新米百合カップルの奇妙な新婚旅行 その2
第二章 魔法仕掛けの……?
「ええっと……戻ってきた、ワケじゃないよね……?」 「まぁ、近いといえば近い場所なんだろうけど……」 確かにオバケ屋敷のスタートも洋館のエントランスだったけれど、似て非ざる光景である。 人が百人くらいは集まれそうなホールに、その奥から伸びる階段の先を見上げれば、遥か彼方の上層まで積み重なっているみたいで、一体何階建てなのかすら把握できない広さもさることながら、大理石と思われる床や壁には値打ちものっぽい絵画や半裸の女性の形の石像などが飾られ、更に高い天井付近には煌びやかで美しいシャンデリアも並んで吊るされていたりと、建物のつくりからして遊園地に仮設されたアトラクションというものではなさそう。 ……そして何より、決定的な違いの一つは外へと続いている、わたし達の背丈より遥かに高くて重たそうな木製の扉が固く閉ざされているということ。 「うーん、開かない……くっっ」 何はともあれ、まずその出入り口が開くのかが気になって確認しようとしたわたし達だったものの、鉄の取っ手を二人で引っ張ったり押したりしても、鍵穴の辺りでガチャガチャと音がするだけでビクともしなかった。 「どうやら、カギがかかっているみたいね……」 こういった大きなお城の入り口ってのはカンヌキで施錠されているイメージだけど、内側になるこちら側の扉には太い板も留め金も無しで、代わりに大きなカギ穴が一つ。 もちろん、そのカギがこのあたりに都合よく落ちているワケもない、ということは。 「つまり、あたし達は閉じ込められちゃってるってこと?」 「そう考えるしかないみたいね……ふぅ……」 一応、明るくて空気も澄んでいる分、通ってきた地下通路の様な息苦しさは感じないものの、ただやっぱり建物に閉じ込められた状態というのは気味が悪いことに違いはなかった。 「ど、どうしよう、十花……?」 「えっと、まずは落ち着いて……」 それから、軽くこちらへ抱きつきつつ震えた声で尋ねてくる心恋へ、小さな背中をぽんぽんと叩いてやりながら冷静になる様に促すわたし。 月並みだけど、まずはそれしか言いようがない。 「……うん、落ち着いてみる」 「それで落ち着けるなら羨ましいわね……」 相変わらず謎と言ってもいいくらいの切り替え力というか、ぶっちゃけわたしも内心は冷や汗だらだら状態ながら、心恋に頼られているから辛うじて平静を保っているだけなのだけど、とにかく今は取り乱すのだけは厳禁ってくらいは理解できている。 (でも、一体これはどういうコトなんだろう……?) というか、ぶっちゃけた話をするなら……。 「で、十花さんの見解は?」 「えっと、夢……かな?」 それから、相方にいきなり意見を求められ、頭に浮かんだままを答えるわたし。 本当は、まだ自室のベッドの上で初デートの夢を見ているだけとか……。 「あいたたたた……!?」 しかし、そんな現実逃避を始めるや、手を伸ばしてきた心恋から両頬を抓られてしまった。 「ちょっ、なにするのよ?!」 「いや、昔の人って夢かどうかを確認する為にほっぺた抓ったそうだから。痛い?」 「痛いわよ……!というか、やるなら自分の頬っぺたでやんなさい」 「いや、あたしは違う世界へ飛ばされちゃったのかな?って普通に思ってるから……」 「その思考が普通じゃないわよ、もう……」 ぶっちゃけ、実はわたしよりも心恋の方が落ち着いてませんかね? ……とはいえ、夢以外ではそれ以外の発想が自分にも浮かんでこないのだけど。 「だって、ほらスマホ使えないみたいだし……」 「……うわ、ホントだ……」 すると、信じがたい現実の根拠は案外身近にあったみたいで、一旦わたしから離れた心恋が自分のスマホをポケットから取り出してそう言ってくるので、こちらもポーチから取り出して確認してみると、確かにネットに繋がっていませんの表示が。 「い、いやでも、電波が届かないような場所にいるだけかも……」 「……だとしてもさ、あたしらにとっては別世界にいるのと殆ど変わらないんじゃない?」 「確かに……」 どっちみちこれじゃ救助も呼べやしないし、ここが仮に同じ地球の何処かだとしても、非現実的な何かが起きた事実だって覆せやしないんだから。 