新米百合カップルの奇妙な新婚旅行 その5
第五章 プリンセス・ココレット
「どうどう、似合ってる〜?っていうか、あたしすっごく可愛くない?」 「……いや、似合うってもんじゃないわね、それ。カワイイ通り越してちょっと引くくらい」 翌朝、貰った薬のお陰で頭痛が完全に引いていた心恋が、早速に昨日選んであげた純白のブラウスと黒スカートのドレスに着替え、すぐに気に入ってくれた様子で姿見に映る自分を自画自賛する姿を見て、わたしも完璧すぎるチョイスに見惚れつつ唸っていた。 「いや、どういうホメ言葉なのさ、それ……」 「それだけ心恋のモトがいいってこと。それでお淑やかにしてたらホントにお姫様みたいよ?」 自分が着せて見たいという、一種のワガママで選んだ衣装だけど、やっぱり心恋って快活なタイプの割に清純な白がよく似合っていて、何だかこのまま一日中眺めていたい気分である。 ……ほんと、惜しむらくはスマホの充電が不可能でカメラが使えないコトなんだけど。 「あー、やっぱお淑やかにしてなきゃダメかな?」 「まぁわたしはばあやさんじゃないから、別に口煩いことは言わないけど」 「んふふ〜、だって十花はあたしのお嫁さんだもんねー?」 「……お姫様のお嫁さん、ねぇ」 そういうのも珍しくない時代にはなりそうだけど、ともあれ城主ともあろう人達のドレスなら本人に合わせて仕立てられたものなんだろうし、それをここまで着こなしているというコトは、もしかしたら元々の持ち主も心恋に似た容姿なのかもしれない。 「お互いサイズもぴったりだしさ、これであの部屋にあるのはどれも着られそうだね。せっかくだから、二人でファッションショーでもやっちゃう?」 「いや、少しは自重なさいって……面白そうだけど」 自由に使っていいと言われた時にわたしもちょっと考えてしまったのは認めるとしても、暢気に遊んでいる場合かという以前に、いくらなんでも遠慮に欠けすぎである。 「んじゃ、これからどうする?……まずは朝ごはんだけどさ」 「特にアテがあるワケじゃないけど、城内でまだ行ってない場所を見て回ろうかなって」 とりあえず、安全に管理されたお城なのは分かったので、今後は何処へ行くにも恐れることなくまずは手掛かり探しである。 「おっ、探検再開だね。昨日は動けなかったから今日は足で稼ぐよー」 「でも、今日はメイドさんじゃなくてお姫様なんだから、お行儀よくね?」 「ううう、十花がお嫁さんというよりお母さんだ……」 「……いや、さすがにママにされるのはまだノーサンキューかなぁ」 あと、昨日からずっと頭の中に引っかかってる人物……ココレットさんについても何か分かることがあればとは思っているんだけど。 * ……突然ながら、観光旅行で見知らぬ土地を訪れた際、真っ先に何処を目指すだろうか? なんて問われると、大抵の人は目玉の観光名所やらご当地名物が食べられる評判のお店などを挙げるのだろうが、わたしの場合は少し違っていて一風変わったコだと親にも言われてた。 それは大体の町にあるもので、また“ご当地”を堪能する為の重要な観光地の一つでもあるとわたしは考えていて、そこを見て回っているうちに、何となくその土地のコトが色々と分かってくる気がするのがすごく楽しいのである。 そして、そんなわたしが愛してやまないスポットはこのお城の中にもあって……。 「うわぁ、やっぱり魔王家の所蔵だけあってすごいわよね……昨日はどうせ読めないと思って素通りしたけど、なんだか今日は輝いて見える……!はぁぁ……」 「え、そ、そうなんだ……?あたしには同じような色ばっかりの地味な風景だけど……」 「そんなコト無いってば。ほら、例えばこの棚にあるのって一つ一つが綺麗な装飾されてるけど、こんなの今まで見たことないし」 よく見れば、背表紙に宝石らしきものが埋め込まれている本すらあるけれど、一体どんな内容が書かれているのだろうか。 「……いや、そりゃ見た事なくて当たり前でしょ?