣とか、あと恋愛絡みのイベントがある時期以外は忘れられがちで、ましてや朔夜さんは自分のコトを全然教えてくれてなくて、一体何の天使様だったのかも分かっていないし……。 「…………」 (……いや、むしろそれを逆手にとって考えれば……?) しかも、そういえば一月も終わりに近いんだから、そろそろ……。 「…………」 「あ……!……今キュピーンときた、かも?」 それから、二人がかりでも食べきれるか自信が無くなってくる量の焼き飯を盛り付けつつ、わたしはさる悪魔的天啓が降りてきた……気がした。 * 「……やれやれ、遂には幼子の姿にまで堕ちてしまったか……」 依子にまだ部屋で休んでいろと言われ、とりあえず言われた通りぶかぶかになったスリップと寝巻きの上を重ねて着込んだ私は、姿見の前で簡単に手足を動かしつつ、人の形に復活させて貰った“器”の状態を確認しつつ溜息を吐いていた。 (贅沢は言えないとしても、これで更に無力な存在となったのは堪えるな……) 一応、縮んでしまった体躯については慣れるまでの時間は要するとしても、これまで通りの日常生活を特に問題なく送れそうなのだが、背丈の分だけ低下した身体能力よりも、翼も合わせて小さくなった上に神霊力の気配もさらに薄くなってしまったのが何より厳しい。 元々翼の能力は殆ど使えなくなっていたとはいえ、それでもイザという時に窮地を脱する程度の隠し財産を隠し持っていたのだが、それも使い果たしてしまった今の状態で再び「迎え」が来れば、今度こそ抵抗らしい抵抗も出来ずに持ち去られてしまうだろう。 「ちっ……熾天使(セラフィム)だった頃と比べれば、今の私など塵芥も同然……か」 それも最初から分かっていた事だろうが、こうして改めて自覚させられると心に突き刺さる。 (……まぁでも、毎日少しずつでも依子に回復して貰い続ければ、いずれもっとマシになるか?) 注ぎ込んでもらうのは信仰心、つまり大雑把には私への好意だから、代償に依子の心身が消耗するという話ではないし、おそらく頼めばいつでも喜んでやってくれるだろう。 「…………」 「うへへへへ、さぁ今日も裸になってイイコトしましょうねぇ、朔夜さん?」 「んふふふふ、ではカラダの隅々へたっぷりと注ぎ込んであげますからねぇ?さぁ力を抜いて……」 (……いや、まてまて……) しかし、それから両手を怪しく蠢かせつつ如何わしい笑みを浮かべる依子に押し倒され弄ばれる光景を想像して、少しだけ背筋が寒くなりつつ少し思い直す私。 ……むしろ、こちらの心身の方が危険な予感がしてくるものの、まぁでもこんな程度で神霊力が回復するというのならば、甘んじて受けない選択も無いのだろうが……。 「…………」 ただ、こうやってみっともない姿に変わり果て、尚も無様に足掻き続けてその果てには何が待つ? ……これは、依子の家へ厄介になる様になってから、自分のチカラを取り戻す方法を考えるのと併せて抱き続けていた自問自答だった。 魔界の一部の連中は私を連れ帰って堕天使達の救世主だの、魔王になれだのと過大な期待を寄せて来ていたが、それを一旦は拒んだ今、自分はこの世界で一体何を為すべきなのか。 「…………」 実は、それに関しては心に秘めた野望……いや、未だ願望に過ぎないものはある。 そして、それも私が魔界行きを拒んだ理由の一つでもあるのだが……。 とんとん 「朔夜さん、お待たせしましたー。ごはんにしましょう?」 「……ああ、すぐ行く」 しかし、その先に想いを馳せる前にドアがノックされて依子が呼びに来たのを受け、そちらへ振り返りつつ短く答える私。 (……まぁただ、もう暫くはこのままで構わないか……?) この私とした事がらしくもなく、一人の少女に振り回される日々も案外悪くないと思い始めているワケだしな。 第五章 天啓と奸計と 「はい、沢山食べてくださいね〜?」 「いや、これはいくらなんでも多過ぎだろう……」 ……しかし、そんな高揚した気分も束の間、パジャマの上だけを着て移動した居間のテーブルに所せましと並べられた大量の料理を前にして冷や汗が滲んでしまう私。 あり合わせの食材を片っ端から使ったという感じで、揚げ物や炒め物が中心の特に統一感のないメニューはどう見ても二人分の量じゃないのだが、ただでさえ幼い身体になったというのに、これらを私に詰め込む気なのだろうか。 「あはは、ちょっと考え事しながら作っていたので加減を間違えたというのもあるんですけど、足りなかった分をご飯でちょっでも補えないかなと」 「は?」 「正直、すごくデタラメな身体だなとは思いましたけど、それでもれっきとした生き物なんですから、生物は食べれば大きくなる。これ摂理です」 「デタラメで悪かったな……。まぁ否定は出来ないが」 「とはいえ、さすがにちょっと度が過ぎた気はしてますし、残ればお弁当箱にでも詰めてわたしの晩ご飯にしますから、とりあえず食べられるだけ食べてくださいな」 「了解した。