「……やっぱさ、あのオバケ屋敷から飛ばされたんだよね?」 「でも、だったら他の人もここに居そうなものだけど」 当然のことながら、本日は土曜日ということもあって遊園地はそれなりに賑わっていたし、あのオバケ屋敷だって他にもお客さんはいたワケで、もしもあの宝物庫辺りで飛ばされてしまったのなら、難儀な目に遭っているのはわたし達だけじゃないはず。 「んじゃ、とりあえず他の生存者でも探してみる?」 「そうね……って、なんか違うでしょその言いかた……」 ただでさえ不安でいっぱいになってきているのに、ここで自分からホラーな雰囲気を持ち込むのは勘弁してください。 ……とはいえ、同じ様にいきなり飛ばされて心細い思いをしている人がいるかもしれないし、何よりデート中だろうがこんなだだっ広い場所で二人きりにされるのはあまりにも心細いしで、集まって何かが変わるわけじゃなさそうとしても、誰かと合流することが出来れば幾分かは気が楽になるかもしれない。 「まぁまぁ、とにかく動いてみようよ?」 「う、うん……だけど慎重にね……?」 「あー、侵入者を血祭りにあげる罠とかあるかもしれないし?」 「だ〜〜か〜〜ら〜〜!」 「あはは、ウソウソ。ほらいこっ」 「ホントにウソならいいんだけど……」 と、まずは探索がてらに一階から見回ることにしたものの……。 * 「んー、誰もいないねぇ……」 「うん……」 しかし、こまめに呼びかけを続けながら一階の食堂などを軽く見回ったものの、返事もなければ他の誰かがいた痕跡も見つけられず、一旦エントランスまで戻った後で今度は階段を上がって同じ様に二階を見回り、続けて三階まで探索の手を伸ばした辺りで隣の心恋が力なく呟いてきたのを見て、わたしもため息交じりに頷く。 廊下に一定距離で配置されているランプには火が灯されているので城内はそれなりに明るいものの、窓越しの外はもう日が落ちてきていて、流石にそろそろ歩き疲れてもきたけれど、未だ他の人間どころか、なにかしらの生物とも遭遇しないまま。 「……やっぱり、わたし達しかいないのかな?」 お城の階段はまだまだ上層へと伸びているとしても、ここまでの道のりで自分達の足音や話し声以外は聞こえてこない静寂が続くと、そろそろそんな結論も出したくなってくる。 「かもしれないねぇ。……なんか、二人で無人島に漂流した気分になってきた」 「でも、無人島の割には妙に綺麗よね?このお城」 ……それと、さっきからもう一つ違和感を覚えていることがあって、誰もいない割には何だか城内の手入れは行き届いている気がすること。 「たしかに……。あ、思ったより綺麗……」 そこで、わたしのツッコミの後で心恋が近くのガラス窓まで行ったかと思えば、端っこのほうをつつっと指でなぞった後で、同じく不思議そうに呟く。 さっき、廊下を歩いていた時に心恋から「あ、十花のパンツ見えた!」と指摘されて思わず引っ叩いてしまったけれど、エントランスの床は鏡の様にピカピカに磨かれていたし、見ての通り廊下のガラス窓も目立った汚れは殆ど見受けられないし、そもそも城内の空気が埃っぽくなくて澄んでいる。 長いこと誰も住んでいないお城なら、それは“廃墟”と言うのだろうけれど、ここは棄てられた場所にはとても見えないというか。 (やっぱり、城主さん居るのかな?でも……) 居たらいたで、まだ気付かれていないハズがないんだけど、ここまで勝手に歩き回っても無反応だし、何やら謎が多すぎて頭が痛くなりそう。 「ねぇねぇ、十花?」 「……なに?」 「ここの階ってさ、来客用っぽいね。似たような客間がいくつもあるし」 ともあれ、情報が少なくて考えるのも億劫になってきた辺りで声をかけられて振り返ると、心恋が廊下から入れる部屋のドアの一つを開けつつ水を向けてきた。 「あー、確かにそうかもしれないわね……」 言われて自分も近付いて室内を覗き込むと、視界に広がったのはダブルどころか四人くらいは転がれそうな大きくてふかふかなベッドに、ドレスが何着も収納できそうなクローゼット、派手な装飾の施されたルームランプに立派なテーブルが設置された、何やら上流な来客たちへ用意されているっぽい客間の内装だけど、確かに同じ間取りの部屋はこの階だけで四つは見てきただろうか。 