異世界なんだから」 「でも、そんな異世界にも図書館みたいな場所があって、本がずらり並んでるのを見ると興奮してこない?くるわよね……?!」 「ううう、なんか急に十花のコトが分かんなくなった……」 ともあれ、朝食と洗顔を済ませた後に城内探索を再開することとなり、まずは中央階段からワンフロアだけ上って初めて立ち寄った、四階と五階が吹き抜けになっている二階建ての広い書庫の壮観な景色を見て回りつつテンションが対照的な二人がいた。 階段のすぐ側にある、おそらく防火仕様の分厚い扉から入ったフロア内部の全体が本棚の迷路みたいになっていて、並べ方にも統一感がある様な無いような、どこか整然としすぎなのを嫌っている風にも見受けられるちょっと捻くれたレイアウトが、魔界という個性を醸し出している感じで実に興味深い。 「……なんか失礼な言い草だけど、心恋はワクワクしてこないの?」 「するワケないってばさ……というか、元々読書もあまり好きな方じゃないけど、それでも十花だけ字が読めるのずるいし」 と、わたしはもしかしたらこのお城へ来て今が一番楽しいかもしれない一方で、心恋の方は冷めた態度であてつけがましく溜息も吐いてきてたりして。 「ずるいと言われても……けどまぁ確かに読めないままこんなトコ来ても生殺しよね」 ただ、これも魔王ルミナさんから一時的に借り受けている能力だし、わたしがどうこう出来るものでもないとしても、何とか心恋にも共有させられたらいいんだけど……。 「ちなみに、どうやって能力(チカラ)をもらったの?」 「……どうやってと言われても、いつの間にかとしか。……いや……」 よくよく考えて思い当たる節があるとすれば、名乗って握手を交わした時だろうか。 「ねぇ心恋、ちょっと手を出してみて」 「ん?……こう?」 そこで、わたしは再現してみようと心恋へ促し、差し出された右手をあの時みたいに両手でしっかりと握って「心恋にも読める様になりますように」と念じてみたものの……。 「……えっと、これで読めるようになってない?」 「なってないってば……」 それから離した片方の手で取った本の表紙を見せるや、すぐに呆れた様な返事が戻ってきた。 「だめか……」 「大体、手なんていつも繋いでるでしょーに」 「あはは、そうだったわね」 「ってコトで、もう他へ行かない?」 「えー……」 わたし的には、興味深そうな書物が沢山あるから一日中だって籠っていたいのだけれど、昨日の今日ですぐまた別行動になってしまうのもしのびない。 「まぁもう少しだけ辛抱していてよ。きっとここに何か手がかりはあると思うし」 「そりゃ何かはあるだろうけど……でも、木を探しに森の中へ入ってる状態だよこれ」 とはいえ、ロクに調査しないでスルーしてしまうのはあまりに惜しい場所なので宥めるわたしに、心恋は肩を竦めつつ正論っぽい言い分を吐いてくるものの……。 「ううん、別にそこらの本を片っ端から読んでみようって話じゃなくてね、こうやって風景を眺めてるだけでも色々と見えてくるものだから。ええと、これが見取り図かな……?」 これについては、それなりの信頼と実績はありますので。 「ふーん、図書館探偵十花って?」 「……探偵さんはちょっと憧れてるけど、活躍の場は狭そうね」 事件は図書館の中で起こる!……なんてのは滅多になさそうだし。 「ん、コレって……」 ともあれ、退屈アピールを続けてくる心恋を尻目に巡ってゆく中で、フロアの中心部にちょっとしたスペースが区切られていて、その真ん中にアンティークデザインの使い古された四角テーブルと、横並びの椅子のペアを見つけて足が止まるわたし。 「え、なんのことない本を読むための机でしょ?」 いえいえ、そう片づけてしまうのは早計で。 「……あのね、ここがルミナさん姉妹が幼い頃に過ごしていたお城なら、この書庫が二人の学校だったかもしれない」 実際、机の上には鳥の羽根のペンやインク、ブロッターなんかも二人分あるし。 