……ともかくいただくとしよう」 確かに依子が私の為を思って作ってくれた料理ならば、神霊力の回復効果も全く望めない訳じゃないし、基本的にマイナスにはならないだろう。 「では、わたしもいただきます……はー、もう空腹も限界に近かったんですよ〜」 「何なら、依子が殆ど食ってくれても構わんぞ?」 「んぐ、それはさすがに……これだけあったらたぶん四分の一も食べられないかと。むぐむぐ」 「おい……」 ……ただ、これでも通常時の身体メカニズムは天界人と変わらないんだから、普通に食べ過ぎてしまえば腹も壊してしまうんだが……。 「……それで、一体何を考えながらこんなに作ってしまったんだ?」 「もちろん、朔夜さんの神霊力、でしたっけ?を取り戻してもらう方法ですよ。とりあえずわたしだけでも人の形までは戻せましたけど、まだまだ足りないみたいですし……むぐっ」 ともあれ、消化器官が受け付ける範囲で精一杯食べ進めてゆく中で、何となく気になって水を向けてみる私に、エビフライを齧りながら当然といった様子で答える依子。 「えっとそれは、さっきみたいなのを繰り返していればどうにかならないのか?」 いやまぁ、出来れば一日一回くらいに留めてはおきたいが。 「……んっと、残念ながら、やり方を教えてくれた占い師さんによれば、効果が見込めるのは朔夜さんが弱った時だけらしいんですよねぇ……はぁ」 そこで、自分から求めるのも何だかなと躊躇は残しつつ尋ね返した私に、依子は海老の尻尾を小皿へ捨てた後で口惜しそうに溜息を吐いてくる。 「むぅ、やっぱりそうなのか……」 道理で、いささか虫が良すぎる話とは思っていたが、依子が教えられたのは増幅ではなくて“回復”の術(すべ)という事らしかった。 「あ、でも、一応やるだけは試してみます?なんでしたら、ご飯終わった後でも早速……」 「まてまてまて、うら若き乙女がはしたないからやめなさい」 しかも、既にエプロンを脱いで上着のボタンに手をかけ始めているし。 「まぁ冗談ですけどね。いえ、本気でもあるんですけど……」 「……言い直さなくていいから」 やっぱり、ホントに私はずっとここに居続けていいものなんだろうか?と今更ながら色んなイミで疑問もなくはないのだが……。 「ともあれ、やっぱりわたし一人じゃ限界があるというのは痛感したので、ちょっぴり大掛かりな事を企んでみようと思います♪」 そして、それから依子は本音は隠さないまま本命らしいプランを切り出してくるものの……。 「大がかり、だと?」 「ええ。なので、ご飯が終わったらしばらく付き合ってくださいね?あと帰りは食材や衣類の買い出しもありますから、ちょっと忙しくなりますよ?」 「しかし、今更かもしれないが、依子はどうしてそこまで私に……」 「うわぁ、この期に及んでもそれを聞きます?というか、いつも言ってませんでしたっけ?」 「それは聞いているし、だったら精々利用してやるかとも最初は思った。けどな……」 流石に、これ以上甘えても良いものかという心地も芽生えてくるというものである。 「なら、別にそれでいいじゃないですか。少なくとも、わたしは朔夜さんが来てくれて毎日がすごく楽しいですから、それで普通にウィンウィンですし」 「…………」 それでも、何やら釈然としないというか、燻った感情が取り巻いたままなのは、私の方は未だ依子に何も返せていないからかもしれない。 「それより、わたしも今さら返しをさせてもらえば、朔夜さんは今後どうしたいんですか?」 「わっ、私か?」 「ええ、考えたらまだそれを聞いてもいないのにわたしが先走ってもなぁって」 「私は……まぁ、とりあえずはせめて飛びたい時に飛べる程度には力を取り戻したいかな?」 「……やっぱり、ずっと飛べていないとお空が恋しいですか?」 「無論、それもあるが……ん、その左の指はどうした?」 「あはは、これは料理していた最中にちょっと注意散漫になって切っちゃいました……つっ」 それから、本音を言おうか迷ったところで、依子の左指に先程までは無かった筈の絆創膏が巻かれているのに気付いて指摘すると、痛みで僅かに表情を歪めつつ苦笑いを見せてきた。 「……思ったより深そうだな」 傷の規模は絆創膏一枚ですっぽりと覆える程度みたいだが、パッドの部分がどす黒く変色していて、血は未だ止まっていないみたいである。 「まぁ、大丈夫ですよ。今さっき切ったばかりですし、すぐに血も止まります」 「いや、いいから見せてみろ……」 それを見て、ある事を思いついた私は身を乗り出して依子の手を取り、慎重に絆創膏を剥がしてゆく。 「……っ、朔夜さん……?」 「やっぱり、治療が必要な深手じゃないか。……少しだけ我慢していろよ?」 そしてわたしはそう告げるや、ざっくりと切れていた患部を口元へ引き寄せ……。 「あの、一体なにを……ひゃっ?!……さ、さささ朔夜さ……あ、あれれ……?」 「…………」 剥き出しになった痛々しい赤色の裂け目へ躊躇い無く口づけするや、回復してもらった神霊力の一部を使って、わたしの為に負傷した依子の傷を塞いでやった。 