知な堕天使(ルシフェル)さんは一途で積極的な巫女さんに篭絡される その4

第六章 堕天使が地祇をやってみた

「さぁさぁ、らっしゃいらっしゃい〜、今年は神様から直々に御加護を賜れていつもより御利益あらたかだよ〜安いよ〜♪」
「ちなみに、数は充分に用意していますので、どうか押さないでお並び下さいね?」
「……ほら、えにちゃんもここで押しの一言〜」
「う、うむ……本日は想いの丈を祈りや絵馬に認(したた)めてゆくがよいぞ。我が翼に賭けて可能な限り応えよう」
「ホントですか?!……えっと、ちなみに相手候補は何人まで可です?」
「……知らん。いいから好きなだけ祈ってゆくが良かろう」
「おお、太っ腹です縁比売様〜♪」
(神様から直々、か……私には悪い冗談だが……)
 やがて、文字通りに神をも恐れぬ計画を依子がぶち上げ、その準備期間として半月程度を経た二月の大安吉日、私は臨時の手伝いを含めた白衣と緋袴に身を包んだ三人の巫女を伴い、かつてこの地に降臨した天よりの使いとして、久々に天使の姿で一心不乱に祈る者達の前に姿を晒していた。
「……どーでもいいけど一葉、御守りは叩き売りするもんじゃないから……あ、お伺い致します」
「すみません、それじゃこの二つを……」
「では、合計で千円のお納めになります。……では、縁比売様よろしく」
「うむ、心得た。……しばし待つがよい」
 それから、一葉の売り込みに引き寄せられたのか、隣で応対をした帆立が丁度売れたばかりの恋愛成就の御守りと、永遠の絆を結ぶ願いの込められた紅白二本組の縁結びの紐をこちらへ差し出してきたのを受け、私はそれを一つずつ両手で包み、眼を閉じて最早縁は切れたはずの神へ向けて祈りを捧げた後で、購入した参拝者へ直接手渡してゆく。
「……では、本日はよくぞ参ったな。汝に神と縁の加護のあらんことを」
「は、はい……!がんばります……っ!」
 ……とまぁ、私の役目は賽銭箱の向こうから祓い棒を振り続ける依子の後ろ姿を見守りつつ、こうやって頒布したお守りなどにその場で加護の祈りを加えて参拝者を喜ばせる程度なのだが、これがなかなか忙しかった。
「も〜、何をおっしゃいますやら帆立ちゃん。去年なんて目に見えてお客さんが減ってきてたのに、今年はグイグイと攻めなくてどうすんのってもんよ。ねー甘菜ちゃん?」
「……む、そうなのか?」
「あはは……。確かに去年はこの半分くらいしか集まってなかったから、朔夜さん……いえ、天津縁比売命のお陰ですかね?」
 まぁ、単純に私がここに立っているだけで集客力が上がって甘菜家の家計が助かるというのならば、その為だけに一肌脱ぐのもやぶさかではないというものだが。
(……それにしても、依子には悪いが、こんなにも人が集まる場所だったとはな……)
 ともあれ、快晴にも恵まれた本日の御影神社には、バレンタインとやらに向けた恋愛成就を祈念すべく受け付け開始時刻から若い女性を中心に大勢の参拝客が訪れていて、境内は確かに普段とは比べものにならない賑わいを見せていた。
 それもこれも、今年は古よりこの地に伝わってきた縁結びの地祇が天より再臨したという告知広告を依子達が作ってばら撒いたからみたいだが……。
「しかし、あの満月の夜に見た翼を生やした娘さんは、やっぱりそういうコトだったんだねぇ?……なんかちょっと縮んでしまっているけど」
「ええ、御影神社の娘としてひと目でピンと来まして。子供の姿におなりなのは少しばかり弱っておられるからなんですけど、神様なので皆さんの信心があればまたお元気になられると思いますよ?ね、縁比売様?」
「う、うむ。信ずる者は救われる、という言葉通り、本日は格別に敬うが良いぞ」
 そして、依子の口からいきなり身も蓋もない言葉が出てきたのにこちらの方が少々驚いたが、そういうコトを不自然なく言えるのも神の特権というものだろうか。
「はいはい、ちゃんと拝ませてもらいますよ。お参りを欠かさなかったご先祖様の分までねぇ」
「けど、あの夜はあたし達も居合わせてたのに、写真は撮れてないし学校で甘菜ちゃんに聞いても曖昧なコトしか教えてくれないしで、なぁんか怪しいとは思ってたんですよねぇ……」
(ふむ……)
 ともあれ、正直言えば成りすます後ろめたさよりも、皆が素直に信じるのかという方が疑問だったものの、この依子らと親しげに話す年配の女を含め、自分が墜ちた夜に居合わせた者達によって御影神社の社殿へ有翼の少女が出没した噂は巡っていたらしく、気分的には複雑としても、どうやら都合よく勘違いされているみたいだった。
 まぁそれもこれも、この地に根付いていた信仰の歴史と、後は……。
「でも、あの晩は裸だったから心配したけど、今日は素敵な衣装ねぇ?」
「えへへ、実はメインでデザインしたのわたしなんですよー」
「うんうん、あたし達の巫女装束と違う感じで凄くそれっぽく見えるよねー?」
「っぽく見えるんじゃなくて、そのものでしょ。まったくバチ当たるわよ?……あと、忙しいんだからちゃんと仕事して」
「へぇい……口うるさい嫁だなぁ……」
「誰が嫁よ……ったく」
「ま、確かにお前からは少しばかり依子と似通った面も感じるが……」
「ふふふ♪」
(やっぱりこの衣装効果、なのか……?)