「ふーん、だから?」 「だから、何か昔の痕跡でも残ってるかなって……ほら、こことか」 そう言って、わたしが見つけて指差した机の端には、二人のそれぞれの手書きと思われる名前が並べて落書きされていて、更にルミナのナとココレットのコのスペルの間はハートを象った線で繋がっていた。 「なにこれ、相合傘みたいなもん?」 「多分ね。それに、この辺の棚って本置き場というより……あ、これってノートかな?」 それを見て、字は読めないながらもハートマークで察した心恋に頷き返しつつ、更に机の周りの疎らな棚を漁ってゆくうちに、他の本よりも薄くて簡易に製本された小冊子の束を見つけて手にとると、表紙にはルミナさんの署名が記されていた。 「お、黒歴史はっけーん?内容によったら、これをチラつかせて帰してもらうというのは……」 「相手は魔王様なの忘れてない?ヘタに脅迫したってわたし達ごと隠滅されかねないわよ」 「うわこぇぇ……んで、見るの?」 「まぁ、虎穴に入らずんばなんとやらとも言うし……」 脅迫材料とは考えていないとしても、帰る為に情報は命がけで集めないと。 (というワケで、ごめんなさい……) そこで、わたしは心の中で一言謝りつつ表紙を捲ってみると、最初の見開きのページには物理の教科書で見た様な、いやそれよりも遥かに複雑な数式が所狭しと書き込まれていて、更に式の中には数字だけじゃなくて炎や水滴、風や土の塊などに見える絵文字も混じっていた。 「…………?」 しかも、それらは赤、青、緑といった色とりどりの線で結ばれて全部が繋がっているみたいで、つまりはこの見開きのページに書き込まれた数式は全体でひと塊の……なんだろう? 「なになに、ナニが書いてあったの?……ってうわ、吐き気がしそう……」 それから、感想の代わりに首を捻ってしまったわたしを見て心恋も横から顔を覗かせてきたものの、またすぐに離脱して口元に手をやる仕草を見せる。 「あはは、ある意味グロいわよねぇ、これは……」 まぁ、わたしもどちらかといえば文系女子なので、複雑怪奇な計算式をびっしりと見せられて吐き気を催す気持ちは分からないでもないものの、ただこれが一体何なのかについては興味を引かれていた。 (……これで、ルミナさんは何をしようとしてたんだろう?) おそらく、何らかの演算をしているとして、学習の過程で取ったノートには見えないし、繋がりが整然としていないのを見れば完成図というよりも走り書きのメモに近いのかもしれないけれど、何かヒントはないものかと目を凝らすたびに気になるのは、件の絵文字たち。 これらは全部で七種類あるみたく、右ページの一番下に一覧で並べられてそれぞれの横には複雑な数字(もしかしたら計算結果?)も添えられていて、絵文字が何を意味しているのかさえ分かれは、何となく推測出来そうなんだけど……。 「ん〜〜っ……えっと、この絵文字を見て何かピンとくるものはない?心恋」 「もう、吐き気がするって言ってるのに見せてこないでよ……って、んん……?」 そこでふと、何でもひとりで考え込むなとお風呂でお説教されていたのを思い出したわたしはダメモトで相方へ水を向けてみると、心恋はまず差し出されたノートに拒否反応を示しつつも、二度見した後で何かが引っ掛かった様な表情を見せた。 「を……?」 まさか、ほんとにピンと来たの……? 「いや、何か思いついたわけじゃないけど、この火のマーク見てたら炎の塊を思い出してさ」 「炎の塊って……ああ、なるほどね……!」 それから、腕組みする心恋に言われてわたしも以前に見たことのある、城内のランプに入っていた常に光量が一定だった炎の塊が頭に浮かんでくる。 つまり、これって炎は火で水滴は水で、土と風もそれぞれそのまんまで、太陽みたいなのが光で、三日月の形をしているのが闇で、星の形をしたあと一つだけは良く分からないものの、付いている数値は一番大きいみたいだけど、とにかくつまり……。 (ん、エレメント……?) そしてさらに計算式の隅っこなどに走り書きされているメモを追ってゆくと、エレメントという文字も確認することが出来た。 「…………」 ちなみに、他のページにもっと詳しい情報が書き込まれてないかと捲ってみたものの白紙で、どうやらこのノートはルミナさんが最後に使ったもの、というコトになるだろうか。 「ふむ……」 「んで、分かった?」 「……確証はないけど、これってもしかして“魔法”のレシピみたいなもの、なのかな?」 ともあれ、頭の整理が終わって何となく一旦ノートを閉じてしまったところで改めて心恋から結論を求められ、頭に浮かんだそのままを答えるわたし。 エレメントというのは確か要素とか成分って意味で、わたし達の世界でも剣と魔法の世界な作品でよく見る単語だからイメージしやすいけれど、おそらく城内にある本来は場違いっぽい便利家電を動かしている動力になっているのは間違いないと思う。 んで、それをわたし達は勝手に魔法仕掛けと呼んでいたけれど、どうやら本当にそうらしいというか、魔界っていうくらいだから魔法も当たり前に存在する世界なのかもしれない。 「魔法ねぇ……。つまり、この世界ならリアル魔法少女にもなれたりして?」 「……ほほう、そーいうのにも興味あったんだ、心恋?」 「あはは、実をいえばね、そーいうアニメとか好きで見てるし」 すると、書庫へ来てから初めて相方が興味深そうに食いついてきたのを見たわたしがニヤリとした視線を向けてやると、心恋は頭の後ろへ手をやって少し照れくさそうに認めてくる。 「なるほど、心恋さんは中二病の気配あり……と。心にふかく刻んでおこう」 まぁ、だからこそ違う世界へ飛ばされたというのに無邪気に楽しんでいるのだろうけれど。 「え〜、まだまだ夢見たっていいじゃないさ?ほら、背中に翼が生えろとか思ってみたり……」 (ん……?) しかし、これみよがしにとイジりを続けるわたしに反論する心恋の背中に、何やらうっすらと翼のような残像が見えた気がした後で……。 「強キャラっぽいドヤ顔うかべて掌の上に魔力の塊みたいなのを集めてさ……」 「心恋……?」 あれ、本当に開いた右の掌の上に小さい風の流れみたいなのが見え……。 「こう、一気に解放させてみたりして……って、わああああっ?!」 そして、わたしには見えている違和感に全く気付いていない様子で右手を振り払う仕草を見せるや、心恋を中心に巻き起こった突風で周囲の本がうず高く吹き飛ばされていった。 「ちょっ、なにやってんのよ心恋……!?」 「しっ、知らないよぉ……!わ……っ」 やがて、小さな竜巻のような風はあっという間に消えてしまったものの、巻き上げられた本が落ちてくるのを避けつつ叫ぶわたしに、呆然とした様子でかぶりを振ってくる心恋。 「ふー、危なかった……えっと、心恋ってもしかして魔界からナイショでやってきた魔女の卵か何かだったりするの?」 「そんなワケないじゃん……。由緒正しい湊家の一人娘だよあたしは」 それから、収まった後で散らかった本を拾い上げつつ、冗談と本気が半分半分のセリフを呟くわたしに、心恋も同じく机から落ちたペンなどを拾いつつ苦笑いを見せる。 「じゃ、今のは一体……」 「何か偶然に起こった事故か何かでしょ?……ほら、もう一度やろうとしてもデキないし」 「試さなくていいから……まぁそれはそれで魔法使い体験ができてよかったじゃない……ん?」 ともあれ、わたしも本音は偶然の事故という心恋の言い分を支持していたので、それ以上は追及せずに書物の拾い集めを続けていたものの、やがて開かれたまま落ちていた別のノートから気になる書き込みを見つけた。 「今度はなに……?悪魔の召喚術でもあった?」 「いや、これ……って、心恋は読めないか。たぶんルミナさんの字だと思うけど、ルミナとココレット、ここに恒久の絆と愛を誓うって、二人のサイン入りで」 しかも、見開きを丸々使っている上に、血判の様な染みまで見える。 