「ってコトでさ、なんか疲れちゃったから、ここらでちょっとご休憩してく?」 「言い方ぁ!……けど、そうね……」 言葉の響きはちょっといかがわしいけれど、外はすっかり夜の帳が下りて城内も薄暗くなっているから、この先はあまり不用意にウロウロしない方がいいのかもしれない。 疲れも溜まっているし、確かにこの辺で一度立ち止まって頭も整理すべき、かな。 「んじゃ決まりー♪ささ、入ろ入ろ、おじゃましまーす!」 「けど、勝手に使っていいのかな……?」 そこで、こちらも素直に頷いたのを見るや、心恋は我が意を得たりと嬉しそうにこちらの手を取って早速客室内へ連れ込もうとしてきたので、わたしもそれに委ねつつ独り言の様に呟いたものの……。 「空いてるんだから大丈夫でしょ?どうせ、閉じ込められてて今晩は出られそうもないんだし」 「まぁ、確かに……」 というか、此処へ飛ばされてから自分がしっかりしないとってつもりで気を吐いてきたけれど、何だかんだで心恋の方がしっかり頭が回って的確に動けているのかもしれない。 「ひゃっほーい、今日はこんな豪華なベッドで眠れるなんて〜!」 「あ、こら……っ、ルパンダイブで飛び込まないの……!」 ……いや、やっぱり状況を楽しんでいるだけ、かな? 「……そういや、いま何時なんだろね」 「えっと、わたしの時計だと午後七時四十分過ぎだけど、こちらの時刻と合っているかは分からないわよ?」 それから、客室のドアを閉めた後で念のために内側から施錠までしたところで心恋から訊ねられ、左手に着けていた小さな腕時計を掲げて時刻を確認するわたし。 まぁ、外の様子を見る限りではズレているとしてもさほどの違いは無さそうだけど、明日はどこかで時刻合わせもしておいた方がいいかもしれない。 「というかさ、十花っていつも腕時計つけてるの?」 「まぁ、アクセサリーとして好きだし、あった方が便利でしょ」 現に、客室内を見回しても時計は無く、スマホがまともに使えない状態で役立ちそうなのはちょっと嬉しかったりもして。 「ふーん……なら、そろそろ晩ごはんの時間だね……お腹すいたぁ」 ともあれ、時刻を聞いて思い出した様に空腹を訴えてくる心恋なものの、あいにく室内のテーブルの上にはトレイの上に水の入った瓶とグラスがあるだけで、食べ物らしきものは無し。 ……尤も、あったとしても手を付けるか?と言われるとうーん、だけど。 「ね、十花は何か食べられるもの持ってる?」 「食事にする様なものじゃないけど、わたしはこれくらいかなぁ……」 そして、とりあえず尋ねてきた心恋に、わたしはポーチから色とりどりな粒状のソフトグミが詰まったお菓子のパッケージを取り出して見せる。 こんなのじゃお腹の足しにはならないとしても、糖分補給にはなるし無いよりはマシってとこだろうか。 「へー、十花ってグミ好きだったんだ?」 「あ、言ってなかったっけ?心恋はグミ嫌い?」 「ううん、お菓子はまぁ大体なんでも好きだけど、あたしはこんなの持って来てた」 ともあれ、好き嫌いはそれなりにあるお菓子なので確認したわたしに、心恋はかぶりを振った後で自分のウェストポーチからキスチョコの袋を取り出してきた。 「チョコレート……!」 いや、ここでまさか遭難時の救世主みたいなモノが出てくるなんて。 「デートの合間にでも、遊園地のベンチに座ってお互いにあ〜んしようかと思ってさ。週末だからカフェとかは混んでるかもしれないし」 「……往来でそんな恥ずかしいマネさせるつもりだったのは初耳だけど、でも助かったわ」 ホント、いつ何の持ち物が役に立つのか分からないものである。 「んじゃ、今夜はこれと十花のグミでしのごっか。はい、あ〜んして?」 すると、素直に感謝したわたしに心恋は屈託のない笑みを浮かべると、早速袋からキスチョコを一つ取り出して包みを剥がし、細い指で軽くつまんでこちらへ差し出してきた。 「え……やっぱり“ソレ”、するの?」 「当然でしょ。それとも、あたしのチョコ受けるくらいなら食べない方がマシ?」 「そうは言ってないじゃないの……もう」 ……まぁ、まだ記念すべき初デートは終わっていないしね。 