                    *

「……おお〜っ、よくお似合いですよー朔夜さん!」
 いよいよバレンタインデーとやらが直前に迫る中で祈願会を翌日に控えて衣装合わせする事になり、学校帰りに受け取ってきた特注の神衣(かみころも)を着せられた私の姿に、依子は興奮した様子で満足そうに頷いてくる。
「はぁ〜っ、わたしの同居人が天使過ぎてつらい……」
「……いや、元天使だが?」
(というか、正直言えば“いかにも”過ぎて半分は道化師の衣装だな、これは……)
 姿見で細部を確認してみると、ベースの色は白で統一されながら幾重に布が重ねられた複雑な構造になっていて、胸元には翼を模った結び方をされたリボンや、止め具を必要とする程に大きな袖には羽根の刺し繍が縫い込まれていたりと、随所に天使のシンボルが意識されているのが見て取れていた。
「折角なので、今の朔夜さんの体形に合わせて神秘的かつ可愛らしさをテーマにしてます♪ただ、当日は天使の翼を広げていてもらうので、そちらの邪魔にならない様にこれでも抑え気味なんですけどね、あはは……」
「まぁ、私は基本なんでもいいというか、依子に一任しているつもりだが……」
 そろそろ子供服にも慣れてきた頃だし、確かにこれみよがしだろうが分かり易くて目立つ方が有利というのも分からんでもない。
「何か気になる点でも?」
「いや、下半身の方が結構涼しいんだが……」
 ただ、腰回りには紅色の長帯が巻かれて上半身は重ね着状態なのに対し、そこから下は短めのフレアスカートになっていて、膝上までは同じく純白の二ーソックスは履いているものの、そこから先の太ももは素肌の上に下着だけと、少々心もとないような。
「まぁまぁ、そのニーハイは厚めの生地ですし、寒ければ毛糸のパンツでも出しますから」
「いや、そういう問題じゃないというか、どうしてスカートなんだと言うべきか……」
 そもそも、翼での飛行移動が基本の天使がこんな短いスカートなど履いて活動しているものだと思っていたのなら、甚だしい勘違いと言わざるを得ないのだが……。
「まぁ和洋折衷といいますか、御影神社の宝物庫に資料が残っている、当時の現地人が天よりの使いに捧げたとされる白装束をベースに、西洋の天使の衣装イメージの取り入れでボトムはスカートにして、そして胸元のリボンはアイドル服の可愛らしさも盛り込んだ、色々いいところ取りのワンオフものです。まぁイチから作ったんじゃなくて繋ぎ合わせですが、協力してくれた被服部のみんなが二週間かけていい仕事してくれましたよ♪」
「……捲し立てられても意味が分からん。というか、アイドル風ってなんだよ」
「まぁ初期案の名残といいますか……。実はですね、最初は朔夜さんには神様じゃなくて市が募集している御当地アイドル(ロコドル)に応募してもらおうかとも考えたんですけど、さすがに色々と無理があり過ぎだったので断念したという経緯がありまして……」
「全く、協力してくれるのは有難いが、無茶ばかり考えるな……」
 この神社に奉られている神に成り代われと言われた時は正気を疑ったが、その以前はもっと無理難題を企てていたとは……。
「それにしても、サイズもぴったりみたいですね。着こなしも完璧です♪」
「まぁ、それはそうだろうよ……」
 いつだったか、夕方に居間でくつろいでいた私の元へ依子が同じ制服姿の三人を連れ帰って来たかと思えば、その場で裸にひん剥かれて採寸と称して念入りに調べ上げられたのだから。
「あとは、完成までにさらに縮んでしまわないかも心配だったんですけど、念のために毎日肌を重ね合わせたのも効果ありましたかね?んふふふふ♪」
「重ね重ね、全く……」
 この熾天使ルシフェルが無様な姿になるだけでなく、我が身惜しさで小娘どもの辱めに甘んじ続ける羽目になろうとは……。
(……これがお前らの仕組んだ私の贖罪か、ええミカエル……?!)
 正に、堕ちた天使とは言い得て妙なのかもしれなかった。
「とにかく、これでいよいよ本番を迎えるだけですね! 縁比売命様の降臨が決まり祈願会の案内チラシも急遽差し替えたんですが、学校や町内の反応を見ると食い付き良さそうですよ?」
「……それで、具体的には当日この私に何をさせようというんだ?」
 ともあれ、衣装合わせも無事に終えた後で、明日が楽しみと言わんばかりの笑みを浮かべる依子へ、まな板の上の鯉も同然の心地で訊ねる私。
 実は、まだ自分の役目の内容は全く聞いていないんだが。
「基本的には私の後ろでふんぞり返って存在感を示していてくださればいいんですが、明日に頒布する絵馬やお守り、あと紅白の紐を求めてくれた参拝客の方々にちょっとした加護を込めて手渡しをしていただければ」
「加護と言われても、いちいち神霊力を込めていたらあっという間に干からびてしまうぞ?」
「まぁ、そこは何となく参拝者の恋が実ります様にって念じて差し上げれば充分かと」
「適当だな、おい……」
「とはいえ、わたし達にできるのは、縁結びの神様が付いているんだからという背中押しをして差し上げる程度で、結局は本人の信心と勇気と努力次第かなって」
「いや、そうかもしれないが……」
 そんなので、本当に信仰心など集まるのだろうか……。
「……それに縁結びと言われても、場合によっては全員の願いを漏れなく叶えられない場合もありますから……」
「依子、お前……」
 今、ちょっと黒いオーラが見えたぞ。