「へー……まるでコイビト同士だね?」 「まぁ、そういう表現が適正なのかは分からないけど……」 ただ少なくとも、通常の“仲良し姉妹”という枠組みでは納まらないカンケイっぽいのは確かみたいだった。 「けど……やっぱ、気になる?」 「ココレットさんのコト?……なんとなくだけど、無関係とも思えないのよね……」 それから、こちらの頭の中を察した様に水を向けてくる心恋へ、小さく頷くわたし。 まだ直接の因果関係までは思いつかないとしても、自分達をここへ招いてきたルミナさんにとって彼女の存在が一番大きなものらしいのは改めて分かったし、それだけ仲睦まじかった妹さんがどうして今は傍らに居ないのかもますます気になってきた。 「あたしも。んじゃ、これからはちょっと気をつけて探してみよっか?」 「ええ……」 ただ同時に、軽々(けいけい)と触れちゃいけない胸騒ぎもするんだけど……ここは進むしかないか。 * 「うはぁ、またお宝の山だ……!」 「……今度は文字通りね。でもちゃんと警備されてるはずだから展示物に触っちゃダメよ?」 やがて、書庫の探索を切り上げて更に上の階へと移動し、六階にある宝物の展示場を見つけるや興奮した様子で目を輝かせる心恋に、保護者モードで宥めるわたし。 「あはは、今さら牢屋に入れられちゃうのもイヤだしね。というか管理人さんいるんだっけ?」 「いるわよ?なんか天使みたいな人だった」 普段は人懐っこくて温厚そうだけど、ああいう手合いは怒らせた時が怖そうというか……。 ともあれ、書庫と同じくフロアの大半が広間として使われているこの展示場は、壁や棚、ガラスケースの中などに美術品や宝石、家の歴史にまつわると思われるお宝が並べられていて、ルミナさんとココレットさん姉妹のお城らしく、どうやら二人に関係する記念の品が中心みたいだった。 「……うーん……」 たとえば、ルミナさんが初めて食事をした時の銀の食器とか、最初に仕立てたドレスや一歳の誕生祝いに作らせた宝石たっぷりの王冠やら、ココレットさんの産湯を入れた浴槽とかもあって、それぞれのモノ自体は名工による美術的価値の高い品々みたいだけど、この展示室を作らせた先代魔王さんの親馬鹿っぷりも見せつけられている感じで、思わず苦笑いが零れてしまうわたし。 ……ちなみに、心なしかココレットさん関連のモノの方が多めな印象だけど、もしかしたらルミナさんの意向なんかも多分に入っていたりして? 「……あ、ちょっと十花、きてみてー?!」 「なに、何かあったの?」 ともあれ、手がかりになりそうでならなさそうな展示品を一つ一つ眺めていた中で、先に奥の方へと行っていた心恋に大声で呼ばれてわたしも足早に向かい……。 「……ね、これってさ……」 「あ、もしかして……」 わたしが合流してきたのを見て心恋が指差した先の壁に飾られていたのは、十歳くらいの女の子が幻想的なお花畑の中で二人並び、それぞれ赤中心と白中心の花を束ねたブーケを持ったまま笑顔を浮かべている、淡くて明るいタッチの水彩画だった。 「えっと、左側がルミナさんってのは分かるわ」 背景の場所が一体どこなのかは想像もつかないとして、二人の表情は実に幸せそうで見ているこちらも思わず笑みが零れそうになるものの、この絵でやっぱり一番注目を引くのはもうひとりの人物の姿。 「ふーん……。それじゃ右の女の子がココレットさんってこと?」 「……まぁ、そうなるでしょうね」 ようやく拝むことが出来た小柄で栗色の髪をした西洋人形みたいな顔立ちのココレットさんの容姿は、ちょうど心恋が十歳くらいの時はこんな感じだったんだろうなって想像するくらいには似ていたものの、ただ不思議と今さら大袈裟に驚く気にはなれなかった。 「というかさ、このココレットってひと、あたしに似てない?」 「……ねぇ、心恋。実は生き別れのお姉さんとかいたりしない?」 「いないってば!