「こ、これは……」 「んっ、天使の持つ治癒術だ。……そういえば、依子にはまだ何一つ見せてやれていなかったな」 「…………っ」 「……あと、そういえばこれもまだ言ってなかったか……依子、私を蘇らせてくれて感謝する」 「朔夜、さん……!」 その後、固まったまま呆然としている依子へ言いそびれていた感謝の言葉も続けると、ようやく解凍された恩人の顔は嬉しそうな笑みに変わり、私の心も晴れてゆく心地になる。 「今はこんな程度しか見せてやれないが、いずれチカラが戻った暁には空の散歩にでも連れて行ってやるから、楽しみにしておくといい」 ……となれば、おそらくそれが天界への道を探す前に、私が果たすべきせめてもの恩返しというものだろう。 無論、それは言葉にする程に容易くないのは理解しているし……。 「わぁ、約束ですからね?!それじゃ想いも通じ合いましたし、これからも二人で一緒に頑張りましょう!」 「うむ、宜しく頼む」 未だ視界は暗闇の中としても、この私を心から驚かせてくれる依子と共にならば、いつかは何とかなるかもしれない。 「んふふふふ〜、よろしくお願いされてしまった以上は心を決めてよろしくしちゃいますから、朔夜さんの方もカクゴはしておいてくださいね?」 「覚悟……だと?」 ……ただ、いささか嫌な予感がしてくるのは気のせいだろうか? * 「朔夜さーん!探してみたら結構ありましたよ〜?!」 「う、うむ……」 やがて、随分と長い時間をかけて互いに詰め込めるだけ詰め込んだ昼食を終え、片付けもそこそこに部屋で待機していた私の元へ依子が衣服の束を抱えて慌ただしく入って来るや、嬉しそうに戦利品を並べて見せてきた。 「ほら、セーターやロンTの他にもワンピースやらダッフルコートなんかも残ってましたから、これでお出かけもバッチリです」 「そ、そうか……」 「……あ、でもオススメはこの純白レーストップスのシフォンワンピですかねー。これ昔にお父さんが勝手に買ってきたものの、神社の境内とか公園とかよく表で遊んでたわたしはすぐ汚してしまうからと一度だけしか着てないんですが、朔夜さんならきっと似合いそうだなって」 「むぅ、しかし贅沢は言ってられないとしても、いかにも子供って感じだな……」 「そりゃあ、一桁の女の子が着る為の子供服ですから、基本はかわいらしさ全振りですね」 「うむむ……」 一応、云われるまでもなく今の体躯に見合った服なのは理解しているのだが、心情的には喜んで着るにはいささか躊躇を感じてしまうというか……。 「あ、それと下着はさすがにみんな処分しちゃったかなと思ってたんですが、箪笥の奥でこんなの見つけちゃいました♪」 しかし、それでも依子はそんな私の葛藤にはお構いなしでそう続けると、今度はまだ透明の包みに入ったままの一着の下着を差し出してきた。 「……なんだこれは」 厚めの生地で作られた、いかにも幼児向けといったショーツだが、気になるのは白地の上に何やら派手に着飾った二人の少女の絵が印刷されているということで。 「わたしが小さい頃に見てたアニメキャラのプリントショーツですよ?これすっごく気に入ってたんですが、どうやらお母さんが予備に買っておいたストックがまだ残ってたみたいです」 「……つまり、これを私に穿けと?」 「ええ、今の朔夜さんにはとっても似合うと思いますよ?わたしは色々もう無理なので、是非朔夜さんに着けてるところを見せて欲しいなって」 「…………」 いや、しかしさすがにこれは……。 「ちなみに、足りない下着類は後でまとめて買い出しに行くつもりですけど、当面はコレしかありませんので。んふふ〜♪」 「……ううううう、どうしてこの私がこの様なモノを……」 まぁ、状況が状況だけに穿けと言われたら素直に着けるしかないのだが……。 「…………っ」 何だろう、この踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまった様な背徳感は。 「おおお……っ、やっぱすごく似合ってます!かわいいです〜♪ね、せっかくだから写真撮ってもいいですか?!」 「や・め・ろ……っ」 それから、渋々ながらも提供された下着を開封してモソモソと穿いてやると、興奮した依子が目を輝かせつつスマートフォンを取り出してきたのを見て慌てて取り上げる私。 「えええ、ほら〜。もしかしたらその姿も短い間だけかもしれないですし、今のうちってコトで」 「だったら、心から助かるがな。……全く、人の窮地を楽しんでるんじゃない」 生憎、私の方は姿見に映る自分の姿を見るだけでも目から火が吹き出そうなのだが。 ……というか、写真に撮られてそれがまかり間違ってミカエル達の手にでも渡ったらと考えると、若気の至りでとても済まされる問題じゃなかった。 「あはは、すみませんつい……。でも心の中は大人のままなら、やっぱり子供の姿になっても身に着けるものはそういう風なのがいいですか?」 「うむ、まぁそうなるかな?」 