そこで、わたしは気恥ずかしさもあって気乗りしてないわけでもないけど渋々といった態度で応じてやると、心恋の差し出す先まで近付き、口を開けて最初の一つ目を受け取った。 「んふふー、おいしい?」 「……まぁ、ね」 なんの変哲もないチョコの味だけど、甘い物が染み入るくらいに疲れているのもあるし、久々にデートらしい雰囲気が復活したので、想い出に残る味になりそうな予感もあったりして……。 「んじゃ、今度はあたしに食べさせてくれる?」 「はいはい、分かってますって……」 そして、初めての味を噛み締めるのもそこそこに続けて求められ、今度はわたしが袋から一つ取り出して銀紙を剥き、ひな鳥の様にあんぐりとお口を開けて待機している心恋の口内へ押し込んでやった。 「…………」 あれ、いちいち面倒くさいなと思っていたけど、案外……。 「えへへへ、あんがい悪くないでしょ?こーいうの」 「ドヤ顔で言われるとちょっとイラつくけど、否定はしないであげるわ」 おそらく他の人にしてあげた時はこんな感覚にはならないだろうし、オバケ屋敷にいた頃はちょっと破局危機も感じたけれど、やっぱりもうそれだけの間柄になっているのかな? 「もう、ツンデレさん〜」 「それはホンキでぞわっとくるからやめて……」 ただ、ツンデレ呼ばわりだけは背筋からむず痒くなってくるので勘弁してください。 「むぐむぐ……にしても、なんか不思議だよねぇ……」 「うん?今日は午後から不可思議なコトしか起こってないから、一体どれのコトやらだけど」 それから、持ち合わせていたお菓子を交代で食べさせ合いつつの、侘しさと楽しさが半々といった夕食兼のおやつタイムが続く中、グミをまとめて口に含んでモゴモゴと租借しながら心恋が独り言のように切り出してきたのを受けて、テーブルの上に備え付けられていた瓶入りの水を綺麗なグラスでちびちびと口に含みつつ話に乗ってやるわたし。 ……これも飲めるのかちょっと不安はあったけれど、家にあるサーバーの水と殆ど変わらない味だから大丈夫だろう、というコトにしよう。 「いやね、すごく難儀なコトになってるはずなんだけど、こんな高級ホテルみたいな客室でこうして十花と仲良くおやつ食べてたら、なんか二人で海外旅行にでも来てるような感じでちょっと楽しくなってきてさぁ」 「お気楽ねぇ……むしろ羨ましいわ」 まぁ確かに、誰もいないお城を彷徨ってこの部屋に連れ込まれるまでの追い詰められてゆく様な悲壮感が大分薄れてきているのは、わたしも同じかもしれないけれど。 「たぶん、普通にデートしてたら今頃はとっくにバイバイしてたでしょ?」 「まぁ初めてのお出かけだし、そもそもイマイチ噛み合わなかったしね……」 というか、もしも不思議な何かが起こらなかったら、あのまま出口で喧嘩別れしていたまであるし。 「ふむ。なるほど、確かにちょっと不思議かも……」 「でしょー?」 「……いや、絶対分かってないでしょ」 ただ、とりあえず共感しているってだけで。 とはいえ、正直なところ、自分が感じている不思議も上手く説明できそうもないんだけど。 「んぐ……っ、ところでさ、いま何時になった?」 「もう、まだスマホのバッテリーは残ってるんだから自分で見なさいよ……って、あれから一時間ちょいってところかな?」 ともあれ、会話も一旦途切れた後で心恋から時刻を尋ねられ、いつの間にやらタイムキーパー係にされているのに文句言いつつも左手の腕時計で確認すると、時刻はもうすぐ午後九時になろうとしている辺り。 部屋に来た頃は中途半端な時刻だったけれど、二人で軽くお菓子をつまみつつ話し込んでいるうちに、もういい時間になろうとしているみたいである。 「……んじゃさ、ちょっと早いけど今日はそろそろ寝ちゃう?疲れたし、このベッド気持ちよさそうだしで」 「うんまぁ、その方がよさそうなんだけど……」 どうせ明日も明るいうちはお城の中を歩き回るのかもしれないし、さっさと眠って早起きした方が時間に余裕が出来るかもしれない。けど。 「けど?」 「えっと、寝る前に、お手洗い済ませときたい……かな」 曖昧な語尾を心恋に拾われ、はっきりと言うのも憚られるものの、黙っているわけにもいかないので視線を逸らせつつ控えめに答えるわたし。 