                    *

「…………」
 ……とまぁ、繰り返すが祈願会が始まるまでは不安しかなかったものの。
「縁比売様、今度は絵馬にお願いします」
「うむ。しっかりと言霊を込めて認め、精進するがよい」
「ありがとうございます!きっと上手くいきますよね!」
 何だかんだで、参拝客は私の祈りの付加に喜んでいるし……。
(……お……)
 まだ微弱な程度ながら、こうやって参拝客と触れ合ってゆくうちに、本日は全開状態の翼へチカラが宿るのも感じ取れていて、どうやら依子の目論見は的中しているらしかった。
「では、これがお次の方の分です、縁比売様」
「……承知した。私を信じる者へ誠心誠意を込めて祈ろうではないか」
 こんな私などの加護で良ければ、だが。
「ん〜だけどさ、せっかくそんな衣装なんだし、そこでお守りを手渡してるだけってのも何だか勿体ないよねー甘菜ちゃん?」
「そうなんですよねー。実はわたしも社殿をステージにして歌って踊ってもらおうかなとも考えたんですけど、さすがに色々怒られそうかなって……」
 ……と、気合を入れ直したのも束の間、一葉が無責任なコトを言い出したかと思うと、依子も苦笑い交じりに初耳だった無茶振りを告白してくる。
「誰がするか、そんなもの……!というか、いい加減にアイドルから離れろというに……」
 全く、本人の許可を得ているからといって好き勝手し過ぎ……。
「え〜、せっかくの特別衣装なんだからやって下さいよ〜?!」
 しかし、脱力させられつつ即座に突っ込みを入れた私へ、今度は見覚えのある三人組の女子学生が顔を出して話を蒸し返してきた。
「げ……お前らは……」
「あ、白雪(しらゆき)さんに海棠(かいどう)さんに山芹(やませり)さん、来てくれたんですねー♪」
 一度しか会っていないが忘れられるはずもない、拒否権の無い私を散々弄んで辱めた、この衣装を製作した連中である。
「やほ、陣中見舞いにね。わたしは正直バレンタインはキョーミ無いんだけど」
「そうそう。せっかく一生懸命作ったのに、着るのは今日限りかもしれないんでしょ?だったらもっとカワイイとこ見せてくださいよー」
「ちなみに、そういうコトもあろうかと、ゴテゴテしてる割に動きやすい構造にはしてるんですから〜」
「それは気付いているが、やらないと言っているだろう……。というか、参拝でないならお引き取り願うぞ」
 そもそも、神事での舞なら依子ら巫女連中がやるもので、神は捧げられる側だろうに。
「ん〜。けど、やっぱり少しくらいは皆さんの目を引くパフォーマンスもやってみた方が信仰心集めに効率いいんじゃないですか?」
「う……」
 しかし、それでも本日の依子は味方とは限らないらしく、そこから畳み掛けられた尤もらしいフォローに揺さぶられてしまう私。
 ……まぁ確かに、信仰心集めと言っても、結局は喜ばせてやる事ではある、か。
 いつぞやは、そうやって女児(の姿になった私)が独りで使いをしている姿を微笑ましく感じたらしい女からも僅かに補充出来た訳であって。
「しかし、いきなり歌い踊れと言われてもな……」
「あはは、さすがに歌えとまでは言いませんし、これから流すバレンタインソングに合わせて適当に身体を動かしてもらえればってくらいなので、そんな気負わなくても大丈夫ですよ?」
「ちなみに、参考までにこんな感じで〜」
 そうして、何だかんだで私もその気になりかけてしまった所で、依子が自分のスマートフォンと自室で普段使っているスピーカーのセットを取り出して更に話を前に推し進めると、すさかず三人組の一人が持参してきたスケッチブックを広げて簡易な踊りの流れが描かれた絵を見せてきた。
「……ちょっと待て、お前ら用意周到過ぎないか?」
 もしや、事前に言われれば私も断固断るだろうからと、最初から当日に頃合いを見計らって持ち掛けるつもりで……。
「まぁまぁ、ほら参拝客の人たちも何が始まるのかと期待してますし」
「そーそー、悩んでる時間も勿体ないですよ〜?」
「……分かった分かった……少しだけだぞ……ったく……」
「お、やっとやる気を出してくれましたね?……ではご参拝の皆さん、これより天津縁比売命より恋愛成就を祈念した舞をご披露頂ける事になりましたので、どうぞ暖かい拍手でお迎えくださいー」
 それから、遂に浅ましくも渋々了承してしまった私に依子は満面の笑みを浮かべると、何時の間にやら設置完了させていたスピーカーからとても神事に流す音楽とは思えない俗っぽい曲が再生されてきた。
(む、むむ……?えっと、こうか……?)
 ともあれ、流れてきたのが依子の好きな女性アイドルのものであろう、テンポの速めな歌だったのでいきなり面食らってしまったものの、ともかく即興の催しと気持ちを割り切らせた私は前奏が終わった頃合いに合わせ、スケッチブックの振り付け絵を参考に恐る恐る手足を舞わせ始めてゆく。
「…………っ」
 ただ、勢いで了承したのはいいものの、観衆の視線を浴びて一人だけ踊るというのは相当恥ずかしいのだが……。
「うはぁ、やっぱり可愛いです〜♪」
「あはは、曲と動きがズレまくってるのがまたいいよねー?」
「そうそう、このぎこちなさが……うう、鼻血出そう……」
(……うるさい。適当でいいといったのはお前らだろう……)
 それでも、褒められている気はしないが依子達の嬉しそうな反応や、他の参拝客からも手拍子や似た歓声が飛んできている辺り、どうやら掴みは悪くない様だった。
(ふむ、だがなかなかの好感触みたいだな……?)
 しかも、そんな反響に合わせて広げた翼へこれまで以上に活力が注ぎ込まれて来るのも感じられるし、確かに恥を忍んで骨を折ってみる価値はあるのかもしれない。
