知な堕天使(ルシフェル)さんは一途で積極的な巫女さんに篭絡される その9

――後日談。『天使が惹かれる街』

「……ふふふ♪これでめでたしめでたし、ですかね?」
 やがて、天使としてやり直すことになったルシフェルが依子ちゃんの元へと“帰還”してひと月ほどが経ち、休日に二人並んで竹箒を手に桜の花びらの舞う御影神社境内の掃除をする微笑ましい姿を社殿の屋根の上からこっそりと見守っていた私は、満足感を胸に誰にともなく呟く。
 何だかんだで気になっていたこともあって経過観察に訪れてはみたけれど、あのルシフェルがお揃いの巫女袴を着せられているというだけでも充分ながら、依子ちゃんの左の薬指に嵌められているサードニクスの指輪からは確かに捻くれ天使さんの魂のカケラを感じられるところを見ても、しっかりと盟約の儀式は済ませたみたいである。
 となれば、これにてようやく私の役目は完了、という事になるんだけど……。
「ん、よろしい。……と素直に言っていいやらなんだけど、まぁとりあえずご苦労さん」
 すると、そんな私の耳元付近で同じく黙って様子を見守っていた手乗りサイズの天使さんが、何やら含みを持たせた態度で素っ気無く労いの言葉を返してきた。
「おや、私的には今回はいい仕事が出来たと満足してるんですが、エルちゃんの方は何やら釈然とされていない御様子で?」
「……そりゃ、最後はこうやってケチの付けようがない結果へ導いたとは思うけど、今回も見て見ぬフリをしていいものか悩ませられる程度には好き勝手してくれてるじゃないのよ?」
 そこで、一体何が気に入らないのかと尋ねるわたしに、エルという愛称で呼ばれている“主”の断片(セグメント)の一つは小さく肩を竦めて答えた後で、「ま、そーいうトコロも相変わらずの手際よね、アンタって」とも付け加えてくる。
「ん〜、私はただ、彼女を天界へ留め置きたくはないという“主”の御意向を汲んだつもりですけど?」
「まーねぇ……。天使に復帰させるのはいーんだけどさ、アイツの扱いをどうしたものかミカエルの奴が頭を悩ませたくらいに、ぶっちゃけ厄介ゴトが起きる予感ばかりだったから、当面は人間界で守護天使をさせとくかってのは悪くない処遇だわ」
「でしょう?何より本人が強く望んだんですから、乗らない手はありませんよね?んふふ〜♪」
 少なくとも、これでもう彼女が”以前の”ルシフェルではないコトは強く印象付けられたと思うし、ミカエルちゃんの悩みの種も少しは解消されるはず。
 ……まぁ、いずれにしても本人は心中フクザツだろうけれど。
「けどさ、それでもアイツがあのコの元へ戻れる保証なんて無かったハズだったでしょーが?」
「まぁ、派遣先はラプラス占いの結果次第ですからねぇ。……それでも、運命の導きに恵まれて大当たりする可能性だって有り得ない話ではないですし?」
 しかし、それでも納得できない様子で追及してくるエルに対して、知らんぷりでもする様に素っ気なく受け流す私。
 確かに、守護天使を志した天使はまず天界中枢の情報センターに古くからある「ラプラスの眼」という占術システムで導かれた結果をもとに守護対象者の候補が選ばれて派遣先が決定され、やがて人間界に降り立った後に自ら候補者と接触し、合意を得られたら盟約の指輪を渡して儀式を行うという流れになっているので、今まで興味が無かったから知らなかったのか、ルシフェルは当たり間のように依子ちゃんを指名していたものの、実際には言うほど簡単じゃなかったってお話なんだけど……。
「最初は億単位の候補から絞り込みが始まるというのに、一体どんだけの確率だっつーの……。っていうか、どんなテを使ったのよ?」
「私も七大天使の端くれですし、別にやましいコトはしてませんよぉ。……ただちょっと、ラプラスのコアに、あの二人はベストマッチだと思いませんか?と”説得”してみただけで」