生憎、この客間は寝室だけでトイレやお風呂は付いていないみたいである。 「あー、部屋には無いみたいだけど、でもこの階のどこかにはあるんじゃないかな?」 「……やっぱり、探しに行かなきゃならないのね……」 出来れば今夜はもう“外出”したくはなかったんだけど。 * 「……ううう……」 やがて、入った時にしっかりと掛けていた施錠を外して心恋と一緒に再び廊下へ出てみれば、夜闇で視界が一段と狭くなった上に空気も冷たくなっていて、さっき客室へ入る前に感じた、これ以上はウロウロしない方が良さそうだった予感の的中を肌身で感じさせられ、わたしはいきなり足取りが重くなってしまっていた。 「たぶん、壁伝いにでも探してたら見つかりそうだけど……あれ、どうしたの十花?」 「どうしたのって……心恋は怖くないの?」 すると、そんなわたしの少し前を歩く心恋がなにモタモタしてんの?と言わんばかりにふり返って来たので、いちいち説明しなきゃダメなの?という睨みを返すわたし。 「怖くないかと言われればあたしも結構ビビってるけど、でもオバケ屋敷にいた時の十花は全然怖がらなかったから、ちょっと意外かもって」 「……だって、あっちは最初から作りものだって分かってたじゃない?」 けど、こっちの城は一体何が起こる場所なのかすらまだ分からないワケで。 「ん〜でも、もしかしたらここだってオバケ屋敷なのかもしれないよ?」 「じょーだんじゃないわよ!……ったく」 他に誰も居ないオチが幽霊だらけのお城だったとか、正に悪夢でしかないんですが。 「あ、みてみて、外のお月さんが血のように真っ赤だよー?」 「やめてってば、もう……っ」 すると、心恋の奴は自分も怖いと言いつつ、窓の外を指さして不穏な言葉を重ねてくるし、付いてきてもらったのが逆効果に、ってだけはないか、うん。 「んふふふふふ〜、やっぱこうでなくっちゃねぇ」 「……なにわらってんのよ?」 しかし、たったひとりでこんな場所を彷徨うよりは万倍マシとはいえ、やっぱりニヤニヤとされるのは癪に障るんだけど……。 「んーん?でも怖くなったら、いつでも抱きついてくれていいからね?」 「……はいはい、ありがと」 その時は今度こそお芝居無しで抱き着いてあげられそうだけど、ただ尿意がせっついてきてるので出来れば怖い目に遭う前に目的地を見つけたいのが本音だった。 「……お、あったあった、ここじゃない?」 「みたいね……」 しかし程なくして、幸いにも来客用らしきトイレはあっさりと見つかり、ようやく胸を撫で下ろすわたし。 おそらく、男女を示しているんじゃないかと思われる、赤と青のよく分からない記号の下に入り口が二つ並んでいて、赤色の記号から入った中は手洗い場の他に仕切られた個室が六つほど並んで設置されているのが見える。 一応、トイレの中も薄明かりは点いてはいるとはいえ、あの中に入るのはちょっと勇気が必要そうだけど、そうも言っていられないか。 「んで、どうする?あたしも使いたいんで一緒に済ませてしまう?それとも、まずは十花が出てくるまで入り口で待ってようか?」 「ごめん、不安だから見張ってて、お願い……」 というワケで、心恋のありがたい申し出にわたしは素直に感謝しつつ、端っこの一つへ向かうことに。 「もし個室に入るのも怖いなら、一緒に使うー?なんてね」 「……いや、遠慮しとく」 さすがに、そんなディープな仲になるにはまだ早いし。 「……あれ……?」 ともあれ、モタモタもしていられないので勇気を出して個室の扉を開けて入ると、中にはちょっと禍々しい意匠ながら大体似ている形をした水洗式っぽい便座と、壁にはボタンが並んだ操作パネルらしきものが。 (なんか思ったより似てた……) それでも、トイレットペーパーが備えつけられていないのが困りものだけど、まぁポケットティッシュは持参しているし。 ……と、ただ床に穴が開いているだけなのも覚悟していた中で、想像以上にマトモな設備だったのに感謝しつつ、間に合わなくなる前にパンツを下ろしてほんのり温かい便座へ腰かけたわたしは、用を足す前についつい好奇心に駆られて一番手前にあるパネルのボタンに触れてみると、お尻の辺りに生暖かい液体が吹きかかってきた。 