(ふはははは!では乗ってやろうではないか、依子達の謀計に)
「さく……縁比売様〜。素敵ですよ〜♪」
「んじゃ、あったまって来たトコロで、こんな感じでお願いしまーす」
「……ああ、任せておけ」
 そこで、気分も乗ってきた私は続けて向けられた要求に応えるべく、今度は曲が切り替わって調子が変わったのに合わせ、飛べないまでも天使の羽根を派手に散らせつつ、広げた翼を自在に操って手足の動きと華麗に連動させてゆく私。
 段々と場に慣れてくるうちに、少しばかりは振り付けを意識する余裕が出てきた事もあって、最早この程度は朝飯前である。
「わ〜、半透明の羽根が綺麗……!」
「鳥とは違う感じだけど、なんかカッコいいよね〜?」
(ふふん、存分にこの私を崇めるがいい……!)
 一応、翼を顕現したりこうやって動かすだけでも微量の神霊力は消耗してしまうものの、これも参拝客を魅了して信仰心を集める為の元手と思えば安いものである。
 ……というか、現に今の時点でも消耗するより熱視線から注がれる神霊力の源の方が遥かに多いのだから。
「ああもぅっ、かわいいっ、マジ天使さま〜〜っ!」
「こっち向いてください〜♪きゃーーっ」
 それから、真冬にも関わらず場内は熱気を帯び、いつしか全霊を込めて舞い踊る自分の額にも汗を滲ませつつ、すっかり気分も昂揚してきたのに任せて、私が依子達の他に黄色い声援を送って来る者達へ向けて手を振ったり片目を閉じたりしてやると、更に翼へ大きな感情のチカラが反響されて来る。
(まずいな、これは下手したら味をしめてしまいそうだ……)
 予想より遥かに高い対価を受け取れそうなのもだし、私自身、あの戦に敗れてからは惨めで忸怩たる思いばかりさせられて来ただけに、どういう形であれこうして久々に熱賛の視線を浴び続けているのはすさまじく快感だった。
(アイドル、か……案外悪い案じゃなかったのかもしれないな)
 ……お陰で、そんな思考まで芽生え始めてきてしまっているし。
「ふわぁ、やっぱり天使様の綺麗な翼にその衣装は良く似合いますね……。ホント動画に残せないのが残念ですけど最高ですよ〜♪」
「ふふふん、そうだろうそうだろう♪さぁ次はどうして欲しい?」
「あはは、思ったよりちょろ……もとい、サービス精神旺盛で嬉しいですよ。んじゃ、最後は私からのリクエストで、締めくくりにあざと可愛い決めポーズでお願いします〜♪」
「よし、心得た……!」
 ともあれ、依子からのラストオーダーでようやく終わりが近付いているのを察した私は、今流れている曲が締めに入った頃合いでめい一杯まで広げた翼を華麗に翻しつつ舞台の中央まで戻ると、最後に大きく一回転した後で、リクエスト通りに躊躇いなく指を伸ばし両手をクロスさせた決めポーズできっちりフィニッシュして見せた。
「きゃ〜〜っっ!!」
 ふ、決まった……!
(……ふふん、やはり私がその気になれば出来ない事などあり得ないというコトだ)
 さぁ、後は存分に熱き礼賛を私の翼に注ぎ込むが……。 
「……いや、これはさすがにマジ引くんでスけど……」
「…………ッッ」
 と、大きな喝采に包まれて悦に浸りかけたものの、いつの間にやら最前列に現れていた天使軍のエージェントが引きつった顔を見せてきたのを受けて我に返ってしまう私。
「お、おまっ、貴様は……?!」
「……え、お知り合いですか?」
「依子に紹介する程の仲でもないがな……と、というか、こ、こここんな所まで一体何の用だ?」
「……いやぁ、このビラを見た時に目を疑ったんで確かめに来てみたんだけどさぁ……もうなりふり構わずそこまでしちゃうんだなぁって……」
 ともあれ、拍手や縁比売コールが止まない参拝客達へ手を振りつつも後の応対は依子に任せ、私は招かれざる珍客へ務めて冷静に用件を尋ねると、確かヴァーチェと名乗っていたミカエルの部下は町中の掲示板に貼っていた天津縁比売命の降臨を告げる手作り広告ビラの現物を見せた後で、深いため息を吐いた。
「……ふ、ふん。神である以上は皆からの信仰無くしては成り立たぬ存在故に、この私とて必死というコトだ。……というかお前も祈願者じゃないだろう、邪魔だからさっさと帰れ」
「はいはい……けどま、あまりハメ外し過ぎるのもどうかと思うんだけどね〜、明けの明星様?」
「う……っ」
 そういえば忘れていたが、私はこいつらを通してミカエルの奴に監視されているんだったか。
「…………」
 と、いうコトは……。
(……うああああああああ……っっ?!)
 それから、ようやく自分のやらかしを自覚して、思わず頭を抱えてしまう私。
 全て筒抜けというのに、なにがアイドルデビューだ。いくら神霊力が戻ろうが、そんな姿をあいつらに見られて天界中に知れ渡ったら……。
「え、縁比売様……?」
「……あーいや、舞いの疲れで少々眩暈はしてきたが、問題ない」
 ……とはいえ、本日の私は四百年の昔にこの地へ舞い降りて恩恵を齎し、以後も地元の民の信仰を受け続けてきた天津縁比売命。
「大丈夫ですか?少し休憩入れます?」
「それには及ばんが……とにかく、時間も限られている故に戯れはこれにて仕舞いとするぞ。……ほら、次はいずれに加護を与えれば良いのだ?」
 私は古い知人の為にも気を取り直すと背筋を正し、心配そうな顔を見せる依子達を諭して仕切り直してゆく。
「あ、はい……!順番待ちになっているので、確かにそろそろ真面目にやりませんと」
「は〜、せっかくいいモノ見せてもらったんだし、アンコールもやりたかったなぁ」
「……お前ら、巫女の分際でいつまでも神を弄ぶんじゃない!全く、どいつもこいつも……」
「あはは、だって四百年ぶりの御降臨ですから〜」
(ふん……)
 ……尤も、皮肉な事に今の私を押し上げるのはそういった者達なのだろうが、な。