……もー、なんなんのさー」 「あはは、いや何となくだから」 ただ、心恋の方はあくまで他人の空似って態度だし、そもそも仮説を立てられそうな魔界との接点も見当たらないので、わたしもそれほど本気で尋ねたワケでもないんだけど。 「……んで、それよりなんかちょっとおかしくない?この絵」 「そう?……って、あれ……?」 ともあれ、それから心恋に違和感を指摘されて改めて注視してみると、この水彩画にはちょっと……いや、気付いてしまえば思いっきりな違和感があって、左右が背景色の絵具で雑に塗りつぶされているのに気付く。 「これって、もしかして元々は左右に誰かいたんじゃないかな?」 「確かに……」 そこでパッと思いつくのは、両親とか他の兄弟とかだろうけれど……。 「…………」 「あ、ちょっと十花?!さっき自分から……」 ただ、一度完成された作品が後から塗りつぶされたのだとしたら尋常じゃない話だし、何とかして元絵が覗けないものだろうか。 と、わたしは衝動の赴くがままに近付き、ルーペが無い代わりに目を細めて凝視しつつ塗りつぶされた箇所へ指先を触れさせていた。 「うーん、ライトで照らしたりしたら見えるかもしれないけど、心恋は持ってないー?」 「持ってるワケないでしょ……。も〜、怒られても知らないからね?」 「まぁまぁ、さすがに絵の具を剥ぎ取ったり破いたりするつもりまではないし……」 「……それでも困りますよぉ十花さん!お手に触れないで下さいぃ」 「え……?」 しかし、お叱りを受けるとしても後での話だろうとタカをくくっていたものの、それからすぐに別の聞き覚えのある柔らかくも鋭い声が会話に割り込んできて、慌てて振り返るわたし。 「あ、フローディアさん……」 「……まぁ確かに、その絵は後から手が加えられたんですけどね〜」 見ると、少し息を切らせた様子で管理人さんがやってきていて、まずは言われるがままに手が届かない距離まで離れるや、肩を竦めつつ疑問にも答えてくれた。 「えっと誰……?こちらさん」 「昨日、心恋の薬を調合してくれた件の管理人さんよ。……というか、常駐はしてないと言ってた割には早かったですね?」 それから、全く見覚えのない相手が急に現れたのもあってきょとんとした顔を見せる心恋へひとこと説明した後で、ちょっと嫌味交じりのセリフを向けてやるわたし。 「ええまぁ、少し前に書庫で突風魔法を使って暴れてる人がいるかもと通報がありまして」 「……だってさ、心恋?」 「あれは不可抗力だよ?!」 「とまぁ、イザとなれば力ずくで止めなきゃならない案件かもというコトでわたしが駆け付けた次第なのですが、現場には誰も居なかったので、ちょっと十花さん達がご無事かを確認しとこうかなと探しているうちに、展示品に触れようとしている姿が目に入りまして……ふぅ」 「それは、すみませんでした……というか、まぁ突風は何かの弾みか事故でわたし達が起こしてしまったんですけど、そんな早く駆けつけて来られるものなんですか?」 「ん〜、わたしなら飛んで来てもギリギリ間に合いそうですけど、実は魔王宮本殿とこのお城はエレメンタル・ゲートという秘密の転送装置で結んでいますから、お嬢様やこの城に従事しているメイド達は即時に行き来可能なんですよ〜」 そして、こちらの謝罪の後の指摘に、魔王さんの片腕は自分の能力自慢とタネ明しを返してきた後で……。 「……というコトで、湊心恋様は初めましてですね。わたくし、魔王ルミナお嬢様付きのメイド長及び筆頭秘書及び参謀長及び護衛役及び当城の管理責任者及び宮廷魔術師長なども任されておりますフローディアと申します。以後お見知りおきを〜♪」 「こちらこそよろしく……って、盛りすぎ盛りすぎ……!」 改めて初対面となる相方へ向き直り、同じくカーテシーを見せつつ長ったらしい肩書きをしれっとこの前よりも追加して名乗ると、心恋もわたしと同じ感想を口に出していた。 「ホント、わたしも一度じゃ覚えきれなかったし……」 (けど、フローディアさんは心恋に対して特に何もなさそう……?) はじめましての挨拶はごく自然な口ぶりだったし、やっぱり思い過ごしだろうか。 