ともあれ、それから冷静さを取り戻した様子の依子からマトモな問いかけが来たのを受けて、私もようやく安堵しつつ頷いたものの……。 「なるほど、なるほど……。確かに言われてみれば、その幼児体型状態で敢えて大人っぽいランジェリーとか身に着けてもらったりしたら、それはそれで逆に凄く色っぽくなりそうかも……」 「おいこら、どうしてそうなる……!」 しかし、すぐに再び不健全極まりない方向へ話が向いて依子が生唾を飲み込んだのを見て、即座に全身で撤回させられてしまう私。 「んふふっ、さすがは朔夜さんですね。これでまた世界が何倍も広がった心地ですよ」 「いや、やっぱり見た目年齢相応の格好でいいか……?」 出来れば、身も心も幼子に染まってしまうのは何らかの形で抵抗したかったものの、ヘタに依子の理性を刺激してしまう位ならば素直に甘んじる方がマシ、というものか。 「えー、なんでしたらネットで探しますけど?……ほらほら、小さいサイズの専門店なんかもあるみたいですし……」 「……いいと言ってるだろう」 結局、何だかんだで楽しんでいやがるな、こいつは。 (やれやれ……) 全く、人の気も知らないで……と呆れる反面で、もしかしたら私を気落ちさせない様に敢えて騒がしくしているという可能性が……。 「ん〜、もしくはマイクロビキニみたいな方向性も……?」 「…………」 (いや、ないな……) ただそれでも、依子が自分で言っていた通り、純粋な献身ではなく自らの愉悦の為に私を助けてくれているのなら、それはそれで理想的な共生関係なのかもしれないが……。 「さて、本当はこのままじっくりとファッションショーでも続けたいところなのですが、今日は予定が詰まっているので、早速に着替えてお出かけしますよ?」 「了解した。……まだまだ忙しない一日になりそうだな」 ……って、何やら妙に堕天使っぽい考えだったか、今のは? * 「……お、おい依子、ちょっと待ってくれ」 ともあれ、それから白いワンピースの上にクリーム色のコートというコーディネートで着替えも終えて外へと連れ出されたものの、早速依子に取り残されそうになり、慌てて背後から呼び留める私。 最初は並んで玄関を出たというのに、ほんの少しだけ歩く間に私は依子の背中を追いかける羽目になっていた。 「もう、だから手を繋いで行きましょうって言いましたのに……」 「いや、それには及ばん。まだちょっと慣れていないだけだ」 別に、依子と手を繋ぐのが今さら恥ずかしいと言う気は無いが、ただでさえ更に無力な存在となっているのに、表を歩く程度でも当たり前に頼ってしまうのは、なけなしの自尊心に傷というものである。 「でも、今日はこれから沢山歩きますけど大丈夫なんですか?」 「……問題ない……たぶん、おそらく……」 ただ、背丈が縮んで歩幅も小さくなっていて、それはすなわち行動可能な範囲そのものが狭まっているというコトを実感させられているのがつらい。 実際、通い慣れているはずのこの住宅街の往来も、今日は随分と長く遠く感じるし。 (ああ、何処まで落ちぶれてゆくのだろうな、私は……) これでまた、一段と目差すゴールが遠く……。 「……ん……?」 しかし、改めて気持ちが重たく沈みかけたところで、戻ってきた依子に右手を強引に繋がれてしまう私。 「依子……」 「……もう、ヘンな意地を張ってないで、こういう時は素直に頼ればいいんですよ?」 「しかし……」 「ほら、でないとわたしの方もちゃんと朔夜さんが付いてきてるか心配で歩きにくいですし」 「ふぅ、すまんな……」 出かけるまでは、忸怩たる思いの他には多少不便になる程度だろうといささか甘く見ていたが、これは先が思いやられそうだった。 「いいんですよ。わたしもその方が楽しいですし♪」 「……そうか……」 ただ、しかし……。 「んじゃ、ちょっと気恥ずかしいかもしれませんが、朔夜さんもしっかりわたしの手を握ってはぐれないでくださいね?」 「……いや、思ったより悪い気分でも、ないかな……?」 「ふふ、でしょう?わたしも小さい頃はこうやってお母さんと手を繋いで買い物に連れて行ってもらうのが楽しみでしたし」 「やれやれ、今度は保護者気取りか……」 全くもって自分が情けないし癪にも障るが、事実こうやって依子に手を繋がれていると安心を感じてしまっているのだから、今は身を委ねるしか無いのだろう。 (……ふん……) それに、親や家族というものがいない私には、案外貴重な体験と言えるのかもしれなかった。 * 「はぁ、はぁ……。しかし、やっぱり日に何度も通うのは大変ですよね……」 「全く……。ここへ来るたびに翼が使えればと痛感させられるな」 やがて、小さくなった朔夜さんと歩幅がかみ合わずに少々難儀しつつも二人手を繋いで再び御影神社の境内へ戻ってきたわたし達は、石階段を上りきった後に揃って胃の辺りを押さえつつ苦悶に喘いでいた。 