                    *

「……それじゃ、みなさん本日は遅くまでお疲れ様でした〜」
「は〜〜、ほんと疲れたよ……やっぱ労働は1日8時間までだよね……」
 やがて、期待以上の盛況で今年の祈願会の受付時間が終了し、大雑把に後片付けを済ませて社殿も閉めた後で改めて労いをかけると、一葉さんが手足を伸ばしつつ疲れきった様子でため息を吐いてくる。
 ……それもそのはずで、例年では朝九時から午後五時までとしていたのを、今年は急遽縁比売様に踊ってもらって費やした遅れもあって二時間ほど延長したところ、日が暮れても参拝客は途絶えることがなく、結局受付終了した時にはすっかりと夜の帳が下りていたのだから。
「攻める時に攻めないとって言ってたのはあんたでしょ、一葉。……でも、大変だったけどその甲斐はあったかしら?」
「ええ、ほんとおかげさまで♪今回のアルバイト代は楽しみにしていて下さいね?」
 とはいえ、帆立さんの言葉通りにそれだけの価値があったのは明らかなので、疲れながらも達成感に満ちていて心地よくもあるんだけど。
「そりゃもう、期待してるからね〜?むふふ……」
「お年玉も使い切っちゃった頃だし、地味にアテにしてるから助かるわ」
「いやもう、こちらこそいつもアテにさせてもらってますから。それと……」
「なんといっても、今年は縁比売様のお陰よね?」
「ありがたや〜、ありがたや〜」
「ん……存外に忙しかったが、終わってみると呆気ないものだな……」
 その後、わたし達が本日の主役となった天使様へ水を向けると、朔夜さんは衣装を着崩したまま一人ぼんやりと月を見上げつつ、独り言のように呟き返してきた。
(朔夜さん……?)
「うん、お祭りの後ってちょっと寂しくもあるよね……?いっそ、明日もやっちゃう?」
「……いや、私はもう普通に疲れたから……」
「あはは、もう頒布するものも売り切れてますしね。……じゃあ後はわたしがやっておきますので、一葉さんたちはお先にどうぞ」
 それを見て、実は日が落ちる前の頃から朔夜さんの元気がなくなってきていたのを気にしていたわたしは、この場を一旦お開きにしようと一葉さん達へ頭を下げる。
「お先にって、今年はファミレスで打ち上げしないの?」
「え〜、去年は反省会になっちゃったけど、せっかく今年は祝杯あげられそうなのにー」
「わたしも出来ればみんなでお祝いしたかったんですけど、どうやらうちの神様がお疲れみたいなので……」
 すると、帆立さんたちが毎年の締めの食事会はやらないのかときょとんとした顔を見せるものの、余程疲れたのか社殿の縁側に座り込んでしまっている朔夜さんを一瞥しつつ、苦笑い交じりに改めてお断りを入れるわたし。
 まぁ、これは朔夜さんの心労が心配だったのも半分で、もう半分は方便なんだけど。
「あ〜、まぁいきなり無茶振りもやっちゃったしなぁ……」
「ほんと、一緒になって煽ってたけどバチが当たっても知らないからね、一葉?」
「ひど……っっ、そういう帆立ちゃんだって楽しんでたじゃないさ〜?」
「……いや、私に構う事はないぞ依子?三人で行ってくればいい」
 しかし、傍らで騒ぐわたし達に朔夜さんは視線を星空へ向けたまま、素っ気無く促してきた。
「え……?でも……」
「私はもう暫くだけ此処に留まっていよう。……無論疲れもあるが、私とて独りにして貰いたい月夜もあるものだ」
「で、でも、ご飯とかどうするんですか……?」
「…………」
「……いこっか?甘菜ちゃん」
 それから、食い下がるわたしに朔夜さんがとうとう黙り込んでしまったところで、一葉さんがぽんと肩を叩いてきた。
「で、でも……」
「ほら、神様に仕える巫女さんなら、こういう時は気を利かせてあげるものでしょ?」
「…………」
「……分かりました……」
 そして、続けて帆立さんからも同じく肩を叩かれて諭され、渋々頷くわたし。
 ……本当は、朔夜さんがというより、参拝者の人気を集める姿を見てモヤモヤとしていたわたしの方が癒されたかったんだけどなぁ。
 とまぁ、身勝手極まりない言い草ではあるとしても。
「ふむ、我侭言ってすまんな、依子……」
「いえ……でもだったら、社殿(おうち)を開けときましょうか?」
「それには及ばん。気が済んだら先に帰宅しておくつもりだ」
「んじゃ、あまり遅くならないで下さいね……?」
「……ああ、依子もな」
 まぁ、家の合鍵は渡しているし、誰も寄せ付けない空気を纏って独り佇む朔夜さんの姿を見れば、ここはいったん黙って先に立ち去るしかないんだろうけれど……。