 だからといって、本当に運任せなのかと言われればそんなハズはなく、志願者と波長が合う魂の持ち主の人間をマッチングさせて絞り込んでゆく仕組みなので、元々依子ちゃんとルシフェル……黎明朔夜との相性がいいのは私の目で確認済みなのだから、ちょっと一押ししてあげたまでのコトである。
「うっわぁ、ラプラスに直接干渉しやがったのね……。てっきりシステムオペレータに圧力をかけて結果を捏造させたのかと思ったら、予想の斜め上じゃないのよ」
「まぁ、ちょっとばかりザフキエルちゃんにも手伝ってもらいましたけど、元々あのシステムの基幹を策定したのは愛を司る大天使ハニエルですし」
 もちろん、“私”じゃなくてかなり大昔の話だけど。
「……ったく、コイツらは……。まーでも、七大天使はそのくらいの方がいいのか」
「あはは、権威を振りかざしてのチカラ押しなんてエレガントじゃないですし〜。それに、今回のケースに関しては依子ちゃんの方が、いえ依子ちゃんじゃないとおそらくダメなんです」
「アンタの都合にとって、じゃなくて?」
「ええだって、天使に強い憧れを抱いてきた依子ちゃんが対象者なら、ルシフェルもこれからそんな彼女の為に理想の天使たらんと誠実に務めてゆくと思いますから♪」
 そもそも、私の都合というのなら、むしろ……。
「……なるほど、ついでにアイツの再教育プログラムも兼ねられて一石二鳥、と」
「ま、これで少なくとも天使は自らの野望の為に翼の神霊力を使うものじゃない、という基本原則くらいは学んでくれるんじゃないですかね〜?」
「あー、アイツの場合はそこからだしなぁ……。んで、だからあのコの記憶を操作した時も黎明朔夜の名を軽く封印するだけで敢えて消去はしなかったってコトなの?」
「いやいや、それはもう愛のチカラですよ〜♪んふふっ」
 まぁ、ルシフェルちゃんが郵便受けの中に残していた贈り物を見て見ぬふりをしたのを追求されるといささか都合が悪いものの、こういう結果に収まった以上は野暮なコトは言いっこナシである。
 ただ……。
「愛のチカラ、ねぇ。アンタも分かった風なコト言う様になったじゃないの、キューピッドさん?」
「……いいえ、むしろ最近は分かった気になっている自分が少しばかり嫌になってきているんですけどね」
 それから、ニヤリと皮肉っぽい笑みを向けられつつも素直に褒められたところで、縁結びに成功した仲睦まじい二人の姿を眼下に見守りつつ自虐気味にホンネを吐露する私。
「はぁ?未だにナニをそんな思い悩んでるんだか……」
「ん〜、いま私が何を考えているか分かります?」
「……出来れば、分かりたくねーわよ。ロクでもなさそうだし」
「あ、ちょっと待ってくださいよぉ〜」
 その後、いよいよ本題へと水を向けようとしたところで、イヤな予感がするとばかりに一人裏山のほうへふわふわと飛び去ろうとしてゆく“主”の分身を慌てて追いかけてゆく。
「……はぁ。やっぱり、アンタも感化されちゃったのね……」
「えへへへ、前々から気持ちは抱くようになっていたんですけど、やっぱり私も自分で試してみなきゃダメかなーって」
 そして、心に芽生えてきていたそんな小さな腫れ物をルシフェルが不意打ちで爪を立てていった後は、日に日にその思いが強くなってゆくばかりだった。
 ……まさか、ちょくちょくあの街へ降りる様になっていた本音を昔の宿敵にあっさりと見透かされたのは不覚だったけれど。
「アタシにしてみれば、また新たに頭痛の種が、ってトコね……。ただま、止める理由も特には無いんだけど、アンタもこの街でやるつもりなの?」
「ええ、いずれはじまりの広場で新しい出逢いを探したいなって」
 ……本当は、長い長い年月は経たものの、そのお相手はあの時に私へ愛を告げたひとの末裔が相応しいかなと考えたコトもあるけれど、既に依子ちゃんの魂は同じく彼女を誰よりも慕う別の天使と融合(まざ)り合ってしまったわけで。
(……だから、ちゃんと責任もって貴女が依子ちゃんを幸せにして下さいよ、ルシフェル?)