「……あと、お腹いっぱい食べ過ぎた後で休憩なしにバタバタしすぎたせいで、さすがにそろそろ気持ち悪く……うっぷ」 「吐いたら面倒な仕事が増えるぞ、耐えろ」 言われなくとも意地でも聖地は汚さないつもりだけど、本題に入る前に出鼻を挫かれてしまうとは。 「……というか、今更だが裏口とかは無いのか?」 「あはは、何やら今日は今さら大会になってますけど、社務所の裏から続いている別の道はありますよ?……ただ、凄く大回りになるので徒歩だと意味がないだけで」 お陰で、自分の車があるお父さんはいつも裏道を通っていたから楽そうだったけど……。 「……なので、高校生になったら原付免許でも取ろうかと考えていたこともあったんですが親からは反対されましたし、何よりも神社はちゃんと鳥居をくぐってこそだとは思うんですよねぇ、やっぱり」 「ま、神域と俗世を隔てる境界だからな。で、朝に来た時はここに件の占い師がいたのか?」 「ええ。けど、もう撤収しちゃってるみたいですね……」 それから、朔夜さんに言われて辺りを見回してみるものの、境内には人っ子一人もなし。 有用な情報のお礼に撤去は求めなかったけれど、わたしが見つけた時には既に開店休業状態だったし、この閑散さではどのみち長居なんてするわけも無くってトコロだろうか。 (……でも、上手くいけばここにも賑わいが戻るかもしれないよね……?) 問題は、朔夜さんが素直に乗ってくれるかどうかだけど……。 「……それで依子、私も連れてきたのは掃除の手伝いか何かなのか?」 「ええまぁ、それもあるんですが、ちょっと重大発表もありまして……」 「重大発表、だと……?」 ともあれ、やがて社殿の中へ移動したわたし達は、あからさまに嫌な予感がするという朔夜さんの視線を尻目に、改めて丁寧に見回してゆく。 掃除と言われれば、普段のお勤めが済んでいないのは気分的に引っかかってはいるものの、ただ今はそれよりも……。 (とりあえず、特に大きく手を加える必要はないかな……?) 天よりの使いがいつ戻ってきてもいい様にと、それこそ造営されてからずっと代々で手入れは続けられているし、勝手に内装を変える訳にもいかないから、こちらは今まで通りで。 あとは、追加の石油ストーブが一つ二つ必要そうなのと、宝物庫から資料も探しておかなきゃならないとして、やっぱり一番肝心なのは当事者のやる気になるだろうか。 「依子、ここで一体何を始めるつもりなんだ?」 「……実はですね、もうじきこの神社が少しばかり賑わう時期が来るんです」 いずれにせよ、すんなりと話は進まないだろうなという覚悟は決めた上で、不安げに重大発表の内容を尋ね続けてくる朔夜さんへ順を追って説明を始めるわたし。 「ほう、これから祭事でもあるのか?」 「祭事とはちょっと違いますけど、実はこの国にはバレンタインデーという、好きな人にチョコレートを贈ってあわよくば想いを遂げようというイベントが来月にありまして」 まぁ、わたし自身にとってはイマイチ馴染みの薄い行事ですが。 「ふむ」 「となると、縁結びで有名なこの御影神社にも御利益を求めてお参りする方々が増えてくるんですが、そんな想いに応えてここ最近ではバレンタインデー直前に恋愛成就の祈願会を催していまして、これがなかなかに喜ばれているんです」 まぁ、最近は若者のバレンタイン離れとか何とかで減少傾向ではあるんだけど、実はこの祈願会の発案者は他でもないわたしなので、一人で神社の切り盛りを任される様になった今でも続けてゆく所存だし、ぜひ盛況して欲しいとも願っているわけでありまして。 「成る程、それで今年は私にも手伝えというのなら、勿論構わんぞ?何でも言うがいい」 そして、ここまでの説明で要点を理解してくれた朔夜さんは気安い様子で頷いてくる。 ……よし、一応言質は取れた。たぶん。 「まぁ端的に言えばそういうコトになるんですが……その祈願会でですね、朔夜さんには古の時代に降りて来て下さった伝説の天よりの使いになってもらおうと思っているんです」 「な……っ?!馬鹿なコトを言うな!お前は何を言ってるのか自覚しているのか?!」 それから、わたしは怒るかなと躊躇いは残しつつも思い切ってそう告げると、案の定、すぐに血相を変えた朔夜さんからお腹の辺りを掴みかかられてしまった。 「……でも、信仰心を集めなきゃいけないんですよね?だったら神様になってしまうのが一番近道だと思いませんか?しかも、わたしならそのお膳立てをしてあげられますし」 占い師さんにわたしと朔夜さんの出逢いは運命の導きかもと言われたけれど、だからこそ自分にしか出来そうにないコトは何だってしてあげたかった。 「だからといって、私に神と偽れと?!それがこの神域を奉ずる者の言う事とは……」 「でも、朔夜さん何でも協力するって言ってくれましたし。それに朔夜さんだって天から降りて来た元天使様ですから、少しだけ拡大解釈すれば全くの嘘偽りにはならないかなって」 「ぐ……っ、しかしだな……」 「もっと言えば、以前に降り立って来られたのは四百年以上も昔の話ですから、当時のことを見ている人もいなければ、ご本人様も今ごろはどうされているのか分かりませんし……」 まぁ確かに、巫女とは思えない罰当たりな所業なので畏れも呵責もないのかと言われれば嘘だけど、朔夜さんの為にも一緒に渡らなければならない橋だろう。 