                    *

「んじゃ、とりあえず今年もお疲れ〜♪」
「ええ、去年がヒマだった分、二年分くらい働いたかしら?」
「あはは、それじゃ来年もこうありますようにって願い込めの乾杯ですね」
 ともあれ、それから朔夜さんを置いて先に神社を下りたわたし達は、去年も打ち上げをやった近所の国道沿いにあるファミレスで、ドリンクバーから調達してきた色とりどりの飲み物が注がれたグラスを重ねて互いを労っていた。
「ホント、お昼をゆっくり食べるヒマすらなかったもんねー?さぁ食べるぞー」
「お陰さんで、差し入れで頂いたおむすびとお茶だけだったわね……。一昨年も去年もどっちかが途中で近くのコンビニへ買い出しに行くくらいの余裕はあったのに」
「んー、やっぱり次は軽くつまめるお弁当でも作って持参した方がいいですかね?」
 元々小食なのか自分から空腹を訴えられたことはないけれど、もしかしたら朔夜さんにもひもじい思いをさせてしまっていたのかもしれないし。
「それにさぁ、巫女さんのカッコのままで行くとヘンに目立って面倒くさいんだよねー。あたし去年なんて店から出たトコロで待ち構えられてナンパされたし」
「……それ、初耳なんだけど。というか、縁比売様にバチを与えて貰える案件かしら?」
「さ、さぁ……。朔夜さんも昔と違って力が弱まっているみたいですし……」
(……だから、やっぱり一人にしておくのは心配なんだけどなぁ……)
 ……と、置いてきた朔夜さんを思えば、こうやって慰労会をしていても気分が晴れないものの、せっかく毎年一緒に切り盛りしてくれている一葉さんたちを蔑ろにしたくもないので、とりあえず気にする素振りは見せないようにして苦笑いを返すわたし。
「……でもさー、ヘンに目立つといえば、あの “えにちゃん”もこれからは町内を歩いてるだけですっごく目立っちゃうんじゃない?むぐむぐ……」
「え……?」
 ともあれ、それから空腹の赴くがままに注文した単品料理が次々と届くのに合わせて片っ端から頬張っていた中で、一葉さんがふと思い出した様に切り出してくる。
「まぁね、もしかしたら幽霊だったのかもと噂されていた謎の女の子が実は伝説の天使様でした、ときたもんだし。久々に天使の翼を見せて貰ったけど、誰が見たってホンモノでしょ?」
「……そ、それはもちろん……」
 一応、飛べなくなってはいるみたいだけど、それでも朔夜さんの身体の一部として動いているのだから、「生きている」翼に違いはない。
「これで、明日からはもう気軽にお使いとか頼めなくなるんじゃなぁい?道行く人からサインとか握手とか求められちゃったりしてさー」
「……まぁ、元々そんな頻繁にお使いを頼んだりもしてないですし、どちらかと言えば知らない人は寄せ付けないタイプだから大丈夫かなと」
 それに、信仰心集めという目的の上だから、むしろもっと沢山の人たちと触れ合う機会に恵まれて人気者になってゆくのは望ましいはずだった。
「…………」
 ……はずだし、自分でそうなる様にも仕組んできたのに、いざとなると素直に喜べないわたしもいたりして。
「あはは、これでまたしばらくは天使様が舞い降りた街だねー。……けど、いつまで居てくれるのかな?」
「え……?」
 それから、もやもやとしていたところへ一葉さんから更に思いもよらなかった素朴な疑問を続けられて、雷でも落ちたように一瞬固まってしまうわたし。
「だって、大昔もお仕事が終わったら天へ還っちゃったんでしょ?」
「やっぱり、今回も頃合で帰ってしまうのかしらん?甘菜さんは予定とか聞いてる?」
「さ、さぁ……。朔夜さん、あまり自分のコトは話してくれませんから……」
 一応、天界を追い出されてしまったワケアリの身というくらいは聞いているとしても、それは街の人にはナイショにしておく約束だし。
「…………」
 ただ……。
(いつまでここに居てくれる、か……)
 そういえば、今まで考えたことなかったな……?