「ひゃ……っ?!」 えええ、まさかのウォシュレット付き……?! 「…………っ」 いや、もちろんあるに越したことはないんだけど、これはさすがに驚いたというか……。 (……もしかして、ここってわたし達の元いた場所と近いトコロなのかな……?) ただ不思議なのが動力源で、操作パネルは壁に張り付いてびくともしないし、機能は似通っていながら、うちの家にあるものと違って使ってみても機械音がしないし、そもそもこの個室にはどこにも配線もコンセントも見当たらなくて、電気が通っているのか自体が怪しいのに、一体どうやって動いているんだろう。 「うーん……まぁ、いいか……」 とりあえずちゃんとトイレが使えて、しかもウォシュレット付きという事実に満足しよう。 ……何やらわたしも思考が大雑把になってきているけれど、まぁこれだけでも随分と気が楽になってきた心地だし。 「あ、おかえりー。どうだった?」 「……ちょっとびっくりした」 それから、用事を済ませた後で手を洗って出入り口まで戻ると、約束通りに待っていてくれた心恋が雑に感想を聞いてきたので、わたしも合わせて短く答えてやった。 「びっくりしたって?」 「……まぁ、心恋も使ってみれば分かるわよ」 あって嬉しいのは間違いないとして、あのウォシュレットはどういう仕組みでどこから出ているのか分からないのが少し不気味なんだけど、果たして心恋はどんな反応を見せるのか。 「ふーん……びっくりしたといえばさ、十花を待ってる間に廊下のランプをちょっと弄ってみたら、思ってたのとちょっと違うってカンジだった」 ともあれ、そんなわたしの悪戯心混じりのコメントを心恋は軽く受け流すと、続けてトイレの入り口横で周囲を照らしているランプの方へ視線を向けつつ、考え込むようなポーズで水を向けてきた。 「なにそれ?」 ……というか、人のコトはあまり言えないとしても、得体の知れないものに不用意に触れて欲しくないんですけど。 「最初は中で火がくべられてるのかなと思ってたんだけどさ、ずっと見ていて光量が全く変わらないのが気になってきたんで、どういう仕組みなんだろうと上の蓋を開けてみたら、中に丸くて赤い塊が入ってた」 「丸い塊?電球みたいな?」 「うん、それで触ってみようかと手を伸ばしたら、本物の火みたいに熱かったんですぐ引っ込めたけど、電球というよりは炎の塊っぽかったかな?」 そして、「それと、ランプの中は赤い球が乗ってる台座があるだけだったよ?」とも付け加えてくる心恋。 「炎の塊、ね……」 ……しかも、燃料とか電力とかが注がれている風でもなし、と。 「あたしの感想的には、なんか“魔法”のアイテムみたいって思ったんだけどね」 「魔法……」 確かに、見た目は中世期くらいの古城だけど、それじゃわたし達はおとぎ話みたいなファンタジーな世界へ迷い込んでしまったとでもいうのだろうか。 となれば、さしずめこの城は魔法仕掛けの……なんだろう? 「ま、とにかくあたしもトイレ済ませてくるよ」 「はいはい、ごゆっくり。紙は無かったから気をつけてね?」 「あー、あたしも持ってるから大丈夫ー」 「…………」 (ふーん、魔法で動くランプ、ねぇ……) それから、入れ替わりで心恋が個室の一つの中に消えていった後で、わたしも燃料も無しに照らし続けるというランプを凝視しつつ心の中で呟く。 まぁ確かに、この城内を照らすのに何百本設置しているのか分からないって数だし、とてもじゃないけど全部に油なんて差して回れないだろう……って、そういう論点じゃないか。 (それにしても、光量が常に一定な違和感なんてよく気付いたわね、心恋……) もしかしたら、あのトイレも心恋が魔法と呼ぶ謎の方式で動いているのかもしれないけれど、フィーリング派だからこその鋭い面もあるというコトかな? (……やっぱり、あのコはわたしには無いものばかり……) 「わぁぁぁっ、なんか出てきた……?!」 と、やがて頭の中がランプの謎から相方のことで埋まろうとしていたところで、トイレの中から情けない叫び声が聞こえてくる。 (あ……やっぱり先に言っといてあげればよかったかな……?) 一応、企んだドッキリは大成功みたいだけど、ちょっと罪悪感。 出てきたら文句も言われそうだけど、ただあのコのことだからすぐに好奇心の方が勝って色々試し始めるだろうし……。 (ん?でも、そういえば……) しかし、よくよく考えたらそうやって心恋が便座の機能で遊んでいる間は、このひんやりと冷たくて何が出てくるか分からない暗闇が眼前に広がる中で独り立たされ続けるコトになると気付き、背筋にぞくっと寒気が走ってくる。 「…………っ」 ぶっちゃけ、これってホラー映画なんかだと心恋が戻ってきた時にわたしは姿を消しているパターンとかでは……? (……ゴメン心恋、やっぱなるはやで……) 一応、ギリギリまで声に出すのは耐えてみせるけど……って……。 「……ん……?」 「…………ッッ?!」 しかしそんな折、真っ暗な廊下の遥か先に青白く発光した塊がすーっとこちらへ向けて移動してはすぐに消えたのが視界に入り、わたしの頭の中が?!マークで埋まってしまう。 「こっ、心恋、やっぱりわたしも入れて……!」 「ええええ、さっきのは冗談だってば……!ちょっ、揺らさないで……!」 そして、たまらずわたしはトイレの中へ飛び込むと、心恋が入った個室のドアを一心不乱に叩きまくっていた。 * 「……ふー、やっと帰ってこれた……」 「でも、案外近くでよかったじゃない?これなら夜中に行きたくなっても大丈夫でしょ?」 「いや、それは自信ない……なさすぎる……」 やがて、少しばかり狼狽えさせられつつも、お互いに用事を済ませて何とか温かい客室まで戻って溜息を吐くと、心恋から無神経なフォローを入れられてすぐに首を横に振るわたし。 結局、青白い塊をもう一度見ることはなかったし、トイレのドア越しに心恋から見間違いとか思い込みの幻覚じゃないの?と素っ気なく言われてようやく冷静には戻れたものの、さすがに一人でもう一度トイレまで行ってこいと言われてもその気にはなれそうもない。 なので、今夜はこれから明るくなる時間までぐっすりと眠りたいところだけど……。 「そういや、廊下と比べてこの部屋ってあったかいよね。エアコンみたいなのは見当たらないけど、もしかして魔法の暖房設備でもあるのかな?」 「よく分からないものを何でも魔法と決めつけるのもどうかとは思うけど、まぁ快適になっていることなら有難く享受しときましょ」 「そだね。これがだんだんと室温が上がっていってるとかだったら怖いけどさー」 「……まったく、ここへ飛ばされてからほんと口が減らないんだから……だったら、念のためにドアを開けっぱしにして寝る?」 もしかして、お化け屋敷で期待通りに怖がってあげなかったのをまだ恨んでいたりして? 「あー、それはちょっとあたしも勘弁かな……。んじゃ、そろそろベッドに入ろっか」 「……うん、まぁうん……」 とにもかくにも、今日はこれ以上頭を働かせるのが億劫になってツッコミも投げやりになってきたので、まずは心恋が靴を脱いで飛び込んで行った後にわたしも続こうとはしたものの、いざというところで少しばかり躊躇いが残ってしまう。 「ん?どしたの?」 「……えっと、今さらだけど一緒に寝る、んだよね?」 二人で眠るにも充分すぎてお釣りがくる広さのベッドだけれど、これって同衾ってことになるんだよねと。 「なにか問題でも?」 「あ、ううん……」 すると、心恋の方はまるでそういった特別な意識を感じていないらしく、何を当たり前のコトをという顔で尋ね返して来たので、すぐに小さく首を横に振るわたし。 ……いや、普通はちょっと問題ある気もするけど、一応はお付き合いしている間柄なんだし? じゃなくて、一応はお付き合いしている間柄だからこそ、なんていうか……。 「あはは、なんか修学旅行みたいだよねー?」 「……修学旅行はこんなベッドじゃ寝られないわよ、たぶん」 まぁ、心恋がそういう気分なら、こっちがヘンな方向に意識しても墓穴を掘るだけ。 そこで、わたしも靴を脱いでとっちらかっていた心恋の分も一緒に並べて揃えると、人をダメにする系の柔らかくてふかふかのシーツの上へ背中から身を投げ出した。 (うああ、気持ちいい……!) うん、これなら色々余計なコトを考える間もなく眠りに……。 