第四章 悲劇恋愛物語

 しかし前のページで「禁じられた愛の美しき顛末」を読んでおいてくれって言ったものの我ながらあれは恥ずかしいコラムデスね(^^)。まああれも解釈する人のスタンスでどうにも変わってしまうんですけど。我ながら思うにちょっと美化が強すぎるのが僕の解釈の特徴の様ですね。いやはや。

 さて、今見ると何か漠然としたタイトルで思わず変更したくなるんですけど(^^)、この章では主に下巻を代表すると思われる物語の沙本昆売と木梨軽皇子の説話を取りあげました。実は初めはこの論文のメインは大国主命と倭建命の説話にするつもりだったんですけど、これでは下巻を無視した形になるので後で慌てて調べ始めたっていう何とも頼りない動機デスが、結果的にはこの二つの物語の研究無くして今回の卒論の結論は得られませんでした。倭建命について勉強している時に何となく思ってた結論に確証に近いものを与えてくれたのがこの二つの物語です。それと後で個人的に気に入りました。ここのお話(^^)。

・選ばれたのは...

 さて、まずは沙本昆売の物語の方から。この物語は主人公の沙本昆売が天皇への謀反を企てる兄の沙昆比古と、自分の夫である垂仁天皇の間で思い悩む姿が散文形式で描かれています。
 ある日、沙昆比古が沙本昆売に夫である垂仁天皇と自分とどちらが大切かと聞いたとき、沙本昆売は兄の方が大事と答えました。それを聞いた沙昆比古は謀反を企てる自分の企みを話し、沙本昆売に紐小刀を手渡して「これでこの兄の為に天皇を殺せ」と命じます。 
 そして沙本昆売は小刀を懐に天皇の所へ向かいますが、彼女は夫である天皇も深く愛しており、どうしても天皇を殺めることが出来ず結局は天皇に自分の兄の謀反の企みを報告してしまいます。
 結果、当然の如く沙昆比古は反逆者として皇軍に追われる事になりますが、ここで沙本昆売は兄の元へ戻り、ともに皇軍に追われる道を選びます。どうにか沙本昆売だけは連れ戻そうとする天皇ですが沙本昆売の意志は堅く、天皇との間に身籠もった子供を天皇に渡し反逆者として兄と運命を共にしてしまいました。
 兄と夫の狭間で思い悩んだ沙本昆売でしたけど結局最後に選んだのは兄、沙昆比古だったのです。

・禁断の恋の果てに

 で、次は木梨軽皇子の物語です。こちらは幻想神話論にもある通り兄妹間の近親相姦による恋愛がその内容で、こちらは沙本昆売の話とは対照的に12の和歌を用いた完全な歌物語形式で展開されています。允恭天皇の第一皇子にして皇位継承者の軽皇子が実の妹である軽大郎女を愛してしまい、そのために全てを失っていくっていう話です。で幻想神話論の方をご覧になったらわかりますが、ここでは最後の二人の再会と自殺の所にスポットを当ててみました。あの最後の自殺を永遠の愛の始まりと解釈した裏には倭建命と同じ様な作者の強い思い入れを感じたからです。感動の再会の後の自殺なんでただの絶望とは単純に考えられないかなと。

 ちなみにここの章でとりあげた物語はいずれも繊細な心理描写が際だった物語と言えます。ここら辺は何となく源氏物語っぽい雰囲気を感じましたけど流石に卒論には記してません(^^)。まあ全く物的証拠の無い個人的な感性デスし、何より僕は源氏は全然詳しくないので。それにもし本当に紫式部が古事記を読んで源氏執筆の時に影響を受けたとしても全然不思議では無いですしね。彼女位の学者なら古典はほとんど読んでいるはずですし。とりあえず詳しく比較してみる気力も暇もちょっと無いデス(^^)。ただ一つ、こんな根も葉もない僕の感性が、ある説を興味付かせるきっかけにはなりましたけど。

 とりあえずその話は完全に蛇足なんで後回しにするとして、そろそろこの論文の核心にせまりたいと思います。この章を解釈してて感じた感動以外の感想はただ一つ(でも無いんデスが^^)、「どうして逆賊を主人公にしているのか?」