                    *

 月が綺麗な夜だった。
 確か、私がここへ墜とされたのも一際大きな煌月が美しい夜だったが、気付けば人間界で暮らし始めて一月程度が経とうとしているらしい。
「…………」
 天使時代より、月には強い思い入れを感じていた。
 昼間を光で照らす太陽に対して、夜闇を司る月。
 ……それはまるで、神と自分の関係そのものだからだろう。
(……確かに、この私に魔王はお似合いなのかもしれないな……)
 しかし、それでも私は魔界からの迎えを拒み、こうして失われた天使のチカラを取り戻そうと足掻きつつ、人知れずに再び返り咲く道を模索している。
「…………」
 最早、再び叛逆を起こして神に成り代わりたい野心など、いつまでも私の心に燻り続けている訳でもないが、それでも不思議な位に天使というものに対する執着は消えないままだった。
(ふん、とんだお笑い種(ぐさ)だ……)
 唯一神の支配から脱却したくて謀反まで起こしながら、操り人形だった天使の自分を捨てきれないとはな。
「…………」
 いや、ともすればそれはこの地へ墜ちた後の心変わりで、その原因となっているのは……。
(依子、か……?)
「……ふっ、そいつはますますもってお笑い種(ぐさ)だな。この私が……」
「……全くです。あの熾天使ルシフェルが、その様な道化にも等しい姿で見るに耐えない茶番まで演じて乞食の如く活力を請うなど、無様にも程があるというものでしょう?」
 そして、自虐込みの独り言を最後まで呟く前に、冷たく澄んだ声が不意に割り込んで来たかと思うと、社殿前の石階段に腰掛ける私の眼前へ、誰よりも見知った一人の女天使が白銀色に輝く翼を翻しつつ、星空から降りて姿を見せてきた。
「ミカエルか……。何度でも言う様だが、私にそこまでさせる程に追い詰めたのは誰のお陰だと思っているんだ」
 正直、こんな月夜に顔を合わせたくはない相手だが、昼間の痴態はおそらくミカエルの奴も黙ってはいまいという予感でこうして一人になっていたのだから、想定通りでもある。
「それはあくまで貴女の自業自得、と何度でも申し上げていますけど?……そもそも、貴女さえ裏切らなければ私は最期まで付いて行くつもりでしたのに」
 ともあれ、静寂(しじま)を破られた名残惜しさを覚えつつ、いつもの恨み節で迎えた私に、地上へ降りると同時に翼を仕舞ったミカエルも同じ反論で揚げ足を取り合った後で、更に恨みがましい台詞まで付け加えてきた。
「裏切り?この私がか……?」
「ええ。成果は上げながらも理不尽な理由で昇格出来ずに下級第二位(アークエンジェル)で燻っていた我々へ、貴女は上級天使にしてやると誘ってきましたよね?」
「その約束はこれ以上ない形で叶えてやったじゃないか。一体何が不満だ?」
「我々は“主”の最も厚い信頼を受けていた熾天使ルシフェルを信じて誘いに乗ったというのに、天界や天使軍を転覆させる為の加担と引き換えとは聞いていませんでしたよ。……そもそも、我々をスカウトした時に貴女が私に言った言葉を覚えていますか?」
「天使は各々が役割を果たし、それに相応しい処遇を受けるべき、だったかな?」
 それが、私を刺した後に「間違っている」と言い放った真相とでもいうのか。
「厳格な縦組織である天使軍内での階級は命も同然ですが、しかし天使は己の為に動く存在にあらず。貴女は神に次ぐ存在というチカラや立場に溺れ、原則を見失ってしまいました」
「……確かに、石頭なミカエルらしい言い分だな。そんなお前を上手く操れなかったのが、私にとっては致命的な失態というべきか」
 ……思えば、あれ程に近しい存在となっていたのに、互いに理解し切れていなかったらしい。
「一体、どうして……。貴女は冷酷でしたが、しかし誰より公平であり誠実だったからこそ……」
「今更、意味のない問答というものだ。それで、今宵は一体何の用だ、熾天使ミカエル?」
「……ヴァーチェから報告は受けました。偽りの地祇を演じて“主”より信仰心を掠め取ろうという浅ましい企みを実行されていた様ですが、首尾はいかがでしたか?」
「お蔭さんでな。今日一日だけでも消沈していた翼へ久々に精気が戻って来ている様だ。これで何か企てられる程ではないが、いくらかの能力(チカラ)は取り戻せただろう」
 ともあれ、埒もない後悔話から仕切り直して用件を尋ねると、普段の調子に戻ったミカエルから嫌味たっぷりに本題を向けられ、隠すだけ無駄なので素直に答えてやる私。
 ちなみに、今日一日だけで縮んだ背丈もまた幾分かは戻ったから、依子がまた服を調達し直しかと戦々恐々していた様だが。
「……確かに、以前ここで見えた時と比べて貴女の気配から神霊力の高まりを感じられましたしここで改めて驚いたりはしませんが、どうやら少々侮ってしまいましたか……」
「そうだな。正直言えば、私も期待は持とうが願望の領域を出てはいなかったのだが、依子の目論見は大成功だ。全く恐れ入る」
 しかも、祈願会の間だけでなく、今でもほんの微弱だが集まってきているのも感じ取れるし、あとは参加した者達の結果次第では願ってもいなかった流れが作れるかもしれない。
「依子……貴女を拾ったこの神社の巫女でしたか。今回は彼女の発案で?」
「偶然にも恒例行事の時期と重なったのもあるが、この地に伝わってきた天使降臨伝説に強い興味を抱く物好きな奴でな。最初にちゃんと私は天界から追い出された堕天使だと説明してやったのに、“元”が付いても天使には変わりないだろうとお構いなしだ」
「……それに以前、魔軍の来襲を受けた際に全ての神霊力を使い果たしたという報告を受けて、いよいよ命運尽きるかと思えば、僅か一日足らずの間に元の姿を取り戻していたそうですね?」
「ああ、そいつも依子のお陰だ。流石に私もこれまでかと観念していたのだがな」
 ……まぁ、そんな物好きだからこそ、この私を呼び戻せたのだろうが。
「やれやれ……、天使軍の拠点があるこの街ならば魔軍を牽制しつつ監視もし易いだろうという判断でしたが、想定外の邪魔者が現れたと認めざるを得ない様ですね?」
「ふっ、どうやらこの地に根付いていた天使信仰の深さを見誤った様だな、ミカエル?……ま、それは私も同様だったワケだが」
 ともあれ、珍しくしてやられたと額を押さえるミカエルを見て、私も久々に溜飲が下ったものの……。
「……しかし先に釘を刺しておくが、天使軍が依子に手を出すのは罷り成らんぞ?あいつは自分の敷地内へ落ちて来た手負いの私を見殺しに出来ず、何も知らぬまま情けをかけてきた現地民に過ぎん」
 同時に引っかかった不穏な予兆を振り払う様に、すぐに続けて念を押す私。
 だから、私も敢えて依子に自分の多くは語らないし、本来の名も告げていない訳であって。
「確かに今はそうなのでしょう。……そして、貴女は人間界での協定ルールを盾に、物好きな彼女を利用し続けていると」
「実態で言われれば否定はしにくいが、これでも警告はし続けてきたのだがな……」
 それが最早、“私”を維持する為に無くてはならない存在となりかけている。
 正直、良い傾向とは言えなかった。
「……ふふ、熾天使(セラフィム)の頃から完全無欠と思われた貴女にも欠点はありましたが、今も変わらないみたいですね」
「なに……?」
「いいえ……。それで、これから貴女はどうするつもりなのですか?今後もなけなしの神霊力を得る為に偽の神を演じ続けるとでも?」
「さぁな。……というか、最早私は自分だけの意志ではどうにもならぬ身だ。家畜の如く成り行きに身を任せるしかない」
 すると、そんな私へミカエルは嘲笑じみた言葉の後で、何やら気だるそうに尋ねてきたのを受けて、投げやりに本音を吐露する私。
「……本当、哀れなものですよね。当面は干乾びる心配こそ薄れたかもしれませんが、今の貴女はこのまま我々に監視されつつ、人間の少女に気の済むまで飼われたまま無駄に延命してゆくだけの存在に過ぎません」
「ふん、少なくとも魔界へだけには行かせるつもりが無いらしいな。……まぁ私もまだ願い下げだが、七大天使が動いている理由もそれなのか?」
「は……?」
「……ほら」
 それから、一つ探りを入れようと素っ気なく天敵の名を切り出したところで、ミカエルの奴が目を丸くして固まったのを見て、以前にそいつから受け取った許可証を差し出してやった。
「こ、これは……」
「しかも、依子の話を聞くに、私をエレメント状態から姿を回復させる方法を教えたのも、どうやらそいつらしくてな?」
「…………っ」
 そして更に私が補足してやると、ミカエルの顔色が目に見えて変わってゆくのが分かる。
(どうやら、グルじゃなかったか……)
 まぁ、天使軍の総大将である熾天使(セラフィム)にとって、同等以上の地位がありながら軍の統制から外れた唯一神直属の懐刀である七大天使は水と油な存在だから、流石に可能性は低いだろうとは思っていたが。
「なぜ、彼女が……」
「さぁな。七大天使のきまぐれは今に始まったことじゃないだろう?」
 この私も、現役時代は散々振り回されたものだしな。
「いずれにせよ、問い質す必要はありそうですね……まったく……」
「……ま、精々苦労するがいい。天使の複雑で歪な構造の中では、熾天使といえどままならぬ事柄だらけだ」
「余計なお世話です。……しかし、こちらへ来て丸くなりましたか?」
 そこで、私が後輩へ無責任に知った風な助言を向けてやると、ミカエルは不機嫌そうに吐き捨てた後で、素っ気無くも意表を突いた言葉を続けてくる。
「ん……?」
「昔の貴女は、自らにも他者に対しても一切の泣き言や言い訳を許さない刺々しい方でしたのに」
「……さぁて、それも依子に剪定されてしまったかな……む……?」
 指摘されても自覚など無いが、まぁミカエルが言うのならばそうなんだろう。
「…………」
(……お、噂をすれば、か……?)
 ともあれ、そこで依子の顔が今一度頭に浮かぶのと同時に、彼女が近付く気配を感じ取る私。
 これも、翼の神霊力が回復して取り戻した能力の一つである。
「……誰か、ここへ来ている様ですね?」
「ああ、頼んでもいない迎えが来たようだ。……どうやら、今宵の逢瀬もここまでか」
「……いえ、実は私も彼女とは一度お会いしておきたいと思っていましたから、丁度いい頃合かもしれません」
 そこで、私は当然の事としてお開きを告げたものの、ミカエルはつれない態度で拒んでしまうと、立ち去るどころか逆に依子が上ってきている階段の方へ向き直ってしまった。
「ちょっと待て、ミカエル……!」
「何か?今の貴女はもう私に命令出来る立場でもなければ、そのチカラもありませんよ」
「……まさかお前、依子に……」
「まさかも何も、少しばかり御挨拶しておきたいだけですので。もう追い出された身とはいえ、私の昔の上司が御迷惑をかけ続けている訳ですし」
 それを見て、嫌な予感を胸に立ち上がって止めようとした私に対して、こちらを振り返ることなく素っ気無くそう告げてくるミカエル。
「…………っ」