「えへへ〜、いらっしゃ〜い♪」 「ちょっ……?!」 就けるかと思いきや、わたしが仰向けに寝転がるとすぐに心恋の奴が覆いかぶさってきて、しかも胸の下の辺りへ顔を埋めてくるものだから、すぐに心臓が大きく高鳴ってしまう。 「もう、お風呂入ってないんだからあまり密着しないでよ……」 まだ暑くはない季節だから、そんなに汗はかいてないと思うけど……って、そうじゃなくて。 「あたしは全然気にしないけどなぁ。っていうか、お花のいい匂いする……」 「わたしが気にするに決まってるでしょ……ほら、離れなさい」 お花の香りというのは、出かける前にシャワーを浴びた時のボディーソープかもしれないけれど、心恋の方も密着したさらさらの髪から甘酸っぱいような匂いをさせていて、何だかちょっとヘンな気分になってしまいそうというか。 「え〜。せっかく十花のお腹ふかふかなのにカタいコト言わないでさぁ。……ね、おっぱいも触っていい?」 「いいわけないでしょ……」 しかし、心恋の奴は遠慮するどころか更に図々しい要求を重ねてきて、わたしは反射的にツッコミを入れるものの……。 「どうして?」 「どうしてって……」 顔を上げてきた心恋から真顔で心外そうな反応を返され、返答に困るわたし。 いやまぁ、確かにコイビト同士でしょ?と突っ込まれたら何も言えなくなるとして。 「……えっと、わたしの心の準備の方がまだだから、かな?」 「そっかー、んじゃ仕方がないね。こっちで我慢する……」 そこで、わたしもゴマかしなしで本音を答えると、心恋は渋々と納得した様子で再びお腹に顔を埋めてきた。 (それでも、まだ離れる気はないのね……) というのはもう野暮な気がしてきたから追求しないとして……成る程、自分は何だかんだで気持ちの踏ん切りが未だあやふやなのに対して、心恋は最初からホンキの恋人同士なんだと。 それはわたしの覚悟が足りていないと自覚を問うべきなのか、そもそも初対面でいきなり付き合おうと持ちかけられてたった一週間でそんな気になれと言われてもやっぱり無理があるというべきなのかは分からないものの、今はまだ少しばかり温度差があるみたいだった。 「……まぁでも、別に心恋に触れられるのがイヤってことはないんだけど」 「ありがと……あと、ゴメンね?」 ならばと、せめてそれを少しでも埋め合わせしてやるつもりでフォローしてやれば、心恋はお腹を頬ずりしながらしおらしく謝罪の言葉を投げかけてくる。 「なにがよ?」 「いや、主にはオバケ屋敷の時のことだけど。あたしが無神経だったから十花を怒らせちゃったみたいだし」 「……いいわよ、べつに。正直、わたしも空気が読めずに悪かったなーって思ってるから」 それとまぁ、そうやってちゃんと覚えているならそれだけで満足だし、お互いに反省点が湧きまくっているのも、新米カップルらしいといえばらしいのかもしれない。 「ん……色々噛み合わないことも多いけど、案外相性は悪くないなって思ってるんだ、あたし達」 「そ、そう……?」 もちろん、嫌いって気持ちは今は心の片隅にも残っていないけれど、それに関してはまだ合意しかねるというか。 「理由はうまく説明できないんだけど、あの後でもし十花が怒って帰っちゃってたとしても、あたしは諦めるつもりは全然なかったから……」 「……そう、なんだ?」 「だからね、十花もどうかあたしを信じて……すぅ……」 「……心恋……?」 それから、言い終える前に急に静かになったと思えば、心恋はそのまま小さな寝息を立てて眠り始めてしまっていた。 (信じてって、そりゃ信じられないと思ったヒトならゲームに乗ってないわよ……) それを見て、やっぱり心恋も小さな身体なりに気を張って疲れていたのかな……と、わたしはとりあえず頭を優しく撫でてやったものの……。 「って、寝るならどきなさいよ……!」 「にゅふふふ……すぅ……」 やがて、それはすぐにツッコミへと変わるも、残念ながら今夜の寝床を決めた飼い猫の様にどいてくれそうな気配はなかった。 (やれやれ……) まったく、同じく疲れているわたしの方が寝苦しいっての……。 次のページへ 前のページへ 戻る |