 尤も、今はそれすら余計なお世話なのかもしれないとしても。
「ルシフェルにも劣らぬ天稟の才と称され、なるべくして七大天使となったアンタの眼がねに叶う人間、ね。そんなのがそうそういるとも思えないけど……」
「別に、お相手に求めるのはそういう”能力”とかじゃないですし」
 むしろ、自分で何でも出来る完璧な人間ほど守護天使とは無縁の存在なわけであって。
「そらそーか。アタシらにとって重要なのはそいつらの魂が持つ輝きだけど……ま、何故か天使好みの人間が多いわよね、”この街”ってさ?」
「ええ♪そうなんですよね〜。やっぱり、この街は天使と不思議なご縁がある場所なんでしょう」
 そして、苦笑い交じりに合意するエルを見て私は得意げに頷いた後で振り返り、既に御影神社が小さくなった高度から街全体を見下ろしてゆく。
「…………」
 最初に降り立った頃と比べ、すっかりと「様変わりしてしまった」なんて言葉では言い表せないほどの文明や発展が進み、同じ世界とすら思えないくらいに姿かたちこそ変わってしまっているけれど、私に言わせれば”天使の舞い降りる街”としては何一つ変わっていなかった。
 ……なにせ、あれから私の先代やあのルシフェルを篭絡させた人間がこの街から出てきたのだから。
 そして、おそらくこの私も……。
「……まぁでも、やる気に満ちてるトコロを悪いんだけどさ、ミッション開始はルシフェルにぶっ壊されたアイツの次が出てくるまで少しばかり待っててくんない?その間は、守護天使の監査役はアンタにやってもらうコトにしたから」
 しかし、それから決意を新たに胸元で拳を握りつめたところで、背後のエルから素っ気無く待ったが告げられてしまう。
「あ〜……やっぱり、”御剣”不在のまま七大天使の一角が暫く不在になるのは良くないってなりますか」
 一応、外敵に脅かされる可能性は殆ど存在しない今は実際に支障が出るとは思わないけれど、それでもルシフェルがしでかした後始末は未だ残っているみたいだった。
「まぁただ、それほど気の長いハナシにはならないと思うから、そこは安心していーわ」
「……もしかして、もう候補が見つかったんですか?」
「そ。……しかも、この街の住人でね。まぁまだ若いコだから、あそこへ召されるのはいつになるのか分からないけどさ、天使の寿命から考えれば誤差みたいなもんでしょ?」
「まぁ、そうですけど……は〜……」
 それは初耳だったというか、さすがの私も驚きを禁じえないけれど……。
 私がこの地へ降りて以来、ここは「天使の舞い降りる街」と呼ばれてきたものの、もしかしたらその呼称も的確とは言えないのかもしれない。
 ……ここは天使が舞い降りた街であって、天使が惹かれる街でもあって、そして天使が生まれようとしてる街でもあるみたいだし。
「ま、そっちの件はミカエルの奴に面倒見させるつもりだから、アンタはこれから少しだけ増える仕事を片づけつつ待ってなさいな」
「ミカエルちゃんに……?それはまた……」
 というか、御剣ことメタトロンは七大天使から外れた存在ながらも与えられた権限は同等で、すなわちミカエルちゃんたち熾天使にとっては天敵とも言える存在なのに、また貧乏くじを引かされてしまうのだろうか。
「ま、色々事情もあんのよ……ったく、どいつもこいつもワガママ言うようになってくれちゃってさ」
「ん〜、よくわかりませんけど、今までが横着しすぎたとも言えるのでは?」
 その結果が、永遠の暗黒時代からの脱却を唱えたルシフェルの叛乱だったのだから。
「ち……。まぁいーわ、ハナシも終わったらそろそろ戻るわよ?」
「え〜、せっかくなので桜餅でも食べて帰っちゃダメですか?毎年この時期に行くのを楽しみにしている美味しいお茶屋さんを知ってるんですよ」
 ともあれ、痛いトコロを突かれたとばかりの舌打ちをした後で天界へ帰還を促してくる”主”の分身に、まだ用事を残していた私は逆に一旦止まって引き留めた。
 せっかくの春の訪れなのだから、もう少しくらいは満喫していかないと。
「……アンタ、馴染み過ぎだから」
「えへへへ、私にとっては第二の故郷みたいなものですので♪」
 だからこそ、いずれ迎えるこの街での新しい出逢いに今から胸のときめきが収まらないのである。

終わり

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