 そして……。

「……はぁ、はぁ……朔夜さんまだいます……え……?」
「……こんばんは。貴女とはこれが初めましてになりますね、甘菜依子さん」
「は、はい……?」
 やがて、灯篭の明かりだけが小さく照らす暗闇の向こうから息を切らせた待ち人の姿が現れ、私が出迎えるよりも先にミカエルがその間に立ち塞がって穏やかな口ぶりで名を呼ぶと、全く想定していなかったであろう先客に依子は驚きと戸惑いを見せる。
「……まぁ迎えに来るだろうな、と予感はしていたが思ったより早かったな、依子」
「朔夜さん……!え、ええ、一葉さん達には申し訳なかったんですが、わたしだけ一足早く店を出ましたから……」
「…………」
「……あ、あの、それでこの人は?」
 そこで、まずは落ち着かせようとミカエルの後ろから声をかけると、依子は私がちゃんと居るのに気付いてようやく安堵した表情を見せた後で、改めて不安げに訊ねてきた。
「古い知り合いだ……最早、それ以上でも以下でもないがな」
「えっとそれって……前にもここでばったり出くわしたっていう……?」
 天使はみだりに人間界でその姿を晒すべからず。
 無論、今の私に言えた義理ではないにせよ、それでも現役の、しかも天使達の長であるミカエルが依子の前へ姿を見せるコトは決して無いと思っていたのだが。
「思えば、あの時に御挨拶しておくべきでしたかね?いささか手遅れになったかもしれません」
「あ、あの……それでどうして私の名前を?もしかして朔夜さんから?」
「朔夜……そういえば、貴女は名前も付けたのでしたね。その相手が何者かも知らぬがままに」
「…………っ」
 しかも、ミカエルの奴はそれだけじゃなく……。
「……おいそこの熾天使、いきなりキナ臭い話を振る前に、まずはお前から名乗ったらどうだ?」
「これは失礼致しました。……では改めて、初めまして甘菜依子さん。私は天界に君臨する偉大なる“主”にお仕えしております、ミカエルと申す者です」
 それから、穏便に御挨拶と言っていた割には、依子に対してのいきなり刺々しい態度が気に障った私が横槍を入れてやると、ミカエルは自覚はあったのか咳払いをする仕草を見せて仕切り直す。
「ミカエル……?ミカエルってもしかして……」
「ふふ、私の名が人間界の方にも知られているのならば光栄ですね。……ええ、私はそこの神に叛逆して失脚した堕天使ルシフェルに代わり、天使軍の頂点に立つ四大熾天使(セラフィム)の一角です」
「そ、それじゃやっぱり、天使……様?それに、ルシフェルって……」
「生憎、お渡しする名刺などはありませんが、これがその替わりとなれば……」
 そして、その名に心当たりはあるのか、目を見開く依子へミカエルは微笑を浮かべてそう告げると、仕舞っていたおびただしい数の熾天使(セラフィム)の翼を一気に解放し、眩い輝きを放ちつつ誇示して見せた。
「…………っっ?!」

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