「……あ、そーだ!そういえばここの城主さんたちの絵って他の場所で探しても全然見かけなかったんだけど、なんか事情とかあるんです?」 「それはですねぇ、先代陛下は子煩悩なお方でしたので沢山描かせてはおられるのですが、生憎ルミナお嬢様が気恥ずかしいと展示を嫌がって殆どが倉の奥に眠っているんですよぉ。わたしとしても、エントランスのロビーにででんっと飾っておきたいんですけど」 ともあれ、自己紹介も終わった後で心恋が鋭いところを突いた質問を向けると、フローディアさんは軽く肩を落とす仕草を見せて残念そうに答えてきた。 「ココレットさんのも?」 「ええまぁ、何せお二人で並んでおられる絵ばかりですからー」 「なるほど……それで、ここの塗りつぶされている場所に本来描かれていたのは?」 「ズバリお答えすれば兄上方です。バランタイン家には嫡男が四名おられましたので」 それから、絵に触れるのをやめる代わりにというつもりで質問を重ねたわたしへ、これでもかって位の素っ気無い態度で回答するフローディアさん。 「おられましたって、今どこに?」 またも口ぶりが過去形なので、わたしはすさかず問いかけを続けたものの……。 「さて……その殆どは何かに生まれ変わっておいでと言うべきか、魔王家の墓地で眠っておられると言うべきか」 「え……」 「おっと、また少しお喋りが過ぎたみたいですね。……では、見学はご自由になさって結構ですけど、警備網に引っかかってしまいますので、どうぞお手には触れずってコトで♪」 「は、はい……気を付けます……」 フローディアさんはやや回りくどい表現で既に死去したと思われる回答を返した後で、改めてお触り禁止の注意を満面の笑みで促すと、そのまま背を向けて立ち去っていってしまった。 「……もしかして、結構呪われた一族だったりする……?」 「だーかーらー、やめてってばそういうの……だいたい失礼でしょ?」 ……ただ、そんな事実もこの塗りつぶしの答えにはなってないよね?とは思うけど。 * 「ほほー、七階の更に上ってこうなってたんだ?」 やがて、宝物展示室を出て探索の範囲を七階へ伸ばしつつ窓の外の日も傾きかけ始めた頃、わたし達は本日の締めくくりに心恋の希望で八階へと続く扉をくぐって螺旋階段を上っていた。 「……うん、もしかしたら上へ続く扉は昨日まで閉じられていたかもしれないけど」 わたし的には気安く何度もこういった場所へ立ち入るべきじゃないとは思うものの、心恋としては自分が寝込んでいる間に差が付いた分を早めに追いついておきたいんだそうで。 「ふーん、なんか流れがゲームみたいだね?」 「まぁ、心恋ならそう言うと思ってたけど……」 ともあれ、昨日の今日で再び謁見の間へ続くロビーに着いて改めて見回すと、扉より少し離れた左右の陰になっているところから更に上層へと続く階段があるのに気付く。 「そういえば、ここよりまだ上があるみたいね……?」 「城主さん達の寝室かな?後でそっちも見てみる?」 「いや、さすがにそれは気が引けるでしょ……」 完全な空き家というならともかく、ちょくちょくは帰ってきているみたいだし。 「まぁそだね。……というか、今いないのかな?」 「居たら居たで、ちょっと気まずいんだけど……」 昨日の会話の流れだと、次に会う時は宿題を解いた時って感じだったし。 「……へー、確かにいかにもな玉座があるけど、ここで城主の魔王さんと逢ったの?」 「そう、いつの間にか左の玉座に腰掛けててね」 ともあれ、家紋入りの立派な扉を軽く押して昨日の時と同じく半自動で開いた扉の先には空席の玉座が二つ並んでいて、ルミナさんの不在に安堵ししつつ説明してやるわたし。 「んじゃ、右が妹さんの玉座?」 「まぁ、そうなるでしょーね……」 埃は被っていないものの、むしろルミナさんのよりも綺麗な状態なのが逆に使われている気配を全く感じさせない、もう一人の城主の居場所。 