 まず、最初にとりあげた沙本昆売の物語では沙本昆売は最後には天皇では無く兄を選びました。しかも天皇の説得をはねのけてまで。血の繋がりによる絆(連帯感)は何よりも強いんだという思想を表現した結果なのかもしれませんが、その分天皇の立場は完全に失われてます。だけど古事記の編纂的特質を考えた場合、本来は多少の虚構を捏造してでも天皇が主人公にならなければならないはずです。事実がどうあれ好きなように歴史を改竄出来る訳ですし。

 軽皇子に至っては近親相姦という人として有らざるべき罪を犯し、天皇家の名誉を傷つけた一族の恥とも呼ばれかねない人物についてどうしてあそこまで質の高い物語で綴ったのか。さらに言うなら第一章でとりあげた女鳥王の話も然り。どうして謀反を企てた反逆者の立場で物語を展開させているんでしょう?敗者への悲哀。これがやはり深く根付いているのかもしれませんが、むしろこのテーマは政治的意図の高いこの書物では淘汰されねばならないはず。下手をすると反体制的な思想すら浮かび上がってきます。ただ、逆にその分物語としては読者に大きな涙を誘うことになりますが。ふむ。

結 日本最古の文学作品 『古事記』

 では古事記の編纂者の意図する物はどこにあったのか。ここまで検証してきた僕の結論としては、古事記は初めから高い文芸意図を持ち、文学作品として作られた物だって事です。古事記の高い文学性は結果論的に付随された偶然の産物などでは決して無いんですね。
 今回取りあげた物語を読んでいて感じたのは編纂者はどうも物語としての質の高さを何より最優先しているっていう印象が感じられました。その結果、勝者の栄華よりも敗者への悲哀がスポットライトを浴びたのだと思います。又、恋愛物語が非常に多いのもこの理由の一つではないでしょうか。日本書紀と比べて「寄り道」が多すぎますしね。編纂意図に沿っているとは思えない話が多すぎるって事についての説明がこの結論によって出来るんじゃないかと思います。
 で最後にもう一つ挙げればこれを実際天皇並びに朝廷が通したって事です。沙本昆売や倭建命や軽皇子等の話が見られるって事は検閲したはずの天皇(推古天皇?)や朝廷がクレームを付けること無く認めた事になります。てことは朝廷側にもそんな意図があって、天皇並びに朝廷の重役達はこの高い文学性に満足して合格の印を押したって事にならないでしょうか。編纂時に朝廷からの厳しい検閲が無かったというのは絶対にありえない話です。それほどこの古事記と日本書紀の持つ政治的重要性は飛び抜けて高かったはずですから。

 それじゃあ文学作品として作ってどうする気だったのか。この理由についてはただの推測でしか無いですが、古事記のほうは宮廷内の読み物として広めるつもりで、肝心の天皇家の権威付けには日本書紀が本命だったのではないかなぁと。だからこそ物語性が追求されたのだと思います。
 実際日本書紀は編纂意図に忠実に淡々と(紀伝体だから仕方が無いデスけどね^^)記されています。とにかく天皇家についての系譜や歴史が事細かく述べられ(古事記に比べて)、又直接関係ない事項は殆ど省略されています。たとえば倭建命の物語での美夜受比売との結婚の部分も日本書紀にはほとんど出ていません。あるのは「結婚したという事実」だけです。その点古事記は読み物としては面白くても歴史書としてはあまりにも不完全すぎます。そんなこんなで日本書紀は本来的には唐(中国)への日本政府の優位性を示すのが目的の様でしたけど実際には日本国内の豪族に対しても使われたのではないかというのが僕の推測です。寧ろ古事記は文字通り「内輪向け」だったんだと思いますね。

蛇足:古事記の作者は女性?

 最後に蛇足になりますが古事記を編纂したスタッフの一人稗田阿礼とは何者だったんでしょう?実は彼(?)については結構謎が多く、色々興味深い説が出ています。その一つは「柿本人麻呂説(^^)」を梅原猛氏が挙げられていて個人的には結構興味深いです。ただこれには証拠と多少の説得力が不足しているのであまり本気で討論されている感じは無いですけど。僕の先生も卒論の中間発表で僕がこの説を紹介したらあっさり一蹴されました(^^)。まあ、知的ゲーム的な魅力には溢れているので時間があったらもっと追求してみても面白いかもしれませんけどね。これについての説は氏の著作「日本人のあの世観」に掲載されていますので興味があればどうぞ。このHPの参考文献録でも紹介しています。