「…………」 「……依子、ちょっとだけしゃがんでくれるか?」 「あ、はい……?」 すると、そんなわたしへ朔夜さんは少しだけ黙り込んだ後に一旦手を離して一歩下がり、冷静に戻った様子で穏やかに促してくる。 「……では改めて。依子、君が我が身を顧みず私の為に尽くしてくれるのは嬉しく思う」 そして、言われた通りに朔夜さんの目線に合わせた高さまでしゃがみ込むと、今度は微かな笑みを浮かべつつ両手をわたしの肩へ乗せて感謝の言葉を告げてきた。 「……は、はい……」 「だがな、それでも決して踏み越えてはならない一線というものはあって、それを破ってしまえば、私だけでなく君まで神の怒りを買って……ん?」 それから、続けて今度は真剣な目つきでわたしを見据えて諭そうとしてきたものの、朔夜さんは言い終わる前に視線を横へ逸らせてしまった。 「え、何かありまし……あれ……?」 そこでわたしも振り返ってみると、社殿入り口の前に一枚の紙が屋根の上の方からひらひらと落ちてきていて……。 「…………?」 飛ばされて来たゴミにしては不自然だったので追いかけて拾い上げてみると、そのA4サイズくらいの紙には丸っこい手書きで「面白そうだから許可します 天よりの使者より」と大きく書かれていた。 「え、えええ、ええ……?!」 そこでわたしは慌てて紙が降って来た方を見上げたものの、屋根の上には誰の姿も見えず。 「あいつ……」 「え、えっと……本物……なんでしょうか?」 「……おそらくな。全く、何を考えているんだか」 その後、素直に信じるにはあまりにも唐突過ぎて戸惑うわたしの横で、朔夜さんが肩を竦めながら訳知りの様子で吐き捨てるように認め、これで本物なのも確定してしまう。 「よく分からないですけど……んじゃ、公認ってことでいいんですかね……?」 「……だろうよ。おそらく、ずっとこちらのやり取りを窺っていたんだろうが、わざわざ私の逃げ道を塞いでゆくとはな」 そして、「しかも、寧ろ面白そうだからやれという意志表示だぞ、多分」と付け加えてくる朔夜さん。 「は〜〜っ……」 だとしたら、その本物さんの存在がもの凄く気にはなるものの……。 「えっとまぁ、そういうコトならやっぱり予定通りにがんばりましょーね、朔夜さん?あはは」 今はそれより、せっかくの御厚意に甘えて朔夜さんの為に成功させるのが最優先である。 「やれやれ……ホントにどうしてこうなった……私……」 「ほらほら、ちゃんと観念してくださいよ?」 細かい事はさておき、とにかくこれから本格的に忙しくなってきそうだった。 * 「……さて、本日はあと朔夜さんの下着類の買い足しと食料品の調達が残っているんですけど、両方をゆっくり見て回るにはちょっと時間が遅くなってるんですよねぇ……」 「まぁ、境内ですっかりと長居してしまったからな……私はもう疲れたぞ」 やがて、日も落ちて辺りがすっかりと暗くなってきた頃に駅横のショッピングモールまで移動した後で、店内の時計で現在時刻を確認しつつ苦笑い交じりで告げて来る依子に、疲労感を隠すことなく頷いてやる私。 結局、あいつのお墨付きを受けて依子のやる気が更に燃え上がってしまい、社殿の片づけやら宝物庫での資料集めをようやく一区切りした時には、もう空が薄暗くなっていたのだから。 「まぁまぁ、残る用事もあと少しですから。……えっとそれで、わたしは今から三階の子供服売り場まで一人で行ってささっと見繕ってこようと思うんですが、その間に朔夜さんのほうは食料品を探していてもらえますか?」 「探していろといわれても、結構骨が折れそうなんだが……」 ともあれ、依子はそんな私へ宥める様にそう告げると、コートのポケットから購入物のメモ書きを差し出してくるものの、思ったよりも遥かに多かった買い物リストを見て気後れしてしまう私。 荷物自体はそんなに重くはないかもしれないが、品目は軽く二桁以上はあるワケで。 「あーいえ、どのみち今はレジも混んでる時間帯ですし、わたしが戻るまでの暇つぶしのつもりでのんびりと見回っていてくれればいいかなと」 「了解した。……どうでもいいが、邪魔が入らない状況だからってあまり趣味に走ったモノばかり選んでくるんじゃないぞ?」 しかし、すかさず依子が苦笑い交じりにフォローを入れてきたのを受けて、私もようやく頷いたものの、続けて忘れずに釘も刺しておくことに。 別に疑っているわけじゃあないが、私がこんな姿になった後の依子の言動を見ると、念押しだけはしておく必要はあった。 「もう、ここはそんなに変わったモノがあるお店じゃないんで大丈夫ですってば。それより、よく考えたら朔夜さんもこれってはじめてのお使いになるんでしょうかね?」 「……あと、私の後を付けたり録画しようとか考えずに、まず自分の役目をこなせよ?」 