「……あのさ、ちょっと座ってみちゃダメかな?ここ」 「はぁ?やめときなさいよ」 すると、心恋がココレットさんの玉座の前でウロウロしつつそわそわした様子で言い出してきたので、わたしはすかさず止めたものの……。 「けど、こんなチャンスはもう二度と無いかもしれないし、あたしはここに座ってた人とそっくりみたいだから……ていっ!」 結局、衝動的な欲望には抗えなかったのか、わたしの制止も虚しくココレットさんのドレスを着た心恋はお尻からピカピカの玉座へ飛び込んでしまった。 「あ、こら……!」 「……おおっ、見た目より全然座り心地いい……って、え……?」 すると、無邪気な笑みを浮かべたのも束の間、それからすぐに心恋は目を見開いた状態でそのまま固まってしまう。 「心恋……?」 「…………っ」 「え、ちょっと、どうしたって……」 「……そこで何をしているの?」 心恋の身に何が起こったのかは分からないものの、明らかに様子がおかしいのを見て慌てて駆け寄ったところで、更にもう一つの玉座の足下から眩い光と共に城主様が姿を現してきた。 「ルミナさん……?!」 「城内を自由にしていいとは言ったけれど、この私の許可無しで玉座に座る資格まではないわ。離れなさい……!」 「すっ、すみません!わたしも止めたんですけど……ほら、心恋!」 それから、放心状態の心恋へ怒りを孕んだ冷酷な視線を向けつつ強い口調で命令してきたのを受けて、わたしは慌てて代わりに謝ると、抱きかかえるようにして椅子から立たせてやった。 「……と、十花……」 「だからやめとけと言ったでしょ?!……ほら、心恋も謝りなさい」 「え、えっと、ごめんなさい、もうしません……」 「……分かればいい……」 すると、玉座から引き剥がした後でようやく我に返った心恋がわたしに促されて素直に頭を下げたのを見るや、ルミナさんも小さく頷いてそれ以上は咎めようとしなかった。 「ほんと申し訳ないです……。誰も見てないから、ついって感じだったと思うんですけど」 「ここ以外の場所なら構わないけど……玉座というのはやはり特別な場所だから」 「ですよね……」 ぶっちゃけ、ここで無礼討ちされたって文句は言えないくらいのコトをしでかしたんだし、叱られただけで済んだ事を感謝すべきなのだろう。 「……では、私はこれで。以後は気をつけて」 そして、城主のルミナさんはまだ上の空といった様子の心恋を少しの間だけじっと見つめた後で、短くそう告げて再び姿を消してしまった。 「ふ〜〜っ……」 ……心恋の様子がおかしかったから何とかフォローしなきゃって身体が勝手に動いたものの、正直すっごく怖かった。 というか、心恋の方はやっぱり魔王の居城に居るんだという実感が足りていなかったんだろうけれど、まぁさすがに今回のことで少しは……。 「…………」 「……ん、どうしたの?許してもらえたみたいだから、二度としなきゃ大丈夫だって」 凝りてくれればそれでいいんだけど、ルミナさんが居なくなった後も心恋は虚ろな目でもう一つの方の玉座を見つめたままになっていたので、逆に背中を軽く叩きつつ励ますわたし。 一応、わたし達は客人扱いみたいだし、今回はこれで水に流してくれるはず。 「……今のが、ルミナさん……だよね?」 「そうよ、出て来た時にわたしが名を呼んだでしょ?」 「うん……」 「……で、玉座に座ってからちょっと様子がおかしかったけど、何かあったの?」 「えっと、あのさ……」 それから、どうも相方の様子がおかしいのは別の要因な気がしたわたしが改めて水を向けてみると、心恋はこちらの耳元へと両手と口を近づけ……。 「もしかしたら、ココレットさんってルミナさんに殺されたのかも……」 「はぁ?!」 わたしを怖がらせる為の悪質な冗談なのか本気で言っているのか、すぐには判断できそうもない不気味な言葉を短く囁いてきた。 次のページへ 前のページへ 戻る |