 で、他には実は女性だったという「女性説」(三谷栄一氏)があり、結論から言うと僕はこの説を支持しています。少し前に「源氏の雰囲気に通じるものがある」って述べましたけど、確かに精細な心理描写などとても男性の手による物とは思えない様な側面も見られます。恋愛物語が多いのも「女性作品」らしい性格ではないのかと。まあ男性にもそういった物が書けない等とは言う気はありませんけど、ただ古典ではこういった男性と女性の作品で結構はっきりとした境界線らしき物は見られます。
 他には、古事記では女性の立場が重んじられているという点。まあ古事記の編纂時は女帝の時代ですから、実際に女性の立場が社会的に強かったって可能性もありますが、何か恋愛物語などでも女性の立場で書かれているって感じがあります。ここら辺はあまり詳しくやっていないので漠然とした様な事しか言えませんが、試しに古事記を通して読んでみると何となくそんな気がすると思います。男性が女性を支配しているというより女性が流れをコントロールしている様な...女性が重要な役を演じる事も多いですしね。さらに追加すれば本来日本の風習として女性の立場が強かった可能性もあり、それを反映させたという可能性もなきにしもあらずだと思います。推古天皇や持統天皇の様に我が国では女性でも天皇になれますし、そもそも日本の最初の支配者は女性ですし、止めに三貴子のリーダーで皇室神の天照天神は女神様ですからね。

 ただ、稗田阿礼が実際に女性だったかは結構怪しいもので、実際反論意見も少なくないです。その理由の一つとして稗田阿礼の官職問題が良く挙げられます。稗田阿礼は古事記編纂当時「舎人」という高い役職におり、この役職には当時女性はなれなかったんだそうです。従って普通には女性とは考えられないんだそうで。
 まあ女帝の時代ですし、もしかしたら例外があったのかもしれないし、さらにもしかしたら実は「とりかへばや物語」みたく男勝りな男装の女性...はいくらなんでもないか(^^)。
 この事については三谷栄一氏が稗田阿礼に話を吹き込んだ実質的作者が女性なんだという説も挙げられており、これが常識的に考えて一番正論に近いと思います。実際に編纂にあたった稗田阿礼自信はれっきとした男性としても、その影に協力者として文才あふれる女性の影がちらついていても別段不思議な話じゃございませんからね。古事記中の主人公よろしく稗田阿礼も女性の力を借りて見事大業を成し遂げたのでしょう。

おわりに

 これで一応僕の卒論ページも終了です。もう終盤は帰省前更新で駆け足で更新した為随分荒削りになりましたけどいかがだったでしょうか。自分でもかなり独りよがりで強引だったのは反省すべき点だったかなぁと卒論提出時に思ったんですけど全然懲りてませんでしたね(^^)。

 しかし古事記の解釈って他の作品と比べても結構大変なもので、この作品は国文学だけでなく歴史学や神話学、そして考古学や民族学等あまりにも沢山の立場の学者の方々が研究対象にされており、その解釈や説もそれぞれの立場でまったく異なっている事も珍しくありません。今回は国文学研究者の立場からの研究でしたので国文学以外の説はあえて深く取りあげませんでしたけどそれでも一つの解釈に全く対局の説も多く、ホントに解釈しうる選択肢の幅の広い作品だなぁと実感させられました。その分自分の考える余地がかなりあるクリエイティブな魅力に溢れているとも言えますが。これが古事記の魅力の一つなんでしょうね。

 そんな中で得た結論としてはやはり古事記は優れた文学的要素を持つという事と、そしてそれは結果的に付随された偶然の産物などでは無く、高い文学的意図を持って作られた文学作品的歴史書なんだと思います。
 あまりにも高い政治的な意図を持って編纂されたこの作品が日本最古の文学として文学史に位置付けられているのに抵抗感を持つ人も少なからず存在する様ですが、この作品には編纂意図だけでは一方的に批判出来ない文学的意義が存在していると思います。日本文学の源流としての存在意義が確かにこの『古事記』にはあります。

 

 という事でとりあえずこれで終了です(^^)。もしよろしければ是非御意見、御感想、御叱責、etc.下さいませ。これからもこのページはちょくちょく細かい更新や改良していくつもりですので。何はともあれ最後までおつき合い下さいましてありがとうございました(m__m)。ではまた。

 

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