別に疑っているわけじゃないが、以下略。 「あはは、正直今の朔夜さんを一人にしていいのかなって不安もやっぱりあるので、出来れば見守ってはいたいんですけど、まぁ迷子になりそうだったらお店の人に言って呼び出しをかけて貰ってくださいね?」 「……依子の電話番号くらいは覚えているから、安心しろ」 というか、迷子のお知らせなど意地でも頼るかそんなもの。 「んじゃ、お願いしますね〜?……あ、それと一つだけなら好きなお菓子を入れてもOKですので」 「いいから、さっさと行ってこい!……全く……」 もう遅くなってきているから分担をしようというのに、逆に無駄な時間を食いまくってる様な気がするぞ。 * 「……よし、いつも使っているポン酢はこいつだったな」 そういえば、ポン酢のポンって何の事なんだ?というのはともかく、依子の奴は鍋料理が好きなだけに銘柄にも拘りが垣間見えるのが、いささか私には面倒くさい。 「何々、今度は卵だと。……練り物を探していた時にちらっと見たか……?」 ともあれ、あれから依子と別れた私はショッピングカートを押しつつ、メモ書きの上から順に一つずつ探しては放り込み続けていたものの……。 「……しかし、やっぱり面倒だな、こいつは……」 普段一人で買い物することが無かったので勝手が分からないのと、依子のメモの順番と陳列場所は必ずしも近いとは限らないというか正直バラバラなので、だだっ広いフロアを何往復もさせられる羽目になっているのが幼子になっている身にはなかなかの重労働だった。 (やれやれ、少々安請け合いしてしまったか……) ただでさえ疲れているというのに、場所が寒風の吹きすさぶ境内から暖房の効いた快適な施設内に変わっただけで、結局は歩き回らされているのに変わりはないという。 「……はー……」 とはいえ、今のこの姿では依子に貢献してやれるコトなど極々限られてしまっているのだから、せめて頼まれ事を向けられた時くらいはしっかりと働いて返さねば、元天使の名折れというものである。 ……まぁ、結局それもあの役を引き受けてしまった理由の一つなのだが。 (だが、やっぱり少しくらい休憩はしたいかもな……) 昼食であれだけ詰め込んだというのに、動き回った所為か小腹も減ってきた事だし……。 「…………」 と、気に入りのスナック菓子を頭に浮かべつつ菓子のコーナーを通りかかった所で、陳列棚の上段に現物が並べられているのが目に留まる。 「そういえば、うちのストックが尽きていたな……」 一応、リストには見当たらないが、確か一つだけなら追加しても構わないのだったか。 (よし、ならば遠慮なく……) と、私はショッピングカートを止めてそちらへ手を伸ばすも……。 「…………っ」 届かなかった。 昨日までの身体なら余裕で手に取れたのに、つま先立ちで目一杯背伸びしても僅かに届かない。 「く……っ、く……っっ」 大体、菓子とは子供の食い物だろう。 それが子供の手の届かない高さにあるとは何事……。 「よっと、苦労してるみたいね〜ロリフェル様?」 やがて、暫く悪戦苦闘しているうちに、見覚えのある軽薄な出で立ちの若い女が背後から不意に姿を見せてくると、私の代わりに菓子の包みを手に取って声をかけてきた。 「……勝手な仇名を付けるな。だったら貴様は何なんだ。さしずめ……」 「あ、あたしはヴァーチェだから。階級は中級第二位の力天使(ヴァーチャー)なんで、しくよろ〜」 それを見て、私も負けじと何かしら不名誉な仇名を付けてやろうとしたものの、その前にミカエルの部下は手に持った菓子の包みを押し付けつつ先に名乗ってくる。 「ふん、貴様の名などどうでもいい。それで一体何の用だ……?」 「もう、つれないなー。あれからどうなっちゃったのかと思って様子を見に来たんだけど、昨日の今日でもう復活してたのは流石に予想外だったわ。すげぇ」 「……まぁ、質量は見ての通り半減してしまっているがな」 「みたいね〜……しっかし……」 そこで、不機嫌さを隠さないまま押し付けられた包みを受け取りつつ、褒められたのか煽られているのか分からないセリフに肩を竦めて自虐気味に答えた私に、おそらくこちらへ赴任する際に自分で付けたであろう身も蓋も無い名を持つ諜報天使は、ニヤニヤと不快な視線を向けてきたかと思うと……。 「……なんだ?……」 「いや、あの熾天使ルシフェルがこんな可愛らしくおめかしして棚の上のお菓子を取ろうとぴょんぴょんって……ぷくく、あははははは!」 すぐに、腹を抱えて笑い転げ始めてしまった。 「ぐ……っっ」 「んでー、こんな可愛らしいおべべの下はどんなパンツ穿いて……うおうっ?!」 「おい……っっ?!」 「ちょっ、まさかと思ってたけどマジでアニメのプリントショーツて……もうやだ腹筋が死ぬ死ぬぅ〜うははははははは!」 しかも、そこから不意打ちでスカートまで捲られ、ミカエル達には死んでも見せたくなかったモノを目にしたヴァーチェが、更に涙を流してもだえ苦しみ始めてきたりして。 「…………っっ」 (もうやだはこちらの台詞だ、痴れ者が……ッッ) というか、本来ならば口封じも兼ねて即座に始末してやりたいのに、今はそんな殺気を具現化するチカラすら持ち合わせていないのがあまりにも口惜し過ぎる。 「ひー、いやぁこんな姿を堕天使の連中に見せてやったら一発で手を引きそうな気もするけど、でもこれで、また滅びの時まで一歩進んだってカンジ?」 「……ふ、ふん、もう少しくらいは足掻いてやるさ。それより、その魔界の連中の動向は?」 「んー、そういう情報をカンタンに流していいのかは分かんないけど、まぁ昨晩の二人はちゃんとこの街から撤退したってくらいは教えといたげる」 「そうか。……ま、天使軍の横槍が入ったならばそう頻繁にちょっかいはかけて来るまいよ」 果たして連中にとって想定の内か外かは知らないが、まぁミカエルの奴が睨みを利かせているのであれば、暫くは用心さえ怠らなければ平穏に過ごせるだろう。 ……ただ問題は、奴らがそれも踏まえて来襲して来た際に再び乗り切れる自信は全く無いというコトだが。 「ふーん、何だかんだであたし達の傘に着ちゃおうってワケだ?したたか〜」 「貴様らが勝手に付きまとっているだけだろうが。……さて、まだ買い物は残っているので私はもう行くぞ?」 ともあれ、私は手に持ったままだった菓子の包みをカートへ放り込むと、話は終わりだとばかりに背を向けてやる。 出来れば依子に引き合わせたくない相手なのもあるし、何より現役の天使と馴れ合うのは癪に障って仕方がなかった。 「まーいいけどね。つまり、魔界へ行ってあげる気はさらさら無いってコトっしょ?」 「……このまま大人しく消滅してやる気も、な」 となれば、やはりここは素直に“奴”の好意……いや、手玉に取られてやるしかないか。 「ち……」 ムカつくが、まぁいい。 これは依子の為でもあるのだから、そう考えた方が元天使らしいだろう。 (ふん……) ……尤も、現役時代の私がそんな考えを持った記憶は無いが。 「……うむ、やはりここだったな。これで卵も見つけ……」 「あら、まだ小さいのに偉いわねぇ。お母さんのお使いかしら?」 ともあれ、それからまた少々歩く事にはなったものの、記憶を辿った通りに次の目的の物を見つけ、幾分かの満足感を覚えつつ卵のパックを手にした所で、買い物かごを腕に下げた初老くらいの女に横から声を掛けられてしまう。 「む?……いや、別に母親の使いなどではないが……」 しかし、自分には母親の記憶など無いし、家を出る前に両親について訊ねられた際にもそう答えてやったら、依子の奴が両手を広げて「わたしをママと呼んで甘えてくれてもいいんですよ?」とか言い出して鳥肌が立ってしまったので、そこはきっぱりと否定してやる私。 ……というか、こんな姿だと黙って買い物もさせてもらえないのか。 「今日は一人でお買い物?見つからない物があったら手伝ってあげましょうか?」 「それには及ばん。もう大分見つけ出したからな」 ついでに、知らない人には付いていくなとも言われているし、どうか放っておいて欲しい。 「ふふ、おりこうさんね。今おいくつ?」 「…………っ」 そこで私が言葉にする代わりに態度で素っ気無く突き放すも、いかにも主婦といった風体の女は構わず柔和な笑みを浮かべて頭を撫でてくる。 (ち……少なくとも、貴様の十倍以上は歳を重ねていると思うがな) 子供の扱いは慣れているとでも言わんばかりだが、全く、馴れ馴れしい年増女だ。 先程から褒めているつもりだろうが、私には屈辱でしかないのをいい加減に察して欲しい。 「ええい、離れろ……っ」 「あらあらゴメンなさい、人見知りしちゃったかしら?」 「……そうじゃなくてだな……」 (……ん……?) そこで、とうとう募った苛立ちそのままに振りほどいて睨み付けてやったものの、やがて引っ込めてある背中の翼へ活力の様なチカラが微かにだが注入された気がして、言葉が止まってしまう。 (もしや……) 「ふふ、邪魔してごめんなさい。んじゃ、お手伝い頑張ってね?」 「あ、ああ……」 なるほど、そうか。 ……こういうのも、信仰心の一種というワケか。 「朔夜さーん、お待たせしました〜♪」 「……依子か。ふむ……」 それから、今度はようやく無条件で心を許せる相手の声が背後から届いて、安堵を覚えつつも振り向かないまま生返事をする私。 「およ、何だか元気がないですね。さすがにヘトヘトになりました?」 「まぁ、それもあるが……」 どうやらやっぱり、神霊力(チカラ)を取り戻すには、依子だけじゃなく数多くの他人も今の私には必要らしかった。 と、なれば……。 「あるが?」 「……ふふ、私も少しだけ楽しみになってきたかもな」 「え……?」 「いや、なんでもない。……では、さっさと買い物を済ませて次へゆくぞ?」 「は、はい……!」 果たして、一条の光となり得るかは未知数だが、少々気張ってみる価値はありそうだ。 次のページへ 前のページへ 戻る |